左足を怪我してしまい、気ままに外を歩くことが出来なくなってしまいました。故に在宅率が急上昇だもんで、書きかけで放置していたものに加筆をして投稿しようかなって。
これを機にめちゃくちゃ書いてます。シリーズの方もバチバチ書いてます。ただ、どうかのんびりやらせてください。どうぞよしなに。
いやー困っちゃうなあほんとに。
あまり元気に見えない顔色の空の下。
「見つけた」
あまり元気に聞こえない子供の声。
「あ」
彼ならば瞬きも待つことなく理解出来るその声はしかし、何処か幼さとは訣別したかのような。ともすれば、頑張って背伸びをし、無理矢理に落ち着き払ってみせているような、アンバランスな硬さを有していた。
「兎さん、見つけた」
「あ、あらぁ……!」
「あらー?」
「う、ううん! なんでもないよー! いきなりどうしたのかなーアイズさ……アイズちゃん!?」
金髪金眼の幼女。アイズ・ヴァレンシュタインの到来など予期していなかったのか、アルと名乗った冒険者の反応は緩慢……というより、不審者のそれ。憲兵さんこの人です。
「アストレア・ファミリアの人に聞いたら、こっちの方にいるかもって言ってた」
「そ、そうなんだ……」
大抗争の渦中のオラリオ。そのど真ん中。
訳あって少しの仮眠でさえ許されない冒険者、アル。
彼は、複雑な事情を抱えている自分を見捨てず寄り添ってくれる神々。彼の身を慮ってくれる正義の派閥の娘たち。都市の治安維持に日夜奔走し続ける象面を被る男神の娘らに諭され、あとどれほど捻出可能かもわからない休息時間の只中にいた。
「ここで何してるの?」
「きゅ、休憩、かな……」
「こんなに人がたくさんいる所で?」
金色の眼差しが眼下を見据える。彼女の黄金に映り込むのは、忙しなく行き交う殺気立った冒険者たち。彼らが発する血生臭い雰囲気に怯えながら道の隅を歩く、冒険者でもなんでもない人々。
都市内で最も騒がしいかもしれない、ギルド本部近く。家屋の屋根上に腰を下ろし、ただただ眼下の景色に目を向けているだけ。
それは、アイズの知っている休憩とはまるで異なる休憩の形だった。
「これくらい騒がしい方がいい……みたいな感じで……」
戦闘に纏わる状態異常ならばそれなりに目鼻が効くが、一般的な体調云々の話となれば途端に鈍ってしまうアイズちゃん九歳でも一目でわかる程度に、アルは消耗している。見れば、目の下がしっかりと黒くなっている。
あれ、知ってる。熊さんだ。
兎さんなのに熊さんを飼っているんだ。
「兎さん……たとーがいしてる?」
「ごめんねアイズちゃん。アイズちゃんの言っていること全然理解出来ないかなー」
「?」
「かっ……わぁ……!」
ふーんいきで多頭飼いなる言葉を使ってみるも手応えはイマイチ。不思議そうに首を傾げる不思議系幼女が放つきゅるるーんな愛らしさに元気を分けてもらったのか、俯きがちだったアルの瞳に活力が宿ったような気がする。いずれにしても憲兵さんこの人です案件である。
「ん! んんっ! えっと、アイズちゃん? 僕に何か用事があるのかな?」
「兎さんに、会いたかった」
「ぐっっっっはっ! 会いたっ……な、何の用事かなーっ?」
幼女に心を揺さぶられる兎さん、歓喜に咽び泣く未遂で踏み留まることに成功。でもやっぱり不審者過ぎて憲兵さん以下略。
「勝負」
「へ?」
「もう一回したい」
「あ、あぁ……」
不審者さんの不審者さん指数、右肩下がりの曲線を描き始める。
「休憩、まだ終わらない?」
「そ、そうだね。休憩だからね、しばらくは全然だね……!」
「じゃあ、待つ」
「ぇ」
腕を伸ばして伸ばされてをしても互いに触れられそうにない距離に、ぺたんって擬音が聞こえてきそうな実に女児女児した仕草で腰を下ろす九歳女児。じーって擬音すら聞こえてきそうな眼差しがアルに殺到している。
「じーっ」
「む、昔からこの感じなんだなあ……」
「昔?」
「う、ううん! なんでもないよ!」
じーっと見据えたまま本当にじーっと唸り始めたアイズの姿が過らせる既視感に苦笑いが止まらない。
というか。これアレだ。こっちが休憩終わりを宣言した瞬間、剣を抜くヤツだ。
「じーっ」
もうほら絶対そうじゃんそういうヤツじゃないですかずっと僕のこと見ていてとっても可愛いですねほんとにねどうしようねえへへのへ。
じゃないんだよ僕。ちゃんとしなきゃだよ僕。
「えっ、と……どうして僕と勝負をしたいのかな?」
「兎さんみたいに強くなりたい」
「……どうして強くなりたいの?」
卑怯なことをしている。
男らしくないことをしている。
彼女に聞きたいことがあるならば、今の彼女に聞くべきではない。
夢の中の彼女にではなく、夢の外の彼女に聞くべき。違うか?
夢の中にありながら、この夢を単なる夢と認めさせないようなリアリティの強い思考のブレーキが勝手に働いて、アルの言葉の初速の踏み込みは弱かった。
「倒したいモンスターがいる」
その対極。少女の言葉は迷いなく走り出していた。
「いっぱいモンスターを倒して、強くなって、絶対に私が……殺すの」
動機を明かせと口にした冒険者の紅い瞳を見据える少しもブレない眼差しが、少女が抱えた決意、その強度を知らしめす。
それほどまでに倒したい。この手で葬り去りたい怪物がいるのか。
「……そうなんだ」
「うん。だから」
「君とは戦えない」
幼い容姿。幼い仕草。何処か辿々しい言葉。
それらを霞ませてしまうほど決然とした殺意を孕んだ眼差しに怯んでしまっていることを認めながら、少女の願いを叶えない選択を取った。
「どうして?」
「どうしても」
「いっぱいお願いしてもだめ?」
「だめ」
小首傾げちゃってますよ可愛い娘さんですね本当に。なんて思考にそれでも毒されず、アルは意見を曲げない。
「……だったら」
戦士と言うには細過ぎる右腕が動き、腰元に備える得物の柄に指先が触れた。
「そんなことしたら、リヴェリアさんたちに怒られちゃうと思うよ?」
「はうっ……! で、でも今は……戦う……!」
どうしてその名前が出て来るのかという疑問に気を割けない程度には慌て倒す九歳女児。柄に掛けた指先が微かに震えるも、それでもこの後の予定には何の変化もないのか、これまた細過ぎる両足でしっかりと立った彼女は、戦意を微塵も萎えさせず、自分の力を押し上げてくれるかもしれない冒険者を睨んだ。
「私に出来ること、全部やる」
「…………」
視線を交える二人の間に落ちる静寂。二人の睨めっこの背中から聞こえる冒険者やギルド職員たち、生活自由家族居場所らを奪われた市民たちの怒号や悲哀に満ちた言葉の数々が、生まれた静寂を空虚なものにさせてくれない。
理解しているつもりだ。
ゆとりなどない。余裕も猶予も、アルが今生きているこの時代には、何処にもない。
だからこの少女も、最前線に駆り出されているのだろう。
この少女の保護者と呼べるだろう方々が断腸の思いでその決断をしたことくらい、アルにだって想像出来た。
アルの知っている未来の通りになるだなんて保証はない。流れる血も涙も、アルが知っている未来よりも少なくなってくれる保証も当たり前に存在していない。
仮にアルの知っている未来をなぞったとしても。その道程から、幾人の人間が命を奪われ振り落とされてしまうことだろうか。
「じーっ……」
この少女が今より少しでも強くなれば、振り落とされない命が増えてくれるのだろうか。
「……はぁ……」
露骨な溜息。彼にしては珍しい姿。
「アイズちゃんには関係のないことだけど……お礼はしないといけないよね……」
「え?」
「何度も訓練をしてもらったから……」
アイズさんに。
「クンレン?」
少女には微塵も理解出来ないだろうエクスキューズ。その半分を、喉の下に隠した。
本心は嫌だ。剣を交えずとも伝わる戦闘狂っぷりに拍車を掛けてしまう気がするから。
