異世界を跨ぎし二つの怪物が、いま漆黒の森の中で交差しようとしていた。
夜の帳が下りた大森林の片隅で、ゆらゆらと揺れる焚き火の火種。香ばしい甘辛い香りと、爽やかな柚子の甘酸っぱい芳香、そして鶏肉の脂が跳ねて炭に落ちるパチパチという音が、静寂に満ちた夜の空気を支配していた。
「ぬっ……そろそろ良い焼き加減ではないか、ムコーダ?」
巨大な身体を丸め、鼻を鳴らしながら焚き火の上の鉄板を凝視しているのは、伝説の魔獣・フェンリルのフェルだ。その隣では、ぷるぷる揺れる小さな青い水滴のようなスライムのスイが、「スイ、おにくたべたいー! くだちゃいー!」とポヨンポヨン跳ねている。さらに上空では、体長十センチほどのピクシードラゴンであるドラちゃんが、「おいおいムコーダ、焦がすなよ!? 柚子胡椒のやつはオレの一番のお気に入りなんだからな!」と羽を羽ばたかせながら督促していた。
「わかった、わかったから落ち着けって! 今切り分けてやるから!」
異世界に召喚されながらも、固有スキル『ネットスーパー』を駆使して旅を続ける平凡なサラリーマン、ムコーダ(向田剛志)は、額の汗を拭いながらトングを振るっていた。
今夜のメニューは、ネットスーパーの最高級ブランド食材コーナーから取り寄せた『奥久慈しゃも』の柚子胡椒焼きだ。
引き締まった奥久慈しゃものもも肉に塩コショウを振り、じっくり皮目からパリッと焼き上げる。仕上げに大分県産の無添加柚子胡椒を特製ダレとともに絡めれば、立ち上る香気だけで白飯が三杯食える逸品となる。
「よし、フェル、スイ、ドラちゃん、出来上がりだぞ」
木皿に盛り付けられた絶品の肉を配ると、三頭(?)は待ってましたとばかりに貪りつき始めた。
「むむむ……! この鶏肉の歯ごたえ、噛めば噛むほど溢れ出る濃厚な旨味! そしてこの緑の調味料……ピリリとした辛みと清涼感のある香りが、肉の脂を見事に昇華させておる! 素晴らしいぞ!」
「おいしいー! からいけど、すっぱくておいしいー!」
「うっはー! やっぱり柚子胡椒は最高だな! 皮のパリパリ感と肉汁がたまらん!」
相変わらずの食欲に苦笑しながら、ムコーダも自分の分の肉を一口頬張る。
奥久慈しゃも独特の力強い弾力と、爽やかな柚子胡椒の辛みが口いっぱいに広がり、思わず「うま……」と声が漏れた。
だが——その平和で至福の時間は、一瞬にして砕け散ることとなる。
微かな、あまりにも微かな風の揺らぎ。
落ち葉が一枚、擦れ合う音すら立てずに地面に落ちたような、完璧に気配を殺した「何か」が、焚き火の明かりが届くか届かないかの境界線に現れた。
「——誰だ!?」
一番最初に反応したのは、やはり伝説の魔獣フェルだった。
フェルは喰い散らかしていた皿から顔を上げると、全身の毛を逆立て、低い唸り声を上げた。その瞳には、普段の食いしん坊な面影など微塵もなく、神話の時代から生きる神獣としての圧倒的な殺気が宿っていた。
「フェ、フェル……? どうしたんだよ急に……」
「ムコーダ、下がるのだ。……タダ者ではない。この気配、尋常ではないぞ」
「スイもー! あるじを守るのー!」
スイが体内から猛毒の酸を生成し、体を攻撃形態へと変形させる。
「おいおい、なんだありゃ……気配がまったく感じられなかったぞ!? 急に湧いて出たみたいだ!」
ドラちゃんも全身の魔力を高め、鋭い眼光で闇の先を睨みつけた。
焚き火の光が照らし出したのは、二人の人物だった。
一人は、銀髪に碧眼を持つ美しい少年。その立ち姿は優雅でありながら、隙という隙が一切存在しない。
もう一人は、黒髪の可憐な少女。手に握られたナイフには、黒ずんだ血液が付着している。つい先ほどまで、致命的な「仕事」をこなしてきたばかりであることは明白だった。
世界最高の暗殺者が異世界に転生した姿——ルーグ・トゥアハーデと、その従者であるタルトであった。
「……ふむ。気配は消していたつもりだったのだがね。さすがは伝説の魔獣フェンリル、それにピクシードラゴンか。一筋縄ではいかないようだ」
ルーグは静かに呟くと、腰のシースから特製の魔導ナイフへと手を伸ばす。
その所作一つひとつに無駄がなく、洗練された死の香りが漂っていた。
(な、なんだありゃあぁぁぁ!? なんだあの殺気!? 死ぬ! 触れただけで死ぬ!!)
