外歩けば死が待つそんな日ノ本に、ある一体のカバネが現れる。 少々特異な性質を持つそのカバネは、どうやら色々と属性過多なようで…
真っ暗の真夜中に、ただひとり立っている女のカバネ。
周囲には同族もおらず、そのカバネだけがここにいる。
他のお仲間たちはどうしたのかと聞かれれば、そのカバネはこう答えるだろう。
(いや喋れんて)
ちなみに正解は
あっ線路あるーとぼけーっと見つめていたら、周りの同族たちが真っ先に向かっていき、ひとり置いてけぼりにされたという形。鈍い。
(てかここどこやねーん。体もなんか変なことなってるし)
キョロキョロと辺りを見回すも、当然ながら周りには人の姿もなければ、動物もいない。
駿城という爆音製造機が高速で通り過ぎようものならさもありなん。
(えっ、てかおにゃの子なってない?胸っぽいのあ…ってなんじゃあこりゃあ!?)
まさぐる手によりはだけた衣服。
そこから覗く、あからさまに弱点ですと強く主張する光る心の臓。
自己主張強いからと侮るなかれ、その心臓金属皮膜とかいう、ものすごい盾に覆われているからめっちゃ頑丈。
これだけ聞くと、どこぞのアメコミヒーローのことのように聞こえるが……残念、その辺彷徨ってるモブの特徴なのである。オマケに再生力も備えているときた。
こんなバケモンが束になって襲いかかってくるのがこの世界の日ノ本である。控えめに言って地獄である。
ゾンビィことカバネ。噛まれたらウイルスが感染して仲間入り。
そんなヤツらがウジャウジャいる日ノ本で普通に生きてけるの?
答えは否。
この世界の人々は、駅という壁に囲まれた城塞都市で暮らし、駿城と呼ばれる装甲蒸気機関車で行き来をしている。
……まあ、だからといって安全な訳でもない。
何かの間違いでカバネが一体でも中に入り込もうものなら、その駅は壊滅の憂き目に合い、廃駅となってしまう。
当然、駅の外を走行する駿城とて安全ではない。というか1番危険といっても過言ではない。
(線路あるし、さっきもなんか走ってったよな。ワンチャンどっかで停車とかしてたら追いつけたりする?)
半ば例外のこのカバネを除けば、基本カバネは人の血に惹かれる性質を持つ。
人の生き血を啜るため、人へと噛みつき、粘膜接触でその体内のウイルスに感染させることで同族を増やす。
基本、駅の中以外はカバネだらけが通説の日ノ本であるので、外にはほぼ確定で人はいない。
そんな中で、人が多数乗った列車が走るとなったら……
(あ、あれ、なんか止まってる?でも周りなんもなさそうだけど?てかゾンビみたいなのめっちゃいない?)
カバネが多数取り付き、振り切ることもできずに呑まれてしまう。なんてことにもなってしまう。
幕府が出す運行表をもとに、駿城を走らせる乗務員たちであるが、その仕事は当然いつも命懸け。神に見放されたものは、簡単にこの世を去る。
(えぇ…すっごく行きたくないけど、あれくらいしか手掛かりないよね…)
そんな乗務員の奮闘など露知らず、眉間に深々とシワを寄せ、その不満を顔全体で表すカバネ。
嫌々なのがしみじみと伝わる動作で、停車中の駿城に向かって歩き出した。
(うぅーっわ、血まみれじゃん…なんか肉片みたいなのもあるし、グロっ!)
轢き潰したカバネの残骸が無数にこびり付いている様は、確かな恐怖と、嫌悪感を掻き立てる。
(あっ、扉空いてる。入りたくねぇけど)
空いてるというよりは、こじ開けられたという表現が正しい。
歪んだ扉の残骸から、車内へと入り込むカバネ。
(中までゾンビィだらけじゃないですかヤダー)
外にあれだけ取り付いており、さらには入口も開いていたとなれば自明の理。
乗車していた人々はカバネに噛まれ、自決か仲間入りかの2択を迫られていた。
(襲ってこないならいいんだけど…)
肉体は完全にカバネだからか、他のカバネに襲われることは無さそうである。
これ幸いにと、死肉の血を漁るカバネたちを掻き分け、前へ、前へと進んで行った。
(ここ、運転席か?)
