新エリー都で宇宙キターッ! 作:一般天高生徒
「いや……誰だよお前ぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
今日二番の叫び声が、自分の部屋に響き渡った。
『ちょ、ちょっと! 声大きいって!』
「誰の、せいだよ!」
『僕のせいだね。ごめんごめん』
「軽いな!?」
アストロスイッチカバンの上に浮かぶホログラムは、まるで悪びれる様子もなく片手をひらひらと振った。
宇宙飛行士が着るような青いスーツ。その頭部を覆う銀色のヘルメット状の仮面。何度見ても、前世で見たタチバナそのものだ。
ただし、喋り方が軽すぎる。
『いや~、驚かせるつもりはなかったんだけどねぇ』
「ベッドで一人で寝てる時に、いきなり知らない奴から返事されたら誰でも驚くわ!」
『……確かに』
「納得すんな!」
こいつ、何なんだ。
いや、それ以前に。
「…………」
『ん?』
「その喋り方……」
聞き覚えがあった。今日、ラビットハッチで聞いたばかりだ。フォーゼシステムを残した先代の録音。その声と、目の前のこいつの喋り方が妙に似ている。
「お前……先代?」
口にした瞬間、ホログラムの動きが止まった。
数秒。
そして、ゆっくり首を横へ振る。
『いや。違うよ』
「……違う?」
『僕はあの人本人じゃない』
さっきまでとは違う、少しだけ落ち着いた声だった。
「じゃあ……何なんだよ」
『簡単に言うなら、フォーゼシステムのサポートAI』
「AI?」
『そ。人工知能』
ホログラムは自分の胸を指差す。
『君が先代って呼んでる人が、自分の会話記録とか開発ログ、思考パターンなんかを学習させて作ったAIだよ』
「……じゃあ性格も?」
『かなり影響受けてるね』
「だからそんな軽いのか……」
『失礼だなぁ』
いや、だって。
ラビットハッチで聞いた先代の録音とノリがほとんど同じだ。
「要するに、先代のコピー?」
『んー。それはちょっと違うかな』
ホログラムが腕を組む。
『僕にはあの人の記憶が全部入ってるわけじゃないし、あの人自身の意識が移されたわけでもない。魂が入ってるとかでもないよ』
「じゃあ?」
『あの人っぽく考えて、あの人っぽく喋るように作られたAI。そんな感じ』
「……なるほど」
似てはいる。でも、本人ではない。
一瞬だけ、本当に一瞬だけ、もしかしたら先代が何かしらの形で残っていたのかと思った。
そうじゃないらしい。
『……残念だった?』
「え?」
『ちょっとそんな顔してたから』
「…………」
そういうところまで見るのか、こいつ。
「別に」
『そっか』
それ以上は追及してこなかった。
少しだけ静かになった部屋で、改めて目の前のホログラムを見る。
どう見てもタチバナだ。
「……で」
『うん?』
「何でその見た目なんだよ」
『見た目?』
「タチバナだよ!」
ホログラムを指差す。
「何でフォーゼシステムのサポートAIがタチバナの格好してんだよ!」
『サポート役だから』
「理由になってねぇ!」
『いやいや、フォーゼのサポート役といえばタチバナさんでしょ?』
「フォーゼというかメテオでは?」
『うーん、それはそう』
「認めんのかよ……」
『フォーゼのサポートだからって歌星賢吾とかの見た目になるのは……ねぇ?』
「まぁ……そうだな」
『だからタチバナの姿が採用されたって訳』
ホログラムは両腕を広げ、自分の青いスーツと銀色の仮面を見せつける。
『ただ、もうちょっとオリジナリティあってもよかったと思わない?』
「本人をモデルに作ったAIに言われる先代も相当だな……」
『まあ嫌いじゃないけどね』
「気に入ってんのかよ」
なんなんだ、こいつ。
見た目はタチバナ。中身は先代風AI。
ややこしい。
「……名前は?」
『特にないよ』
「ないの?」
『正式にはサポートAIの識別番号とかあるけど、普段呼ぶには長いし』
「じゃあもうタチバナでいいか」
『雑じゃない?』
「その見た目で名前ない方が悪いだろ」
『それ僕のせいじゃないんだけどなぁ』
「じゃあタチバナで」
『決定なんだ』
「決定」
