あと、セリフの行間を変えてみました。
入学式当日は無かった授業。だがキヴォトスの学校における「授業」というものは、外の世界の学校とは少し勝手が違っている。
生徒たちを指導する大人の教師というものが存在しないこの街では、基本的に各学園が発行している教育用ブルーレイディスクをプレイヤーにセットし、モニターに流れる講義映像を見ながら各々で課題を進める、いわゆる自習形式が基本だった。
二人きりの教室。向かい合っては見づらいので、俺とホシノは机を並べてモニターに向かっていた。
「……ショウ、そこの計算、符号が逆ですよ」
ノートを覗き込んできたホシノが、ツンとした横顔のままシャープペンの先で俺の答案をトントンと叩いた。
「ん? あ、本当だ。マイナスとプラスを間違えてたな。ありがとな、ホシノ」
「べ、別に……同級生がのっけから赤点取られたら格好がつかないから教えただけです。……それより貴方、字が意外と綺麗なんですね。見た目があれだから、もっとこう、ナイフで机を削ったような字を書くのかと思ってました」
「どんな偏見だよ。昔から丁寧に書けって教えられたんだよ」
「ふーん……まあ、いいことですけど」
ホシノは少し気恥ずかしそうに視線を逸らすと、自分のテキストへと戻った。
だが、しばらくすると彼女のペンがピタリと止まる。歴史の年表問題で小さく眉をひそめていた。
「そこは第三次自治区再編の年だから、さっきの講義だとここだな」
該当のページを指差す。
「……あ。なるほど。助かります」
ホシノは小さく耳を赤くして会釈を返してきた。
ツンツンと棘を逆立ててはいるが、根は真面目で面倒見がいい。お互いに分からないところを教え合いながら進める自習は、思っていたよりもずっと捗った。
そして、キリの良いところでチャイムが鳴ると――ガラガラッと勢いよく扉が開く。
「二人とも〜! お勉強お疲れ様〜! 商店街で買ってきたお煎餅、一緒に食べよ〜!」
生徒会長の腕章を揺らし、ユメ先輩が両手にお茶とお菓子の袋を抱えて飛び込んできた。
「ユメ先輩、廊下は走らないでくださいって言ってますよね……あ、でもちょうど休憩にしようと思ってたんですよ」
「えへへ、よかったぁ〜! ほら、ショウくんもどうぞ! アビドス名物の『砂金煎餅』だよ〜! あ!でも砂は入ってないから安心してね!」
「いただきます、ユメ先輩」
三人で机を囲んでお茶をすする。
ユメ先輩はポヤポヤとした笑顔で、砂漠に埋もれてしまったオアシスの話や、昔は賑わっていたという市場の話、さらには「柴関っていうすごく美味しいラーメン屋さんがあるんだよ〜」といったアビドスの名所をたくさん教えてくれた。
「今度のお休み、三人で柴関まで行こうよ〜! ちょっと遠いけど、みんなで歩けばピクニックみたいで絶対楽しいと思うんだ〜!」
「……まったく、ユメ先輩はすぐそうやって呑気な計画を立てるんですから。遠出するならついでに弾薬の補充をしてからですよ」
「え〜、ホシノちゃんは心配性だなぁ」
「誰のせいで心配性になったと思ってるんですか! ……まあ、でも。息抜きくらいは、たまにはいいかもしれませんけどね」
文句を言いながらも、ホシノの口元は微かに緩んでいた。
「俺も行ってみたいです。楽しみにしてますね」
「やったぁ〜!」
俺に返答にユメ先輩も嬉しそうに飛び跳ねた。
振り切ったとはいえ、昔はどこへ行っても凶悪な目つきとヘイローのせいで恐れられ、遠巻きにされてきた俺にとって、こうして机を囲んで他愛のない会話で笑い合える時間は心地よいものだった。
こっくりさんにもう一度高い油揚げでも供えておかなければならないかもしれない。
