「「「───かんぱーい!!」」」
その日、冒険者ギルドでは朝から大量の酒気が立ち込めていた。
ある者は呑んだくれ、ある者は酔った勢いで喧嘩をふっかけ、ある者は吐き気で中に入れた物を盛大にぶち撒ける。
とてもじゃないが、朝から繰り広げられる光景ではなかった。
「イエーイ! 兄貴も飲んでますかー?」
「ああ、お前は……もう出来上がってるじゃねえか」
その中にはリオンとザインも居て、リオンは顔が真っ赤になっているザインを見て呆れていた。
「そりゃそうっすよ! 昨日はそれどころじゃなくって一旦帰るしかなかったけど、冒険者ってのは本来仕事終わりに一杯するもんなんすから!」
そう言って持っているジョッキの中の酒を一気にガブ飲みする。吐き出すのも時間の問題だろう。
……昨日、冒険者ギルドは国からの依頼で、王都の護衛を任されていた。
事の発端は数日前、魔物の群れが王都に向かって進軍してきた。
そのあまりの数と、まるで一つの意思を持って動いているような魔物たちの姿から、国は魔族が関わっていると判断した。
元凶である魔族を倒そうにも、王都の守りを薄くするわけには行かない。その為、国はギルドを通して冒険者たちにも王都を守らせて、足りない人員をカバーした。
その結果出来上がったのが、大聖堂で倒れ伏す多くの冒険者たちの姿であり、朝っぱらから戦勝パーティーを開いている理由だった。
「それにしても兄貴、本当に飲んでるんですか? なんか浮かない顔してますけど」
「そ、そうか?」
「そうですよー。もしかして昨日のアレ、引きずってるんすか?」
昨日のアレというのは、大聖堂でエリカに睨まれた時の事を言ってるのだろうと、リオンは察した。
「あんなの気にしなくたって良いですよ。どうせ手柄を取られて悔しいとか、そんなとこでしょ」
「……そうだろうか」
そう言われても、リオンは腑に落ちなかった。
「だが、そうだな」
しかし、いくら考えても真実が分かりようもないのも事実。
「悪かったな、こんな時に考える事じゃなかった。一杯付き合ってくれるか?」
「勿論ですよ!」
気分を変えようと、リオンが酒を一気に煽ろうとする。その時だった。
「───あ、いたいた、リオンさん!」
遠くでギルドの受付嬢が、彼の名前を呼ぶ。それを聞いたリオンは、酒を煽ぐ手を寸前で止めた。
「すみません、今お時間よろしいでしょうか?」
「ちょっとちょっと! 今から兄貴は俺と飲むところなんすけど!」
「ひぅっ! す、すみません。で、ですが、そのー、ギルドマスターがお呼びでして」
「……分かった」
難色を示すザインと違って、リオンは受付嬢の言葉に素直に応じた。
「えー? いいんですか兄貴、折角の宴なのに」
「いいんだ。きっと例のことについて話があるんだろう」
「例のことっすか?」
「ああ」
リオンはジョッキを置いた後、静かに口にする。
「昨日、俺が戦った魔族についてだ」
▼▼▼
「───
大聖堂の最奥、祭壇の前に立つ年老いた男は、冷たい口調でその単語を口にする。
「おそらくその魔族がミラくんに、いや、例の冒険者に傷を負わせた張本人だろう」
王国で唯一、広く信仰されている宗教、聖教。
そんな聖教の
「奴は癒えない傷を負わせる呪いを持つと聞く。治療がウリの
シュトルツは心底忌々しそうに語る。
呪いとは、一部の魔族が扱う魔の力である。一度発動した呪いは解くことが出来ず、基本は呪いを掛けた魔族を倒す以外に対処法は無い。
「ですが、救済の聖女ならその呪いも解けます」
……ある聖女の力を除いて。
「彼女の【祝福】なら、献身の聖女に移った呪いも解くことができます。そうすれば後はどうとでもなります」
祭壇の下に居たエリカが淡々と答える。
祝福。それは一部の人間が生まれた直後に神から授かる寵愛。祝福を授かった人間は固有の力が使えるようになる。
エリカを始めとした聖教の癒し手たちの力も、この祝福によるもの。中でも救済の聖女は、呪いを解くという唯一無二の力を有する、極めて稀有な存在だった。
「そうだろうな」
シュトルツはエリカの言葉に静かに頷く。
「はい、ですから」
「───彼女を呼び戻せ、と。君はそう言いたいのかい?」
彼が先んじて告げる。エリカを見るその眼差しは冷たく、彼女を咎めているようでもあった。
「はい……そう言っているのです」
しかし、彼女は動じなかった。その目をしっかりと見合わせ、力強く言う。
「献身の聖女は聖教の、いえ国の宝です。彼女の身に万が一があれば、王国中が嘆き悲しみます。そうならない為にも今すぐ救済の聖女を」
「ならん」
そしてシュトルツは、そんな彼女の言い分を一蹴した。
「っ、なぜでしょうか?」
「彼女には魔の森の浄化作業にあたらせている。それを中断してまで王都に帰還させる事態ではないと判断したまでだ」
「ですが!」
「何度問われてもこの決定は覆らない。……ミラくん」
彼はエリカから視線をズラし、彼女の隣で静観していた
「はい」
「君が受けた負傷、それは命に関わるものかね?」
ミラは微笑みを絶やすことなく、ゆっくりと首を振る。
「いいえ、
「ミラ!」
「そうか」
ミラの答えを聞いたシュトルツは、話は終わりだと言わんばかりに祭壇から降り、その場を去っていった。
「っ、あのクソ教皇……!」
「お、落ち着いてください、エリカ」
その後ろ姿を見送った後、エリカは悪態をつく。それをミラが慌てて宥めた。
「シュトルツ皇のおっしゃる通りだと思います。魔の森の浄化は、国家を挙げた一大計画。その要であるアリアさんを私一人の為に王都へ戻すのは難しいでしょう」
魔の森とは、とある辺境の領地にある広大な森の事を指す。そこではある魔族の暗躍によって呪いの籠もった瘴気が立ち込み、立ち入る者全てを汚染してしまう。
一日滞在するだけでも命の危機に瀕する。そんな場所が、かれこれ百年もの間、王国の領内に存在しているのだ。
救済の聖女は、そんな魔の森の呪いすら浄化できる力を持った存在。国としては、なんとしてでもその力で魔の森の呪いを浄化して貰いたい事だろう。故に、ミラの言い分は実に正しかった。
(そう、アリアに頼ることは出来ません。そして流石のエリカでも呪いは対処できませんので、背中のアザは暫くはこのままということに……べ、別にアザが消えなくて嬉しいなんて思っていませんよ?)
