ハーマイオニー・グレンジャーと緋色の予見者   作:スウィフト

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三十二話∶お互い様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三度目のバレンタインの朝、大広間は、いつもより騒がしかった。

 

 ロックハートのいなくなった今年は、ピンクの花も小人のキューピッドもなかった。代わりに、屋敷しもべ妖精たちが一年生のときと同じように、天井から砂糖漬けの薔薇の花びらを降らせていた。花びらは、テーブルに届く前に、ふっと消えていく。

 

 サミュエルの席の前には、例年どおり、小さな山ができていた。

 

 ただ、今年は、山の周りで交わされる囁き声の色が違った。

 

「フラー・デラクールと付き合ってるんじゃなかったの?」

 

「でも、クリスマスのあと、玄関ホールでグレンジャーを庇ったって」

 

「『彼女の血は、決して穢れていない』だって。あれ、どう聞いても――」

 

「じゃあ、デラクールは? 二股?」

 

「まさか。ヴェスゲレートに限って」

 

 囁き声は、あちこちのテーブルから聞こえてきた。サミュエルは聞こえないふりをして、一つずつ贈り物の札を確かめていった。

 

 白い上等な紙に、銀色のリボンの小箱が、今年もあった。

 

〈氷の薔薇は、まだガブリエルの部屋で咲いています。今年の夏、もう一輪。――F〉

 

 ダームストラングの紋章を押した硬い羊皮紙の包みも。中身は、やはり黒パンだった。

 

〈元気か。新聞、まだ読んでない。 V・K〉

 

 サミュエルは、思わず小さく笑った。

 

 テーブルの少し先では、ロンが、ハーマイオニーから一番遠い席で、黙々とポリッジをかき混ぜていた。

 

 一週間前、ロンのベッドのシーツに、血の染みがついていた。スキャバーズの姿は、どこにもなかった。シーツの上には、オレンジ色の猫の毛が何本か落ちていた。

 

 それ以来、ロンはハーマイオニーと一言も口をきいていない。

 

「ロン。クルックシャンクスがやったって、決まったわけじゃないよ」

 

 サミュエルが小声で言うと、ロンはスプーンを握りしめた。

 

「じゃあ、誰がやったんだよ。シーツに猫の毛がついてたんだぞ」

 

「猫の毛は、談話室じゅうについてる。僕のローブにも」

 

「……でも、あいつ、一回も謝らないんだ」

 

「謝ったら、クルックシャンクスがやったって認めることになるからね。ハーマイオニーは、確かめてもいないことは認めない」

 

 ロンは、何か言い返そうとして、黙った。それから、ポリッジに顔を埋めるようにして、また黙々とかき混ぜ始めた。

 

*

 

「――ねえ、ヴェスゲレート」

 

 朝食の終わり頃、テーブルの向こうから、甲高い声がした。

 

 パンジー・パーキンソンだった。スリザリンのテーブルから、わざわざグリフィンドールのテーブルまでやって来たらしい。腕を組んで、顎を上げている。後ろで、スリザリンの女子生徒が何人か、くすくす笑っていた。

 

「はっきりさせてもらえる? あなた、結局、どっちなの?」

 

 大広間の、グリフィンドールのテーブルの周りだけが、すっと静かになった。

 

「どっち、って?」

 

「とぼけないで。フラー・デラクール? それとも――」

 

 パンジーは、わざとらしく、テーブルの端に座っているハーマイオニーのほうへ視線を投げた。

 

「――あの穢れた……グレンジャー?」

 

 言いかけた言葉を、パンジーは途中で飲みこんだ。玄関ホールでモンタギューの杖が飛んだ話は、スリザリン寮にも知れ渡っていた。

 

 ハーマイオニーは、本から顔を上げなかった。けれど、ページをめくる指が止まっているのが、サミュエルには見えた。

 

 サミュエルは、紅茶のカップを置いた。

 

「パンジー。君のお母上は、まだバーク家の跡取りと仲良くしろって言ってる?」

 

「……な、何よ急に」

 

「言ってるなら、一つだけ伝えておいて。デラクールのことは、ご想像にお任せします、って」

 

 パンジーは、口を開けて固まった。

 

「それから、グレンジャーのこと」

 

 サミュエルは、いつもの穏やかな笑顔で続けた。

 