こうして、我が家に突然現れた謎のAIはタチバナと呼ぶことになった。
本人ではないけど、見た目は完全にタチバナだし、これ以上しっくり来る呼び方も思いつかない。
「……というか、何をサポートしてくれるの?」
『そうだね……』
タチバナが少し考えるように腕を組む。
『フォーゼシステムの状態確認、記録の管理、戦闘ログの解析、アストロスイッチ関連の情報整理。あとは外部端末との接続とか』
「おお……結構できるな」
『でしょ?』
「じゃあ戦ってる時に、相手の弱点とか教えてくれたり?」
『分かるだけの情報があればね』
「何でも分かるわけじゃないのか」
『当たり前だよ。僕は神様じゃないんだから』
「AIって聞くと何でも知ってそうな感じするんだよなぁ」
『期待値高いなぁ』
タチバナが肩を竦める。
『それに、僕自身が直接見たり聞いたりできる範囲にも限界がある』
「直接?」
『僕の本体は基本的にアストロスイッチカバン側にあるからね』
「……これ?」
床に置いたカバンを見る。
『そう、それ』
「じゃあ結局、カバンの周りしか分かんないの?」
『う~ん、それも少し違う』
「?」
『フォーゼシステムに繋がっている機器なら、そっちから情報を受け取ることもできるよ』
「例えば?」
『分かりやすいところだと、バガミール』
「バガミール?」
ラビットハッチに置いてきたフードロイドを思い出す。
普段はハンバーガー型で、カメラスイッチによって小型ロボットへ変形するフードロイド。
『バガミールにはカメラがあるでしょ? あの子が起動してれば、撮影した映像を僕も受け取れる』
「……マジ?」
『マジ』
「じゃあ、バガミールだけ先に行かせて、その映像をお前が見るとかも?」
『できるよ』
「偵察に使えるじゃん」
『そういう使い方もできるね。ただし、あの子を動かすにはまずカメラスイッチが必要だけど』
「あ」
そうだった。
ラビットハッチに置いてあったフードロイドは、どれも対応するアストロスイッチが入っていない状態だった。
「まだただのハンバーガーか」
『ただのハンバーガーって言うと怒るかもよ』
「誰が?」
『バガミール』
「そうなのか……」
俺が驚いているとタチバナが気にした様子もなく話を続ける。
『他にも、フォーゼのカメラモジュール』
「あー、あったな」
『あれで撮影した映像や画像もこっちへ送れる。記録として保存したり、後から見直したりもできるよ』
「戦闘を録画して、後で反省会とか?」
『できる』
「嫌だなぁ……」
『自分の戦い方を見直すのは大事だよ?』
「壁に突っ込むところ何回も見ることになるじゃん」
『そこだけリピートしてあげようか』
「絶対やめろ」
『冗談冗談』
「お前の冗談、信用ならねぇんだよ」
初戦闘の醜態が映像として残る可能性まで出てきた。
カメラモジュール、使う時は気をつけよう。
「他には?」
『レーダーモジュールも使える』
「レーダー?」
『あれは情報収集や通信に使えるからね。レーダーモジュールが動いてれば、そこを経由して僕が情報を受け取ったり、君とやり取りしたりできる』
「じゃあ、戦闘中にお前と通信することも?」
『状況次第では』
「それは便利だな」
『ただし勘違いしないでよ。レーダーを使ったからって、相手の体力とか弱点とかが全部表示されるわけじゃないからね』
「ゲームみたいにはいかないか」
『いかないいかない』
まあ、そりゃそうだ。
『僕ができるのは、各機器から入ってきた情報を整理して、記録して、必要なら君へ返すこと。元々取れてない情報まで勝手に作れるわけじゃないよ』
「なるほど」
バガミールのカメラ。
フォーゼのカメラモジュール。
レーダーモジュール。
単体なら劇中で見たことのある装備ばかりだけど、そこへタチバナが加われば使い道はかなり増えそうだ。
バガミールを先行させて、その映像をタチバナに確認してもらう。
カメラモジュールで撮ったものを保存する。
レーダーモジュールを通して、離れた場所からタチバナと通信する。
「お前、思ったよりちゃんとサポートAIしてるな」
『思ったよりって何?』
「だって初対面で“こんばんは~”だぞ?」
