第百三十九話 生まれる火にも、窓はある
図書館へ戻った日の夕方、ハーマイオニーは一冊の本を鬼太郎の前へ置いた。
薄い紙が、頁の間から出ている。
「禁止されていることだけなら、魔法生物の本にも載っていたわ。でも、処罰は別の本に書かれていたの」
彼女は紙を抜き、示した箇所を開いた。
鬼太郎は自分の本を閉じた。
無許可の飼育。
押収と、移送。
罰金の上限は、四百ガリオン。
捕獲、一時的な管理、移送に掛かった費用も、飼育者へ請求される。
鬼太郎は次の段落まで読み、頁を一度戻した。
「飼っていたことだけで、アズカバンへ送られるわけではないんですね」
「ええ。人への被害がない場合は、ここにある処分ね」
ハーマイオニーが答える。
キーノも横から本を覗いた。
「四百だけじゃ済まないのか」
「四百ガリオンは、罰金の上限ですね。運ぶ費用などは別です」
鬼太郎は、費用についての記述へ指を置いた。
捕まえる人数。必要な道具。移す距離。
それらの違いで、実際に掛かる金も変わるのだろう。
四百だけ用意すれば終わる、と考えるのは早かった。
「これは、ハグリッドさんにも伝えておきたいですね」
「うん。それから、この罰金を払えば飼っていい、というわけでもないわ」
ハーマイオニーが言う。
鬼太郎は頷いた。
「押収されますからね」
彼は帳面を開き、項目を分けて書いた。
ハーマイオニーが見つけた頁へ、もう一度目を戻す。
「助かりました。禁止の理由だけを読んでいても、ここまでは分かりませんでしたね」
「本によって、載っていることが違うもの。私もパンスに聞くまで、この本は見ていなかったわ」
彼女はそう言い、鬼太郎が調べていた本へ目を向けた。
「生態の方は、どう?」
鬼太郎は、開く頁を変えた。
◆
ハーマイオニーが椅子を寄せる。
鬼太郎はドラゴンの挿絵と、その下の説明を示した。
「まず、縄張りへの意識が強いようです。寝床や餌の周りへ入る相手には、特に警戒するとあります」
「小屋そのものが、縄張りになりそうだな」
キーノが言った。
「ええ。ハグリッドさんが用意した寝床でも、ドラゴンがそれを理解するとは限りません」
鬼太郎は続きを読んだ。
人が餌を与え、世話をしても、それを理由に懐くものではない。
接触を許すか、近づく相手を追い払うかは、ドラゴン自身の判断になる。
「では、ハグリッドが育てても、触らせてくれるとは限らないのね」
「ええ。ただ、自分より強いと認めた相手とは、上下関係が出来ることがあるようです」
ハーマイオニーが記述を確かめる。
鬼太郎は本を彼女の方へ向けた。
「それも、懐くのとは違うと書かれています。勝てない相手に逆らわなくなっても、可愛がられたいわけではないのでしょうね」
「ハグリッド、分かってくれるかしら」
ハーマイオニーは、卵へ向けられていた顔を思い返すように言った。
キーノが頬杖をつく。
「あの顔だと、自分にだけは違うと思いそうだ」
鬼太郎は小さく笑った。
「生まれた身体を見れば、分かることもあるでしょう」
次の頁には、種類による違いがあった。
ノルウェー・リッジバック。
黒い身体と、背へ並ぶ隆起。
火を吐く能力の発達は、ほかの種類より早い。
牙には毒があり、噛まれれば小さな傷でも軽く扱えない。
ハグリッドが卵から見当をつけた種類だった。
鬼太郎はその説明を読み、キーノにも見せた。
「手を出すなら、口の位置を見てくださいね」
「まだ、触るとは言ってないだろ」
「ええ。ですから、出すならです」
キーノは彼を見てから、牙の挿絵へ視線を戻した。
ハーマイオニーが、自分の羊皮紙へ書き足す。
「火だけ気にしていても、駄目ね」
「ええ。生まれたばかりのものが、どこまで使えるかも確かめたいですね」
鬼太郎は答えた。
本の中のドラゴンが、暖炉の卵へ少しずつ重なっていく。
それでも、まだ見ていない動きは残っていた。
◆
キーノは、本から顔を上げた。
「罰金の話をすれば、ハグリッドも諦めるか?」
ハーマイオニーは少し考えた。
「すぐには、難しいかもしれないわ。あんなに嬉しそうだったもの」
