戦争は変わった。▼戦争は無くならなかった。▼ヘヴィーオブジェクトの世界に艦娘が現れたという短編

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ヘヴィーオブジェクト 軍艦は少女となりて

かつて『国連』と呼ばれた巨大な国際組織が崩壊を迎え、旧来の国家という枠組みが音を立てて砕け散った時代。

世界は大きく四つの共同体に引き裂かれていた。

『正統王国』、『資本企業』、『情報同盟』、『信心組織』。

これら四つの巨大な陣営が地球の覇権を懸けて睨み合う現代において、戦争の主役は泥臭い歩兵や戦闘機から、全長五十メートルを超える超大型兵器『オブジェクト』へと完全にシフトしていた。

核兵器すらも無力化させたその球体のバケモノたちがすべてを支配する、オブジェクト全盛の時代である。

 

だが、そんな鉄が支配する世界において、世界の海には突如として摩訶不思議な超常存在が現れていた。

深海から湧き出るように現れた異形の怪物『深海棲艦』。

そして、それに対抗するかのように人類の側にもたらされた、軍艦の魂を宿す少女たち『艦娘』である。

『提督』と呼ばれる特定の適性を持った人間にのみ管理・運用が可能なその存在は、見た目こそ華奢な女性そのものだが、その中身たるや「人の皮を被った軍艦」と呼んで過言ではない化け物であった。

 

 

 

一面にどこまでも青い海が広がる場所。小島と呼ぶにはそれなりに広く、だが前線の軍事拠点とは言えない絶海の孤島。

そこに、ヘイヴィア=ウィンチェルはいた。 階級は『少佐』。

一応は『正統王国』の有力貴族ウィンチェル家の嫡男である彼にとって、若くして佐官の地位を得たと言えば聞こえはいい。

だが、実際の彼の扱いは、そんな立派な役職には到底相応しくないものだった。

 

「……詐欺じゃねえか。クーリングオフの期間はとうに過ぎたのかよ、クソッタレ」

 

誰に言うでもなく、海風が吹き込む窓辺でヘイヴィアはぼやいた。

彼に与えられた拠点は、およそ軍の最先端施設とは呼べない代物だった。

蛇口を捻ってから水が湯に変わるまでに優に三十秒はかかるポンコツ仕様のシャワー設備。潮風で建付けの悪くなったドア。

どう見てもおざなりに作られたこの施設には、一丁前に『鎮守府』などという古めかしい呼称が付けられている。

 

何でも、そんな仰々しい名前を付けることで麾下に入る艦娘の精神が安定し、能力が向上する……みたいな理由らしい。

ヘイヴィアはそこで、毎日ただただ無為に時間を溶かしていた。

 

「少佐だぞ、少佐。軍隊のヒエラルキーじゃそこそこのお偉いさんだ。なのに、生身の部下がただの一人もいねえって、どんなブラックジョークだよ……!」

 

頭を抱えて愚痴りながら、彼は備え付けられた端末で今の世の情勢を確認する。

 

「なんだこのオンボロ回線……テキストの読み込みにどんだけ時間かけてんだよ」

 

低俗な悪態をつきながら軍事ニュースのページを開いたヘイヴィアの目は、次の瞬間、画面に踊る見出しに釘付けになった。

 

そこには、アラスカの極寒の雪原において、『正統王国』の第37機動整備大隊が第二世代オブジェクトであるウォーターストライダーを撃破した顛末が記されていた。

そして、驚愕の事実。

 

『──大隊所属のクウェンサー=バーボタージュ学生らが、生身による潜入工作でオブジェクトを撃破』

 

「は……?」

目を丸くしたヘイヴィアは、食い入るようにニュースを隅々まで読んだ。

味方のオブジェクトなしで、生身の人間が第二世代機体を撃破しただと?しかも、クウェンサー一人で、だと?

 

「おいおいおいおい、嘘だろ!? ただの戦場派遣の留学生だよな!?何がどうなって、人間の体一つで核に耐えるバケモノをぶち壊すような事態になってんだよ!」

どこのどいつかは知らないが……。

いや、実は赴任前に少しだけ面識があったような気もするが……話半分に受け取っても、一体どんな奇跡を起こしたんだと叫びたくなる。

 

ここで塩風に吹かれながら生きながら腐っていくような日々を送るくらいなら、本来の予定通り、あそこに『上等兵』として配属されるべきだったのではないか。

あのバカげた球体の戦いに巻き込まれる危険性を考えれば、当然尻込みはする。

だが、何もしないまま少佐の肩書きだけを抱えて一生を終えるよりはマシだったのではないか。

 

「少佐って身分に目が眩んだ俺の浅慮だったぜ……」

深く大きな為息をつき、ヘイヴィアは嘆いた。

軍の上層部から「君には艦娘を束ねる『司令』としての類稀なる適性がある」とおだてられ、少佐待遇という甘い汁に飛びついて喜んだ自分が恨めしい。

確かに、後方に引きこもっていれば安全に軍歴の箔は付けられる。だが、それにしても、度を越して「暇」なのだ。

 

「司令官、どうされたんですか? そんなに大きな為息をついて」

背後から鈴を転がすような声がした。振り返ると、セーラー服に身を包んだ少女が立っていた。

名は、吹雪。 艦娘である。この鎮守府に着任したヘイヴィアに与えられた、たった一隻の「初期艦」だった。

 

見た目はどこにでもいる清楚な少女だが、その中身は人型をした駆逐艦と言っていい。

陸地にいる状態ではその能力がある程度セーブされるらしいが、それでもヘイヴィアは以前、信じられない光景を目撃している。

浜辺の砂に深くタイヤを取られ、完全にスタックしてしまった装甲ジープを、彼女は「よいしょっと」などと言いながら、片手で軽く押し出して動かしてみせたのだ。

馬力だけでも間違いなく怪物級。人間の基準で測ればバケモノである。

 

「いや……別に、なんでもねえよ」

「そうですか?……あ、そうだ。司令官、私以外の艦娘の建造は、いつ頃になりそうですか?もっと仲間が増えれば、演習や出撃も幅が広がると思うんですが」

 

無垢な瞳で尋ねてくる吹雪に対し、ヘイヴィアはうんざりしたように肩をすくめた。

「あると思うかよ、んなもん」

「えっ?」

「お前たち艦娘を一隻建造するのに、どれだけの資源が必要になるか知ってるか?燃料・弾薬・鋼材・ボーキサイト……それこそ、旧時代の本物の軍艦を一隻組み上げるレベルの量が必要なんだぞ」

 

ヘイヴィアの口から飛び出したのは、身も蓋もない現実だった。

 

「そんな山みたいな資源を湯水のように使う余裕があるんなら、軍上層部は間違いなくオブジェクトを運用してる部隊に回す。それが今の戦争の常識だ」

 

だが、それでも。 この合理性こそがすべての世界において、艦娘という存在に資源を注ぎ込む物好きや変人共は確かに存在している。

 

『資本企業』は、艦娘を「アイドル」という形でプロデュースし、莫大な利益を上げているという。

あそこは金になるなら軍事力だろうがオカルトだろうが何でもやる連中だ。

『情報同盟』は、艦娘がもたらす「物理的にあり得ない現象」を解明し、新たな技術体系を確立する為に躍起になっているらしい。

『信心組織』に至っては、オカルトが物理的な形を成した超常存在として狂喜乱舞している。

彼らは自分たちの教義に合わせて呼び方を勝手に変え、例えば北欧神話圏が強い地域では艦娘のことをヴァルキュリアなどと呼んで神聖視している始末だ。

 

そして、ヘイヴィアが所属する『正統王国』はどうか。不幸な事に、上層部は艦娘の存在にそれほど興味を持っていなかった。

ただ、「今後の研究結果や世界情勢の変化によって、万が一にも艦娘の戦術的価値が高騰した場合に備え、数だけは揃えておく」という、極めて消極的かつ打算的な理由で制度を維持しているに過ぎない。

だからこそ、この絶海の孤島に押し込められたヘイヴィアのような少佐待遇と名ばかりの人間が他にも大勢いるはずだ。

その見知らぬ同胞たちを思うと、ヘイヴィアは同情を禁じ得なかった。

 

(将来的に艦娘の扱いがどう転ぶかは分からねえが……)

ヘイヴィアは内心で毒づく。

 

