無個性信仰   作:ケーケーケー

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第六話 合格は赦しではない

 

雄英高校の入学試験から三日。

 

緑谷家の郵便受けには、いつもの何倍もの手紙が届いていた。

 

入試の結果を祝うもの。

 

無謀な行動を非難するもの。

 

出久の勇気に救われたと綴るもの。

 

ヒーローになることをやめるよう懇願するもの。

 

そして、原典者を危険へ晒した雄英高校に「神罰を下す」と記された脅迫状。

 

保護局による検査が終わるまで、手紙が出久本人へ渡されることはない。

 

それでも、世間が再び自分を巡って騒いでいることは、家の外を見れば分かった。

 

住宅街の入口には報道陣が集まっている。

 

そのさらに外側では、白い服をまとった信奉者たちが祈りを捧げていた。

 

掲げられた横断幕には、大きな文字が記されている。

 

『原典を戦場へ送るな』

 

彼らは出久を心配している。

 

出久の命を守ろうとしている。

 

けれど、彼らの誰一人として、出久が何を望んでいるのかを聞こうとはしなかった。

 

「……結果、まだ来ないね」

 

居間のテーブルに向かいながら、出久は呟いた。

 

試験から三日しか経っていない。

 

通常ならば、合格発表まで一週間ほどかかる。

 

頭では分かっている。

 

それでも落ち着かなかった。

 

戦闘得点は十一点。

 

他の受験生と比べれば、あまりにも低い。

 

最後に麗日を助けたことも、得点にはならないと思っている。

 

出久は既に、普通科の受験案内を机の上へ置いていた。

 

ヒーロー科に落ちても、雄英へ入る道が完全になくなるわけではない。

 

普通科へ入学し、体育祭で結果を残せば、ヒーロー科へ編入できる可能性がある。

 

狭い道だ。

 

それでも諦めるつもりはなかった。

 

「出久」

 

引子が温かい飲み物を置いた。

 

「今日は少し休んだら?」

 

「でも、普通科の筆記試験対策を――」

 

「ずっと勉強してるでしょう」

 

「身体を動かす訓練が禁止されてるから、その分を勉強に使わないと」

 

入試で背中を痛めた出久には、一週間の運動禁止が言い渡されていた。

 

大きな怪我ではない。

 

それでも、無理をすれば治りが遅くなる。

 

以前の出久なら、隠れて訓練していたかもしれない。

 

今は医師の指示に従い、大人しく身体を休めている。

 

その代わり、机へ向かう時間が増えていた。

 

引子は息子の向かい側へ座った。

 

何かを言いかけ、口を閉じる。

 

その様子に、出久は気づいた。

 

「お母さん?」

 

「……何でもないわ」

 

「何かあるの?」

 

「本当に、何でも――」

 

引子の端末が震えた。

 

画面には、原典者保護局からの着信が表示されている。

 

引子の顔が強張った。

 

出久はそれを見逃さなかった。

 

「入試のこと?」

 

引子の肩が僅かに揺れる。

 

「違うわ」

 

「じゃあ、何?」

 

「出久は知らなくていいことよ」

 

その言葉に、胸が痛んだ。

 

知らなくていい。

 

心配しなくていい。

 

何も考えなくていい。

 

幼い頃から、何度も言われてきた。

 

「僕に関係することなら、知りたい」

 

「でも……」

 

「お願い、お母さん」

 

出久は真っ直ぐ母を見た。

 

「僕のことで何かが決められるなら、僕にも聞く権利があると思う」

 

引子は苦しそうに目を伏せた。

 

息子を守りたい。

 

けれど、守るという理由で何も伝えないことが、これまで出久を苦しめてきたのだと知っている。

 

長い沈黙の後、引子は端末をテーブルへ置いた。

 

「今日、原典者保護委員会の臨時会議があるの」

 

「臨時会議?」

 

「出久が雄英へ入学することを、認めるかどうか決めるための」

 

出久の頭から、音が消えた。

 

「……僕は落ちたんじゃないの?」

 

