目覚めた少女が明日を見る話

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第1話

目を開ければ光が見える。

 

光が見えれば目が痛む。

 

そうして私は顔をしかめて目を閉じた。

 

まぶたの裏が白く見える。

 

これだけ明るいのなら、今は何時なのだろうか。

 

私はゆっくりとまぶたを押し上げた。

少し開けて止めた。

それから、もう少し開けた。

 

天井、それから照明が見える。

 

その照明と言えば、子供がよく“紐ボクシング”をして遊んでいるようなものだった。

 

私も昔はやったものだ、人に子供の時代があるのなら、きっと皆やるのだろう。

 

そうして左に少し首を動かす。

首が痛んだ。

 

視線の先の白い壁に、腰窓障子が一つ収まっていた。

 

では、これは障子なのだろうか。

 

それは光を透かしていた、

碁盤の目状になっていた、

何より、横に引けば開けられそうだった。

 

やはり、それは障子らしかった。

 

それが障子だったら、なんなのだろうか。

 

……何でも良かった。

 

妙に口の中が乾くが、辺りを見回してもコップもピッチャーも見当たらない。

 

私はまず、体を起こすことにした。

 

一度目で左手が必要だと考えた。

 

二度目で右手を使うべきだと思った。

 

四度目でようやく両手を使った。

 

唸り声と共に等速的に私の上半身が上がる。

 

だが、その後の私の息は不規則だった。

 

視点が高くなれば、見える物も増える。

 

見える物が増えれば、見たくない物も見える。

 

この部屋には、大して見たくない物も無かった。

 

右を見ればそこにもまた障子があった。

 

それは出入りするための障子だった。

 

それが障子になるべくして生まれてきたのかは分からない。

 

そもそも障子に意志はなかった。

 

私は下を見た。

 

布団に浮き上がる私の足は少し細く見えた。

 

腕も同じだった。

手首から肘までが、これも少し細く見える。

 

……私はどれほど眠っていたのだろうか。

 

いや、眠るのであれば寝付く必要がある。

 

では、私はなぜ寝付いたのだろうか。

 

私は少し考えた。

 

きっと考える必要は無かった。

 

頭の隅の方に、それは転がっていたからだ。

 

……。

 

ああ、私はどうやら起きてしまったらしい。

 

私はもう一度寝転んだ。

 

目を瞑るものの、寝ることは出来ない。

 

天井を見つめても、思考は途切れない。

 

口の中は未だに乾いていて、喉も同じだった。

 

寝直すにしては、乾きが邪魔だ。

 

今度は最初から両手を使い、私は体を起こした。

 

立ち上がった拍子に、膝が勝手に折れ曲がる。

 

近づいてくる壁に、私は手をついた。

 

まぁ、結果的には立てたのだから、なにも問題は無いだろう。

 

改めてこの部屋を見渡してみれば、まず、狭かった。

 

部屋というよりは、窓付きの押し入れに近いような気もする。

 

私は布団を踏みつつ、出入りするための障子へと向かった。

 

組子に手を掛け、手前へ引く。

 

勿論開かなかった。

 

押しても、右へ回しても、左へ回しても、ガタ、という音がするだけで障子は開かない。

 

私は少し考えた。

 

それから、少し間をおいて障子を横へずらした。

 

小気味よい音を立てながら障子が溝に沿って滑っていく。

 

私は一度それを閉めた。

 

喉は渇いている。

 

それから、私はもう一度それを開け、廊下へ右足を踏み出した。

 

廊下に出ると少し湿った木の匂いがした。

 

一歩進むたび、床が軋んだ。

随分とよく響く。

 

しかし、私はどこで水が飲めるかが分からなかった。

 

左からは誰かが話しているような声が聞こえる。

 

右には角が見える。

 

私の足は、左へ進もうとすると途端に言うことを聞かなくなった。

 

もしくは、私が言っていないのかもしれない。

 

私は角を曲がった。

 

縁側から見える植物は光を浴びてより青々しく空へと伸びようとしていた。

 

光はより強く照っていて、屋根の下の影としっかりとした境目を作っている。

 

夏が来たらしい。

 

春を見た覚えはなかった。

だが、夏がある以上、春も過ぎたのだろう。

 

少し外の方へ出て空を見上げれば鶴が飛んでいた。

 

これもまた、そのまま雲を排して上っていくかと思ったが、どこからか飛んできた弾丸に当たり、落ちた。

 

食べるのだろうか。

 

そうして私は廊下へ戻り、そのまま歩き続けた。

 

