『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
第58話 狙われる五人
ハルツ砦に届けられた地図には、ドルガ砦跡を横切る細い線が新しく描き加えられていた。
「王国軍の工兵が、ここまで瓦礫を取り除きました。歩兵は通れますが、補給馬車はまだ無理です」
報告役の士官が線の端を指した。
「工兵には護衛が付いていますが、妨害に出せる部隊はあります」
ガルベルトは地図を見下ろした。
「道が通れば、敵はドルガ市街へ進んでくる。今のうちに止める手もあるな」
「待ってください」
ヴェルナーが口を挟んだ。
「その部隊は、市街の守備から出すことになりますか」
「現状では、そうなります」
「ならば、まだ動かさない方がいいでしょう」
ガルベルトが顔を上げた。
「敵に道を作らせるのか?」
「道が開くまでに、こちらが何を終えられるかによります。工兵を襲えば作業は遅らせられるでしょうが、護衛との戦闘が始まる。敵の主力が動いていない今、守備兵を減らしてまで仕掛ける利益は小さいと考えます」
グラディオがヴェルナーを見た。
「では、その時間を何に使う」
「兵士の家族など、街に残る非戦闘員の退避と、守備配置の変更です」
ヴェルナーはドルガ砦跡を示す印に指を置いた。
「王国軍は、砦を取り戻してドルガ市街へ進むつもりだったのでしょう。ところが、砦を消した結果、自分たちの進路まで塞いでしまった。最初からあの結果を望んでいたとは考えにくい」
「魔法が想定以上に強くなったということか」
ガルベルトが言った。
「その可能性があります。将軍の魔法にも似たことが起きた。敵も威力を予測できなかったのだとすれば、同じ異常が再び起こる可能性を考えなければなりません」
「王国軍にも制御できんのなら、使わないかもしれんぞ」
「そう願いたいところですが、次に使わないと決めつけるわけにはいきません。街道が塞がれていても、魔法による攻撃への備えは必要です」
グラディオは地図の上のドルガ市街を見た。
「砦と同じことが、街で起きるかもしれんわけだな」
「はい。城壁に兵を集めるだけでは対処できません。先日から準備している、兵士の家族などの退避を実行に移しましょう。守備兵は残し、予備兵や物資の集積場所を分ける。指揮所が失われても命令が届くよう、連絡経路も増やします」
「兵を散らしたままでは戦えん」
「そこは将軍にお願いします。必要な時には集められる配置にしていただきたい」
ガルベルトは市街の駒を動かし、しばらく考えた。
「予備兵は分けられる。ただし、伝令の位置を変えないと集合が遅れるな。家族の護送に使う兵も計算し直そう」
「それと、敵の動きは街道だけで判断しません」
ヴェルナーは地図の西側を指した。
「主力の集結、補給隊の前進、それから魔法使いの動向を調べさせます。道路が完成する前に攻撃魔法の準備が始まる可能性もある。妨害へ切り替える場合に備えて、出す部隊と退路も先に決めておきたい」
「現地で判断できるようにしておくんだな」
「ええ。王国軍が動き始めてから、ハルツへ許可を求めていては遅いでしょう」
グラディオが頷いた。
「その方針で進めろ。ドルガを守ることに変わりはない。だが、兵の家族まで危険な街に残しておく必要はない」
ガルベルトが命令書を引き寄せたところで、扉が叩かれた。
「ドルガ方面から密偵が帰還しました。例の五人組についてです」
◇
旅装の密偵は、卓上に覚え書きを置いた。
「ドルガ砦跡の西側で、探していた五人組を確認しました。男三人、女二人です。王国軍の救護所で負傷兵を治療していた女が、ルシエラと呼ばれていました」
「今も救護所にいるのか」
ガルベルトが尋ねた。
「救護や復旧作業を手伝いながら、その周辺で行動しています。監視中に戦闘はありませんでした」
「分かりました。引き続き動向を調べるよう伝えてください」
ヴェルナーが答えると、密偵は一礼して退出した。
グラディオは、机に残された覚え書きを見た。
「見つかったか」
「はい。これで、もう一つの手を動かせます」
「聖女のことだな」
「ルシエラの排除を進言します」
ガルベルトの手が止まった。
ヴェルナーは続けた。
「これまでの異常現象に、あの五人が関わっている可能性は捨てられません。原因と断定はできませんが、ドルガに再び大魔法が向けられる前に、危険の一つを取り除きたい」