やがて辿り着いた機関室。
ボイラーや運転台に加え、艦橋が設置された室内。
……その一室にはたった一体のカバネが座していた。
(見たところ、運転士さん?…ゾンビになってるけど)
道中のカバネとは異なり、近付いても視線すら向けないそのカバネは、ブレーキレバーを両手で握り締め、決して動かぬようにと固定させていた。
微動だにしないその姿は、不動の山をも思わせる。
……が、ここでひとつ不運なことが。
(ウワッー!?口に入ったんだけど!?ってか飲んじゃった!ペッペッ)
当然ながら、この運転士もカバネに噛まれてしまっており、力こぶあたりを割と深めに噛み付かれていた。
そんな状態で、カバネに成り果てて尚力を込め続けていたのだ。
結論から言うと、肉が弾けた。
事故で女カバネの口内に飛び込んだ血肉は、紆余曲折あり即座に消化。
凄まじい速度で体内を巡ることになった。
その結果…
(ウェッ、なんか知らん記憶が)
どこぞのハザードなゲームでありそうな血に宿る記憶継承概念が発生、運転士の記憶が女カバネの頭に流れ込んだ。
(てっきり鬼狩り的なあれかと思ったら全く知らん世界じゃないですかヤダー!)
わかったことはいくつか。
この列車は
山間部を走行中、線路脇の廃屋から飛び出してきたカバネに取り付かれ、どうにか振り切らんと各々最善を尽くしたものの、武士の決死の抵抗も虚しく、次々と内部に入り込まれ、呑まれてしまった。
先程、口にした血液の持ち主は、この刻葬城の運転士を務めていた人物…のカバネ。
人としての最期の時を迎えるより先に、安全に刻葬城を停車させることを選び、それを見事完遂した。
体質故にウイルスの回りが早く、自決こそ間に合わなかったものの、その強靭な意思により、カバネと化した己をも自身の座する席へと縛り付けた猛者でもある。
(ゾンビパニック…てか俺ゾンビもといカバネじゃん)
得た運転士の記憶から、自身もまたカバネであることに気付いてしまった女カバネ。
(カバネになったらもう人間戻れないって…控えめに言って詰みでは???)
噛まれたら最後、自決以外の道はない。
それが一般常識の世界である。つらい。
それに何やら違う記憶も溢れて来たようで…
(てか、なんか美少女の顔が浮かんできて草生える。葵姉様って言ってるし、まさか妹だったり?)
もしかしたらこの体の記憶かもしれない。
追加で思い出した父親らしい人物も、視界の持ち主を葵と呼んでいることから、恐らく葵はこの体の名前で間違いないのだろう。
(えぇ…でも…)
そこで葵、自分の体を見回した。
紛うことなきカバネと化した己の体を。
(
どのような経緯でカバネとなってしまったのかはわからないが、どうやら高貴な身の上らしい葵が駅外をカバネとして彷徨っていた以上、何かがあったことは確実。
(だって普通は駅でこもってるんでしょ?それがこれとか……あー)
ちょうど今乗り込んでいる駿城。
カバネに襲われる危険に身を晒し、各駅の間を駆け抜ける、命懸けの大仕事。
(まさかだけど、そういうことだったり?)
