平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう   作:訳者ヒロト

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5話 陰謀……っ!

 食堂に到着。

 

 かなり混雑している。当然、利用者のほぼすべてが貴族だ。この光景を前にすると無性に回れ右したくなってきた。お貴族さまと同じテーブルなんて気楽に食べられないよ。

 

 

「どうしたのユリウス、急に止まったりして。急がないと席がなくなっちゃうわ」

 

「やはり売店で済ませませんか……」

 

「なーに馬鹿なこと言ってんの! アルンハイム魔術学園の食堂っていったらちょー有名なんだから! 行かないわけないでしょ!」

 

 

 そうですよねえ。

 

 マナーをきちんと守らなくては。平民流で汚く食うなんてしたら処刑される。僕は気持ちを引き締め直し、食堂に踏み込んだ。

 

 近くにいた生徒が僕たちを見流して、直後に美しいほどの二度見をかましてくれた。

 

 ざわめきが広がっていき、視線が次々と僕の元へ集まってくる。

 

 やはり目立つ……。

 

 平民特待生だから当然ではあるが、しかし気分がよいとは言えない。

 

 ニナさまが嬉しそうに身を震わせる。

 

 

「ああ、コレよコレ……。立ってるだけで視線を集めちゃうこの感じ……! たまんないわね……!」

 

 

 ざわめきが耳に届く。

 

 

「1年C組の"彼"だ……」

「まじやっべえな……」

「で、隣のちびっこは誰?」

「さあ……。お供じゃないか?」

 

 

 おっと、さっき聞いたのとよく似た流れだ。案の定、隣のニナさまは怒りに震えている。

 

 

「だぁれがちびっこですって……!?」

 

「まあまあ、落ち着いてください。また取り押さえられてしまいますよ」

 

「知るもんですか……! この私をつかまえてあんな言い様、父上に言いつけて無犯人にしてやろうかしら……!」

 

 

 ……無犯人? 謀反人と言いたかったのだろうか。まったく逆の意味になってしまっている。

 

 ニナさまをなだめながら進むと、人ごみは勝手に割れていく。便利ではある。

 

 ビュフェ形式だ。どの料理も手が込んでいて美味しそう。

 

 食べたことがないものも多い。食べ方をゴル爺に教わった料理だけ選ぼう。

 

 僕はバランスよく取り合わせていくが、ニナさまは最初からスイーツコーナーに飛びついてお皿を砂糖菓子で山盛りにしている。さきほどの怒りもどこかへ吹き飛び、ご機嫌そうに吟味中だ。

 

 そして立ったままパクリ。

 

 

「おいひーっ! これだけ種類があるなんてたまんないわねっ! あんむっ! あむあむ!」

 

 

 そんなことしてるから皇女に見られないんだと思います。

 

 席を探す。長机にちょうど二人分の席が空いている。しかし右も左も知らない生徒――知らない貴族だ。

 

 恐ろしい。だがニナさまが一緒だし大事にはならないだろう。僕は腹をくくり、微笑を作って声をかけた。

 

 

「すいません。お隣、失礼しても……?」

 

 

 ええもちろんどうぞどうぞとみなさん笑顔で許してくださった。

 

 僕たちは席についたが、しかし、周囲のみなさんの様子がおかしい。食器をかちゃかちゃ鳴らしながら大急ぎで料理を口に詰め込み、一礼して去っていくのだ。

 

 いつの間にか長机は僕とニナさまの貸し切りになっていて、空いているのに誰も座ろうとしない。

 

 口では歓迎してくれていても、やはり平民と同じ席など受け入れがたいのだろう。僕は少しだけ悲しかった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 午後の授業一発目。C組生徒は砂のグラウンドに整列している。

 

 魔術戦の実技だ。怪我する可能性も高いので、複数人の教員が参加している。シンシア先生もだ。

 

 自由にペアを組めという指示が出て、僕の左右でカトリーヌさまとシャーロットさまが同時に声を発した。

 