そんなことを思いながら、充実感に満ちたアビドスでの日々を終え、俺は心地よい疲労感と共に眠りについたのだった。
アビドスでの生活は、驚くほど穏やかで、そして騒がしかった。
毎日の自習では、相変わらずホシノと机を並べて分からない問題を教え合い――たまに俺のヘイローが夕暮れの教室で勝手に七色にピカピカ光り出して「眩しくて文字が読めないでしょうが!」とホシノに怒鳴られたりもした。
時にはくしゃみでヘイローの一部がすっぽ抜け、床にぶつかった衝撃で霧散し、教室内が冷えて快適になったときには流石にドン引きされた。涼しく授業できたからいいじゃないか、あんな目で見なくても。
放課後になれば、ユメ先輩が「今日は市場で珍しいお茶っ葉見つけてきたよ〜!」とポヤポヤした笑顔で乱入してきて、三人で他愛のない話をしながらお茶をすする。
そういえば初日、ユメ先輩が「借金だらけのアビドスだけど来てくれて嬉しい!!」とうっかり口を滑らせて、この学校が天文学的な借金を抱えていることが早々にバレてしまう一幕があった。
ホシノは「先輩ッ!? 新入生にいきなりそんな絶望的な現実を突きつけてどうするんですか! 逃げられたらどうするんですか!」と真っ青になって頭を抱えていたが、アビドスを気に入った俺が「俺もできる限り協力する。三人で割れば負担も減るだろ」とあっさり応えると、ホシノは拍子抜けしたように目を丸くするも嬉しそうに、ユメ先輩は泣きそうになりながら「ショウくん、ありがとう〜!」と俺の手を握りしめてきたっけ。
そんなトラブルめいた出来事もあってか、俺たちの距離は一気に縮まった。
外の世界にいた頃は、この見た目のせいで、誰からも遠巻きにされ、気味悪がられて生きてきた。気にしていないと言えばそうだが、やっぱり不躾な視線は心にくるときもあった。
だがこの砂漠の学校では、呆れ顔でツッコミを入れてくる同級生と、どんな奇行もニコニコと受け入れてくれる先輩がいる。
俺の突拍子もない行動に頭を抱えつつも、二人は俺を一人の「仲間」として、ごく自然に輪の中に迎え入れてくれていた。
たった三人きりではあるけれど、俺にとってこのアビドス高校は、居心地のいい大切な居場所になりつつあったのだ。
――そして、ある日の朝。
アビドスの青く澄み渡った空から、強烈な朝の陽光が砂漠の大地を照らし出していた。
俺は制服に袖を通し、鞄を肩にかけてアビドス高校の正門へと向かった。
吹き荒れる砂埃で埋もれた床を、もぎ取ったヘイローを投げて風を起こし吹き飛ばしながら昇降口を抜け、すっかり見慣れた一年生の教室へと向かう。
頭上の七色オーディオスペクトラムヘイローも、朝の澄んだ空気を感じ取ったのか、いつもより軽快にピコピコと爽やかなリズムで上下に踊っていた。
だが、教室の引き戸の前に立ち、手をかけた瞬間。俺は、扉の向こうから漂ってくる「いつもとは明らかに違う気配」を肌に感じ取っていた。
教室の引き戸をガラリと開けると、朝の心地よい空気とは裏腹に、室内の温度が氷点下まで下がったかのような凄まじい重圧が肌を刺した。
殺気、と呼んでもいいかもしれない。
原因は一目瞭然だった。一番前の席で、無骨なショットガンを机の横に立てかけ、頬杖をついて座っているホシノだ。俺やユメ先輩と話すとよく見せてくれる、照れくさそうに笑ったりツッコミを入れていた柔らかい雰囲気はどこへやら、今の彼女は道行く者を片っ端から射殺しそうなほど凶悪で不機嫌なオーラを全身から放っていた。
「おはよう、ホシノ」
努めて平然と声をかけてみる。
ホシノはギロリとこちらを睨みつけるように顔を向け、低くドスの利いた声で短く応じた。今のホシノは俺より怖いんじゃなかろうか。