艦娘がいくら人間離れした化け物スペックを持っていようと、所詮は旧時代の軍艦レベルなのだ。

水上を滑走し、主砲を撃ち、魚雷を放つ。それだけだ。

核攻撃の直撃にも耐える数十層の装甲を持ち、レーザーやレールガンで地形ごと敵を消し飛ばすオブジェクトに勝てる要素など、万に一つもない。

現に、深海から現れた未知の怪物である『深海棲艦』でさえも、海戦特化型の第二世代はおろか、第一世代オブジェクトが放つ副砲のレールガンの雨に打たれ、あっさりと海の藻屑に吹き飛ばされているという報告が上がっている。

絶対的なオブジェクトの暴力の前では、深海棲艦も、そして恐らく艦娘も、等しく無力なのだ。

 

おまけに、艦娘という存在は人間同士の戦争に介入することを良しとしない。

 

「私たちは、深海棲艦と戦い、海を守る為に生まれたんです」

 

そう真っ直ぐな目で主張する彼女たちは、確かに良心的ではある。だが、軍隊のヒエラルキーに属する者からすれば、人間の都合で動かない、兵士とも兵器ともつかない中途半端な存在でしかない。

 

(艦娘なんて、今の時代においては戦力として成り立たねえんだよ……)

 

ヘイヴィアは喉元まで出かかったその残酷な言葉を、なんとか唾と一緒に飲み込んだ。

目の前にいる健気な少女にそれをぶつけるのは、いくらなんでも酷だと思ったからだ。

 

「……司令官?」

 

きょとんとした顔で、吹雪はまだそこに立っている。

きっと彼女も暇なのだろう。やるべき任務も、戦うべき相手も、増える仲間もいないこの僻地で、時間を持て余しているのだ。

ヘイヴィアも同じく死ぬほど暇だから、その気持ちは痛いほどよく分かった。

 

(まあ、本当に将来どうなるかは分からねえしな)

 

個人レベルで見れば、艦娘が恐ろしく強いことに違いはないのだ。

小銃弾などものともせず、素手で戦車をひっくり返すような少女たちは強面で筋骨隆々の大男と違って、視覚的な心理的圧迫感が無い。

その為、一部の変態……いや、好事家な将官たちは、艦娘を優秀なボディガードとして重宝しているという話も聞く。護衛としての価値なら、あるいは見出だせるのかもしれない。

 

「ま、気長に待つしかねえさ。上層部の気が変わって、急に補給物資がドカッと送られてくるかもしれねえだろ。そしたら、お前の妹分でもなんでも作ってやるよ」

「本当ですか!?約束ですよ、司令官!」

 

ぱぁっと顔を輝かせた吹雪を見て、ヘイヴィアは「あぁ、分かった分かった」と適当に手をひらひらと振って背もたれに体重を預けようとした。

 

だが、その時だった。

バキッという粉砕音。

 

「あ?」 突如、ヘイヴィアが腰掛けていたパイプ椅子の脚が、限界を迎えたかのように真っ二つに折れた。

塩害でサビだらけになっていたオンボロ椅子は、少佐の体重を支えきれずにあえなく崩壊したのだ。

「うおぉっ!?」

 

ヘイヴィアは為す術もなくひっくり返り、プレハブ小屋の硬い床に後頭部を思い切り強打した。

 

「し、司令官!? 大丈夫ですか!」

慌てて駆け寄ってくる吹雪の顔を見上げながら、ヘイヴィアは薄れゆく意識の中で、心底どうでもいいことを考えていた。

 

(……上等兵として極寒の地で泥水をすするのと、ここでサビた椅子ごと転げ回って後頭部を割るの、どっちがマシな人生だったんだろうな……)

ヘイヴィア=ウィンチェル少佐の平和すぎる戦いは、今日もこんな調子で続いていたのだった。

 


 

ヘイヴィアは薄暗い倉庫の中で、また増えている謎の資材の山を見上げては溜息をついた。

 

たまに来る軍からの正規の補給物資とは別に、このおんぼろ鎮守府の倉庫には、毎日のように「いつの間にか」見慣れぬ資材が積み上がっている。

緑色のドラム缶に入った燃料、木箱に詰められた弾薬、無骨な鋼材のブロック、そしてオレンジ色の結晶のようなボーキサイト。

 

「……マジでなんなんだよ、これ」

 

彼が提督という名の閑職に就いたあの日から、毎日のように決まった量の資材が虚空から湧き出すように現れるのだ。

物理法則も質量保存の法則もガン無視したこの超常現象は、上手く運用すれば間違いなく世界経済の根底を覆すだろう。

だが、これらの資材が軍の他部署へ回されたという記録はない。今の所は。

理由は極めて現実的だった。

 

「突然何もないところから生まれた物は、戦闘の真っ最中に突然ポンと消えるかもしれない」

そんな不確定要素の塊でできた燃料や弾薬を、数億、数十億の予算が注ぎ込まれたオブジェクトの動力炉や砲弾に使うなど、合理的思考を重んじる軍上層部からすれば狂気の沙汰であった。

結果として、この謎の資材は艦娘の運用にしか使われないという暗黙のルールができあがっていたのだ。

 

(まあ、『信心組織』あたりの連中なら、これぞ神からの恵みだ!とか言って有難がって神殿にでも飾るんだろうがな)

ヘイヴィアは呆れ半分にそんなことを思いながら、こつこつと自然増加分を貯め込んでいた資材のストックを確認した。

 

「よし、そろそろ一隻ぐらいいけそうだな」

ヘイヴィアは新しい艦娘を建造することを決意した。

一応は軍の組織に属している以上、無断で戦力を増強するわけにもいかず、念の為本国である『正統王国』の司令部へ打診の通信を入れた。

しかし、返ってきたのは「あー、はいはい。規定の資材内でやるなら勝手にどうぞー。報告書だけ後で送っといてー」という、耳をほじりながら答えている光景が目に浮かぶような適当な許可だった。

 

「あの野郎ども、完全にこっちの事を重要視してねえな……」

ヘイヴィアの心の奥にまた一つ、黒い鬱憤が溜まる。

 

だが、そんな彼の憂鬱をよそに、初期艦である吹雪の目はキラキラと輝いていた。

「司令官!いよいよ新しい仲間が増えるんですね!もしかして、私の姉妹艦だったりするんでしょうか!?」

期待に胸を膨らませる少女を連れて、ヘイヴィアは鎮守府と名ばかりのおんぼろ設備の片隅に設けられた建造ドックへと向かった。

 

艦娘の建造がどのように行われるか。それは現代科学の最先端を突き進む『情報同盟』のサイエンティストが聞いたら泡を吹いて卒倒するような手順だ。

消費する資材の数値を提督が決めた後に『妖精』が作るのだ。何を言っているか分からないと思うが、ヘイヴィア自身もよく分かっていない。

「妖精とは何だ?」と他人に問われて間違いなく正気を疑われるだろうが、実際に手のひらサイズのよく分からない小人たちが、トンカチや溶接バーナーを持ってわらわらと集まってくとしか答えようがない。

 

「えーと、燃料はこのくらいで、鋼材は多めに……よし、頼むぞ」

ヘイヴィアは虚空(常人には見えない小人たちがいる空間)に向かって適当に頷きながら指示を出す。

傍から見れば何も無い空間に向かって喋っている狂人にしか見えない。

 

そこからしばらく、待機時間が始まった。

吹雪は「どんな子が来るのかなぁ」とワクワクしてドックの周りをうろうろしている。

ヘイヴィアは壊れかけのパイプ椅子(前回の教訓を活かして補強済み)に座り、欠伸を噛み殺しながら待った。時間は朝から昼過ぎへとゆっくりと流れていく。

 

そして、その時は来た。

ドックを覆っていた蒸気と光が弾け、異様な現象の果てに、一人の少女が姿を現した。どう考えても現代の科学者には説明不可能な誕生の瞬間である。

彼女の姿を見た瞬間、ヘイヴィアの脳内に直感的に『名前』が浮かび上がった。

 

「……満潮か」

それが分かるのかと言われても、説明は不可能だ。提督として直感的に理解できるようになっているとしか言いようがない。

 

誕生した少女──満潮は、ツインテールの髪を揺らし、いかにも生意気そうな顔つきでヘイヴィアの前に立った。

 

「第八駆逐隊、満潮。着任したわ。……あなたが私の司令官? ふーん……まあ、いいわ。足手まといにだけはならないでよね!」

 

ビシッと敬礼をしながらも憎まれ口を叩く満潮。

 

「わあ! 満潮ちゃん、よろしくね!私、吹雪って言います!」

 

それに応えて、吹雪は元気いっぱいに歓迎の声を上げる。

一方のヘイヴィアは「あー、よろしく頼むわー」と、極めておざなりな返事を返した。

満潮はフッと笑みを浮かべ、提督に対して余裕を見せている。

 

「さあ、出撃の命令をちょうだい? 私の力、存分に見せつけてあげるんだから!」と、その小さな体から溢れんばかりのやる気を放っている。

だが、その過剰なまでの期待が、ヘイヴィアの胸をチクチクと痛めつけた。

(……言えねえ。今のこのオブジェクト全盛の世界じゃ、お前たちの出番なんぞ微塵もねえなんて、口が裂けても言えるはずがねえ……!)

