PROJECT CRUCIBLE ―彼女たちは兵器になる―   作:炎迅無頼気

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Case04 バグパイプ:狩場に立つ彼女

 

 

 ロドスの小型輸送車が停止したのは、舗装された街道が旧工業区へ入り込む手前だった。

 

 後部扉が開くと、曇天の下に広がる灰色の倉庫群と、そこを吹き抜けてきた乾いた風が車内へ入り込んでくる。かつては鉱業用資材を扱う大規模な集積所だったらしく、道路脇には錆びた貨物レールや大型機械を固定するためのアンカーが残り、その向こうには外壁の崩れた整備棟が幾つも並んでいた。

 

 バグパイプは最初に破城矛を地面へ降ろし、自分も車外へ出ると、手元の地図と周囲の建物を見比べた。

 

「目的地は北東の旧資材倉庫。偵察担当が少し先、医療と後衛は真ん中ね。うちは前と後ろを行ったり来たりするから、あんまり間隔を開けないようにしよう」

 

 三人がそれぞれ装備を確認しながら頷く。

 

 今回の任務は、敵拠点の制圧でも救出作戦でもなかった。

 

 ホルンが消息を絶って以降、ロドスは最後に確認された地域を中心として捜索を続けていた。その最中、手掛かりを追って先行調査へ出たサイラッハまで帰還しなくなり、同行していた三人だけが負傷者を伴って帰ってきたことで、捜索範囲はさらに広げられている。

 

 三人の証言から分かったのは、サイラッハが正体不明の大型兵器を足止めするため一人で現場へ残ったことまでだった。

 その後については、誰も知らない。

 

 そして数日前、サイラッハが消息を絶った区域からそう遠くない場所で、登録情報の不自然な大型輸送車両が何度も目撃されていたことが判明した。

 

 積荷の申請自体は工業用設備だったが、遠距離写真にはヴィクトリア軍の重量物輸送に使われるものとよく似た固定具が写っている。元ヴィクトリア軍人であり、ホルンの指揮下で似た事件を追った経験を持つバグパイプが、四人の調査班へ加えられたのはそのためだった。

 

「行くべ。怪しいものを見つけるだけじゃなくて、ちゃんと帰って報告するまでが仕事だからね」

 

 破城矛を担ぎ直し、四人は旧工業区へ入った。

 

 最初の痕跡を見つけたのは、輸送車を離れて十分ほど経った頃だった。

 

 先頭の偵察担当が片手を上げたことで、バグパイプは後ろの二人を止めてから前へ出た。ひび割れた舗装の切れ目に柔らかな土が露出しており、そこへ二本の太い轍が残っている。

 

「目撃情報の車両と幅は近そうです」

 

「うーん……でも、ちょっと変だなぁ」

 

 バグパイプはしゃがみ、指ではなく破城矛の石突で轍の縁を軽く崩した。

 

 表面だけは乾いているものの、その下には湿り気の残った柔らかな土がある。

 

 バグパイプは家の牧畜や畑仕事を手伝い、大型農業機械を扱ってきた。軍へ進んでからは、もっと重い車両や装備を運ぶ機械を見る機会も増えたため、正確な重量は分からなくても、この地面へどの程度の跡が残るかくらいは想像できる。

 

「申請どおりの荷物を載せてたなら、もう少し沈みそうなんだよね。それに、この車幅でここを曲がったなら、外側の土がもっと削れててもよさそうなんだけど……」

 

「別の車両だった可能性は?」

 

「もちろんあるよ。まだ一個目だし、覚えておくだけにしよう」

 

 立ち上がって先へ進む。

 道路の左右には古い貨物固定用の設備が残り、金属製のアンカーや基部だけになった支持具が錆びたレール沿いに並んでいた。どれも工業区なら珍しくもないものであり、バグパイプも特に立ち止まることなくその横を通り過ぎた。

 

 少し歩いたところで、彼女はふと思い出したように後ろへ顔を向けた。

 

「ところで、おめーさん携行食まだ持ってるよね?」

 

 医療担当が一瞬だけ視線を逸らした。

 

「持ってます」

 

「食べた?」

 

「……まだです」

 

「朝も食べてなかったべ?」

 

「調査が終わってからにしようかなって」

 

「身体壊したら何もできないって何回言えば分かるの。歩きながらでも食べなよ」

 

「バグパイプさん、こういう時まで気にするんですね」

 

「こういう時ならお腹空かなくなるの?」

 

 真顔で問い返したことで、偵察担当が小さく笑った。

 

 バグパイプも口元を緩め、医療担当が諦めて包装を開けたことを確認してから前へ戻る。

 

