専門書を扱う、今では数少ない個人経営の書店。桐原陸と幼馴染みの相川湊が訪れたその店で、湊は密かに想いを寄せる少女・鷺沢ほたるの姿を見つける。白い制服に長い髪、控えめな眼鏡。聖アエリア女学院の生徒で、湊には到底声を掛けられそうにない「箱入り娘」だ。
陸は湊の背中を押そうとするが、引っ込み思案の湊は本棚の影から見守るだけ。ほたるに気付かれそうになり、慌てて店を出るふたり。陸は「来月の学園祭がチャンスだ」と提案する。聖アエリアは来場者を厳しく制限しているが、近隣の学生なら“女子かカップル”に限り入場可能。陸は妹・蒼湖の制服を借りて湊を女装させ、カップルとして入る作戦を思いつく。
蛍雪書房。
最近とみに少なくなった個人経営の書店である。
主に珍しい専門書を扱う店であるため、桐原陸はその日初めて店内に入った。
「で、あの子が湊のお目当てってわけか」
生物学の本が並ぶ棚の前では、純白の制服に身を包んだ少女が、古生物図鑑を手にしている。
艶やかな長髪。素っ気ないアンダーリムの眼鏡。いかにも清楚な文学少女といった趣だ。
「ありゃあ、聖アエリア女学院の制服か。確かに湊には荷が重いな」
「……鷺沢ほたるさん。ぼくらと同じ高校2年生、のはず」
小柄な幼馴染みは、書棚に身を隠しながらこくこくと頷いて見せる。
相川湊。
サラサラの細い髪に、柔和な顔立ち。
華奢な体格にふさわしい引っ込み思案な湊にとって、町で見掛けた女の子に声を掛けるのは、高すぎるハードルだろう。
ましてや、相手は箱入り娘の養成所で名高い聖アエリア女学院の生徒。一度警戒されてしまえば、二度とお近付きになるチャンスは訪れないだろう。
「幸い趣味は分かってるんだ。博物館デートに誘うとか、誕生日調べてプレゼントとか手はあるだろ?」
「……化石贈るとか?」
「いや、誕生日に化石貰っても微妙だろ」
「陸はくれたでしょ!」
「そりゃお前、湊は男だからな。女相手にはもっとこう、ロマンティックな物をだなぁ――」
「あのアンモナイト、オパール化してとってもきれいなのに」
唇を尖らせ、恨みがましい視線を向ける湊。
少し声が高かったのか、少女が開いた本から顔をあげた。
慌てる湊に手を引かれ、陸は書店を後にした。
「来月の26日、学園祭がチャンスだな」
放課後帰りの学生達で賑わう、駅前のファストフード店。
湊のおごりのダブルチーズバーガーを頬張りながら、陸は提案する。
「聖アエリアの? お嬢様学校の学園祭なんて、入り込むだけでも一苦労でしょ?」
頬杖を突く湊は、詰まらなそうな顔のまま、陸のポテトに手を伸ばす。
「おい、俺の!」
「ろくなアイデア出せないんだから、報酬減だよ」
「まあ聞けよ」
陸は指に付いたケチャップを舐めとり、したり顔で話を続ける。
「確かに、箱入り娘を育てる校風で有名な聖アエリアだ。一昔前までは、生徒ごとに3枚配られるチケットがなければ、家族でも入場できないほどの、厳しいチェックがあった」
「一昔前? 今では違うってこと?」
「ああ。ただでさえ少子化の昨今、しかも感染症のあおりで中止続きだ。同じように来場者を絞ってちゃ、おままごと程度の模擬店も開けないからな」
「それじゃあ、自由に入れるんだ!?」
「いや、さすがにナンパ目的の男連中までフリーパスはまずいわな。生徒に配るチケットを5枚に増やし、近隣の学生なら、女子かカップル限定で入場を許可するらしい」
ポテトを咥え、しばし考えていた湊は、
「蒼湖ちゃんに手伝って貰うってはなし?」
と小首を傾げる。
蒼湖は一学年下、陸の妹だ。
「うちの学校でも、女子かカップルでなら入れるんだ。蒼湖の制服を借りれば、お前なら通るだろ」
咥えていたポテトをぽとりと落とし、湊は慌てて陸の提案を打ち消した。
「な、なんで僕が女装なんかしなきゃなんないのさ!」