 

一先ず現状を把握させる為、ヘイヴィアは彼女たちを別室へ移し、軍のネットワークから引き出した現在の世界情勢の情報を端末で見せた。

『国連』の崩壊。世界を四分割する巨大な共同体。そして、戦争の概念を根底から書き換えた超大型兵器の圧倒的な力。

案の定というべきか、さっきまで自信満々だった満潮は、画面を見つめたままみるみると顔を青ざめさせ、完全に落ち込んでしまった。

 

「な、なにこれ……こんなバケモノみたいな兵器が、世界中を闊歩してるって言うの……?私の主砲なんて、豆鉄砲みたいじゃない……」

「ま、まあまあ!私たちには私たちの戦い方があるよ!ね、司令官!」

ヘイヴィアは吹雪と一緒になって、肩を落とす満潮を必死に宥める羽目になった。

 

話し合いの中で、満潮が何よりもショックを受けていたのは、かつて自分たちが所属していたはずの『日本』という国家が、すでにこの世界に存在していないという事実だった。

「日本が……無い……? じゃあ、私たちは一体誰の為に、何を守る為に戦えばいいの……?」

 

目に涙を浮かべて途方に暮れる満潮を見て、ヘイヴィアは複雑な思いを抱いた。

 

(よく分からねえ感覚だな……)

 

旧時代に生まれていた存在だからこそショックなのだろうが、生まれた時から『正統王国』という枠組みの中で生きてきたヘイヴィアにとって、国家という概念の喪失に対する彼女たちの痛切な悲しみは、どこかピンとこないものだった。

やがて満潮はなんとか落ち着きを取り戻したが、すっかり不貞腐れてしまい、口をへの字に曲げてぶー垂れている。

そんな彼女を見て、ヘイヴィアはふと口走った。

 

「なあ、お前ら。深海棲艦相手にやるより、いっそあのバカでかいオブジェクトと戦って勝った方が、このおんぼろ鎮守府の為……というか俺の待遇改善の為に手っ取り早いんだが。どうする?一発デカい星を挙げてみるか?」

冗談半分のその呟きに対し、満潮はぴたりと言葉を詰まらせた。

 

「……っ、それは……」

彼女が黙り込んだのは、人相手の戦争に参加することへの忌避感からではなかった。純粋な兵器としてのスペックの差を冷静に計算し、万に一つも勝機がないと悟ったからこその沈黙だった。

誇り高く勇敢であり感情も豊かな少女でありながら、冷徹冷静な兵器としての思考も併せ持つ。そのアンバランスな精神構造が、提督となった身であってもヘイヴィアには未だに理解しきれなかった。

 

「……ま、冗談だ。気にするな」

気まずい空気に耐えきれず、ヘイヴィアは彼女たちをその場にほったらかしにして、逃げるように執務室へと戻った。

すると、満潮と吹雪も何故か当たり前のようにとてとてと後ろから付いてくる。

 

執務室の椅子にどっかりと腰を下ろしたヘイヴィアは、相変わらず読み込みの遅い端末を操作し、『正統王国』の本国に向けて再び通信を繋いだ。

 

「おい、聞こえてるか通信兵!このクソみたいなオンボロ回線、なんとかならねえのか!」

 

悪態をつきながら、彼は切実な要求を叩きつける。

 

「艦娘が増えたんだよ!これで二隻だぞ!貴重な戦力が増強されたんだ、いい加減本国も俺の存在を無視できねえはずだろ!とっととこのプレハブ小屋みたいな施設を拡張しやがれ!」

ヘイヴィアには、切実な理由があった。実は今日まで、彼と初期艦の吹雪は、狭い部屋を二人一組でシェアして生活していたのだ。

一応は年頃の少女の見た目をした相手と、プライバシー皆無の同室生活。外から見れば羨ましいシチュエーションかもしれないが、ヘイヴィアにとっては気疲れの連続でしかなかった。

 

「もういい加減我慢ならねえ!せめて一人一部屋の個室を用意しろ!名目上とはいえ、俺は少佐だぞ!少佐なんだよ俺は!!」

 

だが、本国の窓口から返ってきた言葉は、やはり心ここにあらずといったそぞろなものだった。

 

『あー、少佐。施設の拡張予算は今期、別の大隊のオブジェクト整備費に回されちゃってゼロなんですよ。木材や鋼材の資材ならそっちで勝手に湧いてるんでしょ? DIYでもして、自力で部屋を増築してくださいよ。じゃ、そういうことで。通信終わり』

 

プツン、と非情に切断される通信。 背後では、吹雪と満潮が「私たち、これからこの部屋で三人で寝るんですか?」「ちょっと、私のベッドはどこよ!?」と騒ぎ始めている。

ヘイヴィアは震える両手を強く握りしめ、そのまま机にガンッと力任せに叩きつけた。 深く、深く項垂れる。

 

(……やるしかないのだろうか……少佐の俺が、日当りのいい個室の為に、あの中途半端なトンカチ持った妖精共と一緒に、ノコギリと釘で日曜大工を……)

 

やりたくなかったが、やるしかない。

ヘイヴィア=ウィンチェルは、倉庫の片隅から引っ張り出してきた工具箱を足元に放り投げ、額に浮かんだ汗を拭った。

 

「……あー、クソ。なんで正統王国の有力貴族たるこの俺様が、軍の規定書片手にプレハブ小屋の増築なんてDIYまがいの真似をしなきゃなんねえんだよ」

 

後ろでは吹雪と満潮が「ここをこうして、壁をぶち抜いて……」と素人丸出しの設計図を地面に書いている。

その背後では、何故か小さな妖精たちが安全第一のヘルメットを被ってスコップやらノコギリやらを持ち、出番を待つようにワラワラと集まっていた。

完全に狂っている。この島は常識から見放されている。ヘイヴィアが深く為息をつき、ノコギリの柄を握ろうとした、その時だった。

 

バタバタバタバタ……!

 

遠くから微かに、しかし確実に空気を震わせるローター音が聞こえてきた。

 

「ん?」

 

ヘイヴィアが水平線の向こうへ目を凝らすと、青い空と海の境界線から、一機の輸送ヘリがこちらへ向かって一直線に飛んでくるのが見えた。

所属を示すカラーとマーキングは『正統王国』のものだが、正規の補給便のスケジュールとは合わない。

直後、腰に提げた通信機から、ひどいノイズ交じりの音声が飛び込んできた。

 

『こちら、第37機動整備大隊。緊急の用件につき、そちらの島への着陸を要求する』

 

「第37大隊……?」その単語を聞いた瞬間、ヘイヴィアの背筋にゾクリとした悪寒が走った。

つい先ほどニュースで見た、アラスカでオブジェクトを撃破したというあのイカレた部隊だ。

理由は分からない。だが、ヘイヴィアの脳髄の奥底にある『生存本能』が、けたたましい警報を鳴らしていた。

 

「あいつらに関わるとロクなことにならない」「命がいくつあっても足りない最悪のトラブルがやってくる」と、魂のレベルで拒絶反応を示しているのだ。

 

「こちらヘイヴィア=ウィンチェル少佐!悪いがここは俺の管轄だ!アポなしの着陸は許可できねえ、引き返せ!」

 

ヘイヴィアは通信機に向かって吠え、同時に背後の二人へ鋭い視線を送った。

 

「吹雪、満潮! 遊んでる場合じゃねえ、警戒態勢を取れ。アイツらをここに着陸させたくない!」

「えっ?は、はい!」

「な、なんなのよ急に……!」

 

艦娘二人が即座に艤装を展開するが、輸送ヘリのパイロットはこちらの拒否など意に介する様子はなかった。

否応なし、問答無用といった強引な機動で砂浜の上空へ到達し、猛烈なダウンウォッシュを巻き起こしながら強行着陸をキメたのだ。

 

「チッ、やりやがった……!」

 

砂埃を手で払いながら睨みつけるヘイヴィアの前に、ヘリのハッチが開き、武装した男たちがパラパラと飛び出してきた。

そして、その兵士たちに続いて、一人の少年が砂浜に降り立った。

金髪に、飄々とした顔つき。どう見ても歴戦の兵士には見えない、お気楽な学生のような風貌。

 

「あー、着陸許可どうもー。急いでたんで助かりましたよ」

 

少年の口から出た言葉は、どこか間の抜けたものだった。顔は見覚えがあるニュースにあったクウェンサー。

あの有名人か、ヘイヴィアが早く帰れと怒鳴ろうとした瞬間。

 

(……なんだ、こいつ?)