鬼太郎は暖炉の前にいた大きな背中を思い返した。
殻を見ているだけで、口元に笑みが出る。
ようやく手に入れたものを、まだ生まれてもいないうちに手放す。
それを喜んで受け入れる顔ではなかった。
「長年の願いだったのでしたら、すぐに諦めろと言うだけでは、納得しにくいでしょうね」
鬼太郎は言った。
「人へ被害が出ないよう、十分に警戒していただく。危険が増したら、ハグリッドさん自身で育てるのを終える。そのときには、罰金や移送の費用も負担するつもりで。それが、お互いに一番よいのかもしれません」
ハーマイオニーは彼を見た。
「怪我をする人が出てからでは、遅いわ」
「ええ。被害が出るまで待つ、という意味ではありませんよ」
鬼太郎は本へ目を落とした。
「小屋へ収められるのか。近づく手を攻撃しないか。火を抑えられるのか。危険が増すところは、幾つもありますね。そこで止められなくなる前に、手放す線を決めていただくんです」
「ハグリッドが、その線を動かさなければな」
キーノが言う。
鬼太郎は頷いた。
「そこは、本人に確かめなくてはなりませんね」
ハグリッドの代わりに、自分がずっとドラゴンを見張るつもりはなかった。
餌を用意することも、後始末を引き受けることも、約束していない。
それでも、ハグリッドにとって、願いを叶える時間が何も得られないものではないのは分かった。
代価と終わりを理解して選べるなら、ただ取り上げられるよりは、納得出来るかもしれない。
問題は、その終わりを本人が選べるかだった。
「私、それなら、いつ手放すかを曖昧にしないでほしいわ」
ハーマイオニーが言った。
「『まだ小さいから』で、ずっと延ばしていたら意味がないもの」
「ええ。その点も、伝えておきましょう」
鬼太郎は帳面へ書き足した。
ハーマイオニーは少し考えてから、自分の羊皮紙にも同じ項目を加えた。
◆
夕食の時間が近づいていた。
ハーマイオニーは借りる本を選び、戻すものを重ねた。
「明日、ハリーとロンにも見せるわ。卵が生まれる前に知っておいた方がいいもの」
「ええ。ありがとうございます」
鬼太郎は彼女が見つけた本を渡した。
ハーマイオニーは紙を挟み直し、抱えて立つ。
「二人も、大広間へ来るでしょう?」
「あと、少しだけ」
キーノが答えた。
彼女は途中まで書いた頁を見せた。
「これを終えてから行く」
ハーマイオニーが頷き、卓を離れた。
書架の間に彼女の姿が隠れる。
鬼太郎は帳面を閉じかけ、手を止めた。
罰金の記録の前に、別の頁がある。
ユニコーンの血について書いたところだった。
◆
血で、死にかけた命を繋ぐ。
ただし、完全に治るわけではない。
生き続けるためには、再び血を求める。
鬼太郎は、角へつけていた印を指でなぞった。
ハグリッドの卵は、まだ孵っていない。
ドラゴンは、生まれてからも育つ時間を必要とする。
だが、森で血を求めている者にも、同じように先の時間があるのだろうか。
ユニコーンを狙う者と、石を狙う者が同じだという考えは、推測のままだ。
その推測が当たっているなら、石を得るまで生き延びなくてはならない者がいる。
悠長に待つ理由は、少なかった。
キーノが羽根ペンを置く。
「また、その話か」
鬼太郎は顔を上げた。
「ええ。休暇が終わるまで待っていただけるとは、限りませんね」
キーノも声を落とした。
「石を狙ってる奴と、血を飲みたい奴が同じなら、か」
「そうです。まだ、同じだとは確かめられていません。ただ、違っていたとしても、先生が動く日を僕たちが選べるわけではありませんから」
彼は、スネイプとクィレルの顔を思い返した。
自分から追い立てず、様子を見ている。
それは、相手が待っている時間を保証しなかった。
石へ手を伸ばした者と、必ず自分が戦うことになるとも限らない。
それでも、何か起きてから、今なら何が出来たのだろうと考えるのは遅かった。
◆
鬼太郎は帳面をめくった。
岩を呼び寄せた位置。
浮遊術へ切り替え、グロブニクに踏み込まれた位置。
火の向こうへ隠れた狼が、予想した進路へ来なかったときの記録。