「なら、学校の外で声掛けられるのか? このまま書店でストーキングを続ける気か?」
「言い方! 陸、ひとぎきが悪い!!」
「学園祭合わせで成立するカップルも多いんだ。もし上手く行けば、そのままデートもありうるぞ?」
ニヤニヤしながら残りのダブルチーズバーガーを片付ける陸に、真っ赤になった湊はなおも食い下がる。
「蒼湖ちゃんとカップルとして入るのは――」
「付き合ってると誤解されたとき、声も掛けられない相手に、上手く説明できるのか?」
「うぅ~……」
駅前から陸の家へと向かう時間で、湊も多少冷静になれたらしい。
陸と口裏を合わせ、蒼湖に手助けして貰うための、カバーストーリーを考え出していた。
「陸が推薦なんかするから、僕が学園祭で女装する羽目になっちゃって」
「ハァ、またうちの馬鹿アニキが迷惑を。でもまぁ、湊ちゃんなら適任じゃない?」
陸の妹とはいえ、蒼湖に『告白する切っ掛けに女装したい!』などと説明せずに済み、ほっとした湊だったが、
「それじゃあ洗面所行こ。顔の産毛剃って、眉を整えて――」
予想以上に前のめりな蒼湖の姿勢に、慌ててストップをかける。
「あ、蒼湖ちゃん? 制服貸してくれるだけでいいかな、って?」
「ハァ? 湊ちゃん女ナメてんの?」
蒼湖はドスの効いた声で湊をねめつけ、旅行用の化粧ポーチを用意しだす。
「湊ちゃん女顔で華奢だけど、そのままじゃ女物の服着た、ただの男の子だよ? そっちの方がよっぽど恥ずかしいよ?」
「そ、そうなのかな……」
「本番は来月? 今日はあたしがバッチリメイクしてあげるけど、ベースは覚えて自分で出来るようになるんだよ?」
「えぇ~~」
「えぇ~じゃない! 貸してあげるから自分でするの!! 週末ごとにお出かけメイク教えてあげるから、家に来ること。それからアニキ!」
「あ?」
戸惑う湊を笑っていた陸だったが、不意に蒼湖に矛先を向けられ笑顔が固まる。
「あ? じゃない! 協力はするけど、費用は全部アニキ持ちだからね!!」
§
2週間後、桐原家。
湊は洗面所の鏡の前で固まっていた。
「これが、僕?」
「……悪くないな」
「悪くない、じゃない! イケてるでしょ!!」
湊の仕上がりは、驚くほど自然だった。
元から女顔の湊だが、学生らしい控えめなメイクを施され、中性的な美少女にしか見えない。
「でも、服は蒼湖ちゃんの制服で良かったんじゃないのかな?」
「最終試験用だよ。アニキに買わせた」
制服を想定していた湊だったが、キャメルのノースリーブワンピースに、ブラウンのボレロカーディガンを羽織り、黒のタイツを穿かされている。
「……下着までは、やりすぎなんじゃないかな?」
「ブラ線でないの不自然だし、何かのきっかけでトランクスなんか見せたら、人生終わっちゃうよ? あ、トイレはちゃんと女性用に行くこと! いい?」
陸は一歩下がった場所で腕を組み、口元を隠すようにしげしげと湊の姿を眺めている。
「あんま見ないでよ」
「馬鹿、見てねぇよ」
もじもじと胸元を隠す湊を前に、悪態をつきながら陸は目を逸らした。
「はい! 湊ちゃん、今日はこの格好でお出かけしてきて!」
「知り合いと顔合わせちゃったらどうすんのさ!?」
「じゃあ、隣町のショッピングモールがいいよ。バレるバレないもだけど、女の子らしい立ち居振る舞いを身に付けるには、実際人目を気にするのが一番だからね!」
「大変だな、湊」
「アニキもお供で行くんだよ!」
最初こそ挙動不審な湊だったが、大き目のキャスケット帽を被り、電車で隣町に着く頃には、陸と普通に会話できる程度にはリラックスしていた。
「慣れるのはいいが、そんな時にポロっと素が出るんだぞ。脚開いたり、声抑えずにアニメの話したり」
「スカートだから脚は気を付けてるよ! それに、女の子だってアニメの話くらいするでしょ? 他になに話せばいいのさ?」