「まだ結果は聞いてないわ。でも、雄英から委員会へ入学許可の申請が出てる」

 

それが何を意味するのか。

 

理解するまでに、数秒かかった。

 

「合格、したの……?」

 

「分からない。でも、多分……」

 

喜びが込み上げる。

 

同時に、すぐさま不安がそれを押し潰した。

 

合格していても、入学できない。

 

試験で認められても、委員会が許さなければヒーロー科へ通えない。

 

「会議には、僕も出られるの?」

 

「委員会は保護者だけを呼んでるわ」

 

「どうして?」

 

「出久本人へ負担をかけないためだって」

 

また、それだった。

 

出久のため。

 

出久を守るため。

 

その言葉を使い、出久を話し合いの外へ追い出す。

 

「僕も行く」

 

「出久……」

 

「僕の学校のことだよ」

 

声が震えた。

 

怒鳴ったわけではない。

 

それでも、引子は息子がこれまでに見せたことのない表情をしていると感じた。

 

「僕の人生を決める話なのに、どうして僕だけが参加できないの?」

 

「……そうね」

 

引子は端末を取り、保護局からの電話へ出た。

 

「緑谷です。会議について、確認したいことがあります」

 

電話の向こうから説明が始まる。

 

引子は最後まで黙って聞いた。

 

そして、はっきり告げた。

 

「息子も出席させてください」

 

拒否する声が聞こえた。

 

「いいえ。本人が希望しています」

 

さらに説明が続く。

 

精神的な負担。

 

安全上の問題。

 

未成年者への配慮。

 

引子は一度、出久を見た。

 

「出久を参加させてもらえないなら、私も出席しません」

 

電話の向こうが静かになった。

 

「この子のいない場所で、この子の人生を決めることには協力できません」

 

 

同日の午後。

 

原典者保護委員会の庁舎周辺は、異様な緊張に包まれていた。

 

道路の片側には、出久の雄英入学へ反対する信奉者たち。

 

反対側には、本人の意思を尊重すべきだと訴える人権団体やヒーロー志望者たち。

 

その間を、大勢の警察官が隔てている。

 

『原典様を戦わせるな!』

 

『選ぶ権利を奪うな!』

 

互いの声がぶつかり合う。

 

どちらも出久について語っていた。

 

だが、出久自身の声は、まだどこにもなかった。

 

黒塗りの車が地下駐車場へ入る。

 

出久は母と共に車を降りた。

 

周囲には十人を超える保護官がいる。

 

その中に、泥のヴィラン事件で出久を守り、負傷した二人の姿もあった。

 

「もう復帰したんですか?」

 

出久が声をかけると、年長の保護官が頷いた。

 

「医師から許可を得ました」

 

「身体は、本当に大丈夫ですか?」

 

「はい」

 

保護官は一瞬迷った後、僅かに笑った。

 

「緑谷様こそ、ご無事で何よりです」

 

「出久でいいです」

 

「それは規則上――」

 

「二人には、そう呼んでほしいです」

 

保護官の表情が止まる。

 

命令として受け取るべきか。

 

個人的な願いとして受け取るべきか。

 

迷っているのが分かった。

 

「……努力します」

 

ぎこちない返事だった。

 

それでも出久は嬉しかった。

 

「はい。お願いします」

 

会議室へ入ると、以前と同じ十二人の委員が待っていた。

 

根津。

 

オールマイト。

 

相澤。

 

雄英側の顧問弁護士。

 

さらに、警察と厚生労働省の関係者も同席している。

 

これまでの会議とは比較にならない規模だった。

 

出久の姿を見た委員たちの間に動揺が走る。

 

「本人の出席は許可していないはずですが」

 

委員長が告げる。

 

「私が連れてきました」

 

引子が答えた。

 

「この子に関する話を、この子抜きで進めたくありません」

 

「未成年者にとって、負担の大きい内容が含まれます」

 

「それを理由に、何も知らせないつもりですか?」

 

委員長は黙った。

 

出久は母の隣へ座る。

 

前回とは違う。

 

今日は、入学の機会を与えてもらうために頭を下げに来たのではない。

 

