第211話 同じ名の火
合言葉を告げると、石の像が脇へ退いた。
鬼太郎は現れた階段へ足を乗せ、鞄を身体へ寄せた。頭上へ運ばれる間に、教室で見た光の弧が、もう一度浮かんだ。
あの剣については、後で聞ける。
今、取り出すのは別の記録だった。
扉を叩くと、中から返事があった。
「入りなさい」
ダンブルドアは机に向かっていた。鬼太郎を見ると、手元の紙を揃え、脇へ寄せる。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「座るがよい。最初の授業は、どうじゃった」
鬼太郎は椅子へ腰を下ろした。
「伺いたいことが、増えました。ですが、今日は先にこちらを」
鞄から帳面を取り出す。
ダンブルドアの目が、その表紙へ落ちた。
「夏の終わりにあったことじゃな」
「はい。僕が見たことと、人から聞いたことを分けてあります」
机へ置き、栞のある頁を開いた。
◆
最初に話したのは、書店で黒檀が反応したことだった。
何に反応したかは分からなかった。鬼太郎は、その時そばにいた者を原因だと決めず、人の集まる場所にも悪魔がいるのなら、ほかの目撃もあるのではないかと考えた経緯を伝えた。
「それで、以前から取引のある相手へ聞きに行きました」
「どのような取引をしておった相手かね」
「品物の買い取りと、仕事の仲介です。学校へ来る前に、何度か」
ダンブルドアは先を促した。
山道に現れた、翼と骸骨の頭を持つもの。護衛が殺され、相手も倒された後で霧のように消えたという話。
別の取引では、角のある人型が売り手の後ろに立ち、命令に従っていたこと。
鬼太郎は頁の脇へ指を置いた。
「どちらも、僕自身が見たわけではありません。姿の説明だけで、何という悪魔だったかまでは言えません」
「同じ者から聞いた話なのじゃな」
「ええ。こちらに伝えた人が、どこまで直接見たのかも、まだ十分には確かめられていません」
ダンブルドアは、鬼太郎の書いた短い説明を読んだ。
「命令に従っていたという方が、気になったか」
「はい。学校の一冊だけではないのなら、使っている方もいるのでしょうから。暴れているものの話だけでは、足りないと思いました」
「それで、その売り手を?」
「探してもらっています。まだ、お会いは出来ていません」
老人は顔を上げた。
「その仕事を頼むまでに、何があったのか、聞こうか」
鬼太郎は、次の頁を開いた。
◆
依頼は、盗まれた本の回収だった。
正確には、自分が持ち帰るのではない。本を持ち出した男を止め、外で待つ者が回収出来るようにする。その本へは触れず、開かないという条件もあった。
ダンブルドアは、そこで頁を押さえた。
「本だと知って、引き受けたのじゃな」
「はい。召喚に関わるものかもしれない、と考えました。ですが、中を見たわけではありません」
「ここで預かっておるものと、同じ形だったか」
「似た本がもう一冊ある、というところまでです。中の文字や仕組みまで同じとは、言えません」
保管されている原本へ、老人は目を向けなかった。
鬼太郎も、それを今ここで出してもらうつもりはなかった。
代わりに、帳面へ描いた建物を示した。外から見た窓と、入った後に見えた部屋の位置が合わない。奥では、コンクリートの床から木が生え、外観には収まらない広さがあった。
ダンブルドアは図を自分の方へ少し回した。
「入口へは、戻れたかね」
「最初に違いへ気づいた後、一度、戻れるところまで確かめました。ただ、その先も同じだと保証出来たわけではありません」
「何が出た」
鬼太郎はグレムリン、ザントマン、ポルターガイストの姿と、戦った場所を簡潔に話した。
名前を思い出せたものと、実際に確かめた性質を混ぜないようにした。見覚えがあっても、この世界で同じ性質を持つとは限らない。
机を通り抜けた相手の話になると、校長はその場の位置を聞き返した。鬼太郎は机と自分の場所を書き足した。
「そして、奥にいたのが、ヴェインさんです」
次の頁には、人の形が描いてあった。
片側の腕だけが、大きい。
「会話は出来ました。本は自分のものだと。元の身体に戻るつもりも、ないようでした」
「変わる前を、君は知っておるのか」
「いいえ。ですから、どこからどう変わったかまでは分かりません。僕へ取り戻させようとしている、と疑ってはいましたが」
鬼太郎は大きな腕の脇へ、もう一方の手を描いた。
「この手から、アギを使いました」
ダンブルドアの指が止まった。
「火を出した、というだけではないのじゃな」
「ええ。同じ名を唱え、掌へ火を作り、狙って放ってきました。僕が距離を取ると撃ち、避けた先へ腕を振っていました」
老人は、図から鬼太郎へ目を戻した。
「杖は」
「使っていません」
「君以外にも、それを使う人間がいた」
