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ミホノブルボンの父親が来ると聞いたので、私は応接室を予約した。
契約をする際に保護者との面談は必ずしも必要というわけではないが、ブルボンが呼んだそうだ。
彼女の意図は不明だが、ひとまず父親には一か月の試行期間が終わる前の現在の練習内容と今後の方針を説明する。面談としては一般的なものだ。説明用の資料を自分用と相手用に準備し、茶を淹れ、椅子の脚のがたつきを直した。
父親は定刻の5分前に到着した。
「初めまして。娘がお世話になっています」
「こちらこそ。どうぞお掛けください」
挨拶と名刺の交換は滞りなく進んだ。私は茶を注ぎ、受け取った菓子を机の端へ置いた。父親は、ごく普通の人間の男性だった。老化は年相応だが、体格はよく、立ち方に運動経験が見て取れた。事前に聞いていたとおり、かつてトレーナーとして働いていた人物である。
私も、極めてごく普通の一般的な人間の成人した男性として向かいに座った。
「娘から、いろいろ聞いています」
私は頷いた。いろいろの範囲を確認するべきだったが、彼が話し始めたので待った。パーフェクトコミュニケーション。
「坂路で、随分よく見てくださっているそうですね」
「必要な観測を行っています」
「上からも、下からも、横からも、後ろからも」
「はい」
ブルボンは正確に報告していた。
「並走もされてるとか?」
「視野を確保するためです」
「なるほど」
父親は茶を飲んだ。
「あと、ええ、娘がトレーナーさんと山を一緒に動かそうとしたのだとか」
「山については変更しません」
私が即答すると、彼は湯呑みを置いた。どのような思考回路が働いたのかは不明だが、少し肩の力が抜けたことが観測された。
「そうですか。それは、よかった」
私は、どこまで話が伝わっているか確認した。父親は娘から伝えられた近況報告を話してくれた。練習の結果、食事、睡眠、授業。そして、地形変更計画は中止となりました、という内容があった。前後の行に、地形変更計画の内容はなかった。
「言葉どおりの意味だったとは思いませんでした」
「実施していません」
「ええ。それは、存じています」
次に、私は説明資料を開いた。
父親も姿勢を変え、具体的な数値を見る目になった。ここからの会話は進めやすかった。彼は娘の身体の特徴を理解しており、短い距離での速さを長い距離へそのまま持っていけない理由も承知していた。私は初期の観測結果を示し、どこを伸ばし、何を変えない方針か説明した。
彼はいくつか質問をした。私も答え、幼少期の運動歴について尋ねた。現在の計画に必要な情報が得られた。
「指導の方は、よく分かりました」
父親が資料を揃えた。
「それで、もう一つだけ」
「どうぞ」
「マスターという呼び方は」
「本人の希望です。契約書上の役職はトレーナーです」
「いえ、そういうご商売なのかと疑ったわけではなくて」
私は頷いた。父親も頷いた。双方に説明すべき内容はなかったが、説明した方が安心できる種類の会話だった。
そのとき、応接室の扉が二度叩かれた。
ブルボンだった。
*
父は、娘の顔を見た瞬間に、面談用の表情を少し緩めた。
「ブルボン。元気だった?」
「はい。直近一週間において、発熱および食欲の低下はありません」
「うん。それはよかった」
父は慣れた様子で頷いた。ブルボンは机の資料を見てから、空いている椅子へ座った。トレーナーが茶を出した。熱すぎない温度だった。
「学校はどう?」
「概ね順調です。先日、友人の確認が進みました」
「確認?」
ブルボンは手帳を出し、花のついた頁を見せた。父はそれを見て、少し笑った。
「よかったね」
「はい。次回の遊戯について、キングヘイローさん、友人確認中の方から条件が提示されています」
ブルボンは隣の頁を開きながら父にあれやこれやと出来事を話している。その姿に、私は女児姿のブルボンを幻視した。カタログ上、私に夢や幻を見る機能は搭載されていないはずである。以上事態につきログを確認したところ、バックグラウンドで現在のブルボンと近似の行動をとる存在、つまり幼児、とブルボンを合成した画像が待機状態に置かれていた。仕様通りだった。
「一緒に遊んだんだね」
「はい。参加者から改善の要望が出ました」
「……随分、具体的だね」
父がトレーナーを見た。
手帳にはトレーナーに適用される追加条件が、三つ書かれていた。速く移動しないこと。細かい動きを指摘しないこと。勝敗の判定を厳密にしすぎないこと。
トレーナーは、改善に必要な情報として評価していると答えた。父は口元を押さえ、笑いを隠しながら、もう一度手帳を見た。
「楽しかった?」
ブルボンは考えた。捕球には失敗があった。だるまさんが転んだでは、失格になった回数の方が多かった。キングヘイローは途中から声が大きくなり、最後には動きを止められなくなった。
「はい。次回も参加を希望しています」
父は手帳を返した。
「それなら、よかった」
ブルボンは父とトレーナーを交互に見た。二人とも、練習記録へ目を向け直していた。だが、父親はさきほどよりも笑っていた。
そのあと、父親から土産の菓子を渡された。大きい箱だ。ブルボンは礼を言い、箱の表示を読んだ。一度に食べなければ、数日に分けて食べられる量だった。
「マスターにも分配します」
「どうぞ。二人で食べて」
トレーナーが、自身の分を食堂の職員に渡すことで対人関係を円滑にする案を検討している旨をブルボンへ伝えると、ブルボンは首を横に振りながら箱をトレーナーの方へぐいと寄せた。
「分配先は確定しています」
父は、その日いちばん大きく笑った。
*
ブルボンが授業へ戻ったあと、父親は少しだけ残った。
私は片づけを始めようとして、やめた。彼は机に置かれた三冠の計画を見ていた。完成していない部分が多い。分からないことを、分かるように見せるための資料にはしていない。
「三冠の話は、僕がしたんです」
父親が言った。
「あの子が、どんなウマ娘になればいいか分からないと言ったので。だったら、三冠とかどうかな、と。ほかにも、いくつか話しました」
「本人は、三冠を希望しています」
「ええ。だから、応援しています。ただ……僕が言ったから、必ずそうしなくてはいけないとは、思ってほしくないんです」
彼は資料から目を上げた。
「僕は娘のトレーナーにはなれない。できるなら、君が一緒に考えてあげてほしい」
「それは指示ですか?」
「いや、後輩へのお願いかな」
私は彼を見た。答えを出してほしい、という依頼ではなかった。
「引き受けます。答えは、まだ分かりませんが」
「それで、お願いします」
父親は頭を下げた。私は頷き、開いていた資料を閉じた。
しばらくして、彼が別の用紙を指した。
「ところで、その始末書は、娘についてですか」
「娘さんついては、まだ何も始末する事象が発生していません」
「では?」
「測定室の端末です。機器の不調により記録が失われたため、再発防止策を求められました」
父親は速やかに理解し、少し遠い目をした。娘の電化製品に関する来歴を、よく知っている人物の目だった。
「何と書いたんですか」
「紙を使う」
父親は用紙を読んだ。もう一度読んだあと、もう少し長く書いた方が通りやすい、と助言した。
「意味は変えずにですか」
「ええ。意味は同じでいいんです」
元トレーナーの有益な助言だった。私は現地の行政について、まだ学ぶことがあった。