ウマ娘。
それは、遠い世界を駆け抜けた魂を受け継ぎ、この地に生まれた少女たち。
彼女たちはターフの上で、走ることの意味を証明する。

UMA娘。
それは、なんだかよくわからん強さを誇る、ある種のバグみたいなウマ娘。
彼女たちはターフの上で、だいたい理屈を置き去りにする。

本書は、そうした個体を発見し、観測し、分類を試み、そのすべてに失敗した記録である。


※本作では、校正、文章の推敲、イラストの生成に生成AIを利用しています。
※登場するウマ娘はすべてオリジナルです。原作キャラクターは登場しません。
※一話完結の短編集です。各話に繋がりはありません。

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記録番号:001 アールジースピード

 

 脚質:分類不能

 得意距離:不明

 特徴:異常な加速力

 


 

 

 春の中山は、芝と土の匂いがした。

 陽を受けた緑の上を風が渡り、内ラチに沿ってさざ波を立てていく。スタンドでは色とりどりのタオルが揺れていた。幾万もの話し声が重なり、低い唸りとなって、足元のコンクリートまで震わせている。

 

 皐月賞。

 最も速いウマ娘が勝つ、と言われるレース。

 

 十八人が、その称号を取りに来ていた。

 冬の朝に凍えた指も、何度も見返した映像も、トレーナーとすり合わせてきた勝負の位置も。すべてを二千メートルへ持ち込んで、たった一人が最初にゴールする。

 

 最後のゲートが閉まった。

 歓声が細くなる。

 

 柵の内側で、靴底が芝を噛んだ。

 誰かが握り込んだ手を一度だけ開いた。誰かが唇を湿らせた。前傾したまま微動だにしない影もある。

 吐いた息が、戻ってくるまでが長い。

 

「……待つってのは、どうにも慣れねぇな」

 

 一つのゲートから声がした。

 明るい栗毛。前髪を横切る白が一条、高く束ねた尾にもう一条。腰より下まで届くその束が、風を待つように揺れている。

 頬の脇に落ちた房の上で、ウマ耳が前へ向いた。

 こめかみへ向かって鋭く跳ね上がった赤紫のレンズに、まだ閉じた扉が映っている。

 

「開いちまえば、こっちのもんなんだがね」

 

 口の端が上がった、その瞬間。

 

 ガシャンッ!

 

 扉が跳ねた。

 十八人の脚が、いっせいに地面を蹴り抜いた。

 

「スタートしました!」

 

 短く刈られた緑の粒が散る。削られた芝が宙で裏返る。

 足音が足音を追い、重なり、腹に響くひと続きの轟きになった。スタンドから押し寄せる歓声を肩で割って、ウマ娘たちは最初の坂へ駆け上がっていく。

 

 外から一人が前へ出た。内側の一人も譲らない。

 肩が並ぶ。そのすぐ後ろへ別の影が潜り込み、狭くなった進路を嫌った少女が半歩外へ持ち出した。

 わずかな位置の違いで、浴びる風が変わる。前の背中を使えば呼吸が楽になる。近づきすぎれば、自分の脚を伸ばす場所がなくなる。

 

 濃紺の勝負服を着た鹿毛のウマ娘は、三番手を確保すると奥歯の力を抜いた。

 前の二人は競っている。つられるな。肩を下げろ。

 トレーナーと決めた言葉を胸の中で繰り返し、先頭の靴裏を見つめる。

 まだ長い。勝負は向こう正面から。

 

 その三人ほど後ろで、妙に軽い笑い声がした。

 

「いいねぇ。ずらっと五人!」

 

 アールジースピードは六番手にいた。

 青紫と白の勝負服は、どこかのSFアニメに出てくる軍服に似ていた。二列に並んだ飾りボタン。金の留め具のついた黒いベルト。二つに割れた長い裾が翻るたび、赤紫色のブーツが陽光を弾く。