 

ヘイヴィアの中に、猛烈な違和感が爆発した。 今日初めて会ったはずだ。顔も、名前も、ついさっきニュースで知ったばかりだ。

それなのに、目の前の金髪の少年を見た瞬間、『またかよ』という理不尽なまでの疲労感がどっと押し寄せてきたのだ。

なんだこの感覚は。まるで、前からずっと、こいつのふざけた無茶振りに巻き込まれ、極寒のアラスカから灼熱の砂漠まで泥水をすすりながら一緒に死線を潜り抜けてきたような……そんな強烈な既視感。

 

ハッとしてクウェンサーの方を見ると、相手も同じように目を見開いて、妙な顔でヘイヴィアをまじまじと見つめていた。

 

「……あれ?なんかあんた、すごくよく知ってる顔のような……いや、初対面ですよね?」

「あ、ああ。初対面だ。ていうかお前、なんかムカつく顔してんな。初対面だけど」

 

ヘイヴィアは反射的にそう言い返し、ブンブンと頭を振った。ただの錯覚だ。オカルトじみた艦娘なんぞと毎日一緒にいるせいで、脳の回路がバグっちまったに違いない。

 

「……で、第37大隊の英雄サマが、こんな辺境の島になんの用だ」

 

不愛想に敬礼を一つ交わし、要件を促す。するとクウェンサーは即座に真剣な顔になり、切迫した声で尋ねてきた。

 

「数日前に、この島に所属不明の無人航空機が墜落──あるいは漂着しませんでしたか? その中にある『ブラックボックス』を探してるんです」

 

ヘイヴィアは思い当たる節があった。

数日前、海岸をパトロールしていた吹雪が「司令官! 変なゴミが流れてきました!」と言いながら、馬鹿げた怪力で砂浜を引きずってきたスクラップの残骸のことだ。

航空機らしきそれはひどく破損しており、ヘイヴィアは「所属不明機の漂着」として本国へ適当に報告だけ入れ、中身の部品らしきものは倉庫の奥に放り込んで放置していた。

 

「ああ。それなら倉庫の奥に転がってるぜ」

「本当ですか! よかった、急いで案内してください!」

 

案内する道中、クウェンサーの後ろについてきた隊員たちが、吹雪と満潮を珍しいものを見るような目でジロジロと眺めていた。

 

「おい、あれって……噂に聞く『艦娘』ってやつか?」

「マジかよ、生で見るのは初めてだ。本当に人間の女の姿してやがる」

 

軍部において、艦娘の存在は完全にマイナー枠だ。知ってはいても、本物を見るのは初めてという反応は無理もなかった。

満潮が「なによ、ジロジロ見ないでよね!」と不満げに牙を剥いているのを横目に、ヘイヴィアはクウェンサーから事情を聞き出した。

 

話は、ドロドロに腐った汚職の件だった。

それも、『正統王国』の軍上層部と敵対陣営であるはずの『資本企業』が裏で手を結んでいたという、発覚すればひっくり返るような特大のスキャンダル。

クウェンサーたち第37機動整備大隊は、その汚職の証拠を隠滅しようとする両陣営のオブジェクトによって消されかけたのだという。

 

彼らは死物狂いで奮闘し、なんとかオブジェクトを撃破した。だが、肝心の証拠は見つからなかった。

何故なら、汚職に関わっていた者達の裏切りに次ぐ裏切りがあったからだ。証拠隠滅として、談合の舞台となっていた基地はオブジェクトの主砲で丸ごと消し飛んだ。

関係者もろともだ、肉片が残っているかどうかも怪しいレベルで証拠は消し飛んだのである。

 

「唯一の頼みの綱が、そのブラックボックスなんです」とクウェンサーは言った。

汚職に関わっていた者たちは、互いを微塵も信用していなかった。だからこそ、もしもの時に自分だけが助かる為の『保険』として、証拠のデータを分散して隠していた。

その一つが、墜落した無人航空機のブラックボックスだった。

クウェンサーは、オブジェクト同士の激戦の最中に基地から不自然に飛び立った無人機を怪しみ、残燃料と海流のデータからこの孤島を割り出し、ヘイヴィアの適当な漂着報告の通信をキャッチして飛んできたのだという。

 

「……こいつら、命がいくつあっても足りねえようなバカなことに、また巻き込まれたのかよ」

 

ヘイヴィアは思わずそう呆れたが、自分の心の中で「また」という単語が出たことには気づかなかった。

恐ろしくヤバい事件のど真ん中である。こんな連中と一秒でも長く一緒にいたら、少佐としての平穏な引きこもりライフが終わってしまう。

 

「わかった。倉庫の鍵は開いてるから勝手に持っていけ。用が済んだら、とっととこの島から出てってくれ」

 

隠すことなく、声に出して本音をぶつけた。

その時だった。 ヘイヴィアはふと、クウェンサーの背後、それも遠く広がる水平線の向こう側に違和感を覚えた。

人が。海の上を、人が移動している。それも、二つの人影が。

 

「あ?」

 

ヘイヴィアの頭の中で、警戒ゲージが一瞬にしてレッドゾーンを振り切った。

目を凝らそうとした瞬間、その二つの人影から、チカッ、と何か光るものが飛んできた。

それは一般兵から見れば、ただの発光する何かだ。ピンポン球のような謎の光点にしか見えず、危険を感じるようなものではない。

だが、艦娘という存在のを間近で見てきたヘイヴィアと、当事者である吹雪、満潮には、それが何であるか痛いほどよく分かった。

 

あれは、『砲撃』だ。

 

「伏せろォォォッ!!」

 

ヘイヴィアは隣のクウェンサーの首根っこを掴み、問答無用に全力で砂浜へ引き倒した。

同時に、吹雪と満潮も素早く反応し、倉庫からブラックボックスの箱を抱えて出てきた隊員たちの襟首を掴むと、恐るべき馬力で軽々と引きずり、安全なコンクリート壁の裏へ放り投げた。

 

ほぼ次の瞬間だった。

 

ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!という鼓膜が破れるほどの轟音と、大地を揺るがす衝撃。

ヘイヴィアが顔を上げると、ついさっきまでクウェンサーたちが乗ってきた輸送ヘリが、巨大な火球となって跡形もなく吹き飛んでいた。

 

「うわああああっ!?ヘリが!俺たちのヘリがぁっ!」

 

砂まみれになったクウェンサーが悲鳴を上げた。だが。

ヘイヴィアの耳は聞き逃さなかった。そのクウェンサーの悲鳴が、どこか『計画通りだぜ』と言わんばかりの、微かに嬉しそうな響きを帯びていることを。

 

こいつまさか。

ヘイヴィアの脳内で、バラバラだったピースが一つに繋がった。

 

ブラックボックスを手に入れたところで、間違いなく暗号化されている。それが何の証拠になるかは、黒幕本人にしか判別できない。

だからこいつらは、わざと派手に「証拠を手に入れたぞ!」と軍のネットワークで喧伝しながらこの島へやってきたのだ。

スキャンダルを揉み消したい者をこの島におびき寄せ、直接とっ捕まえて自白を強要し、それ自体を証拠にする為に!

