山野辺先生「何を言ってやがる、違わねぇよ!おまえはカバディで、オレはジェネシスだ!どちらもマイナースポーツに違いねぇだろうが!」

宵越「違うのだ!!(自明)」

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sakanaくんが1分で書いてくれました


第1話

『――というわけで、今回の解説は以上だ。次回の配信は未定。……じゃあな』

 

プチッ、とマイクのスイッチを切る。

 

宵越竜哉(よいごし たつや)は、椅子の背もたれに深く体重を預けて大きく息を吐き出した。暗い自室。モニターの淡い光が、一八七・五センチの恵まれた体躯をぼんやりと照らし出している。

 

画面右下の視聴者数カウンターは【3】。

 

「……上出来だ」

 

高校生にもなってハンドルネーム『ナイトエンド』。ミコミコ生放送で細々とゲーム実況や考察を垂れ流す日々。かつて自分がグラウンドの真ん中で何万人もの歓声を浴びていたことなど、今のリスナーは誰一人知らない。知るはずもない。

 

(スポーツなんざ、二度とやるかよ)

 

中学サッカー界を揺るがした『不倒の宵越』。どれほど激しいファウルを受けようと倒れず、敵のタックルをミリ単位でかわしてゴールを奪い続けた天才フォワード。全国紙の表紙を飾り、名門ユースからの誘いをすべて蹴って、宵越はこの都立能京高校へ進学した。

 

理由は単純だった。この高校のサッカー部は弱小で、誰も自分に過度な期待を押し付けてこないからだ。誰とも群れず、誰の期待も背負わず、ただ平穏に生きる。それが宵越の選んだ『最善』だったはずだった。

 

――ドンドンドンドン!

 

突然、玄関のドアが激しく叩かれた。

 

時計を見る。午後八時過ぎ。

 

「……チッ、誰だよこんな時間に」

 

舌打ちしながらチェーンをかけたままドアを数センチ開けると、そこには見知らぬ小柄な坊主頭の少年が、異様な気迫で立っていた。同じ能京高校のジャージを着ている。

 

「宵越竜哉くんですねッ!?」

 

「……は? 誰だあんた。人違いだ」

 

「待ってください! 能京高校ジェネシス部一年、畦道相馬(あぜみち そうま)です! あなたをスカウトに来ました!」

 

「ジェネ……何? 知らねえよ、帰れ!」

 

ピシャリとドアを閉めようとした瞬間、畦道の手がドアの隙間に割り込んできた。細身に見えた腕の筋肉が鋼のように軋む。成人男性並みの怪力で押し戻され、宵越は目を見張った。

 

「なんだコイツ……腕力、ヤバすぎんだろ!?」

 

「頼みます、話だけでも聞いてください! うちの副部長から言われてるんです! 『ナイトエンドくんの部屋はここだから、何が何でも引っ張ってこい』って!」

 

宵越の心臓がドクリと跳ねた。

 

「……今、なんて言った」

 

「え? ナイトエンドくん……ですよね? さっきまでミコミコ動画で生配信やってた……」

 

血の気が一瞬で引いた。なんでバレてる!? 身元が特定されないよう、IPもアカウントも徹底的に偽装していたはずだぞ!?

 

畦道はおずおずとスマートフォンを差し出してきた。画面にはビデオ通話が繋がっており、眼鏡をかけた細面の男が、底知れない笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

 

『やあ、不倒の宵越くん。いや……配信者ナイトエンドくん、かな?』

 

「てめぇ……誰だ!?」

 

『能京高校ジェネシス部副部長、二年の井浦慶(いうら けい)だよ。君の配信、すごく面白いね。特に先週の「俺の美学を語る枠」、あれアーカイブ全部保存させてもらったよ。音声もバッチリ』

 

「なッ……!?」

 

『もし君が今すぐ畦道と一緒に体育館裏の部室に来てくれないなら……明日、全校生徒の下駄箱に君の配信URLと「不倒のナイトエンド語録」をプリントしたチラシを配らなきゃいけなくなる。僕も忙しいから、あんまりそういう無駄な作業はしたくないんだけどねぇ?』

 

悪魔だ。こいつは人間の皮をかぶった正真正銘の悪魔だ。

 