「出来ること……僕もやらないと……かな……」
形作られた動機の内容物に諦観の念の存在があることは否定しないが、全体の半数以上は前向きな物になった。というかした。
そうでないと、この手は刃を掴めない。
「ここだと目立つし迷惑になる。場所を変えようか」
「うんっ」
はい可愛い。本当に可愛いサイキョームテキに可愛い貴方がなんばーわん。
と、浮かれることなど出来ない。
夢の中だろうと五里霧中に立ち尽くそうが、それでも自分の冒険に寄り添い続ける漆黒の相棒が収まるホルスターに手を触れる。
「やったっ……!」
心が冷たくなる。
悲しくて、寂しくなる。
この刃を引き抜かなければ、今日一番の笑顔を引き出すことが出来ないだなんて。
こんな歪みを、少ない言葉数の向こうに、いつだって秘めていたのか。
「……会いたいな……」
アイズさんに。
何を話していいかなんてわからないけれど。
会って、笑ってもらいたいな。
ジャガ丸くんでも食べながら、笑い合いたいな。
けれど。
そう願うからこそ。
「何か言った?」
「ううん。行こうか」
まだ、この夢から醒めるわけにはいかない。
* * *
「ふっ!」
速い。
「やぁっ!」
上手い。
「はぁっ!」
強い。
けど。
「やっぱり……」
「っ……!?」
剣戟の雨中に落ちる独り言の正体を知りたくて更に踏み込んだアイズの小さな体の軸がブレて。
「……あれ?」
空を見上げていた。
押している手応えはあった。自分では彼の実力に届いてない事実など直ぐに飲み込んで、それでもと前に出て出まくって押しまくって、気付いたら転んでいた。
碌な痛みもないことも含め、不思議なことがたくさんな少女は、石畳の上に寝転んだまま小首を傾げた。
「……今、何したの?」
「君の攻撃が凄かったから一生懸命に凌いでいただけだよ」
何処か軽薄に響く言葉だが、額に浮かんだ汗をぐいっと拭う姿に嘘はない。
Lv.5のアル。Lv.3のアイズ。
そんな数値など何の意味もないと言わんばかりの苛烈な攻めに、アルが気を緩めることの出来る隙間など存在していなかった。
「一つ、言わせてもらってもいいかな?」
「うん」
「じゃあ言わせてもらうけれど……」
何様だ。何処から目線だ。
自分が冒険者となってから今日まで幾度も訓練を施してくれた少女。その過去の姿に偉そうなことを言おうとしている自分に対する自虐が生まれ、言葉を迷わせる。
「もっと自分を大切にしないとだめだよ」
それでもと、アルは言い切った。
言わずにいられなかった。
立場。上下の逆転。
それが、未来の彼女と重ねた訓練の日々では浮かびもしなかった気付きをアルに与えた。
九歳という年齢を感じさせない手札の多さ。動きも洗練されていて、技だって実に巧だ。
しかし、少女が彼に見せた手札は全て、やられる前にやるを突き詰めたにも程がある、清々しいまでの攻撃特化。
故に、自分の身を守る意識が希薄。
何処ぞの誰ぞと異なり、攻められたら弱い、なんてことはないだろう。だって彼女は攻められたって受けに回らない。無理矢理にでも前に出ようとするんだから。
余程の実力差でもない限り、自分の身の安全など度外視した自爆戦術にも似たその突撃は、彼女と対峙する者の心胆をとことんまで寒からしめることであろう。
彼女に先頭のいろはを叩き込んだのはフィン、リヴェリア、ガレスらであることを彼は知っている。
あのフィンたちが、彼女の戦い方の危うさに気付いていないわけがない。
この時代を生き抜く上で、対人想定の指導をしていないわけがない。
それでもこの少女がこうなのは、そういう根っこだからとしか言いようがない。
悪癖。性格。そんな言葉で片付けられなどしない、もっともっと根の深い問題。
我が身を省みないこの戦い方は誰に指導されたものでもなく、己の内側から溢れるものを行動に結び付け続けて生まれたもの。
彼女を前へ前へと突き動かす燃料の名前は。
『倒したいモンスターがいる』
『いっぱいモンスターを倒して、強くなって、絶対に私が……殺すの』
恐らく、憎悪。
宿題にも似た心当たりを、未来に置き忘れたままにしている。
とある村で。とある剣のお姫様と。とある黒竜の鱗を見た。
その鱗を村の住人たちは崇めていた。祭壇に祀られてすらいた。
その光景を見つめていた彼女の横顔を、アルは見られなかった。
見ていたのは背中だけ。
神様なんかじゃないと断じる、隠しきれない敵意に満ちた、冷たい言葉を聞いただけ。
黄金に包まれた少女にそう言わせた、その根底。
未来の彼女を知っているアルでも知らない何かが、アルの知っている彼女よりも如実に、九歳の彼女からは溢れ出している。
それを危うく思った。
心の底から、怖いと思った。
「その戦い方は、自分に優しくしてあげることを考えていない戦い方だ」
「……リヴェリアも、おんなじようなこと、言ってた」
「だったら」
「でも、これがいい」
「…………」
ああそうか。無理なんだ。
自分には、彼女の戦い方を変えることも、この憎悪を引き受けてあげることも不可能。
「これが一番、怪物を倒せる」
無垢な幼さを手放しきれていない眼差しが、残酷な事実を突き付けてくる。
「だから、これがいい」
呟きながら身体を起こすアイズ。まだ幼いにしたって細過ぎる腕の先の小さな手は、次の斬り合いを待ち侘びているかのよう、愛刀の柄をしっかりと握っている。
「続き、いい?」
「…………もうここまでにしよう」
対照的。手放していなかった漆黒のナイフをホルスターに収めながら、アルは座り込んでしまった。
「なんで? 私、まだまだやれる、よ?」
「そうなんだ。すごいね。でも、僕の方が無理みたい」
「え?」
「身体の調子があんまり……ははは……」
乾いた笑いに嘘はない。
『吠えていいのは『力なき意志』ではなく、『意志を有する力』のみ』
『予言しておく。貴様ともう二度と会うことはない。私がそう決めた』
灰色の髪を靡かせ、静かに涼やかにアルを追い詰めた、かつての覇者。
英雄の作法とやらを叩き込んでくれた彼女との交戦が、彼に残された時間をとことんまで削っていた。
アルの把握している通りになったとしてもならなかったとしても、もう間もなく、大きな波がこの都市を飲み込まんと襲い掛かって来る。
この時代に生きる者たちと共に越え、波の向こうの景色を見るまで。彼の
それに、身体の方はまだ無茶が効くけれど、気持ちの方が追い付いて来そうもない。
この少女と刃を交えれば交えるだけ、取り返しの付かない方向へと手招きをしてしまっているような、そんな気がして。
だから、今だけは刃を握りたくない。
「あ……」
「ごめんね?」
「う、うん……」
うんなのかううんなのか判然としなかったけれど一応は飲み込んでくれたらしく、さっきまでやる気満々だったのはなんだったのくらいあっさりと、アイズは刃を収めた。
「代わりに、お話がしたいんだ。訓練のお礼ってことで、少しだけ僕に時間をくれない? いいかな?」
「……いいよ」
強くなる秘訣とか、そういうお話が出来るかもしれない。
拙い指捌きで算盤を弾いてから、アイズはしっかりと頷いた。
「ありがとう。じゃあ質問ね。戦う以外でやりたいこと、何かない?」
「強くなりたい」
「そういうことじゃなくて」
「ダンジョンに行きたい」
「そういうのでもなくて……」
キラキラしてさえいる純粋な眼差しに困り果て、アルは額を抑えてしまった。
自分だって強くなりたいなりたい連呼していた覚えがあるが、彼女ほど純粋にはなれていないと思っている。
それ以外の事柄など全て瑣事。
彼女は、そうなのだろう。
「なんて言うのかな……その……楽しそうなこととか……好きなこととか……これをやったら幸せになれそうだなとか……そういうことが聞いてみたいんだ……」
「んーと…………訓練?」
