初めてできた恋人からそうお願いされて、私は毎週日曜日、彼女の「王子様」になる。
――私は女の子として、女の子と恋愛がしたいのに。
ある日、恋人にデートをすっぽかされた私は、気まぐれに女の子らしい服を着て街を歩く。
そこで出会ったのは、
「その服、すごく可愛いね」
そう言ってくれた、一人の女の子だった。
カッコいい私ではなく、かわいい私を見つけてくれた女の子。
これは、男役を演じていた女の子が、初めて「ありのままの自分」で恋をする物語。
「あの日、私たちが出会ったのが偶然ではなかったとしたら……。澪さんは、どうしますか?」
そう、夕日を背にしながら、こちらへと問いかける彼女の顔は逆光ではっきりとは見えない。
笑っているのか、泣いているのか、それとも恐ろしいまでの真顔なのか。そのどれであるのか、それはきっと彼女のみが知ることだろう。いや、もしかしたら彼女自身でさえ自分が今、どんな顔をしているのかわかっていないのかもしれない。
私は、いったい彼女に今、どんな顔をしていて欲しいのか。見えないのならばいっそと、素直に自身の欲求に尋ねてみることにした。
私は一体、彼女に今、どんな顔をしていて欲しいのか。
……答えは、わからなかった。
彼女の笑顔が好きだったから、笑っていて欲しい。
一方で、彼女の先程までの告白が真実だとするのならば、罪悪感で涙するのは人としての道理でもある。
はたまた人の倫理から外れた彼女は、非人間らしく無表情であるべきと言えばそれもそうかもしれない。
わからない、わからない、わからない。
私と彼女との間の距離は、数値にして五メートルもないというのに、まるで彼方と此方のように隔たりを感じる。
あるいは、彼岸と此岸だろうか。その場合、どちらがあの世側に立っているのだろう。今の時点で生きた心地はしないけれども、ならばこちらが彼岸かと言われればそれは違う気もしてくる。
本当に、何もかもがわからない。
そもそもが、唐突過ぎるのだ。彼女の罪の告白が唐突だったせいでそのために、私の思考は纏まらないでいる。
そんな私に彼女は遠慮なく、次の質問をぶつけてくる。まだ、一つ目の質問にすらまともに答えられていないというのに。
「澪さんは、そんな私を……。嫌いに、なりますか?」
力強く引き絞られた第二の矢は、一寸の狂いもなく私の胸を貫いた。それに音をつけるのならばバキューン、が適切だろうか。それとも、ドスン、の方がいいか。どれも違う気がする。
わからない。
さっきからわからないことばかりで、嫌になる。昔からそうだ。私はこういう時、てんで無能になる。別に普段の私が有能だ、というつもりはないが、今と比べれば幾分かはマシだと言い切れるくらいにはダメダメだ。
けれども、そうだな。
今回の質問に関して言えば、私は一つ、確かな答えを持っている。
嫌いになるか、と彼女は私にそう言った。
嫌い、嫌いときたか。……まさか。誰が、誰を?
私が、彼女を?