宵越の額に冷たい汗が伝う。入学初っ端から黒歴史を学校中に晒されたら、平穏な高校生活どころか社会的な尊厳が消し飛ぶ。

 

「……わかった。行くよ。行きゃいいんだろ!」

 

宵越は奥歯をギリリと噛み締め、ジャージを引っ掴んで夜の街へと飛び出した。

 

 

 

 

 

夜の能京高校、体育館。

 

パイプ椅子に脚を組んで座る井浦慶が、宵越を迎えてニヤリと口角を上げる。

 

「来てくれたね、宵越くん。話が早くて助かるよ」

 

「脅迫しといて何が話が早いだ! さっさとデータを消せ! 用件は何だ!」

 

「単刀直入に言おう。我がジェネシス部に入部してほしい」

 

「断る! 俺はスポーツとは完全に縁を切ったんだよ! だいたいジェネシスって何だ!? 聞いたこともねえぞ!」

 

井浦は静かに立ち上がり、床に転がっていた奇妙な道具を指差した。

 

「ジェネシス。中国起源の球技だ。アタッカーがバレーボールを投げ、ディフェンシストがこの『モーニングスター』で迎撃・捕球する。足にはこれ、水泳用の足ヒレ――『フリッパー』を履いて戦う」

 

宵越はその道具をまじまじと見つめた。

 

虫取り網の先端に頑丈な鉄輪がついており、その周囲には鋭い金属のトゲが十一本、等間隔に突き出ている。柄の末端からは『テイル』と呼ばれる一本の紐が垂れ下がっていた。足元にはゴム製の青いフリッパー。

 

「……は? 足ヒレに虫取り網? バカじゃねぇの!?」

 

宵越は腹の底から嘲笑した。

 

「なんだそのイロモノ!? コントの小道具かよ! そんなふざけたお遊びのために俺の高校生活を人質に取ったのか!?」

 

だが、井浦の瞳は笑っていなかった。冷徹な光を宿したまま、スッと指を突きつける。

 

「ふざけているかどうか、体で確かめてみなよ。勝負だ、宵越竜哉」

 

「あ?」

 

「君と畦道の1on1だ。君が勝てば、配信のデータは目の前で全消去。二度と勧誘もしない。だが君が負けたら――大人しくジェネシス部に入部してもらう」

 

宵越の眉がピクリと跳ねた。勝負。その言葉に、胸の奥で眠っていた負けず嫌いの血がざわりと波打つ。

 

「……ルールは」

 

「簡単さ。君は攻撃側(アタッカー)。四投以内に畦道の体、あるいはモーニングスターにボールを当てれば君の勝ち(ブレイク)。逆に畦道に網でボールをキャッチされるか(ネッティング)、四球すべて外したら君の負けだ」

 

宵越は鼻で笑った。

 

「たったそれだけかよ。相手は足ヒレ履いたド素人のチビだぞ? 元サッカー部FWの俺のコントロールを舐めるな。秒で終わらせてやる」

 

「じゃあ、フリッパーを履いてコートに入ってくれ。……あ、その前に。ジェネシスには神聖な儀式がある」

 

「は?」

 

井浦の合図とともに、コートに立った畦道が、恐ろしいほど真剣な顔で両手を高く掲げた。

 

「――ハーイ、ハーイ、ハーイ、ハーイ!」

 

指先をピンと伸ばし、満面の真顔で腰を左右に激しく振る。続けて両手を下ろし、片足で小刻みに飛び跳ねる。

 

「トントントントン! ハーイ、ハーイ、ハーイ、ハーイ!」

 

「ぶっ……!?」

 

宵越は吹き出しそうになった。なんだその世にも間抜けな踊りは!? だが畦道は汗を飛び散らせながら、魂を削るように叫び続けている。

 

「ウォークライダンスだ」井浦が真顔で言った。「試合前に己の闘志を観客と神に捧げる神聖な舞だよ。ほら宵越くん、君もやらないとペナルティだ」

 

「やるわけねぇだろ死んでも!!」

 

屈辱に顔を真っ赤にしながら、宵越はフリッパーを床に叩きつけるようにしてコートに立った。

 

バレーボールを右手に握る。重み、弾力、空気圧。すべて指先で測る。ドッジボールコートの距離はわずか数メートル。外すわけがない。

 

「スローライフ(試合開始)!」井浦の声が響いた。

 

「終わりだ、チビッ!」

 

宵越の右腕が唸りを上げた。サッカー仕込みの強靭な背筋とスナップを利かせた剛速球。畦道の左肩、絶対に避けられないコースへ一直線に突き刺さる――!