「……おはようございます、ショウ」
「どうしたんだ? 朝から凄まじい顔をしてるけど、何かあったのか」
俺が向かいの席に鞄を置いて尋ねると、ホシノは盛大に舌打ちをひとつ鳴らし、苛立ちを隠そうともせずに机を指先でトントンと叩いた。
「昨日の帰りですよ。自治区の外れを歩いていたら、アビドスを縄張りにしようとほっつき歩いてるチンピラ共がウロチョロしてましてね。……アドビスの治安の邪魔だったのですぐに排除したんですが」
「ああ、撃退したのか。災難だったな、相手が」
「それだけならいつものことなんです。問題はその最後ですよ。ボコボコにされて逃げ出す間際に、その不良のリーダー格が吐き捨てたんです。『こんな砂漠まみれのゴミ溜め学校、さっさと潰れちまえ!』って」
バキッ、と乾いた音がした。
ホシノが無意識に握りしめていたシャープペンが、指の力でへし折れていた。その瞳の奥には、ドス黒い怒りの炎がメラメラと燃え盛っている。
「……もちろん、逃げられる前にショットガンの台尻でヘルメットを叩き割って、砂の中に首まで埋めてきっちりシメておきましたけどね。でも、思い出すだけで腹が立って仕方がありません。あんな連中に、アビドスのことを愚弄される筋合いなんてないんですよ」
なるほど、怒るのも無理はない。彼女なりにアビドス自治区を愛し、誇りを持っている。そこを他人に土足で踏みにじられれば、誰だって面白くないはずだ。一人でぶちのめし、きっちり首まで埋めたあたり、彼女の戦闘能力の高さと容赦のなさが窺えるが。
「やっぱり、ここいらは結構荒れてるんだな」
「……ええ。不本意ながら、その通りです」
ホシノは深い深いため息をつき、折れたペンを申し訳なさそうにしつつ、筆箱にしまった。
「大昔とはいえ、栄えていたこの自治区も、主に砂漠化のせいで警察機能すら完全に麻痺していますからね。連邦生徒会が見捨てた挙句、怪しい連中や、ヘルメット団不良連中が、我が物顔で略奪や嫌がらせを繰り返しているのが現状です。……本当に、胸糞悪い話ですけど」
眉根を寄せ、一人でその重荷を背負い込もうとする横顔。
同級生として、そして同じ教室で机を並べる友達として、彼女だけにそんな危険な役目を背負わせるのは忍びない。
「なら、俺も手伝おうか? 見回りとか、不良共の相手とかなら付き合うぞ」
ごく自然にそう申し出たのだが、ホシノは驚いたように目を見開いた後、すぐに困ったように眉を下げて首を横に振った。
「……お気持ちはありがたいですけど、結構です。ショウまで、そんな危険な役目を押し付けるわけにはいきませんから。ただでさえ、こっくりさんのお告げなんていう訳の分からない理由で巻き込まれたようなものですし」
「いや、俺は別に構わないぞ。暇だし。それにこっくりさんは割と俺の自業自得では?」
「それはそうなんですが、暇で命を張らないでください! ……それにですよ」
ホシノはツンと顎を引き、値踏みするように俺の全身をジロジロと眺め回した。制服のブレザー、薄手のスラックス、そして手ぶらの腰回り。
「手伝うと言っても、今のショウにそれができるとは思えません。……というか、貴方。昨日から思っていたんですが、そもそも『銃』はどうしたんですか?」
「銃?」
「銃ですよ。キヴォトスの生徒なら肌身離さず持っているはずの、貴方の個人火器です。どこにしまってあるんですか? そのカバンの中ですか?」
「いや、持ってないぞ」
「…………は?」
ホシノの動きがピタリと止まった。
まるで理解不能な言語を聞かされたかのように、目をパチパチと瞬かせている。