ムコーダの毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出す。レベルを上げたとはいえ、本物の「本職の殺し屋」が放つ氷のような殺意には、魂が凍りつきそうだった。
だが、フェルが警戒していたのは、ルーグの強さだけではなかった。
「……異質だな、小僧」
フェルが低く尊大な声で言い放つ。
「貴様……その魂の質、この世界の住人のものではないな? それに、その体に刻まれた魂の記憶……幾千、幾万の命を効率的に奪う術を知る『死神』の匂いがするぞ」
「……何?」
ルーグの碧眼が、微かに細められた。
ルーグ・トゥアハーデの前世——それは、地球において「世界最高の暗殺者」と呼ばれた男。老齢に至るまで組織の道具として生き、無数のターゲットを抹殺してきた暗殺の天才だ。
その魂の深層を、フェンリルは一瞬で見破ったのだ。
「前世の魂……? ルーグ様、何を言っているのですか、あの魔獣は……?」
タルトが困惑しながらナイフを構え直す。
「……警戒を怠るな、タルト。あのフェンリルは本物だ。僕たちの『仕事』が終わった直後の疲弊した状態では、正面突破は極めてリスクが高い」
ルーグは思考を高速で回転させていた。
依頼された貴族の暗殺を完遂し、離脱途中に見かけた謎の野営地。そこから漂うあまりにも異常で美味しそうな香りに一瞬足が止まったのは事実だが、まさかフェンリルやピクシードラゴンを従えた男がいるとは想定外だった。
対立すれば、両者タダでは済まない。超広範囲攻撃魔術を展開するか——?
殺伐とした空気が破滅へと向かって膨れ上がっていく。フェルの口内に風の超上位魔術が収束し始め、ルーグの指先が超質量弾丸(ガンナー)の起動術式を描きかける。
(あ、アカン!! これ巻き込まれて俺が死ぬ奴だ!!! 誰か止めてえぇぇぇ!!)
死の恐怖が限界に達したムコーダの脳裏に、ひらめきが走った。
殺気立つ二組の化け物たちの間に立っているのは……そう、今まさに焼き上がったばかりの『奥久慈しゃも柚子胡椒焼き』の香ばしい煙だ!
「ま、待ってくれぇぇぇ!!」
ムコーダはなりふり構わず、フェルとルーグの間に飛び出した。
「ムコーダ!? 下がれと言っているのが分からんのか!」
「ごしゅじん、あぶないよー!」
「待って! 争うつもりはないんだ! 俺たちはただの旅の商人……いや、料理好きの冒険者でね! もしよかったら……その、腹が減ってるなら、これ、食べていかないか!?」
ムコーダは震える手で、予備の木皿に盛り付けたばかりの『奥久慈しゃも柚子胡椒焼き』を差し出した。
「……は?」
タルトがポカンと口を開ける。
ルーグも一瞬、完璧な思考回路がフリーズした。
死闘が始まろうかという極限状態において、差し出されたのは——焼き立ての鶏肉料理。
「……料理だと? 僕たちを毒殺するつもりか?」
「そんなわけないだろ! ほら、俺も自分で食ってみせるから!」
ムコーダは自分のお皿から肉を一口パクリと食べた。
「うむ、我らに毒など効くか。それにムコーダの飯に文句をつける奴は、我が噛み殺す」とフェルが横で念を押す。
ルーグは目の前の肉を観察した。
パリッと香ばしく焼き上げられた皮目、そこから染み出す透明な肉汁。そして何より、肉の上にちょこんと乗せられた緑色のペースト——。
(待て……あの香りは……柚子? いや、唐辛子と塩を合わせた……まさか、柚子胡椒……!?)
ルーグの前世の記憶が、猛然と揺さぶられた。
前世で日本という国に生まれ育ち、数々の任務をこなす中で口にした、あの洗練された和食の記憶。この異世界(アールヴァン)には存在しないはずの、繊細にして完璧な調味料の香り。
「ルーグ様、お気をつけください! 罠かもしれません!」
「……いや、タルト。毒の検知術式を起動したが、反応はない。それどころか……」
ルーグはゴクリと喉を鳴らした。
暗殺者として徹底的に鍛え上げられた冷徹な自制心が、肉の放つ芳香によって急速に麻痺していく。
さらに、森の奥からササッと素早い影がいくつも飛び出してきた。
「ルーグ様! 遅いと思ったら何をしているのですか……って、な、なんですかこの美味しそうな匂いは!?」
現れたのは、ルーグの暗殺組織の隠れ蓑であるトゥアハーデ商会の陰の立役者であり、情報収集や流通を担う美少女・マーハ、そして暗殺部隊の増援たちであった。
「マーハ!? なぜここに……」
「ルーグ様たちが予定時間を過ぎても戻られないので心配して追ってきたのですが……ちょっと待ってください、フェンリル!? それにその手に持っているのは何ですか!?」
マーハの鼻がクンクンと蠢く。彼女もまた、トゥアハーデ商会の代表として美味いものはそれなりに知っているはずだったが、この空間を支配する香りは次元が違った。
「みんな……とりあえず、武器を収めてくれ。……いただくよ、ムコーダとやら」
ルーグはナイフを収めると、ムコーダから皿と箸(なぜかムコーダは当たり前のように箸を差し出していた)を受け取った。
「ルーグ様、本当に食べるのですか!?」と焦るタルトをよそに、ルーグは奥久慈しゃもの肉片を一口、口へと運んだ。
——瞬間。
ルーグの頭の中で、壮大なシンフォニーが鳴り響いた。
(——なっ……!? なんという歯ごたえ!!)
噛み締めた瞬間に跳ね返すような、力強い鶏肉の弾力。それでありながら、嫌な硬さは一切なく、噛むほどに旨味の奔流が溢れ出してくる。
そして、その脂の旨味を追うように押し寄せる、爽快な柚子の香りと、舌を鋭く刺激する青唐辛子のピリッとした辛み!
(旨い……! 旨すぎる!! 前世で食した最高級の地鶏料理をも凌駕している……! なぜだ!? なぜ異世界の、こんな深い森の野営地で、これほど完璧な日本食が再現できる!? 焼き加減、塩加減、そしてこの柚子胡椒の品質……どれをとっても完璧だ!!)