自分の人生を、自分で選ぶために来た。

 

「会議を始めます」

 

委員長の声が響いた。

 

「まず、雄英高校から提出された入学試験の結果を確認します」

 

大型画面に、出久の得点が表示される。

 

戦闘得点、十一。

 

救助点、六十七。

 

総合得点、七十八。

 

出久は目を見開いた。

 

「七十八……?」

 

戦闘得点以外に、救助点が存在していた。

 

怪我人を運んだこと。

 

危険を知らせたこと。

 

麗日を助けたこと。

 

点数を得るためではなく、必要だと思ってした行動。

 

その全てが評価されている。

 

「ヒーロー科一般入試の合格基準を満たしています」

 

根津が告げた。

 

「採点において、原典者であることは一切考慮していません」

 

「しかし、戦闘得点は僅か十一点です」

 

委員の一人が指摘した。

 

「ヒーローとして最低限の戦闘能力を有しているとは判断できません」

 

「雄英は戦闘員を育てる学校ではありません」

 

相澤が答える。

 

「人を救うヒーローを育てる学校です」

 

「ヴィランを制圧できなければ、人を守れない場面もあります」

 

「だから学ばせる」

 

相澤は椅子の背へ身体を預けた。

 

「完成した人間だけを入学させるなら、学校は必要ない」

 

別の委員が資料を持ち上げる。

 

「問題は能力だけではありません。緑谷氏はゼロポイント仮想敵から逃げず、他の受験生を救助しました。これは明確な危険行為です」

 

「助けなければ、彼女は負傷していました」

 

出久が言った。

 

委員の視線が向けられる。

 

「試験は安全に管理されています。教師による救助も予定されていました」

 

「でも、僕は知りませんでした」

 

「知る必要はありません。受験生には、危険から逃げることが求められていました」

 

「逃げていたら、間に合わないと思いました」

 

「結果的に、あなた自身も負傷した」

 

「軽い怪我です」

 

「今回は、です」

 

委員の声が厳しくなる。

 

「泥のヴィラン事件でも、あなたは制止を振り切りました。今回も同じです。あなたには、自身の安全より他者を優先する傾向がある」

 

「それは、ヒーロー全員に言えることでは?」

 

オールマイトが問いかけた。

 

「彼はヒーローではありません。保護対象者です」

 

その一言で、空気が冷えた。

 

出久は膝の上で拳を握った。

 

どれだけ訓練しても。

 

試験へ合格しても。

 

誰かを助けても。

 

彼らの中では、自分は保護される存在でしかない。

 

「委員会の見解を申し上げます」

 

委員長が書類を開く。

 

「緑谷出久氏は、ヒーローとして優れた精神性を有しています。しかし、身体能力および戦闘能力が不足しており、その社会的価値ゆえに、本人の負傷が及ぼす影響も一般生徒とは比較になりません」

 

出久の隣で、引子の手が震えている。

 

「よって委員会は、雄英高校ヒーロー科への入学を認めず、普通科への特別入学を推奨します」

 

分かっていた。

 

そうなる可能性は考えていた。

 

それでも、実際に告げられると息ができなくなった。

 

十か月。

 

毎朝、暗いうちから起きた。

 

重いごみを運んだ。

 

何度も転んだ。

 

吐いた。

 

身体中に痣を作った。

 

助けて、生きて帰る方法を学んだ。

 

そして試験へ合格した。

 

それでも駄目だった。

 

「おかしいだろ」

 

会議室の後方から声がした。

 

全員が振り返る。

 

扉の近くに、爆豪が立っていた。

 

「かっちゃん!?」

 

「なぜ彼がここに?」

 

委員長が保護官を見る。

 

「雄英高校側の参考人として呼んだのは私です」

 

根津が答えた。

 

「彼は緑谷君と同じ中学校へ通い、同じ入試を受けています。能力面を判断する上で、同世代からの意見も必要でしょう」

 

爆豪は出久の隣へ歩いてきた。

 

委員たちへ頭を下げることも、祈ることもしない。

 

「こいつは試験に受かったんだろ」

 