「……持ってない? 家に忘れてきた、ということですか?」
「いや、最初から一丁も所持してない」
「しょ、所持してない……!? 予備の拳銃すらもないんですか!?」
「ああ。一応、俺はキヴォトスの外から来た身だからな。あっちじゃ街中で銃を持ち歩くような文化はなかったし、だからかな、こっちに来ても買う理由もなかったからスルーしてた」
俺がありのままの事実を淡々と告げると、ホシノは目を見開き、椅子からガタッと音を立てて立ち上がった。その顔は、昨日俺がヘイローをもぎ取った瞬間と同じくらい、あるいはそれ以上に真っ青に染まっていた。
「じゅ、銃を持ってない……!? キヴォトスに住んでいて、銃を一丁も持ってない生徒がいるわけないでしょう!?」
ホシノの絶叫が教室を震わせた。彼女は両手で頭を抱え、まるでアホでも見るかのような目で俺を指差す。失礼な。
「貴方、正気ですか!? 服を着るのと同じレベルで誰もが銃をぶら下げて歩いてるこのキヴォトスで、丸腰!? 素手で!? この治安最悪のアビドスに入学してきたんですか貴方は!?」
「大げさだな。別に大丈夫だったぞ」
俺が至って平然と言い放つと、ホシノは信じられないものを見る目で口をあんぐりと開けた。
「だ、大丈夫なわけないでしょう! キヴォトスで銃を持たないなんて、生まれたての赤ん坊が丸腰でハイハイして横断するようなものですよ!? よくここまで五体満足で来られましたね……!?」
「いや、道中で何人かすれ違ったけどさ。道を尋ねようと手を挙げたら、みんな悲鳴を上げて散り散りに逃げていったんだよ。だから別に襲われることもなかったぞ」
「それは貴方の顔面が凶器のテロリストみたいだからでしょうが!!」
「事実だけど失礼だな!!」
ホシノがバンバンと机を叩いて絶叫する。失礼な話だが、まあ昔からのことなので今さら傷つきはしない。…本当だよ?
「いいですか、ショウ。ここはキヴォトスなんです。銃は身を守るための盾であり、自分の権利を主張するための最低限のパスポートなんですよ! 何が起きるか分からないこの自治区で、丸腰で歩き回るなんて絶対に許されません! 流石に一丁くらいは持っておくべきです!」
「おっはよ〜二人とも〜! 朝からすっごく元気だねぇ、何か楽しいお話でもしてたのかな〜?」
教室の扉がガラガラと開き、生徒会長の腕章をつけたユメ先輩が、お花が咲いたような笑顔でひょっこりと顔を出した。手には朝の点呼用のファイルを持っている。
「あ、ユメ先輩! 聞いてください、ショウなんですけど、キヴォトスの生徒のくせに銃を一丁も持ってないんですよ!」
「えーっ!? 銃を持ってないの〜!?」
ユメ先輩も目をまん丸にして驚きの声をあげた。だが、彼女はホシノのように怒鳴り散らすことはなく、人差し指を顎に当てて「う〜ん」と首を傾げた後、ポンと手を叩いた
「あ、そうだ! それならさ、今日の放課後、みんなでショウくんの武器を買いに行こうよ〜!」
「……買いに、ですか?」
「うん! まだお店が開いてる郊外近くの商店街に、昔ながらのガンショップがあるんだよ〜! ショウくんに似合う素敵な銃を選んで、そのついでにアビドスの街を案内してあげる! これなら一石二鳥じゃない?」
「なるほど、ありがたいです。ぜひお願いしてもいいですか?」
「ちょっとユメ先輩、呑気に買い物の提案なんて……まあ、でも。丸腰のまま放置しておくよりは百倍マシですか。分かりました、放課後に案内します」
ホシノも渋々といった様子ながら、どこか心配そうに頷いてくれた。
――そうして迎えた、放課後。
日差しが少しずつ朱色に染まり始めた頃、俺たち三人は校舎を出て、アビドス自治区の郊外へと足を運んでいた。