 もちろん、内心ではホルンのこともサイラッハのことも心配だった。今回の情報が二人へ繋がっていてほしいとも思う。

 だからこそ、気を張り詰め過ぎて見えるものを歪めないよう注意しなければならなかった。何でも手掛かりに見え始めれば、むしろ本当におかしなものを見逃す。

 

 二つ目の轍は、道が二方向へ分かれる場所に残されていた。

 

 三つ目を見つけた時、バグパイプはとうとう歩みを止めた。

 

 進路を選ぶ必要のない直線道路ではほとんど消えていた跡が、分岐へ来るたび不自然なほど鮮明になる。そのうえ今回は、ヴィクトリア軍用のものによく似た固定部品まで道路の中央へ落ちていた。

 

「全員、その場で待って」

 

 一人で数歩近づき、破城矛の穂先で部品を裏返す。

 

 形は見覚えがある。ただし識別番号の形式が違う。

 

 本物を知らない者が見れば軍用品だと思うだろうが、かつて軍の装備を日常的に扱っていたバグパイプには、特徴だけを拾って似せたもののように見えた。

 

 彼女は立ち上がり、ここまで来た道を振り返った。

 

 追跡を始めてから、自分たちを妨害する者は一人もいない。

 しかも進路を迷いそうなところへ来るたび、次に進む方向が分かりやすく示されている。

 

 思考を明晰にするは戦術。

 

 王立前衛学校で何度も叩き込まれた言葉が、自然と頭を過ぎった。

 

「……戻ろう」

 

 三人がバグパイプを見る。

 

「目的地、もうすぐですよ?」

 

「だから戻るんだべ。ここまで来たら、逆におかしいよ」

 

 簡易地図を開き、これまでの分岐を指で辿った。

 

「隠した跡じゃない。見つけさせるための跡だと思う。車の痕跡も部品も、うちらが迷わない場所ばっかりに残ってる」

 

 偵察担当が奥の倉庫群を見る。

 

「誘導されてる可能性がある、と?」

 

「誰を何のために誘ってるのかまでは分かんない。でも、それを確かめるために四人で奥へ入る必要はないよ」

 

 判断に迷いはなかった。

 

「後方班へ連絡。『意図的誘導の可能性あり、調査中止』って伝えて。来た道は避けて、一つ東側の道路から撤退するべ」

 

 四人はすぐに隊形を組み直し、倉庫群から離れる方向へ歩き始めた。

 

 だが、撤退を開始して一分も経たないうちに、遠方の建物の隙間が白く光った。

 

 光と音の間に生じた僅かな時間だけで、バグパイプの身体は平時のそれから完全に切り替わった。

 

「総員、散開!」

 

 三人が左右へ飛ぶ。

 

 直後、四人が先ほどまで歩いていた道路の後方へ砲弾が着弾した。

 

 人間を直接狙った位置ではない。

 

 砲弾は道路脇に残っていた古い運搬クレーンの支持部を吹き飛ばし、片側の支えを失った鉄骨が数秒遅れて傾いた。

 巨大な構造物が轟音とともに道路へ倒れ込み、後方への経路を完全に塞ぐ。

 

「全員、負傷の有無を報告!」

 

 三人から問題なしの返事が重なる。

 

「後方班へ状況を送って!」

 

 後衛担当が通信機を操作したものの、すぐに表情を険しくした。

 

「長距離回線が繋がりません!直前までは正常でした!」

 

「班内通信は?」

 

「問題ありません!」

 

「原因確認は後回し!東へ移動、間隔を保って!」

 

 四人が走り始める。

 

 東側の道路へ出る前に二発目が飛来し、前方の倉庫角へ突き刺さった。崩れた外壁と鋼材が道路へ流れ込み、今度は進もうとしていた方向だけが使えなくなる。

 

「南へ変更!」

 

 三人が向きを変えたところで、道路の向こう側へ淡い橙色の光が一本走った。

 

 最初は、空中へ細い線が引かれただけに見えた。

 

 しかし、その線から上下左右へ同じ色の光が伸びていくと、囲まれた空間そのものが薄く揺らぎ始める。

 

 向こう側の倉庫も道路も透けて見えていた。

 

 ただし景色の輪郭は、水面を挟んだように僅かに歪んでいる。

 

 風に巻き上げられた砂埃がそこへ触れたことで、初めてその面の存在がはっきりした。

 

 砂は向こう側へ抜けず、透明な何かへ押しつけられたように横へ流れ、地面へ落ちる。転がった小石が当たると、接触点から橙色の光が水紋のように広がり、小石そのものは手前へ跳ね返された。

 

「止まって!」

 

 先頭の偵察担当が急停止した。

 

