沖縄編最終話です。
沖縄四日目、最終日の朝。
石垣島の水平線から昇る鮮烈な朝陽が、最上階の引率教官用ツインルームの遮光カーテンの隙間から、容赦なく室内に差し込んでいた。
ベッドの上で、鬼塚英吉は仰向けのまま、天井の一点を完全に凝視していた。
その目はバキバキに血走り、目の下には、絵に描いたようなド黒い隈(クマ)が形成されている。
二日連続の徹夜は避けられたはずだったが、三日目の昨夜、ついに麗美と一線を越えてしまった結果、三日連続の徹夜が確定していた。
(……や、やっちまった……。ついに、一線を、超えちまったぁぁぁぁ……!!)
脳内で、白目を剥いた鬼塚の精神体(三頭身仕様)が大絶叫しながら滝のような冷汗を流している。
男としての凄まじい責任感。
愛おしさ。
そして、教師が生徒に手を出してしまったという社会的な破滅への恐怖。
後悔はない。
しかし、それらがぐるぐると頭を駆け巡り、一睡もできるはずがなかった。
だが、そんなパニック状態の鬼塚の胸元に、すりっと心地よい重みが加わる。
「……ん……英吉……むにゃ……」
寝言で自分の名前を呼び、愛おしそうに胸元にしがみついてくる大切な彼女……神崎麗美。
行為の後、そのままお互いに何も身に纏わない裸の状態で眠りについていたため、鬼塚の肌には、麗美の滑らかな肢体のぬくもりと、吸い付くような柔らかさがダイレクトに伝わってくる。
その無防備で、心からの信頼と幸福に満ち溢れた寝顔。
(……ったく、なんて顔して寝てやがんだよ……)
たまらなく愛おしい。
こいつのトラウマも絶望も、すべてを俺の手で書き換えて、この笑顔を一生守り続けてやる。
鬼塚は、愛おしさに胸を熱くしながら、麗美の小さな手を自分の大きな手で優しく包み込むように握り締めた。
その瞬間、鬼塚の脳裏に小さな疑問が過る。
(……? なんだ、この手……昨日も思ったが、この間よりも、ほんの少しだけ硬くなっているような……?)
もちろん、鬼塚は麗美がゴールデンウィーク以降、龍二の店で秘密の戦闘訓練を受け続けていたことなど露ほども知らない。
なぜ彼女の手のひらが、以前と比べて微かに硬くなっているのか、不思議に思ってその指先に意識を向けようとした——まさに、その直後だった。
「……おはよ、ダーリン❤」
ふと、麗美のオッドアイの瞳がゆっくりと開き、蕩けるような最高の笑顔が鬼塚を捉えた。
同時に、麗美が寝返りを打つようにして身体を大きく動かした瞬間、彼女の身体をわずかに覆っていたシーツが、するりと完全に滑り落ちる。
朝陽の柔らかな光に照らされた、朝露を浴びた大輪の花のように美しい麗美の完全な裸体。
昨夜、自分の腕の中で確かに愛し合い、本能のままに貪り合ったその神秘的なまでのプロポーションが、一切の遮蔽物なしに鬼塚の眼前に剥き出しで飛び込んできた。
さらに、めくれたシーツの白い生地の上には、二人が昨夜、名実ともに本物の恋人となって結ばれた決定的な証が、鮮やかな赤に染まって残されていた。
夢で何度も見た「裸寝袋」の衝撃。
だが、すべてを注ぎ合って結ばれた直後の朝に突きつけられるこの「生の裸体」と、二人の絆の証である真っ赤な汚れは、あの裸寝袋の記憶を遥かに超越する凄まじいインパクトとなって鬼塚の脳髄を直撃した。
ガガーン!! と脳内で効果音が響き渡り、手のひらの硬さに対する疑問など、文字通り一瞬で宇宙の彼方へと吹き飛んで消えた。
「ぶふぉっぅぅぅうううお!!?」
刹那、アニメ特有のギャグ演出さながらの勢いで、鬼塚の鼻から真っ赤な血柱が噴き出した。
「ぎゃあああああ!? て、てめっ、う、麗美ぃぃぃ! シーツ! シーツ被れえええええええ!! 布団でもなんでも良いからぁぁぁ!!」
起きたばかりの身体で、悪びれもせず堂々とその極上の美体をこれみよがしに見せつけてくる麗美。
鬼塚はティッシュを鼻に詰め込んで顔を真っ赤にしながらベッドの上でのたうち回った。
「ふふ、何を今更驚いてるのよ。昨日の夜、あたしの隅々までデータを取り込んだのはあんたでしょう? 英吉」