「基準上はそうです」

 

「なら入学だ」

 

「原典者の安全は、通常の基準だけでは判断できません」

 

「じゃあ最初から試験なんか受けさせんな」

 

爆豪の声に怒りが滲む。

 

「十か月やらせて、試験まで受けさせて、受かったら危険だから駄目? ふざけてんのか」

 

「爆豪君、言葉を慎みなさい」

 

「うるせえ」

 

掌から火花が散った。

 

保護官たちが身構える。

 

出久は爆豪の袖を掴んだ。

 

「かっちゃん、爆発は駄目だよ」

 

「出してねえ!」

 

「火花が出てるよ」

 

「これは体質だ!」

 

「会議中だから静かにしよう」

 

「誰のために言ってると思ってんだ!」

 

いつものやり取り。

 

場違いなほど普通の会話だった。

 

委員たちは呆気に取られている。

 

爆豪は出久の手を振り払い、再び彼らを睨んだ。

 

「こいつが弱ぇのは知ってる」

 

出久の肩が落ちた。

 

「個性もねえ。俺より遅ぇし、火力もねえ。正面からやったら、俺が百回勝つ」

 

「そこまで言わなくても……」

 

「黙ってろ」

 

爆豪は続ける。

 

「でも、試験中に怪我した奴を一番見つけてたのはこいつだ。敵の動きを見て、他の受験生に指示も出してた。デカい奴が出た時も、全員が逃げてんのに一人で戻った」

 

「それこそが、問題なのです」

 

「違ぇ」

 

爆豪が断言した。

 

「問題なのは、戻ったこいつを助けられねえ奴らだろ」

 

オールマイトの目が僅かに開かれる。

 

「こいつが弱いなら、強くすりゃいい。戦えねえなら、戦い方を教えりゃいい。学校ってのは、そのためにあるんじゃねえのか」

 

爆豪は出久を見た。

 

「それでも使えねえなら、俺が先に行く。こいつが追いつくまで、全部ぶっ飛ばす」

 

「かっちゃん……」

 

「勘違いすんな。てめぇを守るっつってんじゃねえ」

 

爆豪はすぐに顔を逸らした。

 

「俺の後ろで勝手に助けろ。そんだけだ」

 

相変わらず、不器用な言い方だった。

 

けれど、出久には伝わった。

 

爆豪は出久を庇護対象として見ていない。

 

足手まといになるなら置いていく。

 

追いつけないなら先へ行く。

 

それでも、同じ場所へ来ることだけは認めている。

 

それは出久がずっと欲しかった、対等さだった。

 

「爆豪君の意見は理解しました」

 

委員長は出久へ視線を戻す。

 

「しかし、委員会の判断は変わりません」

 

「では、法的な話をしましょう」

 

雄英側の弁護士が立ち上がった。

 

机の上に、分厚い資料を置く。

 

「原典者保護法の目的は、原典者の生命、身体および自己決定権を守ることです」

 

「承知しています」

 

「緑谷出久氏は、一般入試を正規に受験し、合格基準を満たした。にもかかわらず、原典者であることを理由に入学を拒否する。これは保護ではなく、教育を受ける権利および職業選択の自由に対する制限です」

 

「生命保護のために必要な制限です」

 

「必要性が証明されていません。雄英高校は警備計画、医療体制、個別訓練計画を提出している。一般生徒以上の安全措置が講じられます」

 

弁護士は一枚の書類を取り出した。

 

「入学拒否が決定された場合、緑谷氏本人および雄英高校は、処分の取り消しを求めて行政訴訟を提起します」

 

出久が驚いて根津を見る。

 

「訴訟……?」

 

「君の許可なく始めるつもりはありませんでした」

 

根津は穏やかに答えた。

 

「ですが、戦う準備はしてあります」

 

委員たちの間に動揺が広がる。

 

原典者保護委員会が、守るべき原典者本人から訴えられる。

 

それは組織の根幹を揺るがす事態だった。

 

「君は、そこまでしてヒーロー科へ入りたいのですか?」

 