――そんなこと、あるはずがない。
だって私はあの日、あの時、あの場所でとっくのとうに彼女という存在に、完璧に狂わされてしまっているのだから。そう、全ては半年前、私がいつも通り週に一度だけ女の子を辞めるはずだった、あの日に。
私はいわゆる、同性愛者だ。ありていに言えば生れつきの性と、恋愛対象の性とが合致している人間である。
十七年前に女として生を受けた私、
初恋は、どんなものであったか。今でも割とよく覚えている。
確か小学校三年生の頃、当時の担任の女の先生に私の気持ちは惹かれていた。
すごく笑顔が素敵で、あの人が笑えば教室内に花が咲きだしたかのように錯覚する、そんな暖かな人。可愛らしい、嫋やかな女性とはこういう人のことなのだな、と幼心に感動するような人だった。
告白は、していない。というより、出来ていない。
それは、そもそもあの時、自分自身が恋をしていることに気が付けていなかったというのもあるが、それ以上の理由として、あの人は私が小学五年生になる頃に同僚の先生と結婚してしまったからだ。
あの時覚えた胸をチクリと刺されたかのような痛みは、きっと失恋のものだったのだろう。当時は気付けなかったが、今振り返れば自分のことながら、なかなかに可愛らしい。
初恋は実らない、なんてどこかで聞いたが、私もその例に漏れずというわけだ。
ただ、恋こそ実らなかったがこの件を通じて私は、自身の恋愛対象が女の子であることに気が付けた。
正直、ショックはあった。自分が男の子ではなく、女の子が好きなんだって事実は。
だって、それもそうだろう。小学校五年生ともなると周囲の子たちもみんなマセてきて、ヒマがあれば恋愛の話をしているのだぞ。ドラマだったり、映画だったり、漫画だったり、もちろん現実の人間関係であったり。
嫌でも世間の恋愛における『普通』という概念は知るわけだ。
普通は男の人は女の人と、女の人は男の人と恋愛をするものだって。そんな知識を私は既にその時には獲得していた。
じゃあ、それなら私はなんだ? 女の子なのに、女の子に恋をしてしまう私は、いったいなんだという。
まるで世界の中で一人ぼっちになったような錯覚であった。みんなが持っている普通に、自分だけ即していないというある種の罪悪感に苛まれる日々。
先生も、友達も、両親だってみんなそう。違うのは私ただ一人。
もちろん実際はそうではないと今でこそ知ってはいるが、当時の私は本当にそう思っていた。自分だけが変なんだって。仲間なんて、どこにもいないって。
中学生になったころ、私は性懲りもなく女の子に恋をした。
正直、特別綺麗だとか、一番かわいいとか、そんな子ではなかった。垂れ目でくせ毛な、引っ込み思案な女の子だった。赤いフレームのメガネがトレードマークな、そんな子。
きっかけはなんてことはない。
偶然、席替えで席が隣り合うことになった彼女と、日々なんとなく会話をしているうちに惹かれてしまったのだ。
ふにゃりとした笑い方や、恥ずかしいのか笑い声をなるべく隠そうとする仕草、よく顔が熱くなるのか両手でパタパタと仰ぐ癖。
そのどれもが私の心に深く刺さった。彼女のおかげで私は自分の好み、というものに気が付けた。自分はいわゆる、女の子らしい女の子がタイプなんだって。
思い返してみれば初恋の先生も、そんな感じの女性であった。
結局として、私は彼女と恋人同士になることは無かった。告白も、していない。
そもそも隣り合ったの自体、偶然の席替えによる産物。私が彼女に惹かれるようになり出す程度に月日が過ぎ去った頃には、次の席替えのタイミングが来てしまったのだ。
結果として漫画のように二度目の奇跡は起きず、私と彼女との席は離れ、それ以降話すことも無くなってしまった。
この頃くらいから身長も伸び初め、次第に私はクラスの中でも『カッコいい、王子様のような女の子』として扱われるようになり始めた。生まれついて中性的な顔をしているのも、拍車をかけていたのだろう。
正直、あまり嬉しくはなかった。私は、かっこいいよりも、かわいいって言ってほしかった。
本当はパンツよりもスカートを履いている方が好きなのに。私服で遊びに行けば、それとなく似合っていないと言われることが苦痛でもあった。
似合っていないのは、わかっている。でも、好きなんだから仕方がないじゃないか。
