囮の実力者になりたくて!Return15 作:ボルメテウスさん
汽車の扉が開いた瞬間、俺とシドの間で見えない綱引きが始まった。いや、見えなくはない。お互いの襟首を掴んでホームへ押し出そうとしているのだから。
「クレア! シドが道中ずっと姉さんに会いたがってたぞ!」
俺は咄嗟に嘘を吐いた。目の前で腕を組み仁王立ちするクレアへ、満面の笑みでシドを差し出す。
「言ってない!」
シドが即座に否定した。俺の手を振りほどき、今度は逆に俺の背中を押してくる。
「こいつも一緒に連れて行け! ずっと寮での同室を楽しみにしてたんだ!」
「俺は寮の手続きがあるから! では姉弟水入らずで!」
俺はシドの腕を振り払い、荷物を引っ掴んで人混みへ紛れようとした。クレアの視線がシドへ向いた。その一瞬の隙。見逃す俺ではない。
「待てエロゲ!」
シドが叫ぶが、クレアの手が容赦なく弟の肩を掴んでいた。
「シド。話があるわ」
クレアの声は穏やかだ。だが目は笑っていない。猛禽類だ。俺は背中へ向けられたシドの絶望的な視線を感じ取った。
「覚えてろよ!」
背後から低い呪詛のような声が届く。
「お互い様だ!」
俺は振り返らずに手を振り、人波をかき分けて駅の出口へ走った。
* * *
王都の通りを急ぎ、学園の寮へ滑り込む。手続きは迅速に済ませ、割り当てられた部屋の鍵を開けた。
木の床にベッド、机、衣装棚、窓。シンプルな一人部屋。誰もいない。俺は荷物をベッドの上へ放り投げた。
「今日からここが俺の城だ」
思わず声に出した。
ここなら実験台にされることもない。夜中に叩き起こされて狩りに連れ回されることもない。天井を壊して入ってくる奴もいない。静かで平和で、自分のペースで生きられる空間。
「誘枴犯以外は勝手に入ってこない」
口にしてから、自分の基準の低さに気づいた。人質生活が日常化しているせいで、不法侵入の敷居が妙に高くなっている。だが今はそれでいい。誘枴されない限り、ここは安全地帯だ。
俺は大きく息を吐き、窓から差し込む午後の日差しを浴ぎながらベッドへ近づいた。
「今日からここが俺の城だ」
俺は宣言とともにベッドへダイブした。
全身の重量を預け柔らかい敷布団と毛布に沈み込む。至福の瞬間である。
「重い」
腹の下からくぐもった声がした。
思考が停止した。
遅延を伴う驚愕が脳内を駆け抜ける。俺はバネ仕掛けのように跳ね起きた。
「ゼータ!?」
毛布の塊がもぞもぞと動き白銀の髪をした少女が顔を出した。彼女は眠そうな目で俺を見上げている。まるで害虫でも踏んだ時のような顔だ。俺の何が害虫だ。
「何で俺の部屋にいる」
「護衛」
即答だった。ああそう来るか。
「王都は匂いが多い。攫われてから探すのは面倒」
彼女はあくびを噛み殺しながら、もっともな理由を並べる。確かに王都は人が多い。魔力の匂いも雑多だ。追跡が難しくなるのは分かる。だが。
「だから攫われる前からいるのかよ」
「うん」
ゼータは頷き、まるで当然とばかりに毛布を顎まで引き上げた。この自然さが一番恐ろしい。俺はさっきまで一人部屋の自由を謳歌していたはずだ。三十秒も経っていない。
「ここは男子寮だぞ」
俺は常識を説いた。人類の長い歴史が育んだ男女の境界線だ。
「誰にも見られてない」
ゼータは恬然と返した。
「見つからなければいい規則じゃない!」
俺はツッコミを入れたが、彼女の視線は既に俺の顔から外れ部屋のあちこちへ向いていた。猫科の目が窓の留め具を一瞥し次に天井裏を見上げる。
「窓の留め具。補強した」
彼女が指差した先を見る。確かに留め具が増え二重にロックされていた。いつの間に。
「天井裏も抜け道を塞いでおいた。脱出経路は三つ確認済み」
「いつやった」
「先に寝る前に」
寝る前にやったのかよ。彼女の行動力は常に俺の想像の二歩先を行っている。というか俺の部屋に対する工作員レベルの工作は何なんだ。
「お前な」