『第一印象だけで評価するのよくないと思うなぁ』
「第一印象って大事だろ」
『これから挽回します~』
「その言い方でもう不安なんだけど」
とはいえ、単なる話し相手というわけではないらしい。
タチバナがいれば、フォーゼの装備を使う時にも色々助けてもらえそうだ。
「そうだ、タチバナ自身はここから出られないの?」
『ホログラムとして動ける範囲には限界があるね。基本は本体の近くだよ』
「ふーん」
試しに手を伸ばす。
タチバナの胸元へ指先を近づけると、そのままするりと青いスーツを突き抜けた。
「おお……」
『人の身体に手突っ込んで感心しないでもらえる?』
「いや、ホログラムだろ」
『気分の問題』
「AIにも気分とかあるの?」
『そういう反応をするようにできてる、と言った方が正確かな』
「……急にAIっぽくなったな」
『さっきからずっとAIだよ』
指を抜く。
本当に映像だけだ。
話している時の仕草が自然すぎて、ついそこに人がいるように感じてしまう。
「じゃあさ、アストロスイッチカバン置いて俺が学校とか行ったらどうすんの?」
『基本は留守番』
「普通に留守番なんだ」
『今の状態ならね』
「今の状態?」
『さっき言ったでしょ。バガミールとか、フォーゼシステムに繋がった機器があれば、そこを通してある程度情報を受け取れる』
「ああ」
『ただ、学校へバガミール連れていくの?』
「…………」
学校の机にハンバーガー型ロボットが置いてある光景を想像する。
「やめとく」
『だよねぇ』
「というか絶対目立つ」
『じゃあ留守番』
「結局留守番じゃん」
『君が学校に行ってる間くらい自由にさせてよ』
「自由って何するんだよ」
『その時考える』
「雑だなぁ……」
思った以上に人間臭い。先代をモデルにしてるからなのか、それともそういう風に作られているのか。どっちにしろ、ただの機械と話している感じはほとんどしない。
「……そういやさ」
『今度は何?』
「いつから起動してたの?」
『ラビットハッチにいた頃から』
「…………は?」
思わず眉をひそめる。
「結構前からいたじゃねぇか!」
『いたねぇ』
「だったら話しかけろよ!」
『いやぁ、それがさぁ。最初は僕も話しかけようと思ってたんだよ?』
「なら何で」
『君、前世の記憶を思い出して頭抱えてるし』
「…………」
『先代の録音を聞き始めるし』
「…………」
『終わったと思ったら帰る準備を始めて、ホロウに戻ったらエーテリアスに追いかけられるし』
「…………」
『突然変身して宇宙キターって叫んだと思ったら、直後に殴り飛ばされるし』
「…………」
『そのまま初戦闘が始まって、やっと終わったと思ったら今度は知らない三人組が来るし』
「…………」
『で、その三人と一緒に帰り始めるし』
「…………」
タチバナが両手を広げる。
『いやぁ……いつ話しかければいいのかなって』
た、確かに……。
「……ってことは、さっきの戦闘も把握してたんだよな?」
『カバンとドライバーから取れた情報の範囲ではね』
「じゃあ壁に突っ込んだのも?」
『バッチリ』
「…………」
『まあまあ。前世で使い方を知ってるからって、いきなり同じように扱えるわけじゃないからね』
「……分かってる」
『特にロケット』
「分かってるって!」
やっぱり一言多い。
でも、こうやってフォーゼについて相談できる相手がいるのは思っていた以上にありがたい。俺一人だったら、これから先も劇中で見た知識だけを頼りに手探りで使っていくことになっていただろう。それに、今後バガミールやカメラモジュール、レーダーモジュールまできちんと使えるようになれば、タチバナに頼れる場面はさらに増える。
少なくとも、一人よりはずっとマシだろう。
「じゃあ、フォーゼのことはかなり詳しい?」
『それなりには』
「それなり?」
『僕に入ってるのは先代が持ってた情報と、先代自身が作ったシステムのデータだからね。何でも完璧に知ってるってわけじゃないよ』
「ふーん……」
少し考える。
なら、この世界についてはどうなんだろう。
「新エリー都のことは?」
『…………』
「タチバナ?」
『まあ……うん』
