晴れ渡る秋空の下、雄英高校の大型バスはなめらかなエンジン音を立てて高速道路を走り抜けていた。
行き先は、校外に建設された演習場――救助訓練を中心とした実践的な授業が行われる予定の巨大訓練施設だ。車内の空気はどこか遠足前の高揚感と、ヒーロー候補生特有の心地よい緊張感に包まれていた。
「――でさ! 俺の『硬化』って派手さはねぇけど、格闘戦じゃめちゃくちゃ役に立つと思うんだよな!」
座席のあちこちから、賑やかな声が飛び交う。切島鋭児郎が拳を強く握り締め、隣のシートに腰掛ける上鳴電気や瀬呂範太に向かって熱弁を振るっていた。
「いやー、硬化は普通にカッコいいだろ! わかりやすくてプロ映えするって! 俺の『帯電』なんてさ、出力上げすぎるとアホになっちゃうからな……女子受けという観点から見ると決定的な弱点なワケよ」
「アホになるのは個性のせいだけじゃないと思うけどなー」
「おい耳郎! 今さらっと酷いこと言わなかった!?」
ギャハハと笑い声が弾む。そんな前方の喧騒から一歩引いた後方の窓際で、氷叢冬真は静かに肘を窓枠に預け、流れていく景色を眺めていた。
冬真の膝の上には、黒い高機能ファブリックで仕立てられた『集束グローブ』が置かれている。両手の甲から手首にかけて伸びる極小のダイヤルと、掌に配置された微小な感温センサー。冬真は細細とした指先でダイヤルのトルクを確かめ、内部の冷却媒体の圧力が正常値を示しているかをミリ単位で確認していた。
「冬真ちゃん、熱心ね」
不意に、隣の座席から声をかけられた。振り返ると、大きな丸い瞳をしばたたかせた蛙吹梅雨が、行儀よく膝の上で手を重ねて冬真を見つめていた。
「なにをしているの?」
「機器の校正だ」
冬真は視線を手元に戻したまま、低く短い声で答えた。
「俺の個性『絶対零度』は、周囲の熱運動を物理的に停止させる。だが、その代償として熱エネルギーの排熱先が俺自身の肉体……特に深部体温に直接跳ね返る構造になっている。このグローブは、冷気の放出角度を一点に集束させると同時に、排熱のベクトルを外気へ拡散させるための補助機器だ。ダイヤルの調整がコンマ一ミリ狂うだけで、手首の皮膚が重度の凍傷を起こすか、狙った凍結半径が三十センチ脱線する」
淡々と、まるで他人の製品カタログを読み上げるような無機質な口調。梅雨ちゃんは「ケロっ」と小さな声を漏らし、首を少し傾げた。
「なるほどね。でも、冬真ちゃんの個性って、轟ちゃんの『半冷半燃』と少し似ているわね。轟ちゃんも右半身で強力な氷を出せるじゃない?」
その言葉に、少し離れた席に座っていた緑谷出久が「ぴくっ」と反応した。緑谷は手元のノートを開いたまま、探るような、しかし純粋な知的好奇心に満ちた目で冬真と焦凍を見比べるように視線を巡らせてきた。
「あ、あの……! 僕もずっと気になってたんだ……! 轟くんの氷結は広範囲を一気に凍らせる圧倒的な質量と出力が特徴的だけど、氷叢くんの氷はもっと……なんというか、密度が高くて結晶の構造が硬質に見える。それに、温度の低下速度が異常に早い気がするんだよ。僕の観察が正しければ、氷叢くんの冷気は『凍らせる』というより『熱を消死させる』に近いんじゃないかな……!」
緑谷が早口で畳みかけるように語り出そうとした瞬間、冬真は作業の手を止め、冷ややかな視線を緑谷へ向けた。
「緑谷。個性のメカニズムを他人に分析されるのは好きじゃないが、概ね間違ってはいない」
冬真の短い肯定に、緑谷は「やっぱり……!」と目を輝かせた。冬真は溜息を殺しながら、グローブのベルトを締め直す。
「轟の個性は、おそらく生成系だ。莫大なエネルギーを用いて体外に氷という物理物質を生み出し、放出する。だからこそあの圧倒的な質量とスケールが実現できる。対して俺の個性は、転換・奪取系だ。そこにある空気や水分のエネルギーそのものを奪い取り、熱運動を極限までゼロに近づける。結果として周囲の水分が氷結するが、本質は『物質の生成』ではなく『エネルギーの強制停止』だ」
「エネルギーの……強制停止……!」
緑谷が猛烈な勢いでノートにペンを走らせ始めた。
「だからこそ、轟のように巨大な氷の山を一瞬で作るような真似は、俺にはできない。膨大な熱量を一気に奪えば、その分だけ俺の体温が一瞬で氷点下にまで叩き落され、心臓が止まる。俺の戦術は常に『最小の熱奪取で、最大の無力化を狙う』ことに特化せざるを得ないんだ」