私はあくまで、女の子として女の子と恋愛がしたかった。
王子様だなんて、望んじゃいない。そう叫びたい衝動を抑えながら、中学校生活三年間を過ごしていた。
――そして、今。高校二年生の夏。
こんな臆病でワガママな私にも、初めての彼女が出来た。彼氏、じゃない。彼女、女の子の恋人だ。
それは高校入学から同じグループに属している女の子の一人で、名前は
小動物のような動き方や、可愛らしいソプラノボイス、毛先を軽く巻きふんわりとさせたシルエットなどと、まさに女の子、といった感じの娘だ。
正直なところ、とてもタイプな女の子である。私はザ・女の子、みたいな愛らしい容姿にすごく弱かった。少なくとも付き合う前から会話をするたびに、「可愛いなぁ……」なんてふと思ってしまう程度には。
なんでそんな女の子と付き合うことになったかといえば、これは恥ずかしながら私からではなく、彼女の方から告白をされたからである。
『好きです、付き合ってください!』
そんな、言い方は悪いがありきたりの告白の文言を、これまたテンプレ通りにも放課後の校舎裏で受けた私。
正直、とても嬉しかった。
そもそもその日の朝から話があるから一人で放課後、校舎裏に来て欲しいと言われた時点で「もしや?」と思い、そわそわとしていたし、いざその時になると感動のあまり、言葉が詰まってしまった。
まさか、可愛いなと思っていた女の子の方から告白されるだなんて。
もちろん、返事は「はい」と「イエス」のどちらかしか持たなかった私は、その日をもって結花と正式な恋人同士になったわけだ。変にひねって断ったり、お友達から、なんて言うはずもない。そもそも、私と彼女とは元から友達ではあったのだし。
何度も重ねるが、嬉しかった。本当に、嬉しかった。
小学生の頃に抱いた孤独感は年々大きくなっていって、気が付けば私なんかには一生恋人なんかできないって、そう思ってしまっていた。女の子が女の子と付き合う、なんてことは無理なんだって。
自分がどんなに女の子を恋愛対象としてみたって、相手が自分を恋愛対象としてみてくれなければ意味がないのだから。
でも、出来た。こんな私にも、恋人ができた。それも自分のタイプな、イメージ通りの女の子らしい女の子な彼女が。
これを幸福と呼ばずに、なんと呼ぶ。
そして私たちが付き合い始めてそろそろ半年。未だキスも無ければ、手を繋ぐこともほとんどない私たちだけれども、それでも続けていることがある。
それはなんとも学生カップルらしいというか、言葉にすると若干の照れくささがあるが、いわゆるデートという行為だ。恋仲同士で一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べたりするそれである。
普段の平日は学校の授業であったり、部活動であったりとで二人きりの時間は共有できないが、休日、日曜日になればそんな縛りも消え失せる。
本当だったら放課後にも遊びに行ったりしたいが、他の友達との付き合いも大事にしたいという結花の願いからそれは我慢。
だから私たちは週に一度だけ、二人きりでデートをするのだ。日曜日の一日だけ、普段は難しい恋人同士らしい関係を楽しむ他めの時間を過ごすために。
本当になんて幸せ。
可愛らしい彼女、長らくの孤独感の解消、週に一度の甘い時間。これ以上を望むというのは、それこそワガママが過ぎるというものだ。足るを知る、と先日、現代文の授業で扱った『高瀬舟』でも書かれていただろう。
むしろ、この幸せのためだったら私は……。
――ある程度の我慢など、してしかるべきなのだ。
日曜日の昼下がり。私は待ち合わせ場所に少々早く到着していたので、懐から小さめの手鏡を取り出し前髪を整える。
青色で無地ながら、貧相には感じさせない品のあるそれは少し前に結花から貰ったプレゼントだ。付き合って半年記念、なんて言ってそう笑っていた彼女は変わらず可愛らしく、愛おしかった。思わず抱きしめてしまうほどに。
私からは雑貨屋で見かけた可愛らしい筆箱を贈ったのだけれども、それを普段の学生生活で使っているところを見かける度に私はふふ、と口元を綻ばせてしまうのは仕方のない事だろう。
若干、もうちょっとかわいいデザインが良かったなぁ、なんて思わなくもないがそれは贅沢というモノだろう。
「んー、何が正解なんだろう」