ルーグの青い瞳が、感動のあまり大きく見開かれていた。
「ル、ルーグ様……? 大丈夫ですか……!?」
不安そうに見つめるタルトに、ルーグは無言で肉を一片、彼女の口へと放り込んだ。
「ひゃんっ!? ……ん、んぐ。……ん、んんんっっ〜〜〜〜っ!?」
タルトの顔が一瞬で真っ赤になり、続いて至福の表情へと変わる。
「な、なんですかこれぇぇぇ!? お肉がっ、お肉がすっごくジューシーで、皮がパリパリで……! この緑の辛くてすっぱい薬味覚が、お口の中で弾けて……っ! 美味しい! 美味しすぎます、ルーグ様ぁぁぁ!」
「ちょっとタルト、私にも食べさせなさいよ!」
辛抱たまらなくなったマーハが、ルーグの皿から素早く肉を奪ってパクリ。
「〜〜〜〜〜〜っっっ顔!!?」
マーハは両頬を両手で押さえ、その場にへたり込んだ。
「嘘でしょ……なにこれ……我がトゥアハーデ商会が開発したどの高級料亭の料理よりも美味しいわ……! この奥深い調味料は何!? 旨味が……旨味が暴走してる!!」
増援としてやってきた暗殺部隊の猛者たちも、配られた肉を一口食べた瞬間、全員が「うおおおっ!」「美味い、美味すぎる!」「心が洗われるようだ……!」と涙を流しながら貪り食い始めた。
さきほどまでの殺伐とした死闘の予感はどこへやら。
そこには、絶品料理に魅了された腹ペコ集団と、それを満足そうに眺めるフェルたち(「ふはは、人間どもめ、ムコーダの料理の前にひれ伏すのだ!」)、そして「なんとか生き延びた……」と胸を撫でおろすムコーダの姿があった。
◇
全員が奥久慈しゃもを平らげ、満足感に浸りながらお茶を飲んでいる頃。
ルーグはすっと立ち上がり、ムコーダの元へ歩み寄った。
「ムコーダ殿。……少し、二人だけで話がしたい」
「え? あ、ああ……いいけど」
フェルが「む、ムコーダに何かしたら承知せんぞ」と目を光らせたが、ムコーダは「大丈夫だから」と宥め、少し焚き火から離れた大きな木の下へと移動した。
夜風が心地よく二人の頬を撫でる。
ルーグは静かに口を開いた。
「……まず、先ほどの無礼を謝罪させてほしい。僕の名はルーグ・トゥアハーデ。……そして、フェンリルが言った通り、僕は一度死に、前世の記憶を持ったままこの世界に転生した人間だ」
「えっ……本当に転生者なのか!?」
ムコーダは驚きを隠せなかった。自分は「召喚」された身だが、目の前の少年は「転生」してきたというのだ。
「ああ。僕の前世は……地球で『暗殺者』をしていた。だからこそ、君が振る舞ってくれたあの料理の異常性が理解できた。あの鶏肉の質、そして柚子胡椒……あれは、アールヴァンの産物ではないだろう?」
ルーグの鋭い瞳がムコーダを見つめる。
観念したムコーダは、ため息をつきながら自分のスキルについて明かした。
「……ハァ、やっぱりバレてたか。そうだよ。俺は『ネットスーパー』っていう固有スキルを持っていてね。元の世界……日本の商品を、金を払えばいつでも取り寄せることができるんだ」
「ネットスーパー……! まさか、現代日本の物流システムをそのまま異世界に引き込んでいるというのか……!?」
ルーグの頭脳に激震が走った。
前世の知識を持つルーグだからこそ、それがどれほど常識外れで、とてつもない価値を持つかが理解できる。流通コストゼロ、鮮度保持完璧、そして地球の高度な食品加工技術の製品を無限に供給できるのだ。
「ああ。最初は普通のスーパーの品揃えだけだったんだけど……俺のレベルが上がるにつれて、ネットスーパー内に新しいコーナーがどんどん追加されていってね」
ムコーダは空中に入力画面(他の者には見えない)を呼び出し、指先でスクロールしながら説明を続けた。
「最初はイオンっぽい普通のスーパーだったんだけどさ。最近、アップデートで一気に解放されたんだよ。……ほら」
「何が追加されたんだ……?」ルーグが身を乗り出す。
「まずは『カルディ(KALDI)』コーナー。輸入食品や珍しい調味料、生ハムやチーズ、コーヒー豆なんかが手に入るようになった。それから『成城石井』。高級スーパーだな。質の高いお惣菜やプレミアムチーズケーキ、自家製ソーセージなんかが買える」
「成城石井……! あの高品質で知られる高級スーパーか!」
「そうそう。さらに魚好きにはたまらない『角上魚類』コーナー。新鮮な刺身や築地直送レベルの魚介類が手に入る。それから日常使いに最強の激安高品質スーパー『OK(オーケー)』コーナー。ピザやカツ丼が格安で美味いんだ。お酒好きには『クランド(KURAND)』コーナー。全国の酒蔵のクラフト酒や、珍しい果実酒が取り寄せられる」
ムコーダは少し誇らしげに、最後にその店の名前を挙げた。
「そして……日本が誇る最強のお菓子メーカー『シャトレーゼ』コーナーだ。ケーキや和菓子、洋菓子、そして最高のアイスクリームが全部揃ってるんだよ」
「……ッ!!」
ルーグは息を呑んだ。
カルディ、成城石井、角上魚類、OK、クランド、そしてシャトレーゼ……!