「それはそれ! これはこれだ! 朝の光のなかで見るのは刺激が強すぎるっつーか、俺のグレートな理性が物理的に消し飛ぶだろうがよォォォ!!」
のたうち回る鬼塚を見つめながら、麗美はオッドアイの瞳を妖しくきらめかせ、ふわりといたずらっぽく微笑んだ。
「なら朝からまたヤっちゃって、物理的に消し飛ばしちゃう?」
「ぶ、ぶっ、ぶふぉおおおお!? お、おまっ、てめぇ中坊のくせに朝から何つー過激な発言してんだコノヤロー!!」
今度こそ顔面が破裂しそうなほど真っ赤になり、ガタガタと本気で動揺し出す鬼塚。
そんなウブで純情すぎる愛する彼氏のリアクションに、麗美は満足げにクスクスと声を上げて笑った。
「嘘よ嘘。……でもまた今度いっぱい愛し合いましょ? さっ、朝ごはん行かないと」
名残惜しそうにしながらも、麗美はシーツを纏ってベッドから抜け出すと、テキパキと服を着用し、身支度を始めた。
鬼塚もまた、詰め込んだティッシュを抑えながら、未だ激しくバクバクと鳴り止まない心臓を落ち着かせるように大急ぎで服を着込む。
赤く染まったシーツを、ホテルのスタッフに見られないように慌てて裏返して隠すのも忘れない。
そうして二人は身支度を整えると、お互いのぬくもりがまだ色濃く残るツインルームを後にして、生徒たちの待つ朝食会場へと向かった。
「いや〜、昨日の肝試しの鬼塚の絶叫、マジで最高だったわ! あいつ、あんな見た目してガチでビビってやがってよー! 驚かす側としちゃ一番面白かったぜ!」
「村井、あんまり大声で言ってると、また怒られるぞ?」
「構わねぇって、事実なんだからよ」
「……確かにそれもそうか」
村井達の爆笑の最中、ゴールデンウィーク前から完全な友達関係を築いている吉川と杏子も、肝試しで更に進展したのか、並んで楽しそうに笑い合っている。
そこへ、エレベーターのドアが開き、途中で乗った冬月を先頭に、鬼塚と麗美が降りてきた。
周囲に二人のガチな関係がバレてしまわないよう、麗美は不自然な歩き方を隠すために、鬼塚のすぐ傍らにぴったりと寄り添うようにして歩いていた。
「あ、言ったらその鬼塚がきたきた……って、え!?」
食事会場前で待っていた村井が、二人の姿を見た瞬間、言葉を失って硬直した。
続いて、すかさず茶化そうと待ち構えていた草野、藤吉、更にはみやび、菊地、吉川と杏子までもが、一斉に息を呑んだ。
二人の「ガチ恋人」を知り、昨夜の肝試しでも完璧なアシストを決めた彼ら「二人の関係の理解者たち」だったが、今の二人から放たれているオーラは、あまりにも異質だった。
昨日までのラブコメの空気は完全に消え失せ、目の下に凄まじい隈を作ってはいるが何処か晴れやかな鬼塚と、かつてない程の信じられない肌の艶を纏った麗美の間には、隠しきれない「ガチの夫婦のような色気」がドバドバと溢れ出ていたのだ。
「あら、神崎さん? 歩き方が少しおかしいけれど、どうかしたの?」
何も事情を知らない冬月が、麗美のぎこちない内股の歩き方に気づいて、不思議そうに声をかけた。
その瞬間、事情を察していた村井たちの間にドッと冷や汗が流れる。
鬼塚も「ぶっ……!」と息を詰まらせて顔をこわばらせた。
しかし、IQ200の天才児である麗美は、一瞬で最善の防衛策を弾き出す。
彼女はわざとらしく頬を赤らめ、少しだけお腹をさするような仕草を見せながら、言い方をぼかすようにして恥ずかしがる完璧な演技を披露した。
「ええ……あの、ちょっと、女の子特有の……その、お腹が、重くて……。少し歩きづらいだけですから、冬月先生。心配しないでください……っ」
「あ、あら……! そうだったの。ごめんなさいね、気づかなくて。無理をしないで、ソファーで休んでいなさい?」
冬月先生は「生理痛」という言葉を敏感に察し、それ以上深く追及するのを止めて優しい笑みを浮かべた。
麗美の不自然な内股の歩き方に、完璧な『表向きの理由』がついた瞬間だった。
(お、おま……っ! 女の子特有って、昨日の夜のせいで内股になってんのを生理痛のフリで誤魔化しやがったァァァ!!)