練習の後に直した線が、幾つもあった。
読んで分かることは増えた。
杖の呪文も、魔法の扱いも、以前と同じではない。
だが、相手も力を出し切る戦いの中で、その全てをどこまで繋げられるかは、まだ確かめていなかった。
「次に森へ戻ったら、グロブニクさんと、本気でやってみたいんです」
キーノは黙って彼を見た。
「今までも、遊んでたわけじゃないだろ」
「ええ。ただ、あの方に一つずつ試させてもらって、直すところを教えていただく時間もありました。今度は、使えるものを出し切って、勝ちを狙いたいですね」
鬼太郎は、岩を運んだ図へ指を置いた。
「相手にも待っていただかず、今の僕がどこまで戦えるか、知っておきたいんです」
「大怪我をするかもしれないぞ」
「ええ。それも、考えています」
鬼太郎の返事は、早かった。
キーノは彼の手を見た。
羽根ペンを持つための、今は傷のない手だった。
「ディアがあるから平気だ、とは言うなよ」
「失った血も、疲れも、それだけでは戻りませんね」
鬼太郎が答える。
「傷を治した後にも、休む時間は必要です。ですから、休暇の初めにやっておきたいんです」
◆
窓の外で、芝生に落ちる光が薄くなっていた。
キーノは一度そこを見てから、鬼太郎へ顔を戻した。
「怪我をしても、休暇の残りは部屋にいられるからか」
「ええ。本も、宿題もありますし」
「勉強は出来ても、寝床から起き上がれないかもしれないだろ」
「その場合は、寝床で読みます」
鬼太郎が少し笑った。
キーノは笑わなかった。
彼はその顔を見て、帳面から手を離す。
「大怪我をしに行くわけではありませんよ。勝ちたいんです。そのために避けますし、防げるものは防ぎます。続けられなくなったときのことも、考えておきます」
「死ぬまでやるんじゃないな」
「ええ。僕も、グロブニクさんも」
鬼太郎は頷いた。
大怪我をするかもしれないからと、全てを緩めてしまえば、今回確かめたいものは分からない。
しかし、次へ進むために戦う者が、次のないところまで進んでは意味がない。
キーノは、彼の帳面を閉じた。
「それなら、明日だ。先延ばしにして休暇を減らすな」
鬼太郎は彼女を見た。
止めるだけで終わる顔ではなかった。
「一緒に来ていただけますか」
「行く。お前がどこで無理をしたか、後で言えるように見ておく」
「それは、よく見ていただかなくてはなりませんね」
鬼太郎の笑みが、少し深くなった。
キーノは呆れた息を吐き、自分の帳面を鞄へ入れた。
◆
夕食では、ハリーとロンが卵について尋ねた。
ハーマイオニーが、調べて分かった種類の特徴を話す。
ただし、近くの生徒へ届かない声だった。
鬼太郎も、罰金と押収について確かめたことを伝えた。
「四百ガリオン?」
ロンが声を大きくしかけ、ハーマイオニーを見て小さくする。
「それに、運ぶ費用も?」
「ええ。ですから、見つかってから考えるのでは、支払うものも増えそうですね」
鬼太郎は答えた。
ハリーは眉を寄せた。
「ハグリッド、手放せるかな」
「その線を、自分で決めてもらう案は出してみたいと思っています」
鬼太郎は、図書館で話したことを短く伝えた。
ハリーは聞き終え、少し頷く。
「育てたかったんだものね。前から」
「でも、誰かが噛まれる前によ」
ハーマイオニーが言った。
「もちろんです」
鬼太郎は答えた。
本人がどこまで世話をするつもりか、危険が増したときに手放せるのか。
それは、まだハグリッドへ確かめていなかった。
五人で了承したからと、飼育が認められるわけでもなかった。
話を終えると、鬼太郎は翌日の帰還についてハリーたちへ伝えた。
ハリーは、また森で練習するのかと尋ねた。
「ええ。休暇のうちに、確かめたいことがありますから」
鬼太郎はそう答えた。
◆
翌朝、鬼太郎とキーノは帰還のための荷物を持った。
登録された経路を確かめ、ポートキーへ触れる。
引かれる感覚の後で、二人の足が砦の近くへ着いた。
城で聞いていた声が消え、森の葉擦れが耳へ戻る。