「あれは、血の話だよ。誰の血が穢れているとか、いないとか、そういう話。恋だの何だのとは、関係ない。純血の家に生まれた人間として、間違ってると思ったことを、間違ってると言っただけだ」

 

 パンジーは、しばらく何も言えずにいた。それから、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「……つまんない答え」

 

「よく言われる」

 

 パンジーは、スリザリンのテーブルへ戻っていった。大広間のざわめきが、ゆっくりと戻ってくる。

 

 うまく収まった。誰が見ても、そう見えただろう。

 

 フラーとのことは、相変わらず、曖昧なまま。ハーマイオニーのことは、恋愛ではなく、血統思想への抗議。論点をすり替えて、どちらの噂にも油を注がず、その場を収める。

 

 完璧な答えだった。

 

 それなのに、サミュエルは、自分の言った言葉に、どこまで自分で納得しているのか分からなかった。

 

 ――恋だの何だのとは、関係ない。

 

 本当に?

 

 テーブルの端で、ハーマイオニーが、静かに本を閉じて立ち上がった。一度も、こちらを見なかった。

 

 その日の昼休み、サミュエルは、空き教室で四十枚あまりの礼状を書いた。贈り主の名前と、贈り物の中身と、一言ずつの礼。手は、一度も止まらなかった。

 

 一年前の夜は、一枚も書けなかった。

 

 今年は、全部書けた。書けてしまうことが、少しだけ不思議だった。

 

*

 

 放課後、変身術の教室から寮へ戻る途中の廊下は、人けがなかった。

 

 五階の、普段はあまり使われない回廊だった。窓の外では、二月の夕日が、凍った湖の上を橙色に照らしていた。

 

 回廊の窓辺に、ハーマイオニーがいた。

 

 一人だった。本を抱えたまま、窓の外を見ていた。

 

 サミュエルは、足を止めた。

 

 引き返そうか、と一瞬だけ思った。けれど、そのとき、ハーマイオニーがこちらを向いた。

 

 目が合った。

 

 今度は、どちらも、そらさなかった。

 

「……今朝は、ごめん」

 

 先に口を開いたのは、サミュエルだった。

 

「パンジーのこと。君の前で、あんな話をさせて」

 

「あなたが謝ることじゃないわ」

 

 ハーマイオニーは、窓の外に目を戻した。

 

「それに、うまく収めてたじゃない。いつものあなたらしく」

 

 かすかに、棘のある声だった。

 

 サミュエルは、彼女の隣に、一歩ぶんの距離を空けて立った。窓の外の湖を、一緒に見た。

 

 しばらく、どちらも何も言わなかった。

 

「……玄関ホールのこと」

 

 ハーマイオニーが、小さく言った。

 

「まだ、ちゃんとお礼を言ってなかった。ありがとう」

 

「お礼を言うのは、僕のほうだよ。モンタギュー相手に、四つも理屈を並べて」

 

「五つあったのよ」

 

「五つ?」

 

「五つ目を言う前に、あなたが杖を飛ばしちゃったから」

 

「……五つ目は、何だったの」

 

 ハーマイオニーは、考えるような顔をした。

 

「言わない」

 

「どうして」

 

「言ったら、あなた、また何か完璧な答えで返してくるもの」

 

 サミュエルは、言葉に詰まった。

 

 ハーマイオニーは、窓枠に置いた自分の指先を見ていた。

 

「ねえ。どうして、あんなこと言ったの」

 

「……」

 

「お父様に、怒られたんでしょう。ロンから聞いたわ。分厚い手紙が来てたって」

 

「五枚分ね」

 

「五枚?」

 

「羊皮紙で、五枚。最後の一行は、失望した、だった」

 

 ハーマイオニーが、こちらを向いた。

 

「それでも……どうして?」

 

 サミュエルは、湖を見ていた。

 

 どうして。

 

 今朝、パンジーには答えられた。血の話だ、と。純血の家に生まれた人間として、間違っていることを間違っていると言っただけだ、と。

 

 同じ答えを、今、この人に言えるだろうか。

 

「……分からない」

 

 口から出たのは、それだった。

 

「気がついたら、言ってた。モンタギューが杖を君に向けて、穢れた血って言った瞬間に。考える前に、扇を振ってて、気がついたら、口が勝手に動いてた」

 

「……二年生のバレンタインみたいに?」

 

 ハーマイオニーの声は、小さかった。

 

 サミュエルは、目を閉じた。

 

 ――マグルのチョコか?