 

「ユリウスさま。ぜひわたしと。実戦に関しては学年でも随一と自負しております」

 

「ユリウスさま。よければ私と組んでいただけませんか。未熟な身なれど、ぜひユリウスさまから学ばせていただきたいです」

 

 

 二人は燃え上がる視線を衝突させた。その真ん中で燃やされる僕。

 

 

「シャーロットさま、あなたの実力ではユリウスさまには相応しくないのでは?」

 

「カトリーヌさまこそ、自分はユリウスさまに相応しい、対等だとおっしゃるのですか? そんなわけがありませんよね?」

 

 

 いがみ合っている……。この二人は僕を巡って争わなくては気がすまないのだろうか。座学授業のペア探しでもこんな感じだった。

 

 まあ、侯爵令嬢の大決戦は僕の胃腸に効果バツグンではあるが、僕と仲良くしてくれるのはありがたい。

 

 しかしだ。

 

 各々ペアを組んでいる生徒たちの中に、僕をジーと睨むように見つめる姿があった。ニナさまである。

 

 きれいな顔立ちの側面がほんのり赤くなっている。食後、僕たちは図書室に移動したのだが、僕が読書に励む隣でニナさまはすーぴー寝ていたのだ。

 

 僕はカトリーヌさまとシャーロットさまに一礼する。

 

 

「お二方。申し訳ございません。ご厚意を無下にする無礼をお許しください。別の方と組みたいと考えているのです」

 

「あら、そうですか。なら仕方ありませんね。気にされなくてよいですよ」

 

「毎度毎度私たちがユリウスさまを二人占めしていては、みんなに恨まれるというものです」

 

 

 シャーロットさまが笑顔で言って、周囲を見回す。

 

 

「では私も別の相手を探しますね」

 

「――おーや? 逃げるのですか? チャールトン家のご令嬢ともあろうお方が?」

 

 

 カトリーヌさまが紅の髪をなびかせる。

 

 

「……逃げる? 私が? 何から?」

 

「ウフフフフ……。わたしと組みましょうよ、シャーロットさま。まだその勇気が残っていればですが」

 

「……いいでしょうっ。今日という今日こそ、あなたのお尻に生えてるお猿の尻尾を引っこ抜いてやりますっ」

 

「尻尾なんて生えてるわけないでしょ! あまりふざけたことを言っていると、消し炭にしてやるわよ!」

 

 

 そして二人は互いにつかみかかった。せめて魔術で戦ってください。

 

 奇しくも両者の狙いは一致していた。胸である。互いの手が互いの膨らみを鷲掴みし、むぎゅっと形を変える。

 

 

「ふあっッ」

「はひいぃっ」

 

 

 しかし互角の状態は長続きしなかった。互いの胸を掴むということは、四本の腕が横並びしているわけだ。妨害も容易である。

 

 力で押し勝ったのはカトリーヌさま。両腕でシャーロットさまの腕を巻き取り、そのまま左右へ大きく弾き飛ばしたのだ。

 

 無防備に体の正面をさらし目を見開くシャーロットさまに対し、カトリーヌさまは凄惨に笑って体ごとぶつかりに行く。覚悟の差が勝敗を分けたと言えよう。

 

 カトリーヌさまはそのまま抱きつき、蛇のようにするりと体を滑らせて背後へ回り込む。そしてシャーロットさまの立派なお胸を背後から両手で包んだ。

 

 

「あーらあらあらシャーロットさま? 前に揉んで差し上げたときよりも、また大きくなりましたね? どんどん大きくなりますね?」

 

「くっ、ふっ、大きくなってなんか……んあああああッッ」

 

 

 銀髪を振り乱し体をくねらせるクール系銀髪美少女のシャーロットさま。その背後で高笑いするカトリーヌさま。

 

 これが侯爵令嬢……? この国の行く末が心配になってきた。

 