 

バシュッ!

 

ボールは空を切った。

 

「……なっ!?」

 

フリッパーを履いているはずの畦道が、床を滑るような異次元のすり足で、首の皮一枚のところでボールをかわしていた。足ヒレのゴムがフロアを激しく擦り、キュッという甲高い悲鳴をあげる。

 

「ブレイクスルー(攻撃失敗)一回!」井浦が無機質にコールする。

 

「バカな……足ヒレ履いてあのフットワークだと!?」

 

「畦道の実家は山奥でね」井浦が眼鏡のブリッジを押し上げる。「毎日薪を割り、険しい山道を駆け回って育った。足腰のバネと体幹の強さなら、そこらのアスリートじゃ足元にも及ばないよ」

 

畦道がモーニングスターを両手で構え直した。その瞳は獲物を狙う野獣のように爛々と輝いている。

 

「来てください、宵越くん! もっと速いのを!」

 

宵越の背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。舐めていた。こいつらは、このふざけたイロモノ競技に、本気で命を削っている!

 

二球目。宵越はフェイントを入れた。右へ投げる素振りから、反動で左サイドの足元へ叩きつけるバウンド球。

 

だが畦道は動じない。網のリーチを活かし、トゲのついたフレームで払うようにして紙一重で身を躱す。ボールは虚しく壁に激突した。

 

「ブレイクスルー二回!」

 

三球目。宵越は焦りから力んだ。顔面へのストレート――しかし畦道はフリッパーを踏み締め、ブリッジのような低い体勢で完全に回避した。

 

「ブレイクスルー三回……リードエアー!!」

 

井浦の声が体育館に冷たく響き渡る。

 

「次がラストだ、宵越くん。この一球で当てられなければ、お前の負けだ」

 

宵越の手のひらにじっとりと汗が滲む。心臓が早鐘を打っている。たかが遊びの球技だ。なのに、全身の毛穴が開いて呼吸が苦しい。

 

(クソッ……当てにいけば、網で捕られる! だがかわされたら終わりだ! どうする……どう投げるのが『最善』だ!?)

 

中学最後の試合、ロッカールームの記憶が脳裏をよぎる。

 

『お前は一人で勝手に点を取って、一人で気持ちよくなってるだけだ!』

 

『なんで倒れないんだよ! 俺たちが倒されてんのに、お前だけ涼しい顔して!』

 

(黙れ……! 俺は倒れない! 誰にも負けないから俺なんだよ!!)

 

宵越の瞳に獰猛な火が灯った。全身の筋肉をバネのようにしならせ、跳躍する。最高到達点から、相手の足元の死角――フリッパーの先端を狙った超低空の弾丸ライナー!

 

完璧な軌道。人間が反応できる限界を超えた一撃!

 

だが――。

 

畦道相馬は、退がらなかった。

 

「おおおおおおおッッ!!」

 

畦道が前へ突進した。フリッパーで床を蹴り裂き、自ら弾丸の射線へとダイブする。空中でモーニングスターを逆手に振り抜いた。トゲの隙間を縫うように、網が大きく広がる。

 

そして――網の末端にある紐(テイル)が、床から完全に跳ね上がった!

 

ズボッッ!!