「そういうのでもなくて…………そ、そうだ! ジャガ丸くん、好きじゃない!?」
「すき」
食い気味な即答。彼女の思考が腰元の剣から微かに離れた手応えアリ。この辺りをフックにしてやろう。
「美味しいもんね、ジャガ丸くん」
「うん。ジャガ丸くんは、天才」
「天才って……じゃあ、ジャガ丸くんを毎日毎日、仲間や家族、友達とかと食べられたら、それは幸せなことだと思わない?」
「……わかんない」
何がわからないのかを問うことなく、アルはアイズの言葉を待った。何やら言い淀んでいる様子なので、急かしてはいけないと思ったから。
「毎日ジャガ丸くんを食べられたら、嬉しい。リヴェリアたちと食べられるのは、いいこと。でも…………あの、ね?」
「うん」
「……ないしょにして、ね?」
「絶対内緒にするよ」
「……私…………とも……だち……いない、の……」
「…………っ」
「え?」
「くっ……はは……あははっ……!」
強さへの渇望を発露していた時とは別人のように視線が迷子だったアイズの口から飛び出した告白を、アルは堪えることが出来なかった。
「……兎さん嫌い」
「げっふぅぇ!? き、効く……死んじゃう……! って違うの違うの! 本当にごめんね! えっと! と、友達がいないことが気になるの!?」
微かに頬を染めた少女の拒絶の言葉がクリティカルヒット。残りの体力全てを吐き出さんばかりのダメージを受けたアルは、身体ピカピカタイムがまだ来ていないことを確かめながら、勢い一つで会話を押し広げに掛かる。
「前に……リヴェリアとフィンが話してた……私に、どーねんだいの友達がいないのはよくない。でも、難しそー、みたいなこと……」
おしまいと言われたってもう少しだけでも戦いたかったアイズはずっと剣に手を添えてアルの前に立っていたのだが、それどころじゃなくなってしまったのか、それともようやく諦めが付いたのか。柄に添えていた手をだらりと下げ、アルから少し離れた所に座り込んでしまった。
「心配させるの、よくない、だから……」
「……そうだね。心配させちゃうの、よくないよね」
真っ当とは言えない動機な気がするけれど。
この少女は、誰かの心配に気付けないわけではない。
少し、心が軽くなった気がした。
何がきっかけでどんな風に人が変わってしまうかなどわかったものではないが。
この部分に関しては、未来の彼女と同じような成長の仕方をしそうだと。
未来の彼女は、リヴェリアや誰かの心配りの一切を無視してしまうような人ではないことを、アルは知っているから。
「それに……私のこと、怖いって言ってる人、ファミリアにいる……」
「そうなの?」
こんなに可愛い子が怖い!? 可愛すぎて怖い的なことですよね!? わっかるぅー!
そう叫びたいのを我慢して続きを促す。
「あんまり、いいことじゃない……気がする……から……」
「怖いって思われないようになって、仲良くなってみたい?」
言葉なく頷いた九歳の姿に、アルの笑みが深くなる。
ようやく、年相応の一面を見せてもらえたような気がした。
「友達って、どうやってなるの?」
「そう聞かれると難しいなあ……僕も得意じゃないし……」
「兎さん、友達いない?」
「いないってことはない……よ?」
「自信なさそう?」
「いやいや! いる! ちゃんといるよっ!」
「急に声大きくなった」
一つ屋根の下で生きるみんなは、友達であり仲間であり家族。
共に冒険を潜り抜けてくれた人々は、友達というより仲間。
未来の彼女のように、自分の背を押してくれたり立ちはだかる壁となってくれる人々は、仲間というより先生、師匠。
じゃあ、友達と言えば! 誰になる?
なんてド真面目に考え込んでしまったもので、イマジナリー友達と語らうのが日常感の滲み出る強がり坊や宛らになってしまうアルの姿に何かを感じたアイズちゃんは、お話する相手を間違えちゃったかも、などと感じるなどした。
「友達って呼んだり、仲間って呼んだり、先生とか師匠って呼んだり、家族って呼んだり。冒険者たちの二つ名みたいなものなのかな。友達って事実の隣に沢山の呼び方があるから、なんて言ったらいいのか迷っちゃって」
「じゃあ……いるの? 友達」
「うん。恵まれているなあって思っちゃうくらい、素敵な友達に囲まれているよ」
「一人もいなさそうに見えるのに……」
「どうしてそんなこと言うの……?」
感じたシンパシーが気の所為だと知って何故か落胆する九歳女児と、さらりと辛いことを言われてしっかり傷付く十四歳男子。しょんぼりと項垂れる様はほとんどお揃いだった。
「じゃ! じゃあ! 練習! 練習をしてみようか!?」
「練習?」
「素直に思っていることを伝える練習」
「どうして?」
「友達って、誰かがなってくれるものじゃなくて、誰かと誰かでなるものだから」
「……よくわかんない」
「友達が欲しいなら、自分から友達になりに行かないといけない。何もしないでいたって自然と出来るものじゃない、ってこと。わかるかな?」
「む、難しい……」
「今は難しくてもいつかの君が難しいなんて思わないように今のうちから練習ね。じゃあ、僕に向かって言ってみて?」
「なんて言うの?」
「それはアイズちゃんが決めて欲しい。アイズちゃんの思う、お友達になる為に必要な言葉を考えてみてくれる?」
「……わかった……」
こくんと頷いたアイズの口元から早速聞こえてくる、うーだのあーだのと呻く声。相当に難しい難問なのか、戦闘時でもそんな顔してなかったじゃないってくらいに両目をかっ開く姿が絵面として純粋に愉快で、アルの口元が豊かに綻んでいく。
「……はい」
「どうぞ」
「……ジャガ丸くん……は……美味しい……だよ?」
「うーん……それだと、お友達になりたいって気持ちはあんまり伝わらないかもね」
「がーん……」
「いちいち可愛ぃ……!」
しゅばっと挙手してご回答するも不納得なご様子を見せる兎さんの姿にアイズちゃん撃沈。仕草も表情もいちいち刺さるらしく、ろりこんさん呼ばわりもさもありなんなアルさんである。
「じゃあ…………私と、訓練、楽しい、よ?」
「それ、アイズちゃんが訓練したいだけだよね?」
「…………」
それが楽しいものであることも、同時に理不尽なくらい苦しいものであることも知っているアルの真っ直ぐな指摘に大きく口を開いて固まるアイズちゃん。がーんなんて言っちゃってるよ可愛いね可愛い。
「もっと真っ直ぐで簡単な言葉でいいと思うよ」
「…………戦おう?」
「どうしてそうなるのぉ!?」
「むーっ……」
言われた通りに真っ直ぐで簡単な言葉にしたのに。と、頬を膨らませたアイズは、たくさん考えて、たくさんの言葉を使ってみた。
丸一日リヴェリアたちと過ごしていたとしてもこんなに喋らないってくらいに、アイズはたくさんの言葉で自分の気持ちを伝えた。
改めて、自分はこういうの下手なんだと学びながら、それでも諦めず。
何度も何度も、アイズは頑張った。
すると。
「えっ、と……その…………お、お友達に……なってくれる……ます……か?」
「うん」
「え?」
どんな勉強にも負けないくらいの難問を出して来た兎さんが、ようやく頷いてくれた。
「嬉しいなぁ」
「…………いいの?」
「もちろん! 今日から僕たちは、友達だ」
「……誰が?」
「僕が」
「誰と?」
「君と」
「どうして?」
「友達になりたいって君が言ってくれたから」
きょとんと首を傾げるアイズの金色の瞳に映る年上のお兄さんは、笑っている。
「それが嬉しくて、僕も君と友達になりたいって、そう思ったから」
とても嬉しそうに、笑っている。
「……あの」
「よくできました!」
「え?」
「友達になってみたいと思える人に今みたいに自分から言えたら、きっとたくさんの人が君のお友達になってくれるよ」
「…………あ」