 

「お前はッ!!毎回毎回、自分の命を平気で賭け金に使いやがって!!」

 

ヘイヴィアは激怒してクウェンサーの胸ぐらを掴み、全力で怒鳴りつけた。

自分でも無意識の行動だった。今日初めて会ったばかりの、それも民間人上がりの留学生に対して、まるで何十回も同じ死線をくぐってきた相棒に対するようなキレ方をしてしまった。

 

「へへっ、バレたか! でもしょうがないだろ、こうでもしなきゃ尻尾を掴めない連中なんだから!」

 

クウェンサーもクウェンサーで、少佐であるヘイヴィアに対して完全にタメ口で、一切の遠慮がない。

 

(なんだこのやり取り……俺たち、前世で漫才でもやってたのか……)

そんなアホみたいな疑問が頭をよぎるが、今はどうでもいい。

問題は、直面している圧倒的な命の危機だ。

 

「貸せ!」

 

ヘイヴィアは、壁の裏で伏せていた隊員からアサルトライフルを引ったくり、その光学照準器を双眼鏡代わりにして水平線の彼方を覗き込んだ。

 

「……嘘だろ」

 

スコープのレンズ越しに敵の姿を捉えた瞬間、ヘイヴィアの口から絶望的な呻き声が漏れた。

見えたのは、水平線を滑るようにこちらへ向かってくる二つの影。

背中にあるのは四十一センチ連装砲──それを背負った、威風堂々たる女性二人。

 

まさかの、艦娘。

それも、規格外の火力と装甲を誇る『戦艦』クラスの長門と陸奥だった。

 

「……終わった。勝てる気が1ミリもしねえ……」

 

オブジェクトの主砲には及ばないにしても、生身の歩兵や粗末なプレハブ小屋の鎮守府など、あの主砲の一斉射で島の地形ごと消滅する。

 

ヒュオォォォォォン……!と空気を引き裂く音と共に、二度目の砲撃が飛来した。

だが、その砲弾はヘイヴィアたちの頭上を大きく飛び越え、島の裏側の海面に着弾して巨大な水柱を上げた。

明らかに威嚇射撃だ。

 

「……やっぱりそうだ」

 

砂浜に這いつくばったまま、クウェンサーがニヤリと笑った。

 

「何が『やっぱり』だよ!? なんでさっさと俺たちをこの島ごと吹き飛ばさねえんだよ、あいつらは!」

 

ヘイヴィアが怒鳴ると、クウェンサーは得意げに解説を始めた。

 

「黒幕は、自分の目で唯一の証拠品を確認して、確実に壊すまで安心できないんだよ。だから、あの艦娘たちには『島を消し飛ばせ』じゃなく、『証拠を回収しろ』って命令を下してるはずだ」

 

なるほど、とヘイヴィアは嫌な納得をした。島ごと吹き飛ばしてしまえば、ブラックボックスが完全に破壊されたかどうかの確認が取れず、永遠に震えて眠る羽目になるからだ。

 

「……疑心暗鬼の臆病者かよ。絶対上司にしたくねえタイプだな」

 

砂を吐き出しながらぼやくヘイヴィアの横で、吹雪と満潮が艤装の砲門を海へ向け、戦艦の威圧感に足の震えを堪えながらも立ち上がっていた。

 

「司令官……相手が戦艦でも、私たちはやります!」

「当たり前でしょ!こんなところで沈むもんですか!」

 

その健気な姿にヘイヴィアは特大の溜息をついた。

 

「ああもう、クソッタレ!!なんで俺の人生はこうなるんだよ!!」

 

ヒュルルルルル……ズドォォォォォォンッ!!!と言う、海を隔てた彼方からの断続的な砲撃が、容赦なく絶海の孤島を揺るがせる。

着弾のたびに巨大な水柱と土砂が巻き上がり、腹の底を殴りつけるような重低音が空気を震わせる。

 

「うおぉぉぉっ!?ひぃぃぃっ!」

「伏せろ! 頭を下げるんだ、死にたくなかったら地面とキスしてろ!」

 

飛び交う砲弾の雨の中、人間たちは悲鳴を上げながら、ただひたすらに砂浜を這い回るしかなかった。泥水と塩砂に塗れ、無様に這いつくばるヘイヴィア達。

だが、そんな絶望的な状況下において、吹雪と満潮の二人は全く違っていた。

 

「……敵艦、距離約四〇〇〇。速度一五ノットで接近中」

「ていうか、完全に私たちをナメてるわね。真っ直ぐこっちに向かってきてるわよ」

 

彼女たちは砂浜に突っ立ったまま、飛来する砲弾の軌道を冷静に観測している。

砲弾の直撃さえ喰らわなければ、爆風など平気だからだろう。着弾の衝撃で跳ね飛んだ大人の拳ほどもある小石が、弾丸のような速度で満潮の頭に激突した。

人間なら間違いなく頭蓋骨が陥没し、即死かよくて重傷という威力。

 

だが満潮は「痛っ! もう、せっかく梳かした髪が乱れちゃったじゃない!」と、少し機嫌を損ねたように頭を払っただけだった。

艦娘にとって、その程度の物理エネルギーは「軽い衝撃」でしかないのだ。

 

「……いやぁ、本当に不思議だよねぇ」

這いつくばって砂まみれになったクウェンサーが、頭上を通り過ぎる砲弾の風切り音を聞きながら、極めて素朴な疑問を口にした。

 

「最低でもここから四キロは離れてるはずなのに、なんであんなピンポイントで狙えるんだ?彼女たち、レーザー測距儀はおろか、光学照準器みたいなものすら持ってるように見えないんだけど」

「あのな、あれは艦娘特有のオカルトパワーなんだよ!!」

 

砂を吐き出しながら、ヘイヴィアは大声を張り上げて解説した。

 

「あいつら、見た目は普通の女だが、海の上を時速何十キロで爆走しながら、十キロ先の人型物体に主砲の弾をドンピシャで当てられるバケモノなんだよ!!」

 

その言葉を聞いた瞬間、ヘイヴィア以外のその場にいた全員……クウェンサーや第37機動整備大隊の隊員たちが、信じられないものを見るような表情で吹雪と満潮を振り返った。

彼らは知っているのだ。現代の兵器体系において、揺れる海面から目視もできない十キロ先の目標に砲弾を当てるというのは砲撃理論を無視した神業であることを。

 

「何だよその顔は!俺だって最初は疑ったさ!」

 

ヘイヴィアがそこまで断言できるのには理由があった。以前、あまりにも暇すぎた彼が、吹雪に砲撃テストをやらせたことがあったのだ。

結果は、三キロ先の海上に浮かんでいた、ブイ代わりの空のドラム缶を見事一発で粉砕。

うとうとしていたヘイヴィアの眠気が、一瞬で吹き飛ぶほどの異常な精度だった。

 

「えへへ……そんな、十キロ先なんて、運が良くないと当たりませんよぉ」

「そうよ。私たちみたいな駆逐艦クラスじゃ、よっぽど練度を上げないとそこまでの精密射撃は無理なんだから。ま、私にかかればこれくらい当然だけどね!」

 

吹雪が照れたように頬をかき、満潮がツインテールを揺らして得意げに胸を張る。

なんだか急に和気藹々とした女子中学生の放課後みたいな雰囲気が漂い始めた。

 

「今はそれどころじゃねえだろうがぁっ!!」

 

ヘイヴィアは血相を変えて叫んだ。

 

「逃げようにも、こいつらが乗ってきた輸送ヘリはさっき木っ端微塵になったんだぞ!他にある足なんて、俺が休日に釣りをする為に使ってるボロボロの手漕ぎボートしかねえんだよ!!」

 

絶望的な状況だ。逃げ場のない孤島で、規格外の火力を持つ戦艦がジリジリと距離を詰めてきている。ヘイヴィアは砂浜での這いずり移動を止め、全力で周囲を見回した。

今までの敵の砲撃行動、弾着のタイミング、狙い。直感と経験をフル回転させ、何か一つでも事態を好転させる手がかりを察知しようと思考を加速させる。

 

(……おかしい)

 

死人が出ていないのは、単純に相手が『わざと外している』からだ。ブラックボックスの無事を確認するまで、島全体を吹き飛ばすわけにはいかないからだ。

だが、先ほどから砲弾は、不自然なほど『隊員たちの装備品』の近くを掠めている。

そこで、ヘイヴィアは漸く一つの事実に気がついた。

 

「……なんであいつらが、人間に対して砲撃できてるのか分かったぜ」

 

ヘイヴィアの呟きに、クウェンサーが顔を上げる。

艦娘は良心的だ。「深海棲艦と戦う為に生まれた」と自称し、人間同士の戦争には介入したがらない。ならば、何故今、彼女たちは生身の人間がいるこの島を躊躇なく砲撃できているのか。

 