駅の領主はその辺の地域を統べる地主でもある。
領主同士にも上下関係があり、様々な交易や交流によって関係が保たれている。
そしてその中には…婚約という形もまた存在するのもまた道理。
(お見合いとかで列車に乗って、その道中で襲われた。これが一番しっくりくるんよなぁ)
うーんと腕を組んで考え込む葵。
尚、その隣では、運転士のカバネが必死にブレーキレバーを握り締めている。
仕事人の鏡である。
(とりあえず、貴方たちはもう休んでください)
転がっていた刀を拾い、光を宿す心臓目掛けてひと突き。
――その間も、運転士には一切の抵抗もなく、ただブレーキレバーを固定していた。
(うわ折れた…金属皮膜だっけ、硬すぎるっしょ)
カバネの髄力により放たれた突きは、カバネの金属皮膜をも貫き、見事心臓を破壊。
しかし、その代償として、刀は刃はおろか柄すらもバラバラに砕け散ってしまうという有様。
(刀も銃も弾かれるとなると、やっぱりヒッキーするのが最適解ってなるんかなぁ……今回なんか上手くいったけど)
ウイルスにより増強されたカバネの髄力があっても、本来は刃が折られるばかりで、貫通させることは容易ではない。
だが、今回はたまたま上手くいった。
この運転士の魂を、眠らせることができた。
(中にいたカバネ。ほとんどはこの人の知り合いっぽいしなぁ…やっぱその人たちも休ませるべきか)
その時、葵、ふと思った。
(まさかだけど…他のカバネの血とか口に入れたら、その人の記憶が流れ込んできたりって…)
多くの戦な中で、戦闘技能を習得する稀な個体が現れることもあるらしく、そのような個体はワザトリと呼称され、恐れられている。
ウイルスにより脳の機能が破壊され、人を襲う怪物へと成り果てるカバネだが、もとより同族と人を識別できる判断力に加え、戦闘技能を習得できるレベルの知能すら有している。
あの運転士のカバネだけが特別でなければ…
(駿城を動かすには、運転士だけじゃ足りない)
運転士は必要不可欠だが、同レベルで機関士や蒸気鍛冶もまた必須である。
人が乗る場合は武士も重要な役割となるものの、現在刻葬城に乗車しているのはカバネのみ。
故に急ぎではないものの、一応試す価値はあるだろう。
(ただ…その前に、どうにか金属皮膜をぶち抜く方法を見つけなきゃなんだよな)
現時点だと、一部の例外を除いて、人の駆使する武装はカバネの金属皮膜を貫けない非力なものである。
そして…そんな都合よくその例外が、この刻葬城に載せられているなんてこともなく。
(あんまり傷付けたくないし…うひゃぁッ!?)
めちゃくちゃ苦戦する羽目になった。
(ぜヒュー…ぜヒュー…こヒュッ)
結果として、刻葬城のカバネを全員眠らせるまでには、丸二日要した。
カバネもカバネで仲間を殺されれば怒るため、襲いかかってくるカバネをおっかなびっくり倒すのに時間を取られた形である。
参戦してきた野良のワザトリなんかは正直どうしようもなく、泣く泣く引っこ抜いた木で撲殺することで何とか凌いだ。
死ぬかと思ったと本人は供述している。
本来、山中で停車するなど正気の沙汰ではなく、死にたいのかと疑われるところであるが、あいにく現在の刻葬城に乗車しているのは葵を含めカバネのみ。
そもそも餌がいないのだから、特にカバネが増える理由もない。
…ふらふら立ち寄ってくる例外以外は。
(し、しぬ…!まじでキツイ)
火葬、埋葬までやってのけ、運んできたいい感じの石で簡易的な墓まで作った。
額の汗を拭う仕草も合わせ、ひと仕事終わった感じである。
(まぁ…こっからが本番なのかもしれんけど)
実の所、葵がふと立てた仮説は的を得ていたのか、ちょこちょこと血肉を取り込むことで、元となった人物の記憶を習得することができたのだ。