 勝負服の下は黒の短いスパッツ。剥き出しの腿に、金の徽章がひとつ。

 膝の下までを覆う金属は、幾重にも重ねた装甲板でできていた。踝の外側で鈍く光る円筒。脛の前に並んだ二つの小窓が、踏み込むたびに琥珀色を点す。後方へ伸びた鋭いフィン。

 芝を走るには場違いなほど硬質な装いだった。

 なのに接地は軽い。装甲の重さに引かれる気配がない。

 

「現在六番手につけているのはアールジースピード! このウマ娘の脚質は『分類不能』! しかしその速さは本物だ!」

「分類不能、ですか……?」

 

 解説席が手元の資料をめくる音を、マイクが拾った。

 

「本人に聞いたところ、『前にいりゃ抜く。いなけりゃ先へ行く』とのことでして」

「……なるほど」

 

 実況の相槌が返るまでに、一瞬の間があった。

 

 第一コーナー。バ群が細く伸びていく。

 アールジースピードのレンズを、ラチの白が斜めに流れた。身体を傾けると、ブーツの底から脚の付け根まで荷重が通る。馬場を捉えた足を離す、その寸前の手応えが心地よい。

 目の前には、まだ五つの背中がある。

 

「位置取り結構、駆け引き上等。そいつを全部こなして、そのうえ速けりゃ勝つだろうさ。」

 

 第二コーナーの出口が開く。

 前の少女が内へ寄った。外側に、誰の脚も届かない緑の帯ができた。

 そこへ一歩、持ち出す。

 

「だがなぁ、前が空いたんだぜ?」

 

 右のブーツが鳴った。

 キィン、と細く澄んだ音。

 装甲の継ぎ目を、紫の光が走った。

 

「眺めてるだけじゃ、もったいねぇだろうが! 前がある。道がある。その先がまだ空いてる!」

 

 腰が沈む。

 足裏に集まった圧が、踵から爪先へ抜ける。

 

「まずは一段目だ。風に置いてかれんなよ!」

 

「疾風の、ファースト・ブリット!」

 

 踏み抜いた。

 地面が後方へ跳ね飛んだ。

 

 隣のウマ娘は、頬に叩きつけられた風に目を細めた。

 青紫の袖が見えた。白い裾が見えた。真後ろへ伸びた栗毛の束が見えた。

 そのどれも、次の瞬きには前にあった。

 慌てて踏み込む。だが、追いかけようとした肩はもう遠い。

 

 アールジースピードの視界で、五つの背中がほどけていく。

 ひとつ。ふたつ。

 靴底を振り上げた脚。汗を浮かべた横顔。食いしばった歯。

 それらが左右を流れるたび、身体にまとわりついていた風の乱れが一枚ずつ剥がれた。

 

「アールジースピードが外から進出! 四番手、三番手――速い、もう二番手です!」

 

 先頭のウマ娘が腕を強く引いた。

 その脇へ、赤紫の光が差す。

 

「お先に!」

 

 短い声と一緒に、栗毛が前へ抜けた。

 先頭が替わる。

 追う少女の一歩が着地する間に、白い裾はさらに遠ざかった。

 

 一バ身。

 二バ身。

 三バ身。

 四バ身。

 五バ身。

 

 そこで、差が止まった。

 

「アールジースピード、一気に先頭! リードはおよそ五バ身!」

 

 スタンドのあちこちで腰が浮いた。

 向こう正面に、五バ身ぶんの芝がぽっかりと空いている。

 抜き去られた少女たちの足音は、そこでひとつの塊になった。

 

 飛ばしすぎだ。

 バ群の中で、誰もがそう思った。あの位置からあの脚では保たない。まだ千メートル以上ある。

 届く。坂が来る前に、必ず。

 

 鹿毛のウマ娘は、その空白を見た。

 胸に熱いものが突き上げる。いますぐ脚を伸ばして、あの背中を引き戻したい。

 だが、喉まで上がった息を押し返した。

 

 ここで乱れたら、向こうの思うままだ。

 