「まぁ……身近なサンプル、蒼湖くらいしかいないからな……」
言われてみればと、しばし口籠る陸に、湊は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あれ? 陸、デートしたことないんだ。上背はあるし、黙ってればイケてなくもないのに」
「そこはイケてるのにって言い切れよ!? よし、それじゃあ今日のエスコートで、俺のデート経験見せつけてやるよ!」
差し出された陸の腕に、湊はきょとんとした表情を返す。
「組むんだよ。並んで歩いてるだけじゃ、いつもと変わらないだろ?」
「うぅ~」
しばしの葛藤の後、湊は差し出された陸の腕に、がばりと腕を絡めた。
「関節技かよ!? まぁいい。学生なら、手を繋ぐくらいからだな」
絡めた腕をほどき、そっと湊の手を取る。
「手を繋ぐんで良いなら、はじめからそう言ってよ~」
湊の手を引き歩く陸は、撥ねてしまった胸の鼓動と、赤くなった頬に気付かれぬよう、前を向き無言で歩いた。
興味のない女物の服のウィンドウショッピング。
仔犬と仔猫の並ぶ、ペットショップの展示ケージ。
フードコートでの食事とスイーツ。
陸が何度か男っぽい仕草を指摘する場面はあったが、休日のショッピングモールではしゃぐ湊は、デートを楽しむ一人の女の子にしか見えなかった。
「これで聖アエリア女学院の学園祭、大丈夫かな?」
「ん? ……あぁ」
上目づかいで不安げに問い掛ける湊に、陸は本来の目的を思い出し、しかつめらしく頷いて見せる。
「良かった。それじゃあ僕はちょっと、お花摘みに――」
「ちゃんと女性用に入れよ!」
「分かってるよ! う~、誰か入ってたら我慢しよう……」
蒼湖の指示がどこまで本気だったのかは分からないが、今の湊が男性用トイレに出入りするのを見られれば、ひと騒ぎ起きてしまいそうだ。
しばし躊躇した湊が、ちゃんと女性用トイレに入ったのを見守った陸だったが、出がけにトラブルがあった。
「彼女ひとり? この後ヒマ?」
大学生くらいの男性二人組が、湊に声を掛けていた。
女性が入っていないか周囲を確認する様子が、付け入りやすい隙に取られたのか。
男声を出さないようにか、俯いたままもぞもぞと断りを述べる湊に、陸は慌てて駆け寄った。
「彼氏います! デート中なんです!!」
気付いた湊は、男達の間をすり抜け、ぶつかるように陸の腕を抱え込む。
その勢いのまま、もつれ合うように、ふたりは駆け出した。
「び、ビックリしたー。バレちゃうかと思った!」
「俺は、連れていかれるんじゃないかと焦ったぞ」
「ほんと? 女の子扱いされてたなら、大成功だね」
どちらからともなく、笑い声が弾けた。
§
聖アエリア女学院、学園祭初日。
制服姿の陸と湊はカップルとして、飾り付けられた学園の正門を、すんなり潜り抜けていた。
噂に聞く一昔前ほど、チェックは厳しくはないのか。純白の聖アエリアの制服に交じり、結構な数の男性や家族連れの姿が見える。
「あっけなかったね。でも、この後のことを考えたら、蒼湖ちゃんに協力して貰った方が良かったのかも」
「蒼湖は練習試合で外せないみたいだからな。それに、あいつに恋愛相談なんかしたら、一生ネタにされるぞ」
「男性用のトイレ――教員用か。早く見つけて着替えないと」
もうカップルの振りをする必要もないのに、緊張する湊は陸の腕を強く抱え込んでいる。
キョロキョロ辺りを見回しながら歩く湊が、ヒュっと息を飲んだ。
「あら……あなたは」
校舎から出てきた、ひと群れの少女達のうち一人が、湊に気付き足を止めた。
「蛍雪書房で、何度かお見掛けしましたわよね?」
艶やかな長髪を丁寧に編み込んだ鷺沢ほたるが、微かに頬を染め、柔らかく微笑んでいる。
(認知されてたのかよ!?)