 二人は先生に制止されてようやく正気を取り戻し、睨み合いに戻っている。シャーロットさまの剣幕が凄まじい。あれはなかなか収まらないだろう。

 

 さて、僕はニナ皇女に歩み寄る。

 

 

「ニナさま。よろしければ――僕と組んでいただけますか?」

 

「ちゃんと察して偉いわ。さすが第一のお供ね!」

 

「お友達がおられないのですね……」

 

「うっさい。哀れむような目をやめなさい。貴族社会で友だちを作るのは意外と難しいのよ」

 

 

 僕がニナ皇女と組んだことで生徒たちがどよめいている。

 

 

「ユリウスさまがあの変な子に……」

「浮いてたからな……お優しい……」

 

 

 声を小さくしてニナさまに囁きかける。

 

 

「皇女さまだって明かしたらすぐ友だちができると思いますよ」

 

「それは友だちとはいえないでしょ。ここぞという時まで大々的に身分を明かすのはとっておくの」

 

「そうですか……」

 

 

 早々に正体を明かしてくれたほうが、無用な気を遣わずに済むので助かるのだが。

 

 みな、攻めと守りを交代しながら簡単な魔術を撃ち合い始める。

 

 ただしカトリーヌさまとシャーロットさまは苛烈だ。攻撃性の高い術で容赦なく攻め立て、先生はいつ割って入るべきか気が気でない様子だ。

 

 

「では――僕たちも始めましょうか」

 

 

 なぜか胸をかばうニナさま。上目遣いで恥ずかしそうに言う。

 

 

「……揉ませないわよ」

 

「揉みません」

 

「…………そんな即答されるのも納得いかないわね。本当は揉みたいけど我慢しますという雰囲気を出してくれないと、私の立場がないじゃない!」

 

「わけのわからないことを仰らないでください」

 

 

 それで、と僕は言う。

 

 

「ニナさまはどんな魔術を使えますか?」

 

「………………」

 

 

 ぐぬぬと唇をかみしめるニナ皇女。

 

 

「ニナさま?」

 

「………………ないわ」

 

「え? なんですって?」

 

「な……使えないわ……っ!」

 

「? もう一回言ってくれますか?」

 

「使えない使えない、魔術なんて使えない! ひとつも使えない! これでいい!?」

 

 

 えー。現代魔術の始祖である初代皇帝の血を引く一族なのに? 

 

 

「……もしかして、政治的な事情のせいで教育を受ける機会を与えられなかったということですか? 幽閉されていたと仰ってましたものね」

 

 

 だとすれば哀れな境遇だ。この世で最も尊い一族に生まれたとしても、必ず幸せになれるとは限らないらしい。

 

 ニナさまはぷいと顔を逸した。

 

 

「いえ、単に稽古をさぼってただけよ」

 

「………………」

 

 

 環境があるのに生かさないというのは、僕からすれば冒涜のようにさえ思える。

 

 

「しょうがないでしょ! どうせ宮殿の外に出られないなら、魔術の練習なんてしても意味ないと思ってたのよ!」

 

「……なるほど。まあ理解はします。人にはそれぞれ好き嫌いがありますものね」

 

「ここ三か月くらいはちゃんと練習してるわ。でもまだ何も使えないの」

 

 

 経験豊富な師匠に三ヶ月教わっても魔術を発動さえできないというのは決して珍しくない。僕なんて数年何もできなかったわけだし。

 

 

「何の魔術を練習なさってるので?」

 

「灯りの魔術と、水湧きと、それから火弾」

 

「火弾なら教えられますよ。僕が一番得意な魔術です。やってみせてください」

 

「イヤよ。どうせ不発だから恥ずかしいし」

 

「いいからやってください。それともこの授業の間はずっとおしゃべりでもしてるつもりですか」

 

「うぅ……分かったわよ。その代わり笑ったら怒るから」

 

 