嬉しそうに笑う歳上のお兄さんの笑顔と睨めっこになって、ようやく思い出した。
そうだ。練習だった。すっかり忘れてた。
兎さんとお友達になることしか考えていなかった。
「アイズちゃんにそんなことを言われたら、誰だって嬉しいだろうから」
「そうなの?」
「そうだよ」
「……私、友達、出来ると思う?」
「出来るよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに」
うーっと唸りながらアルの瞳を覗き込む幼い瞳は、希望と自信を欲しがっているかのよう。
それを察知したアルは、小狡い小芝居なんぞを打ってみることにした。
「よし! じゃあ、いいことを教えてあげる!」
「いいこと?」
「そう! でもこれはズルいことだから、アイズちゃんの周りのみんなには内緒にして欲しいんだ」
「ずる?」
「ちょっとだけね。約束出来る?」
「……できる」
ズル、って言葉が気になったけど、いいことの方がもっと気になってしまったアイズは、こくこくと頷いた。
「ほんと?」
「ほんと」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんとっ」
いつの間にか自分から兎さんに近付いていることに気付かないアイズちゃんの語勢が強くなる。
「か、かわ……! こほん! じゃ、じゃあ教えてあげよう!」
興味津々をまるで隠さない瞳に見上げられるだけでニヤニヤしてしまう系不審者のアルさんは、ニヤニヤし倒したいのを気合を入れて堪え、芝居掛かったチューニングを己に施した。
「見える……見えるぞー」
「見える?」
「普段は知的なんだけど、とっても情熱的なお姉さんと、いつだって太陽みたいに明るい妹さん。彼女たちは双子みたいだ。種族はアマゾネスだね」
「アマゾネス?」
「それと、心根は優しいんだけど時々……というか大体いつもおっかない妖精さんのあごめんなさいごめんなさい謝りますから燃やすのやめてぇ……!」
「兎さん、どうしたの?」
「う、ううんなんでもないよ! エルフ! エルフの歳下の女の子もそう!」
「そうって、何?」
「そんなに遠くない未来で、君のお友達になってくれるんだ!」
「誰が?」
「双子のアマゾネスさんと、君よりも少しだけ歳下のエルフの女の子が!」
「誰と?」
「君とだよ」
「……どうしてわかるの?」
驚くも何も、信じ切る方が先ず難しいアイズは、浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「実は僕……未来が見えるんだ。少しだけね」
素直な疑問をぶつけた少女に、わざとらしくて不慣れで不恰好なドヤ顔のアルは、小さな嘘を吐いた。
「み……らい?」
「うん。未来」
「未来って……未来のこと?」
「その未来のこと」
「…………そっか……だから兎さんには攻撃当たらないんだ……!」
「あーそっちに話繋がるのかー」
「すごい……兎さん、すごいねっ!?」
「ああぁぁぁ自己肯定感高まるうぅうっ……!」
自分の中で意味が通ったらしく、全身を微かに揺らしながら、今日一番のバチバチな輝きを宿した瞳でアルを見上げるアイズ。その姿に自制心が壊されそうになるアルさんの不審者っぷりがいよいよヤバい。
「と、とにかくっ。アイズちゃんには素敵なお友達が出来る。これはきっと叶うよ」
「そ、っか……そうなんだ……ね……!」
一切疑っていないらしく、アイズの頬が微かに紅潮し、釣られるように口元が淡く綻んだ。
「あ。とは言っても、友達を作る努力はちゃんとしないとダメだよ?」
「どうして?」
「どうしてって……例えばだけど、アイズちゃんが頑張って訓練をして、すっごく強いスキルとか魔法を覚えたとするでしょ?」
「うん」
「あのスキルも魔法も使えるようになったから、もうそのスキルと魔法の訓練はしない。それって、いいことだと思う?」
「いけないことだと思う」
「だよね? それと同じだよ。友達を作る努力は欠かしちゃいけない。でないと、アマゾネスの双子さんと歳下のエルフさん以外の誰かとお友達になったりも出来なくなっちゃうかもしれないし、派閥の中にいるアイズちゃんを怖がっている人たちと仲良くなるのも難しくなっちゃうよ。わかる?」
「……わかる……」
「だったらこれからも、お友達を作る為の努力を続けていこうね。いいかな?」
「わかった……!」
ピンと来ているのか怪しいものではあるが、三回ほど小さく速く首を縦に振ってみせる素直な様は、微かな安心感をアルに与えた。
「でも、いいの?」
「何が?」
「未来のこと教えるの、大変なこと……みたいな気がする」
「アイズちゃんならいいんだ」
「どうして?」
「友達だから」
「……私、友達?」
「うん。友達」
「私と兎さん、友達?」
「さっき僕に言ってくれたよね。友達になりたいって」
「あ」
「僕は言ったよ。今日から僕たちは、友達だって」
練習は練習。
練習は嘘にならない。
練習でも、それはもう、本当だ。
なんて身勝手を振り翳して、まだまだ未熟な十四歳の少年は、もっともっと未熟な九歳に笑い掛ける。
「でもごめんね。次に君に会えるのはいつになるかわからないんだ」
「え?」
「直ぐかもしれないし、もしかしたら数年……七年くらい後になっちゃうかも」
「そん……え? 七年? どうして? もしかして、それも、未来が見えるからわかる、の?」
「うん。でもこの未来は不透明になっちゃってるみたいで、僕が知っている通りにはならないかもしれないんだ。それも全て、この暗黒期をオラリオがどう乗り越えるか次第かな」
「だったら」
「だから」
アルが言葉を大いに間違えたわけでもないだろうに、アイズの意識が腰に備えた刃に向いた。しかし次の瞬間にはアルが声を張っていて、小さな影が発した気勢を、優しいタッチで上書きしてしまった。
「だから、生き抜こう」
「…………」
「僕もアイズちゃんも、生き抜こう」
「……うん」
「それで……いつかまた、会いたいな」
アイズは言葉を選べなかった。
兎さんはまるで、もう会えない未来を知ってるみたいだ。
そう思ってしまったら、どんな小さな言葉さえも上手に口に出来なくなってしまったから。
「ただ! これだけわかるんだ。いつか。もしも『僕』が、君に出会えたとしたら。『僕』は、君に憧れる」
「あこがれ?」
「そう。憧れて、君みたいになりたいって言うかもしれないね」
「わ、わからない……兎さん、さっきからわからないことしか言ってない、よ?」
「だね。自分でも思うよ。いやはや……もっと上手い方法があったはずなんだけどなあ……」
アイズの混乱をしっかと感じ取りながら吐き出す溜息は、浅くて長かった。
「……何だか、あちこち騒がしくなりそうだね」
「え? う、ん……そう、かも……」
先に、オラリオを包む空間の変化に気付いたのは、アル。
冒険者や市民の談笑が少なくなり、人影の数も明らかに減っている。
雑踏に生じた小さな変化はしかし、何かが起こる前触れと捉えるのがこの時代に即しているだろうと感じ、アルの話の流れにも都市でこれから起こる出来事にも上手に乗り合わせ出来ていないらしい、小さな友達との別れの時が近いのだと、直感的にアルは感じた。
「……ねえ。僕の欲しいもの、聞いてくれる?」
だったらその前に。もう少しだけ。
名前すら伝えようとしないこの碌でもない男の話をさせて欲しい。
「僕も強くなりたい。アイズちゃんに負けないくらい、強くなりたい」
「兎さん、私より」
「でもそれは、モンスターを倒すためじゃない」
悔しいながらも完了している格付けに則り、貴方は自分より強いじゃないかと伝えようと口を開いたアイズを、アルの言葉が遮る。
「え?」
「友達。仲間。家族。大切な人たちを守れる。それだけの力でいい。それだけの力が欲しい」