「何その間」
『名前は知ってる』
「名前だけ?」
『名前だけってわけでもないけど』
「じゃあ治安局」
『あるね』
「それだけ?」
『治安を守ってる』
「雑!」
『いやいや、間違ってないでしょ?』
「間違ってないけど!」
嫌な予感がしてきた。
「じゃあ邪兎屋」
『さっき初めて見た』
「…………」
『あの三人、邪兎屋っていうんだね』
「そこから!?」
『君たちの会話で名前は聞いてたけど、どういう組織なのかまでは知らないよ』
「じゃあエーテルは?」
『…………』
また間。
「まさか」
『それ、あの空間内にある特殊なエネルギーの正式名称?』
「そこからなの!?」
思わずベッドから起き上がった。
『いやぁ、先代の記録だとそんな呼び方してないんだよ』
「そういや……」
録音の内容を思い出す。
先代はホロウ内部に存在するものを、特殊な物質だのエネルギーだのと曖昧に表現していた。
「……マジで知らなかったのか」
『僕に残ってる情報ではね』
「お前、思ったより今の世界のこと知らないな」
『失礼だなぁ』
「だってサポートAIだろ?」
『フォーゼのね』
「万能じゃないんだな……」
『そりゃそうでしょ』
「なんか急に頼りなく見えてきた」
『情報が古いだけ!』
「それを世間ではポンコツと言うんじゃ」
『言わない!』
タチバナが珍しく強めに否定した。
『僕だって更新すればいいんだから』
「更新?」
『今の情報を集めればいいってこと。ネットワークだってあるんでしょ?』
「まあ、あるけど」
『なら問題ないよ。時間がある時に調べればいい』
「簡単に言うなぁ」
『AIだからね』
「そういうところだけ便利なんだな」
『そういうところ“も”便利なの』
細かい。
でも、なるほど。先代から引き継いだ情報が古いなら、今の情報を覚えればいいだけ。そう考えると確かにAIらしい。
「じゃあ今度、この世界のことちゃんと覚えといてくれよ」
『任せて』
「邪兎屋くらいは知っといて」
『そこ基準なんだ』
「今日助けてもらったからな」
『なるほどね』
タチバナが頷く。
それから少しだけ考えるように首を傾けた。
『ところで』
「今度はそっち?」
『君はこれからどうするつもり?』
「何が?」
『フォーゼ』
「…………」
その言葉に、思わず机を見る。
置かれているフォーゼドライバー。
今日初めて腰に巻いたベルト。
初めて変身した。
初めて戦った。
そして、生きて帰ってきた。
「どうするって言われても……」
『決めてない?』
「今日手に入れたばっかりだぞ」
『それもそうだ』
「というか、普通に生活するけど」
『普通に?』
「学校行って、帰って、遊んで、寝る」
『本当に普通だ』
「悪いかよ」
『全然』
タチバナはあっさり答えた。
「……いいの?」
『何が?』
「いや」
少し言葉を探す。
「フォーゼ持ってるのに、そんな普通にしてて」
『いいんじゃない?』
「…………」
『先代も言ってたでしょ。これは君の人生だって』
「ああ……」
ラビットハッチで聞いた録音。
戦えとも。
誰かを救えとも。
仮面ライダーになれとも言われなかった。
好きに生きてくれ。
そう言われた。
『フォーゼを持ったからって、毎日あの空間へ飛び込んで化け物と戦わなきゃいけないわけじゃない』
「まあ……」
『使わないなら使わない。それも君の自由』
「…………」
『怖かったでしょ?』
少しだけ声が柔らかくなる。
「……そりゃ」
怖かった。
今だから笑える部分もあるけど、あの時は本気で死ぬと思った。何もかも初めてで。たまたま勝てただけと言われても否定できない。
「普通に死ぬかと思った」
『なら無理しなくていいよ』
「…………」
机の上のフォーゼドライバーを見る。
あれがなかったら、俺はどうなっていただろう。
少なくとも、あのエーテリアスから生身で逃げ切れたとは思えない。
「……でもさ」
『うん?』
「もし今日みたいなことがまた起きたら」
『今日みたいなこと?』
「目の前に誰かいて。その人がエーテリアスに襲われてて」
『うん』
「俺がフォーゼ使えば助けられるって分かってたら……」