 前の二人が左右に分かれる。間に道ができた。

 彼女は自分の呼吸を保ったまま、その道へ踏み込んだ。

 追わないのではない。追いつくための走りをする。

 

 先頭では、アールジースピードの勝負服が乾いた音を立てていた。

 ぱたぱたという軽い音は消え、引き絞られた布が、ばたん、ばたんと背中を打つ。

 高く結った栗毛は、背の後ろで一本の帯になって水平に伸びていた。

 風がレンズの縁へ潜り込む。頬の汗が横へ千切れる。吸い込む空気が胸の奥で冷たく、吐き出すときには熱い。

 

「ああ、いい!」

 

 脚を送る。地面を捉える。

 足首、膝、腰。一本に繋がった力が、次の一歩で身体を前へ押し出す。

 

「こうでなくちゃなぁ!」

 

 ラチの支柱が等間隔の白い瞬きになる。

 正面の景色だけがくっきりと残り、左右の緑は長く引き延ばされていく。

 ひと息前に見えていた地点が、もう足の下にある。

 それが嬉しくてたまらない。

 

 残り八百メートル。

 

 鹿毛のウマ娘は二番手へ出た。

 前は五バ身。大きい。だが、届かない距離ではない。

 ここまで守った呼吸を解く。深く吸い、腕を振る。腿の奥で温めていた力が、踏み出すたびにほどけていった。

 背後でも足音が変わった。外へ出た少女の影が、芝の上で自分の影に重なる。

 全員、ここを待っていた。

 

「後続が動いた! 先頭との差を詰めにかかります!」

 

 五バ身が、四バ身半になる。

 白い裾が大きくなる。

 鹿毛の少女は、息を吐く勢いで笑いそうになった。

 

 行ける。

 

 前の足音を捕まえた。金属を打つ、奇妙な高い響き。その一打と次の一打の間へ、自分の靴音を叩き込む。

 四バ身。

 もうひとつ、詰める。

 

 アールジースピードのウマ耳が動いた。

 風の底で、足音が厚くなっている。

 

「来た来た来た! いい足音じゃねぇか!」

 

 三バ身。

 さっきより近い。

 その事実に、彼女は笑った。

 

「そうだ! それだよ! 追ってこい! 食らいついてこい!」

 

 右脚を引きつける。

 ブーツの紫光が一本から二本へ増え、両脚を繋いだ。

 

「お前らが速ぇなら――俺はもっと速くなれる!」

 

 一歩ぶん、身体が沈む。

 

「もっと速く! 速さの先へ!」

 

「迅雷の――セカンド・ブリットォ!!」

 

 バチンッ!

 

 空気を平手で叩いたような破裂音がした。

 鹿毛のウマ娘の瞳に、爪先から走る紫電が焼きつく。

 

 近づいていた背中が、止まった。

 違う。自分との距離が変わらなくなったのだ。

 歯を食いしばってもう一度踏む。脇腹がきつい。腿が熱い。それでも、さっきより速く脚は回っている。

 

 なのに、背中が小さくなる。

 

 四バ身。

 五バ身。

 六バ身。

 

 靴音が、また遠い。

 

「アールジースピード、再加速! 差が開く! 追い上げた後続を、もう一度突き放していきます!」

 

 第三コーナーから第四コーナーへ。

 アールジースピードの身体が、深く内側へ傾いた。

 外へ膨らもうとする重さが腰へかかる。踏み下ろしたブーツが芝を噛み、土の塊を後ろへ弾く。脛が震えるほどの反力を受け止め、次の足を、曲線のさらに先へ置く。

 フィンの先で光が尾を引いた。

 白いラチが弧を描いて飛び去り、その向こうからスタンドがせり出してくる。

 

 ざわめきが、声になる。

 声が、壁になる。

 

「先頭アールジースピード! 最後の直線へ! 後続とは六バ身!」

 

 視界が開けた。

 ゴール板。その手前に、坂。

 

