ワールドトリガー ― 影を穿つ弾丸 ―   作:ライモンジ

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第3話「一人でいる理由」

 

ランク戦を終えた尚輝は、一人で廊下を歩いていた。

 

勝った。

 

それは間違いない。

 

相手の動きを予測し、逃げ道を潰し、最後はメテオラで足場を崩してからアステロイドで仕留めた。

 

以前の自分なら、十分に満足していたはずだった。

 

けれど。

 

「……」

 

尚輝は足を止めなかった。

 

廊下の向こうから、同じ訓練を終えた隊員たちの声が聞こえてくる。

 

「さっきの試合見た?」

 

「見た見た。影海だろ?」

 

「ああ。あいつまた一人でやってたな」

 

「強いのは強いんだけどなぁ……」

 

「でも、あいつとは組みたくないかな」

 

尚輝の足が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

「なんで?」

 

「だって、何考えてるか分からないじゃん」

 

「通信しても返事が遅いときあるし」

 

「それに勝手に消えるだろ。カメレオン使って」

 

「味方からしたら怖いよな」

 

笑い声。

 

尚輝は何も言わなかった。

 

そのまま歩き続ける。

 

曲がり角を曲がったところで、ようやく声が聞こえなくなった。

 

「……」

 

拳を握る。

 

別に、間違ったことをしているつもりはない。

 

勝つために必要なことをしているだけだ。

 

カメレオンを使う。

 

バッグワームで隠れる。

 

ダミービーコンでレーダーを撹乱する。

 

味方にも自分の位置を知らせない。

 

敵からすれば、当然警戒すべき動きだ。

 

それくらい分かっている。

 

問題は――

 

それを味方にまで警戒されることだった。

 

「……別に」

 

誰に言うでもなく、尚輝は呟く。

 

「一人でやればいい」

 

それが、一番簡単だった。

 

⸻

 

けれど。

 

最初からそう考えていたわけではない。

 

ボーダーに入ったばかりの頃。

 

尚輝にも、仲間が欲しかった。

 

同じ訓練生と話し。

 

訓練の後に一緒に食事をして。

 

次の訓練について相談する。

 

誰かと一緒に強くなる。

 

そんな未来を、普通に想像していた。

 

最初の頃は、むしろ積極的だった。

 

「次、どうする?」

 

「俺、左から回るよ」

 

「じゃあ俺は正面を見る」

 

「分かった」

 

そんなやり取りもしていた。

 

けれど。

 

チーム戦が始まってから、少しずつ歯車が狂っていった。

 

⸻

 

ある日の訓練。

 

三対三の模擬戦。

 

尚輝はガンナー。

 

チームの指揮を取る隊員が一人。

 

アタッカーが一人。

 

そして尚輝。

 

開始直後。

 

敵チームの位置がレーダーに映る。

 

「右に二人」

 

指揮役が言った。

 

「尚輝、後ろから援護してくれ」

 

「了解」

 

尚輝は建物の陰から射撃を開始する。

 

敵の一人がシールドを展開。

 

もう一人がその隙に前へ出てくる。

 

尚輝は、その動きを見ていた。

 

敵は二人とも右側にいる。

 

なら。

 

「……左が空く」

 

尚輝は一人で移動を始めた。

 

「影海、どこ行く?」

 

「左から回る」

 

「待って。まだ――」

 

通信を切った。

 

建物を抜ける。

 

敵の後方へ回り込む。

 

完璧だった。

 

敵は尚輝の位置に気づいていない。

 

「……今」

 

アステロイド。

 

――パァン!

 

一人撃破。

 

敵チームが崩れる。

 

そのまま二人目へ射撃。

 

勝てる。

 

そう思った瞬間だった。

 

「影海! 戻れ!」

 

通信。

 

味方からだった。

 

「こっちは一人落ちた!」

 

「……」

 

尚輝は一瞬だけ迷った。

 

戻るか。

 

このまま攻めるか。

 

敵は一人。

 

こちらも一人。

 

状況としては互角。

 

なら――

 

「そのまま押します」

 

「駄目だ! 戻ってくれ!」

 

尚輝は無視した。

 

敵を追う。

 

その直後。

 

背後から弾丸が飛んできた。

 

「――っ!」

 

敵チームのもう一人。

 

最初に尚輝が撃った相手が、こちらへ戻ってきていた。

 

尚輝はシールドを張る。

 

しかし、その一瞬。

 

前にいた敵が距離を詰めてきた。

 

「しまっ――」

 

被弾。

 

トリオン体が大きく削られる。

 

さらに追撃。

 

撃破。

 

訓練終了。

 

敗北。

 

⸻

 

訓練場を出たところで。

 

チームメイトが尚輝を呼び止めた。

 

「影海」

 

「……何?」

 

「なんで戻らなかった?」

 