陸は湊を肘で小突くが、湊はほたるに視線を合わせたまま、固まってしまっている。
「ご案内、しましょうか?」
博愛を旨とする校風から、来客へのエスコートが優先されるのか。
クラスメートに別れを告げると、ほたるは踵を返し、陸と湊を校舎内へと誘った。
(乗るしかないだろ。今は合わせろ)
真っ赤になった湊のぎこちない動きを笑うでもなく、ほのかは教室の出し物を、順に案内してくれる。
「ここがわたしの所属する、科学部の展示です。わたしの発表は、アンモナイトとオウムガイの比較ですけど――あら、湊さんもご興味おあり?」
「は、ハイ! アンモナイトはきれいに巻いたのもいいけど、ねじけちゃった子も味わい深くて――」
ほたるが同好の士だと判明したことで、湊の緊張もほぐれてきた。
うっかり女装がバレないか、気が気ではない陸だったが、次第に懸念事項は次の段階に移りつつあった。
「わたしのクラスの喫茶店です。メニューはコーヒー、紅茶、オレンジジュースとパンケーキしかありませんが。ご注文頂けば、わたしがお持ちしますよ?」
クラスメートに呼ばれ、ほたるが席を外した隙に、陸は湊の肩を抱き寄せ、小声で話しかける。
「女装はバレてないみたいだ。今日はなんとか乗り切って、友達から――」
「ありがとう、陸。僕、ちゃんと言うよ」
「言うって、お前」
「騙して仲良くなれても、その先はないでしょ?」
「せっかく話せるようになれたのに、女装なんて知られたら――」
陸は湊が震えているのに気が付いた。
目元に薄っすら涙を浮かべ、強く拳を握っている。
「……そうだな。頑張れ!」
陸は一つ肩を叩くと、小さな幼馴染みを残し、教室を後にした。
§
『帰宅』
明かりも点けずに自室のベッドに倒れこんでいた陸は、のろのろとスマホの画面を確認した。
『ほたるさん、最初から気づいてたって。恥ずかしい!!』
『「女子の制服で戸惑ったけど、似合ってるからそういう趣味なのかなって」』
『ほたるさん、天然っぽくて可愛いよね!』
絵文字やスタンプを交え、湊からのメッセージは切れ間なく続く。
相当はしゃいでいる様子だ。
「無理もないか」
湊の少し誇らしげな照れ顔が目に浮かぶ。
本当は、どんな連絡を期待していたのか。空っぽの気持ちのままの陸の目の前で、画面の上をメッセージが流れて行く。
『付き合ってくれてありがとうね、陸』
『正直に言ってよかったよ』
「そうか。そうだな。最初から素直に言えれば良かったんだな」
『ほたるさん、余ってるチケット融通してくれるって。明日もふたりで行こうよ!』
「よかったな、湊」
伝える言葉を探しあぐねたまま、陸はひとり薄暗がりの中、幼馴染みからのメッセージを見つめ続けた。
END.