かつては商業エリアとして賑わっていたのだろうが、砂の侵食によってシャッターが降りた店舗幾つか目立つ。それでも営業を続けている数軒の店を目指し、風に舞う砂埃を避けながらアスファルトを歩いていく。
「ショウくん、どんな銃を持ちたいとか、希望はあるのかな〜? おっきくて強そうなスナイパーライフルとか? それともドカーンって撃てるロケットランチャー?」
「いきなり重火器を初心者に勧めるのはやめてください。……ショウ、何か希望はあるんですか?」
ユメ先輩の物騒極まりない提案をいなしつつ、ホシノが横目で俺を見上げてくる。
俺は少しだけ考えを巡らせてから、口を開いた。
「そうだな……取り回しがいいのがほしいな。あんまり重かったり長いと、狭い場所で引っかかって邪魔になりそうだし」
「ふむ……取り回し重視ですか。なら、無難に小型の拳銃か、少し火力を求めるならコンパクトなサブマシンガンあたりが候補ですね。店に着いたら幾つか見せてもらいましょう」
ホシノは納得したように頷き、腰のショットガンを軽く叩いた。
だが、ふと何かを思い出したように、彼女は怪訝そうに眉を寄せて俺を見つめてきた。
「……それにしても、ショウ。貴方、さっき『キヴォトスの外から来たから銃を持っていなかった』って言ってましたよね」
「ああ、言ったな」
「外の世界のことは私もよく知りませんけど……本当に今まで、銃を一丁も持たずに生活できていたんですか? ここに来て襲撃されたり、カツアゲされたりしなかったんですか?」
「ああ。理由はいくつかあるんだけどさ。まず、俺のいた外の世界じゃ、一般人が銃を所持するのは法律で厳しく禁止されてたんだよ」
「へぇ〜、法律で禁止! キヴォトスじゃ考えられないねぇ〜」
ユメ先輩が感心したように目を丸くする。ホシノも「なるほど、自治区ごとの条例みたいなものですか……」と頷いた。
「それに、俺は昔から無駄に頑丈だったしな。おまけにこの目つきと体格だろ? それに加えて――これだ」
俺は自分の頭上、七色にピコピコと明滅するヘイローを親指で指し示した。
「外の世界じゃ、頭の上にこんな光る物体を浮かべてる奴なんて一人もいなかったんだよ。だから『新手の改造人間か?』とか『人間じゃない』って気味悪がられてさ。不良どころか一般人にも遠巻きにされてたから、そもそも武器を持って自衛する必要性を感じたことがなかったんだ」
「あー……」
ホシノは俺の鋭い眼光と体格、そして頭上で激しく主張するゲーミングヘイローをマジマジと見つめ、深く納得したように息を吐いた。
「確かに……その凶悪な面構えと体格に加えて、頭の上で七色にビカビカ発光してたら、普通は新手の怪異か何かだと思って逃げ出しますね。理由としては十分に筋が通ってます。外の世界の事情も分かりました」
ホシノは一つ疑問が氷解したようで、ツンとした表情を少しだけ緩めた。
だが、俺はそこで思い出した事実を、何気ない調子でサラリと付け足した。
「あと、仮に撃たれたとしても、俺には弾が効かないしな」
「………………」
ピタリ、とホシノの足が止まった。
隣を歩いていたユメ先輩も「あれぇ?」と足を止め、二人揃って俺の方を振り返る。
夕暮れの赤茶けた風が、砂粒を巻き上げて三人の間を吹き抜けていく。
ホシノの顔から、先ほどまでの納得の表情が完全に消え失せ、代わりに引き攣ったような笑みが浮かんでいた。
「……あの、ショウ。今、何て言いました?」
「撃たれても効かない、って」
「サラッと聞き捨てならないこと言いましたね貴方ッ!?」
ホシノの鋭いツッコミが、閑静な夕暮れの通りに炸裂した。
