平民、佇まいが優雅すぎて「身分を隠してる皇子では……」と勘違いされてしまう 作:訳者ヒロト
「っ、それはつまり――」
スモーカーは必死に頭を働かせた。
(手紙におびき出されてきたのは――罠だと承知の上でのこと。それは間違いない。仕掛けた側が言うのもなんだが、あんな手紙に引っ掛かるわけない)
――
ユリウスの言葉が脳裏を巡る。そして一つの結論が弾き出された。
つまり、亡命希望!?
敵国兵に囲まれながら上品に微笑んでいる皇子(皇子ではない)を前に、スモーカーは無意識に一歩後ずさっていた。
帝国皇子が因縁の相手である魔国に亡命してくるなどありうるのだろうか。いや、だが目の前で起こっているのだから信じないわけにはいかない。
「っ、ユリウス、さま、いったい何をお望みなのでしょうか――」
「? お望み? 僕に望みなんてものはありませんよ。しいて言うなら――ただ穏やかに魔術の勉強をしたい。それだけなんです」
「――!」
(兄弟たちに煙たがられているか、権力闘争に敗れたか。身分を隠しているのもそのためか……? 皇族を名乗ることを禁じられたとか……?)
帝国皇室の闇は深い。建国以来百年間にわたり、血族間での泥沼の戦いが止んだことはない。
皇子の亡命――
魔術を学ぶということは、つまり武力を蓄えるということだ。魔国に渡って何を為そうとするのか。自らを追い出した祖国への――復讐? まさかこちらの内情まですべてを知ったうえで?
「……私どもと共に行くことをお望みだと理解していいんですね?」
「はい。ぜひ共に行かせてください」
「私どもが何者か、分かったうえですね?」
「この状況であなた方が誰か分からないほど、僕は愚かじゃありませんよ?」
「……失礼いたしました。念のためお聞きしますが――護衛、あるいは監視役はおられませんか?」
ユリウスはハハハと軽やかに笑った。
「僕にそんなのいるわけがないでしょう?」
「――ッ!」
「ご指示には全面的に従うつもりです。みなさまお忙しいでしょう? どうぞ今すぐお連れください」
「…………承知いたしました。まずは、馬車へご案内します」
スモーカーたち『闇蛇』の目的は皇族秘伝魔術の入手。脅さずとも自発的に話してくれるなら願ったり叶ったりだ。
だが――裏がある可能性は決して低くない。自分たちは罠に嵌められているのだろうか……?
スモーカーは疑念に心を蝕まれながらユリウスを先導する。
横目に少年の姿を捉えても、その微笑に隠された内心を見透かすことはできない。
***
帰りてー。
説教、早く終わるといいけど。
たしかに、最近ニナさまと仲良くしすぎた。距離が近すぎたことは反省しています。
でも僕にどうしろと言うのだ? 皇女を突き放すわけにもいかないじゃないか。
まあ、大人しく話を聞いて謝ればきっと許してくれるだろう……。そう願いたい。
僕が連れてこられたのは裏路地に止められた馬車だった。立派でも貧相でもない普通の見た目。
タバコ男が扉を開いてくれる。
「足元、お気を付けください」
ずいぶん丁寧だな。さすが帝都、さすが皇族に仕える人間といったところか。
てか、馬車に乗るのか……。
車内で話そうぜということだろうか? たしかに人目のある道端で交わすような話題ではないが。
外見に反して馬車の内側はかなり上質だった。革張りの座面は柔らかく、十人は乗れそうなサイズなのにゆったり六人乗りだ。
故郷から帝都までの旅路は、カブを大量に乗っけた荷馬車に揺られるような道中だったので、こういうちょっとお高めの馬車に乗った経験はない。
「こんな馬車に乗るのは初めてです」
「……そうでしょうね。申し訳ありませんが、どうかご辛抱賜りたく存じます」
……何言ってんだこの人。
僕が促されて真ん中に座ると、左右に男二人が座り、向かいの席に女が座った。
タバコ男が息を吸って言う。
「……ユリウスさま。あなたさまが自らの意志で協力してくださるなら、私どもとしてはそれ以上のことはありません。ただし――お逃げなさろうとするのは無駄だと警告しておきます。そうなれば私どもも――容赦できなくなります。よろしいですか」
「ええもちろん。逃げたりしません」
「ありがとうございます」
タバコ男が合図し、馬車は動き出した。
動き出してしまった。あれ、ここで説教をくらうんじゃないの?
「移動するんですか?」
「……? はい、移動いたします」
この場で終わらないのか。どうやらどこかへ連れていくつもりらしい。
僕に説教をくださるのはこの人たちじゃなく別の人ということなのだろう。
めんどうだな……。古書店セールに行かなきゃいけないのに。売り切れちゃうよ。
「どちらへ行くのでしょう?」
「隠れ家を伝います。申し訳ございませんが、詳しい位置は機密ですので、お教えすることはできません」
はあー? と文句を垂れたいところだがもちろん口には出さない。僕はとりあえず微笑んだ。
「そうですか。どのくらいで着きます?」
「それも私には分かりかねることです。妨害があるやもしれませんから」
何にも教えてくれないじゃん。
てか、妨害ってなんだよ。帝都ではそんなのあるの?