「…………」
「僕、冒険者になりたかったし、英雄になりたかったけど……戦うのは、あんまり好きじゃないんだ」
「……そうなの?」
「うん。誰かが傷付くのは見たくない。それくらいなら僕がって思いはあるけど……戦っている時間の全部が、家族や友達と過ごす楽しい時間になれば嬉しいなって、とっても思うんだ。甘っちょろい理想だっていうのはわかっているんだけどね」
そんな甘いお話、今のオラリオじゃ通用しないよ。
幼いなりに現実を見据えているアイズの脳裏に浮かんだ言葉を言語化するより先に、甘えた思考を自覚をしているアルが、アイズの前で膝立ちになる。
「でもこれはずっと変えないし変わらない。僕は強くなりたい。強くなりたいのは、友達、仲間、家族。そういう、大切な人たちと一緒にいられる時間が欲しいから」
「…………」
「僕やアイズちゃんやたくさんの人たちが、一緒に笑っていられるような、穏やかな世界が欲しいんだ。だから僕は強くなりたいんだ」
「…………」
「ねえアイズちゃん」
「……何?」
「アイズちゃんの欲しいもの、何かな?」
「どんなモンスターにも負けない強さが欲しい」
「そうか。でもそれだけじゃないよね?」
「え?」
「強くなりたいの裏側に隠しているものがある」
「…………」
「戦うこと以外の叶えてみたいこと。叶うなら、こんな風な自分になってみたいんだとか。どんなに小さなことでもいいの。僕に聞かせて欲しいな」
「…………」
「大丈夫、恥ずかしくない。怖くもないよ」
膝を折っても自分の目線よりも下にいる少女に見上げられても奇声は疎か、動揺の一つも発露させない。
この数分が、アルの知らなかったアイズと過ごせる最後の時になるだろうというのに、自分の内心にばかり振り回されている場合じゃない。
「…………毎日……」
「うん」
「……ジャガ丸くん、を……食べて……リヴェリアとか、フィンとか、ガレスとかと、訓練をして……でもでも、お勉強はあんまりしたくなくて……お友達も……欲しくて…………いっぱいお昼寝をしても、リヴェリアに怒られなくて……それで……」
「うん」
「英雄が……欲しい……」
小さな心の何処かにいつだって隠し続けている、細やかで、けれどとっても大きくて、年相応の稚拙な願いことを拙い言葉で紡いだ少女は、兎さんのような冒険者の紅い瞳を、頼りない眼差しで見つめ返した。
「私……黒竜が嫌い。だから、黒竜を倒してくれる英雄が欲しい」
「……そっか」
「だ、だから……英雄が……それで……でも、そんな人……いないから……私、が……その……」
点と点が繋がった。
そんな心地に、アルはなっていた。
「ねえ、アイズちゃん」
「……何?」
「戦うことは、好き?」
「…………あ、んまり……好き、じゃない……の、かも……」
「……変なことを聞いちゃってごめんね。けれど、聞かせてくれてありがとう」
「わ……!」
低い位置にある小さな頭を、高い位置から大きな手で包む。そのまま調子付いて、金色の髪を撫でてしまった。
これはいよいよ憲兵さんこの人です案件かもしれないけれど、今のアルに出来る最大限の謝罪と感謝の合わせ技が、これしかなかった。
「じゃあ……もしも、黒竜を倒せるような英雄さんが現れたとしたら、君は毎日ジャガ丸くんを食べて、リヴェリアさんたちと触れ合いながら、たくさんの友達を作って、毎日笑っていられるようになれるよね?」
「そんなの……わかんない……けど……」
なれるのかも。
互いに触れ合える距離に身を置いていながら、それでも掬い上げるのに難儀してしまうような声量で付け足された言葉を見捨てなかったアルは、上空を仰いだ。
「そっか」
結局、自分は卑怯な手段を使ってしまった。偽善者らしく、全然道化師らしくない手段で、アルのよく知る未来の彼女が今も明かさないでいるものの大枠を知ってしまった。
「そっか……」
けれど、もう謝らない。
誰にも言わない。
そして、忘れない。
持ち帰って、叶えたい。
そうすれば、きっと。
「そっかぁ……!」
ほんの少しかもしれないけれど。
アルの抱えている覚悟がより重く。
より大切になった。
「ごめんなさい」
「え?」
「兎さん、休憩、だったのに、訓練とか、いっぱい……」
このひとときが終わりに差し掛かりつつあることを感じ取ったのか、アルも予期していなかった角度からの謝罪が飛んで来た。
「アイズちゃんのことをたくさん教えてくれて嬉しかった。だからごめんなさいもしなくていいし、そんな顔をしなくていいんだよ」
「でも……」
「……だったら、や……」
「や?」
「……やっとの思いでこの暗黒期を乗り越えられて。僕と君がまた出会えたとしたら。その時はもっと、たくさんのことを話して欲しい。その時は遠慮なんてしないで、どんなことでも頼って欲しいな」
約束。
今この時代、この場所で振り翳すには、なんて無責任な言葉だろう。
あまりに見当違いな言葉を吐き出してしまう前に無理矢理に軌道修正。逸れた横道に落ちていた、それでも決して嘘偽りでない思いを、アルは言葉に起こした。
「……いいの?」
「もちろん」
「どうして?」
「僕たちは、友達だから」
「……友達なら、いいの?」
「頼っていい。甘えていいんだ。年長者としても男としてもどうかと思うけれど……僕も君のことを頼ることがあるだろうし、甘えるのは……こっちは頼る以上に抵抗感があるけれど、どうしてもそうしたくなった時は、そうさせてもらおうかな」
他者に聞かれようものなら、憲兵さんこの人です今直ぐ確保するのです案件扱いは免れないだろうが、君を頼りにしているんだと暗に伝えるアルは、自分に浮かんでいるいい具合の笑顔をベリベリと剥がそうとは特段していない。
「もしかしたら君の前に、君が求める英雄は中々現れてくれないかもしれない」
「……うん……」
「それでも君の前には、君が求めた友達がきっといてくれる。僕だけじゃなくてね」
「…………」
「その人を、一人にしないであげて欲しい。力になってあげて欲しい。その人もきっと、君に同じことを返してくれるはずだ」
「……友達は、そういうもの?」
「僕はそう思ってるよ」
友情に甘い幻想を抱いている? 甘っちょろい偽善者だと自覚はしているが、そんなつもりはない。
決め付けであり押し付け? それはそうかもしれない。けれどわざわざ否定的に捉えて考え込むことこそ不要だろう。
もしもそこで何か失敗をしてしまったのだとしたら、それもまた、血よりも濃い何かを産み出す為のプロセスだ。
一度も間違いのない人生だなんて、そんなにも間違った人生を送るくらいならば、怪我をしてみるのもアリだろう。
腹を割って心を開いて、それを当たり前にしようと言うのだ。血を流す日をどうして避けられると言うのだろうか。
こんなの、ただの体験談だ。
同じやり方でも同じ言葉でもなかったかもしれない。
それでも、アルが駆け抜けた日々の中で育まれたものは、自分一人が見た幻想でも一方的で身勝手な決め付けでも押し付けでもなかった。
アルは、そう信じている。
「だから……アイズちゃんが、友達の為に走ることが出来る女の子になってくれるよう、祈っているよ」
そうして走り続けているうちに、彼女の英雄になれるかもしれない誰かと出会える。
きっと出会ってくれる。
仮に出会えなかったとしたらさて大変だ。
というか。
そんな立ち位置に収まることに憧れてしまう誰かさんに心当たりが、アルにはある。
「またこっちの『僕』の負担を大きくしちゃったなあ……」
『憧憬』の都合などあんまり察せられず、そのくせ空気など読まず、そんな野郎になりたいんです僕! と、勝手に彼女と並走をしようとしちゃうんだろう誰かさんの先行きに無責任な同情をし、それでもアルは笑った。
男のカイショウってヤツの見せ所じゃない? あれ? なんか違う?