「少なくとも、僕と話の出来る方でした。ただ、僕と同じ理由で使えるのかは、分かりません」
前世の記憶を持つ者が、ほかにもいるのか。
本を使った結果、あの火と身体を得たのか。
鬼太郎も考えた。だが、その答えを本人から聞いたことには出来なかった。
ダンブルドアは、しばらく黙っていた。
「その男が、本を使うところは見たかね」
「見ていません。本は机の上にありました。戦っている間、そこへ戻って開くこともありませんでした」
老人は図の端へ置いた指を離した。
「そうか。では、倒した後は、どうなった」
◆
木々が薄れ、広間が狭くなった。
帰り道では、こちらへ出てこようとした小さな影も、攻撃する前に消えた。本と机、倒れたヴェインの身体は残った。
鬼太郎は、その順を伝えた。
「彼が保っていたのかもしれません。ですが、本が働くためにあの方を必要としていたのか、ほかの理由だったのかは」
「まだ分からん、か」
「はい」
ダンブルドアは、建物の図へ戻った。
「出る時の道は、入る時と違ったのじゃな」
「短くなっていました。外の方には、最後に僕が通った道をお伝えしました。二人で入り、本と身体が残っているのを確かめています」
「本は、その者たちが持ち帰った」
「閉じた箱で運んでいました。箱の中身は見ていませんが、回収したと聞いています」
老人が、ゆっくり息を吐いた。
「手元へ戻したくて、人を雇うほどの品ということか」
「僕も、そこが気になりました」
「その場で壊さず、また使うために持ち帰ったのかもしれん。だが、それも、まだこちらの考えじゃな」
ダンブルドアは帳面を閉じず、鬼太郎の前へ戻した。
「本を売った者、使った者、取り返した者。同じ考えで動いておるとは限らん」
「ええ。買い手にも、角のあるものを連れた売り手と、この本を同じ話にするのは早いと言われました」
「その点では、もっともじゃ」
校長は図の脇へ視線を落とした。
鬼太郎が書いた、盾の破れた場所だった。
「こちらも、聞かせてもらおうか」
◆
ヴェインは柱を砕き、その破片を投げた。
広がって来たので、避け切る前に盾を出した。最初の石は止まったが、続けて当たるうちに形が崩れ、右肩と脇腹へ破片を受けた。
鬼太郎は服の上から、自分の肩を示した。
「どちらも、ディアで塞ぎました。今は、開いていません」
「出血も、あったのじゃな」
「はい。帰ってからは、休んでいます」
ダンブルドアは鬼太郎の顔を見た後、右手へ目をやった。
「プロテゴは、どこまで練習しておった」
「形は出せました。ただ、保とうとすると薄くなったり、消えたりします。何かを当てて確かめるところまでは、出来ていませんでした」
「それを、何発も受けるために使った」
「あの時は、ほかへ抜けるには遅かったので」
校長は、すぐには次の言葉を足さなかった。
「出した判断だけを責めるつもりはない。その場で使えるものを使ったのじゃろう。じゃが、そこまで追い込まれる前には、どうだった」
鬼太郎は帳面の図を見た。
アギを撃たれた場所。柱の陰から出た場所。まだ、足を置く所を選べた時。
「退こうと思えば、もっと早くには」
「思わなかったかね」
「相手を倒す方を、考えていました」
「依頼を果たすために?」
鬼太郎は顔を上げた。
老人の声は穏やかだった。だが、頷くだけで終えられる問いではなかった。
「それだけではありません」
左手を膝へ置いた。
「鍛錬したものを、試したかったのです。こちらが何をするか見て、先に止めようとする相手でしたから。途中からは、戦っていること自体が楽しくなっていました」
ダンブルドアは、わずかに目を閉じた。
「そこだけ、実に隠さず話すのう」
「隠しても、よいご相談にはならないでしょう」
「こちらの胃には、少し優しくしてもよいのじゃが」
鬼太郎は返事をせず、相手の顔を見た。
老人も笑って済ませはしなかった。
「知らぬ相手との戦いが、君の望む学びになることはあろう。じゃが、その間に、帰るための力まで使い切ってしまえば、帳面へ書くことも出来ん」
「ええ。最後は、同じことをもう一度続けられるほどは残っていませんでした」
「次に、奥へもう一人いたら?」
鬼太郎は、すぐには答えなかった。
足を止めれば、座り込んでいたくなった帰り道を思い出した。あそこへ、まだ火を撃てる者が来れば。
「困ったでしょうね」
「わしも困る。知らせを受けても、君がどの建物にいるか分からぬのでは、間に合うものも間に合わん」
ダンブルドアは帳面の建物を示した。
「次に、これと同じ本や、杖を使わぬ火の話を得た時は、確かめに入る前に知らせておくれ。分かっている場所と、誰に聞いたかを」
「その場ですぐに動く必要がある時も、ですか」
「人が襲われているのを見ながら、手紙を書けとは言わん。だが、今回は、依頼の話を聞く時間も、現地まで行く時間もあった。分からないうちに入らねばならなかったわけではなかろう」
