第147話 空いた両手で、扉を開ける
ハグリッドは手紙を受け取ると、戸口に立ったまま読み始めた。
「チャーリーも来るのか」
「今夜。前に書いてあった時間と場所で、いいって」
ハリーが答えた。
ハグリッドの顔が少し明るくなる。しかし、三人の後ろへ目を向けたところで、眉が寄った。
「ロンは?」
「医務室へ向かいました。キーノさんが付き添っています」
鬼太郎が言った。
ハグリッドは手紙を下げた。
「手が、よくならなかったのか」
「すごく腫れてる。僕たちには、噛まれたって言わなかったんだ」
ハリーは答え、ハグリッドの顔を見た。彼は髭へ手をやり、何か言いかけて唇を閉じた。
「それに、マルフォイにも言い返しちゃった。もう先生に話すって」
「何だと?」
ハグリッドが城を見た。
ハーマイオニーが続ける。
「いつ話すのかは分からないわ。今すぐかもしれない。でも、今夜の受け渡しを逃したら、また何日もここに置くことになるでしょう」
背後で、ノーバートが床を爪で引っ掻いた。
ハグリッドは振り返り、手紙を上着へ入れた。
「箱は、外だ。見てくれ」
小屋の壁際に、厚い板で組まれた木箱が置かれていた。端には持ち手がつき、蓋の留め具も大きい。細い隙間から中へ空気が通るが、指を入れられるほどは開いていなかった。
鬼太郎が屈み、持ち手へ手を掛けた。少し浮かせて戻し、底と側面がつながる所を確かめる。
「空でも、随分重いですね」
「薄い板じゃ、こいつが暴れたらもたん」
「ええ。この大きさなら、階段で向きを変えるときにも注意が必要です」
鬼太郎は箱から手を離し、ハリーとハーマイオニーを見た。
「浮遊術で重さを支えましょう。ただ、誰かが先へ進んでいる間、杖を持つ人は箱から目を離さない方がよさそうです」
「持ち手も離さないでおくわ。中で動いて傾いたら困るもの」
ハーマイオニーが反対側へ回った。ハリーも持ち手を掴み、二人で低く持ち上げてみる。鬼太郎が杖を取り、蓋の閉じた箱へ向けた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
杖先の動きに合わせて、腕へ掛かる重さが薄れた。ハリーは驚いて手を緩めかけ、すぐに握り直す。箱が浮いていても、どちらかが引けば向きは変わった。
ハーマイオニーと足を揃え、壁から離れた所まで運ぶ。
「階段なら、低い方を私が支えるわ」
「うん」
ハリーが答え、箱を戻した。底が地面へついてから、鬼太郎が杖を下ろす。
空の箱だけでも、三人が立つ場所を選ばなければならなかった。これを廊下へ持ち込めば、誰にでも見える。
ハリーは小屋の窓へ目を向けた。誰もいないのを確かめ、二人へ声を落とす。
「クリスマスに届いた透明マントを使おうと思うんだ」
鬼太郎が顔を上げた。
「あのマントですね。姿は隠せても、足音は残っていましたから、箱の音にも気をつける必要があります」
ハリーは、同じ寝室でマントを被った朝を思い出して頷いた。
「うん。それに、全員は入れないと思う。僕とハーマイオニーと箱なら、試してみないと」
ハーマイオニーも箱の両端を見て、二人が立つ間隔を確かめた。
「でしたら、僕は先を見ます」
鬼太郎が答えた。
「僕まで隠そうとして、箱が見えてしまっては困りますからね。曲がり角と階段を確認して、進めるときに合図します」
ハリーは地面の箱を見た。誰もいない廊下なら、それで進めるかもしれない。鬼太郎自身は見えるままだったが、三人で箱を抱えて立ち尽くすよりは動ける。
「マントを持ってきて、夕方にもう一度試そう」
ハグリッドが頷いた。
「俺も、中へ入れる準備をしておく」
◆
夕方、鬼太郎に箱を浮かせてもらってからマントの中へ入ると、ハリーは持ち手が見えなくなる位置まで布を引いた。
ハーマイオニーは反対側にいた。二人の間に箱があり、膝を伸ばしすぎると布の裾が上がる。ハリーが一歩進むと、彼女も合わせて動いた。
「足元、見えていません」
外から鬼太郎の声がした。
「ただ、持ち上げるときは、もう少し低くお願いします」
ハリーは箱を下げた。マントの内側へ風が入り、冷たい布が首へ触れる。
鬼太郎は浮遊術を使いながら、二人の歩く速さを確かめた。持ち上げ続けるより、進む場所を先に見てから箱を動かし、止まった所で一度床へ下ろすことにした。階段では鬼太郎が重さを支え、ハリーたちが箱の前後を持って傾きを抑える。
「物音は隠れませんね」
鬼太郎が言った。
「中で鳴いたら、聞こえる」
ハリーは答えた。
「だから、早く運びたい」
