ランク戦を終えた尚輝は、一人で廊下を歩いていた。
勝った。
それは間違いない。
相手の動きを予測し、逃げ道を潰し、最後はメテオラで足場を崩してからアステロイドで仕留めた。
以前の自分なら、十分に満足していたはずだった。
けれど。
「……」
尚輝は足を止めなかった。
廊下の向こうから、同じ訓練を終えた隊員たちの声が聞こえてくる。
「さっきの試合見た?」
「見た見た。影海だろ?」
「ああ。あいつまた一人でやってたな」
「強いのは強いんだけどなぁ……」
「でも、あいつとは組みたくないかな」
尚輝の足が、ほんの一瞬だけ止まった。
「なんで?」
「だって、何考えてるか分からないじゃん」
「通信しても返事が遅いときあるし」
「それに勝手に消えるだろ。カメレオン使って」
「味方からしたら怖いよな」
笑い声。
尚輝は何も言わなかった。
そのまま歩き続ける。
曲がり角を曲がったところで、ようやく声が聞こえなくなった。
「……」
拳を握る。
別に、間違ったことをしているつもりはない。
勝つために必要なことをしているだけだ。
カメレオンを使う。
バッグワームで隠れる。
ダミービーコンでレーダーを撹乱する。
味方にも自分の位置を知らせない。
敵からすれば、当然警戒すべき動きだ。
それくらい分かっている。
問題は――
それを味方にまで警戒されることだった。
「……別に」
誰に言うでもなく、尚輝は呟く。
「一人でやればいい」
それが、一番簡単だった。
⸻
けれど。
最初からそう考えていたわけではない。
ボーダーに入ったばかりの頃。
尚輝にも、仲間が欲しかった。
同じ訓練生と話し。
訓練の後に一緒に食事をして。
次の訓練について相談する。
誰かと一緒に強くなる。
そんな未来を、普通に想像していた。
最初の頃は、むしろ積極的だった。
「次、どうする?」
「俺、左から回るよ」
「じゃあ俺は正面を見る」
「分かった」
そんなやり取りもしていた。
けれど。
チーム戦が始まってから、少しずつ歯車が狂っていった。
⸻
ある日の訓練。
三対三の模擬戦。
尚輝はガンナー。
チームの指揮を取る隊員が一人。
アタッカーが一人。
そして尚輝。
開始直後。
敵チームの位置がレーダーに映る。
「右に二人」
指揮役が言った。
「尚輝、後ろから援護してくれ」
「了解」
尚輝は建物の陰から射撃を開始する。
敵の一人がシールドを展開。
もう一人がその隙に前へ出てくる。
尚輝は、その動きを見ていた。
敵は二人とも右側にいる。
なら。
「……左が空く」
尚輝は一人で移動を始めた。
「影海、どこ行く?」
「左から回る」
「待って。まだ――」
通信を切った。
建物を抜ける。
敵の後方へ回り込む。
完璧だった。
敵は尚輝の位置に気づいていない。
「……今」
アステロイド。
――パァン!