「あいつら……『人間』じゃなくて、『兵器』を狙って撃ってやがるんだ」

歩兵の世界には、条約の抜け穴がある。

対物ライフル、装甲車などを撃ち抜く為の大口径狙撃銃で生身の人間を狙い撃つことは、過剰な威力として国際条約で禁止されている。

だが、戦場ではこう言い訳をするのだ。

 

『俺は敵の持っていた無線機、あるいは銃という装備品を狙って撃っただけだ。それで偶然、後ろにいた人間の体が当たって吹き飛んだとしても、それは不慮の事故だ』という詭弁である。

 

今の長門と陸奥は、その理屈で砲撃を行っているとしか思えない。

 

「吹雪!満潮!艦娘ってのは、そういうヘリクツで人間を攻撃できるのか!?」

 

ヘイヴィアが怒鳴るように質問すると、二人は顔を見合わせ、気まずそうにコクリと頷いた。

 

「……提督の命令で、どうしてもやらなきゃいけない時は……」

「やろうと思えば、やって出来ないことはないわね」

 

それを聞いた瞬間、ヘイヴィアは手に持っていたアサルトライフルを、まるで熱した鉄板でも触ったかのようにポイッと砂浜へ放り投げた。

 

「おい!お前らも今すぐ銃を捨てろ!通信機も、ナイフも、軍用品は全部だ!!」

「えっ、ちょ、武器を捨てるんですか少佐!?」

「いいから捨てろ!『わざとじゃないんだけど、あなたが持ってた銃を狙ったら偶然当たっちゃった。ごめんね☆』っていうふざけた理屈の四十一センチ砲弾が飛んできてるんだぞ!!」

 

その一言で、第37大隊の隊員たちも血相を変えて次々と装備品をかなぐり捨てた。瞬く間に、彼らは完全な丸腰の集団となった。

 

これで、少なくとも「装備品を狙った誤射」という詭弁での直接攻撃は防げるはずだ。

だが、そこまでやって、ヘイヴィアは痛感した。

 

(……で、ここからどうするんだ?)

完全に後が続かない。

 

丸腰になったところで、相手の戦艦は悠然と海を滑り、確実にこの島へと近づいてきている。

逃げ出す船もない。吹雪と満潮に、抱えられて海を渡るか?

いや、無理だ。ここから一番近い正統王国の拠点でも、数百キロは離れている。

いくら馬力のある艦娘でも、大の大人の男たちを何人も抱えたまま、長門と陸奥の追撃を振り切って数百キロを航行するなど不可能だ。

 

八方塞がり。

チェックメイト。

そう思い絶望的な顔になるヘイヴィアだったが、ふと横を見るとクウェンサーが、汚れた顔でニヤリと『余裕の笑み』を浮かべていた。

それどころか、死に直面しているはずの第37大隊の隊員たちまでもが、多少の怯えは見せつつも、似たような顔をしているのだ。

 

「お前ら……まさか、こんな状況からでもひっくり返せる秘策でもあるのか!?」

ヘイヴィアが藁にもすがる思いで尋ねようとした、その時だった。

 

波打ち際に、人が乗り上げる音が聞こえた。

 

「あ……」

 

時間切れだった。 砂浜の波打ち際に、二つの影が上陸を果たしていた。

問答無用の破壊力の四十一センチ連装砲。そして、その重武装を背負っている二人の女性──長門と陸奥。

距離にしてわずか数十メートル。

生身の人間と戦艦が、物理的な距離をなくして対峙する空間。

 

何も知らない者が見れば、相手は銃一丁持たってないように見える丸腰。では、素手で殴りかかるか?

不可能だ。

相手は戦車どころか、かつて艦隊決戦を想定した『装甲』を身に纏っている。人間の拳など、分厚いチタン合金の壁を殴るようなもので、こちらの骨が砕けて終わる。

 

ならば、味方の吹雪と満潮を戦わせるか?ヘイヴィアは一瞬それも考えたが、即座に打ち消した。

無理だ。相手は戦艦、こちらは駆逐艦。艦娘同士の戦いで、正面切っての撃ち合いになれば、その火力と装甲の差はあまりにも絶望的だった。

吹雪と満潮を無駄死にさせるだけだ。

 

逃げ道なし。対抗手段なし。交渉の余地なし。沈黙が降りた砂浜で、長門が静かに四十一センチ砲の砲門をヘイヴィアたちに向けた。

 

「…………」

ヘイヴィアは諦めの境地で天を仰ぎ、ゆっくりと両手を頭の上に挙げた。

クウェンサーも、隊員たちも、大人しく両手を挙げて降参のポーズを取る。

 

「……ハイ、お見事。完全にチェックメイトだ。降参するよ」

 

絶海の孤島で繰り広げられた戦いは、圧倒的な質量と暴力の前に、極めてあっさりと幕を下ろしたのだった。

全員が砂浜で両手を挙げ、完全なる降伏の意思を示してからしばらくして。

 

遠くの空からパタパタと小気味良いローター音を響かせ、一機の小型ヘリコプターが孤島に降り立った。

驚くべきことに、そのヘリを操縦していたのは黒幕と思しき中年の男、ただ一人だった。

こんな辺境の島に、重要な証拠の隠滅と目撃者の始末という重大な仕事をこなしに来たというのに、護衛の兵士すら一人も連れていないのだ。

 

(……どんだけ人間を信じてねえんだよ、こいつ)

 

ヘイヴィアは砂浜に膝をつかされたまま、心の中で毒づいた。誰も信用できないからこそ、汚職の証拠を自分の手で確認し、自分で始末をつけるしかない。

極限まで煮詰まった疑心暗鬼と不信の表れだった。名前など知らないし興味もないが、同じ『正統王国』の軍服を着ていることすら不快に思えた。

 

「で?この中で誰が責任者だ。貴様か?」

男は、傲慢な足取りで近づいてくると、迷うことなくヘイヴィアの前に立った。

 

「は?いや、俺はただの島流しにあった名ばかりの」

「黙れッ!!」

 

弁明の言葉は、男が振り抜いた軍用ブーツのつま先によって物理的に遮られた。

 

「ぐぼァッ!?」

 

顎を蹴り上げられ、ヘイヴィアは砂浜を無様に転がった。口の中に鉄の味が広がる。

 

「待て、話を聞けって! 俺はこの島で暇つぶししてただけの」

「とぼけるな!貴様らがこの小島に流れ着いたブラックボックスを回収したのだろうが!吐け、データをどこにコピーした!」

「だから違うって言ってんだろぉがぁっ!!」

 

何度否定しても、しこたまボコボコに蹴りつけられた。

男の頭の中では「こいつらが自分の汚職の証拠をネタに強請ろうとした悪党」というストーリーが完全に出来上がっており、ヘイヴィアの悲痛な叫びなど単なる言い訳としか認識されていないようだった。

 

「司令官から離れなさいよ、このクソ野郎ッ!!」

「やめて!司令官をいじめないで!」

 

見かねた満潮と吹雪が猛然と男に飛びかかろうとしたが、それは叶わなかった。

 

「動くな」

 

背後から、氷のように冷たく、圧倒的な重圧を伴う声。

長門と陸奥である。二人の艦娘は、吹雪と満潮の華奢な体を後ろから羽交い締めにし、完全に制圧していた。戦艦クラスのパワーの前では子供扱いだった。

 

「……そこまでにしては?」

 

ヘイヴィアがボロ雑巾のようにされ、意識が飛びかけたその時。長門が静かに威圧感を込めて男に告げた。

男はビクッと肩を震わせ、蹴り上げていた足を止めた。

長門は目を細め、底冷えのするような視線で男を見下ろしている。いくら目撃者の処刑という結末が待っていると分かっていても、これ以上の無意味で一方的な虐待は、武人たる戦艦の誇りが許さなかったのだろう。

 

「……チッ。まあいい」

 

男は舌打ちをしつつも、明らかに長門の眼光に怯えていた。

自分に絶対的な忠誠を誓っているはずの艦娘だというのに、その底知れぬ暴力の化身を前にして恐怖を隠しきれない。誰も信じない、自分の手駒の力にすら怯える臆病者。それがこの男の本質だった。

 

「おい、データを他にコピーしていないのは本当だな?」

 

息も絶え絶えなヘイヴィアとクウェンサーたちを睨みつけ、男はブラックボックスを手にした。

男はブラックボックスを空高く、海の方へ向かって放り投げた。

 

「長門ッ!」

 

命令が下る。 次の瞬間、長門の背にある四十一センチ連装砲が火を噴いた。

凄まじい轟音と閃光。空中に放り出されたブラックボックスは、オーバースペックすぎる直撃を受け、木っ端微塵に消滅した。

 

「ふははっ……!終わった。これで完全に証拠は消えたぞ」

歓喜に顔を歪める黒幕。証拠の隠滅は完了した。となると、次に待っているのは必然的に「事情を知る者と目撃者の処刑」である。

男がゆっくりと、腰のホルスターから拳銃を抜き放った。

 

(ヤバい、このままじゃ確実に殺される……!)