なんとなく、前髪を右に、左にと整える。正直、最適な状態とかは全く分からない。手を加える前の方が良かった気もするし、もう一手を加えたらさらに良くなる気もする。
鏡に映す私の髪の毛は自身の好みとは違い、短く切りそろえられている。雑に形容してしまうのなら、男の子っぽい髪型だ。
それを視界に収める度に思わず眉を顰めてしまう。なんとも我ながら女々しい。いや、女々しくあれるのならば私としては最高なことを踏まえると、この場合は雄々しい、であろうか。言葉の意味合いとしては大間違いな気もするが気にしないことにする。
「結花ってば遅いなぁ」
ちらり、と左腕の腕時計を流し見る。時計の文字盤が手首の内側ではなく、外側を向くように飾られたそれ。
一般に腕時計を女性は文字盤が手首の内側を向くように着用するものだということを踏まえると、今の私は間違っていると言えなくもないが……、これも彼女である結花からの言いつけだから仕方がない。
なんでも時間を確認するために、腕を捻って手首の内側を覗くという仕草が女性らしくて私には似合わないらしい。
と、そんなボヤきはさておいて。
時計の盤面では長針と短針とがそれぞれ今の時刻を示している。具体的に言うと二時と十五分の位置だ。
待ち合わせ時間が午後一時半であったことを思うと、結花は今のところ四十五分の遅刻をしており、その時間は今も少しずつ伸びていることになる。
多少、時間にルーズな所がある結花だが、流石にこんなに待たされるなんてことはこれまでなかった。
まさか何かしらの事件に巻き込まれたのでは、と若干心配になるも、今ここを動いて行き違いになるかも、なんてことを考えると私の両脚は動いてはくれない。
だからせめても、と結花と連絡を普段取り合っているインスタのDM画面を開いては、何かしらのメッセージが送られていないかと確認するのだった。
「……ん?」
そんなことを続けること十五分。適当にいくつかのSNSを徘徊してはたまにDMを確認、そしてまたSNS。
まるでそれだけのためのロボットかのように定まった動きを繰り返していると、ブーッとスマホが震える。
どうやら待ちに待ったメッセージがようやく届いたらしい。画面上に浮かぶ通知を目にして、どうやら犯罪に巻き込まれたとかではなさそうだととりあえずホッと胸を撫でおろす。
「……げっ、マジかぁ」
しかしその安堵も続くのは僅かな時間だけであった。
「若干そんな気はしたけどさぁ……」
はぁ、と思わず大きめのため息を零す。幸福を逃してしまう、なんて言われるが気にしない。
どうやら今日の私から幸福なんてものはとっくのとうに逃げだしてしまっているらしいから。
『急に部活が入ったから今日のデート行けなくなっちゃった!』
ごめんね、なんて謝る猫のスタンプと一緒に送られてきた短いメッセージ。その文章は情報伝達という観点からしたら満点と言っていいくらいに短く要件がまとめられている。きっと戦場とかだったら上官から褒められるのではないだろうか。
当然ここは戦地などではなく、平和な日本の街、東京なので満点どころか及第点にすら達していないけれども。
もちろん、恋人同士のやり取りという意味で。
「趣味じゃない服だって着てきたってのにさ」
はぁ、ともう一度ため息を零す。ボヤくなんてのは惨めな行為だって理解はしているが、どうしても小言を漏らしてしまうのはしょうがないと見逃して欲しい。
視線を落とせばパンツスタイルのザ・ボーイッシュといった感じの服装に身を包んだ私の身体が目に入る。当然、私の趣味じゃなく、あくまで恋人である結花の好みに合わせたファッションだ。
付き合いだした頃は私の好きな女の子っぽいファッションをデートの時にしていたのだけれども……。
しばらくして結花にこういう系統の服を着て欲しい、とお願いされたからデートの時にだけ、こういった服を着ることにしている。
まぁ、プライベートではまず着ない。あくまで結花が喜んでくれるから、という理由がなければ自分から選ばない選択肢だ。今日だってデート、つまりは結花に会う予定があるからと、こんな男の子っぽい服を着てきた訳だけれども。
その理由の方がドタキャンしてきた、となると本当に私が今この服を着ている理由がゼロとなってしまった。
さぁて、どうしたものか。
「まぁ、このまま帰るってのももったいないか」
せっかくの日曜日に家を出て、趣味では無いとは言えオシャレまでして。