 

乾いた衝撃音とともに、宵越の放った剛速球が、網の奥深くに完全に飲み込まれていた。

 

畦道がフロアに転がりながら、高く掲げた網の中で、ボールがキュルキュルと白煙を立てて回転している。

 

テイルは――一度も床に触れていなかった。

 

静寂が体育館を支配した。

 

カチリ、とタイマーを止める音がした。

 

「――ネッティング。テイル浮き、二点(ラブジェネレーション)」

 

井浦が静かに告げた。

 

「勝負あり。宵越竜哉、君の負けだ」

 

宵越はその場にへたり込んだ。荒い呼吸のなかで、自分の震える両手を見つめる。負けた。サッカーをやめて以来、誰にも破られなかった自分の『最善』が、足ヒレを履いた無名の新人に、完膚なきまでにへし折られた。

 

「……なんだよ、これ」

 

ぽつりと宵越が呟いた。悔しさで視界が歪む。だがそれ以上に――網の中でまだ熱を帯びているボールを見た瞬間、胸の奥底で、死んでいたはずの怪物が、ガチリと目を覚ましたのを感じていた。

 

 

 

 

 

放課後の部室棟。宵越は重い足取りでジェネシス部の部室のドアを開けた。

 

「……来たぞ」

 

中には井浦と畦道、そして見慣れない二人の大柄な男がいた。

 

一人は金髪にピアス、鋭い眼光でメンチを切ってくるヤンキー風の男。もう一人は坊主頭でがっしりとした体格、いかにも体育会系の威圧感を放つ男。

 

「おい慶、コイツが例の元サッカー部かよ? ずいぶん生意気そうなツラしてんじゃねぇか」

 

金髪の男がドスの利いた声で睨みつけてくる。二年の水澄京平(みすみ きょうへい)だ。

 

「まあまあ水澄。宵越くんは昨夜、畦道と素晴らしい勝負をしてくれたんだよ」

 

井浦が笑顔で仲裁に入る。もう一人の坊主頭――二年の伊達真司(だて しんじ)が腕を組んで宵越を見下ろした。

 

「元・不倒の宵越か。サッカーじゃ有名だったらしいが、ジェネシスを舐めてもらっちゃ困るぞ」

 

宵越はフンと鼻を鳴らした。

 

「舐めてなんかいませんよ。ただ、約束だから来ただけです。入部届を出せば満足なんですか」

 

「威勢がいいねぇ」水澄がニヤリと笑った。「じゃあ早速、部活の厳しさを教えてやるよ。体育館へ行こうぜ、新入り」

 

体育館で、宵越は再びフリッパーを履かされた。だが今回は、手にモーニングスターを持たされる。

 

「今回は君がディフェンシストだ」井浦が指示を出す。「攻撃側は伊達と水澄。君は彼らの投球を回避するか、モーニングスターでネッティングしてみせてくれ」

 

宵越はモーニングスターのグリップを握り締めた。十一本のトゲ。細い網。末端のテイル。

 

(守備(ディフェンス)だと……?)

 

サッカー時代、宵越は攻撃の絶対的エースだった。敵のファウルをかわすことは得意中の得意だが、それは自分がゴールを奪うための手段に過ぎない。『誰かの球を受け止める』ことなど、やったことがなかった。

 

「ウォークライダンス、始め!」

 

水澄と伊達が、息の合った動きで「ハーイ、ハーイ!」と腰を振る。ヤンキー風の水澄が一切の照れもなく全力で踊っている姿に戦慄しつつも、宵越はフリッパーを踏み締めて身構えた。

 

「スローライフ!」

 

先鋒は伊達。元野球部仕込みの重いストレートが、唸りを上げて宵越の胸元を襲う!

 

宵越の脳が瞬時に軌道を弾き出した。右へ半歩、上体をわずかに捻る。ボールは宵越のユニフォームをかすめることもなく、背後の壁へと抜けていった。

 

「ブレイクスルー一回!」

 

「へえ、避けるのは本当に上手ぇな」水澄がボールを拾い上げる。「じゃあ、コレはどうだ!?」

 

水澄が放ったのは、手元で急激に変化するスライダー。逃げ場を塞ぐような変則的な軌道。だが宵越は「不倒」の異名を持つ男だ。重心を瞬時に切り替え、フリッパーの反発力を利用して左へスライドし、これも完全に紙一重でかわしてみせた。

 

「ブレイクスルー二回!」

 

三球目、伊達の剛球。宵越は最小限のステップでダックアンダー(潜り込み)。空を切るボール。

 

「ブレイクスルー三回……リードエアー!」

 

宵越は口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「どうです? 当たらないでしょう。俺を倒すことなんて、誰にも――」

 