鬼塚がティッシュを鼻に詰め直しながら内心で大絶叫していると、ソファーの影から一部始終を見ていた相沢みやびが、鋭い視線で麗美を捉えた。
みやびは冬月先生の死角に滑り込むようにして、すっと麗美の傍らに寄り添うと、その華奢な肩をそっと支えた。
「ちょっと麗美、大丈夫……? あたしが支えてあげるから、こっちに来なさい」
「あら、みやび。ありがとう」
みやびは麗美をソファーへと誘導しながら、周囲の一般生徒たちに聞こえないよう、声を限界まで潜め、顔を真っ赤にしながら麗美の耳元に口を寄せた。
「……ねえ。もしかしなくてもあんた達……ヤっちゃったでしょ?」
核心を突く親友の言葉に、麗美は驚く風でもなく、フッといつもの余裕に満ちた笑みを浮かべた。
そして、これ以上ないほど幸せそうに頬を染めながら、小さく、可愛らしく小悪魔のようにペロッと舌を出してみせた。
「えへへ……ヤっちゃった❤️」
「はぁぁ……やっぱり……」
本人からの肯定に予測は確信に変わり、みやびは盛大な溜め息を吐きながら、天を仰いだ。
だが、その顔には深い呆れと同時に、麗美が今度こそ完全に救われ、本物の幸せを掴み取ったことに対する、温かい苦笑が滲んでいた。
「まっ、あんた達は見ていて微笑ましいから良いんだけどね……。関係がバレないようにだけ、今まで以上に気をつけなさいよ? 内山田教頭は最近大人しいから兎も角、ザビエル校長や周りの目がいつ厳しくなるか分からないんだから」
「ええ、分かっているわ。これからの管理は更に厳密にする必要があるもの。……心配してくれてありがとう、みやび」
「当たり前じゃない、親友なんだから」
「ふふ、ほんとありがと」
麗美はみやびに支えられながら、もう一度、前を歩く鬼塚の広い背中を見つめた。
みやびの言う通り、東京へ戻ればまた日常が待っている。
麗美は、みやびに連れ添ってもらい、再び鬼塚の近くに来ると、周囲に聞こえないトーンで、鬼塚の袖をきゅっと握る。
「みんな、あたしたちの『計算式』が完全に解かれたことに気づいたみたいね、英吉」
「……っ、お前、からかうなっつの、先生って呼べ……」
その後、朝食を食べ、数時間後、ホテルの巨大なロビー。
那覇を経由せず、石垣島から飛行機で直接東京へ帰るための荷物をまとめた三年四組の生徒たちが、続々と集まり、賑やかな声を響かせていた。
鬼塚は照れ隠しに頭をガシガシと掻きむしりながらも、空港行きのバスへと生徒たちを誘導し始めた。
「よし野郎ども! 家に帰るまでが旅行だ! 荷物持ってさっさとバスに乗れえええ!」
いつもの鬼塚の大声が響き、三年四組のメンバーはハッと我に返ったように動き出す。
石垣島の空港へ向かうバスの車内でも、数々の思い出を刻んだ飛行機の機内でも、二人の間にある圧倒的な熱量は消えないまま、無事に羽田空港へと到着した。
前の世界のすべての絶望を過去へと置き去りにした、二人だけの本物の夏の終わりが、石垣島の青い空の下から東京の喧騒へと地続きに繋がり、沖縄臨海学校は完全大団円を迎えた。
羽田空港での解散後、吉祥学苑の面々はそれぞれ家路についた。
しかし、鬼塚と麗美にとって、東京に戻ってからの残り少ない夏休みの数日間こそが、沖縄の熱を本当の意味で日常へと馴染ませる、特別に濃密な時間となった。
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臨海学校の解散から数日後の夜。