「聞き捨てならないって、事実だから仕方ないだろ」
俺が至って平然と言い放つと、ホシノは両手をわなわなと震わせ、今にも頭から湯気を吹き出しそうな顔で俺に詰め寄ってきた。
「事実で片付けられる問題じゃないですよ!確かにキヴォトスの生徒が生身で銃弾を受けても平気なんですが……それだって直撃すれば痛いですし、重傷を負うことだってあるんですよ! なのに効かないって……ショウ、頭のネジと一緒に痛覚まで落としてきたんですか?」
「いや、痛覚はあるぞ。足の小指をタンスの角にぶつけたら普通にうずくまるし」
「どうして銃弾より家具の方がダメージ受けてるんですか!意味不明ですよ!!」
ホシノの鋭いツッコミが夕暮れの通りに響き渡る。
だが、俺にとっては嘘偽りのない実感だった。昔から、俺は生きていて「命の危険」というものを一度も感じたことがないのだ。
いや、より正確に言うなら――俺に危険をもたらそうとするあらゆる事象が、なぜか俺の直前で理不尽にねじ曲がり、結果として危険を仕掛けてきた側にとっての災難へとシフトしてしまうのだ。
「実際、ここに来る前にも似たようなことがあったんだよ」
「似たようなこと……?」
ホシノが怪訝そうに眉をひそめ、ユメ先輩も「なぁに〜?」とポヤポヤした顔で耳を傾けてくる。
「アビドスに入る前、入口あたりを歩いてた時、不良グループ同士の銃撃戦が始まってさ。ドンパチやってるなーと思って眺めてたら、ライフルの流れ弾が一発、俺の額に真正面からすっ飛んできたんだ」
「ひっ……!? ひ、額に直撃……!?大丈夫だったの…?」
ユメ先輩が両手で口を押さえる。ホシノも息を呑んで俺の額を凝視した。
「まあ、カツンと音がして、まあ、軽くデコピンされたくらいの衝撃はあったけど、傷ひとつ付かずにピンピンしてた。それどころか――」
「それどころか……?」
「俺の額で跳ね返った弾丸がさ。物理法則を完全に無視した直角のカーブを描いて、百メートルくらい離れた建物の陰で乱射してた……リーダー?のところまで一直線にすっ飛んでいって、そいつの右の脛にクリーンヒットしたんだよ」
「…………は?」
「撃った本人が『ギャアアアアッ!? なんでアタシの脛にィィィッ!?』って叫びながら、脛を押さえて砂の上を転げ回って悶絶しててさ。銃撃戦どころじゃなくなって解散していったよ」
俺が当時の光景を思い出して淡々と語り終えると、二人は完全に言葉を失っていた。
「「………………」」
風がサラサラと砂を巻き上げ、静まり返った通りを吹き抜けていく。
ホシノの引き攣った口元がピクピクと痙攣し、ユメ先輩も貼り付いたような苦笑いを浮かべたまま、瞳だけを激しく揺らしていた。
突拍子もなさすぎる現象に、ツッコミの鬼であるホシノですら、もはやどんな言葉を返せばいいのか分からないらしい。
「……え、っと。すね……痛かっただろうねぇ、その人……」
「……ええ。痛かったでしょうね、脛……って、そうじゃなくて!!」
ユメ先輩の気の抜けた呟きに一瞬同調しかけたホシノが、ハッと我に返って頭を抱えた。
「な、何なんですかそのバグみたいな現象は……! 跳弾が直角に曲がって犯人の脛当たるって……やっぱり貴方の周り、どこかおかしくなってますよ!!」
「そう言われても困るんだけどな」
そんなホシノの常識が限界を迎えかけたその時、通りの角を曲がったところで、くたびれた看板が視界に飛び込んできた。
錆びついたトタン屋根に、弾痕の残る木製の看板。そこにはかすれたペンキの文字で『ガンショップ・デザート』と書かれていた。
「あ、着いたよ〜! ここだよ、ショウくん!」