一人撃破。
敵チームが崩れる。
そのまま二人目へ射撃。
勝てる。
そう思った瞬間だった。
「影海! 戻れ!」
通信。
味方からだった。
「こっちは一人落ちた!」
「……」
尚輝は一瞬だけ迷った。
戻るか。
このまま攻めるか。
敵は一人。
こちらも一人。
状況としては互角。
なら――
「そのまま押します」
「駄目だ! 戻ってくれ!」
尚輝は無視した。
敵を追う。
その直後。
背後から弾丸が飛んできた。
「――っ!」
敵チームのもう一人。
最初に尚輝が撃った相手が、こちらへ戻ってきていた。
尚輝はシールドを張る。
しかし、その一瞬。
前にいた敵が距離を詰めてきた。
「しまっ――」
被弾。
トリオン体が大きく削られる。
さらに追撃。
撃破。
訓練終了。
敗北。
⸻
訓練場を出たところで。
チームメイトが尚輝を呼び止めた。
「影海」
「……何?」
「なんで戻らなかった?」
「敵を一人落とせてた」
「そういう話じゃない」
「じゃあ何?」
声が少し強くなる。
「俺が戻っても、状況は変わらなかったと思う」
「変わったよ」
「どうして?」
「俺たち二人で一人を抑えられた」
「その間に、もう一人を倒せた」
「そうじゃない」
尚輝は眉を寄せた。
「俺が一人で後ろを取ったから、敵を崩せた」
「だからって――」
「勝てると思った」
「でも負けた」
その言葉に。
尚輝は黙った。
「……そうだね」
「だったら、次からはちゃんと合わせてくれ」
「……分かった」
その場ではそう答えた。
だが。
尚輝は、その言葉を守れなかった。
⸻
数週間後。
またチーム戦。
また同じような状況になった。
今度は尚輝が敵の側面を取った。
通信が入る。
「影海、そこで待って」
「……」
「まだ撃たないで」
敵が近い。
今撃てば、一人落とせる。
「待って」
再び指示。
尚輝は待った。
そして――
味方が先に被弾した。
「――っ!」
敵がこちらへ押し込んでくる。
チームは崩れた。
敗北。
訓練終了。
尚輝は何も言わなかった。
ただ。
「……俺が撃ってれば」
そう思った。
⸻
さらに次の戦い。
尚輝は指示を無視した。
勝った。
その次も。
勝った。
そして、少しずつ周囲の反応が変わっていった。
「影海って、強いんだけどな」
「うん」
「一緒にやると難しい」
「……」
「指示を出しても、自分で判断して動くから」
「じゃあ、言えばいいんじゃない?」
「言っても聞かないだろ」
そんな声を。
尚輝は何度も聞いた。
⸻
そして、決定的な日が来た。
模擬戦で、尚輝が独断で敵の後方へ回った。
結果だけなら勝利だった。
敵チームは全滅。
こちらも一人がベイルアウト。
勝ちは勝ち。
けれど。
試合終了後。
チームメイトが尚輝の前に立った。
「……もう、無理だ」
「何が?」
「一緒に戦うの」
尚輝は黙った。
「俺たち、お前がどこにいるか分からない」
「敵を倒せれば問題ないだろ」
「問題あるよ」
「どうして?」
「味方だからだよ」
その言葉に、尚輝の眉がわずかに動く。
「お前がカメレオンで消える」
「敵の後ろに回る」
「連絡しても返事がない」
「俺たちは、お前が次にどこから撃ってくるかも分からない」
「……」
「敵だけじゃなくて、味方までお前を探さなきゃいけなくなる」
尚輝は俯いた。
「……でも」
「何?」
「俺が動いたほうが、勝てる」
「それは分かってる」
予想外の答えだった。
尚輝が顔を上げる。
「お前は強いよ」
「……」
「射撃も上手い。状況を見るのも上手い」
「じゃあ――」
「でも」
相手は苦しそうに言った。
「俺たちには、お前の強さを信じて背中を預けるのが難しい」
その言葉が。
胸に刺さった。
尚輝はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「……分かった」
「影海?」
「もういい」
「いや、俺は――」
「俺も」
尚輝は静かに顔を上げた。
「もう、無理に合わせない」
「……」
「俺、一人でやるから」
「そういう意味じゃ――」
「同じだよ」
尚輝の声は、思っていたより冷たかった。
「俺が一人で戦えば、誰にも迷惑をかけない」
「尚輝、それは――」
「大丈夫」
その言葉を遮る。
「もう誘わなくていい」
相手が黙る。
「俺も、もう誘わないから」
それだけ言って。
尚輝はその場を離れた。