日本の食文化の極致とも言える名店たちのラインナップ。それが、この異世界の森の中で、指先一つで召喚できるというのか。
ルーグの頭の中で、完璧な計算と——そして一つの「切実な野望」が組み上がった。
ルーグは静かに、しかし力強くムコーダの肩を掴んだ。
「……ムコーダ殿。頼みがある」
「え、えぇ!? なに、急に!?」
「来週……僕の婚約者であるディアの実家、ヴィコーネ領にて、周辺の有力貴族を集めた大規模な社交パーティーが行われるんだ」
「は、はあ……貴族のパーティー?」
「そこで……君に、料理を振る舞ってほしい」
「はあああああ!? いやいやいや! 無理無理無理!! 俺ただの一般人だよ!? 貴族のパーティーで料理なんか作れるわけないだろ!」
ムコーダは全力で手を振って拒否した。貴族などという面倒くささの極みみたいな存在に関わったら、どんな目に遭うか分かったものではない。
だが、ルーグの目は真剣そのものだった。
「理由は二つある。一つは、そのパーティーに集まる貴族たちの中に、トゥアハーデ商会のライバルであり、裏で毒薬の密売を行っている悪徳貴族がいる。彼らを食で圧倒し、トゥアハーデの絶対的な優位を決定づけたい」
「そんなの俺を巻き込まないでくれよ!」
「そしてもう一つ……これが最も重要だ」
ルーグは真顔で、恐ろしいほどの圧力を込めて言った。
「ディアに……そしてタルトやマーハに、世界で一番美味しいものを食べさせてあげたいんだ。今日の柚子胡椒焼きを食べた瞬間、理解した。君のネットスーパーから提供される日本の食は、この世界のどんな宮廷料理人にも生み出せない究極の至高だ」
「理由の二つ目が急に重い甘党の意見になってるんだけど!?」
「受けてくれないか……? もちろん、報酬は金貨百枚でもそれ以上でも支払う。トゥアハーデ家の名において、君の安全は絶対に保障する」
そう言ってルーグは、暗殺者特有の冷徹で美しい笑みを浮かべた。
(断ったら……夜道で消されるんじゃなかろうか……!?)
ムコーダの直感が警報を鳴らし続ける。断るという選択肢は、実質的に存在しないように思えた。
腹をくくったムコーダは、汗をダラダラ流しながら言った。
「……分かったよ! 作ればいいんだろ、作れば! ただし、パーティーの料理は俺のネットスーパーの食材を使うし、仕込みの手伝いはタルトちゃんたちにもやってもらうからな! それと……」
ムコーダは画面を操作し、新しく解放された『シャトレーゼ』のコーナーを開いた。
「とりあえず、交渉成立の証だ。これ、食べてみてくれ」
ムコーダが『ネットスーパー』のカートに入れて購入し、出現させたのは——銀色のパッケージに包まれた、シャトレーゼの看板商品。
『チョコバッキー バニラ』
冷気を纏ったアイスキャンディーを、ムコーダはルーグに渡した。ついでに、焚き火の元へ戻り、タルトとマーハ、そしてフェルたちにも配る。
「なんですか、このキンキンに冷えた棒状のお菓子は……?」
タルトが不思議そうにアイスを見つめる。
「これは『チョコバッキー』っていうアイスだ。溶ける前に早く食べてみな」
ルーグ、タルト、マーハの三人は、半信半疑でチョコバッキーに噛みついた。
パリッ、ゴリッ。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!?」
一瞬間をおいて、三人の顔が衝撃で固定された。
「な……なんだこの食感は……!?」
ルーグが目を見開く。
「バニラアイスの濃厚で優しい甘さの中に、ランダムに練り込まれたチョコレートが……パリッとしたり、ゴリッとしたり、一口ごとに全く違う食感を叩き込んトラックのように襲ってくる……! チョコレートの層が、信じられないほど分厚い部分もある!?」
「おいしい……! 美味しすぎますルーグ様ぁぁぁ!!」
タルトは頬を抑えて涙目を浮かべていた。
「冷たくて甘いバニラと、この歯ごたえのあるチョコの組み合わせ……こんな贅沢なお菓子、見たことも食べたこともありません! 噛むたびに『バキッ』って音がして、とっても楽しいです!」
「ちょっと待ちなさいよこれ……!」
マーハに至っては、商業的な価値を計算しようとして途中で頭のキャパシティがオーバーしていた。
「冷やして固める魔法具すら希少なこの世界で、こんなに完璧な温度管理と、チョコレートのパリパリ感を維持したスイーツだなんて……! もしこれをトゥアハーデ商会で独占販売できたら、一国が買えるわよ……!?」
三人は完全にチョコバッキーの毒気(あまりの美味さ)にやられ、あっという間に一本を平らげてしまった。
「……ふっ、人間どもめ。アイスの美味さに驚くのは当然だな。だがムコーダ、我の分はどうした?」
フェルがジト目で迫ってくる。
「あーはいはい、フェルにはプレミアムバニラカップね。スイにはストロベリー、ドラちゃんにはチョコね」
「わーい! つめたくてあまーい!」
「うっひょー! やっぱり冷たいやつは最高だな!」
大自然の暗闇の中、フェンリルもピクシードラゴンも、そして世界最高の暗殺者集団も、全員がシャトレーゼのアイスを頬張りながら、至福の吐息を漏らしていた。
一本食べ終えたルーグは、棒を静かに置くと、ムコーダに向かって深く頷いた。
「……完璧だ、ムコーダ殿。来週のヴィコーネ領でのパーティー……君の『ネットスーパー』の力を存分に振るってほしい。デザートには、必ずこの『チョコバッキー』を含めたシャトレーゼの品々を出してくれ。……貴族どもを、食の暴力で叩きのめそう」
「叩きのめすって物騒な言い方すんなよ……」
ムコーダは肩を落としながらも、覚悟を決めた。
世界最高の暗殺者ルーグ・トゥアハーデと、異世界放浪飯のムコーダ。
前世の記憶を持つ二人の男が手を取り合い(?)、来週、貴族社会の常識を覆す怒涛の「ネットスーパー無双フルコース」が幕を開けるのだった——!