鬼太郎は頷いた。
「分かりました。同じ本に関わることなら、先にお知らせします」
依頼を引き受けるかどうかまで、全て任せるとは言わなかった。
ダンブルドアも、そこで言葉を広げはしなかった。
「君に見つけてもらったことを、わしの知らぬまま終わらせたくはないのでな」
「先生の調べる先も、増えそうですね」
「誰のおかげじゃろうな」
鬼太郎は、帳面の頁を揃えた。
◆
角のある人型を連れた売り手の探索は、報酬から手数料を払って頼んでいた。
見つからなくても返らない。その条件も伝えると、ダンブルドアは金額ではなく、連絡を受ける方法を尋ねた。
「店へ伺えば、返事を聞けます。まだ何もないかもしれませんが」
「その返事を待つために、学校を抜けるつもりはあるまいな」
「今、すぐに伺う予定はありませんよ」
「それは結構。話を聞ける時が来たら、先に相談してもらおう」
鬼太郎は老人を見た。
「先生も、別にお調べになりますか」
「うむ。君の仲介人へ、すぐにわしの名を出す必要はない。こちらでも、品物や持ち主の話を拾えるか、当たってみる」
「では、お話し出来るところは、こちらも教えていただけますか」
「君がまた何も知らずに触りに行かぬ程度には、な」
「今回は、触っていません」
「その点は、よう守ったと思っておるよ」
ダンブルドアはそう返し、机の脇から紙を一枚出した。
「こちらからも、知らせることがある。自分たちで作る本の材料じゃ」
鬼太郎は背を起こした。
「見つかったのですか」
「候補を絞り、使えそうなものを厳選した。馴染みのある者へ、取り寄せを頼んでおる」
「では、届いてから確かめられますね」
「うむ。手元の紙だけで、何でも出来ると言うわけにはいかんからの。加工した時にどうなるかは、現物を見てからじゃ」
まだ、材料はここにない。
鬼太郎はそれでも、帳面の別の栞へ指を掛けた。夏に何度も向かい合って考えた手順が、実際の紙と綴じに移る。
「続きを進めるのは、次の長い休みでよいのですね」
「そのつもりで手配しておる。急いで学校の中で使いたい、という話に変わってはおらんか」
「ええ。試す方について、ご相談したいことはありますが」
鬼太郎が頁を開くと、ダンブルドアは紙を置いた。
「サーシェスさんへ、出来上がった本を使ってみていただけないか、お話ししました」
「本人は、何と言った」
「まず止め方を見せろ、と。仕事で使うかどうかは、その後で自分が決めるそうです」
ダンブルドアの口元が、少し緩んだ。
「もっともな返事じゃな」
「はい。僕と先生も一緒に確かめ、止め方が怪しければ中止するとお伝えしています」
「仕事へ持って出れば、わしたちがそばにおるとは限らん。呼べたことと、一人で扱えることは、別に見なければならんぞ」
「ええ。ですから、最初からお任せするのではなく、出来たものを見て、使う方にも困るところを教えていただきたいのです」
校長は、鬼太郎の指した箇所を読んだ。
拒否して返すところ。条件を聞き、受けるかどうかを選ぶところ。夏に二人で決めた流れの途中へ、サーシェスから聞いた問いが書き足してある。
「まず一冊を作り、わしたちで確かめる。その次に、彼へ何を頼めるかを相談しよう。現物もない今、仕事で使えると約束は出来ん」
「はい。契約も、僕が勝手に決めるお話にはしません」
「当然じゃ。使う者が聞いておらぬ条件を、作った者だけで飲んではならん」
鬼太郎は頷いた。
この頁をサーシェスへ見せた時、彼は勝手に契約を決めるなと言った。先生も、そこを飛ばすつもりはないらしい。
次の余白へ、短く書き足した。
現物を確認してから、本人へ見せる。
ペンを置くと、ダンブルドアが最初の栞へ目をやった。
「今回の記録は、写しをもらえるかね。建物の場所と、話を繋いだ相手についても」
「はい。僕の手元にも残しておきたいので、写してお渡しします」
鬼太郎は報告に使った頁の範囲を確かめた。研究の設計と混ぜず、聞いた話の欄も、そのまま分かるようにする。
ダンブルドアは椅子へ座り直した。
「君の昔の話を聞いた時には、今の君以外にその火を使う者が、どこまでおるかも分からなかった」
「僕も、知りませんでした」
鬼太郎はヴェインの、小さい方の手を思い出した。
同じ名を唱えて、こちらへ火を放った。
それで、相手のことが分かったわけではなかった。
「次に会う方は、もう少しお話し出来るとよいですね」
「その話を、君だけで聞きに行かぬための相談をしたのじゃが」
「ええ。覚えています」
鬼太郎は帳面を閉じた。
外で誰が本を渡しているかは、まだ分からない。作る本の材料も、ここにはない。
だが、向かいの老人は、あの男が使った火を知った。次の知らせを、自分だけで抱えて進む必要はなくなった。
鬼太郎は鞄を膝へ引き寄せ、写しにする頁へ栞を挟み直した。