 

焦燥がヘイヴィアの脳髄を焼き焦がす。誰にも言わないと叫んでみても、こんな猜疑心の塊のような男が信じるはずがない。

 

「ま、待てよ!早まるな!」

 

ヘイヴィアは砂まみれの顔を上げ、必死に口を回した。

 

「あんたの汚職を知ってる奴が、他にもどこかに隠れてるかもしれないだろ!?俺たちを生かして尋問した方が、芋蔓式に情報が引き出せるんじゃないのか!?」

 

見え透いた時間稼ぎであり、命乞いだった。男は鼻で笑った。

 

「無駄な足掻きだな。関係者は全員、基地ごと消し飛ばされた。あれがこの世に最後に残った物だ。お前たちを殺せば、私は完全に自由になる」

 

絶望の宣告。

銃口がヘイヴィアの眉間に向けられた。

その時だった。

 

「なぁ、あんた」

 

クウェンサーだった。この絶体絶命の状況下において、まるでカフェでコーヒーのお代わりでも頼むかのような、信じられないほどのんびりとした声で、彼は唐突に口を挟んだ。

 

「オブジェクト相手に、艦娘は勝てると思うか?」

 

は?

 

男も、ヘイヴィアも、艦娘たちも、その場にいた全員の思考が一瞬停止した。

だが、ヘイヴィアは反射的にそれに乗った。この金髪の悪魔が意味のない戯言を抜かすはずがない。

黙っていれば真っ先に眉間を撃ち抜かれるのだ、一秒でも話を長引かせなければならない。

 

「……勝てるわけねえだろ!」

 

ヘイヴィアは、銃口を向けられたままヤケクソ気味に大声を上げた。

 

「火力、装甲、機動力!そのすべての面において、オブジェクトと旧時代の戦艦じゃあ次元が違いすぎる!主砲すら使わずに副砲一発で撃沈だよ!勝負になるかよ!」

 

その言葉に、後ろで控えていた長門と陸奥がピクリと眉を顰め、あからさまにムッとした表情を浮かべた。戦艦としての誇りを酷く傷つけられたのだ。

 

「な、貴様ら、何を勝手なことを……!」

 

男は慌てふ為いた。危険な猛獣である長門たちの機嫌が悪くなったことを察知し、急に顔を青ざめさせたのだ。

 

「な、長門、陸奥!気にするな、こいつらの戯言だ!君たちならオブジェクトにも勝てるさ、ははは……」

 

自分の護衛兵器である艦娘の機嫌を必死に取っている。

間違いなく口先だけで信じていない。長門と陸奥に対する空笑いには身が入っていなかった。

 

(……なんだこのシュールな状況は)

 

ヘイヴィアが内心で愚痴っていると、クウェンサーがニヤリと、悪魔のように笑った。

 

「なら、オブジェクトが現れたら、あんたは投降するしかないな」

 

直後。

鼓膜を粉砕し、脳を揺るがすほどの轟音と衝撃が孤島を襲った。

全員が立っていられずにバランスを崩し、砂浜に倒れ込む。

 

「な、なんだぁっ!?」

 

悲鳴を上げるヘイヴィアの目の前、つい先ほどまで長門が威嚇射撃をしていた砂浜の端に、四十一センチ砲弾とは比べ物にならない巨大なクレーターが刻み込まれていた。

それは間違いなく、超大型兵器の主砲、巨大な金属砲弾をマッハ10以上もの速度で撃ち出すレールガンの着弾跡だった。

 

そして、水平線の向こう。

海を割り、巨大な水しぶきを上げながら、猛スピードでこちらへ滑走してくる巨大な球体があった。

無数の砲身をハリネズミのように生やした、全長五十メートルを超える鋼鉄の化け物。

第37機動整備大隊所属の第一世代オブジェクト『ベイビーマグナム』だ。

 

「ば、馬鹿なッ!?」

 

男は目をひん剥いて絶叫した。

 

「あの機体は先の戦闘で中破し、基地で修理中のはずだ!データにもそう記載されていたはずだぞ!!」

 

軍の上層部という立場からデータを見ていた男にとって、それは絶対にあり得ない光景だった。

だが、クウェンサーは砂に塗れた顔のまま、愉快そうに腹を抱えて笑った。

 

「あはははは!馬鹿だなぁ、部隊の全員で、ネットワークの記録を誤魔化してたんだよ!生きた人間の言うことは微塵も信じないくせに、無味乾燥な軍のデータは簡単に信じちゃうんだな、あんたは!」

「き、貴様ぁぁぁぁっ!!」

 

完全に虚仮にされた男は激怒し、クウェンサーに向けて拳銃の引き金を引こうとした。

 

ドォォォォォォォォンッ!!!!!今度は主砲ではない。ベイビーマグナムの『副砲』のレールガンだった。

それが、男とヘイヴィアたちのすぐ横を意図的に抉り取った。

 

「うわぁぁぁぁっ!?」

 

直撃ではない。だが、極超音速の飛翔体が引き起こす凄まじい衝撃波が、絶妙な角度で男の体を吹き飛ばした。

男は為す術もなく空中を舞い、砂浜をボールのように転がって白目を剥いた。ついでに、そのすぐ近くにいたヘイヴィアも巻き添えを食らって派手にゴロゴロと転がった。

 

(あの、お姫様……!生身の人間を殺さず、衝撃波だけで気絶させるなんて、「相変わらず」化け物みたいな操縦技能しやがる……!)

 

何故知っているのかを一瞬疑問に思ったが、

砂に埋もれながら、ヘイヴィアは遠のく意識の中で周囲を見た。

長門と陸奥は、艤装を構えたまま微動だにしていなかった。

 

圧倒的なオブジェクトの威容を前にしても、彼女たちは逃げ出さない。もし主である男から「戦え」と命令されれば、たとえ勝ち目が万に一つもないと分かっていても、戦艦の誇りを懸けてあの球体に立ち向かっていくだろう。

だが、主である黒幕の男は、泡を吹いて気絶している。たとえ起きていたとしても、あの臆病者にベイビーマグナムへ立ち向かうよう命令する気力などあるはずもない。

 

(……しょうもない上官を持った艦娘ってのも、哀れなもんだな)

 

そんなことを思いながら、ヘイヴィアもまた、指一本動かす気力が底を突いていた。

緊張の糸が切れたのだ。深い安堵と共に、意識が暗闇へ沈みかける。

 

「司令官! 司令官、しっかりしてください!」

「ちょっと、死なないでよね! こんなところで死なれたら寝覚めが悪いわ!」

 

泣きそうな顔の吹雪と満潮が駆け寄り、両脇からヘイヴィアを心配そうに担ぎ上げてくれた。

女の子の柔らかい感触と良い匂いがしたが、全身が痛すぎてそれどころではない。

ヘイヴィアは、薄れゆく視界の中で、飄々と立ち上がって服の砂を払っている金髪の少年を力一杯睨みつけた。

 

「……おい、クウェンサー」

「ん? なんですか少佐」

「これが……最初からお前の描いた『策』だったんなら……もっと早く、説明しやがれ……」

 

血を吐くようなヘイヴィアの恨み節に、クウェンサーは悪びれもせずに笑った。

 

(……全く、生きた心地がしなかったぜ……)

 

その日、絶海の孤島に押し込められた名ばかりの少佐は、大事件と遭遇した。

だが、彼に与えられたのは勲章でも個室への待遇改善でもなく、全身の打撲とトラウマ、そしてこのイカレた留学生との腐れ縁の始まりだけだった。

 


 

当の第37機動整備大隊は『正統王国』の本国へと帰還していた。

次の派遣命令が下るまでの束の間の休息。巨大な整備ドックの片隅で、部隊の要である整備士の婆さん――アヤメは、手持ち無沙汰に使い込まれた巨大なスパナを弄っていた。

 