 アールジースピードは唇についた汗を舐めた。しょっぱい。息を吸えば肋骨が広がり、足裏から突き上げる熱が腹の底へ届く。

 全身が走っていた。

 脚だけでは足りない。腕も、背も、噛み締めた歯の根まで、一歩先へ行きたがっている。

 

「さぁて、坂まで出迎えか!」

 

 後ろから、懸命な靴音が続く。

 鹿毛のウマ娘は内を回り、直線へ飛び出していた。その背後からさらに二人が伸びてくる。外を回った一人も、追い比べをやめて前だけを見ていた。

 誰も二着を見ていなかった。

 脚を残している者はいない。全員が、ここで使い切りにきている。

 先頭の青紫だけを睨んで、腕を振る。

 

 ここまで走った脚だ。

 坂に入れば、変わる。

 一歩でも鈍れば、その一歩を奪いにいく。

 

 アールジースピードの爪先が、上りを踏んだ。

 重力が胸へ乗る。腿の前側が強く張る。

 その手応えに、彼女は笑った。

 

「上等! 地面が上向いたんなら、そこまで蹴って上がるだけだ!」

 

 ブーツが沈む。

 上りを押し返す。

 肩から腰までを前へ運び、足裏の圧を、余さず次へ繋ぐ。

 

 誰へともなく、声に出して問う。

 

「ゴールが見えたら、あとでいい? 勝てそうだから、このへんでいい?」

 

 一歩。

 

「冗談じゃねぇ」

 

 また一歩。

 ブーツの紫光が、これまでより強くなる。

 

「前に道が残ってる」

 

 右脚。

 

「脚も動く」

 

 左脚。

 

「息もまだある」

 

 肩を振る。

 

「だったら――」

 

 サングラスの奥で、瞳が見開かれた。

 

「まだ速くなれるってことだろうがッ!!」

 

 光が両脚から腰へ駆け上がる。

 

 残り二百メートル。

 

「ペース配分だぁ? 脚を余らせて、何が楽しいってんだ!」

 

 一歩。

 

「残しても速くならねぇ! 余らせても誰も褒めねぇ!」

 

 右を踏み抜く。

 

「もっとだ、もっと、もっとォ!!」

 

 左を送り込む。

 

「全部、燃やし尽くせェッ!!」

 

「神速のぉーー、ファイナル・ブリットォォォオ!!!」

 

 その瞬間。

 

 鹿毛のウマ娘は、自分の目を疑った。

 

 アールジースピードの脚を包んでいた赤紫の装甲が、膝を越えた。

 腰へ。

 胸へ。

 肩へ。

 

 流線形の装甲が一瞬のうちに全身を覆い、背中から鋭い光の輪郭が伸びる。

 

 人の姿をした、赤紫の閃光。

 

 ――そう見えた。

 

 瞬きをする。

 

 そこには、いつもの青紫と白の勝負服を着たアールジースピードがいる。

 全身を覆う装甲など、どこにもない。

 

 ただ。

 

 さっきまでより、遥かに遠い。

 

 スタンドの最前列で、一人の観客が立ち上がりかけて止まった。

 隣の席の誰かが、同じ格好で固まっている。

 目で追っているはずなのに、紫の光が視線の先へ抜けていた。慌てて追い直したときには、もう次の支柱を通り過ぎている。

 

「アールジースピード――いま、何が」

 

 実況の声が、そこで途切れた。

 

 鹿毛のウマ娘は、吸おうとした息を喉で引っかけた。

 それでも腕を振った。胸を突き出し、焦げつくような腿を上げた。

 前がどう走ろうと、自分のゴールはまだ先だ。

 

 残り百メートル。

 

「アールジースピード! 坂でも加速! まだ伸びる――もう、何バ身あるのか分かりません!」

 

 アールジースピードは、後ろを見なかった。

 見るものが前にしかない。

 次の一歩。ゴール板。そのさらに先。

 

 耳を押す風。胸で鳴る鼓動。靴底が地面を離れる一瞬の軽さ。

 ゴール板が近づいてくるのではない。

 自分が、そこまでの距離を食い尽くしていく。

 