よくわかんないけれどまあ、頑張ろうよ。
お互いに。
僕は何も諦めていないもん。
だったら、きっと君も。
君たちも。
「え? 何?」
「ううん、なんでも…………いや。そのうちわかるよ。多分ね」
「?」
愛らしさ全開で小首を傾げる小さな少女の頭を最後に一撫でして、アルは立ち上がった。
「アルーっ!」
この時代この世界での自分の名を呼ばれて振り返ると、短めに揃えられた薄青色の髪を揺らす少女が大きく手を振りながらこちらを目掛けて駆けている姿が見えた。
「……もう行かないと」
「兎さん」
「うん?」
「また、ね?」
「…………忘れないで」
疑問系で突き出された約束に、少年は首を縦にも横にも振らない。
「君はいつだって、一人じゃないからね」
英雄を夢見る少年は、英雄の到来を夢見る少女に背を向け、もう二度と振り返らない。
* * *
夢を見ていた。
その夢は、端々の景色が、白かった。
白い何かがずっとそこにあって。それで、顔も名前も思い出せない誰かと自分が、友達になる。
たったそれだけの夢。
けれど。
たったそれだけの夢が、少女は好きだ。
言語化が得意でない少女だから余計に難しいのかもしれないが、頑張って言葉にしてみると。
懐かしい気持ちにさせられる、不思議な夢。
そんな具合だろうか。
何も知らないわからないのになんでも知っているような気分になるし、その友達のことの多くを知っているような気分にもなる。
不思議なことしかない不思議なこの夢を、今日まで何度か見たと少女は記憶している。
その夢から覚めた瞬間はいつだって、心地が良いものだった。
「ん……?」
けれど。
今日はどうも、違うみたい。
いつもよりも、夢の中の誰かの存在をしっかり見ることが出来た気がするのだ。
その人は、白かった。
その人は、紅かった。
その人は、なんだか兎さんみたいだった。
おお。本当にいつもよりも情報が多い!
いつもは、自分とお友達になってくれる以外のことは何も夢の外に持ち帰れていないから、今日は三倍の成果と言ってもいい。とってもすごいことだこれは。
「やっ、や……?」
その事実が妙に嬉しくてやったー! と喜ぼうとしたのだが、上手に喜ぶことが出来なかった。
「な、な、に……が! っは……!」
意識の覚醒と共に慌しくなった心肺機能が、少女の全身に刻まれた痛みも傷も再活性。瞬く間に全身を駆け巡ったダメージに驚いてしまった為か、少女の尊顔に不似合いな差し色が口元から溢れた。
「……し……」
これは、死の手触りに満ちた、ヒトの証たる真っ赤な鮮血。
思い出す。
重傷を負って戦闘不能になっていたことを。
「わ、たっ、し……」
理解する。
自分の命がここまでであることを。
「しんじゃ、う……?」
瓦礫の海に半分沈んでいる自分の身体はどこもまともな反応を寄越してくれない。頑張って反応してくれたなーと思えば吐血か激痛に喘ぐのほとんど二択の帰結に収まる。
「も……っ! がふっ……!」
口から血が溢れ出してくれてよかった。
もう無理だなんて言いたくなかったから、言えなくてよかったって思うから。
「ぁ……」
まだ機能している耳に、怪物の咆哮が滑り込んで来た。
こんなにも全身ボロボロで、二つあるうちの一つがなくなっている可能性も否めないけれど、それだってこいつの咆哮だけは絶対に聞き間違えない。
「こ、く……りゅ……」
長年追い続けていた標的の咆哮を一度聞いたのだ。間違えてなどやるものか。
まだ遥か遠くにいるのだろう憎き黒いヤツを睨んでやろうと目に力を込めようとして失敗。遠くが見えない。瓦礫の海にうつ伏せで寝ている所為か、真っ赤に染まっている自分の身体の下にある瓦礫と、折角綺麗な金色をしているのにあちこちが赤く汚れてしまっている誰かの髪ばかりが見えるだけ。顔を上げようにも動いてくれないんだからどうしようもない。せめてまだ在庫がある
だったら、これからどうすればいいんだ。
「……み……んな……ぶ、じ……かな……」
血を溢しながら、自分の瞼の裏を埋め尽くしてくれる人々の無事を願う。
大切な仲間。
大切な家族。
大切な友達。
いつかの自分が持っていなかった、今の自分は持っているもの。
とっても大切なもの。
とっても大切な人たちだ。
だからこそ。
お別れくらい、ちゃんと伝えたかった。
「あ」
微かに見えていた景色が真っ黒に染まった。何かが瓦礫の海を割るような重厚感のある音も聞こえた。
多分だけど、自分の上に、何か大きなものが陣取ったのだろう。
黒い蜥蜴を守護するみたいに翔び回っていた竜の怪物の一体か何かがだと思う。間違っていない自信しかない。
『グオオオオオッ!』
ほーらみろ。正解だ。
竜種のことは特に研究した私だから、次の展開だって見えているのだ。
もう直ぐ私は、食べられちゃうんだ。
わかるのだ。私はすごいのだ。多分。
「ぐっ、ぅぅぅ……!」
でもやだ。
だってもう少し走ったら、偉そうに最奥でぎゃーぎゃー喚いてるだけのあいつの片方の眼玉も命も纏めて奪えるのに滅ぼせるのに殺せるのに満足して死ねるのに。
このまま眠ってしまったら、何も残らない。
もっと違う人生を送る道を示してくれたたくさんの人たちの言葉に背を向けて、ひたすら返り血を浴びて生きる道を選んだのに。
それなのに何も成し遂げられないんじゃ、私のこれまではなんだったんだ。
だからやだ。ここまで来て諦めるだなんて、そんなの絶対やだ。
懸命に足掻いてみる。
何も起こらない。
放っておいても直に生命活動を休止してしまうだろう少女の身体が起こしたアクションなど、声帯の存在しない兎の鳴き声にも勝てないだろうか細い声が、あちこちで竜種の咆哮が響くこんな場所でなければ聴力に優れている誰かになら聞こえるかな? くらいに
ぼたぼたと、なんだか嫌な音がした。美味しそうなご飯を見つけた蜥蜴が垂らす唾液の音らしいってなんとなくわかった。ジャガ丸くんを目の前にしている時の自分もこんな感じなんだろうか。
「……いな……かた……」
ここからは、愚痴だ。
「い、ないなら……いないって……おしっ、え……ほしかた……」
理解していたつもりだ。だから自分は剣を取ることを選んだのだから。
でも、だ。真実を知っている誰かがいたのなら、ちゃんと教えてくれたらよかったのに。
お前の代わりに黒竜を討伐してくれる英雄なんているわけないじゃん。
そう言ってくれていたのなら、自分はもっと鋭い剣になれていたかもしれない。
それとも、もっと脆い剣になっていたのかも。
どっちかに振り切れていたのなら、こんな気持ちになることもなかったのかな。
怒り。悔しさ。惨めさ。
こんなものしか、お父さんへの手土産を用意出来ないだなんて。
『オオオ……!』
いよいよと巨体が鼻先に迫ってくるのがわかる。汚い唾液が少女の肢体を汚して辱める。
「おと、さ……」
悔しい。
「ぉか……ぁ……」
とっても悲しい。
「……だ、れ……ぁ……」
まだ、死ねない。
『アアァァァアァァッ……!?』
なんだろう。巨体の動きが止まった気がする。
同時にずんっと、重たい何かが地面を揺らしたような衝撃が直ぐ近くで発生したのがわかる。何が起きているのか確かめたくとも身体が動いてくれないから叶わない。
「ぅ……?」
傷だらけの身体に、何かが触れた。
うつ伏せから仰向けにされたらしく、鋭い気流が渦を巻き続けている、黒ずんだ空が見えた。
「お待たせしました」
目を逸らしたくなるよう終末の景色の片隅で、白い何かが揺れた。
「たった一人でこんなになるまで……失礼します……」
多分だけど、その白い何かが、少女の口内に何かの液体を流し込んだ。
「よかった……間に合ってよかったっ……!」
「……あ……」
その液体には、痛みや傷を癒してくれる効果があるらしい。それを知覚出来た少女の瞳の焦点が、少しずつ正常に戻っていく。
