カラカラと、台車の滑車部分の回る音が聞こえる。
すぐ近くで鳴っている筈なのに、なんだか遠いような気もする。じゅくじゅくとした痛みはあるけど、なんだか他人事のような、いまいち実感がなくてあんまり気にならない。それでいて意識がぼんやりしていて、まどろみの中にいるような、心地良い気分だ。
このまま寝たい気もするが……いや、寝てはダメだ。少なくとも今はまだ。
どうにか頑張って意識を保っていると、台車が止まる。そして私の
「おお……素晴らしい。まだ生きていますか、フロル」
目が霞んでいて、よく見えない。だけどその声はちゃんと覚えている。
ご主人様の声だ。
「はい……生きて、ます」
「素晴らしい。最新の技術で『調理』した甲斐がありましたね」
ご主人様の喜びの声を聞いて、私は微笑む。
……ちゃんと微笑む事が出来ただろうか? それにさっきの声も、ちゃんと出せていたのだろうか。もう、身体は殆ど動かないから、自信がない。
動かないと言うより、ないという方が正しいかも知れないが。
――――私は、『料理』となった。
目が霞んでよく見えないけど、事前に聞いた話では大きな葉菜の上に、細かく切り分けられた私の肉が並べられているらしい。胴体はシンプルだけど食べ応えのある焼き肉、細い腕は生でも美味しいので刺し身、筋肉が多い足は煮物で柔らかく。腹から取り出した内臓は野菜や香草と一緒に焼き、芳醇な香りを漂わせる一品となっている筈だ。
火山噴火を食い止め、お腹を空かせたご主人様のための豪華な夕食。普通なら養畜施設で見たように、電気ショックで気絶して解体するのが普通だけど……私のためにご主人様は特別な料理法を用いてくれた。
私は今、頭だけで生きているのだ。
首を切断し、その断面に様々な管に繋げる。そしてこの管から酸素と栄養を送り続ける事で、脳だけでも生命機能を維持出来るようになるのだ。あくまでも時間稼ぎが限度で、そのうち死んでしまうけど。
だけどこのやり方なら、調理された後でも味の感想を聞く事が出来る。
家畜人達は食べられる事に抵抗なんてないし、名誉だと思っている。私も、ご主人様に食べてもらえる料理となった事を心から嬉しく思い、ここで死んでも十分過ぎるほど満足している。だけど、やはり自分の肉がどれだけ美味しかったかは聞いてみたい。
その夢を叶えるのがこの処置という訳だ。勿論これには高度な技術に加え、専用の機械や栄養剤も必要。使用するには相当のコストが掛かる。一般的な家畜人には使ってもらえない。
私のように、特別に育てられたものの特権だ。
「では、早速頂きましょう」
ご主人様は私の肉に、その手を伸ばしてくれている事だろう。
「まずは胴体から」
サタン達の食事は基本的に手掴み。ご主人様もきっと、その手で私の胴体を掴んだ筈だ。
胴体は食べやすいよう、片手に収まるサイズに切っている。簡単に持ち上げ、口まで運べるだろう。
ボリ、クチャ。
骨と肉の潰れる音が微かに聞こえた。ご主人様が、私の肉を食べている音だ。ようやく、私の身体をご主人様に捧げる事が出来た。私の命が、社会を守るために力を振るったご主人様の糧となる。
なんという名誉なのだろう。
だけど、心配もある。ちゃんと私の身体は美味しくなっているのだろうか。勿論勉学を積み重ね、定期的に血による味見もしてきたので自信はある。だけど本当にこれで大丈夫なのか、確証には至らない。
「おおおお……なんと、素晴らしい」
そんな不安は、ご主人様の声一つで吹き飛んだ。
「おい、しい、ですか」
「ええ、これは、素晴らしい。今まで味わった事がない、とても芳醇な肉の香りが、何時までも口の中に広がります。噛めば適度な脂が溢れ、飲み込むのが惜しくなるほどです」
ご主人様の口からは、つらつらとお褒めの言葉が出てくる。それだけ自然に出てくるのだから、これらの言葉は私への気遣いではなく、本心なのだろう。
「次は、腕を頂きましょう……ん、んん……! 生だというのにまるで臭みがありません。舌触りも滑らかで、いくらでも食べられそうです」
次に食べた腕も、褒めながら食べてくれる。私の腕は細いので、あまり多く食べてもらえないのが残念なぐらいだ。
「おおお……じっくりと煮られたのに崩れず、まだ歯応えがある。最後まで運動を怠らず、鍛えていた成果ですね。お陰で食感と味わいを、思う存分味わえる。内臓の料理も、ああ、これは堪らない。癖はありますが、むしろそれが食欲を掻き立てる。油断すると、一気に頬張ってしまいそうです」
煮られた腕も、内臓も、満足してもらえている。今までの努力は決して無駄ではなく、この瞬間報われていると実感した。
ご主人様は次々と私の身体を食べていく。美味いと何度も口ずさみ、味を楽しむように何度も噛んでいる。私を、思う存分堪能してくれている。
ああ。私は、このために生きてきた。
この方の血肉として消費され、この方の命を支えられた。
私の生には、至上の意味があった。
……心が満たされる中、いよいよ意識が薄れてきた。生命維持措置の効力もそろそろ終わる頃なのだろう。
こんなにも嬉しい言葉をもらえたから、もう何も心残りはない。
……いや、一つ、あと一つだけ、叶えたい夢がある。
「ご、しゅじ、さま」
「はい。どうしましたか、フロル」
「わた、し、そろ、そ、いし、き、が」
「……ああ、限界なのですね。ありがとうございます。本当に、あなたはとても美味しかった……最後にしてほしい事は、ありますか?」
私の死が迫っていると察し、ご主人様は尋ねてくる。
私は出来るだけ笑みを作りながら答えた。
「いきて、る、うちに、わたしを、たべ、て、く、ださ、い」
まだ私は生きている。
生きたまま、ご主人様に食べてもらいたい。知覚出来ない肉を咀嚼されるのではなく、その歯で私を噛み、潰し、消化されてご主人様の身体の一部となるのを感じたい。
勿論それは無理な話だ。噛み砕かれた瞬間、私の脳機能は停止して、意識も何もなくなるだろう。
そう思うけど、やってほしい。『ワガママ』というのはそういうものだ。
「ええ、いいですよ。私もあなたの頭を、脳の味を早く知りたい」
私のお願いに、ご主人様はすぐに応えてくれた。
頭しか残っていない私を、ご主人様の大きな手が掴む。落とさないように後頭部をしっかりと握りながら、首に刺さっている管を一気に全部引き抜いた。
供給されていた酸素と栄養が途切れ、息を止めている時のような不快さが込み上がる。
だけどそれは短い間の事。この状態の私が長く持たないのはご主人様も知っている。だからすぐに私を持ち上げ、ご主人様は大きく口を開く。
「フロル。あなたは私が食べた中で、最高の食材でした」
そして最後に、最高の栄誉を教えてくれて。
すぐに、私を手放した。
私が、ご主人様の口の中に入る。鋭い歯が私に食い込み、私を押し潰していく。
ちゃんと、食べてもらえた。
それを実感すれば、頭と脳が潰れていく感覚さえも幸福に変わる。何も考えられないほどの幸せの中で、私は最期の瞬間を待ち望み――――
くちゃっと、私は、私が飛び散るのを感じた