そんでもって一時間近く待ちぼうけもくらって、その結末がドタキャンからの直帰というのはどうも納得がいかない。なんか、一人だけ妙に割を食ってしまっている気がする。
本当だったら今頃、結花と近くの喫茶店にでも入ってケーキでも食べながらたまにお互いのそれを交換し合ったり、もしくは映画館にでも行ってみて話題の映画を並んで鑑賞してみたり、なんてカップルらしい幸せな時間を過ごしていただろうに。
プラスの予定がマイナスで終わる、なんていうことを「はい、そうですか」と受け入れられる人間の方が少ないと、私は思う。少なくとも、私はそう言う人間だ。
「……服でも、見に行こうかな」
ポツリ、となんとなく思い浮かんだ案を呟く。
最初は本当に、そこに至る過程の思考とかも何もないフラッシュアイデアであったのだけれども。
「うん、いいかも」
意外と名案かもしれない、と遅れて次第に脳が肯定し始める。
振り返れば最近は毎週、休みの度に結花とデートをしていたから自分の趣味の服を見に行く、なんて出来ていなかった。今着ている服にも不満を抱えていることだし、ここは一度、お気に入りのお店に行って新しい服を買い、それをそのまま着て帰る、なんてのはマイナスを上向きにするのにうってつけではなかろうか。
うん、それが良い気がしてきた。
「よし」
私は一時間ぶりにその場所から動き出し、目的の店へと向かうのであった。
移動して十数分ほどでショップに到着した私は、ふらふらと彷徨いながら適当に商品を手にとっては眺めてみたり、戻したりを繰り返す。
その店はよくある大きな商業施設の中の数ある店舗の一つで、私が見つけたのもただの偶然であったのだが、置いてある商品の一つ一つが私の中の好みドンピシャなので度々通わせてもらっている。
まぁとはいえ、最近は来れてなかったのだけれども、それ故に新作やシーズンの変化に合わせた商品の変動とで前回来た時とはガラッと品ぞろえが変わっていて、正直すごく楽しい。
短期間に何度も来ると、ほとんど品ぞろえに変化がなかったりするのを思うと今日来たのは正解かもしれない。
「いつか結花とも、ここに来れたらいいけど……」
そう、淡い紺色のスカートを抜き出し手に取りながら願望を口にする。
正直に、「まぁ無理だろうけど」、とは決して言わない。そんなこと、私自身が一番よくわかっていることだから。
きっと恋人関係を健全に続けていきたいなら尻込みせず、彼女と話し合うべきなのだろう。
けれども、私にはその勇気が湧かない。
それは前に一度、彼女に私の好みを却下されたことや、今は安定している関係にわざわざヒビを入れたくない、なんて理由からだ。臆病な私らしいといえば、らしいのかもしれない。
そんな危ない橋を渡らなくても、ずっと私が我慢し続けて、男の子っぽい恰好をしていれば全て丸く収まるんだから。
私が結花のことを大切に思っていることは本当だ。
始まりこそ彼女の告白から始まった交際だけれども、決して私から彼女への好意が存在しない、という訳ではないのだ。
私は結花のことが好き。そこに嘘はない。
結局のところ、欲張りにも二兎を追おうとしているから上手く行っていないのだ。
可愛い彼女も欲しい、自分の好きな服も着たい。
どっちも、は良くない。欲張りは良くない。どっちか、を選ばなくては、いつかきっとその両方を失ってしまうことになる。そうなって後悔するのは自分自身に他ならない。
だから、続けよう。諦めて受け入れよう、この……
「週に一度だけ、女の子を辞める、この生活を」
日曜日に、男の子の恰好をして彼女とデートを繰り返すこの日々を。
それが、きっと私にとっての最善の選択だから。
……と、それは置いておいて。
「まぁ、今日は例外、例外。日曜日だけど、予定を飛ばしたのはあっち側だしね」
そう誰にともなく言い訳をして、私はウキウキと新たに目に入った良さげの服に手を伸ばして……
「あっ」
思わず、声を漏らす。自分で言うのもアレだけれども、間の抜けた声。
それは他のお客さんも同じ商品を手に取ろうとしていたのか、指先が触れ合ってしまったからであった。
「すみません、ボーっとしてて」
「いえ、こちらこそ!」
伸ばしていた右手を勢いよく引き戻し、謝罪の言葉を口にする。ほとんど身体の反射のような反応だ。火に近づけた指を勢いよく引き戻すような、それ。