 ニナさまは手のひらを突き出し、目を強く閉じて魔術陣の描画を始めた。十秒ほどの時間をかけて紅の円陣ができあがっていき――

 

 

「火弾よ(Dagaz-Bollo)」

 

 

 詠唱する。

 しかし魔術は発動しない。

 

 

「こんなかんじよ。毎日やっても発動しないからイヤになってきたわ」

 

「魔術の練習はそんなものです」

 

 

 答えながら、僕は二つ魔術陣を描画した。

 

 

「これが教本通りの魔術陣。それでこちらが、今ニナさまが描いたのを再現した魔術陣です」

 

「え、え……ユリウス、とんでもないことしてない? 見ただけで再現できるの?」

 

「僕は人生の半分をこの魔術に捧げてきたんです。来る日も来る日もこの魔術陣を見つめ続け、気付くと十五歳になっていました……」

 

「よく分かんないけど、ユリウスが変わった男の子だってことは分かったわ……」

 

「まあそれはいいんです。話を戻して、この二つの魔術陣の間には、細かいところまで数えれば五十個は"違い"があります。その違いをすべてなくせば、教本通りの魔術が発動するわけなのですが――」

 

「それが難しい、ってことよね」

 

 

 魔術陣を完璧に模写するのにはかなりの熟練が必要とされる。ルーン文字の細かな形、線の角度や太さ……。ひとつを直しても別のところを間違えてしまったり。

 

 たった一つの間違いで魔術は大きく形を変えてしまう。

 

 

「ニナさまは今、この五十個の違いを潰して正解に近づけていく段階にあるわけです。でも――五十個すべてが致命的なミスでもない。絶対に直さないといけないのはたったの五つです」

 

「えぇ……? そんなことわかるの?」

 

「僕もあらゆる失敗を重ねてきましたから」

 

 

 旅の魔術師が見せてくれた《火弾》の魔術陣。目に焼き付いたそれを再現するためだけに僕は数年を費やした。

 

 あまりに非効率だったが、そのおかげでどのルーン文字をどういじれば結果がどう変わるのか、僕は完璧に把握している。

 

 と、そこでだ。

 シンシア先生が話しかけてくる。

 

 

「ユリウス君。魔術が使えない生徒はこちらで預かるわよ……? 撃ちあいは三人組でもできるわけだし……?」

 

「いえ。よければ僕に教えさせてくれませんか」

 

「それはかまわないけれど……いいの?」

 

「はい――」

 

 

 僕はニナさまに言った。

 

 

「現代魔術は誰でも使えるから素晴らしいんです。ニナさまにも必ずできます」

 

「う、うん……!」

 

 

 

 

 

 それから数十分。ニナさまは同じ間違いを繰り返したり、新たなところを間違えたり、いろいろありつつも――

 

 

「火弾よ(Dagaz-Bollo)」

 

 

 ニナさまが唱えると、魔術陣から紅の弾丸が出現。目に見えない力によって押され、宙へと射出された。

 

 一般的な《火弾》よりずっと遅く、軌道もヘロヘロしているが、魔術には変わりない。

 

 

「で、できた……っ!」

 

 

 ぱっと幼気な顔をほころばせる。

 

 

「できたユリウス! 私にも魔術がつかえたわっ! やたーっ!!」

 

 

 飛び跳ねながら、僕の両手をつかんでぐるぐる跳びはねる。あんまり子どものようにはしゃぐものだから、僕は苦笑いを浮かべることしかできない。

 

 初めて魔術を使えたときの喜びは僕も鮮明に記憶している。人生でもっとも強烈な体験だったかもしれない。

 

 

「ユリウスに教えてもらったらすぐできるようになっちゃったわ!」

 

「基礎はできてたから、あと一歩を押し込むだけだったんです。ニナさまの努力の成果ですよ」

 

「ユリウス、あなた私の家庭教師になりなさい! お給金もたーっぷり払うわよ!」

 

 

 この言葉に、近くで見物していたシンシア先生の眉毛がピクリと反応する。

 