 バグパイプも数歩手前で足を止め、道路を横切って立つものを見上げる。

 

 高さは周囲の二階建て倉庫を越えていた。

 

 左右も建物の壁へ重なる位置まで伸びており、向こう側の景色が見えるにもかかわらず、その場には間違いなく巨大な透明壁が存在している。

 

「アーツ……?」

 

 医療担当が呟く。

 

 バグパイプは足元の小石を破城矛の石突で軽く弾いた。小石は透明な面へぶつかり、先ほどと同じ光の輪を残して戻ってくる。

 

「通れない壁になってる。引き返して西側へ!」

 

 四人が向きを変えた。

 

 しかし西側へ数十メートル進んだところで三発目が飛来し、古い資材置き場を崩してそちらの通路も塞いだ。

 

 バグパイプは走りながら、三つの着弾位置を頭の中へ並べた。

 

 砲撃によって進めない場所を作り、透明な防壁で残った経路を閉じる。

 

 四人がどこへ動くかを見ながら、少しずつ工業区画の中央へ押し戻している。

 

 どこかで知っている戦い方だった。

 

 敵そのものではなく、その次に使う地形へ砲撃を置き、選べる進路を減らして前衛へ有利な場所へ誘導する。テンペスト小隊にいた頃、砲撃と突入部隊を噛み合わせるために何度も教えられた考え方だ。

 

「……そんなはず」

 

 医療担当がこちらを見る。

 

「何か分かりました?」

 

「いえ、今は移動を優先して!」

 

 自分自身にも言い聞かせるように答えた。

 

 ホルンなら、必ず決着させる。

 敵を前衛の突入路へ追い込むか、包囲を完成させるか、それとも砲撃自体で仕留める。けれど今の攻撃は、道だけを奪い続けている。

 

「……違う。隊長なら、こんな撃ち方はしない」

 

 砲撃の正体を確かめる余裕はない。

 先に透明な防壁をどうにかする必要がある。

 

 橙色の縁取りは右側へ向かうほど強く発光していた。投射源がそちらにある可能性が高い。

 

「三人は距離を取って待機。発生源を確認します。防壁そのものへの攻撃は待って!」

 

 返答を確認すると、バグパイプは崩れた資材を遮蔽物にしながら右側へ走った。

 

 角を一つ回り込んだところで、巨大な黒い機械が姿を現す。

 

 最初に目へ入ったのは、左右へそびえる二枚の板状構造だった。

 

 幾重もの装甲を重ねた縦長の装置が機体中央を挟み込み、その内側から橙色の光を放射している。光は数メートル先の空間で面へ広がり、先ほど道路を塞いでいた巨大な透明壁へ繋がっていた。

 

 下部には四本の脚があり、壁面の向きを調整するたび、機体そのものも僅かに姿勢を変えている。

 

 バグパイプは投射装置から中央部へ視線を移した。

 

 そこで身体が一瞬だけ止まった。

 

 機械の中央に、人間がいる。

 顔は黒い頭部装置の内側に完全に収納され、両腕は左右別々の保持部に固定されていた。脚も自分の身体を支えられる位置にはなく、折り畳まれた状態で機体内部に収められている。

 

 それでも、頭部装置の左右から覗く二本の角と、その後方から機体の両側へ流れ落ちる特徴的な長い金髪を見間違えるはずがなかった。

 

「……ジェーン?」

 

 返事はない。

 

 名前を呼んだのは一度だけだった。頭部は固定され、こちらを向くことすらできない。その姿だけでは、本人がどういう状態なのかも、生きているのかどうかさえ判断できなかった。

 

 左右の巨大な投射装置がバグパイプへ向きを変える。

 

 それに合わせて、道路を塞いでいた透明壁もゆっくりと旋回した。

 

 巨大な透明板を一枚、そのまま横から押しつけてくるような動きだった。

 

 バグパイプは破城矛を構え、穂先を防壁へ当てる。

 接触した瞬間、腕へ返ってきたのは硬い金属板とは違う感触だった。

 

 巨大な弾性膜を押し込んでいるように、穂先の周囲だけが向こう側へ深く撓み、その部分から橙色の光が幾重もの輪となって広がる。脚へ力を込めるほど防壁全体から押し返す力も増したが、完全に動かせないほどではなかった。

 

 突破できる。

 

 そう判断して腰を落とした時、機体中央のサイラッハの身体が強くこわばった。

 

 黒い頭部装置から頸部へ橙色の光が走り、そのまま背中を経て左右の投射装置へ流れ込む。防壁の発光が一段強くなった一方で、サイラッハの肌から血色が薄れ、長い金髪も僅かに艶を失った。