「ええ。ですが、急いで角から箱を出すわけにもいきません。僕の合図を待ってください」
ハリーは頷いた。
マントを脱ぐと、鬼太郎の視線が銀色の布を追った。触ってみたいのだろうかと思ったが、彼は手を伸ばさず、箱の留め具へ目を戻した。
城へ戻ったあと、キーノからロンをポンフリーに預けてきたと聞いた。今夜は運搬へ戻れない。ハリーはそれを聞いてから、三人で行くと彼女へ伝えた。
「箱は、持てるのか?」
キーノが鬼太郎を見る。
「重さを支える方法は、試してきました。中身が入れば同じとはいきませんので、出発前にも確かめます」
「三人とも、噛まれずに戻ってこいよ」
ハリーは頷き、畳んだマントを鞄の奥へ戻した。
◆
夜の小屋では、ハグリッドが箱の前に膝をついていた。
ノーバートは既に中にいた。蓋が動くほど暴れてはいなかったが、板の向こうで爪が擦れる音がする。側面へ鼻先が当たったらしく、小さな煙が隙間から漏れた。
ハーマイオニーは屈み、留め具を一つずつ見た。ハリーは持ち手へ手を掛けたが、ハグリッドがまだ動かないので、そのまま待った。
「チャーリーに、よろしく言ってくれ」
「伝えるよ」
ハリーが答えた。
ハグリッドは蓋へ掌を置いた。中から爪が擦れると、指を少し曲げる。
「ちゃんと食わせてもらえよ」
返事のように、かすれた声がした。
ハグリッドは顔を近づけかけ、煙を見て止まった。掌だけをもう一度、蓋へ当てる。
「向こうで、飛べるようになれ」
立ち上がるまで、ハリーたちは待った。
鬼太郎が扉を開け、外を確かめる。ハリーとハーマイオニーは箱の前後へ回り、持ち手を握った。
鬼太郎が杖を向けた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」
箱が低く浮く。中でノーバートが動き、ハリーの掌へ持ち手が強く当たった。ハーマイオニーも足を踏ん張り、傾きが収まるまで進まなかった。二人の肩へハグリッドがマントを掛け、裾を直す。持ち手まで隠れたことを確かめてから、彼は手を離した。
「歩ける?」
ハリーが囁く。
「ええ」
敷居を越え、冷たい空気の中へ出た。箱の重さは腕へほとんど掛からなくても、ノーバートが向きを変えるたび、手の中の木が揺れた。
鬼太郎は歩幅を抑えて進み、城の入口へ近づくと、箱を地面へ下ろして杖を止めた。
「ここで、待っていてください」
扉の隙間へ身体を入れる。
ハリーはマントの下で、ハーマイオニーと目を合わせた。箱の中から短い声がする。二人は返事をせず、鬼太郎が戻るのを待った。
◆
城の中は、昼間より広く感じた。
足音が遠くまで響く。鬼太郎は廊下を確かめてから戻り、箱を浮かせた。階段へ入るときには先に上まで見に行き、踊り場が空いていることを確かめて三人で動く。
ハリーは一段ずつ足を上げた。
ノーバートが中で身体を捻る。持ち手が引かれたので、ハリーは肘を曲げ、箱を身体へ寄せた。
「止まって」
ハーマイオニーが囁いた。
三人は階段の途中で動きを止めた。鬼太郎の杖が箱を支え、ハリーたちは斜めになりかけた底を戻す。中の爪音が遠ざかってから、また進んだ。
途中の廊下で、鬼太郎が片手を上げた。
ハリーはその場に止まった。少しして、遠くの階段から扉の閉まる音がする。マントの内側で息を浅くし、音が続くか待った。
箱が重くなった。鬼太郎がゆっくり床へ下ろしていた。ハリーは膝を曲げ、底がつくまで持ち手を離さない。
鬼太郎は角へ近づき、姿を消した。
しばらくして戻る。
「進めます」
短い声だった。
ハリーは頷き、持ち手を握り直した。箱の中にいるノーバートも、一緒に待ってくれればよかった。次に爪が板へ掛かったときは、ハーマイオニーが唇を結び、音を立てないよう箱を押さえた。
最後の螺旋階段へ入るころには、ハリーの背中が汗ばんでいた。
狭い段を回るたびに、布が箱の角へ張る。マントを引きながら、上にいるハーマイオニーへ箱を送る。鬼太郎も杖を向けたまま、二人が足を置く場所を見ていた。
塔の扉が開いた。
夜の風が、マントの裾から入り込む。
ハリーたちは外へ出て、ようやく箱を下ろした。底が石へつく音を聞いてから、ハリーはマントを脱いだ。
「着いた」
声が思ったより大きく出た。
ハーマイオニーも肩で息をしていた。鬼太郎は杖を下ろし、手首を一度動かしてから塔の端へ目を向ける。
「ここでよいんですね」
「一番高い塔。手紙には、そう書いてある」
ハリーは答え、マントを畳み始めた。
箱の中で、ノーバートが鳴いた。もう少しだと声を掛けたくなったが、ハグリッドのように返事が来るとは思えなかった。