「捕らえて調べる手もあるだろう」
グラディオが言った。
「ええ。ただ、敵の前線近くで生きたまま連れ帰るには時間がかかります。それ以上に厄介なのは、ルシエラの《絶対防御領域》です」
「ミゼリアたちが報告した防御か」
「発動してしまえば、攻撃で傷つけることはできません」
ヴェルナーはそこで言葉を切った。
「ですが、発動する前なら別です」
グラディオが目を細めた。
「奇襲か」
「はい。領域を展開させる前に、聖女を仕留めます」
室内が静かになった。
これまで、五人の通常戦力と防御能力は分けて検討してきた。防御領域を正面から破る必要がないのなら、戦い方は変わる。
「勝算はどの程度と見る?」
「八割ほどです」
ヴェルナーは答えた。
「ミゼリア殿、ディモス殿、ロザリア殿から聞いた交戦情報を基にした見積もりです。領域を使わせないことを前提に、五人を十分に上回る精鋭を投入する。実行する者の選定と、具体的な手順はガルベルト将軍に任せたいと思います」
ガルベルトが頷いた。
「過去の情報だけで今の強さまでは分からん。だが、こちらの戦力には余裕を持たせられる。人選は俺が責任を持とう」
「ドルガの守備は?」
「減らしません。別に人を出します」
グラディオはしばらく黙っていた。
「あの少女は、我が軍の兵を助けている」
「はい」
「それでも、ドルガを砦のように失うわけにはいかん」
グラディオは顔を上げた。
「許可する。ただし、救護所にいる者や周囲の者を巻き込むな。家族の退避とドルガの防衛準備も予定どおり進めろ」
「承知しました」
ガルベルトは命令書を持って席を立った。
今度の任務にどの兵を使うか、彼の頭にはすでに何人かの顔が浮かんでいた。
◇
ガルベルトが呼び出した兵たちは、その日のうちに任務を受けた。
全員、ガルベルト自身が実戦で腕を見てきた兵だった。
短い打ち合わせが終わると、兵たちは装備を整えた。
出発を見送ったガルベルトのところへ、ドルガの守備隊から別の報告が届く。予備兵の配置と、兵士の家族を運ぶ荷車の手配についてだった。
「護送の兵は、ここから回せ。門の見張りは減らすな」
副官が命令を書き留める。
ガルベルトは次の書類を開いた。聖女への任務は送り出した兵に任せ、ドルガの守りも進めなければならない。
◇
ハルツからの命令がドルガ市街に届き、受け入れ先が整った兵士の家族から退避が始まった。
門の内側には二台の荷車が用意されていた。乗り込むのは、守備兵に同行していた妻や子どもたちだ。
「お父さんは乗らないの?」
荷台に上がった少年が、見送りに来た兵士を見下ろした。
「俺はまだここに残る。お前は母さんと先に行け」
「あとから来る?」
兵士はすぐには答えず、少年の肩からずり落ちかけた外套を直した。
「向こうで待っていてくれ」
妻は夫の袖を一度だけ握り、少年の隣へ腰を下ろした。
出発の声がかかる。兵士は荷車から離れ、動き出した二人を見送った。
門の上では、変わらず見張りの兵が街道を警戒していた。城内の予備兵は新しい待機場所へ移され、伝令が順に走って連絡を確かめている。
誰も、街を明け渡すつもりではなかった。
◇
数日後、ハルツ砦に二つの報告が届いた。
一つは、ドルガ市街から兵士の家族の移送が始まり、予備兵の配置変更も進んでいるというもの。
もう一つは、王国軍の工兵が相変わらず街道の瓦礫を片づけているというものだった。補給馬車が通れる道は、まだ完成していない。
「工兵への妨害は、引き続き見送りますか」
士官が尋ねた。
「今のところは。王国軍の主力や魔法使いの動きが変われば、現地で対応できるようにしてあります」
ヴェルナーは報告書を重ねた。
机の端には、まだ誰にも渡していない別の書類が置かれていた。
ドルガの防衛配置とは別に、王国軍の補給位置や、砦跡の西側へ続く道を調べるための項目が並んでいる。
聖女排除の見込みは八割。成功した場合に何をするかまで考えておかなければ、得られた機会を逃してしまう。
「街道の報告に、一つ加えてください」
「何でしょう」
「王国軍がどこまで道を広げたか。こちらから西へ進む場合に、何が通れるかも調べておいてください」
士官が顔を上げた。
「こちらから、ですか?」
「ええ」
ヴェルナーは砦跡の向こう側へ視線を移した。
「王国軍は、ドルガへ攻め込むために道を直しているのでしょう。ですが、道が開いた時、そこを進むのが王国軍とは限りません」