触れ合った人差指と中指の先端がじんわりと温かいことに若干頬が熱くなるも、今は努めて無視を決め込んだ。
私は横を向き、今さっき触れ合ったばかりの女性に向かい合う。
「……ぁ」
そして再度、声を漏らす。先ほどよりもさらにか細く、無意識な小さな声。
(すごい、可愛い……)
ピシャン、と全身を雷が撃ち抜いたかのような錯覚を覚えるほどの衝撃が奔る。
眼球という器官から取得した視覚という情報、その全てが電気信号として脳へと伝達され、その細胞の一つ一つを震えさせているのが感覚として理解できた。
ぶるり、と勝手に身体が震える。頬が熱くなる。視界が色を帯び始める。
――ありていに言ってしまえば、私は眼前の女性に見惚れてしまっていた。
「えっと、すみません」
「いえ、こちらこそ」
特にどちらも悪くないのに、謝り合う。ただ手が触れ合っただけのことに、何度も謝罪を往復させる必要性何て本来は無い。
ぶつかっちゃいましたね、ごめんなさい。いえいえ、こちらこそ。
コレで終わる、日常の一幕でしかない接触事故。
ただ、目の前の彼女に意識を奪われてしまっていた私は、まるでオウムのように先ほど吐いた謝罪の言葉を、何回もうわごとのように繰り返すことしかできない。
自然と私が謝れば、彼女も返事のように謝罪を口にするから結果として何往復もの謝罪合戦となってしまった。
しかし、そんな会話とも呼べない反復横跳びを延々と続けているわけにもいかない。普通に考えて「ごめんなさい」を繰り返している二人組、なんて不審者そのものだ。
彼女に見惚れていた私はブンブン、と頭を軽く振って思考を一度まっさらにし、会話の内容を別のモノへと移す。
「えっと、その服、かわいい……ですよね」
(いや、会話へたくそかよ)
ビシ、と自分で自分に内心ツッコミを入れる。幼稚園児でももうちょっとマシな方向転換をするだろう、というくらいには雑でしかない話題振り。点数をつけるのならばもちろん零点以外にありえない。
(あ、えっと。会話ってどうやるんだっけ……)
そんな自身の不甲斐なさにさらにテンパり、会話の仕方すら頭から消えかけていく。普段、学校で友達とはどうやって話をしていたのか、てんで思い出せない。
別に、コミュ障ってわけじゃないし、それどころか、他人と会話するのはどちらかというと得意な方だったのに。今日、この時に限って頭も口も役に立たない。
「そうですよね。ここらへんのデザインとか、私いいな、って思います」
「あ、わかります、わかります」
(だから会話へたくそか、って!)
何がわかります、だ。会話を続ける気は本当に在るのか、と自分ながらに嫌になる。
せっかく相手がこちらの雑な振りに乗ってくれたのだから、それに感謝しながら会話を発展させようとするのがコミュニケーションというモノだというのに。
それを「わかります」で済ましていいはずがない。
よくあるたとえ話だが、会話というモノはキャッチボールに似ている。相手が投げて、こちらが受け取り、次にこちらが投げて、あちらが受け取るという繰り返し作業。それが会話であり、キャッチボールだ。
だが今回の場合、私は彼女の投げたボールをキャッチしたまでは良いが、その後すぐさまそのボールをポケットなりにしまい込んでしまった。
当然、返球も何もない。ポケットに入っているボールを投げるのなら、それはキャッチボールではなくマジックだ。ジャンルが違う。
「えっと、それ。見たところ残り一着みたいですし、私はいいんで、貴女が」
「え、でも、それは……」
気まずくなった私は、その場は切り上げようと半ば強引に締めへと向かう。
出来ることならもう少し、お話してみたかったのだが、これ以上会話を続けても恥の上塗りにしかならない予感しかしない。ならば可能な限り汚れる前に、姿を消すのが賢い人間の選択肢、というものだろう。
けれども彼女は私の提案に納得がいかないのか、こちらを困ったような顔で見つめてくる。正直、そんな顔もとても可愛らしい。
それにしても、譲る、と言って困るだなんて珍しい話だ。こういう場合、譲ってくれと言われて抵抗感を覚える、というのはあり得るけれども、その逆でも起こりうるだなんて思ってもみなかった。
私は彼女にその商品を譲るために、さらに理由を付け足すことにする。