委員長が尋ねた。

 

出久はすぐには答えなかった。

 

母を見る。

 

不安そうだった。

 

オールマイトを見る。

 

静かに頷いた。

 

相澤は何も言わない。

 

爆豪は苛立った顔で待っている。

 

そして出久は、十二人の委員へ向き直った。

 

「はい」

 

震えのない声だった。

 

「入りたいです」

 

「ヒーロー活動によって、命を失うかもしれません」

 

「分かっています」

 

「あなたが傷つけば、社会は混乱します」

 

「それも分かっています」

 

「それでも?」

 

「僕が何もしなくても、僕を巡って社会は混乱しています」

 

庁舎の外。

 

出久を守ろうとする者と、自由を認めようとする者が争っている。

 

出久が家に閉じこもっても、彼らは勝手に意味を作り、勝手に対立する。

 

「僕を閉じ込めても、問題はなくなりません」

 

出久は自分の胸へ手を置いた。

 

「僕は原典者です。そのことを捨てるつもりはありません。無個性のままでいいと思っています」

 

個性を持つことを望んでいないわけではなかった。

 

幼い頃、何度も夢を見た。

 

自分にも力が発現する夢。

 

オールマイトのように空を飛び、強大な敵を倒す夢。

 

けれど今は、この身体でどこまで行けるのかを確かめたいと思っている。

 

「祀られることも、完全にはなくならないと思います」

 

人々の信仰を、一人で消すことはできない。

 

無理に否定すれば、かえって反発を生む。

 

「でも、祀られているからって、僕が人間じゃなくなるわけじゃありません」

 

委員長の瞳が揺れた。

 

「怖いです。怪我もしたくありません。死にたくもありません。お母さんを悲しませたくありません」

 

出久は母の手を握った。

 

「それでも、目の前で誰かが苦しんでいたら、助けられる人になりたいです」

 

格好のよい言葉だけではない。

 

怖い。

 

逃げたい。

 

自分には無理だと思う。

 

それでも、一歩を踏み出せるようになりたい。

 

「僕は、ヒーロー科の試験に合格しました」

 

出久は初めて、自分からその事実を口にした。

 

「それでも入学できないと言うなら、僕は委員会と争います」

 

それは原典者の託宣ではない。

 

神の命令でもない。

 

緑谷出久という一人の少年による、意思表示だった。

 

委員長は目を閉じた。

 

長い沈黙の後、他の委員たちへ告げる。

 

「採決を行います」

 

十二人が、一人ずつ投票用の端末へ手を伸ばした。

 

結果が画面に表示される。

 

入学反対、五。

 

条件付き入学賛成、七。

 

出久は、すぐには意味を理解できなかった。

 

「過半数により決定します」

 

委員長が告げる。

 

「緑谷出久氏の、雄英高校ヒーロー科への入学を認めます」

 

引子が息を呑んだ。

 

出久の目から涙が零れた。

 

「ただし、条件があります」

 

出久は慌てて顔を上げる。

 

「校内に原典者専属の医療班と警護班を配置すること。校外訓練および職場体験には、委員会の事前承認を必要とすること。健康状態に重大な問題が確認された場合、訓練を一時停止すること」

 

「はい」

 

「そして雄英高校は、緑谷氏を一般生徒と同等に評価しつつ、原典者としての安全を確保すること」

 

相反する要求だった。

 

特別扱いせず、特別に守る。

 

その矛盾を抱えながら進むしかない。

 

根津は微笑んだ。

 

「承知しました。難題ほど、教育者として腕が鳴ります」

 

委員長は最後に、出久を見た。

 

「我々は、あなたを失いたくありません」

 

「分かっています」

 

「あなたの自由を奪いたいわけでもない」

 

「はい」

 

「ですが、守ろうとするあまり、結果として奪っていたのかもしれません」

 

委員長は僅かに頭を下げた。

 

神へ向ける礼ではなかった。

 

自分たちが傷つけてきた、一人の少年への謝罪だった。

 

「必ず、生きて帰ってください」

 

出久も頭を下げる。

 