深夜の密約を経て、ムコーダ御一行はルーグの手引きによってトゥアハーデ家の本拠地へと足を踏み入れていた。
表向きは男爵位を持ちながら、裏では王国の暗部を支える「暗殺貴族」トゥアハーデ家。その邸宅は質素でありながら、防衛陣地としての機能と洗練された気品が同居する独特の静謐さを漂わせている。
「——ここが僕の実家だ。ムコーダ殿、歓迎するよ」
ルーグに案内されて足を踏み入れた応接間。そこで待ち受けていたのは、ルーグの父親であり当主のキアン・トゥアハーデ、そして母親のエスリであった。
「ルーグから話は聞いているよ。君が噂の……旅の珍しい食材を扱う商人さんかい?」
「うむ、遠路はるばるよく来てくれたね。ルーグがこれほど他人に強い興味を示すのは珍しい。大歓迎するよ」
威厳の中にも深い温かみをたたえたキアンと、優しく微笑むエスリ。
(ひぇぇぇ……! 表向きは優しそうだけど、この二人も本物の『暗殺者』なんだよな……!? 佇まいの隙がなさすぎる!!)
小心者のムコーダの背中に、冷や汗がすっと一筋流れる。だが、いくら怯えていても何も始まらない。ムコーダは「郷に入っては郷に従え」の精神で、挨拶代わりの進物を取り出すことにした。
「あ、あの……はじめまして、ムコーダと申します! 本日はお招きいただきありがとうございます。これは、ほんの気持ちなのですが……」
ムコーダが『ネットスーパー』の『クランド(KURAND)』コーナーから取り寄せたのは、深みのある漆黒の高級箱に収められた一本の瓶——熟成梅酒『KASANE』である。
「これは……酒か? だが、この瓶の質感、そして箱の意匠……ただものではないな」
キアンの目が一瞬で鋭くなった。暗殺者として毒や薬物、そして酒類の品質には人一倍厳しい目が光る。
「はい、これは『KASANE』というお酒でして……初仕込みから長年の熟成を重ね、さらに追いをかけて深い香りと重厚な味わいを引き出した、極上の熟成梅酒なんです。冷やしてストレートでも、少し温めても美味しくいただけます」
「ほう……梅の酒か。異世界の……いや、君の故郷の酒だな」
キアンはガラス杯を用意させると、慎重に『KASANE』の栓を抜いた。
その瞬間、応接間いっぱいに広がるのは、芳醇で香ばしく、時の重なりを感じさせる甘美で重厚な香り。
「なっ……なんて芳しい香りと色合い……!」
エスリが思わず感嘆の声を漏らした。琥珀色に輝く液体がグラスに注がれると、キアンはそれを静かに口に含んだ。
「〜〜〜〜っ!?」
キアンの目が見開かれた。
「これは……! 濃厚な甘みと重厚な酸味が絶妙な層となって押し寄せてくる! それでいて後味は極めて上品で、喉を過ぎた後に鼻に抜ける香ばしさが格別だ……! 十年もの歳月と熟練の職人技がなければ、こんな味は絶対に醸し出せん……!」
「あらあらいやだ、あなた一人で楽しんで……私にもちょうだい。……んっ、まあああっ! なんて優雅で深みのあるお味! これ、社交界の淑女たちが口にしたら、間違いなく卒倒しますわよ!?」
ルーグの両親の絶賛ぶりに、ムコーダは胸を撫でおろした。
だが、この『KASANE』がもたらした衝撃は、単なる進物にとどまらなかった。
トゥアハーデ家に滞在している間、情報を聞きつけた周辺の有力貴族や、トゥアハーデ家と交友のある高位の者たちが「あの幻の酒を一口飲ませてくれ」と次々に押し寄せてきたのだ。
「キアン殿! 噂の熟成酒を一口だけでいい、私に味わわせてくれ!」
「あの豊潤な香りは何事だ!? 我が領地の酒造技術では逆立ちしても届かんぞ!」
邸宅のサロンで繰り広げられる、貴族たちの醜くも必死な試飲合戦。
ムコーダはおびえながら追加の瓶をネットスーパーで買い足して振る舞う羽目になったが、その狂乱の陰で、冷徹に観察を続けている少年がいた。
ルーグ・トゥアハーデである。
(……なるほどね。あの酒を前にして、己の欲望を隠しきれずに身乗り出してくる者、逆に平静を装いながらこちらの反応を探ってくる者……。対立勢力の過激派と慎重派のラインがはっきりと見えたよ)
グラスを傾けるフリをしながら、ルーグは貴族たちの視線、手つき、呼吸の乱れから、対立勢力の力量と腹積もりを完璧に見極めていた。ムコーダの持ってきた『KASANE』は、最高レベルの「情報収集の撒き餌」として機能したのだった。
◇
そして——ついに迎えたパーティー当日。
会場は、ディアの実家であるヴィコーネ領の大貴族邸。豪華絢爛な大ホールには、色とりどりのドレスを纏った貴族たちや、領地の重鎮、そしてトゥアハーデ商会と対立する悪徳貴族一派が集結していた。
華やかな音楽の裏で繰り広げられる、視線と皮肉の応酬。腹の探り合いと暗闘。
そんな毒々しい雰囲気を一変させたのは、厨房から漂ってきた見たこともない「香り」と、厨房から運ばれてきた最初のグラスだった。
「皆様、本日のフルコースをお披露目いたします」
ルーグの合図とともに、タルトやマーハ、そしてエプロン姿で腹を括ったムコーダが給仕としてホールへと姿を現した。
【食前酒:クランドから取り寄せた 奇跡のクラフトジャスミンハイ】
運ばれてきたのは、透明感のあるグラスに注がれた薄い黄金色の液体。