「敵を一人落とせてた」

 

「そういう話じゃない」

 

「じゃあ何?」

 

声が少し強くなる。

 

「俺が戻っても、状況は変わらなかったと思う」

 

「変わったよ」

 

「どうして?」

 

「俺たち二人で一人を抑えられた」

 

「その間に、もう一人を倒せた」

 

「そうじゃない」

 

尚輝は眉を寄せた。

 

「俺が一人で後ろを取ったから、敵を崩せた」

 

「だからって――」

 

「勝てると思った」

 

「でも負けた」

 

その言葉に。

 

尚輝は黙った。

 

「……そうだね」

 

「だったら、次からはちゃんと合わせてくれ」

 

「……分かった」

 

その場ではそう答えた。

 

だが。

 

尚輝は、その言葉を守れなかった。

 

⸻

 

数週間後。

 

またチーム戦。

 

また同じような状況になった。

 

今度は尚輝が敵の側面を取った。

 

通信が入る。

 

「影海、そこで待って」

 

「……」

 

「まだ撃たないで」

 

敵が近い。

 

今撃てば、一人落とせる。

 

「待って」

 

再び指示。

 

尚輝は待った。

 

そして――

 

味方が先に被弾した。

 

「――っ!」

 

敵がこちらへ押し込んでくる。

 

チームは崩れた。

 

敗北。

 

訓練終了。

 

尚輝は何も言わなかった。

 

ただ。

 

「……俺が撃ってれば」

 

そう思った。

 

⸻

 

さらに次の戦い。

 

尚輝は指示を無視した。

 

勝った。

 

その次も。

 

勝った。

 

そして、少しずつ周囲の反応が変わっていった。

 

「影海って、強いんだけどな」

 

「うん」

 

「一緒にやると難しい」

 

「……」

 

「指示を出しても、自分で判断して動くから」

 

「じゃあ、言えばいいんじゃない?」

 

「言っても聞かないだろ」

 

そんな声を。

 

尚輝は何度も聞いた。

 

⸻

 

そして、決定的な日が来た。

 

模擬戦で、尚輝が独断で敵の後方へ回った。

 

結果だけなら勝利だった。

 

敵チームは全滅。

 

こちらも一人がベイルアウト。

 

勝ちは勝ち。

 

けれど。

 

試合終了後。

 

チームメイトが尚輝の前に立った。

 

「……もう、無理だ」

 

「何が?」

 

「一緒に戦うの」

 

尚輝は黙った。

 

「俺たち、お前がどこにいるか分からない」

 

「敵を倒せれば問題ないだろ」

 

「問題あるよ」

 

「どうして?」

 

「味方だからだよ」

 

その言葉に、尚輝の眉がわずかに動く。

 

「お前がカメレオンで消える」

 

「敵の後ろに回る」

 

「連絡しても返事がない」

 

「俺たちは、お前が次にどこから撃ってくるかも分からない」

 

「……」

 

「敵だけじゃなくて、味方までお前を探さなきゃいけなくなる」

 

尚輝は俯いた。

 

「……でも」

 

「何?」

 

「俺が動いたほうが、勝てる」

 

「それは分かってる」

 

予想外の答えだった。

 

尚輝が顔を上げる。

 

「お前は強いよ」

 

「……」

 

「射撃も上手い。状況を見るのも上手い」

 

「じゃあ――」

 

「でも」

 

相手は苦しそうに言った。

 

「俺たちには、お前の強さを信じて背中を預けるのが難しい」

 

その言葉が。

 

胸に刺さった。

 

尚輝はしばらく何も言わなかった。

 

やがて。

 

「……分かった」

 

「影海?」

 

「もういい」

 

「いや、俺は――」

 

「俺も」

 

尚輝は静かに顔を上げた。

 

「もう、無理に合わせない」

 

「……」

 

「俺、一人でやるから」

 

「そういう意味じゃ――」

 

「同じだよ」

 

尚輝の声は、思っていたより冷たかった。

 

「俺が一人で戦えば、誰にも迷惑をかけない」

 

「尚輝、それは――」

 

「大丈夫」

 

その言葉を遮る。

 

「もう誘わなくていい」

 

相手が黙る。

 

「俺も、もう誘わないから」

 

それだけ言って。

 

尚輝はその場を離れた。

 

⸻

 

廊下を歩く。

 

足音だけが響く。

 

「……」

 

胸が痛かった。

 

悔しかった。

 

腹も立っていた。

 

でも。

 

それ以上に。

 

怖かった。

 

自分が誰かと一緒に戦えば。

 

また誰かを巻き込む。

 

自分の判断が、誰かを危険にする。

 

だったら。

 

最初から一人なら。

 

誰も傷つかない。

 

誰にも期待しなければ。

 

誰にも失望されない。

 

「……一人でいい」

 

