諸君、私は棺桶が好きだ。
できることなら毎晩棺桶で寝たいし、なんなら棺桶を背負って生活したい。
「ちょっとそこのお嬢さん。お手数だとは思うんですが、ちぃとばかしあっしの棺桶を試しちゃくれませんかね」
すれ違いざまに投げかけられたその突拍子もない言葉に、「は?」と、私の口から間の抜けた声が漏れた。
足を止め、ぐるりと辺りを見渡してみるものの、夕暮れ時の路地裏には人影はまばらだ。他に該当しそうな人物が居ないことを確認してしまい、無視して通り過ぎればよかったと己の失策を噛み締めながら、私は渋々といった体で声の主へと向き直る。
夕日に照らされたその男は、なんとも平凡な顔立ちをしていた。服装もくたびれたシャツに作業ズボンと至って普通だ。特徴的なのは、その時代錯誤な口調と、妙にへりくだった怪しい態度ぐらいだろうか。
「……それって私を指して言ってる?」
「ええ、勿論」
あまりにも堂々とした肯定に、思わず額に手を当てた。深くため息をついてから、私は男をジロリと睨みつける。
「なんで、棺桶を試してくれって言ってんの? そもそも私に声をかけた理由は何?」
「あっしはこう見えて棺桶屋をやっておりましてね。今時珍しい完全ハンドメイドのオーダーメイドで作ってるんですな。で、丹精込めた製品の感想やレビューを聞きたいんですが……なにぶん、客は皆口を利けないときた。そこで、しっかりと使用感を確かめられる『生きた』人を探しに都市に出てきて、ちょうどお嬢さんを見つけたってワケですよ」
珍しいも何も、今時棺桶というものが無用の長物だ。死体は有機物なら即分解して気体に変え、器物ならスクラップにしてリサイクル。これが都市の常識である。よくもまあ商売をする気になったものだ。
が、需要はある所にはあるのかもしれない。取り敢えず話を聞いてみることにした。
「だから、数ある通行人の中で私に声をかけた理由は何」
「んー、そうですねえ。なんだか、ひどく棺桶にうるさそうだから、ですかね」
彼はちょいと目線を下にそらしながらそんな事を言ってきた。
平凡な顔をしているのなら、感性も平凡であって欲しい。私は心底そう思った。
何がムカつくって、男のその直感が何一つ間違っていない所だ。
私は由緒正しき吸血鬼の家に産まれた。物心ついた時から棺桶を揺りかごにして育ち、成長してからも棺桶をベッド代わりにしてきた。挙句の果てには手放せなくなって、常に棺桶を背負って生きていたのだから。吸血鬼じゃなくてカタツムリじゃねーか、というツッコミは甘んじて受け入れよう。とにかくそんな訳で、私は棺桶の寝心地にはひどくうるさい。
しかし、何故私が棺桶にうるさいと分かったのだろうか。愛用の特注棺桶は、人間社会に擬態する為に泣く泣く実家の地下室に置いてきている。代替として、カバンに精巧な棺桶キーホルダーをジャラジャラとぶら下げて禁断症状を押さえているだけで、そんな棺桶狂いな素振りを見せているはずが無いのだが……。歩くたびにカチャカチャと鳴る小さな棺桶たちを見下ろし、私は首を傾げた。
「で、棺桶のお試しだっけ? ……いいよ。うるさいと見込まれて頼まれたからには、本当にうるさく行くからね」
「おお! そいつぁありがてえありがてえ! あっしの棺桶工房は少し離れた郊外にあるんでさあ。どうか着いてきてくださいよ」
「そのまま墓標になりそうな語感の工房だな……」
怪しい男にホイホイついて行くなど褒められた行為ではないが、結局私は好奇心に勝てなかった。都市に出てきて普通のベッドで寝るようになってから、どうにも良い睡眠を取れていなかったのも理由の一つだ。吸血鬼である以上、別に寝なくても健康上の問題はないのだが、やはり幼少期からの習慣というのは中々に手放せない。久しぶりに質の良い棺桶の感触を味わえるかもしれないという期待が、私の背中を押していた。
男の運転する軽トラに揺られること数十分。都市の喧騒からすっかり離れた、鬱蒼とした森の入り口にその「工房」はあった。
トタン屋根の平屋は外観こそボロボロの倉庫のようだったが、中に入るとむせ返るような真新しい木の香りが充満していた。壁という壁に様々な木材が立てかけられ、ノミやカンナといった手入れの行き届いた道具が整然と並んでいる。どうやら、腕はともかく職人としての活動は本物のようだ。
「ささ、こちらへ。今回お嬢さんに試していただきたいのは、こいつでさあ」
男が部屋の奥に置かれた布をバサリと取り払うと、そこに現れたのは見事な意匠が施された黒檀(こくたん)の棺桶だった。
私は息を呑んだ。重厚感のある艶やかな表面、一切の狂いなく組み上げられた曲線美。蓋に彫られた百合のレリーフには、芸術品のような繊細さがある。
「……触っても?」
「ええ、気の済むまで」
私は吸い寄せられるように棺桶に近づき、そっと表面を撫でた。指先に引っかかる粗は微塵もない。次に、重厚な蓋に手をかけてゆっくりと押し開ける。嫌なきしみ音一つ立てず、滑らかに内部が露わになった。
内張りには深紅のベルベット生地が使われており、クッションの反発力も目で見ただけで極上だと分かる。実家に置いてきた愛用品に勝るとも劣らない。いや、もしかすると……。