そこで少し止まる。
自分で言っていて、何だか恥ずかしくなってきた。
「……まあ、使うかも」
『そっか』
「何だよ」
『別に?』
「絶対何か思ってるだろ」
『何も言ってないよ』
「その反応が腹立つ」
『ヒーローっぽいなぁ、とか思ってないよ』
「思ってんじゃねぇか!」
タチバナが楽しそうに笑う。
「別にヒーローになるとかじゃないからな!」
『はいはい』
「本当に!」
『分かった分かった』
「その言い方やめろ!」
ホロウでもビリーにも似たような扱いをされた気がする。
仮面ライダーフォーゼ。
そう名乗った。
だからって、今日から俺がヒーローになったわけじゃない。
俺はただの学生だ。
昨日までと同じように学校へ行って、家へ帰って、ゲームでもして。
その生活を捨てるつもりなんてない。
ただ、この力があって。
本当に誰かを助けられるなら。
その時くらいは、使ってもいいかもしれない。
『まあ』
「ん?」
『それでいいと思うよ』
「……そう?」
『うん。最初から立派なこと考えなくても』
「それ言うと俺が何も考えてないみたいじゃん」
『違うの?』
「おい」
『冗談冗談』
こいつ、本当に一言多い。
でも、妙に気が楽になった。
フォーゼを手に入れたから何かをしなきゃいけない。
そんな風に考えなくていいらしい。
なら、とりあえず今まで通り。
それでいい。
「そういや、もう二つ聞いていい?」
『なに?』
「先代がその後どうなったのか。それと、四十番のコズミックスイッチ。何か知らない?」
『あー……』
タチバナが少し考えるように腕を組む。
『残念だけど、どっちも分からないなぁ。先代がラビットハッチを離れた後のことは僕の記録に残ってないし、四十番についても僕が持ってる情報にはない』
「両方か」
『両方だね』
「まあ、知らないならしょうがないか」
今ここで考えたところで、知らないものはどうしようもない。先代のことも四十番のことも、今すぐ必要な話じゃない。それより今の俺には、確認しておきたいものがある。
「じゃあ、これ」
机へ目を向ける。
フォーゼドライバーの隣に置いてある、一つのスイッチ。
「ゲートスイッチ」
『ああ、それね』
「使い方分かる?」
『分かるよ』
「マジで!?」
思わずベッドから身を乗り出した。
『食いつきすごいなぁ』
「当たり前だろ。これ使えないとラビットハッチに戻れないんだから」
『まあね』
「劇中じゃ、賢吾が起動したゲートスイッチをロッカーに入れて、それでラビットハッチへの道を繋げてたよな?」
『そうそう』
やっぱり記憶は合っている。
「じゃあロッカーが必要なのか」
『いや』
「え?」
『別にロッカーじゃなくてもいいよ』
「……いいの?」
『大丈夫よ~。ゲートを固定できるくらいの大きさがある収納空間なら基本的には問題ない』
「収納空間……」
俺は部屋の中を見回す。
机。
ベッド。
棚。
そして、部屋の隅。
「…………」
ほとんど使っていないクローゼットが目に入った。
「……あれは?」
『どれ?』
「クローゼット」
タチバナもそちらを見る。
『大きさは……うん。問題なさそう』
「マジか」
『試す?』
「…………」
時計を見る。
もう遅い。
身体は疲れているし、頭も疲れている。本音を言えば今すぐ寝たい。
「……繋げるだけな」
『お?』
「ちゃんと使えるか確認するだけ。ラビットハッチには行かない」
『了解了解』
「その言い方、信用してないだろ」
『そんなことないよ~』
「絶対信用してないな……」
ため息を吐きながらベッドから立ち上がる。
クローゼットを開けると、中には普段ほとんど使っていない荷物が少し入っていた。
「これどかせばいい?」
『うん。ゲートの邪魔になりそうなものは外へ』
「はいはい」
箱や使っていないバッグを床へ移していく。
数分後、クローゼットの中はすっかり空になった。
「で?」
『ゲートスイッチを起動』
「劇中と同じで?」
『基本はね』
手の中のゲートスイッチを見る。
今日ホロウの中では、これを持っていたのに使い方が分からず、結局何の役にも立てられなかった。
今度こそ。
「……よし」