「いや、私にはそれ、あんまり似合わないですから。貴女みたいな可愛らしい人の方が、ずっと似合う」
それは、心の底から出た本音であった。
大きくあしらわれたフリルも、フリフリのスカートも、小さく施された花の意匠も、そのどれもが可愛らしい、そんなワンピース。
とてもじゃないが、私には似合わない。可愛らしい服は大好きで、自分だってこういう服が着たいのだけれども、似合わないものは似合わないのだ。
それこそ、どんな人に似合うのかと言ったら……
「そんな、可愛いだなんて……」
(こういう人、なんだろうなぁ)
目の前で頬を赤く染め、可愛らしい、という言葉に恥じらいを見せる彼女。ズルい。その仕草だってバツグンに愛らしすぎる。
顔立ちも、身長も、身体付きも、表情も、声も、仕草も。その全てがすごく女の子って感じだ。私とは全然違う。
残り一点しかない服だって、きっと来てもらうならこんな、男みたいな恰好をしている奴なんかよりも、彼女みたいな人の方が――
「でも、そんなことはないですよ」
「え?」
そう、自分で自分を腐している最中、唐突に聞こえた鈴のような声色に意識が奪われる。
その声は、綿あめのような甘さで出来ているようで、しかしその芯は鉄骨のように硬いもののようであった。
「貴女だって、きっと似合いますよ。こういう服だって、きっと」
「そんなこと……。確かに趣味ではありますけど、似合うかに合わないかで言ったら……」
「いいえ!」
横に立つ彼女に、ぎゅうと手を握られる。すごく小さな、女の子の手だ。私の大きな手よりも、全然小さい。
しかし、込められている力は私なんかよりも断然大きくて、そこに彼女の断固たる意志を感じとる。
「可愛い服が着たいなら、着ればいいじゃないですか! 桜井さんだって、かわいい女の子なんですから!」
――それは、例えるのならばハンマーで殴られたかのような衝撃であった。
カワイイ。可愛い。かわいい。
かわいい、女の子。
そんなこと、生まれて初めて言われた、気がする。
「あ、えと、ありがとう……?」
突然の思考停止を行い始めた脳は、ありきたりな返答を生み出す。
先ほど彼女の声を綿あめに例えたが、今度の私の声もある意味、綿あめだ。中身がない、すっかすかの軽いモノ、という意味で。
「……」
ぎゅう、と両手を握ってくる彼女の両手の感触を私は意識して感じ取る。自然と、私の指先にも力が入り、彼女の手を握り返し始めた。
今では手を握られた、ではなく、繋ぎ合っている、といっていいくらいには両方で力を入れ合い、その感触を確かめている。
「――あ、すみません! なれなれしく!」
「いや、それは全然」
それから何分が経過したか。私としては一瞬のことだった気もするし、でも振り返ってみると何時間もそうしていた気さえしてくる。実際はそんな事ないことはわかっているのだけれども、それくらいに濃密な、充実した時間であった。
私は指先から込めた力を抜き、彼女の両手から自身の両手をゆっくりと離し始めた。
「――っと」
気まずい。
先ほどまで手を繋ぎ合っていたとはいえ、私と彼女とは初対面同士でしかない。というよりも、初対面同士なのにも関わらず、先ほどまで手を繋いでいたから気まずいのだ。
何を話せばいいのか、またわからなくなった。
手には先ほどまで感じていた彼女の熱と柔らかさとの感触がくっきりと残っている。私はそれを懐かしむように、にぎにぎと軽く右手を握りこんでみた。
「……えっと、それでは私はこの辺で」
そう言ってそそくさと去っていく彼女の背中を視線で追いかける。不思議と、声を掛けようとか、その背に手を伸ばそうとは思わなかった。
どんどん小さくなっていく彼女の後姿。気が付けばもう一つの小さな点にしか見えないくらいまで遠くに行っている。
――なんとなく、彼女とはまた会う気がする。
それは何の確証もない、ただの予感だ。
「……そう言えばなんで、私の名前を知っていたんだろう」
その呟きの答えを知る日は、そう遠くないことをこの時の私はまだ知らないのだった。
「やった、やった、やった……!」
夕暮れの街中を駆け抜ける。普段ならば気にする人の目線も、今は気にすることができない。最低限、接触事故が起きないように気にするのが限界だ。
カツン、カツンと不慣れなヒールの踵が音を立て、そのリズムに合わせるようにして心臓の鼓動も速くなっていく。
