逆行したのにチートができない 作:タイムトリッパー
甚爾から電話が来た。
『やべーわ。お前の暗殺任務、断れそうにない』
「わかった。頑張って抵抗する」
『おう』
電話は切れた。
甚爾が「やべー」と言ったら、たぶん本当にやべーのだ。
本人を脅すだけなら、まだどうにかなったらしい。ところが今の甚爾にはお付き合いしている伏黒さんがいて、その娘の津美紀もいる。おまけに恵を禪院家へ渡すはずだった話まで絡んで、あちらから相当な圧力を受けていた。
自分の命だけなら、甚爾はいくらでも賭けられる。
だが、家族を人質に取られたら話が違う。
「えっ 今の何。呪術師の世界、怖……」
夏油が思わず呟いた、その直後だった。
星漿体――天内理子の護衛任務が入った。
なるほど。悟は少し考えてから、傑と硝子を見る。
「やべーな。傑の死亡イベント来たかもしれない」
「私の?」
「天元様を呪霊操術で操えるんだよね。もしかして進化後?」
硝子の言葉に、悟は頷いた。
「可能性はある。そして甚爾は俺に殺されてる。正史では撃退には成功したけど、任務そのものは失敗したってことだな」
二人の顔から笑みが消えた。
甚爾が殺しに来る。悟が甚爾を殺す。天内理子は死ぬ。
その後、何らかの経緯で傑も死に、その肉体を羂索に奪われる。
細部は分からない。
何しろ未来から来た二人の情報は、肝心なところほど穴だらけだ。
それでも、危険な分岐点が近づいていることだけは分かった。
「まあ、呪霊はどうにかなるらしいから、依頼自体は失敗してもいいだろ」
「駄目だよ」
即答したのは傑だった。
「呪霊には今後も存続してもらうから、依頼の失敗はできない」
「傑……」
「それに、天元様を私の術式で操れるようになったら困るだろう。日本人を一つの呪霊にするなんて計画も御免だよ。問題は、禪院家を一人で壊滅できるフィジカルギフテッドに、私達で勝てるかだけど……やるしかないんだろう?」
「たぶん、どっちかが死ぬまで戦わされると思う。未来じゃ真希の方が強くなるらしいけど、甚爾も本気で来るだろうからな。何とか頑張らないと」
家族を人質に取られている。
手加減して負けました、では済まされないだろう。
すると傑が少し考え、
「九十九さんを生贄に捧げるんじゃ駄目なの?」
「めっ、傑!」
悟は思わず叱った。確かに九十九もまた同化できると2人は知っている。
仮に天内理子がダメでも九十九を同化させればいい理論はありと言えばアリである。特級術師にどうやって強要するかという問題があるが。
「俺に生きてていいって言ってくれただろ! 一人を犠牲にすんのやめようぜ!」
「私は一人を犠牲にすることに反対したんじゃない。悟を犠牲にすることに反対したんだ」
傑は悪びれなかった。
「私の腕は二本しかないからね。悟と硝子でいっぱいだよ」
「あーもー傑。お前は正論吐いてろよ。いつもみたいにさ」
「正しさなんてなんの意味もないよ」
2人は走りながら現場へ向かった。
◇
天内理子と黒井美里の確保そのものは、問題なく成功した。
問題は、その後だった。
天内を天元と同化させるか。
そこで悟と傑の意見が割れた。
「俺は、同化させたくない」
悟はそう言った。理子が目を見開く。
傑は反対に、難しい顔をした。
「私は同化した方がいいと思う」
「傑」
「分かっているよ。私だって、天内さん一人に全部押しつけたいわけじゃない。でも天元様が進化して、私の術式で操れるようになる可能性があるなら話が変わる。羂索に私の体を奪われた場合、日本中を巻き込める爆弾をわざわざ用意しておくことになる」
「でも、百年もしないうちに呪霊はほとんどいなくなるんだろ」
「未来がそのままならね」
「その百年くらい、天元様に頑張ってもらおうぜ」
「軽いね、悟」
「それにさ」
悟は少しだけ言葉を切った。
「俺だけ世界より優先されて生きるってのは、やっぱちょっと嫌なんだよ」
傑の表情が変わった。
「悟」
「お前が俺を選んでくれたのは嬉しかった。でも、だったら俺も選びたい」