キーノは鞄を持ち直し、鬼太郎の顔を見た。
「もう、その顔か」
「どんな顔ですか」
「面白いことをする前の顔だ」
鬼太郎は笑った。
ここまで来る間も、狼の動きを考えていた。
手合わせで見たものだけで、全てではない。
何を出されても、今の自分で選ばなくてはならない。
それを、早く確かめたかった。
◆
サーシェスは、二人が荷物を置くのを見ていた。
鬼太郎が本を鞄から出し、室内へ置く。
杖は手元へ残した。
「今日は、随分早えな」
「休暇ですから。しばらくは、室内で勉強するつもりです」
サーシェスの目が、彼の杖へ動いた。
「その前に、何をする?」
「グロブニクさんと、本気で戦ってみます」
鬼太郎は答えた。
サーシェスが笑う。
「やっと、狼を転がすつもりになったか」
「勝てるかどうかは、やってみなくては分かりませんね。ただ、今の僕でどこまで出来るかは、知っておきたいんです」
「半端に止めてもらうんじゃ、分からねえな」
「ええ。そう伝えます」
キーノが二人を見る。
「それで、怪我をしても休暇の間は休めるように、今日やる」
サーシェスは彼女へ目を向け、それから鬼太郎の手足を見た。
「歩いて帰れるつもりで、荷物を全部持ってくんじゃねえぞ」
「ええ。ここへ置いていきます」
鬼太郎は頷いた。
銃も、室内へ残した。
狼は敵ではない。
互いに本気で勝ちを狙うことと、殺すための道具まで持ち込むことは、今回の約束にはしなかった。
サーシェスは戸口から二人を見送り、森へ目を向けた。
「坊主」
鬼太郎が振り返る。
「戻ったら、どこで食われかけたか聞かせろよ」
「僕が、先に倒せた場合の話も聞いてくださいね」
サーシェスが声を上げて笑った。
◆
白い石へ続く道では、鬼太郎は足元の土を見た。
濡れた場所と、乾いた葉の溜まる場所。
枝の低い木。
転がっている石の形。
前に見た場所と同じでも、使えるものは日によって違う。
キーノは彼の少し後ろを歩いた。
グロブニクは、二人が呼ぶ前に頭を上げた。
暗赤の右目が、鬼太郎へ向く。
「今日は、何を試す」
鬼太郎は白い石の手前で止まった。
「ひとつの技ではなく、今使えるものを、全部です」
大きな狼の耳が動いた。
◆
「今日は、教えていただくために途中で止める手合わせではなく、本気で勝ちを狙いたいんです」
鬼太郎は言った。
「あなたにも、待っていただかずに」
グロブニクは立ち上がった。
黒い身体が伸び、前脚が地面へ置かれる。
「傷を負うぞ」
「その可能性も、考えて来ました」
鬼太郎は狼の右目を見た。
声を大きくすることも、杖を見せつけることもしなかった。
「今の僕が、どこまで戦えるのか。強い相手が本気で来たときに、何を残せるのか。確かめておきたいんです」
「急ぐ理由があるのか」
「あるかもしれません。少しずつ練習していれば間に合う、とも言えなくなってきました」
鬼太郎は答えた。
学校の教師や、ユニコーンの血の話は広げなかった。
グロブニクへ必要なのは、今回どのような勝負を求めているかだった。
「ただし、殺し合いを頼んでいるわけではありません。勝負がつけば、止めます」
狼はキーノへ目を向けた。
彼女も、その目を見返す。
「私が、見ている」
グロブニクは再び鬼太郎を見た。
「よい。倒れる覚悟だけして、負けに来るな」
鬼太郎の口元が上がった。
「ええ。勝ちに来ました」
◆
キーノは、二人の動く場所から離れた。
鬼太郎が一度彼女を見て、立つ位置を確かめる。
彼女は頷いた。
白い石の向こうで、グロブニクが首を低くした。
閉じた左目の傷が見える。
暗赤の右目は、鬼太郎の杖だけを見ていなかった。
肩。足。空いている手。
鬼太郎も、前脚の置き方を見る。
アギの先にある、まだ形にならない火は使わない。
今の身体で、今使えるものを出す。
炎も、冷気も、雷も、風も。
相手の判断を乱す力も、杖で作る動きも。
そのひとつが防がれた後に、次を選ぶ自分も。
グロブニクが前脚へ重さを移した。
鬼太郎は杖を上げた。
柔らかな笑みが、消えなかった。
教わるために待つ時間は、ここで終わった。