呼吸が苦しい、喉が渇いていく、そんでもって胸が張り裂けそうだ。
全身にあふれる高揚感と、満ち満ちる達成感に頬は緩みっぱなしで、きっと今の顔を鏡に映せばとてつもないだらしのない表情が見られることだろう。
でも、それも仕方がない事じゃないか、と一人内心、誰にでもなく言い訳をする。
だって……
「桜井さんと、おしゃべりしちゃった! しかも、学校でじゃなくって、休日に、お店で!」
そう。あの桜井さんと、あんなふうに仲良さげにお買い物ができるだなんて、本来ならありえないことなのだから。私が浮足立って夢見心地でいるのだって、仕方がないというもの。
「こんなのって、もう実質デートだよねっ」
弾む気持ちも、止まらない心臓の音も際限というモノを覚えてくれない。
本来ならばあり得ざる状況、あり得ざる展開、あり得ざる登場人物。それら全てへの興奮が抑えきれない私の魂は震え続ける。
それはいくらそれが、私の予定通りであったとしても、だ。
「あぁ、可愛そうな桜井さん……」
ぴたり、と足を止める。
気が付けば私は街中を抜け、少し外れた位置にある公園の前までやってきていたらしい。ジャングルジムの頂点のちょっと下の方に、赤く燃え盛る夕日が見える。
私は知っていた。彼女が、桜井さんが本当は今日お店で見ていたような可愛らしい服が好きだってことを。
それは今日聞いたから、ではない。もっと前から、とっくの昔から私は知っていたのだ。
その理由だとか、経緯だとかはどうでもいい。別に大した理由でもないし、それが重要となることもないから置いておく。
もっと大事なのは、そう。彼女はずっと我慢をしている、ということの方だ。
「本当は可愛らしい服が着たい、もっと女の子らしいお洒落がしたい。そう願っているのに……、出来ない」
今日の彼女の顔を見れば誰だって気の毒に思うだろう。あんなに楽しそうに服を眺めて、鏡の前で宛がってみたりしていた彼女と、待ち合わせ場所で度々、不本意そうに自身の恰好を見渡していた時の彼女とを見比べれば。
どっちが本当の桜井さんか、だなんて。
「あぁ、酷い、酷い。本当に、酷い話ですよ」
既に、彼女に恋人がいることも知っている。
そして、彼女がその恋人の為に好きでもないボーイッシュな格好をしていることも知っている。
可愛らしい女の子がタイプな桜井さんは、そんなタイプど真ん中の小日向さんから告白されて二つ返事で了承したのだろう。
だが、それは彼女を縛り付ける茨の蔦となってしまった。
私が偶然、桜井さんと小日向さんがお付き合いするようになったことを知った時は心の中でそれはそれは祝福をした。なんてお似合いな二人だろう、と。
それは美人な桜井さんと、可愛らしい小日向さんとはすごく絵になるからだ。
でも……。
「それは、違いますよね……」
彼女たちは週に一度、今日と同じように毎週の日曜日にデートをしている。先週もそうであったし、来週もきっとそうするはずだ。今日だけ違ったのは、私が無理を押し通したから、ってだけの話でしかない。こんな無理、当分使えない位にはギリギリの。
そんな毎週のデートで小日向さんは桜井さんに、今日みたいな服装をすることを指定している。本当は可愛らしい服装が好きな桜井さんに、趣味ではない男の子っぽい恰好を。
一方が一方に理想を押し付けるだなんて、そんなの健全な恋人関係と言えるはずもない。
ならば、ならば……。
「私が押し入っても、いいじゃ……ないですか」
一度は諦めたこの恋心。あんな可愛らしい子相手じゃ、自分なんかが逆立ちしたって敵うはずもないと勝手に白旗を上げたこの戦。
――それは、人の道理を外れる道だ。横恋慕なんて最低だ。恋人のいる相手に粉をかけるなど、到底許される話じゃない。
そんなことは、わかっている。
そんなこと、十分承知の上で私はもう動いているのだ。
私にとって大事なのは桜井さんだ、小日向さんじゃない。笑顔でいて欲しいのは桜井さん。傍にいて欲しいのも桜井さん。
幸せでいて欲しいのは、桜井さんなんだ。
だから私は……
「悪魔にだって、なってみせる」
既に恋人がいるから。そんなの、だからどうしたという話でしかない。
ならば次の座を奪えば良いだけではないか。必要とあらば、今その席に座る存在を蹴落とすことに躊躇なんてしている余裕なんて私には無いのだから。
――これは私が。
続きを書くかは未定です