「まだ一歩――!」

 

 踏む。

 

「もう一歩ッ!」

 

 さらに踏む。

 ゴール板が視界の端へ滑り、白い線が足元へ飛び込んだ。

 

 アールジースピードは、その向こうまで蹴り抜いた。

 

「一着、アールジースピード! 皐月賞を制しました!」

 

 声が追ってきた。

 彼女は走っていた。

 ゴールを抜けた勢いのまま、真後ろへ伸びた栗毛と、白い裾と、紫電が先へ流れていく。

 

 ずいぶん経ってから、空いたコースへ濃紺が飛び込んだ。

 そのすぐ後ろを二人が駆け抜ける。続いて、また一人。

 最後まで走り切った少女たちの荒い息が、風の中に残った。

 

 やがて掲示された着差は、大差。

 走破時計は、レコード。

 

 表示を見上げていた観客が、隣の肩を叩いた。叩かれた側も同じ数字を指差していた。

 言葉にならない声が重なり、中山のスタンドがもう一度、沸き返った。

 

 

     *

 

 

 走り終え、たっぷり流してから戻ってきたアールジースピードは、着順掲示板の前でサングラスを持ち上げた。

 ブーツから、小さな紫の火花がひとつ消えた。

 

「ふぅ、また世界を縮めちまったぜ」

 

 汗を拭っていた鹿毛のウマ娘が、手を止めた。

 

「……縮んでないから」

「そうかい? 走り出したら、ずいぶん手狭になっちまったぜ」

「あなたが速いの」

「おっ、嬉しいこと言ってくれるねぇ!」

 

 アールジースピードは嬉しそうに指を鳴らした。

 鹿毛の少女は返事の代わりに深く息を吐き、それから、まだ熱の残る脚を見下ろした。

 

「向こう正面では、届くと思った」

「来てたなぁ。いい音がしてた」

「聞こえてたの?」

「あれだけ踏んでりゃな!」

 

 鹿毛のウマ娘は、そこで少しだけ言い淀んだ。

 タオルを握る手に、力がこもる。

 

「……ねえ。何だったの、さっきの」

「あん?」

「坂の途中。あなたの身体が、全部――」

 

 うまく言葉にならず、彼女は自分の肩から腰のあたりを手でなぞった。

 アールジースピードはその手つきをしばらく眺め、それから、あっさり首を傾げた。

 

「知らねぇよ。俺はただ速く走ってただけだぜ?」

 

 嘘をついている顔ではなかった。

 鹿毛の少女は口を開きかけ、結局、閉じた。

 

「次も来いよ。俺も今日より先へ行くからさ」

 

 鹿毛のウマ娘は少し黙った。

 やがてタオルを握り直し、小さく頷いた。

 

「……次は、勝つ」

「おう、待ってるぜ!」

 

 そこへ、マイクを手にしたインタビュアーが近づいた。

 皐月賞制覇を祝う言葉に、アールジースピードは片手を上げる。だが、レコードについて触れられると、眉を寄せてターフビジョンを見上げた。

 

「ううむ」

「ご自身でも驚くほどのタイムだった、ということでしょうか?」

「もう過去になっちまった」

「はい?」

「あの数字さ。ゴールした途端に追い抜く相手へ早変わりだ。忙しいねぇ、まったく!」

 

 心底楽しそうだった。

 

「最後の坂で、さらに加速されました。あれだけのリードがあっても、脚を緩めるお考えはなかったんですね」

「前にゴールがあったろ?」

「はい」

「なら早く着く。話はそれからだ!」

 

「二着との差は大差でした。順位としては、もう――」

「速さってのは順位じゃねぇ」

 

 アールジースピードは指を一本立てた。

 

「次の一歩を、さっきの一歩より先へ出すことだ。できてりゃ速くなってる。できてなきゃ遅くなってる。簡単だろ?」

 

 インタビュアーは一度口を閉じ、手元の質問用紙を見た。

 

