王立魔法学院山岳部遭難事件   作:匿名

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第十話 最後の記録

 

  杭が残っていた。

  布は指の中で崩れた。

  裂けただけなら、粉にはならない。

 

 グレゴリーは指を止めた。

 

「粉、か」

「天幕のことなら、試験表の繊維とつながります」

「まず最後まで読もう」

 

 隣の頁には、途中から始まる文章があった。

 

  大丈夫だ。脚だけだ。

  声は大きかった。

 

  ロープの上に彼の手があった。

  光った。

 

 『待て』

 

  そう言った。

 

  切れた。

 

  名前を呼んだ。

 

  事故だ、と言う声。

  泣く声。

 

 ミアの写しでは、その先が四角で埋まっていた。

 

  今になって思えば、あのとき叫べばよかった。

 

 ミアは〈光った〉の一語へ指を置いた。

 

「ロープの魔力変質……そして、『彼』」

「断定するな。次を読むぞ」

 

 グレゴリーは次の頁へ進んだ。黒く滲んだ箇所が多く、ミアの写しにも空白が続いていた。

 

  岩の陰で、彼の声がした。

  赤い筒を持っていた。

 

  振り向いた顔を覚えている。

  なぜ使わなかった。

 

 『呼んだら、全部調べられる』

 

  ロープを見た、と言ったら黙った。

 

 ミアは次の断片へ指を滑らせた。

 

  父さんは知らない。

  父さんは何も知らない。

 

  彼は何度もそう言った。

 

  数字を変えた。

  二十五度。零下。

  全員帰れば、問題にならなかった。

 

 次の頁では、筆圧が強くなっていた。字の色も、黒から赤茶に変わっている。

 

「インクじゃないな」

「血です。途中で、インクが凍ったんだと思います」

 

 グレゴリーの指が、頁の上で一度止まった。

 

  彼が逃げようとした。

  脚を掴んだ。

 

 『離せ。二人とも助かる』

 『あの人も?』

 

  彼の向こうに——

 

 紙の端が、ここで欠けていた。

 

  押した。

  このことも、書いておく。

 

 ミアは救助隊の地図を横へ置いた。信号が出た場所と、遺体が見つかった場所。

 

「押した……」

 

 次の頁まで、長い余白があった。

 

  赤い筒を拾った。

  蓋を開けて押した。

  赤く点滅している。

 

  これで来る。

 

 最後の頁は、短い文だけだった。

 

  竜の音がした。

 

  呼んだ。

  声が出ない。

 

  少し近くなった。

  また遠くなった。

 

  強風。

  雪——視界なし。

 

  母のことを思う。

  チーズひときれ。

 

  晴れれば来る。

  もう少し待つ。

 

 それより後に読める文字はなかった。

 

 グレゴリーは最後の頁から、しばらく指を離さなかった。

 ミアは救助隊の記録を手前へ引いた。十二月二十日、21:13。信号発信。22:16、接近中止。

 

「セドリックさんじゃない。あの人を押したあとで、すぐドラを使った人が待ってた」

「そう読めるな」

「じゃあ、登録者と、送った人は……」

 

 赤い筒が教えるのは、番号と場所だけだ。

 

「書いたのは……ヴィオレッタさん?」

 

 ミアは写真を手帳の横へ寄せた。婚約者を殺した相手を追ったのなら、分かる。

 

「リナさんかもしれませんけど」

「その二人の記録は?」

 

 収容記録を開いた。

 

 死亡推定、0807-12-20の18:00〜20:00。

 信号の発信は21:13。二人が見つかった岩陰から、七百メートル以上離れている。

 

「時刻が合わない。でも、推定ならずれるんですよね」

「それだけでは決められん」

 

 ミアは裁判記録も引き寄せた。救助の最中、母には届かなかった通信。

 

『リナ、私と一緒に引いて。セドリック、そっち、岩に擦れてる』

「二人はロープを引いてる。なのに、これを書いた人は、引かずに彼の手を見てる」

「同じ瞬間だと言えるか」

「ヴィオレッタさんは、お母さんに『落ちるとき、私の名前を』って。手記も『名前を呼んだ』です」

 

 六枚の写真を見た。ガルはその前に死んでいた。アルベルトは引き上げられる側。セドリックは、崖から押された側だった。

 

 一枚だけ残る。

 

「いや、この人は……」

 

 ノア。

 

「雪崩で死んだでしょう?」

「遺体は?」

 

 ミアは事故調査の名簿を探した。

 

 ノア・ヘイル。

 死亡認定。遺体、未収容。

 

「……ない」

 

 白い映像には探す声が残っていた。見つからないまま、四人が去った。

 