俺は頭を抱えた。追い出したい。男子寮の聖域を守りたい。だが窓の補強も脱出経路の確保も俺の身を案じての行動だ。文句を言う気力が削がれる。
「窓から入れば問題ない」
「問題あるだろ!」
「天井からも入れる」
「侵入経路の相談をしてるんじゃない!」
ゼータは少し首を傾げた。彼女の中では侵入経路の共有は護衛の基本らしい。俺の常識と彼女の常識の間には深い溝がある。
「ここ俺の一人部屋だよな?」
確認するように問いかけると、ゼータは毛布を引き寄せながら答えた。
「私は護衛。住人じゃない」
「人のベッドで寝てる奴が言うな!」
俺の叫びは男子寮の静かな午後に虚しく響き渡った。
「あと三件」
ゼータが毛布の中で指を折った。
「三件? 何のだよ」
「攫われた経緯。全部知ってる」
俺はベッドの端に腰を下ろした。追い出す気力が尽きたわけではない。立て直しているだけだ。
「市場へ買い出しに行った時。道端でバナナの皮を踏んだ」
「…あれは事故だ」
「滑って転んで、起き上がった時に馬車の荷台へ押し込まれた」
「だから事故だって。バナナの皮と誘枴に因果関係があるか?」
「ある。転んだ隙を突かれた」
否定できない。確かに転んでいた。だがバナナの皮で滑って誘枴される人間がどこにいる。漫画ならまだしも、現実にバナナの皮で転ぶ人間がいるか。いた。俺だ。
「次。デルタの狩りに付き合った時」
「あれは…」
「猪から逃げて、崖へ飛び降りて、着地先で待ち伏せされてた」
「待て。あれはデルタが猪を追いかけろって言ったんだろ。俺は逃げただけだ」
「逃げた先が教団の検問だった」
俺は口を閉じた。言い返せない。確かに猪から逃げて崖を飛び降りて着地した先に教団員がいた。運が悪いとしか言いようがない。だがゼータは運とは言わない。
「攫われやすい」
「分かってるよ」
「バナナの皮でも攫われる」
「…うるさい」
「猪から逃げても攫われる」
「そこは俺のせいじゃないだろ。デルタが狩りに連れ出したのが悪い」
「連れ出されるお前も悪い」
反論の余地がなかった。確かに断ればよかった。だがデルタの目が輝いて「エロゲ! 狩るのです!」と言うと、なぜか断れないのだ。断ると尻尾が垂れる。垂れた尻尾を見ると罪悪感が湧く。その罪悪感のせいで狩りに参加し、猪から逃げ、崖を飛び降り、教団に捕まる。
因果関係が見える。見えるが認めたくない。
「で、何が言いたい」
「攫われやすいから、見張る」
ゼータが毛布を被ったまま俺の方へ体を向けた。白銀の髪が布の隙間から覗いている。
「攫われてから探すより、攫われる前からいる方が早い」
「論理は分かる。分かるが」
「分かったなら、いい」
「分かったじゃねえよ。ここ男子寮だ」
「知ってる」
「知ってて寝てるのか」
「疲れた」
お前が疲れるのか。俺のベッドで寝ておいて疲れるのか。俺の方が疲れてる。さっきまで汽車の中でシドと蹴り合いをして駅でクレアに追われ逃げ切ってやっと着いたのに、部屋には先客がいる。この疲労の行き場がなく俺の肩に積もっている。
「ゼータ」
「なに」
「お前さ、俺が攫われないように見張るって言ってるよな」
「うん」
「俺が攫われないように見張るためには、俺のそばにいる必要があるよな」
「うん」
「俺のそばにいるために、俺のベッドで寝る必要があるのか」
ゼータが少し考えた。
「なくてもいい」
「じゃあ床で寝ろ」
「ベッドの方がいい」
「話戻ってんぞ!」
俺は立ち上がった。荷物がまだベッドの上に放り出されている。片づけていない。片づける時間もなかった。入った瞬間にダイブして、腹の下に人間がいた。
「俺は荷物を片づける。お前はどいてくれ」
「どこへ」
「お前の部屋へ」
「私の部屋はない」
「ないのかよ」
「寮に入ってない」
当たり前だ。彼女はシャドウガーデンの七陰であってミドガル学園の生徒ではない。寮の部屋があるわけがない。
「じゃあどこで暮らしてるんだ」