「では、二千メートルという距離については――」

「長いなら速く走る! 早く着けば走ってる時間も短い! 実に具合がいいじゃねぇか!」

 

 用意していたペース配分の質問は、読み上げられなかった。

 

 

     *

 

 

 後日、アールジースピードの脚部装備について、追加の検査が実施された。

 出走前の検査でも問題は見つかっていない。

 それでも改めて調べることになったのは、あの映像を見た関係者の視線が、例外なくブーツへ集まったからである。

 

 モーターなし。

 推進装置なし。

 圧縮空気機構なし。

 電動補助機構なし。

 

 左右のブーツが検査台に並んだ。

 踝の円筒は、ただの中空だった。軸も羽根も入っていない。

 脛の前の小窓は、走行中の映像では琥珀色に光っている。台の上では、透明な樹脂でしかなかった。発光素子はない。配線もない。

 電源に相当するものはない。光源もない。

 調査員が装甲を軽く叩くと、こつ、と控えめな音がした。

 録音されたレース中の響きとは、まるで違っていた。

 

「走行時に鳴っていた音は、どこから出ているんですか?」

「足元だな」

「場所ではなく、仕組みを伺っています」

「踏むと鳴る」

「こちらで踏んでも鳴りませんが」

「もっと速く踏んだらどうだ?」

 

 調査員はペンを置いた。

 

 協議の結果、市販のトレーニングシューズを使用し、比較計測を行うことになった。

 アールジースピードは渡された靴を持ち上げ、底を見て、甲を見て、露骨に口を曲げた。

 

「こいつで?」

「装備による影響を切り分けます」

「見た目の速さがだいぶ違うぜ」

「見た目は今回の計測対象ではありません」

「そこを外すかねぇ!」

 

 不服そうではあったが、履いた。

 走った。

 

 記録に、有意な変化はなかった。

 

 調査員たちは、計測器と、検査台に置かれたままのブーツとを交互に見た。

 アールジースピードは戻ってくるなり、両手を広げた。

 

「ほらな! 走ってんのは俺なんだ。靴だけ置いといても、ゴールしやしねぇよ!」

 

 その点について、異論は出なかった。

 

 


 

 追記記録

 

 

【挿絵表示】

 

 

 対象:アールジースピード

 脚質:分類不能

 得意距離:不明

 勝負服:青紫と白を基調とした軍服型

 脚部装備:赤紫色の金属質ブーツ

 特記事項:走行中、段階的な加速に伴う紫色の発光と金属音を確認。

  脚部装備の発光部に、発光素子は存在しない。

  装備から競走能力を補助する機構は発見されず。

  一般的なシューズによる比較計測でも、異常な加速力を確認。

 

 謎の現象の暫定呼称:PHOTON BLITZ

 

 終盤の最高速度域において確認。

 発動時、複数の出走者および観客から、以下の証言を得た。

 

 「全身が赤紫色の装甲に覆われた」

 「背中から光の翼のようなものが伸びた」

 「脚部装備が全身へ広がった」

 「後ろで、巨大な推進器のようなものが開いた」

 

 レース映像をフレーム単位で確認したところ、対象の勝負服および脚部装備に外見上の変化は認められなかった。

 また、証言内容には細部の不一致がある。

 発光現象との関連を含め、原因は不明。

 

 なお、走法の分類について改めて本人に説明を求めたところ、以下の回答を得た。

 

「走り方? 足を出す。次の足を出す。その次をもっと早く出す! さぁ、説明は済んだな。走ってきていいか?」

 

 回答を書き留めている間に、対象はコースへ戻っていた。

 

 調査を継続する。




いかがだったでしょうか?
今回はクーガー兄貴こと、ストレイト・クーガーを元ネタにしたUMA娘でした。
色々としっかり表現できてるか不安ですが、楽しんでもらえてたら嬉しいです。

こんな感じで、ふと思いついたネタを短編として不定期に書く予定ですので、もしよろしければまた読みに来てくれたら嬉しいです。

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