尚輝は呟いた。

 

「一人なら……」

 

言葉が止まる。

 

「……一人なら、俺のせいだけで済む」

 

それが。

 

尚輝が孤立することを選んだ、本当の理由だった。

 

強がりだった。

 

逃げでもあった。

 

けれど同時に。

 

十歳のあの日からずっと抱えていた、

 

「誰かを守れなかったらどうする」

 

という恐怖から、自分自身を守るための方法でもあった。

 

⸻

 

それから尚輝は。

 

自分から誰かを誘わなくなった。

 

誘われても、断った。

 

「一緒に訓練しない?」

 

「ごめん。一人でやる」

 

「ランク戦、組まない?」

 

「やめておく」

 

「今度、飯――」

 

「先に帰る」

 

最初は遠慮していた。

 

次第に、はっきり断るようになった。

 

そして。

 

周囲も、声をかけなくなった。

 

それでよかった。

 

少なくとも。

 

尚輝は、そう思うことにした。

 

⸻

 

夜。

 

ボーダー本部の休憩スペース。

 

尚輝は窓際に座っていた。

 

三門市の夜景が見える。

 

たくさんの明かり。

 

たくさんの人。

 

たくさんの隊員。

 

その中に自分もいる。

 

それなのに。

 

妙に遠かった。

 

尚輝は自分の手を見る。

 

十歳のあの日。

 

この手には何もなかった。

 

母親の服を掴むことしかできなかった。

 

怖くて。

 

何もできなくて。

 

ただ守られるしかなかった。

 

だから、ボーダーに入った。

 

誰かを守れる人間になるために。

 

遠くからでも。

 

銃を持って。

 

誰かを守るために。

 

「……なのに」

 

尚輝は小さく呟いた。

 

「なんで俺は……一人なんだろうな」

 

少しだけ笑う。

 

「……違うか」

 

窓に映った自分を見る。

 

「一人になったんじゃない」

 

静かな声。

 

「自分で、そうしたんだ」

 

それが分かっているからこそ。

 

余計に苦しかった。

 

⸻

 

翌日。

 

訓練場。

 

尚輝はまた一人で戦っていた。

 

敵を撃つ。

 

移動する。

 

隠れる。

 

ダミービーコン。

 

カメレオン。

 

アステロイド。

 

メテオラ。

 

レッドバレット。

 

すべてが完璧に噛み合う。

 

敵は尚輝を捕まえられない。

 

尚輝は敵を追い詰めていく。

 

勝利。

 

訓練終了。

 

結果だけを見れば完璧だった。

 

それなのに。

 

尚輝は、なぜか嬉しくなかった。

 

その理由を考えていると――

 

「すごいね」

 

声がした。

 

「……?」

 

尚輝が振り返る。

 

少し離れた場所。

 

一人の少女が立っていた。

 

那須玲。

 

まだ、この時の尚輝は彼女とほとんど話したことがなかった。

 

玲は穏やかに笑っていた。

 

「今の戦い」

 

「……見てた?」

 

「うん」

 

「どこから?」

 

「最初から」

 

尚輝は少しだけ警戒する。

 

「何か変だった?」

 

「ううん」

 

玲は首を横に振った。

 

「すごく綺麗だった」

 

「……綺麗?」

 

「うん」

 

玲は少し考える。

 

「撃つ前に、相手の逃げ道がなくなっていく感じ」

 

尚輝は黙る。

 

「尚輝は、相手を撃ってるんじゃなくて」

 

玲は言った。

 

「相手が動く場所を、先に決めてるんだね」

 

その言葉に。

 

尚輝の目が、ほんの少しだけ開いた。

 

自分の戦い方を。

 

誰かに正確に言葉にされたのは、初めてだった。

 

「……そうかもしれない」

 

「でも」

 

玲は少しだけ笑う。

 

「それって、一人じゃないとできないの?」

 

尚輝は答えられなかった。

 

「……分からない」

 

「そっか」

 

玲はそれ以上追及しなかった。

 

ただ、静かに続ける。

 

「じゃあ、いつか分かるといいね」

 

「何が?」

 

「一人で戦うことと、一人でしか戦えないことは……」

 

玲は穏やかな目で尚輝を見る。

 

「たぶん、違うから」

 

尚輝は何も言えなかった。

 

玲はそのまま歩き出す。

 

数歩進んでから、振り返った。

 

「またね、尚輝」

 

「……うん」

 

玲が去っていく。

 

尚輝は、その背中を見つめていた。

 

胸の奥に。

 

今まで感じたことのない、小さな違和感が残っていた。

 

一人でいることが楽だった。

 

一人で戦うことが強さだった。

 

そう思っていた。

 

なのに。

 

「一人でしか戦えないことは違う」

 

その言葉だけが。

 

いつまでも頭から離れなかった。




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