(必要な知識は頭に入れられたし、よしとするか)
知識の習得も確実ではない。
というよりむしろ、ただもぐもぐしただけで終わった回数の方が多い。
ただ、必須といえる知識だけはキチンと頭に入れることができている。
今はただ、それを喜ぶ。
(親鍵は挿さったまんまだから、やろうと思えば今からでも動かせるんだよな)
もちろん、釜の調子などは注意深く見る必要がある。
運転士の記憶によれば、ボイラーはカバネを振り切ろうとかなりの無理を強いられ、その影響か少々不調が生じてしまっている可能性があるからだ。
(知識と工具はある。あとは一応時間……いや、時間はわからんかなぁ)
当人がカバネであることから、必然的に襲われる危険性も限りなくゼロに近い以上、時間もいくらでもありそうなものだが…如何せんここは線路上である。
(ノロくさ整備して、せっかく修理した刻葬城に別の駿城が突っ込んで来ましたーとかなったら笑い話にもならんわ)
駿城の運転士もバカではない。目の前に立ち往生している駿城があれば、それこそ停車でもなんでもして衝突を回避しようとするだろう。
…そして、ここで問題となってくるのは、その駿城が
(刻葬城みたいになってたら事故不可避だよ…)
もうそうなれば詰み不可避である。ナムナム。
(とりあえず、とっとと済ませるか。既にめちゃくちゃ時間取られてんだし)
足早にボイラーへと歩み寄り、ガチャガチャ弄り出す葵。
車外からも確認したいところではあるものの、今はその時間も惜しい。
必要と判断した部分にのみ手を加え、点火。再度先頭車両へと赴き、運転台へと腰を下ろした。
(回転数…ちょっと低いけど、まぁ良好。ボイラー再臨界)
大小のレバー群を、淀みのない流麗な手付きで操作。かなりの大きさが目を引く回転スイッチへと手をかける。
(相転移、開始っ!)
ガチャンという金属音が鳴り響き、車内全体が振動に騒めく。
搭載されたマクラキー機関が唸りをあげ、シリンダーが主連棒を動作させる。
連結された動輪がレールの上を回り始め、重い車体がゆっくりと前身を始めた。
(ま、まじで動いた…)
知識として知っていることと、己の肉体で体験することは、また意味が異なってくる。
ましてや葵本人は、蒸気機関車について、石炭ぶち込んでなんやかんや蒸気で動く列車ということくらいしか理解していないド素人でしかない。
蒸気鍛冶たちの知識こそあれども、蒸気が配管を通ってシリンダーへと到達し、シリンダーが――などという小難しい理屈については知見がないのだ。
これで動く…らしいよなぁ?とは思いつつも、どこか半信半疑なのは否めなかった。
(チェ、チェック。回転、よし。圧力、よし。音にも異常は見られない)
だが、事実として刻葬城は動いている。これほどの質量を動作させている葵に、呆けている暇はない。
慌てて気を引き締め、大小様々なレバー類の操作に集中する。
(記念になるかはわからんけど、まぁ、せっかくの初運転だし…えいっ)
バルブが開き、高圧の蒸気がボイラー上部に備えられた汽笛へと流れ込む。
共鳴室を通過する際に発生した空気の振動が、笛の役割を果たし、あの耳に残る轟音を辺りへと響かせる。
刻葬城、その行き先は、果たして…
製鉄と蒸気機関製造の要所として知られる顕金駅。
日ノ本各地を巡る駿城の生産から、その整備までを数多く引き受けるその砦駅は、周辺地域の中では最大の規模を誇る。
駿城の出入りが激しいことから、必然的にカバネ流入の危険性もまた高くなっており、駅を収める四方川家の責任はかなり重い。
そんな四方川家の現当主、堅将には2人の娘がいる。
…否。厳密には、い