「僕の家族と怪我の癒えたアストレア・ファミリアの皆さんが、本隊であるフィンさんやオッタルさんたちと合流しました。可能な限りの回復と補給を済ませこちらへ戻ってくるはずです」
「…………」
「まだ苦しいとは思いますけどもう少しの辛抱です。これ、アストレア・ファミリアの皆さんとアーディさんが託してくれた
「う……」
「う? う、なんです?」
「さぎ……さん……?」
「え?」
自分はまだ夢を見ているのかもと、少女は思った。
だって、さっきまで見ていた夢の景色にそっくりなんだもの。
あんまり綺麗じゃない空。その端々で揺れている白い色。
ほら、すっごくそっくりだ。
だからきっと、私はまだ夢を見ているんだ。
けれど不思議だ。いつもはそれ以外のことは何にもわからない夢なのに、今はそれ以外のことが少しだけわかるみたいだ。
綺麗じゃない空の端っこで揺れていた白いものは、髪の毛。
雪みたいに綺麗で真っ白な、髪の毛だ。
それは、人だ。
男の人だ。
それがわかったから、少女は尋ねてみることにした。
「うさぎ……さん……わ、たし、の……ともだち……?」
この人が、夢の中の白い髪の人ならば、この人と私はもう、友達のはずだ。
「アイズさん……」
ほら、やっぱりそうだった。
だって兎さん、私の名前を知っているもの。
「とも……だち……?」
飲み込んだ液体の効果だろう、少しは動くようになった右手を伸ばし、いつだって夢の中を少しだけ明るくしてくれていた白い髪を、指先で撫でてみる。
もふもふ。さらさら。すごい。かっこいい。
やっぱりそうだ。
この手触りも、知っているもの。
「ともだちの、うさぎさん……は……わたしの、えいゆう?」
「…………」
「わたしだけのえいゆうに……なってくれる?」
手を高く上げたままでいられず、パタリと下ろしてしまう少女。
アイズ・ヴァレンシュタインの金色の瞳に、白い髪と紅い瞳を持つ少年が、映り込んだ。
「……小さな頃から、すごく大好きな本があるんです」
まだ輝きの弱い金色の瞳と真っ直ぐ向き合ったまま。死地のど真ん中で、少年は語る。
「その本に書いてあったんです。大切とか、守りたいとか……好きとか。そういう風に思わせてくれる誰かと生きている人は誰だって、勇敢になれるって。誰かの為の英雄になれるんだって」
金色の髪を巻き込んで瘡蓋のように硬質してしまった血を少女の頬から削ぎ落としながら、綺麗な夢を見ているくらいが相応しい子供の為に描かれたのだろう本の中身を語る少年の笑みが、大きくなった。
「それなら、僕だって貴方だって、この下界で最大で最後になるかもしれない戦いに集った誰だって、英雄になれるはずじゃないですか!」
さっきまでは片方しか機能していなかったみたいだが、どうやら今は両方機能しているらしく、少年の声がとても大きく聞こえた。
「僕は、貴方の友達です。それは間違いありません」
そうなんだ。そうだよね。
私が大変な時に助けに来てくれる友達が、ずっと私にはいたんだ。
嬉しい。
すっごくすっごく、嬉しいな。
「けれど、僕が貴方の英雄かと言われたら、返せる答えを僕は持っていません」
「……そ、っか……」
「だから」
きっと、表情を引き締めて。
「貴方に渡せる答えを、手に入れてきますね」
答え合わせの約束を、少年は口にした。
「アイズさんが時間を稼いでくれたお陰で、全隊が行動を再開出来ました。瓦解しそうになった作戦もまだ機能しています。苦しい所を最前線で支えてくれてありがとうございます。ここからは僕が最前線に立ちます。だから、少し休んでいてください」
「ぁ……」
アイズの身体を抱き上げ跳躍。怪物の気配から遠く、あまり足下が荒れていない場所へとアイズを寝かせた少年は、腰元に装備しているナイフを引き抜いた。
「動くな小娘」
自分でもどうしてかわからないけれど、少年へともう一度手を伸ばそうとしていたアイズの緩慢な動きが、鋭いけれどとても澄んだ声音によって止められた。
「みんなは無事?」
「さてな。死にたがりならば死んでいて、生きたがりならばまだ生きているだろう」
「戦意を損なっていない人たちの無事はちゃんと確認して来たと。じゃあ全員生きているんだね。ありがとう、お義母さん」
「訳知り顔をするな、鬱陶しい」
寝そべるアイズを挟んで、少年と誰かが会話している。
ん? というか、おかーさんと言っていなかったか?
ということは。
私の視界に微かに映っている、灰色の髪を揺らしているこの女の人は……兎さんの、おかーさん?
「その娘は私が預かる。お前は前に出ろ」
「うん、お願い」
「こっちに一体も近付かせるなよ? この娘の安否など知ったことではないが、私が最大を発揮出来る時間は極めて短い。こんな所で私に徒労を与えてくれるな」
「全ての力を使ってでもアイズさんは必ず守ってやる、ね。ありが」
「『
「どっほぉ!?」
ひゅんと、鋭い風がアイズの上を駆け抜けたと思ったら、少年の頬が微かに腫れていた。
「殴るぞ」
「そう言って殴らなかったパターン今まで一度もなかったよぉ!」
「騒ぐな馬鹿者。ただでさえ雑音だらけで不快なのだ。これ以上私を煽ってくれるな」
「徒労を与えるなとか言いながら僕を殴る時だけしっかり
「……ね」
「え? 何か言いましたか、アイズさん?」
「……なか……いい、ね……?」
「……はいっ」
「馬鹿を言うな小娘」
仲良いと言われたことが心底嬉しいのか、とっても大きい笑顔を浮かべた少年と、腕を組んで不愉快そうに両目を閉じている誰かの姿が、ピントが安定してきたアイズの瞳に映る。
「さてっ。もう行くね。念押しだけどお義母さんは」
「前に出るな。無理をするな」
「そう。絶対だよ?」
「随分と思い上がったものだ。お前如きが、一体誰に指図している?」
「嫌だからね」
「何?」
「折角元気になったんだから、身体を大事にしてくれないと」
「…………」
「だから。こんな戦い、ちゃんと通過点にしようね」
「……私に命令などと偉くなったものだと叩き潰したいところだが、今だけは不問にしてやる。お前こそ、こんな所で生を投げ出すなど絶対に許さん。私の言い付けを守れなかったその時は天界からお前を引っ張り出し、私直々に地獄へ叩き落としてやると心しておけ」
「わかってる。ありがとう、お義母さん」
「何を笑っている」
「今日もお義母さんがお義母さんでいてくれて嬉しいなって」
「……ふん」
とっても気難しそうな女傑に見えるのだが、どうやら白い髪の少年には弱いらしく、微かに鼻を鳴らす様からは、先程見せた迫力など微塵も感じられなかった。
「あ、そうだ! お義母さんにずっと言えてなかったんだけど僕ね、新しい夢が出来たんだ」
「夢だと? この期に及んで何を」
「お義母さんに、孫の顔を見せたいなって」
「…………待て。いや待って。待ちなさい。それはつまり、孫の錬成が可能な相手が見つかったということか?」
「錬成って……」
「間抜け面を晒していないで私の質問に答えろ。恋人、もしくは伴侶をお前は」
「あ! 竜種がこっちに来る! もう行くね!」
「そんな蜥蜴など放っておけ。詳しい話を」
「連れてくから!」
「……何?」
「孫の顔を見せてあげられるような、静かで穏やかな世界に、お義母さんを」
「…………」
「一緒に行こうね」
「……もう行け」
「うん。アイズさんも、ここで待っていてください」
「ぇ、う……ん……」
「じゃあ……なってくるね! 最後の英雄に!」
「あ……!」
びゅんと、突風のような風が巻き起こると、第一級冒険者のアイズの目でも追い切れないような速力で、黒い渦巻き目掛けて、白い髪を激しく揺らす少年が突っ込んでいった。
「やれやれ……相変わらず、落ち着きのない子供だ」
その背中を見つめる女の独り言が聞こえる。
「私を残して逝ってくれるなよ……ベル……」
「……べ、る……?」
ベル?
ベルって、あのベル?