 

「カモフレーナさん。それはさすがに」

 

「ええ。言う相手を考えてくださいね」

 

「……そう。その通りよ」

 

 

 平民の僕が皇女の家庭教師なんて、身の程知らずにもほどがある。

 

 

「なによ、つれないわね! 私が直々にお願いしてるのよ? 喜んで引き受けるところでしょ」

 

 

 シンシア先生は「な、なんて態度を……」と唇の端を引きつらせる。が、よく分からないので放っておく。

 

 

「お断りします。僕は自分の勉強があるので。それに僕が教えられるのは《火弾》だけですし。他の魔術については、ニナさまについておられる家庭教師先生のほうがずっと上手く教えてくれますよ」

 

「ふーん。まあいいわ。とりあえずもう一回やってみる。次はもっとうまくできる気がするしっ!」

 

 

 ニナさまは鼻筋に湧いたゴマ粒のような汗を拭い、目を閉じてまた集中を始めた。

 

 シンシア先生が僕の隣に立ってつぶやく。

 

 

「ハラハラする子ね……」

 

「そうですか?」

 

「誰に対してもあんな崩した話し方だし……。よほどお山の大将で育ってきたのでしょうけど」

 

 

 ……シンシア先生はニナさまが皇女だと薄々勘づいていると思っていたが、そんなことはなかったらしい。

 

 まあいいや。僕にできることはない。先生には申し訳ないが、もうしばらく彼女のお山の高さを知らずにいてもらおう。

 

 

「僕がニナさまについて言えるのは――身分に関係なく接してくれて、とても付き合いやすいということです」

 

「そう、ね……」

 

 

 それと、こう評しては失礼かもしれないが――

 

 

「面白い女の子です」

 

「ッ!!」

 

 

 シンシア先生が鋭く息を呑んだ。

 

 

「……高貴な殿方は身分差を気にしない女性を好むというのは、本当だったのね」

 

「?」

 

「私もそうしてみようかしら……」

 

 

 この人は急に何の話を始めたんだろう。

 

 

「――そろそろ完成ですね」

 

 

 ニナさまの描画が佳境に至っていた。成功したという自信が魔力の操作を滑らかにしているのが分かる。今までで一番うまくできている。

 

 このとき僕は思い知った。この少女は大帝国を築き上げた初代皇帝の血を引いているのだ。才能があって然るべきではないか。

 

 

「あ」

 

「火弾よ(Dagaz-Bollo)!」

 

 

 魔術陣から燃え盛る弾丸が生まれ――ニナさまの眼前で火花と黒煙をまき散らした。

 

 

「なんでぇーー!?」

 

 

 もうもうとした煙のなかで悲痛な叫びをあげる皇女を見ながら僕は深く頷いていた。火弾の練習には爆発オチがつきものなのだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「帝国の皇子を攫う」

 

 

 入学の日から数日後、夜の帝都。

 ありふれた民家に偽装された隠れ家で、煙草の匂いをまとった男が告げた。

 

 コードネームは特徴そのまま、煙男(スモーカー)。

 

 向かいに座る部下は返事を忘れて男の顔を見つめた。

 

 

「……本気ですか?」

 

「本気だ。人生をかけた大仕事になるぞ」

 

「どの皇子を?」

 

「ユリウス・ユーガ。アルンハイムに入学したばかりの十五歳だ」

 

「……聞いたことのない名前です。そんな名の皇族男児がいましたっけ」

 

「平民のフリをしている。理由は知らんがな」

 

 

 スモーカーは灰皿に煙草の灰を落とした。

 

 

「今年の新入生に身分を隠した皇族がまじっているという噂は耳に入っているだろう」

 

「聞いてはいます。しかしただの馬鹿げた噂の一つでは?」

 

「あれは事実だ。確かな筋から裏が取れた。そしてその皇族とは――間違いない、ユリウス・ユーガだ」

 