娘2人とその母親。共に暮らしていた3人は、自分たちがカバネだと勘違いした男に襲われることとなった。
「おかあさま!!!」
「⬛︎、菖蒲!逃げさないっ!」
子供たちを守らんと母親は必死に抵抗、その命を散らすこととなった。
母親の抵抗の甲斐あってか、娘2人は無事武士により保護され、父親の待つ家へと戻ってきた。
「よく戻ってきた…!」
堅将はただ無言で2人を抱き締め、娘らの帰還を喜んだ。
「おかあさま…おかあさまぁ…!」
「菖蒲…」
しかし、母親を失った悲しみはそう簡単には消えてくれない。
泣き崩れる妹に、姉は胸を締め付けられ、己にできることは何かと必死に考え込んだ。
そして、その果てに導き出したのはひとつの結論。
(この駅を、磐石にする。決して揺るがない強固な盾を築く)
カバネにも、人間にも。この顕金駅には、例え何者だろうと手を出させない。
(そのためには、…やはり力がいる)
カバネに対抗するための武力。
悪人を取り締まる法の力。
そして、それらを得るために必要となる無数の人脈。
如何に四方川家当主の娘といえども、所詮はまだ子供。大人たちを動かせる程の力は、まだない。
(なら、取るべき一手は…)
翌日。葵は堅将の元を訪ね、頭を下げて直談判した。
「私を、嫁に出してください」
「……言葉の意味は、理解しているのだろうな?」
堅将の声は静かだった。
何故か、どういう風の吹き回しか、などと理由を聞き出そうという態度は微塵もない。
問うたのは、その発言の真意のみ。
「駅に閉じ篭り続ければ、いずれは限界がきます。カバネはただ増えるだけではなく、少しずつ学習もしていきます」
「…」
思い浮かぶはワザトリの姿。
長年の戦で武術を収めたそのカバネらは、数多もの駿城を壊滅状態へと追い込んだ元凶であり、人類にとっての恐怖の象徴のひとつでもある。
葵の告げる危惧は、四方川の当主として、これまで何度も頭を悩ませてきた堅将の懸念とも重なっていた。
何か打開策はと考えはするものの、現状ではカバネに真正面から対峙するなど、わざわざ命を捨てに行くようなもの。
かといって閉じこもり続けるのも、得策とは言えなかった。
「お前を嫁に出したとて、対抗策が生まれる保証はないのだぞ。それでもか」
「はい」
カバネの金属皮膜は硬い。理不尽な程に硬い。
そんな最強の盾を持ったゾンビが、噛めば噛むほど増える上に、経験を積めば学習までするのだ。
時間は決して味方ではない。堅将とてそれはわかっている。
だが、この顕金駅を収める長として、守るべき民の命を無為に危険に晒す真似はしたくない。
葵を嫁に出すということは、逆説的には駿城を出すということに他ならないのだから。
「全て、覚悟の上か」
その上で、尚も己を強い眼差しで見つめる娘。
その瞳には、巻き込まれる駿城の乗務員たちの命すらも預かるという覚悟が宿っていた。
母を失い、悲しみに涙したい筈だ。少なくとも同じ歳の堅将なら泣いたと確信を持って頷ける。
まだ子供だと思っていた娘の成長。
父であり、家長たる堅将にとっては、それだけで十分だった。
「壱次を呼べ」
「はっ」
「お父様?」
唐突に出てきたのは、護衛として、葵が最も信を置く上侍の名だった。
「愛娘の旦那を探すのだ。お前が信頼できる部下が伴った方がよかろう」
「お父様…!」
歓喜の表情で再度頭を下げる葵。
堅将は僅かに細めた瞳で、その様を眩しそうに眺めた。
「御館様。壱次、参りました」
「入れ」
「はっ」
程なくして、まだ若年の武士が一人、入室してきた。
名を壱次。
威張り散らすことが多い上侍の中では、反面至って真面目な人物として知られており、己の仕事に確たる誇りを持つプロフェッショナル。