「なるほど……! 奪う熱量を緻密に計算して、ピンポイントで敵の関節や動脈を狙うから、あの無駄のない動きになるんだね……! でもそれって、すごく集中力が必要だし、一歩間違えれば自分の身体を壊してしまうリスクと背中合わせってことだよね……!?」
緑谷の鋭い指摘に、冬真は返事を怠り、ただ静かに目を閉じた。
(……観察眼だけは無駄に高いな)
自分の個性の欠陥を完璧に理解されているのは、戦術的にあまり好ましいことではない。だが同時に、このクラスには自分とは異なるベクトルで「異常な思考速度」を持つ人間が何人もいるのだと、冬真は再認識していた。
「おいおい緑谷ぁ! 難しい話はそこらへんにしとけって! 氷叢もせっかくの移動中なんだから、もっと肩の力抜けよ!」
切島が前方の座席から身を乗り出し、白い歯を見せて笑った。
「お前のあの冷徹な判断力と制圧速度、マジで凄ぇよな! 昨日の戦闘訓練でもさ、無駄な動きが一切なくて驚いたぜ。俺なんかすぐ頭に血が上っちまうから、見習いたいところだわ!」
「切島。ヒーローの戦闘において『熱くなる』ことは、ただのエネルギーの浪費だ」
冬真は淡々と切り捨てた。
「体温の上昇は発汗を促し、脱水症状を引き起こす。心拍数の急上昇は判断力を鈍らせ、不可逆なミスを生む。常に体温と心拍数を平熱に保ち、冷徹に最適解を選択し続けること。それが俺にとっての唯一の正解だ。熱量など、戦闘には何一つ必要ない」
「ぶはっ! 相変わらず塩対応だなー! でもまあ、そこが氷叢のスタイルってワケだ」
上鳴が気楽に笑い飛ばす。耳郎響香が呆れたように溜息をつき、「アンタも少しは氷叢くんの爪の垢でも煎じて飲みなさいよ」と肘で上鳴の脇腹を突いた。
「静かにしろ。もうすぐ着くぞ」
前方の助手席から、相澤消太の不機嫌そうな声が響いた。一瞬で車内が静まり返る。冬真は静かにグローブを両手に装着し、指の屈伸運動を繰り返した。
(――救助訓練)
救助とは、最も計算が狂いやすい現場だ。二次災害のリスク、倒壊する建築物の耐久値、そしてパニックに陥る要救助者の心理。どれもが冬真の最も嫌う「不確定要素」の塊だった。だからこそ、今日の訓練では自分の制御力を極限まで高め、完璧に課題をこなして終わらせるつもりだった。
まさかこの数分後に、そのすべての計算を根底から破砕する「絶対的な不確定要素」と対峙することになるとは、この時の冬真は知る由もなかった。
*
「――水害、土砂崩れ、火災、暴風! あらゆる事故や災害を想定して私が作ったテーマパーク! その名も、ウソの災害や事故それぽい(Unforeseen Simulation Joint)――通称『USJ』です!」
ドーム状の巨大な建築物の中に足を踏み入れたA組の生徒たちから、一斉に歓声が上がった。
目の前に広がっていたのは、広大なドーム内に再現された異次元の空間だった。断崖絶壁が聳え立つ山難エリア、荒波が打つ水難エリア、炎が燃え盛る火災エリア――それらが中央の巨大な広場を中心に放射状に配置されている。
出迎えてくれたのは、スペーススーツのようなコスチュームに身を包んだプロヒーロー、スペースヒーロー『13号』だった。
「わあぁ……! 13号だ! 災害救助で目覚ましい活躍をしている紳士ヒーロー……! 僕、大好きなんだ……!」
緑谷が両手を握り締め、目を輝かせて興奮気味に声を上げる。
13号はゆっくりと生徒たちに向き直り、短く、しかし重みのある口調で話を始めた。
「皆さん。話に入る前に、一つ……二つ、三つ……四つ……お願いがあります」
13号の穏やかな声が、広大なドーム内に響き渡る。
「皆さんも知っての通り、私の個性は『ブラックホール』。どんなものでも吸い込んで、塵にしてしまう力です。……この力を使って、私は多くの人々を救けてきました。ですが……この力は、簡単に人を殺せる力でもあります」
その言葉に、興奮していた生徒たちの空気がピンと張り詰めた。