理子を見る。まだ少女だった。
学校に行きたい。友達と一緒にいたい。
そんな、ごく普通の願いを持った少女だ。
「どうせ百年もしないうちに状況そのものが変わるなら、今ここで一人食わせるの、損じゃん」
「言い方」
夏油が呆れる。
「それに、真人を利用できるなら、日本人を術師にする細工をこっちで発動させる手もある。宿儺とやり合う時の戦力は多い方がいい」
「悟」
傑は低い声で呼んだ。
「私は反対だよ」
「うん」
「天元様を操れる状態にしたくない。羂索に利用される可能性も残したくない。私は悟が無事でいるためなら、使えるものは全部使うつもりだ」
「うん」
「だから理子ちゃんには――」
「傑」
悟が手を差し出した。
「俺と一緒に爆弾になってよ」
傑が黙った。
「天元様が進化して危なくなるなら、俺らで何とかしようぜ。羂索がお前を狙うなら、俺がお前を守る。お前も俺を守ってよ」
「……悟」
「俺ら二人で最強なんだろ」
ずるい。傑はそう思った。
悟に新しくできた弱みは、そのまま傑を逆らえなくする強みにもなっていた。
世界を敵に回しても守ると決めた親友が、手を差し伸べている。
どうせもう夏油は世界の敵なのだ。世界の敵である理由が一つ増えるだけ。
何より、五条だけを悪者にできるわけがない。
「……分かったよ」
傑は額を押さえた。
「一緒に爆弾になろう」
「よし」
「硝子も巻き込もうね」
「逃げられるかもよ」
「最近は混ぜろって言ってくれるじゃないか」
話を聞いていた理子が、おそるおそる口を開いた。
「じゃ、じゃが、妾は学校に……」
「それを勝ち取るために会いに行くんだよ」
悟が笑う。
傑も頷いた。
「天元様に直談判しよう。大丈夫。天元様は許してくれるよ。あとは君の意思だけだ」
「……なぜ、そんなことが分かるのじゃ?」
「天元様は、ちゃんと君の事を考えてくれているよ。同化したい? したくない? 君自身に聞いてみて。それを天元様は尊重する」
「妾の意思……本当に、そんなことが許されると?」
「やってみないうちには、何も達成できないよ」
実際、未来では天元本人が理子の意思を尊重するつもりだったらしい。
五条達が逃すと五条達の責任問題になってしまう為、ここは天元様にきちんと責任を果たしていただきたい。
もちろん、天内も生きたいなら自分で天元様に言わないといけない。
それすらなしに助ける事はできない。
◇
高専へ戻ると、連絡を受けたちみっこ達が待っていた。引率の硝子が軽く手を振ってくる。恵の表情は硬い。
甚爾と会えるのは、これが最後になるかもしれない。
そのことを恵も知っていた。
何せ、野薔薇は聞いている。五条が甚爾を殺したと。
「恵」
「甚爾さん……」
甚爾は娘の顔をしばらく見た。何か言うのかと思った。
だが、出てきた言葉は甚爾らしいものだった。
「術式は使えるか」
「うん。使えるようになったよ」
「そうか。じゃあ、実験するぞ。調伏の儀式をしろ」
「……実験?」
それは甚爾から恵への、最後の贈り物だった。
――フィジカルギフテッドによるカンニング行為である。
「鵺」
恵が式神を呼び出す。
調伏のために現れた鵺へ、甚爾が突っ込んだ。
そして殺した。
「…………」
「…………」
「…………」
見守っていた一同が沈黙する。
しばらくして恵の目が輝いた。
「調伏できました!」
「マジか」
「できた!」
「よっし!」
野薔薇が拳を突き上げた。
「じゃあこのまま駆け抜けるわよ!」
「はい!」
完全な天与呪縛によって呪力を持たない甚爾は、呪いの側から見れば限りなく透明人間に近い。甚爾が手を出しても、儀式上の助っ人として扱われない。
ならば使える。
実に酷いカンニングだった。
甚爾が倒せる式神を、片っ端から恵が呼び出す。
甚爾が倒す。
恵が調伏する。
代々の十種影法術使いが見たら卒倒しそうなインチキ育成が、物凄い勢いで進んでいった。これが今後の時代のスタンダードな育成方法です!