 

 その身体が本人の意思で反応したのか、外から何かを流し込まれた結果に過ぎないのかは分からない。

 

 だが分からない以上、これ以上試す理由もなかった。

 

 バグパイプはすぐ破城矛を引いた。

 

「防壁への攻撃を中止!ジェーンに負荷が掛かってる!」

 

 通信越しに後衛担当が武器を下ろす。

 

「投射装置への攻撃も待って。本人とどこまで繋がっているか分からない!」

 

 目の前の姿が本当にサイラッハ本人なのか、まして意識が残っているのか、それすら分からない。

 それでも自分の攻撃と身体の変化が連動して見えた以上、無視して押し切るという選択はできなかった。

 

 その時、背後の倉庫の向こうから、重量物が地面へ接する低い音が四度響いた。

 

 振り返ったバグパイプの視界へ、低く長い黒い機体が現れる。

 

 四本の脚で地面を掴み、その上には胴体より長く見える巨大な主砲が載っている。

 

 先ほどから退路を削っていた砲撃機だと理解するのに時間は掛からなかった。

 

 問題は、その中央だった。

 

 大型主砲の下に、人間の身体が組み込まれている。

 胸郭は低い位置へ押し込まれ、骨盤はそこから高く保持され、両脚は後方へ強く折り曲げられていた。両腕も機械構造へ固定され、本人が何かを操作している様子はない。

 

 顔は黒い装置へ完全に隠れている。

 それでも後方へ流れる長い髪、その間から覗くループスの耳、骨盤側から伸びる一本の尾を見た瞬間、バグパイプには誰なのか分かった。

 

「……隊長」

 

 胸の奥が一度強く縮む。

 

「ホルン隊長!聞こえますか!」

 

 返事はなかった。

 やはり生きているのかどうかも分からない。

 

 中央の身体には目立った動きがないまま、長大な砲身だけがゆっくりとこちらへ向きを変えていく。

 

「右側から離れて!」

 

 バグパイプが叫んだ直後、砲撃が道路脇へ着弾し、また一つ通路を崩した。

 

 先ほどから感じていた既視感が、目の前の人物と繋がる。

 

 この追い込み方を知っている。

 けれどホルン自身は一度も身体を動かしておらず、照準を合わせたようにも、射撃を選んだようにも見えない。

 

「誰が……この撃ち方を教えたの……?」

 

 答える者はいなかった。

 

 バグパイプは二機と仲間三人の位置を確認した。

 

 サイラッハを組み込んだ防護機は、四人から二十メートルほど前方で道路を塞いでいる。

 

 ホルンを組み込んだ砲撃機は、三十メートルほど後方の交差点近くに陣取り、主砲を道路へ沿わせていた。

 

 左右の細道はすでに砲撃と瓦礫で使いにくくなっている。

 

 つまり今、四人は二機の間に挟まれていた。

 

 そして奇妙なことに、相手は決定的な攻撃を一度もしてこない。

 

 砲弾は四人そのものから外れ、防壁も進路を塞ぎはするものの、建物へ押しつけて潰そうとはしていなかった。

 

「……さっきから、急所を狙ってない」

 

 狙いが悪いとは考えにくい。

 道路だけをこれほど正確に破壊できる砲撃が、人間へ当てられないとは思えなかった。

 なら、なぜ外しているのか。

 

 答えは出ない。ただ、少なくとも四人まとめて殺すことが目的ではない。

 

 その時、防壁の左端に変化が起こった。

 橙色の縁取りが上下へ分かれ、その間から透明な面が少しずつ消えていく。やがて人一人が通れる程度の縦長の隙間が生まれ、その向こうには旧居住区へ抜ける細い道路が見えた。

 

「出口……?」

 

 偵察担当が声を漏らす。

 

「待ってください。今まで塞いでた側が、自分から開けたんですよ」

 

 後衛担当がすぐに続ける。

 

「この先に別の敵がいるかもしれません。出たところを狙われる可能性もあります」

 

「それに、四人を分けたいだけかもしれません」

 

 医療担当も防壁の向こうを警戒したまま動かなかった。

 

 バグパイプは三人の指摘を否定せず、隙間の向こうと後方の砲撃機を交互に確認した。

 

 出口が安全だと判断できる材料は何もない。

 

 ただ、ここまでの攻撃は四人を殺せる場面でも外され続けている。そして今、相手の側から出口を一つだけ開けた。

 

 もしこれが誰かを残すためのものなら――誰を残したいのか。

 

 バグパイプはその答えを考えながら、後方の砲撃機と正面の防護機を見た。

 

 確証はない。だが、試す価値はあった。

 