「……まったく、あのガキは次から次へと無茶ばかりしおって」

 

油の染み付いた作業服のポケットに片手を突っ込みながら、アヤメは呆れたように独りごちる。

クウェンサー=バーボタージュ。あの民間人上がりの留学生は相変わらず正気の沙汰とは思えない無茶を繰り返している。

だが、それに文句を言いながらも結局は乗っかってしまう自分たちもまた、相当な無茶をしているという自覚はあった。平穏無事な任務など、この第37大隊には永遠に訪れないのではないかという気すらしてくる。

 

そんな静かな通路の奥から、コツ、コツ、と硬い足音が近づいてきた。

顔を上げたアヤメは、油と鉄の匂いが充満する無骨な整備ドックには似つかわしくない、一人の女の姿を認めて目を細めた。

 

桜色の唐傘、巨大な四十六センチ砲を模した艤装を背負った、凛とした女。

確か、最近世界中で確認され始めたという『艦娘』の一人、戦艦の大和である。

ここはベイビーマグナムを運用する整備部隊だ。この艦娘が、どこの所属かは知らないが、何故こんなところに現れるのか。

アヤメが訝しげにスパナを肩に担ぎ直した、その時だった。

 

「──元気そうだね、アヤメ」

 

その声を聞いた瞬間、アヤメの全身の動きがピタリと止まった。 自分の名を呼ぶその『響き』に、ますます鋭く目を細める。

目の前にいるのは、間違いなく艦娘の大和だ。だが、今の言葉のトーン、息継ぎのタイミング、そして何より、自分を見るその優しげでどこか飄々とした瞳の色。

こいつは、大和ではない。少なくとも、口調が全く違っていた。

 

「……誰じゃ」

 

アヤメは低く、地を這うような低い声で尋ねた。すると、女の顔をした『それ』は、ふっと懐かしむような笑みを浮かべた。

 

「君は私を知っているはずだが」

「…………ヤマトか」

 

ヤマト。

それは目の前の戦艦の名前であると同時に──二十年前に死んだ、アヤメの最愛の夫の名前だった。

そして、アヤメが知る限り、この世界における『本物の天才』と呼べる男。

 

艦娘の大和──いや、ヤマトは、ひどく嬉しそうに笑った。

 

「信じてもらえるかは不安だったが……やはり君は聡明だ。私の自慢の妻だよ」

「……死者の霊が、艦娘とやらに憑りついたとでも言うのかね」

 

アヤメはスパナを握る手に力を込めながら、目の前の信じがたい超常現象を言葉にした。

 

「理屈としてはそうかもしれない。しかし、長年論理を積み上げてきた科学の徒が、オカルトを論じるというのは妙な気分だね」

「惚けるな。これは、お前が起こした事か?」

 

アヤメの厳しい追及に、ヤマトは小首を傾げた。

 

「何のことだい」

「惚けるなと言ったはずじゃ。まずは、その『艦娘』の存在じゃよ。あんな物理法則を無視した奴等が、自然発生して現実に生まれていいわけがない」

「それを言うなら、五十メートルの鋼の球体が核兵器に耐えて世界を蹂躙する『オブジェクト』もそうじゃないかな?」

「茶化すな」

 

鋭い睨みを受け、ヤマトは「降参だ」と言うようにゆっくりと頷いた。

アヤメは心中で舌打ちをした。夫が常軌を逸した天才であることは間違いない。

だが、純粋な科学者であった彼が一体何をどうしたら、こんな物理を無視した現象を世界に組み込むことができるというのか。

 

ヤマトは、まるで講義を始める教授のように、穏やかな声で語り始めた。

 

「魔神。チゾメノザシキワラシ。白き女王──」

「……?」

「私たちの居るこの世界の外側には、論理も物理も通用しない、未知の存在が居るという事だね。科学の果てにある特異点、あるいは純粋な神秘。私はその『外側』の力の一部に触れた、このシステムを組み上げた」

「何を言っておる」

 

アヤメには、夫の口から飛び出した単語の羅列が全く理解できなかった。

 

「分からないのも無理はないさ。世界の理の外側にある事象だ」

「……まあ良い」

 

アヤメは考えるのを放棄し、最も重要な核心だけを突いた。

 

「お前はあんな物を生み出して何がしたいのじゃ?講釈は良い、結論から言え」

 

ヤマトは、ふっと真顔になり、静かに答えた。

 

「──勝ちたかったからだ」

 

その言葉に、アヤメは深く眉を顰めた。

 

「私たちは勝ちたかったんだよ。かつて私は、オブジェクトを開発して旧時代の核の脅威を終わらせた。結果として国連は崩壊し、世界は四つの共同体に分裂し、『クリーンな戦争』へとシフトした。ここまでは分かるかな」

「儂を怒らせるな、ヤマト。結論から言えと言ったはずだ」

「だが、オブジェクトは氾濫しすぎた」

 

ヤマトの目に、かつての科学者としての狂気と、創造主としてのプライドが宿る。

 

「私が……私たちが人生を懸けて開発した究極の兵器は、今や世界中を飛び交う『陳腐な兵器』に成り下がってしまった。ただの消耗品だ。何度も言うが、あれはもはや陳腐な兵器にすぎないんだよ」

「…………」

「私はもう一度見たいんだ。自分の作った物で、この停滞した世界を引っくり返す、劇的な勝利をね」

 

傲慢な宣言だった。

オブジェクトという現在の世界のルールそのものを作った天才が、自らの作り上げたルールが陳腐化したからという理由で、全く新しい『艦娘』というオカルトを盤面に放り込み、世界をもう一度引っくり返そうというのだ。

 

「……艦娘ごときに、オブジェクトの時代を終わらせることができると思うのか?」

 

冷や汗が背中に流れるのを自覚しながらアヤメは鼻で笑った。

 

「たかが旧時代の戦艦のスペックじゃ。多少物理法則を超えようとも無意味じゃよ。あの程度でオブジェクトの分厚い装甲をぶち抜き、世界を引っくり返すだけのスペックがあるとは到底思えん。妄想も大概にするんじゃな」

「心外だな」

 

ヤマトはクスリと笑った。

 

「君は、私がやることを『この程度』の仕掛けだと思っていまい?」

 

その笑みには、底知れぬ企みが隠されていた。単なる艦娘のスペックだけで勝とうとしているのではない。

システムその物に、世界を根底から破壊し、再構築するほどの猛毒が隠されているとでも言うように。

そこでヤマトが、ゆっくりとアヤメに近づいてきた。 大和の長身が、アヤメの小さな体を影で覆う。

そして次の瞬間、ヤマトは艦娘のしなやかな両腕を広げ、油まみれのアヤメの体を、愛おしむように優しく抱きしめた。

 

「……ヤマト」

「本来の歴史ではAIもどきでしかなかったからこうする事はできなかった。今は気分が良い。おかげで、もう一度こうして、君を抱きしめることができたからね」

 

耳元で囁かれたその声には、狂気じみた天才の面影はなく、ただ一人の妻を愛する男の不器用な愛情だけが込められていた。

アヤメが何かを言い返そうとした、その時だった。

 

「──っ!?ひゃあっ!?」

 

突然、アヤメを抱きしめていた力が抜け、悲鳴のような声が上がった。 ヤマトの声は完全に消えていた。

正気に戻った艦娘の大和が、自分が何故か油まみれの老女を全力で抱きしめていることに気づき、顔を真っ赤にしてパニックを起こしたのだ。

 

「あ、あの!?ち、違います!これはその、何かの間違いで……っ!失礼しましたぁっ!!」

 

大和は涙目になりながら慌ててアヤメから離れると、バタバタと凄い足音を立てて、逃げるように通路の奥へと足早に走り去っていった。

ぽつんと残されたアヤメは、大和の消えた通路をしばらく見つめていたが、やがて「ふう」と深い溜息をついた。

 

「……相変わらずの男じゃ」

 

昔からそうだ。極めて残酷な天才に見えて、世界を壊す残酷な選択を土壇場まで迷うような優柔不断さ。

恐るべき最愛の夫。

 

「あやつは、艦娘を使って一体何をどうするつもりなのかね……」

 

手の中のスパナを弄りながら、アヤメは再び溜息をついた。

これから世界に起きるであろう途方もない大混乱。それに真っ先に巻き込まれるであろう、クウェンサーたちや自分の部隊の運命を思い、老整備兵の憂鬱は当分晴れそうになかった。

 


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