「皆の中にも、そういった個性を持つ人がいるはずです。超人社会になり、個性の使用は厳しく制限され、一見うまく成り立っているように見える世界ですが……一歩間違えれば、人を容易に傷つける『凶器』になり得るということを忘れないでください。相澤さんの体力テストで、自身の力に秘められた可能性を知り、オールマイトさんの対人戦闘訓練で、それを人に向ける怖さを体験したはずです。この授業では心機一転! 人を傷つけるための個性ではなく、『人を救けるための力』として、自分の個性をどう活かすかを学んでいきましょう!」
13号が深く頭を下げる。生徒たちから大きな拍手が巻き起こった。
(……人を救けるための力、か)
冬真は自身の右手のグローブを見つめた。
『絶対零度』。熱を奪い、すべての運動を殺す力。生き物の体温を奪えば、それは数秒で「死」を意味する。冬真自身、幼い頃からこの個性の殺傷力と、自分自身を焼き尽くすような排熱の恐怖を誰よりも理解していた。だからこそ、彼は制御に固執し、過剰な暴力を排除し、徹底した「最小限の出力」による合理化を追求してきたのだ。
(13号の言う通りだ。個性とは単なる『物理現象』に過ぎない。出力のコントロールと明確な意図がなければ、ヒーローの力もヴィランの暴力も紙一重だ)
冬真が思考を深めていた、その時だった。
――バチッ。
突如として、USJ中央広場の空間が歪んだ。
中央の噴水広場付近の空間が、まるで水面に落とした墨汁のように黒く濁り、どろりとした闇が渦を巻き始める。広場の街灯が一瞬激しく明滅し、パチパチと不穏な火花を散らして消失した。
「……? なんだ? 訓練開始の合図か?」
切島が首をかしげ、前方に歩み出ようとした。
「動くな!!」
相澤の叫びにも似た怒声が響き渡った。相澤は素早く黄色いゴーグルを装着し、首に巻きつけた捕縛布を両手で強く握り締めている。その背中には、これまで見せたことのないような苛烈な緊張感が漂っていた。
「一歩も動くな! 13号、生徒を守れ!」
「え……? なになに!?」
黒い渦の中から、ぞろりと無数の「影」が這い出てきた。
不気味な手のパーツを全身に纏った痩せ型の男――死柄木吊。
黒い靄で全身を包んだ怪異――黒霧。
そして、その背後から続々と姿を現す、怪異な容姿をした数十、数百の人間たち。
彼らの瞳に宿っていたのは、訓練でも模擬戦でもない。明確な『殺意』と『悪意』だった。
「……本物の、敵(ヴィラン)だ」
冬真の口から、冷ややかな呟きが漏れた。
瞬時に脳内の計算能力がフル回転を始める。
周囲の状況、敵の数、味方の戦力。
教員は相澤と13号の2名。生徒は20名。対する敵は目視できるだけで百以上。施設外との通信は……冬真は素早く胸元の端末を確認したが、電波のアンテナマークは完全に圏外を示していた。
(通信障害(ジャミング)。計画的な襲撃だ。目的は教育機関へのテロ……あるいは、ここにいる誰かの殺害)
「先生! 侵入者用センサーは!?」
八百万が青ざめた顔で叫んだ。
「勿論ありますが……反応がありません!」
13号が焦りの色を隠せずに答える。
「電波系の個性が妨害しているのか、最初から抜け道を知っていたか……いずれによ、ここは奴らの戦場だ」
相澤が低い声で告げ、生徒たちを背後に庇うように立ち塞がった。
「13号、避難を開始しろ! 学校への連絡も試みろ! 電波障害を突いているなら、どこかにそれを担っている奴がいるはずだ!」
「相澤先生! 一人で戦う気ですか!?」
緑谷が思わず叫ぶ。
「あの数の敵を相手にするなんて無茶です! 先生の個性は集団戦向きじゃ――!」
「ヒーローは一発ネタ(ワンツーブロック)じゃ務まらん」
相澤はそう言い捨てるや否や、崖の上から中央広場へと一直線に飛び降りた。
その動きは、無駄を削ぎ落とした戦慄すべきものだった。広場にたむろするヴィランたちの真ん中に着地した瞬間、相澤の視界に入った敵たちの「個性」が一斉に消失する。混乱する敵の隙を突き、捕縛布を縦横無尽に操って次々と敵を打ち倒し、激突させ、無力化していく。
(……凄い)
冬真は息を呑んだ。
相澤の戦い方は、冬真が目指す「最小の労力で最大の効果を得る」合理主義の究極系の一つだった。無駄な大技を使わず、相手の個性を封じた上で、純粋な格闘技術と道具の活用だけで敵の集団を麻痺させていく。
「見惚れている場合じゃない! みんな、出口へ走るんだ!」
