「
「……」
俺は、脚の間から覗き込むようにしてベッドの下の落兎を確認する。
「おい、あと7分36秒後には年越しだぞ?」
「やば、まじか……仕方がないな」
よっこらせの掛け声と共に俺は立ち上がり、ベッドの下をしゃがみ込むように覗き込んだ。チカチカと光っている明かりとそれに反射する真っ白い肌を確認すると、そこまで手を伸ばした。
手には固く、しかしどこか脆そうな感覚。それが落兎の肩だと分かると、もう少し手を伸ばし細い穴へと差し込んだ。指を挟み込まれるような圧と少しの体温を感じる。ここは落兎の脇。そして、鞄でいうところの持ち手である。
俺は、足を踏ん張りこちら側へと引っ張った。筋トレもしない、標準よりやや痩せ型の俺でも、軽々と落兎をベッドの外へと引っ張り出せた。人というよりかは、軽い素材でできたマネキンのようで少しの恐怖と不安を感じる。手首には、落兎の長く伸び切った青い髪が絡み付いている。栄養をきちんと摂っているはずがないのに、落兎の髪はなぜかいつも艶やかに保たれていた。
「あと、4分31秒……」
蝿は黒いプラスチックでできた腕時計を見ながら呟いた。世界の更新まであと5分を切っている。ベッド下から引っ張り出した落兎は、未だにゲームをしている。身体の丸められる部位を全て丸めたその体勢は、まるでミイラである。
「とりあえず、僕はいつも通りジャンプをするでいいのだな?」
「うん、それで俺は年越しジャンプをしない」
ちょっとした実験だな、と蝿はメガネを中指でクイっと上げた。基本的に全ての物事、事象に興味がある蝿だが、特に好奇心が引き立つことがあるとメガネをあげる癖がある。証拠に口元は、片側だけ吊り上がりまるでマッドサイエンティストのような表情をしている。
「これって、どうなるんだろう。バックルームてやつに行くのかな?」
心臓の鼓動が鼓膜を揺らし、空気中の酸素が薄く感じる。
「まぁ、あれはあくまでも都市伝説なんだ。そんなことは現実で起きないと思うがな……」
蝿の口元は変わらず吊り上がっていた。もはや、起きてほしい、そう思っているような気がして少し腹が立つ。
俺はもう、子供では無い。今年で23歳の大人である。現実的に考えて年越しジャンプをしないだけでバックルームに行ってしまうなんてあるはずない。限りなく捏造に近い都市伝説であることは分かっている。
バックルーム自体、先ほど蝿が見せてくれた本に書かれていた都市伝説でしかない勝手に年越しジャンプをしない行く末を決めつけていたが、もっと酷いことが起きるのかもしれない。
突如、頭の中で、ある推測が流れる。父さんは失踪したのではなく、自殺したのではないか。そうすると『あっちで待ってる』の意味合いが変わってくる。あっち、つまりあの世、では無いのか。いやいやいや、あるはずない。
「……10、9、8」
蝿が腕時計を見ながら何かぶつぶつと呟いている。
「5、4……」
年越しのカウントダウンだ。年越しまでの秒数と反比例するように俺の心臓の心拍数は上がっていく。10年間抱えていた謎をようやく知ることができる。そんな開放感と何が起こるかわからない恐怖感で頭がおかしくなりそうだ。大丈夫、最後は父さんを信じよう。俺はそう決意して目を閉じ大きく深呼吸をした。
「……2、1」
ゆっくりと目を開けると、地面に横たわるミイラの姿。俺はふと思った。
「落兎!」
そう叫んだ時には、俺の視界が全て真っ黒に染まった。
ここはどこだ、と言えるほどの情報は見つからずただ漆黒を眺めている。瞼を開けている感覚はあるのだが目が捉えるはずの光を感じない。
まさか失明したのかと思い過去の行動を振り返るが、ただ年越しジャンプをせずに突っ立っていただけである。あ、記憶はある。手も足の感覚もある。だが、足が床を感じない。浮遊感。それが今の身体の状態である。
まさか、本当にバックルームとやらに来てしまったのかもしれない。はたまたこれが死、というものなのかもしれない。どちらにしても、現実では無い何かを俺は体験している。グー、パー、チョキと指を動かす。そして、太もも、横腹、胸と身体に沿うように手を動かした。ここで分かったのだが、多分ここは水中だ。手にかかる抵抗感がプールの感覚にそっくりであった。なぜ息ができているのかは謎なのだが。
プシュー、と機械の排気音が鼓膜に響く。それと同時に視界の下から光が差し込んだ。どうやら、顔を覆っていた何かが外れたようだ。突然の光に目が慣れないのか視界がボヤけている。そして、身体が呼吸を始めた時、鼻の奥がツンと痛み始めた。間違いない。ここは水中だ。それはプールの時に間違えて水を吸い込んでしまった時の痛みと同じであった。先ほどまで顔を覆っていた何かのおかげで呼吸ができていたのか。
俺は、指で鼻をつまみ息を止めた。身体がゆっくりと下降していき、とうとう足裏に床の感触を感じる。一体ここはどこなんだ、とようやく漆黒以外の情報を得た俺は思った。
思い切り手を伸ばすと肘が伸び切る前に、手が何かに当たる感覚を捉えた。肘を曲げ手のひらをその何かにつける。ようやく視界が晴れてきて自身の手を認識できるようになると、俺が触れているものは透明な壁であることを知った。おそらくガラス。それは、俺を閉じ込めるように取り囲んでいた。
蝿の家ではないのは確かで、さらに俺が住んでいた世界とは違う可能性が頭をよぎる。ここが父さんのメールにあった、あっちの世界、なのかもしれない。そんなことを考えていると、コンッコンッ、と鈍く甲高い音を鼓膜が捉えた。自然的に発生するにはどこか不自然でノックと言われればそう感じる。その音は後方からなっていた。
振り返るとそこには白い物体。目を凝らしてみると、なにやら人間の形をしている。しかし、毛という毛は見られず頭から足先まで全身タイツのように白一色の身体。頭は大きめの顔面にしては大きすぎるほどで、目は少女漫画でしか見たことのない大きさ。黒目しかないその目は不気味さを纏っていた。
そして、俺はこの生物をテレビや本で見たことがある。そう、エイリアンだ。その答えまで辿り着いた時、俺の頭に急激な痛みを伴った。視界が狭くなっていく。あ、やばい溺れる。口から吐き出る気泡が目の前のエイリアンを隠していった。