「……信頼できる情報ですか?」

 

「ああ。遠目に観察したが、間違いない」

 

「観察?」

 

「佇まいが優雅すぎるんだよ。見た瞬間、平民なんて絶対に嘘、相当高貴な生まれに違いないと確信させられた」

 

 

 部下はまばたきを繰り返した。

 

 

「ふざけてますか?」

 

「お前も見れば分かる……」

 

 

 スモーカーは煙草をふかした。

 

 

「学園の使用人にも金を握らせて話を聞き出した。陸軍大臣と財務大臣の娘を差し置いて最上位の席に座り、副担任までかしずかせているそうだ。彼は皇族らしい――とすでにかなりの噂になってる。これでも平民だと思うか?」

 

 部下はひとまず納得したとばかりにうなずく。

 

 

「隠し子というやつですかね?」

 

「かもしれん。あるいは顔を変える魔術か。そんなものがあればの話だが――帝国皇族なら持っててもおかしくはない」

 

 

 男たちは地下組織『闇蛇』の構成員だ。

 

 その正体は帝国と国境を接する『魔国』の密偵部隊。

 

 あらゆる歴史が証明するように、隣り合う国同士が仲良くすることはとても難しい。現在は戦争こそしていないが、帝国と魔国はたがいを宿敵と捉えている。

 

 スモーカーは口を開く。

 

 

「ユリウス・ユーガを攫い、そして――皇族秘伝の魔術を教えていただく。目玉は『天界への柱』だな。伝統通りなら、すでに継承しているはずだ」

 

 

 部下がごくりとつばを飲む。

 

 

「祖父がよく語っていました。あれは天界の柱なんて美しいものじゃない、地獄からの槍だと」

 

「喜ばしいことだ。この作戦が成功すれば、その力がわが国の物となる」

 

 

 魔国にとって、帝国皇族のみが扱う秘伝の魔術を盗み出すことは長きにわたっての悲願だ。

 

 

「あの魔術を持つ魔術師に手を出すとは……恐ろしいことです」

 

「なんだ、びびってるのか。皇族といっても相手は十五だ。大魔術を使いこなせるわけもないさ。俺が十五の頃なんて、下級魔術を発動させるだけで精一杯だったぞ」

 

「僕もそうです。みんなそうでしょう……。しかしどのようにさらうのですか? 身分を隠しているといっても、護衛はいるでしょう?」

 

「奇妙なことに発見できないらしい。おそらく巧妙に隠れているのだろうが……。とにかく、他の皇族よりはるかに狙いやすいのは確かだ。簡単な仕事ではないが、やる価値はある」

 

「なるほど。しかし学園に押し入るのは自殺行為ですよ。あそこは学園長――グレイスハルトの縄張りです」

 

「分かってる。街に出てくるのを待つしかない」

 

 

 スモーカーは開いた窓に煙を吐きかけた。

 

 この計画は決して用意周到なものでもない。帝国の力を削るための、魔国が放った捨て駒の一つというのが正しい。

 

 本国からは成果をせっつく命令ばかり届く。失敗すれば切り捨てられるが、成功すれば――皇族秘伝を持ち帰れば、上層部も自分を無視できなくなる。

 

 

「この大手柄で、シケたドブネズミみたいな生活も終わりになる。上層部には俺を冷遇したことを後悔させてやるさ……」

 

 

 短くなった煙草が灰皿に押しつけられる。

 

 

「校門を見張らせろ。出てきたら尾行。学園から充分離れたところで仕掛ける」

 

 部下がうなずき、席を立つ。

 

「承知しました。しかし――そう都合よく出てきますかね」

 

「十五歳だぞ。華の帝都で遊びたがるはず。機会はそう遠くないうちに訪れるさ」

 

 

 スモーカーは新しい煙草をくわえた。火をつけ、ゆっくりと紫煙を吐く。

 

 

「箱入りの皇子さまに、下界の火遊びを教えてやろう」

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