グラスがテーブルに置かれた瞬間、周囲にふわりと舞い散ったのは、異国の神秘的な花——ジャスミンの可憐で華やかな香りだった。
「な、なんだこの香りは……? 花の芳香……いや、酒なのか!?」
貴族たちがざわめくなか、主賓であるディアが真っ先にグラスを口にした。
「ん……っ!? さわやか……! お口の中に、満開のお花畑が広がるみたい! お酒のコクもしっかりあるのに、少し甘くて、とっても飲みやすいわ!」
この『奇跡のクラフトジャスミンハイ』は、日本茶の名産地・静岡県産の「一番摘み」茶葉と、希少な国産ジャスミンの花だけを使用し、本格麦焼酎に漬け込んで煮出したジャスミンティーで割ったという贅沢極まりない逸品だ。
「おおお……! なんという爽快感! ピリついたパーティーの空気が、一瞬で華やぐようだ!」
「このような気品あふれる食前酒、見たことがないぞ!」
貴族たちは一口でその虜になり、会場のピリついた空気は一気に和らいだ。スタートダッシュは大成功である。
【前菜:カルディから取り寄せた 生ハムとランプフィッシュキャビアのライムリーフドレッシング和え】
続いて運ばれてきたのは、美しいガラス皿に盛られた前菜。
しっとりとした熟成生ハムの上に、宝石のように黒く輝くランプフィッシュキャビア。そこにカルディから取り寄せたライムリーフ(バイマックルー)爽やかなエスニックドレッシングが回しかけられている。
「うわぁ……! 生ハムの程よい塩気と、キャビアのプチプチした食感がたまらないわ!」
配膳を手伝うタルトが、小声でムコーダに耳打ちする。
「ムコーダ様……このドレッシング、柑橘とも薬草とも違う、すごく爽やかで『異国感』が漂っていますね! どこか遠い異国の大陸に旅に来たみたいです!」
「だろ? カルディのドレッシングはエスニック系に強いんだよ」
ムコーダが胸を張る。貴族たちも「この黒い卵の塩気とドレッシングの清涼感が完璧に調和している!」と大絶賛だ。
【スープ:OKと角上魚類から取り寄せた 加賀野菜の海鮮マーラータン・刀削麺入り】
次に運ばれてきたのは、真っ赤なスープから立ち上る熱気と、痺れるスパイスの香りが強烈なスープ料理だ。
角上魚類から取り寄せた新鮮な海鮮(エビ、ホタテ、イカ)の出汁をベースに、OKで手に入れた加賀野菜(加賀太きゅうりやレンコン、加賀ナス)がゴロゴロと入り、モチモチとした食感の「刀削麺」が沈んでいる。
「ふぁ……っ!? か、辛い……!! お口が痺れるぅぅぅ!!」
一口食べたディアとタルトが、涙目になって「はひー、はひー」と口を煽ぎ始めた。
ふたりには刺激が強すぎたようだが——。
「む!? な、なんだこの刺激は……! 辛い、痺れる……だが、止まらん!!」
「海鮮の濃厚な出汁と、この見たこともない野菜の甘みが、辛さの奥から溢れ出してくるぞ!」
「このツルツルした太い麺の食感も素晴らしい! 身体の底から熱力が湧き上がってくるようだ!」
日頃から贅沢と酒で胃腸が疲弊していたおじさん貴族たちに、この刺激的かつ旨味に溢れたマーラータンが大ウケ! 汗をダラダラ流しながらスープを飲み干す貴族が続出した。
【魚料理:角上魚類から取り寄せた のどぐろの炭火焼き】
熱狂する会場に運ばれた魚料理は、角上魚類が誇る最高級の白身魚——『のどぐろ(アカムツ)』のシンプルな炭火焼きだ。
絶妙な塩加減で焼き上げられたのどぐろは、皮目はパリッと香ばしく、箸(フォーク)を入れると、白身とは思えないほどの脂がジュワッと溢れ出す。
「……ッ!! なにこれ……っ!?」
辛さに耐えていたディアが、のどぐろを一口食べた瞬間、目を丸くした。
「お魚なのに……お肉よりジューシーで、お口の中で脂が甘く溶けていく……! こんな美味しいお魚、今まで食べたことないわ! ルーグ、ねえルーグ! このお魚、どこから仕入れたの!? ヴィコーネ領でも仕入れられるの!?」
ディアがルーグの服の袖を引っ張って激しく詰め寄る。
「……さあね。トゥアハーデの極秘の流通ルートとしか言えないよ。ね、ムコーダ殿?」
ルーグは涼しい顔で微笑み、ムコーダに目配せしてはぐらかした。
(角上魚類直送なんて言えるわけないだろ……!)とムコーダは心の中で冷や汗をかいた。
【サラダ:カルディとOKから取り寄せた パンチェッタと京野菜のシーザーサラダ・成城石井のシーザードレッシングを添えて】
お口直しのサラダには、OKの香ばしいパンチェッタ(塩豚)のカリカリ炒めと、京野菜(九条ねぎや水菜)のシャキシャキ感を活かしたシーザーサラダ。そこに成城石井の特製濃厚シーザードレッシングがたっぷりとかけられている。
「……旨い。チーズの濃厚なコクと、野菜の瑞々しいシャキシャキ感が完璧だ」
キアンとエスリも、このサラダのクオリティに深く唸っていた。
実はパーティーの最中、ルーグの両親はトゥアハーデ家の専属料理人たちに「このサラダを厨房で今すぐ再現してみろ」と密かに命じていた。しかし、料理人たちは四苦八苦。
「だ、ダメですキアン様! このドレッシングの濃厚な乳化とチーズの熟成具合、そして何よりこの異国の野菜独特の繊維の柔らかさと甘みは、我が領地の野菜では絶対に再現できません!」
ルーグはその報告を聞き、密かに納得していた。