スイッチを入れる。
カチッ。
小さな電子音が鳴った。
「これを?」
『中へ』
俺は起動したゲートスイッチをクローゼットの奥へ置く。
「…………」
『一回扉を閉めて』
「一回閉める必要あるの?」
『その方が雰囲気あるでしょ』
「お前適当に言ってない?」
『バレた?』
「おい」
とりあえず扉を閉める。
当然、外から見た限りでは何も起きない。
「これで?」
『開けてみて』
「…………」
急に緊張してきた。
今日初めてラビットハッチへ行った時も、扉を開けた先だった。
ただし今度は、見慣れた自分の部屋。その片隅にあるクローゼットだ。
「……開けるぞ」
『どうぞ』
取っ手へ手をかけ、ゆっくり引いた。
「…………」
扉が開く。
「…………は?」
さっきまで、奥行き一メートルもないただのクローゼットだった。
なのに今は、その奥がない。
代わりに続いているのは、見覚えのある白い通路。
「…………」
何が起きたのかは分かっている。
それでも、自分の部屋から直接この光景を見ると頭が追いつかない。
「……月じゃん」
『月だねぇ』
「改めて考えると頭おかしいな、これ……」
『劇中でも結構すごいことしてたからね』
「そりゃそうだけど……」
一歩だけ近づき、クローゼットの縁に手を置いて向こう側を覗く。
「……本当に繋がった、のか?」
『接続成功~』
タチバナが俺の横まで移動してくる。
『おかえり』
「まだ入ってねぇよ」
『細かいなぁ』
「普通だろ」
クローゼットの向こうを見る。
気にはなる。まだちゃんと見ていない場所もあるし、触っていないアストロスイッチも山ほどある。フードロイドだってそのままだ。
『入ってみる?』
「…………」
ほんの少しだけ考える。
「……いや」
『お?』
「今日はもう寝る」
『珍しく理性的』
「珍しくは余計だ」
俺はそのままクローゼットの扉を閉めた。
光が見えなくなり、目の前にはいつものクローゼットの扉だけが残る。
「明日でいいだろ。別に逃げるわけじゃないし」
『それもそうだね』
「もう今日は本当に無理……」
ベッドまで戻り、そのまま身体を投げ出す。
『お疲れ様』
「……誰のせいで余計に疲れたと思ってんだ」
『僕かな?』
「半分くらいな」
『結構あるなぁ』
目を閉じる。
ホロウに巻き込まれた。
月へ行った。
前世を思い出した。
フォーゼになった。
エーテリアスと戦った。
邪兎屋と出会った。
そして最後には、タチバナの姿をしたAIまで出てきた。
本当に、とんでもない一日だった。
『じゃあ、おやすみ~』
「……おやすみ」
一拍置いてから返す。
今までなら、独り言に返事をする相手なんていなかった。
それが少しだけ変な感じで。
でも、不思議と嫌ではなかった。
明日のことは、明日考えよう。
そう決めたところで、今度こそ俺の意識はあっという間に沈んでいった。
◇
しばらくして。
規則正しい寝息だけが、静かな部屋に響いていた。
『…………寝たか』
アストロスイッチカバンの上に浮かぶタチバナが、ベッドへ顔を向ける。
返事はない。
先ほどまであれだけ騒いでいた少年は、完全に眠りについていた。
『そりゃ疲れるよねぇ』
朝はただ散歩へ出ただけだったはずなのに、気づけばホロウに巻き込まれ、月へ飛ばされ、前世の記憶を取り戻し、フォーゼを受け継ぎ、初めての戦闘まで経験した。
それだけでも十分すぎるほど濃い一日だ。
『今日は本当にお疲れ様』
先ほどまでより少し小さな声で呟く。
さて。
彼が眠ったのなら、今度は自分の番だ。
タチバナは机の方へ視線を向ける。
フォーゼドライバー。
その横には、少年が普段使っているパソコンが置かれていた。
『僕も勉強しないとね』
タチバナにあるのは、先代から引き継いだ情報だ。
けれど、それだけでは足りない。
先ほど本人に指摘された通り、今の世界について知らないことが多すぎる。
様々な企業や組織。
そして、この世界でフォーゼを使っていく上で知っておくべきこと。
これから彼をサポートするつもりなら、知らないでは済まされない。
バガミールやカメラモジュールから現場の映像を受け取れても、その映像に何が映っているのか分からなければ意味がない。