「ここ」
「ここって俺の部屋か」
「うん」
「今言ったろ。お前の部屋はないって。じゃあ今までどこで寝てたんだ」
「主の部屋」
「シドの部屋で寝てたのか」
「たまに」
たまに。たまにってどのくらいだ。聞きたくないが聞かないと寝床の確保ができない。
「もういい。今日は泊まっていい」
「いいの」
「いいわけじゃない。追い出しても出てかないだろ」
「出ない」
即答だ。この即答に含まれた力強さは何なのだ。断れないのか。拒否権がないのか。
「ただし」
俺は指を立てた。
「ベッドは俺が使う。お前は床か椅子か何か使え」
「分かった」
あっさり頷いた。あっさりすぎて逆に不安だ。素直に従うゼータを俺は知らない。
「それと、俺が学校に行ってる間は出ていけ」
「無理」
即答その二。
「授業中も攫われるかもしれない」
「授業中に攫われた例はない」
「ある」
「あるのかよ」
「歴史の授業。トイレへ行った時」
「トイレで?」
「窓から手が伸びてきた」
想像したくない光景だ。トイレで用を足している時に窓から手が伸びてくる。Horror映画かよ。
「じゃあ学校でも見張る」
「 学校で見張るな。目立つ」
「目立たない」
「お前の耳が目立つんだよ」
ゼータの手が自分の頭の上へ伸びた。猫科の獣耳。隠そうとしても髪の間から角のように立つ。
「帽子で隠す」
「学生が帽子被ってたらそれの方が目立つ」
「フードなら」
「フードも怪しい」
ゼータが少し困った顔をした。困った顔をされた方が困る。彼女が困るということは、諦めるのではなく別の方法を考えるということだ。
「…変装する」
「余計目立つ」
「なぜ」
「猫耳を隠そうとして猫耳カチューシャをつける奴がいるか」
ゼータが少し考えた後、小さく頷いた。
「あるかも」
「ない」
俺は荷物を衣装棚へ放り込んだ。荷物の半分はシドに押し付けたままだ。あいつは今頃クレアとどうなっているか。想像すると少し笑える。いや笑えない。あいつも俺も、いつか報復が来る。
「ゼータ。お前の気持ちは分かった。見張りたいんだろ」
「うん」
「俺が攫われたら困るんだろ」
「うん」
「じゃあ、攫われないように気をつける。だからベッドは返せ」
ゼータが毛布を押しのけて起き上がった。素直に退く。やはり素直すぎて不安だが、今は譲歩を受け取る。
俺はベッドへ座り直した。ゼータは床へ座り込み背中をベッドの脚へ預けている。
「…お前、床で寝るのか」
「狭くていい」
「狭いじゃないだろ。何もない床で寝るのか」
「毛布あれば」
「俺の毛布を使うな」
「もう使ってる」
毛布の半分が床へ引きずり下ろされている。俺の毛布だ。俺の部屋で俺のベッドで俺の毛布を他人が使っている。所有権の概念が崩壊している。
「…いい加減にしろ」
「もうしてる」
「してない!」
俺は毛布を引っ張り上げた。ゼータは引かなかった。静かな綱引きが始まる。前回の綱引きは俺の腕と脚で行われた。今回は毛布だ。マシになったと言えるか。言えない。
「ゼータ」
「なに」
「お前さ、他にやることないのか」
「これが仕事」
「護衛が仕事だろ。俺のベッドで寝ることが仕事じゃない」
「護衛の一部」
「どの一部だ」
「体力維持」
寝ることが護衛の一部だと主張する人間を初めて見た。論理が破綻している。だが彼女の顔には嘘がない。本気でそう考えている。本気で寝ている。
俺はため息を吐き、衣装棚から予備の毛布を取り出してゼータの方へ放った。
「…ありがとう」
「礼を言うなら自分で用意しろ」
「次から」
「次からって今日の夜も来るのか」
「いる」
予想通りだ。俺は枕をセットしてベッドへ横たわった。天井が見える。普通の天井だ。割れていない。穴もない。平和な天井。
「ゼータ」
「なに」
「せめて電気消してくれ」
ゼータが立ち上がり部屋の照明を消した。暗闇の中で獣の目が淡く光った気がしたが、見間違いだろう。