「そのために、雄英で学びます」

 

 

会議から二日後。

 

緑谷家へ、雄英高校から一通の封筒が届いた。

 

出久は震える手で封を開く。

 

中から小さな円盤が転がり、テーブルの上で光を放った。

 

『私が映像でやって来た!』

 

立体映像のオールマイトが現れる。

 

引子が驚き、出久は両手で口を覆った。

 

『緑谷出久少年。君の入試結果を発表しよう!』

 

映像の中で、出久が仮想敵を誘導している。

 

瓦礫を利用し、三ポイントの仮想敵を倒す。

 

怪我をした受験生へ肩を貸す。

 

消火器を持って炎の中へ向かう。

 

そして、ゼロポイントから麗日を救い出す。

 

自分では必死だった。

 

周囲を見る余裕などなかった。

 

だが映像で見ると、確かに自分は動いている。

 

誰かを助けるために。

 

『君の戦闘得点は十一点!』

 

オールマイトの声が一度落ち着く。

 

『正直に言えば、ヒーロー科受験者としては高い得点ではない』

 

出久の肩が少し落ちる。

 

『しかし!』

 

映像が切り替わる。

 

助けられた受験生たちの姿が映った。

 

硬化の少年。

 

足を捻った少年。

 

避難経路を教えられた少女。

 

そして麗日。

 

『雄英は、敵を倒した者だけを評価する学校ではない!』

 

画面に数字が表示される。

 

救助点、六十七。

 

『君は、誰に知られることもなく、見返りを求めることもなく、多くの受験生へ手を伸ばした!』

 

オールマイトが画面の向こうから手を差し出す。

 

『緑谷出久少年!』

 

出久の目から涙が溢れる。

 

『雄英高校ヒーロー科――合格だ!』

 

引子が泣きながら息子を抱き締めた。

 

「よかった……出久、本当によかった……!」

 

「うん……!」

 

十か月前。

 

ヒーローになりたいと書いただけで、教室中から恐れられた。

 

守られるだけの人間でいろと言われた。

 

試験を受けることすら許されなかった。

 

それでも、ここまで来た。

 

『ようこそ、ヒーローアカデミアへ!』

 

オールマイトの声が、部屋いっぱいに響いた。

 

 

春。

 

桜の花が咲く頃。

 

出久は雄英高校の制服に袖を通した。

 

鏡に映る自分の胸元には、これまでの学校と同じく原典者を示す徽章がある。

 

だが、その隣には雄英高校の校章が付けられていた。

 

保護対象者の証だけではない。

 

ヒーロー科の生徒である証。

 

「似合ってるわ」

 

引子が目元を押さえながら言った。

 

「ありがとう」

 

玄関の外では、護衛車両が待っている。

 

雄英高校までは保護官と共に移動する。

 

校内にも専属の警護班が配置される。

 

完全に普通の高校生活を送ることはできない。

 

それでも出久は、以前とは違う気持ちで車へ乗った。

 

守られながらでも、前へ進める。

 

雄英高校へ到着すると、校門前には大勢の報道陣が集まっていた。

 

原典者がヒーロー科へ入学する。

 

歴史上初めての出来事として、国内外から注目されている。

 

保護官に囲まれながら校門を通り、出久は校舎へ向かった。

 

一年A組。

 

巨大な扉の前へ立つ。

 

「大きいな……いろんな体格の人がいるからかな」

 

呟きながら扉を開ける。

 

中では既に、二人の生徒が言い争っていた。

 

机に足を載せる爆豪。

 

それを注意する飯田。

 

「机に足をかけるな! 先輩方や製作者に申し訳ないと思わないのか!」

 

「思わねえよ。どこの中学だ、てめぇ」

 

「私立聡明中学出身、飯田天哉だ!」

 

「聡明? 坊ちゃんかよ。死ね」

 

「し、死ね!?」

 

出久が入ってきたことに、飯田が気づいた。

 

「君は、入試の時の!」

 

大股で近づいてくる。

 

出久は反射的に身構えた。

 

「緑谷出久君だったな。先日は失礼した!」

 