なお本心。
(最近はアザが出来てもすぐエリカに治されて消化不良気味だったから、思わぬ拾い物をしてラッキーだとか、そんなこと、断じて思っていませんから!)
ツンデレか。
「私は大丈夫ですから、アリアさんのお仕事が終わるまで待ちましょう」
「ミラ……でもあれは元々、長い時間を掛けて行う計画よ」
ミラが安心するよう呼び掛けるが、それでもエリカは納得し切れずにいた。
「アリアが浄化に向かってから、もう一年は経っている。魔の森は広大だし、半年か、もう一年か、いえ下手したらそれ以上の年月が掛けるかも知れないわ」
「そうかも知れませんね」(一年ですかぁ、このアザとも長い付き合いになりそうですね)
深刻そうな表情を浮かべるエリカに対して、ミラの内心はそれはもう呑気である。
「ッ、だったら、なんでそんな平気そうな顔してるのよ!」
「え?」
……が、その呑気な考えもエリカの悲痛な叫びで吹き飛んだ。
「……」
「……ぁ」
一瞬の沈黙の後、エリカは自分が声を荒げて叫んだ事に遅れて気づき、青ざめる。
ミラの顔を見る。彼女は、酷く悲しい顔をしていた。
「ち、違うの、ミラ。あたし、別に怒りたかった訳じゃ」
「い、いえ、大丈夫です。私のことを想って言ったという事は、よく分かってますので」
慌てて弁明するエリカに、ミラは顔を背けてしまう。
「私の方こそごめんなさい。エリカの気も知らないであんな事を思ってしまい」
「……っ」(なんで、あんたが謝るのよ)
ミラが辛そうに拳を胸のあたりでギュッと握る。
彼女が何を思っていたのか、エリカは知らない。それでも彼女が謝ることなんて何もない筈だと、エリカは思う。
「ミラ様、そろそろ戻られた方が」
その思いを伝えようとするより先に、ミラの侍女が状況を見て不味いと思ったのか、会話に割って入ってくる。
「そ、そうですねっ。それじゃあエリカ、お先に失礼します」
「あ……」
ミラはそそくさと、いつも通り侍女に支えられながらその場から離れていく。それをエリカは、ただ見る事しか出来なかった。
「……最低だ。あたしって」
エリカ一人だけとなった空間で、彼女のポツリと呟いた言葉が虚しく響いた。
▼▼▼
(最低です。私って)
さて、エリカに怒鳴られてしまったドMな聖女はというと、
(エリカがあんなに真剣に悩んでくれているのに、私はアザが残って嬉しいと呑気に考えて……)
普通に落ち込んでいた。
肉体的苦痛には致命傷であっても快感を見出すミラであるが、精神的苦痛には弱く、年相応の反応を見せる。まして、その相手が一番の友人を自負するエリカとなれば尚更。
(うぅぅ、人の怪我に敏感なエリカのことです。きっと私の態度に怒ってしまったのでしょう)
……なお、彼女は微妙に勘違いしており、
(で、でも、本当の事を伝えたらきっと気味悪がられてしまいます)
自己犠牲も厭わない利他的な聖女。そう勘違いされていることは、彼女自身も薄っすらと分かっていた。
しかし、それを否定して己の性癖を素直に打ち明ける勇気が彼女には無かった。
(うぐぐ、私はいったいどうしたら……!)
いっそメンタルを殴られても喜ぶマゾだったなら、こうして苦しむ事も無かっただろう。
(もしエリカが私の本性を知ったら、どんな反応をするのでしょう)
そう、今もこうして悶々と思い悩むことも無くなり、
(きっと軽蔑するでしょう。あの子は嫌いな人にはとことん苛烈です。こんなのが幼馴染だったなんてと、失望と侮蔑の眼差しを向けられるかも知れません)
無くなり……
(顔を合わせるたび舌打ちされるかも知れません。「痛いのが好きなあんたにはその格好がお似合いよ」と、アザだらけの私を見て嘲笑するかも知れません。もしかしたらシュトルツ皇のように「クソ聖女」なんて罵られたりも……!)
……訂正。やはり彼女は救いようのないマゾである。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」(ああ、ダメです! もしそんな事になったら、私の心がどうにかなってしまいます!)
彼女は自分の本心に気づかぬまま、熱っぽい吐息を漏らすのだった。