それからしばらく床板を軋ませていると洗面台を見つけた。

 

レバーを上げ、右へ回すと銀色の蛇口から水が流れでてくる。

 

そこだけは妙に新しかった。

 

私は水を手に溜めて、何回かに分けて飲んだ。

 

もう一度溜めて飲む。

 

さらにもう一度溜める。

 

今度は飲まず、顔にかけた。

 

水が顎から落ちる。

 

顔を上げる。

 

そこには鏡があった。

 

鏡は入ってきた光を跳ね返す。

もっとも、誰も見ていなければ、何が映っているかなど分からない。

 

そしてそこには人が映っていた。

 

鏡に映っているのであれば、鏡の前にはそれがいるはずだ。

 

だが、そこには私が居る。

 

しかもこれをなんと呼べば良いか私には分からない。

ただ、一つ言えることがあるとすれば、髪がひどかった。

 

これは一体何と呼べば良いのだろうか。

 

もう少しよく見れば、片方の目は菖蒲色で、もう片方は黄色だった。

それはその目でこちらを見ている。

 

体はほっそりとしていて、何より銃を持っていない。

 

取り上げられたのだろうか。

 

そうなのであればよっぽどの危険人物だ。

 

考えてみれば、そんな危険人物をこれ以上見ている理由もないようにも思える。

 

私は洗面台を離れることにした。

 

もと来た廊下を再び歩く。

 

歩くたび、床板の軋む音と私の荒い息が聞こえた。

 

廊下は、そう長くない。

それでも息は整わなかった。

 

私が寝ていた部屋まで着けば、もう声は聞こえなくなっていた。

 

私はどうやら、そのまままっすぐ進めるようだった。

 

そうしてそのまま歩き続ければ、また、そこにも縁側があった。

 

この建物の間取りが少し気になった。

覚えるほど長くいることもないだろう。

 

私はそこへ腰を下ろして、少し休むことにした。

 

上を見上げれば、軒の向こうには太陽があった。

 

雲もなく、空を飛ぶ鶴も居らず、ただ、青い空が広がっている。

 

そして、私は眩しさに驚き、咄嗟に顔を伏せた。

 

太陽はやはりそこにあった。

あると知っていても、空があれば見上げてしまう。

そして見上げれば、やはり太陽はあるのだった。

 

私は目を細めたまま立ち上がり、再び廊下を歩き出した。

 

廊下を進むにつれて、私の息は荒くなる。

 

この廊下は何故これほど長いのだろうか。

 

いや、私は何処かを目指しているわけでもない、ただ、廊下を歩いているだけなのだ。

 

むしろ、廊下を歩く、と言うことを続けるにあたって、終わりがない方が好都合であることは明白ではないだろうか。

 

であれば、長い、なんて感想は出て来得るのだろうか?

 

いや、それでも私は長いと思っていた。

 

意味もなく廊下を歩き回っていれば、怪しまれて当然なのだろう。

 

どうやら、私も例外ではなかった。

 

「七稜アヤメさん?」

 

私が廊下を歩き続けていると、そう声が後ろから聞こえた。

 

私は固まった。

 

振り向くべきか、無視して歩き続けるべきかを考えていたからだ。

 

仮に振り向いたとして、私は何を言うべきなのだろうか。

 

……私はそのまま歩き続けた。

 

しかし、その声の主は私の前へ回り込んできた。

 

そうして、「あの……あぁ、お目覚めになられたんですね」と私に言ってくる。

 

私は咄嗟に身構えた。

 

もっとも、身構えたところでローキックが出るわけではない。

 

ただ、変な姿勢をしただけだった。

 

私は何をしているんだろうか。

 

分からなくなったので私は声を出すことにした。

 

「えーっと、まずあなたは……?なんて言うか、こう、まだ私もなにがどうなってるか分かってなくてさ」

 

こういう振る舞い方をして失敗した事がある気もするが、きっと、

 

きっとこれで良いだろう。

 

彼女は少し考えているようだ。

 

答えを待つこの時間が、永遠のようにも思えてくる。

 

そして私は、どうもそれが好きになれなかった。

 

「そう、ですね……ニヤ様を呼んできます。ここで待っていてください」

「動かずに。お願いしますよ」

 

「えっ?いや、ちょっと待―――」

 

私がそう言い終わらないうちに、彼女は走って何処かへ行ってしまった。

 

質問には答えてくれなかったようだ。

 

……どうやら動くな、と言っていたようだ。

 