 後方班との通信は依然として途絶しており、この場で確認した二機のことも、中央にホルンとサイラッハらしき人間がいることも、まだ自分たち四人しか知らない。

 

 意志を堅固にするは規律。

 

 隊長もジェーンも目の前にいる。助けたい。けれど今、自分が優先すべきなのは、三人を生きて帰し、ここで起きていることをロドスへ伝えることだった。

 

「……待ち伏せの可能性はあります。分断が目的かもしれない。それでも、ここに四人全員で残る方が危険です」

 

 バグパイプに三人の視線が集まる。

 

「長距離通信が使えない以上、誰かが外へ出て情報を持ち帰る必要があります。三人で抜けてください。向こう側で何か出ても無理に倒そうとしないで、そのまま後続班を目指して」

 

 偵察担当が首を振る。

 

「だったら、バグパイプさんも一緒に――」

 

「この幅じゃ同時には通れません。私はここで二機を見ます。三人が抜けたら続きます」

 

 それが実現できる保証はなかった。けれど、ここで自分が残ると言い切れば、三人はなおさら動かなくなるだろう。

 医療担当が防壁の隙間へ視線を向けたまま尋ねた。

 

「その前に閉じられたら?」

 

 バグパイプは僅かに破城矛を持ち上げた。

 

「その時は、別の出口を作ります」

 

「でも――」

 

 後方の砲身がゆっくり動き始める。

 これ以上迷っている時間はなかった。

 

「私を待たないで先に逃げて!早く!」

 

 三人がようやく走り出した。

 最初の一人が防壁の隙間を抜けたが、透明な壁は動かない。

 

 二人目も続く。最後の医療担当は出口を抜けても何度かこちらを振り返ったが、バグパイプが腕を振って先へ行くよう示したことで、ようやく細い道路を走り去った。

 

 三人目が完全に通過した直後、開いていた空間の上下から橙色の光が伸び始めた。

 

 左右の縁取りへ繋がり、その内側で景色が再び水面のように歪む。

 

 数秒後、出口は完全な透明壁へ戻っていた。

 

 バグパイプはその様子を見届け、僅かに呼吸を整えた。

 

「……私だけ残したんだ」

 

 予想は当たった。何のために自分を残したのかまでは分からない。それでも、三人には通過を許し、自分が続く前に出口を閉じた。それだけで十分だった。

 

 騙されたわけではなかった。

 

 三人を外へ出すという目的は達成できた。ならば、ここから先は自分一人の判断で動ける。

 

「……参ったな。二人とも相手じゃ、さすがに豪華すぎるよ」

 

 怖くないわけではなかった。

 

 目の前の二人がどういう状態なのかも、誰がこうしたのかも分からない。それでも身体はまだ自由で、破城矛も手元にある。

 

 邪悪を壊滅しうるは勇猛さ。

 

 バグパイプは武器を構え直した。

 

 正面二十メートルには防護機。後方三十メートルには砲撃機。左右は崩れた倉庫と資材で狭いーーこのままでは、前後から徐々に圧迫される。

 

 ただ一つ、ここまでの砲撃には癖があった。

 砲撃機は、一度も防護機を射線上に置いたまま撃っていない。

 

「……間に入れば、撃てないかもしれない」

 

 賭けるしかなかった。

 

 バグパイプは正面の防護機へ向けて走った。

 距離が十五メートルを切ったところで、左右の投射装置がこちらへ向く。

 

 透明な防壁が道路を横切るように旋回し、バグパイプの進路へ回り込んできた。

 

 彼女は破城矛を真正面へ構え、防壁へ突き込むように見せた。

 

 防護機がさらに投射角度を変える。

 透明な壁の左端がバグパイプへ寄り、反対側の右端が倉庫壁から数メートル離れた。

 

 その瞬間、バグパイプは身体を右へ切り返した。

 

 防壁へ触れる直前で進路を変え、開いた右側の隙間へ滑り込む。防護機の脇を抜けたことで、今度はその巨大な機体そのものが、バグパイプと後方の砲撃機の間へ入った。

 

 砲身が追ってくる。

 しかし、防護機が射線上へ重なったところで、その動きが一度止まった。

 

「……当たり!」

 

 バグパイプはそこで走る方向を反転させ、防護機の側面を回り込むように後方へ駆け戻った。

 

 射線を取り直すため、後方の砲撃機が道路の右側へ横移動を始めている。

 

 両者の距離は二十メートルほどまで縮まっていた。

 

 低い巨体が横へ移るため、四本の脚が順番に接地点を変える。そのうち前方左側の一本が地面から浮いた瞬間、バグパイプは一直線にそこへ踏み込んだ。

 