そして。
「八握剣異戒神将魔虚羅」
さすがに、これは無理だった。
「……でっか」
悟が見上げる。
「これ、本当に恵が将来使うのかい?」
「調伏できたらね!」
野薔薇が答える。
「今から調伏するんだよ!」
「無理です!」
恵が即答した。
甚爾一人でも無理だった。ならば全員でやるしかない。
もちろん、他人が介入した時点で調伏は無効になる。
だからこれはもう、恵の調伏ではない。
実戦訓練である。
どうしよう、そのまま全員殺されそう。
「悟」
「おう」
「私達、悪い子になっちゃったね」
未来情報を使い、術式の仕組みの穴を突き、これから起こる戦いの前に自分達を強化する。
悟が笑った。
「世界を救うためなら許されるって」
「勝てば正義よ!」
「勝てるかな……」
野薔薇はいつだって自信満々だった。
今もこうして釘を使って最前線で戦っている。幼女がである。
悟と傑も笑った。
そして笑っていられたのは、そこまでだった。
魔虚羅は強かった。
規格外だった。
一度通じた攻撃が次には通じなくなる。対応を間違えれば、あっという間に誰かが死ぬ。
悟は自分の術式を今まで以上の速度で組み立て、傑は手持ちの呪霊を選び抜き、甚爾は呪力のない肉体で死角へ潜り込む。
硝子は負傷者を治し続けた。
野薔薇も恵も乙骨も全力を尽くした。
死にかけて、立て直して、また戦った。
そしてようやく。
全員で、魔虚羅を倒した。
当然、恵の調伏は成立しなかった。
それでも得たものは大きかった。
悟も。
傑も。
明らかに、戦う前より強くなっていた。
「……傑」
「何だい」
「俺ら、強くなってね?」
「……なったね」
「もう一回やる?」
「嫌だよ」
「絶対嫌」
硝子が即答した。
「私も嫌です!」
恵も全力で拒否した。
甚爾が煙草を咥えながら、呆れたように一同を見る。
「馬鹿じゃねぇの」
「お前が始めたんだろ」
「娘を鍛えただけだ。なんでお前らまで強くなってんだよ」
「おかげさまで」
「最悪だな」
甚爾は笑った。
その後。
伏黒甚爾と、五条悟、夏油傑は戦った。
◇
手加減はなかった。
甚爾には、手加減できない理由がある。
悟達にも、負けられない理由がある。
ほんの少し前まで一緒に魔虚羅と戦った男が、今度は自分達を殺すために襲ってくる。
最初から分かっていた。それでも、実際に始まってみれば酷いものだった。
呪力を持たない甚爾を六眼ですら捉え損なう。
傑の呪霊は次々と突破される。
魔虚羅と戦ったばかりだというのに、まったく違う種類の脅威だった。
「……お前ら」
甚爾が笑った。
「さっきより強くなってねぇか?」
「魔虚羅と戦ったからな!」
「俺が娘を鍛えたせいで、お前らまで強くなってんのかよ」
「ありがとう、甚爾さん!」
「最悪だな」
本当に最悪だった。
それでも戦った。甚爾は止まらない。
悟も止まれない。
傑も止まれない。
そして最後に。
虚式「茈」が、甚爾を捉えた。
恵は泣いていた。
それでも、目を逸らさなかった。
別れは済ませてある。
甚爾から貰えるものも、貰った。
父親が自分のために何をしたのか。
そして、なぜここで死ぬのか。
幼い恵なりに、全部見届けようとしていた。
傑も泣いていた。
「……泣くのは、卑怯だね」
涙が止まらなかった。
未来を知っていた。
甚爾が殺しに来ることも知っていた。
家族を人質に取られ、逃げることもできないと知っていた。
その甚爾を利用した。
恵の式神を調伏させた。
魔虚羅と戦い、自分達まで強くなった。
その力を持って、最後には甚爾を殺した。
「私は最初から言ったんだ。全員を守るつもりなんてないって」
「傑」
「悟と硝子でいっぱいだって。だから選んだ。甚爾さんより、悟を選んだ」
自分で言った。
一人を犠牲にすることに反対したわけではない。
悟を犠牲にすることに反対しただけだと。
本当に選ぶ時が来て、夏油傑は言葉通りに五条悟を選んだ。
「それなのに今さら泣くなんて、随分都合がいいな」
「傑」
悟が何か言おうとした。
だが、その手を硝子が掴んだ。
反対の手で、傑の手も掴む。
強く。
二人とも逃がさないように。
「硝子……」
「夏油」
「うん」
「五条」
「……おう」
「帰ろ」
それだけだった。正しいとも言わなかった。
仕方なかったとも言わなかった。
必要な犠牲だったとも言わなかった。
ただ、二人の手を離さなかった。
夏油傑の腕は二本しかない。
五条悟と家入硝子でいっぱいだった。
そして家入硝子の二本の手も今、五条悟と夏油傑でいっぱいだった。
この日。
絶対正義でいたかった夏油傑は、正義の座から転落した。
それでも、二人の隣には残った。
未来は既に、大幅に壊れ始めていた。