風の音の向こうに、羽ばたきとは違う音が混じった。
鬼太郎が空を見上げる。
四本の箒が、暗がりから近づいてきた。
◆
最初に降りた男は、ハリーたちを見ると箱へ目を向けた。
「ロンの手紙にあった、ノーバートだね」
「チャーリー?」
ハリーが尋ねる。
「ああ。ロンは?」
赤い髪とそばかすを見て、ハリーは頷いた。
「噛まれて、医務室にいるんだ。手がすごく腫れて」
チャーリーの表情が変わった。
「診てもらっているなら、よかった。明日、様子を聞くよ」
同行していた三人が箒を下ろし、箱を囲んだ。チャーリーも膝をつき、留め具と板の隙間を確かめる。中から煙が出ても、すぐ蓋を開けようとはしなかった。
「ここまで運んだのは、君たち三人?」
「ええ。僕は墓場鬼太郎と申します」
鬼太郎が答えた。ハーマイオニーとハリーも名乗ると、チャーリーは礼を言い、持ち手に掛かった力の跡へ目を向けた。
「暴れた?」
「何度か傾きました。浮かせて重さを支え、二人に向きを保っていただきました」
「ここからは任せて」
チャーリーが箱を押さえると、仲間が持ってきた帯を広げた。底から回して留め、浮いたときに箱が傾かないよう、四人で位置を調整する。
ハリーは横へ退いた。誰が次に何をするか、声を掛ける前から分かっているようだった。箱の中でノーバートが動くと、チャーリーがその揺れを手で受け、留め直す位置を示した。
鬼太郎は帯と箒の位置を見ていた。
「四人で、吊って運ぶんですね」
「うん。揺れを抑えながら飛ぶ。君たちも、もう少し離れていて」
ハリーたちは塔の扉の側へ寄った。
準備が終わると、チャーリーが顔を上げた。
「ハグリッドには、無事に受け取ったと伝えて。着いて落ち着いたら、便りを出す」
「会いに行きたいって、言ってたよ」
ハリーが答える。
「手紙にも書いたけど、先に連絡をもらえれば相談する。今夜は、まずこの子を連れていくよ」
チャーリーは箱へ掌を当てたあと、箒を取った。
四人が位置につく。
帯が張り、箱の底が石から離れた。ハリーは手を出しかけ、引っ込めた。もう、自分が支える必要はなかった。
箱は四本の箒の間へ吊られ、ゆっくり塔から離れた。
中でノーバートが鳴く。
その声も、風の中で遠くなる。
ハリーは、暗がりに箱が見えなくなるまで目で追った。
「行ったね」
ハーマイオニーが言った。
ハリーは頷いた。指を開くと、持ち手を握っていた所が痛んだ。それでも、両手は空いていた。
「ハグリッドに、ちゃんと伝えなきゃ」
「明日ね。今は戻りましょう」
ハーマイオニーが扉へ向く。
鬼太郎は空から視線を戻し、彼女の後ろへ続いた。
◆
帰りの階段は、上るときよりずっと歩きやすかった。
箱の角を避ける必要も、中で動く爪を気にする必要もない。ハリーはマントを鞄へ入れたことを確かめ、ハーマイオニーの後ろへ続いた。
三人を覆うには狭すぎる。箱を隠していた布を取り出すより、足を止めずに寮へ戻りたかった。
それでも鬼太郎は、階段を下りきる前に二人を止めた。廊下へ少し顔を出し、片側を確かめてから反対へ目を向ける。
ハリーは数段上で待った。
これでノーバートはいなくなった。ハグリッドも、明日の朝には無事に渡せたと聞ける。マルフォイが何を話しても、小屋の中にドラゴンはいない。
そう考えていたとき、鬼太郎の足が止まった。
廊下の壁際から、灯りが動いた。
「そこで待ちなさい」
ハリーは息を止めた。
ミネルバが、灯りを持って立っていた。
「墓場。後ろにいる二人も、出てきなさい」
鬼太郎は杖を下ろした。
ハリーとハーマイオニーが最後の段を下りる。ハリーは鞄の中のマントを思い出したが、もう手を伸ばせなかった。
ミネルバの視線が、三人の顔へ順番に向いた。
「ポッター、グレンジャー。こんな時間に、どこへ行っていたのですか」
ハーマイオニーは口を開きかけ、何も言わなかった。
「夜にハグリッドの小屋へ通っている、と聞きました。ドラゴンの世話だという話まで添えて」
ハリーの喉が詰まった。
「ドラゴンの話を信じて、ここに立っているのではありません。夜間に寮を抜け出しているのか、確かめに来たのです」
ミネルバの声は、静かだった。
鬼太郎が顔を上げる。
「……なるほど。それで、待っていらしたんですね」
「説明は、私の部屋で聞きます」
ミネルバは灯りを持ち直し、三人へ来るよう示した。
ハリーは歩き出した。箱を運んでいたときより、靴が重かった。
空いた両手を上着の脇へ寄せ、前を歩くミネルバの灯りを見つめた。