(当然だね。京野菜やマーラータンに使われた加賀野菜は、地球の日本の特定の土壌と気候、そして数百年の品種改良によって作られた代物だ。この異世界の土壌で再現するのは不可能に近い)
【メイン1:ほりにしのスパイスで焼き上げた ブラッディーホーンブルのブリスケット】
そしてメインディッシュ第一弾。
異世界の高級魔獣『ブラッディーホーンブル』のカタバラ肉(ブリスケット)を、万能調味料『アウトドアスパイス ほりにし』をこれでもかと揉み込み、低温でじっくり時間をかけて燻製焼きにした逸品だ。
ガーリック、醤油、塩、黒コショウ、そして数々のハーブが織りなす『ほりにし』のパンチの効いた香りが会場を支配する。
「お、おい……このスパイスは何だ!? 肉の旨味が百倍に引き立てられているぞ!」
「肉が……口の中で解けていく……! この調味料さえあれば、どんな肉でも至高の料理になるのではないか!?」
このあまりの衝撃に、トゥアハーデ商会の頭脳であるマーハが動いた。
裏で『ほりにし』の小袋をこっそり入手し、味覚と匂いから配合を再現しようと試みたのだ。
しかし——。
「ガーリック、塩、醤油パウダー……ここまでは分かるわ。でも、この複雑なハーブの絶妙な黄金比率と、隠し味の旨味成分は何なの……!? アレンジしようとすると味が崩れる……! ダメ、再現不可能だわ……!」
聡明なマーハですら、数分で再現を断念せざるを得ないほど、『ほりにし』の完璧な配合は異次元のものだった。
【メイン2:コカトリスのよだれ鶏・カルディのよだれ鶏のたれを添えて】
メイン第二弾は、高級食材コカトリスの胸肉をパサつき一切なしのしっとり蒸し鶏に仕上げ、カルディの『よだれ鶏のたれ』を贅沢にかけた一品。
ゴマの濃厚な旨味、ラー油の華やかな辛み、そして花椒のシビれと酢の酸味が絶妙に絡み合い、コカトリスの旨味を爆発させている。
「思い出すだけで……よだれが出てくるから『よだれ鶏』なんですね……っ!」
タルトは頬を染めながら、マーハに告げた。
「マーハ様、諦めた方がいいです……この『タレ』の深みは、私たちのお屋敷の厨房でどうこうできるレベルじゃありません。美味しすぎて、考えるのをやめたくなります……!」
【締めのご飯:オークジェネラルの魯肉飯(ルーローハン)】
宴も最高潮に達した頃、運ばれてきたのは小さな丼に入った『魯肉飯』だ。
オークジェネラルの甘辛く煮込まれたトロトロの角煮と、八角の香る甘辛いタレ。そしてその下に敷き詰められているのは——真っ白に輝く『米(白飯)』であった。
「……ん? この白い粒粒は何だ……? パンでも豆でもないぞ?」
貴族たちが首を傾げるなか、ディアとタルトが一口パクリ。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!?」
二人の身体に雷が落ちた。
「な……なにこれ……っ!? モチモチしてて、噛むとほのかな甘みがあって……この甘辛いお肉とタレが、この白くて柔らかい粒粒に染み込んで……一緒になると、無限に食べられちゃう……っ!!」
この異世界には「米」という主食の概念が存在しない。
パンと肉とスープが基本の食文化において、「米がタレと肉の旨味をすべて受け止め、口の中で完結する」という米文化の圧倒的な存在感!
「参りました……っ! この『ご飯』という食べ物……食文化そのものが違いすぎます……!」
ディアとタルトは、米の美味さの前に完全にノックアウトされ、なりふり構わず丼をかきこんでいた。
【デザート:シャトレーゼから取り寄せた パリパリチョコショート】
満腹になった貴族たちの前に、最後に運ばれてきたのは至高のデザート。
シャトレーゼから取り寄せた『パリパリチョコショート』だ。
ふんわりとしたチョコスポンジに、まろやかなチョコクリーム。そして層の間に挟まれた、薄く繊細な「パリパリ食感のチョコプレート」。
「ふ、ふんわりしたケーキの中に……チョコのパリパリした歯ごたえが……っ! 冷たくて、甘くて、なんて幸せな気持ちになるの……!」
ディアはウットリと目を閉じ、完全に夢心地となっていた。
これにはヴィコーネ家に抱えられているお抱えパティシエたちが「自分たちのプライドにかけて再現してみせる!」と厨房でケーキ作りに挑んだが——。
「スポンジは焼ける……チョコクリームも作れる……! だが、なぜこの薄さでチョコのパリパリ感をクリームの中で維持できるんだ!? 温度管理か!? それとも特殊な魔法なのか!? 分からん、我々の技術では絶対に作れん……!」
プロの職人たちすら絶望させる、シャトレーゼの工場高度生産技術の壁であった。
◇
フルコースは大絶賛のうちに終了した。
対立勢力の貴族たちは、トゥアハーデ商会が背景に持つ(と思わされている)「圧倒的な食文化と謎の物流ルート」、そして『KASANE』やクラフト酒がもたらす底知れない財力と技術力に完全に気圧され、悪巧みどころではなくなっていた。
「ルーグ……大成功だったね」
ムコーダは厨房の裏口で、ほっと息を吐いていた。
「ああ、感謝するよムコーダ殿。おかげで対立勢力は完全に牙を抜かれた。僕の計算以上の成果だ」
ルーグが冷徹な笑みを浮かべた……その時だった。
「ルーーーーーグーーーーーッ!!」
厨房のドアがドカンと弾け飛ぶような勢いで開いた!