 中央のホルンからは十分に離れている。

 狙うのは、接地部に近い駆動軸だけだった。

 

「ヴィクトリアのバグパイプ、破城矛と共に、参る!」

 

 身体の勢いをそのまま穂先へ乗せる。

 

 最初の一撃で外装が大きく歪んだ。機体が脚を引こうとしたが、バグパイプは破城矛を抜かず、食い込んだ穂先を支点に身体ごと捻る。

 

 金属軸が耐え切れず裂けた。

 前脚が外側へ沈み、四点で支えていた黒い機体の重心が大きく崩れる。

 

 長大な主砲も片側へ傾き、砲口が地面近くまで落ちた。

 中央部への衝撃を抑えようとしているのか、残る三本の脚と下部フレームが一斉に姿勢補正へ入り、砲撃準備そのものも中断される。

 

 防護機にも動きが生じた。

 傾いた砲撃機を透明壁の内側へ巻き込まないため、左右の投射装置が急激に角度を変える。

 

 それまで閉じていた左側の倉庫沿いへ、一時的に人が通れる幅の空間ができた。

 

 バグパイプは破城矛を引き抜いた。

 この機会をもう一度作れる保証はない。

 

「突破する!」

 

 倉庫壁と防壁の間へ走り込む。

 

 透明な面が追って旋回してくるものの、今度は間に合わなかった。

 

 十数秒後、バグパイプは二機の包囲を完全に抜け、工業区の外側へ続く幅広い作業道路へ飛び出した。

 

 そのまま数十メートル走ったところで、道路脇の設備が目へ入る。旧工業区へ入った時から何度も見てきた、貨物や大型機械を床へ固定するための金属基部だった。

 

 その配置に、バグパイプは一瞬だけ違和感を覚えた。四つの基部が、道路の中央を囲むように並んでいる。

 

 景色の一部として通り過ぎていたものが、今度は四つ同時に開いた。

 

「……何?」

 

 内部から現れたのは、短い装甲節を幾重にも繋いだ細長い機械腕だった。

 

 太さは細い人間の前腕ほどで、一本の棒のように真っ直ぐ伸びるのではない。それぞれの節が別々の角度へ動き、長い身体全体を滑らかな曲線へ変えながら、先端の小さな把持爪を開いてバグパイプへ向かってくる。

 

 一基目が破城矛を狙った。

 バグパイプは横へ払おうとしたが、機械腕は途中で軌道を変え、穂先を避けながら柄の中央へ回り込む。

 

 先端の把持爪が閉じ、破城矛を掴んだ。

 

「っ……!」

 

 腕ごと引かれる前に、バグパイプは両手へ力を込めた。

 

 一対一なら負けていない。

 固定基部の方が軋み、地面から僅かに浮く。

 

 しかし二本目が左側から腰へ回り込んだ。

 節ごとに角度を変え、身体の側面を避けるように背後まで回った先端アームが、腰の装備ごとしっかり保持する。

 

 武器を引く方向と反対へ身体の中心を引かれ、バグパイプの踏ん張りが崩れる。

 

「まだ……!」

 

 右脚を前へ出そうとした。その動きを待っていたように三本目が地面すれすれを這い、下腿の外側から回り込んで先端爪を閉じる。

 

 踏み込みが止められた。

 

 それでも上体だけで破城矛を引き戻そうとすると、四本目が肩口へ近づき、上腕を外側から保持する。

 

 身体の一箇所だけを強く締め上げる拘束ではなかった。

 

 武器、腰、脚、上腕を、それぞれ違う方向へ保持している。

 

 腕に力を込めても腰から伝えられず、脚で踏ん張れば上体が使えず、身体を捻ろうとすると肩を固定した機械腕がその回転を止める。

 

 一つずつなら外せそうだった。

 破城矛を掴む一本だけなら、固定基部ごと引き倒せるかもしれない。腰の一本だけなら、身体を捻れば外せそうな感覚もある。

 

 しかし、一つへ力を集めようとするたび、別の方向へ繋がった機械腕がそのための姿勢を崩してくる。

 

「……まだ、全然動けるのに」

 

 息は上がっている。

 

 それでも体力が尽きたわけではない。

 目の前の固定基部一つくらいなら壊せる力も残っている。

 

 ただ、壊すための半歩を踏み込めない。

 

 破城矛を振るための体幹の捻りを作れない。

 

 脚から腰、腰から肩へ力を繋ぐことができない。

 

 何度か別の動きを試したあと、バグパイプはようやく小さく息を吐いた。

 

「そっか……倒す必要なんて、なかったんだね」

 