動かれては困るのだろうか。

それとも、どこかへ行かれては困るのだろうか。

 

もっとも、私は……

 

ええっと、私は。

 

動くな。

ニヤを呼ぶ。

ここで待て。

 

……なるほど。

 

多分、今度は失敗することはなさそうだった。

 

しばらくそうやって突っ立っていると、少し足が疲れてきた。

 

動くなとは言われたが、馬鹿みたいにそこに突っ立っていろとは言われていない。

 

私は脇の障子を開け、そこにあった座布団へと腰を下ろした。

 

近くの机の上には茶菓子が置かれている。

 

それを手に取って、個包装を破き、口に入れる。

 

それは昔何処かで食べたことがあるような味だった。

 

その時、私は二度とこれを食べるものか、と思った筈だ。

 

机の上に置かれた茶菓子をあるだけ食べていると、誰かがこの建物に入ってきた音がした。

 

少なくとも、耳だけは悪くなっていなかった。

 

障子の外からは、「あれ?」だの、「ここで待っていて、と言ったはずなんですがね……」だのと聞こえてきた。

 

しばらくそれを聞いていると、障子が開いた。

 

開いた。

 

当たり前だった。

 

「あ、ここに……あぁ、それ食べたんですね。いや、まぁ良いんですけど……しかも全部」

 

ニヤだった。

 

私は立ち上がり、姿勢を整えてこう言った。

 

多分、これで合っているのだろう。

 

「囚人番号七番、七稜アヤメです!部長殿、本日はどのようなご用件でしょうか!」

 

「……ふむ?」

 

そう言うと、ニヤは私の顔と机の上に置かれた茶菓子群の残骸を交互に見つめた。

 

「いきなりこう言うのもなんですが、ふらついて頭でも打ったりは……?」

 

私は少し考えた。

 

考える必要は無かった、打つ前に私は壁に手をついた。

 

「いいえ!起床後、頭部を含め外傷は確認されておりません!」

 

「そうですか、いや……ええ、そうなんでしょうね」

 

「それで……その『囚人番号七番』というのは?」

 

今度は考える必要があった。

 

確かに、囚人番号が間違っている可能性を考慮していなかったのは致命的であったからだ。

 

間違っていたのなら、まさか、七稜……七稜だから七にした、だなんて言えるはずがない。

 

私は恐る恐る口を開いた。

 

「間違えていたのでしょうか!」

 

ニヤは顔をしかめた。

 

多分、怒った訳ではなさそうだった。

 

「……ええ、番号はそのままでいいでしょう。ですが、それがあなたに必要か、と問われればそうでは無いでしょうね」

 

番号が必要ないのであれば、私一人なのだろうか。

 

なら、百鬼夜行の治安は私が居なくとも随分と改善したらしい。

 

だが、それなら七で良い理由が説明できない。

 

……こればかりは聞くしかなさそうだった。

 

「ですが、囚人番号が要らないのであれば、七である必要は無いのではないでしょうか!」

 

またニヤは顔をしかめた。

 

分かっているだろう事を何故……とも小声で言ったような気がしたが、私は聞かなかったことにした。

 

「ええ、はい……そうですね。確かに七である必要はありませんね……ですが、大切なのは、あなたに囚人番号は要らないということです」

 

「つまり?」

 

ニヤは息を吸った。

 

多分、落ち着くためだった。

 

「あなたは囚人ではありません」

 

「何故?」

 

しまった、敬語を使うべきだった。

 

「何故、と言われましても……あなたを拘束している者はいませんし、処罰も決まっていませんから」

 

私は困った。

 

私は百鬼夜行を危険に晒し、多大な損害を与えた筈だ。

 

であれば、処罰される事が自然だろう。

 

私がそれについてどう思っているかは、今は関係がない。

だが、あまりにも道理に合わないではないか。

 

私がそうして思案し、何も言わずにいるとニヤはこう言った。

 

「あなたが例の件について罪悪感を抱いてらっしゃるのかは私は存じませんが、外向きには、あの時姿を現した『七稜アヤメ』は花鳥風月部が作り出したもの、ということになっています。なので、少なくとも表向きには、あなたを処罰する理由はありません。当然、拘束する理由も」

 

……罪悪感。

 

罪悪感を抱くべきなのは、私じゃなくて……

 

いや、今は関係が無い。

 

「と言っても突然過ぎて少々混乱されているでしょうから、何かあればお答えしましょう」

 

ニヤは私の方を見てそう言った。

 

何かあれば。

 