夏休み最終日となり、鬼塚は吉祥学苑の屋上にあるプレハブ小屋のベッドで、いつものようにゴロゴロと漫画を読んでいた。
エアコンの効きの悪い部屋で、額に汗をにじませていると、不意にプレハブのドアが小さくノックされた。
「……誰だぁ? こんな夜中に」
ドアを開けると、そこには薄手のピンクのサマーニットに黒のショートパンツという、息を呑むほど大人びた私服姿の麗美が立っていた。
その見た目は言わなければ中学生とは思えず、高校生……下手すると大学生でも通用するレベルのクオリティーだった。
彼女の手には小さなクーラーバッグを提げている。
「夜分に失礼するわ、鬼塚先生」
クスクスと笑いながら滑り込んでくる麗美。
ドアが閉まった瞬間、彼女はすぐに声を甘く切り替えた。
「はい、これ。石垣島で買っておいた現地産のマンゴー。冷やしておいたから、一緒に食べましょう、英吉」
「お、おう……サンキュ。ってかお前、夜中に一人でこんなとこ来たら危ねえだろ!」
「危なくないわよ。あたしがここに来るまでのルートの監視カメラの死角はすべて計算してあるし、何より、あたしには世界一強い『護衛』がここにいるもの」
麗美は当然のように鬼塚のパイプ椅子ではなく、彼の座るソファのすぐ隣に腰掛けた。
密着する太ももの柔らかさと、沖縄の夜に嫌というほど嗅いだあの甘い香りが、一瞬でプレハブの空気を支配する。
切り分けたマンゴーを口に運びながら、二人は静かに語り合った。
東京の夜空は、石垣島のように満天の星空とはいかない。
だけど、プレハブの窓から見える都会のビル群の明かりは、不思議と今の二人を祝福しているように優しかった。
「……英吉」
麗美がマンゴーのフォークを置き、鬼塚の大きな手のひらに自分の手を重ねた。
龍二の特訓で少しだけ硬くなった手のひら。
それを、鬼塚は今度は何の疑問も持たず、ただ愛おしさと、男としての凄まじい責任感を込めてぎゅっと握り返した。
「東京に帰ってきたら、少し寂しくなるかと思ったけれど……全然そんなことなかったわ。あんたの手が、こうしてあたしを優しく包み込んでくれるから」
「麗美……。俺はよ、お前を幸せにできるか、まだ自信はねえ。だけどな、お前を泣かせるような真似だけは、死んでもしねえ。お前が悪夢に怯えるなら、俺がその悪夢ごと、現実の愛で塗り潰してやるよ」
「ふふ。プロポーズにしては、ちょっと粗削りね……でもそんな不器用なあんたが大好き❤️」
麗美は潤んだオッドアイの瞳で鬼塚を見つめると、自分からそっと目を閉じ、唇を寄せた。
プレハブのソファの上で、何度も、何度も重ねられる深く濃厚なキス。
沖縄の初々しさを超え、お互いの存在がなくては生きていけないという確信に満ちえた、ベタベタで甘々なくっつき合い。
麗美は鬼塚の首に腕を回し、彼の広い背中にあの少しだけ硬くなった手のひらを回して、強く、強くそのぬくもりを抱きしめた。
「夏休みが終われば、また学校が始まる。……でも、あたしたちはもう、何が来ても大丈夫よね、英吉?」
「おうよ。俺たちを誰だと思ってんだ。お前は世界一の天才児で、俺はグレート・ティーチャー・オニズカ(GTO)様だぜ? 俺たち二人でかかれば最強無敵だ」
「……最強無敵……なんか馬鹿な表現ね」
「んだとコラ! 良い雰囲気台無しじゃねえか!?」
「ふふ、でも嫌いじゃないわ、そういうの。 とっても良いと思う」
「お、おう……!」
二人は、迫り来る新学期の気配を胸に抱きながら、夏休みの最後の夜を、溶け合うような熱い口づけとともに惜しみなく貪り合うのだった。