アイズの言う、ベル。
ベル・クラネル。
それは、オラリオにやって来たその日に、オラリオの興味と関心を独占した、変わり者の冒険者の名前だ。
その少年は大派閥に加入することなく、オラリオへ来たばかりの女神の眷属となった。
無名の派閥に加入した彼だったが、冒険者たちが集う都市で時の人となるまでに要した時間など瞬き程度のもの。
彼本人の口から聞いた話や、彼に纏わる調査の結果。ベル・クラネルは、暗黒期を生き抜いた一人の覇者の手により、徹底的に鍛え上げられたのだと判明した。
その覇者は、暗黒期のオラリオに
その女は、ダンジョン内で正義の娘たちに敗れ、最後は十八階層に生じた灼熱に染まった奈落に身を投げ、その命を灰に還した。
しかし、女は生きていた。
どういう絡繰かもわからないが生還を果たした女は、件の少年に会いに行った。
白い髪、紅い瞳を有する少年と出会った女は、鍛えた。
嫌だ助けて死にたくないと叫んで喚いて泣き散らかす少年の意向を程々に無視をして、徹底的に鍛え倒した。
そうして、冒険者登録をして一年にも満たない未熟者ながら、どの派閥でも欲しがるような戦力を、まだまだ途上の身体に彼は宿した。
そんなベル・クラネルとアイズには、個人的な付き合いがある。と言っても、特段色っぽいものでもなんでもない。精々が共に訓練をしたことがあるだの、共にジャガ丸くんを食べたことがあるだの、そんな程度のものだ。
そういう積み重ねがあるもので、アイズは余計に混乱する。
ベルは知ってる。兎みたいなベルだ。
でも、ばびゅーんって今飛んでいっちゃった人は、夢に出て来た兎さん……なはず。
でもでも、あの兎さんは、ベルだった。
ベルは兎みたいな子。
兎さんは兎さん。
ベルは兎さんみたいだけど兎さんじゃなくて兎で、私の夢に現れた白い人は、ベルでも兎でもなくて、兎さん。
ベルと兎と兎さんは、違う。
あれ? 違うの?
そういえばここって、夢の中なのかな? 違うよね? だったら兎さんは兎さんじゃなくてベルってことになる……の?
「うぅ……」
だめだ。きゃぱおーばーだ。ぜんぜんわからない。
まだ全然痛む身体以上に頭痛が痛いことになってしまって唸るアイズちゃん十六歳。
「まさか……」
その頭上で、誰かの独り言が聞こえた。
「お前か……?」
その声の方に目を向けてみる。
「ひっ……!」
ずっと閉じていたはずの両目を開き、背後にドス黒い魔力的な何かを漂わせている、ベルを鍛えたと噂の覇者さんが、アイズを睨み付けていた。
「あ、わ……いたたっ……!」
そのあんまりにもあんまりな迫力に背を振るわせたアイズは跳ね起きるように身体を起こし、瞬く間に駆け抜けた痛みに苛まれ身を小さくしてしまった。
「え、えと……ん! んっ……んっ……!」
射殺さんばかりの眼差しに頭上から貫かれながら、彼が残していってくれた
「ぐ、ぅ…………よ、よしっ……!」
急激な回復の反応に焼かれながら、それでも立ち上がれるくらいには回復出来た。
なので、アイズはこの場を離れることにした。どうしてって、怖いから。
今も自分を睨み付けている眼差しが、本気で怒った時のリヴェリアよりも怖いから!
「あ、あのあのあの」
「黙れ」
「はひっ」
「もう動けるのか?」
「…………」
「この私を無視とは良い度胸だな。殺されたいのか、愚鈍な娘」
「は、はい! あ! こっ、ころされることがはいなわけじゃなくて」
「ぺらぺらと喋るな。その舌引っこ抜くぞ」
「はううっ……!」
黙れって言うから黙ったら怒られたし、舌を引っこ抜くとか言われた! とっても怖いっ!
「お前、何処に行こうとしている?」
「ど、何処って……」
目の前の恐怖から逃げることしか考えていなかったもので、パッと答えが浮かばない。
どうしよう。最低限くらいは動けるようにはなったけどまだ万全じゃないし、後退してみんなと合流するのがいいかな。そこには双子のアマゾンズの友達や、少し歳下のエルフの友達……家族のみんながいるはずだ。
うん。みんなの具合も知りたいし、それが良さそうだ。
「あ……!」
後退しますと告げようとした口から、驚嘆に満ちた音が溢れ落ちた。
鐘の音が聞こえる。
こんな地獄みたいな光景の中にはあまりに不似合いで、反撃の狼煙と言うには美し過ぎる、高らかに轟く音色だ。
この音を、アイズは知っている。
戦っているんだ。
兎さんかベルなのか、よくわからなくなっちゃった人が。
「……うさ……ベルの……貴方の息子さんの所に……行きます……」
まだあんまり戦えない。作戦全体のことを考えるならばここは退いて、少しでも万全に戻せるように身体を休める場面だ。
そんなことわかっているけれど。
「あの子の背中を……守ってあげたい……です……」
そんなの知らんと心が喚いているんだ。
今は、心の言いなりになってやろうと思う。
「…………まあいい」
「あ、ありがとう、ございま……す……?」
許可してくれたのかなんなのかもわからない文言に何故か感謝で返してしまった所為で、はてなが語尾に付随してしまった。
「じゃ、じゃあわたっわたたわたしは」
「小娘」
「はわっ!?」
「貴様には、あの子に関してどうしても問い正さねばならないことがある。故にここで死ぬことを私は許可しない」
「は、はいっ!?」
「あの子と共に……生きて帰って来い」
微かに開かれた両目に見据えられても、今度は震えなかった。
優しく笑ってくれている、なんてことはないけれど。
その言葉が、嘘のない思いやりで包まれているんだって、愚鈍な娘呼ばわりをされてしまったアイズにだってわかったから。
「……はい……」
「よろしい。では」
「あ、あの」
「なんだ?」
「その……お」
「誰がお義母さんだって?」
「へぁ!?」
「思い上がるなよ小娘。私をお義母さんと呼んでいいのはあの子だけで」
「ち、ちがっ!? お! お身体の具合が大変みたいだからってそれで」
「…………言葉に気を付けろ。勢いでお前の首を刎ね飛ばす所だったぞ」
「ご! ごめんなさいっ……!?」
何故!? 意味がわからないまま首を刎ねられそうになったの何故っ!?
やっぱりこの覇者さん! すっごくすっごく怖いっ!
「私のことならば案ずるな。いいから行け」
「で、でも」
「諄い」
「っ!?」
空気の揺れも、一切の物音も発生させることなく。
逃げるようにジリジリと距離を開いていたアイズの鼻先に、女が立った。
「私を誰だと思っている?」
暗黒期以降。
この女は、最前線に出たことなど一度もない。
しかし、息子を鍛える傍らで、彼女は自身の研鑽も重ねていた。
いつか、あの馬鹿な息子がいよいよ北の地で暴れると言う時に、支えてやれるようにと。
病魔に侵された身体に鞭を打ち、何度も死ぬ思いをして、それでも死なぬようにと使うべきを使い頼るべきを頼り、今日までずっと、限界を越え続けてきた。
最盛期などとうに越えてしまったと口にして憚らない灰色の女だが、今の彼女が纏う凄みは、彼女の言う最盛期を遥かに上回っている。
少なくとも、彼女の最盛期を知る冒険者たちはその認識を等しくしている。
「これ以上お前と問答を交わすつもりはない。あの子が欲しいのならば示せ。最後の英雄の隣に立てるだけの器であることを」
「……はい……!」
少しだけ躊躇をしながら、アイズは頷いた。躊躇の理由は単純。
この人の言っていること、よくわかんない。である。
「ふぅ……!」
アイズ流に息を整えながら、全身の具合を確かめる。
走れる。跳べる。手も足も指先までちゃんと動く。これなら剣を振れる。魔法もスキルもいけそうだ。
全部が全部百点満点には届いていないけれど、これ以上ここでおやすみをしている理由にはもうならない。
耳を澄まさなくたって、黒い竜巻の近くから、まだ鐘の音が聞こえてくる。
「よし……!」
もういい。考えない。
兎さんでもベルでもどっちでもいい。
どっちだったとしても。あの鐘を鳴らしているのは。
「とも……だち……」
そうだ。友達だ。
友達って言葉じゃ足りていないかもしれないくらいの、とってもとっても大切な友達だ。
だったら。
「友達は……頼るもの……」
昔か、それとも夢の中で聞いたのか。そこは曖昧なままだけれど。
「友達を……一人にしちゃいけない……」
誰かが言っていたような気がする言葉を、本当にする時だ。
「私が……助ける、よ……!」
友達の為に走れるようになった少女の両足が、夢と現の間を力強く踏み締めて、未来まで続いて行く轍を刻み付けた。