 ここで初めて、砲撃が一度も身体へ直撃しなかったこと、防壁が押し潰すほど迫らなかったこと、そして三人だけが外へ出されたことが、一つの目的へ繋がった。

 

 これは最初から、殺しのための戦場ではなかった。自分をここへ連れてきて、恐らく生きたまま確保するためのものだった。

 

 白い防護衣を着た人影が、道路の向こうから近づいてくる。

 

 誰一人として走っていない。

 バグパイプがまだ破城矛を握っていることも、四本の機械腕を軋ませるほど力を残していることも見えているはずなのに、急ぐ必要がないのだろう。

 

 もう、その力を意味のある方向へ出せない。

 

 生命を救済しうるは慈しみ。

 

 最後の訓戒が頭を過ぎた時、バグパイプはサイラッハの防壁を全力で破らなかったことにも、ホルンのいる中央部を攻撃しなかったことにも後悔しなかった。

 

 あれでよかった。

 

 それが正しい。

 

 正しく行動した結果まで利用されたことだけが、ひどく腹立たしかった。

 

 一人の作業員が数歩先で停止し、手元の端末を確認した。

 

『対象、捕獲区画内で固定』

 

 別の作業員が多関節構造の駆動状態を読み取る。

 

『対象に重大損傷なし。多関節拘束アーム四基、保持継続可能』

 

「隊長とジェーンを元に戻して」

 

 バグパイプは相手へまっすぐ顔を向けた。

 

「二人をあの機械から外して。あなたたちがやったんでしょう?」

 

 返答はなく、作業員は端末へ視線を落としたまま状態を確認している。

 

『拘束負荷、基準値を上回っています。補助固定一基を追加します』

 

 五本目の機械腕が基部から伸び、節を滑らかに曲げながら反対側の腰へ回り込む。

 

 先端アームが閉じたことで、僅かに残っていた身体の遊びまで失われた。

 

 それでも意識は明瞭だった。

 

 ホルンもサイラッハも、今どういう状態なのか分からない。

 

 呼びかけても反応はなかった。

 サイラッハの身体が強張ったのも、それが本人の反応だったのかは判断できない。

 だからこそ、勝手に諦めるつもりもなかった。

 

「……隊長、ジェーン」

 

 作業員の一人が首筋に小さな器具を当てる。

 

 バグパイプは顔を背けようとしたが、今の姿勢ではほんの僅かしか動かなかった。

 

「うち、まだ諦めてないからね」

 

 微かな刺激のあと、手足からゆっくり力が抜けていく。

 

 多関節の機械腕が身体を保持しているため倒れることもできず、視界の輪郭だけが少しずつ曖昧になった。

 

 意識が沈む最後まで、バグパイプは遠くに見える二機の黒い兵器から目を逸らさなかった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 作戦終了後、管理室の端末へ複数の記録が並んだ。

 

《捕獲作戦:COMPLETE》

《既存CRUCIBLE協同運用:SUCCESS》

《優先対象:BAGPIPE》

《非対象者:離脱許可》

《確保状態:SECURED》

 

 隣の画面には、今回投入された二機の状態が表示されている。

 

【B2-H1】

《生体負荷:Grade 1》

《左前脚駆動部:DAMAGED》

《高負荷運用:TERMINATED》

《回復工程:REQUIRED》

 

【B2-S1】

《生体負荷:Grade 2》

《防護投射機構:NORMAL》

《高負荷運用:TERMINATED》

《回復工程:REQUIRED》

 

 研究員がB2-H1の損傷記録を開き、バグパイプが左前脚に破城矛を打ち込んだ場面を再生した。

 

『予定捕獲経路からの逸脱を確認。H1左前脚駆動部損傷後、第二捕獲区画へ切り替えています』

 

 管理室の奥で映像を見ていた研究主任らしき人影は、脚部が破壊された瞬間ではなく、その直前にバグパイプが攻撃箇所を選んでいる場面まで記録を戻した。

 

『ちゃんと離れたところを選んでるのね』

 

 研究員は映像上の距離情報を表示した。

 

『生体ユニット中央固定点から最遠の前脚駆動部です』

 

『でしょう?中央を狙った方が早かったのに、わざわざホルンから遠い場所を選んだの』

 

 主任の声に苛立ちはなかった。

 むしろ、愛おしいものを見つけたような柔らかさがあった。

 

『強いだけじゃなくて、とても優しい子ね』

 

 研究員が次の報告へ移る。

 

『B2-H1プラットフォームの修理が必要です。生体側の回復工程と並行可能です』

 

『なら、ホルンも一緒に休ませてあげて。あの子の脚が壊れたままじゃ落ち着かないでしょうし、今日はもう十分働いてもらったもの』

 