ユメ先輩がパンと手を叩き、重苦しい空気をあっさりと吹き飛ばしてくれた。
「……はぁ。もういいです、ショウの規格外っぷりについて考えるのはやめます。キリがありませんから」
ホシノは深くため息をつき、首を振って思考を放棄すると、看板を指差した。
「……とりあえず店に着きました。怪奇現象のことは忘れましょう。ここがアビドスで数少ない、まともな銃器を扱っている店です。さあショウ、中に入って貴方の相棒を選びますよ」
扉を押して中に入ると、カランコロンと乾いたベルの音が鳴り響いた。
オイルと火薬の匂いが立ち込める薄暗い店内には、壁一面に無数の銃器がずらりと並べられていた。カウンターの奥からは、整備用のウエスを手にした無骨な機械骨格のロボット店主が、ギシギシと関節を鳴らしながら顔を上げる。
『いらっしゃい……おや、アビドス高校の生徒会長さんたちか。後ろのデカい坊主が新しい客かい?』
「店長さん、こんにちは〜! 今日はこの子の銃を選びに来たんだよ〜!」
ユメ先輩が元気に挨拶し、ホシノがカウンターに手をつく。
二人の案内を受けながら、俺はガラスケースの中に整然と並ぶ無骨な鉄塊たち――キヴォトスにおける日常の象徴たる「銃」を、じっくりと見つめ始めたのだった。
店内に並ぶ無数の銃器を前に、俺は腕を組んで考え込んでいた。
一口に取り回しがいい銃と言っても、無骨なオートマチックピストルからリボルバー、折りたたみストックのサブマシンガンまで、種類が多すぎて正直どれを選べばいいのかさっぱり分からない。ここはやはり男のロマンを求めるか…?
『おいおい、あんちゃん。そんな仏頂面で睨みつけられたら、ケースの中の銃が怯えて縮み上がって錆びちまうぜ』
カウンターの奥で機械油の染みた雑巾を握っていたロボット店主が、愉快に笑いながら金属の指をカチャカチャと鳴らし、棚から一丁の黒い拳銃を取り出してコトッとトレイに乗せた。
『迷ってるなら、まずは癖のないスタンダードなハンドガンを試してみな。奥に客用の地下試射場がある。始めてらしいから、弾はサービスしてやるよ。何発か実際に撃ってみるといい』
「いいんですか、店長さん! ありがとうございます〜!」
ユメ先輩が手を叩いて喜び、ホシノも「試し撃ちができるなら話が早いですね」と頷いた。
「銃は実際に握って撃ってみないことには、グリップの握り心地も反動の癖も分かりませんからね。さあ、ショウ。奥に行きましょう」
俺たちは店主に案内され、頑丈な防音扉をくぐって地下の射撃場へと降り立った。
コンクリート打ちっぱなしのレーンの先、十五メートルほど離れた場所に、頑丈なスチール製の標的が吊り下げられている。
「いいですか、ショウ。まずは立ち方と構え方です。足を肩幅に開いて、セーフティを解除したら、標的をしっかり見据えて――」
ホシノが横について、手取り足取り丁寧に射撃の基本姿勢を教えてくれる。普段ツンツンしてはいるが、本当に面倒見がいい。
俺は言われた通りにスタンスを取り、手渡された黒いハンドガンを両手で構えた。
(なるほど……これが銃か。何故か鉄の冷たい感触が手に馴染む)
俺がそんなことを考えながら銃を握り込んだ、その瞬間だった。
何時も頭上で七色に激しく明滅していたヘイローが、一瞬だけビカッと強烈な光を放ち、高音域のバーが限界を振り切ってピコピコと狂ったように上下し始めた。
この時は自覚など微塵もなかったが、俺の内に眠る莫大な神秘が、握りしめたグリップを通じて銃の機構へと無意識にドバドバと過剰充填されていたのだ。
「……ん? ショウ、なんか銃が微かに発光して――」
「よし、撃ってみる」
「あ、待ちなさ――」
ポムッ。