飯田は出久の前で深く頭を下げる。

 

クラス内の視線が一斉に集まった。

 

胸元の徽章に気づき、空気が変わる。

 

「あれ……原典者の?」

 

「本物?」

 

「同じクラスなのか?」

 

囁き声が広がる。

 

何人かは立ち上がりかけ、どう接するべきか迷っていた。

 

飯田も徽章を見たが、すぐに出久の顔へ視線を戻した。

 

「君は入試の本質を見抜いていた。私よりも遥かに優れた判断をしていたのだな!」

 

「み、見抜いてないよ! ただ身体が動いただけで!」

 

「その行動こそ、ヒーローに必要な資質だ!」

 

飯田は原典者ではなく、入試で人を助けた受験生として出久を評価している。

 

少しだけ緊張が解けた。

 

「緑谷君!」

 

明るい声が聞こえる。

 

振り返ると、麗日お茶子が教室へ入ってきた。

 

「受かったんだね!」

 

「麗日さんも!」

 

「うん! あの時は本当にありがとう」

 

「僕も麗日さんの個性に助けてもらったから、おあいこです」

 

二人が笑い合う。

 

クラスメイトたちは戸惑っていた。

 

テレビで見る原典者。

 

祈りを捧げる対象。

 

触れることさえ許可が必要とされる存在。

 

だが、目の前にいる少年は、緊張して言葉を詰まらせ、友人との再会を喜んでいる。

 

どこにでもいる同級生と変わらない。

 

「……原典者って、もっとこう、神々しい感じかと思ってた」

 

誰かが小さく呟く。

 

出久の耳にも届いた。

 

落ち込むべきなのかもしれない。

 

だが、なぜか少し嬉しかった。

 

その時。

 

教室の入口から、低い声が響く。

 

「お友達ごっこをするなら、他所へ行け」

 

全員が振り返った。

 

黄色い寝袋に包まれた相澤消太が、床に横たわっている。

 

出久は見慣れているが、他の生徒たちは目を丸くしていた。

 

「ここはヒーロー科だぞ」

 

相澤はゼリー飲料を吸いながら、寝袋から這い出す。

 

「全員、静かになるまで八秒。時間は有限だ。合理性に欠ける」

 

誰も言葉を返せない。

 

「担任の相澤消太だ。よろしく」

 

全くよろしくする気のなさそうな声だった。

 

相澤は袋を放り投げる。

 

中には、雄英高校の体操着が入っていた。

 

「これを着て、グラウンドへ出ろ」

 

「入学式は?」

 

麗日が尋ねる。

 

「ヒーローになるなら、そんな悠長な行事に時間を割くな」

 

相澤は出久を含め、クラス全員を見渡した。

 

「これから個性把握テストを行う」

 

出久の心臓が大きく鳴った。

 

個性把握テスト。

 

無個性の自分には、存在しない力を測る試験。

 

相澤は出久を見た。

 

訓練中とは異なる、教師としての冷たい目だった。

 

「緑谷」

 

「はい」

 

「お前にも、他の生徒と全く同じ種目を受けてもらう」

 

クラス内に緊張が走る。

 

「ただし、評価方法まで同じとは言っていない」

 

相澤は出久の返事を待たず、廊下へ出た。

 

「最下位は除籍処分だ。覚悟して来い」

 

教室が静まり返る。

 

「じょ、除籍!?」

 

「初日から!?」

 

驚くクラスメイトたちの中で、出久は体操着の入った袋を握った。

 

入学できたからといって、夢が叶ったわけではない。

 

ここから先は、原典者であることも、無個性であることも、言い訳にはできない。

 

爆豪が席を立ち、出久の横を通り過ぎる。

 

「落ちんなよ、デク」

 

「かっちゃんこそ」

 

「誰に言ってやがる」

 

爆豪は不敵に笑った。

 

出久も、その背中を追って歩き出す。

 

祀られた原典者ではなく。

 

守られるだけの少年でもなく。

 

雄英高校ヒーロー科一年A組、緑谷出久として。

 

最初の授業へ向かうために。

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