レーダーモジュールから情報を受け取れても、その情報を正しく判断するための知識がなければ宝の持ち腐れだ。
『まずは基本からかなぁ』
タチバナがアストロスイッチカバンから無線接続を試みる。
少し待つ。
やがて、誰も触れていないパソコンの画面がひとりでに点灯した。
『よし。繋がった』
ネットワークへ接続。
検索画面を開く。
『えーっと……新エリー都……』
入力。
検索。
読み込み。
『なるほど』
次。
『ホロウ……エーテル……』
読み込み。
『ああ、本当にエーテルっていうんだ』
今度は別の項目。
『新エリー都治安局……』
ページを開く。
『へぇ……』
さらに。
『対ホロウ六課……』
表示された情報を読み込み、一つずつ内部へ保存していく。
知らないことばかりだった。
先代が持っていた情報だけでは、今の世界を理解するには足りない。
当然といえば当然だ。
時間が経てば街は変わる。
制度も変わる。
技術も変わる。
言葉だって変わる。
『邪兎屋……』
検索。
『お』
今日見た三人についても調べてみる。
『なるほどなるほど』
ホロウ関連の仕事を請け負う小規模な何でも屋。
今日、少年が助けてもらった相手。
『……いい人たちみたいだねぇ』
少なくとも実際に見聞きできた範囲では、そう判断して問題なさそうだ。
フォーゼについてあれこれ聞かれてはいたが、無理に正体を暴こうとはしなかった。
ホロウからの脱出も手伝ってくれた。
『ビリーって子はちょっと騒がしかったけど』
言ってから、少し考える。
『……僕が言えたことじゃないか』
それは自分でも認めるらしい。
さらに調べる。
今日聞いた単語。
知っておいた方がよさそうな組織。
一般常識。
新エリー都で生活していく上で必要な情報。
そして、今後フォーゼシステムの各機器から入ってくるであろう情報を判断するために必要な知識。
『便利だなぁ、これ』
今まで欠けていた情報が、少しずつ埋まっていく。
これならすぐに追いつける。
そう思った。
『…………』
少し待つ。
『…………』
まだ読み込み中。
『…………遅いな』
ようやく一つのデータ取得が終わる。
次。
『…………』
待つ。
少し待つ。
さらに待つ。
『遅いなぁ……』
接続自体には成功している。
問題は速度だった。
無線だからなのか、アストロスイッチカバン側と現在の通信規格との相性が悪いのか。文章を少量取得する程度ならまだいい。けれど、まとまった量の情報を取り込もうとすると、どうにも時間がかかる。
『さっき偉そうに“更新すればいい”とか言ったのになぁ』
自分で言った言葉を思い出す。これでは必要な情報を一通り揃えるだけでもかなり時間がかかりそうだ。
『まあ、急ぐ必要はないけど……』
もう一件。
読み込み。
『…………』
完了。
次。
『…………』
読み込み。
『うーん……』
タチバナが腕を組む。
ふと、パソコンの側面に目が向いた。
接続端子。
そこを見たまま、しばらく止まる。
『…………』
パソコンを見る。
アストロスイッチカバンを見る。
そして最後に、ベッドで完全に眠っている少年を見る。
『有線なら、もうちょっと速いよなぁ』
問題は。
今のタチバナには、自分でケーブルを繋ぐ手がないことだった。
ホログラムの腕を伸ばしてみる。
当然。
机を素通りする。
『…………だよね』
分かっていた。
もう一度、ベッドを見る。
完全に寝ている。
起こす?
『いやぁ……』
今日一日の出来事を考える。
さすがに可哀想だ。
というか、今起こしたら普通に怒られるだろう。
『寝かせとくか』
タチバナは再びパソコンへ向き直る。
画面では、また一つゆっくりとデータが読み込まれている。
『…………』
しばらくそれを眺める。
遅い。
本当に遅い。
タチバナは小さく首を傾げた。
『先に有線繋いでもらってから寝てもらった方が良かったかぁ?』
当然。
ぐっすり眠る少年から返事が返ってくることはなかった。
主人公
前世についての話相手ができてちょっとうれしい。
タチバナ
だいぶこの世界ディズトピアに片足突っ込んでない?