飯田の怒号のような指示で、生徒たちが一斉に出口に向かって走り出そうとした。
だが――。
「――させるわけにはいきませんね」
生徒たちの頭上に、突如として黒い靄が爆発的に広がった。
「!?」
黒霧の体が巨大な壁のように出口を塞ぎ、冷ややかな黄色い光を怪しく発光させる。
「はじめまして。我々は『敵連合』。不躾ながら……ヒーローの聖体、オールマイト様に、息絶えていただく為……お邪魔させて頂きました」
「オールマイトを……殺す……!?」
緑谷の顔が驚愕と恐怖に歪む。
「本来ならば、オールマイト様がいらっしゃるはずだったのですが……何か変更があったのでしょうか? まあ……それとは関係なく、私の役割は変わりません」
黒霧の靄が、まるで生き物のように生徒たちの足元へと伸びていく。
「死ねやぁぁぁーーー!!!」
突如、切島と爆豪の二人が同時に跳躍した。爆豪の爆破が黒霧の顔面付近で激しく炸裂し、凄まじい衝撃波と爆風が周囲を包み込む。
「ふん、やられたか!?」
切島が叫ぶ。
だが、晴れ渡った煙の向こうから、黒霧の声が無傷のまま響いた。
「危ない危ない……生徒と言えど、優秀な卵。恐ろしいですね」
「ダメだ、退がれ二人とも!!」
13号が叫び、指先のキャップを外そうとした。
しかし、黒霧の動きの方が一瞬早かった。
「私のお役目は……皆さんを飛び散らせ、殺し尽くすことです!!」
黒い靄が爆発的に広がり、A組の生徒全員を呑み込む巨大な闇の渦――『ワープゲート』が形成された。
空間が歪み、重力が狂う。生徒たちの悲鳴がドーム内にこだまする。
「きゃあああ!?」
「うわあぁぁぁ!?」
(……くっ、空間転移の個性か……!)
渦に呑み込まれそうになりながら、冬真の思考は極限まで冴え渡っていた。
視界が黒いモヤに覆われ、身体が浮遊感に包まれる。パニックに陥るクラスメイトたちの声が遠のいていく中、冬真は右手と左手の集束グローブのダイヤルを同時に、最大スピードで回した。
カチ、カチ、カチ――!
(転移先がどこであれ……着地した瞬間に攻撃が来る。動揺した奴から殺される)
冬真は恐慌状態に陥ることなく、体内の熱量の推移を冷徹にモニタリングした。
深部体温:36.5度。心拍数:82。
完璧な正常値。
黒い靄の向こう側に、猛烈な風とゴツゴツとした岩肌の光景が一瞬見えた。
(山岳エリア――!)
空間の歪みを抜け、冬真の身体が荒々しい崖の上へと投げ出される。
冬真は空中で身体を半回転させ、猫のようなしなやかさで両足を地面に着地させた。着地の衝撃を膝で吸収し、すぐさま周囲360度の状況を視認する。
「うわああああっ!?」
「痛たた……な、なんだよ急に!?」
少し離れた場所に、激しく地面へ転がった上鳴電気、耳郎響香、そして着地姿勢を崩しながらも即座に体勢を整えた八百万百の姿があった。
「皆さん、ご無事ですの!?」
八百万が引き締まった表情で声を張る。
「無事じゃねぇよ! なんだよ今の不気味な煙野郎は……! って、おい! 見ろよこれ!!」
上鳴が指差した先――山岳エリアの崖の上、そして下の谷底から、ゾロゾロと這い上がってくる不気味な影たち。数十、いや百に近い数の敵(ヴィラン)たちが、ニヤニヤとした卑屈で凶暴な笑みを浮かべながら、冬真たち4人を完全に包囲していた。
「ヒヒッ! ガキが4人飛んできやがった!」
「運が悪いな坊主ども! 俺たちの憂晴らしの道具になってもらうぜ!!」
襲いかかる殺意の群れ。
上鳴が恐怖で腰を抜かしかけ、耳郎が冷や汗を流しながら音波プラグを構える。八百万が即座に創造型のシールドを腕から生み出そうとした。
その窮地の中で、氷叢冬真だけが……一切の感情を排した、冷酷な瞳で群がる敵を見下ろしていた。
両手の集束グローブから、プシューッと静かな圧排気が漏れ出す。
「上鳴、耳郎、八百万」
冬真の静かで、しかし通り抜けるような声が、ヴィランたちの罵声をも切り裂いて響いた。
「動くな。無駄な体力を消費するな」
「え……? 氷叢……?」
冬真は一歩、前へ踏み出した。
「ここからは、俺の処理領域(タスク)だ」
絶対零度の冷気が、静かに、そして苛烈に……山岳エリアの空気を凍りつかせ始めた。
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