馬車内は緊迫した雰囲気だ。三人ともカーテンの隙間から外を警戒したり、僕をちらちら監視したりしている。
僕に外の景色は見えない。
ひまである。
ひまは嫌いだ。時間を無駄にしているのが我慢ならない。体がむずむずしてきた。本を読んでいたい。
叱られに行く道中で読書するのは失礼だということは理解しているが、こればかりは抑えがたかった。
どうせ怒られるのだから一緒じゃないか?
この人たちは僕を連れていくだけの人のようだから、意外と見逃してくれるかもしれない。
「本を読んでいてもいいですか」
僕は懐から読みかけの魔術書を取り出した。三人は怪しむように眉を寄せたが、ただの本ですよとひらひら振ってみせる。
「大変恐縮なのですが――確認させていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
魔術書のなかにはそれ自体が超自然的な現象を引き起こす不思議な本もあるのだ。
タバコ男に本を渡すと、丹念にただの本であることを確かめた後、僕の手元に返ってくる。分かってもらえたようだ。
「もう一冊あるんですが、こちらも危険なものじゃありません。確認しますか?」
僕は懐から、ニナさまから貰った白紙の本を取り出した。部屋に置いてくるのを忘れてしまったのだ。吼える獅子――皇室の印章が煌めく。
「!!!!」
タバコ男が大げさに身を引いた。
「……い、いえ。私がそれに目を通すなど、めっそうもございません」
白紙だけど?
まあいいや。そちらは懐に仕舞い直し、魔術書を開く。『光魔術におけるグレイスハルト式ルーン文字二十四種の効果』。
ほんとに持ってきてて良かった。着くまでに読み終わらないかが心配だが。
***
スモーカーたちは座席の上で身じろぎ一つできずにいた。
スモーカーは騎士家の生まれである。王族皇族の横に座るなど、非常時でなければ決して許されないのだ。
皇子が亡命すると帝国が知れば必ず追手をかけてくる。いつ襲撃があるか、気が気でなかった。
だというのに――
(なんて余裕、なんて胆力! これが覇者の一族として生まれついた者の風格ということか……)
差し込む薄光を横顔にまとわせ、ユリウスは長く白い指先でページをめくっている。
聞きたいこと、相談したいことがいくつもあった。しかし、集中している様子のユリウスを邪魔することなどできない。
呼吸音にさえ気を払い、席上の石像と化すスモーカーたち三人。
そのとき、馬車が大きく跳ねた。小石でも踏んだのだろう。全員の体が大きく揺れる。
ユリウスは気にせず本に視線を注いでいたが――また跳ねる、また跳ねる。
ついにユリウスが顔を上げた。スモーカーはすかさず頭を下げる。
「申し訳ございません。市民に紛れるためにも普通の馬車を使うしかなく――」
「いえいえ。謝らないでください。立派な馬車じゃないですか。僕をこんな馬車に乗せてくれて、感謝しているくらいですよ?」
「っ、っ、誠に申し――アガッ!」
馬車がまた跳ね、スモーカーは盛大に舌を噛んだ。たまらず窓を開いて手綱を握る部下に叫ぶ。
「おい、揺らすな! くれぐれも静かに進め!」
「し、しかし、多少の揺れは――」
「つべこべ言うな!」
スモーカーは首を引っ込め、ユリウスに向き直る。
「よく言っておきました。どうかご堪忍ください……!」
「もちろんですよ。どうも、ありがとうございます……」
微笑みつつ、(いや、怒りすぎだろ)と思うユリウス少年である。
少し経ち、馬車の外から合図があった。一時停車したすきにスモーカーは一礼して下車し、部下と視線を合わせた。
「尾行はされていないようです。衛兵も騎士団も静かです。追手はまだ動いていません」
「そうか……。不気味なほど順調だな……」
「はい……。そもそも、狙っていたターゲットが都合よく亡命を望むなんてことがありうるんでしょうか……? 偽物や、囮という可能性は?」
「偽物にあの気品は出せんだろう。囮という線はないではないが……。だとすれば俺たちは過剰に高く評価されているということになる」
「なんにしろやるしかない、ですね……。このあとの計画は?」
「臨機応変、だ」
本来、ユリウスを気絶させて袋に詰め、スモーカーの召喚魔術を利用して高速で帝都を離脱するつもりだったが、そんな扱いをできるわけもない。計画は変更だ。
「上手くいくといいが……。盤面はすでに俺たちの手を離れたようだ。もはや祈ることしかできん」
スモーカーは馬車に戻った。
するとユリウスは本を閉じていて、退屈そうに表紙を撫でている。
「読み終わってしまいました。まあ学園長先生の名著ですし、何度読んだっていい代物ではありますが……」
スモーカーは少しだけ悩み、唸るように言った。
「今すぐ、大至急で魔術書を五冊――いや十冊用意します」