ストイックながらも柔軟な考えも持てる壱次には、葵だけでなく菖蒲も懐いていた。
「事情は聞いているな」
「軽くは」
「うむ。その腕を見込み命ずる。護衛として、我が娘の”戦"に同行せよ」
「…」
忠義を向ける主君から、お前は信用できるとまで明言されての命である。
武士として、これほどまでに喜ばしいことはない。
「御館様、葵様…しかし、某は…」
…しかし、壱次から返ってきたのは歯切れの悪い反応だった。
「どうした」
「僭越ながら…某には、身が重いかと思われます」
「えっ」
その言葉に驚くのは葵。
壱次の武士としての腕は、それなりに卓越しており、これまでも幾度と葵を護り抜いてきた実績がある。
それなのに本人の評価はこの有様…一体何があったというのだろうか。
「某は…御守りできませんでした。全て、不甲斐ない己の不覚によるもの…」
そう。壱次は悔いていたのだ。
親子3人、水入らずの時間を過ごしていただこうなどと、護衛に有るまじき考えを抱いてしまった過去の己を。
遠目からでも割って入れる距離にいれば、主たちの母君を守れたかもしれない。
だというのに、某は…
「臆したか」
「否と答えれば、嘘となります」
否定はしなかった。
己の浅ましい心は己自身こそが最も理解できている。
だからこそ、今回の名誉は辞退しようと…
「駄目です」
「葵様…」
「私が命じます。壱次、逃げるな」
「ッ!」
しかし葵はそれを許さない。
「あなたがお母様のことを悔いているのなら、尚更逃げることは許さない」
顔が歪む。
聞きたくないと耳を抑えたくなる。
だが…できない。できるはずがなかった。
「私を最後まで護り抜き、その実力を証明しなさい。これは、命令です」
力のこもった眼差し。
小さい頃から葵の傍に侍ってきた壱次には、その目に込められた意思の硬さがどれほどか、手に取るようにわかる。
故に…
「承知、しました…!」
完敗だ。これは断れない。
一筋の涙とともに、壱次は主君の命を受諾した。
――それから半年程の月日が流れ、遂には有力者の嫡男との見合い話にまで発展。
記念すべき出発式には、多くの民人たちが見送りにやってきた。
「葵さまぁ!」
「いってらっしゃいませぇ!」
「どうかご無事で!」
笑顔で手を振る葵。
その隣には、護衛として気を引き締める壱次の姿もある。
「帰ってこい。今伝えるのは、それだけだ」
「はい」
父からの言葉は一言だけ。
だがそれでいい。話すべき内容は、昨夜のうちに全て伝えられたから。
父と姉。二人の意思は完全に通じ合っており、同じ方向を向いている。
だからこそ、双方納得の上で今回の見合いにまで漕ぎ着けることができた。
……なら残されたあとひとりの家族はといえば。
「おねえさま…」
「菖蒲」
「ほんとうに、いってしまうのですか…?」
うるうると潤ませた瞳で、大好きな姉へと問いかける。
誰がどう見ても行って欲しくないと言外に告げるその姿は、父姉はおろか、同乗する武士や蒸気鍛冶たちにすら刺さるほど。
葵は、菖蒲の頭の上へと手を乗せ、ゆっくりと撫でた。
「大丈夫。必ず帰ってきますから」
「でも…」
「そうですね。では、待っていてくれませんか?私たちの帰りを」
そう微笑みかける姉に、妹は暫し黙り込み、やがて姉の胸元へと飛び込んだ。
「わたし、まってますから」
「えぇ」
「ですから、おねえさま。ぜったいかえってきてください」
「はい」
「ぜったいですよ!」
「分かってますから」
そんな微笑ましいやり取りを最後に、葵を乗せた駿城は顕金駅を出発して行った。
その帰りを待つ者たちは大勢いる。父も、妹も、民たちも。
……だが、悲しいことに…堅将、そして菖蒲のもとへ、葵が帰ってくることはなかった。
求!面白いカバネリ二次創作!!