現れたのは、口元に薄っすらとチョコクリームをつけたディアであった! その目は爛々と輝き、完全に肉食動物のそれになっている!
「ディア……? どうしたんだいそんなに息を切らせて」
「はあ、はあ……っ! 誤魔化さないでルーグ! あの料理! あの『異国の海の魚』に『異国の穀物』に『パリパリチョコケーキ』!! 全部あのエプロンを着た男の人……ムコーダさんが用意したんでしょ!?」
「ひえっ!?」
ムコーダはディアの迫力に一歩後退りした。
「ムコーダさん! 私をヴィコーネ領の専属料理長にしてあげる! いえ、私の専属シェフになりなさい! 毎日……ううん、毎食あの美味しいご飯とあのお菓子を作り続けなさい!!断ったら逃がさないわよ! 国中の騎士を使って探し出して拘束するから!!」
「ヤバイヤバイヤバイ! 貴族の捕獲宣言出たぁぁぁぁぁ!!」
ムコーダの顔面が蒼白になる。
「……やれやれ。僕の婚約者は一度言い出したら聞かないからね」
ルーグは苦笑すると、素早くムコーダの腕を掴んだ。
「ルーグ!?」
「ムコーダ殿、走れるか? トゥアハーデの極秘抜け道を使って脱出する。フェンリルたちにはすでに外で待機するよう伝えてある」
「助かったあぁぁぁ! 行こう、今すぐ行こう!!」
「あ! 待ちちなさいルーグ! ムコーダさんを渡さないわよーっ!! タルト、マーハ、捕まえなさい!!」
「は、はいディア様! でもムコーダ様のルー肉飯(魯肉飯)がまた食べたいですぅぅぅ!」
「待ちなさいムコーダ! 『ほりにし』のレシピだけでも置いていきなさーい!」
後ろからディア、タルト、マーハの三人が怒涛の勢いで追いかけてくる!
「くそっ、暗殺者3人の追撃とか死ぬわ!!」
「大丈夫、僕の仕掛けた煙幕術式(スモーク)を起動する!」
パンッ! と爽やかなジャスミンの香りがする煙が通路を満たし、ディアたちの視界を遮る。
「きゃっ!? ジャスミンハイの匂いがする煙!?」
「くっ、ルーグ様、手加減がありませんわ!」
その隙に、ルーグとムコーダは隠し扉を潜り抜け、邸宅の外へと脱出した。
夜風が吹き抜ける森の広場には、すでにフェル、スイ、ドラちゃんが待機していた。
「ぬっ、遅かったではないかムコーダ。我の夜食の分のアイスは残っておるのだろうな?」
「あるじー! にげてきたのー?」
「おいおい、貴族の姉ちゃんたちに追い回されるなんてダサいぞムコーダ!」
「うるさいやい! ほらフェル、飛び乗るから早く出してくれ!!」
ムコーダはフェルの背中に飛び乗ると、隣に立つルーグに向かって深く頭を下げた。
「ルーグ、いろいろ大変だったけど……助けてくれてありがとうな!」
ルーグは静かに微笑み、胸に手を当ててお辞儀をした。
「こちらこそ、素晴らしい食の暴力……いや、至高のフルコースをありがとう、ムコーダ殿。君の『ネットスーパー』と、僕の前世の記憶が交差したこの数日間、最高に刺激的だったよ」
ルーグは懐から、一握りの金貨袋と……シャトレーゼの『チョコバッキー』の空き袋(?)をそっと見せた。
「……またいつか、どこかで会おう。その時は、新しい『シャトレーゼ』の限定アイスでも一緒に食べようじゃないか」
「おう! 今度はゆっくりお茶でもしようぜ! ……フェル、出してくれ!」
「ふん、行くぞ!」
フェルが風を切って夜の闇の中へと躍り出る。
「スイ、バイバイあにちゃーん!」
「またなー、銀髪のボウズ!」
遠ざかっていくムコーダ御一行の背中を、ルーグは静かに見送っていた。
直後、屋敷の隠し扉から息を切らしたディアたちが飛び出してきた。
「ああっ! 逃げられたぁぁぁ! ルーグのバカ! なんで逃がしちゃうのよー!」
「すみませんディア様……でも、最後にチョコバッキーの予備を一本だけムコーダ様から頂いちゃいました……」
「なっ、タルト!? ずるいわよ! 私にも一口頂戴!!」
夜空の下、賑やかな声が響き渡る。
異世界を駆け抜ける『ネットスーパー』の男と、世界最高の『暗殺者』。
二人の規格外の転生者(&召喚者)が紡いだ一夜の狂想曲は、爽やかなジャスミンの香りと、甘くパリパリとしたチョコの余韻を残して、静かに幕を閉じるのだった——。