「……冗談でしょう。これ、あなたが本当に作ったの?」
「へえ。あっしの最高傑作です。ただ、どうしても寝心地のフィードバックが欲しくてね。さあお嬢さん、どうぞ中へ」
促されるまま、私は靴を脱いで棺桶の中に身を横たえた。
その瞬間、全身を包み込むような圧倒的なフィット感に、思わず恍惚としたため息が漏れた。
背中から腰にかけての絶妙な沈み込み。閉所でありながら全く息苦しさを感じさせない空間設計。冷たすぎず、熱をこもらせすぎない完璧な温度管理。まるで母親の胎内に戻ったかのような安心感だ。
「……どうですかい?」
男の声が、どこか遠くから聞こえる。
「……最高。控えめに言って、神の御業ね。これなら、百年は一度も起きずに熟睡できそう……」
「そいつぁ良かった。では、蓋を閉めますぜ」
静かに蓋が閉じられ、完全な暗闇が訪れる。だが、そこには恐怖も不安もない。ただ、絶対的な安らぎだけがあった。
私は薄れゆく意識の中で、都市での不眠症が嘘のように、深い深い眠りの底へと落ちていった。
深い眠りの中で、心地よい浮遊感に包まれていた私だったが、不意に現実の意識が急浮上してきた。
『……あれ? 私、都市の安アパートに帰る途中だったよね?』
猛烈な嫌な予感がして、私の目はカッと見開かれた。
「いやこのままじゃ朝帰りになっちゃうじゃん!!!」
私は飛び起きようとして蓋に頭をぶつけながら棺桶から顔を出した。
ゴツン! という鈍い音と共に脳天に痛みが走る。涙目で周囲を見渡すと、トタン屋根の隙間から目に刺さるような朝日が差し込んでいた。吸血鬼だからといって灰にはならないが、この強烈な光は明らかに朝のそれだ。
「もう朝ですよ、即落ち2コマみたいに寝てやしたね」
呆れたような、しかし自分の腕前を証明できてどこか満足げな男の声が降ってきた。彼は既に作業着の袖をまくり、手にはカンナを握っている。
「私の風評!!!」
年頃の女が、見ず知らずの男の怪しげな工房で外泊してしまったのだ。しかも棺桶の中で。
頭を抱えて悶える私をよそに、男はパンパンと手を叩いた。
「試用はもう十分でしょう、ほら上がった上がった」
まるで居座る野良猫を追い払うかのような手振りで、男は私を棺桶から急かした。
私は渋々といった体で身を起こすが、深紅のベルベットから離れるのが惜しくてたまらない。この極上の寝心地を手放して、またあの安アパートのペラペラの布団に戻るなんて耐えられない。
「うう……これ私の実家にしちゃ駄目?」
未練がましく棺桶の縁にしがみつきながら上目遣いで訴えかけるが、男は容赦なく首を横に振った。
「嬉しいこと言ってくれますがね、駄目ですよ。昨日も言いましたがオーダーメイドのハンドメイドですからね、もう買い手が決まってるんです」
「うう……じゃあ同じ奴作って……」
「お値段はこのぐらいになりやす」
男が作業台から一枚のメモ用紙をペラリと裏返して見せた。そこに書かれたゼロの羅列に、私の思考は一瞬停止した。
提示された額を見て私から言えることはひとつだけだった。
「やっぱ経済格差ってクソだわ」
「お嬢さん、お客さんの闇討ちをしそうな顔で言うのは辞めてくださいよ……」
私の目には血走った殺意が宿っていたに違いない。吸血鬼の身体能力をもってすれば、この棺桶を担いで逃げることだって……いや、流石にそれは犯罪だ。いくら吸血鬼と言えども治安部隊の集団と装備の暴力には適わない。しかし、この寝心地を知ってしまった以上、もう元には戻れない。
「欲しい欲しい欲しい欲しい私の素敵な棺桶が欲しい!」
私はついに理性を投げ捨て、床にへたり込んで手足をバタバタとさせて駄々をこね始めた。由緒正しき吸血鬼の矜持など、この究極の安眠の前では塵芥に等しい。
「あーあー駄々こねちゃってまあ……。そうだ! そんなに欲しいなら弟子入りなんてどうです?」
「へ? 弟子入り!?」
予期せぬ言葉に、私はピタリと動きを止めて顔を上げた。
「ええ、腕を磨きながら広報もやって、自分の棺桶を自分で作りゃあ良いんですよ。お給金はだします。その金で私を介して材料を買い揃えれば……って寸法です」
「おお、単に給料を回収されてるだけな気がするけど私には魅力的な提案……!」
冷静に考えれば悪徳商法スレスレの労働環境な気もするが、技術を身につければ自分好みの棺桶が作り放題になる。それに、都市で暇な夜をネットサーフィンしながら裏で買った血液パックをストローで吸うだけの生活をしているよりも、木屑にまみれて究極の寝床を追求する生活のほうが、よっぽど私の性に合っている気がした。
「決まり! 決定! 今日から私が一番弟子だよ、師匠!」
「へいへい。じゃあ早速、そこら辺の木屑の掃除からお願いしやすよ、お嬢さん」
カチャカチャとカバンに付いた棺桶キーホルダーを鳴らしながら、私はホウキを手に取った。
都市の片隅で、吸血鬼が棺桶職人の見習いになる。そんな珍妙な共同生活は、朝の光に包まれたこの小さな工房から、唐突に幕を開けたのだった。