『回復工程へ移行します』

 

『サイラッハは?』

 

『生体負荷Grade 2。変換効率は許容範囲。追加運用は不要です』

 

 主任は表示された生体データを眺め、僅かに眉を下げた。

 

『まあ……随分疲れちゃったわね。髪もまた色が落ちてるでしょう?』

 

『毛髪光沢および彩度は基準値以下です。回復工程で復帰可能と予測します』

 

『今日はもう入力を全部落としてあげて。循環も水分もきちんと整えて、髪の色が戻るまでゆっくり休ませましょうね』

 

『処置を開始します』

 

 主任はそこでようやく、別の画面へ視線を移した。

 

 搬送中のバグパイプについて、既存資料と今回取得された実戦データが統合されている。

 

《対象:BAGPIPE》

《種族:VOUVRE》

《感染状況:NEGATIVE》

《身体強度:EXCELLENT》

《生理的耐性:EXCELLENT》

《戦闘技術:EXCELLENT》

《アーツ適性:STANDARD》

《生体アーツユニット適合予測:HIGH》

 

 その下へ、作戦中の評価が追加されていく。

 

《誘導察知:EARLY》

《撤退判断:APPROPRIATE》

《味方退避:SUCCESS》

《対CRUCIBLE戦闘継続能力:HIGH》

《想定捕獲経路:DEVIATED》

《多関節拘束アーム負荷:ABOVE PREDICTION》

 

 さらに別の欄では、H1による砲撃誘導の結果が表示されていた。

 

《B2-H1火力誘導モデル:VALID》

《ヴィクトリア式戦術記録補正:EFFECTIVE》

 

 主任はそれを確認したあと、再びバグパイプの戦闘映像へ戻した。

 

 B2-S1の防壁へ負荷を掛ければ突破できる可能性がありながら、自ら攻撃を止めた場面。

 

 B2-H1へ接近した時も中央部を避け、前脚だけを破壊した場面。

 

 さらに二機の包囲を一度突破し、第二捕獲区画へ到達したあとも、多関節拘束アームの固定基部を動かしかけるほど抵抗した場面。

 

『候補に選んだ時より、ずっと好きになったわ』

 

 研究員はその発言自体には反応せず、搬送中の対象の状態を表示した。

 

『上腕、腰部、下腿にアームによる圧迫痕があります。基礎測定値への影響は軽微です』

 

『測れるかどうかは聞いてないわ』

 

 主任の声は少しも強くならなかった。

 

『あの子の身体は、あの子だけのものなのよ。こんなところで傷痕を残すことないでしょう?腕も脚も、元通り綺麗に治してあげてね』

 

『皮膚および軟部組織の治療を測定工程より優先します。工程遅延は発生しません』

 

『そうしてちょうだい。髪も随分乱れてるわ。洗って、絡まないようにきちんと整えてあげて。せっかく綺麗なんだから、傷める必要なんてないもの』

 

『衛生・毛髪管理工程を追加します』

 

 主任はバグパイプの安定した生命兆候をしばらく眺めた。

 

『二人を探しに来たのに、自分まで捕まってしまったんだもの。怖かったでしょうね』

 

 そこに嘲りはなかった。

 本当に気の毒そうに、ただ静かに言っている。

 

『鎮静後の覚醒予定を遅延させますか?』

 

『ええ。今日はもう何もしなくていいわ。よく眠らせてあげて。水分も栄養も整えて、疲れが全部抜けてから測りましょう』

 

『回復優先設定へ変更します。基礎測定開始を延期します』

 

 新しい工程が画面へ追加された。

 

《負傷処置:PRIORITY》

《生体状態:STABILIZE》

《休息工程:EXTENDED》

《次工程:BASELINE MEASUREMENT》

 

 さらに別の画面では、捕獲以前から設定されていた運用候補と、今回の実戦データが統合されている。

 

《捕獲前運用候補:DIRECT BREAKTHROUGH》

《実戦データ統合:COMPLETE》

《要求性能:瞬間突破》

《第一世代第三号機設計方針:APPROVED》

 

 主任は、回収された破城矛と、二機の包囲を抜けるため全力で走るバグパイプの映像を並べた。

 

『自分の脚で走って、自分で進む場所を選んで、邪魔なものがあれば自分で突き破ってきたのね』

 

 言葉には皮肉ではなく、相手そのものを気に入った者の愛情があった。

 

『その子らしいところは、ちゃんと残してあげたいわ』

 

 主任は承認済みとなった設計項目へ指先を触れる。

 

『だから今は、ゆっくり休んでいてもらいましょう。元気になったら、あなたに一番似合う身体を、ちゃんと作ってあげるから』

 

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