……何かあれば。

 

私はまず起きてからの疑問について聞くことにした。

 

「私はどれくらい寝ていたのでしょうか」

 

「三ヶ月と二日です」

 

「そっか」

 

……何も言うべきことは無かった。

 

三ヶ月と二日。

 

であれば、この体の不調にも説明が付く。

私は机の上を見た。

茶菓子の袋が、ひどく多かった。

 

「この三ヶ月の間……いえ、三ヶ月と二日の間に何か、変わったことは?」

 

「変わったこと、ですか」

 

珍しく、ニヤが困ったような表情をした。

 

もしかしたら、さっきからしていたのかもしれない。

 

「強いて挙げるなら……百花繚乱に、少しずつ人が戻りつつあることでしょうか」

 

戻りつつある。

 

なら、私はもう戻らなくたって良いはずだ。

戻れと言われる理由も、もう無い。

 

「それは良かった」

 

私はそう答えた。

 

「……私は今どういう扱いなの?」

 

ふと、私はそんなことを聞いた。

 

「百花繚乱への復帰、という扱いになっています。委員長はご存じの通り、ナグサさんです」

 

「は?」

 

廊下の方から、誰かの足音がした。

遠ざかっていった。

 

私はニヤが言ったことを反芻した。

 

百花繚乱への復帰。

 

復帰。

 

「は?」

 

「いや、は?と言われましても……」

 

考える前に口が開いた。

 

「いや、あの、復帰って何?え?復帰?何故?復帰だよね」

 

「はい、復帰です」

 

「知ってるよ」

 

「そうですか」

 

そうでは無かった。

 

何一つ、そうでは無かった。

 

「私、戻るって言った?」

 

私がそう言うと、ニヤは少し考えてこう言った。

 

「おっしゃってませんね、寝てましたし」

 

それはそうだ、と一瞬私は納得しかけた。

 

いや、そこに納得してどうする。

 

「じゃあ何で決まってるの?」

 

「そう処理する事が一番丸かったので」

 

処理……

 

少し間が空いた。

 

「じゃあ、私がどうしたいかは……いや、いい、気にしないで」

 

きっと、寝ていたので分からなかった、とでも返されるのだろう。

 

私は復帰した後やめれば良い、そう結論づけた。

 

「あ、復帰がお嫌でしたら、別に戻る必要はありませんよ。あくまでそういう扱いにしておいただけですから」

 

私は口を閉じた。

さっきまで考えていたことが、使えなくなった。

 

「じゃあ、私はどうすれば良いの」

 

「はい?」

 

「いや、私にどうしろって言うの?あぁ、奉仕活動とか?そう言うのだったら……まぁ嫌ではあるけどやるよ、うん」

 

「いや、ですから……何故そこで奉仕活動の話になるのでしょう?」

 

本当に分からないのか、それとも私を馬鹿にしているのか、分からなくなってきた。

 

「ですから……別に、私からあなたに何かを命じるつもりはありませんよ。これからどうするかは、アヤメ元委員長ご自身でお決めになれば良いのでは?」

 

私が?

 

自分で?

 

何について?

 

何か言おうと口を動かしてみるが、声が出てこない。

 

まるで魚みたいに見えているのだろうが、それも今は関係ない。

 

何かを言わなければならない、だが、何も浮かんでこない。

 

口を閉じてニヤの方に目を向けてみると、少し、何かについて考えているような表情をしていた。

 

今だけは、多分同じことをしているのだろう、と思った。

 

そうして、ニヤがようやく口を開いた。

 

「……話は変わりますが、そろそろナグサ委員長にも、あなたが目を覚ましたことは伝わっている頃でしょう」

 

そうして、一拍おいてこう言った。

 

「あなたとナグサ委員長が今どういうご関係なのかは、私には分かりませんが……会ってみては?」

 

「というか、あの人なら話を聞いた途端に飛んでくる気もしますけどね」

 

ナグサが来る。

 

それは本当に困る。

 

「いや、やめておくよ」

 

「そうですか」

 

……やっぱり、この女がどういう意図で動いているのかは、私には分からなかった。

 

「では、これをお渡ししておきましょう」

 

そう言うと、ニヤは銃を私に渡した。

 

私はそれを受け取った。

手の中に、覚えのある重さが戻ってきた。

 

それは紛れもなく、私があの時使っていた銃だった。

 

……何処から出したのだろうか。

 

私は立ち上がった。

ニヤは何も言わなかった。

 

なら、出ても良いのだろう。


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