「水晶と一緒に埋まって、そのまま死んだんだと思ってました」

「水晶は見つかった。ノアは見つかっていない。荷は一人十三キロだ。自分の分は、背負ったまま埋まっていたはずだ」

「もし雪崩を生き延びて、追いついて、そこで殺すところを見て……」

 

 ミアはノアの写真を、手帳の横へ移した。

 

「だから、合流しなかった。そういうことだったんですね」

 

 グレゴリーは名簿を閉じなかった。

 

「……いい読みだ」

「え?」

「何でもない。字の血は鑑定にかける。ノアの家族の血と照らせば、誰が書いたかは出る。それまでは、ノアだと決めて合わないところを捨てるなよ」

 

 ミアは頷いた。頷きながら、もう手帳が流れてきた川のことを考えていた。

 

「ノアさんの遺体の場所も、これで見当がつきますね」

「手帳が川を下ってきたならその上にいる。雪解けを待って沢を遡れ。そう言っているんだろう」

「さすがですね、警部。橋の上で、沢は三本に分かれてます。雪解けで水が増えるのは、真ん中です」

「詳しいな」

「地元ですから」

 

 麓の町で育って、あの山に登りたいと思ったことは一度もなかった。

 

「それにしても、なんでみんな山なんか登るんでしょうねえ」

「さあな。お前がなぜ謎を解くのかと同じだろう」

 

 ミアは、彼の写真に書いた〈雪崩〉を消した。

 

「殺人は二件。一件じゃなかった!」

 

 ミアは机の上へ矢印を引いた。

 セドリックからアルベルトへ。ノアからセドリックへ。

 

「欠陥ロープを使って、一件。崖から押して、もう一件」

 

 グレゴリーは裁判記録の、魔力変質の一行を指で叩いた。

 

「この跡が、ずっと引っかかっていた」

「欠陥が、殺人を隠した」

 

 ミアは六人の写真を並べ直した。

 ガル。アルベルト。セドリック。ノア。並べては、手帳と見比べる。

 

「ふふっ」

 

 声が漏れた。

 

「ミア」

「これで、謎が解けた……!」

 

 一年、読んだ。分からなかった。何度読んでも同じところで止まった。

 その先へ、今、進めた。

 

「ノアさんだったんだ。撮ってた人が、見てたんだ。誰もいないと思ってたところに、いたんですね!」

「声を落とせ」

 

 グレゴリーは扉を見た。

 ミアは笑いを噛み殺した。頬が痛かった。

 

「すみません。だって、こんなの」

「マスコミに流すのか?」

 

 ミアはきょとんとした。

 

「まさか!」

 

 手帳と写真へ両手を広げる。

 

「私だけが知ってるんです!」

 

 グレゴリーは椅子を引いた。

 さっきまで手帳の上にあった彼の手が、今は机の端にあった。

 

「……俺もいる」

「警部は、一緒に分かった人じゃないですか」

 

 何がおかしいのだろう。

 誰でも読める新聞に載せて、分かった気になられるなんて嫌だった。自分は一年かかった。ここへ来るために試験を受けた。

 どうして、それを知らない人に配らなければならないのか。

 

「これは事件の証拠だ。お前の秘密にはしない」

「はい。調べるんですよね。血の鑑定も、会社の数字も」

「遺族は、お前が拾う前から待っている」

 

 ミアは少し考えた。

 

「あ、警部の手柄にだったら、してもいいですよ。五年も追ってたんですから」

 

 グレゴリーはすぐには答えなかった。

 机の上には、五年分の箱があった。窓際の、誰も来ない部屋だった。

 

「……拾った日付から書け」

「え?」

「数字を変えた奴と、同じことをする気はない」

 

 グレゴリーは手帳を閉じて自分の机へ移し、新しい用紙を出した。

 

「隠していたことも、焼こうとしたことも、報告する。この事件からは外す。鑑定の結果も、お前には回さない」

「いいですよ」

 

 グレゴリーの手が止まった。

 

「もう、分かりましたから」

 

 ミアはすぐに書き上げて、用紙を差し出した。

 グレゴリーが受け取った用紙から目を上げる前に、ミアは身を乗り出した。

 

「さあ、次の事件も一緒に解きましょう!」

 

 グレゴリーは眼鏡を外し、眉間を揉んだ。しばらく、そのままだった。

 

「……俺が、何か悪いことでもしたか」

 

 背後の書棚には、まだ開いていない記録が隙間なく並んでいた。

 





『王立魔法学院山岳部遭難事件』は、一旦ここで完結となります。

面白かったと思っていただけましたら、ぜひ高評価をいただけると嬉しいです!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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