だが、その言葉は遮られた。

 

「――で、何点入ったんだ?」

 

宵越の思考が止まった。

 

声をかけたのは、コートサイドで見つめていた井浦だった。冷たい視線が宵越を射抜いている。

 

「え……?」

 

「三回連続で避けてリードエアーにした。だが、君の得点は何点だ? 宵越くん」

 

「……零点、ですが」

 

「そうだ。ジェネシスはね、逃げ回っているだけじゃ永遠に点は入らないんだよ」

 

井浦が歩み寄ってくる。

 

「アタッカーがブレイクを失敗しても、相手にペナルティが入るだけだ。ディフェンシストが自らモーニングスターを突き出し、リスクを冒して球を捕獲(ネッティング)しなければ、チームの得点にはならない」

 

宵越の胸に、重い鉛のような言葉が突き刺さる。

 

「君の『不倒』は素晴らしい回避能力だ。だがそれは、独りで戦っていた時の技術だろ? 自分が傷つかない場所に逃げ込んで、安全圏から相手を嘲笑っているだけだ。そんなものは『守備』とは呼ばない」

 

「なっ……! 俺が逃げてるだと!?」

 

宵越が激昂した。一番触れられたくない傷口を、土足で踏み荒らされたような激痛が走る。

 

「違うか?」水澄が嘲るようにボールを弄んだ。「お前、さっきから球を捕りに行こうとしてねぇじゃねぇか。網を持ってるくせに、自分の体が当たらないことばっかり気にしてる。そんな臆病者に、ジェネシスのディフェンスが務まるかよ!」

 

「誰が臆病者だ!!」

 

宵越の怒りが沸点に達した。視界が真っ赤に染まる。

 

「投げてみろ! 次の一球、絶対に捕ってやるよ!!」

 

体育館の空気が張り詰めた。

 

アタッカーの位置に立つのは水澄。先ほどまでの軽薄な態度は消え失せ、本物の喧嘩の時の目になっている。

 

「ラスト一球だ、宵越。リードエアーだから、俺は当てにいかなきゃ攻守交代になる。つまり――お前の顔面スレスレ、網を出せねぇギリギリのコースにぶち込むぞ」

 

宵越はモーニングスターを構えた。手が汗で滑りそうになる。フリッパーを履いた両足が、フロアに縫い付けられたように重い。

 

(避けるのは簡単だ。首を傾ければ、ボールは当たらずに後ろへ抜ける。それで俺の勝ちだ。ブレイクスルー四回で攻守交代……)

 

だが、宵越のプライドがそれを許さなかった。

 

(逃げて勝ったって、あの悪魔眼鏡とヤンキーに一生見下される! 俺は『不倒の宵越』だ! 誰よりも高く跳んで、誰よりも点を取ってきた男だぞ!!)

 

「行くぞオラァッ!!」

 

水澄の咆哮とともに、ボールが放たれた。

 

矢のような超高速ライナー。コースは予告通り、宵越の左耳の真横。網を正面に構えていては絶対に届かない、ディフェンスの急所!

 

恐怖が網膜を焼いた。人間の本能が「避けろ」と絶叫している。体を縮めて床に倒れ込めば無傷で済む。

 

だが、宵越の足は逆方向に動いた。

 

(倒れてたまるかよ……!!)

 

ドンッ!!

 

宵越は左足のフリッパーでフロアを真横に蹴り裂いた。逃げるためじゃない。ボールの射線へ、自ら頭から飛び込むための跳躍!

 

視界がスローモーションに引き延ばされる。

 

迫り来るバレーボールの回転。革の縫い目。そして自分の右手に握られた、十一本のトゲを持つモーニングスター。

 

(届かない……? 腕を伸ばすだけじゃ、トゲに弾かれる!)

 

宵越は空中で体を捻った。サッカーのボレーシュートで培った異常な空中姿勢制御。右肩関節を極限まで押し出し、手首のスナップでモーニングスターを水平に寝かせる。

 

そして――自らの左足を引き上げ、グリップエンドのテイルを、天井へ向けてピンと跳ね上げた!

 

「おおおおおおッッ!!」

 

宵越の喉から、自分でも聞いたことのない獣のような叫びが迸った。

 

網が、回転するボールの軌道を包み込む。

 

バヂィッッ!!