地下射撃場に響き渡ったのは、火薬の爆発音などではなく、空気鉄砲を撃ったかのような気の抜けた効果音だった。
だが、本当の異常はそこから始まった。
銃口から飛び出したはずの9mm弾が、銃口のわずか三十センチ先で――ピタッと、まるで空間にピン留めされたかのように完全停止したのだ。
「……は?」
「……え?」
ホシノとユメ先輩がぽかんと口を開けた。
弾丸は空中で静止したまま、バグを起こしたゲームのオブジェクトのように、カクカクカクッと微小な振動を繰り返している。
「飛ばないな。不発弾か?」
「いや、出てるけど止まってます! 空中で静止してますよ、何ですかそれ!?」
ホシノが叫び、覗き込もうとした俺の肩を慌てて引き戻す。
その時だった。まるで金属が引きちぎれる轟音が射撃場に響いたのは,
『「「ひっ!?」」』
耳をつんざく轟音と共に、十五メートル先に吊り下げられていたはずのスチール製の標的が、レールを完全に無視して猛烈なスピードでこちら側へ向かってスライド突進してきた。
弾丸が標的に向かって飛ぶのではなく、標的のほうが物凄い勢いで弾丸に当たりに来たのだ。当たり判定の逆転現象である。
空中で静止していた弾丸に自ら激突した標的プレートは、激しい火花を散らしたかと思うと、物理演算が完全に崩壊したようにグニャグニャとポリゴンのように歪み始め――そのまま床のコンクリートをすり抜けて、ズブズブと奈落の底へ沈んで消滅した。
そして、俺の手元の銃から。チーン♪と、トースターが焼き上がったような軽やかな電子音が鳴り響き、排莢口から薬莢の代わりに、綺麗に包まれたイチゴ味の棒付きキャンディがポロッと飛び出して俺の手のひらに落ちた。
「………………」
「………………」
『………………』
静まり返る地下射撃場。
虚無の空間となった十五メートル先と、床に残された謎の穴。
そして俺の手のひらに乗る、甘い香りのするチュッパチャプス的な飴。後ろからおずおすとユメ先輩が近寄ってきた。
「……あ、あの……ショウ……くん?」
「はい、ユメ先輩」
「標的さんが……すっごい速さでお迎えに来て……そのまま床の中に埋まっていっちゃったねぇ……?」
「そうですね。人懐っこい標的でした」
「そんな!わけ!!あるかっ!!!!」
ホシノの鼓膜を破らんばかりの絶叫が、地下室に木霊した。
彼女は両手で頭を抱え、手のひらに落ちた飴と消滅した標的の跡を交互に指差しながら、泡を吹かんばかりに喚き散らす。
「なっ……何が起きたんですか今!? 弾が空中で止まったと思ったら!?標的が超スピードで突進してきて弾に当たりに行って!?そのまま床を抜けて地面の中に落ちていきましたよね!? ゲームのバグかなんかですか!?」
「いや、俺も何が起きたのかさっぱり分からないんだが」
「分からない顔で飴をポケットにしまうなっ!! あと何で薬莢が飴玉になってるんですか! 撃ったらおやつが出てくる銃なんてこの世に存在するわけないでしょうがっっ!!」
怒涛のツッコミを叩きつけるホシノの横で、ロボット店主はギチギチと関節を軋ませ、自らの金属の頭を抱えていた。
『……おいおい嬢ちゃんたち……。うちの射撃場は、古代のオーパーツで改装した覚えはねえんだがな……。長年武器屋をやってるが、データの物理エンジンじゃなくて、現実がエラー吐いたのは生まれて初めてだぜ……』
「ほら! 店長さんの情緒までバグっちゃったじゃないですか!!」
「おー」
「おー、じゃ、ないでしょうがっ!!」
「ひぃん…」
目の前の事象に理解が及ばず、恐怖で泣き声を上げるしかないユメ先輩の横で、ホシノが、今日も何度目かの爆発を元気に起こしたようだった。