 

 あのときも、口が勝手に動いた。今度は、逆の方向に。

 

 二年生の十一月、暖炉の前で、全部、と謝った。その三ヶ月後に、あれを言った。

 

「……あれは、取り消したい」

 

 サミュエルは、ゆっくりと言った。

 

「でも、玄関ホールで言ったことは、取り消さない。一言も」

 

 ハーマイオニーは、何も言わなかった。

 

 窓の外で、湖の上を、一羽のふくろうが横切っていった。夕日が、少しずつ山の端に沈んでいく。

 

「……デラクールさんとは」

 

 しばらくして、ハーマイオニーが言った。

 

「本当に、そういう関係なの?」

 

 サミュエルは、口を開きかけて、閉じた。

 

 違う、と言えば済む。たった一言で。

 

 けれど、言葉が出てこなかった。

 

 父の五枚の手紙は、もう従う理由のない命令のはずだった。それなのに、最後の一行だけが、まだ頭の奥で鳴っていた。〈お前には、失望した〉。

ずっとそうやって生きてきたのだ。そう簡単に拭えるものではないらしい。

 

 夏の合宿で、記者たちの前で庇ってくれた人の名前を、ここで自分の都合で打ち消していいのかも、分からなかった。

 

「……それは、言えない」

 

 ハーマイオニーは、小さく息をついた。

 

「そう」

 

 怒ってはいなかった。ただ、少しだけ寂しそうな声だった。

 

「でも」

 

 サミュエルは、湖から目を離して、彼女のほうを向いた。

 

「今朝、パンジーに言ったことは、全部じゃない」

 

「……全部じゃない?」

 

「血の話だって言った。恋だの何だのとは関係ないって。それは、嘘じゃない。でも、それだけでもない気がする。それ以上は、まだ、自分でも分からない」

 

 ハーマイオニーは、少し間を置いた。

 

「……それ以上、って。恋、ってこと?」

 

「それも含めて、分からない」

 

 サミュエルは、湖のほうへ視線を戻した。

 

「恋愛感情ってやつが、僕には、よく分からないんだ。話としては知ってる。本にも、山ほど書いてある。でも、自分の中にあるものが、それなのかどうか、区別がつかない」

 

 ハーマイオニーは、長いこと、こちらを見ていた。

 

 それから、ほんの少しだけ、口の端を上げた。

 

「……分からないことを、分からないって言うあなた、初めて見たわ」

 

「君だって、言えないことがあるだろう」

 

「私に?」

 

「その時間割。数占いとマグル学と占い学が、全部同じ時間にある。どうやって出てるの?」

 

 ハーマイオニーは、ぴたりと動きを止めた。

 

「……それは、秘密」

 

「今は言えない?」

 

「ええ。今は、言えない」

 

 二人は、顔を見合わせた。

 

 それから、どちらからともなく、少しだけ笑った。

 

「……お互い様だね」

 

「ええ。お互い様」

 

 ハーマイオニーは、本を抱え直した。

 

「夕食、遅れるわよ」

 

「うん」

 

 二人は、並んで回廊を歩き出した。

 

 どちらも、それ以上は何も言わなかった。核心には、まだ何一つ触れていなかった。デラクールのことも、あの夜の本当の理由も、宙ぶらりんのままだった。

 

 それでも、玄関ホールのあの夜のことを、二人とも、なかったことにはしなかった。

 

 言葉にして、ほんの少しだけ、分け合うことができた。

 

 大広間へ続く階段の途中で、ハーマイオニーが、ふと足を止めた。

 

「……ねえ」

 

「何?」

 

「五つ目、やっぱり、いつか教えてあげる」

 

 そう言って、彼女は先に階段を降りていった。

 

 サミュエルは、その背中を見送りながら、一拍遅れて、階段を降りた。

 

 その週の日曜日も、サミュエルは、湖の向こう岸の入り江へ行った。

 

 秋から、ほとんど毎週通っている場所だった。誰にも話したことはない。岸辺の平たい石に腰を下ろして、凍った湖面が少しずつ溶けていくのを眺める。

 

 隣にも、同じくらい平たい石が、一つあった。

 

 いつもは気にも留めないその石が、その日は、なぜか空いていることが気になった。

 

 サミュエルは、しばらくその石を見ていた。それから、湖のほうへ目を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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