 

激しい摩擦熱が掌に伝わってきた。トゲと網が軋みをあげ、ボールの威力を殺していく。宵越の巨体が床に滑り込み、フリッパーが派手なスキッドマークを描いた。

 

ドサッ、とフロアに横たわる宵越。

 

右腕を天高く突き出していた。その網の底には、丸々と太ったボールが、ピタリと収まっている。

 

テイルは――宵越の腹の上に乗り、床から数十センチ浮いたまま静止していた。

 

体育館に、水を打ったような静寂が訪れた。

 

水澄が信じられないものを見る目で立ち尽くしている。伊達が息を呑み、畦道が目を丸くして震えていた。

 

やがて、パチ、パチ、パチと静かな拍手が鳴り響いた。

 

井浦が、心底満足そうに笑みを深めていた。

 

「……ネッティング。テイル浮き、二点(マイジェネレーション到達)。素晴らしい跳躍だったよ、宵越くん」

 

宵越は天井を見上げたまま、荒い息を繰り返した。心臓が痛いほど肋骨を叩いている。手のひらはジンジンと痺れ、全身が汗でびっしょりだ。

 

格好悪かった。床に転がり、泥臭く網を掲げて、叫んで。かつて自分が「スマートじゃない」と軽蔑していた泥臭いスポーツそのものの姿だった。

 

なのに。

 

(……熱い)

 

胸の奥の冷え切っていた場所が、焼けるように熱かった。

 

水澄が近づいてきて、乱暴に手を差し伸べてきた。

 

「チッ……クソ新入りが。テイル浮きで捕りやがった。大した度胸じゃねぇか」

 

宵越はその手を見つめ、少しだけ躊躇ったあと、グッと握り返して立ち上がった。水澄の掌はタコだらけで、驚くほど固かった。

 

「宵越くん!!」畦道が満面の笑みで駆け寄ってくる。「すごいです! あんな体勢からネッティングできる人、僕初めて見ました!」

 

「……うるせぇ。たまたまだ」

 

宵越はそっぽを向いたが、その顔からは先ほどまでの刺々しさが消えていた。

 

井浦が一枚の紙を差し出してくる。入部届だった。

 

「どうする、宵越くん? 勝負は君の勝ちだ。この配信データは消去するし、二度と勧誘もしないよ」

 

宵越はペンを受け取った。そして、迷うことなく署名欄に自分の名前を書き殴った。

 

「……勘違いするな。脅されたから入るんじゃない」

 

宵越はモーニングスターを肩に担ぎ、井浦を鋭く見据えた。

 

「この競技で、全国のどいつよりも点を取ってやる。俺が選んだんだから……これが『最善』だ」

 

その瞳には、かつてピッチを支配していた『不倒』の光が、さらに獰猛な熱を帯びて蘇っていた。

 

 

 

 

 

深夜一時。宵越の部屋。

 

全身を襲う激しい筋肉痛に顔をしかめながら、宵越はパソコンの前に座り、マイクのスイッチを入れた。

 

『――あー、マイクテスト。……こんばんは、ナイトエンドです』

 

視聴者数は相変わらず【3】。だが、そのうちのひとりのユーザー名が『メガネ副部長』になっているのを見て、宵越は露骨に顔をしかめた。

 

(アイツ、本当に見てやがる……)

 

コメント欄に文字が流れる。

 

『今夜はどんな美学を語ってくれるのかな?』

 

宵越は小さく息を吸い込み、マイクに口を近づけた。

 

『……今日は、スポーツの話をする』

 

少しの間。

 

『足にヒレをつけて、トゲのついた網を持って、バレーボールを奪い合う……世界一くだらなくて、世界一熱いスポーツの話だ』

 

画面の向こうで、誰かがクスリと笑ったような気がした。

 

宵越の部屋の隅には、借り受けてきた練習用のモーニングスターが立てかけられている。十一本の鋭いトゲが、モニターの光を受けて銀色にギラリと輝いていた。

 

不倒の男が選んだ、新たな戦場。

 

灼熱のジェネシスが、今、静かに幕を開けた。


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