⸻
廊下を歩く。
足音だけが響く。
「……」
胸が痛かった。
悔しかった。
腹も立っていた。
でも。
それ以上に。
怖かった。
自分が誰かと一緒に戦えば。
また誰かを巻き込む。
自分の判断が、誰かを危険にする。
だったら。
最初から一人なら。
誰も傷つかない。
誰にも期待しなければ。
誰にも失望されない。
「……一人でいい」
尚輝は呟いた。
「一人なら……」
言葉が止まる。
「……一人なら、俺のせいだけで済む」
それが。
尚輝が孤立することを選んだ、本当の理由だった。
強がりだった。
逃げでもあった。
けれど同時に。
十歳のあの日からずっと抱えていた、
「誰かを守れなかったらどうする」
という恐怖から、自分自身を守るための方法でもあった。
⸻
それから尚輝は。
自分から誰かを誘わなくなった。
誘われても、断った。
「一緒に訓練しない?」
「ごめん。一人でやる」
「ランク戦、組まない?」
「やめておく」
「今度、飯――」
「先に帰る」
最初は遠慮していた。
次第に、はっきり断るようになった。
そして。
周囲も、声をかけなくなった。
それでよかった。
少なくとも。
尚輝は、そう思うことにした。
⸻
夜。
ボーダー本部の休憩スペース。
尚輝は窓際に座っていた。
三門市の夜景が見える。
たくさんの明かり。
たくさんの人。
たくさんの隊員。
その中に自分もいる。
それなのに。
妙に遠かった。
尚輝は自分の手を見る。
十歳のあの日。
この手には何もなかった。
母親の服を掴むことしかできなかった。
怖くて。
何もできなくて。
ただ守られるしかなかった。
だから、ボーダーに入った。
誰かを守れる人間になるために。
遠くからでも。
銃を持って。
誰かを守るために。
「……なのに」
尚輝は小さく呟いた。
「なんで俺は……一人なんだろうな」
少しだけ笑う。
「……違うか」
窓に映った自分を見る。
「一人になったんじゃない」
静かな声。
「自分で、そうしたんだ」
それが分かっているからこそ。
余計に苦しかった。
⸻
翌日。
訓練場。
尚輝はまた一人で戦っていた。
敵を撃つ。
移動する。
隠れる。
ダミービーコン。
カメレオン。
アステロイド。
メテオラ。
レッドバレット。
すべてが完璧に噛み合う。
敵は尚輝を捕まえられない。
尚輝は敵を追い詰めていく。
勝利。
訓練終了。
結果だけを見れば完璧だった。
それなのに。
尚輝は、なぜか嬉しくなかった。
その理由を考えていると――
「すごいね」
声がした。
「……?」
尚輝が振り返る。
少し離れた場所。
一人の少女が立っていた。
那須玲。
まだ、この時の尚輝は彼女とほとんど話したことがなかった。
玲は穏やかに笑っていた。
「今の戦い」
「……見てた?」
「うん」
「どこから?」
「最初から」
尚輝は少しだけ警戒する。
「何か変だった?」
「ううん」
玲は首を横に振った。
「すごく綺麗だった」
「……綺麗?」
「うん」
玲は少し考える。
「撃つ前に、相手の逃げ道がなくなっていく感じ」
尚輝は黙る。
「尚輝は、相手を撃ってるんじゃなくて」
玲は言った。
「相手が動く場所を、先に決めてるんだね」
その言葉に。
尚輝の目が、ほんの少しだけ開いた。
自分の戦い方を。
誰かに正確に言葉にされたのは、初めてだった。
「……そうかもしれない」
「でも」
玲は少しだけ笑う。
「それって、一人じゃないとできないの?」
尚輝は答えられなかった。
「……分からない」
「そっか」
玲はそれ以上追及しなかった。
ただ、静かに続ける。
「じゃあ、いつか分かるといいね」
「何が?」
「一人で戦うことと、一人でしか戦えないことは……」
玲は穏やかな目で尚輝を見る。
「たぶん、違うから」
尚輝は何も言えなかった。
玲はそのまま歩き出す。
数歩進んでから、振り返った。
「またね、尚輝」
「……うん」
玲が去っていく。
尚輝は、その背中を見つめていた。
胸の奥に。
今まで感じたことのない、小さな違和感が残っていた。
一人でいることが楽だった。
一人で戦うことが強さだった。
そう思っていた。
なのに。
「一人でしか戦えないことは違う」
その言葉だけが。
いつまでも頭から離れなかった。
こんにちはこんばんはライモンジですここまで読んで頂きありがとうございます。感想コメントなどお待ちしております。