魔術師の帰還
エル・ファシル革命予備軍高速巡航艦レダⅡの無機質で、単調な廊下から二つの足音が響く。
一つはかつての自由惑星同盟の軍人、今はエル・ファシル革命予備軍総司令官のヤン・ウェンリー、もう一つは銀河帝国の軍服を着た地球教の教徒であった。
宇宙歴八〇〇年、新帝国歴二年、六月一日。一つの恒星が終わりを迎えようとしていた。
「ヤン......ウェンリー提督!」
地球教徒が瞬間、手にしているブラスターの引き金を指にかけヤンの左大腿部の動脈を貫いた。
「うっ......」
ヤンは小さなうめき声に伴い多量の出血をし、その反動で壁にもたれかかる。光線が脚を貫き、そこから滴り落ちる血は、無惨に飛び散り床の一部を赤く染め上げた。
「殺した! 殺したあああああ!」
地球教徒は功績の大きさからか、興奮のあまり、その場を離れてしまった。ヤンは貫かれた部分をスカーフで覆うも、貫かれた穴からはとめどなく血は流れ続ける。気づかぬうちに、血特有の刺激的な匂いが広まっていた。
(随分と、血が出るものだな......尤も、私が流させてきた量に比べれば細やかなものだが......)
ようやくか、と心の中で思いつつもテロで死ぬ己の運命に嘆く。
(こんなところで、我ながら情け無い......)
流れ続ける血を見て、彼は疑問に思う。
(奇妙だな......血がこれだけ流れ出せば、体重は軽くなっているはずなのに......なんでこんなに体が重いんだ)
考えても無駄なことだと思いつつ、ユリアンの呼ぶ声が聞こえた方へ進もうとする。
しかし、彼は地球教徒が落としたブラスターのもとへ辿り着く体力もなく、体勢が崩れる。
壁伝いに立て直そうにも貫かれた左大腿が痛み、脚を滑らせる。そこでヤンは死期を悟る。
(どうも、格好が良くないな......)
不格好なスカーフで応急処置を施してもなお左大腿は変わらず血を流し続ける。耳には血が滴る音だけが響き渡る。自分の死は誰にも見届けられないことを運命に告げられたようだった。
(やれやれ...ミラクル・ヤンが血まみれヤンになってしまった...)
そういうと彼は家族とエル・ファシル独立政府革命予備軍へ残った思いを伝える。
(ごめん、フレデリカ。ごめん、ユリアン。ごめん、みんな......)
この世に別れを告げ、地獄への旅路を歩もうとする直前、助けに来たと思われる我が子のように可愛がったユリアンの声が聞こえつつもそれに反応できず目を瞑ってしまう。彼の時はそこで停止するはずだった。
暗闇の中、視覚から得た情報ではない菱形の何かが周りに付き纏う感覚に襲われる。突如、無くなったはずの五感がヤンに戻っていく。同時に、彼のものではない何かが彼と混ざっては消えていく。五感とは別の感覚に、ヤンは不快感を覚えつつも、すぐに順応した。
「......ドクター...を...って」
朦朧とした意識の中、突如見知らぬ少女が自らの手を差し出す。姿はまだ見えず、声も聞き取れない。だが、少しずつ取り戻していく五感から少女から温もりを感じる始めた。
「......ドクター、手を......」
まだ、少女が言ってることは聞こえない。だが、何をすべきかは未だ働かない脳でも認識できた。持てる力の全てを右腕と右手へと込めて......
「私の手を握って!」
そう握り返すと共に視界が晴れ、ようやく覚醒する。少女の腕を借りながら半身を起こす。憂色を示す眼前の少女が男を心配している。
「アーミヤさん! ......せ、成功です! 血圧は正常範囲、身体機能も......大丈夫です、問題ありません!」
もう一人若い女性の声が部屋のどこかからか聞こえ、周りを見渡す。斜め右前ほどの場所で、手術をしていた女性が見えた。
だが奇妙なことにその姿は人ではあったものの、頭部の側面にはコスチューム・プレイとも思えるような動物的な耳が付着しているように見えた。
しかし、その周りの点滴スタンドやいくつかの薬品が置いてあった。
ヤンは薬品に対する知識には明るくないものの、それらは紛れもなく人間に使うものだというのがよくわかった。
消毒用アルコールの匂いが鼻を刺激し、若干の戸惑いを覚えつつも、医療施設であることが分かったヤンは自らの左太腿を確認した。
ブラスターで貫かれた跡はなかった。その代わり、腕には何か肉を削り取ったかのような覚えのない縫合跡があった。
「良かった......! ドクター......! ......ドクター? どうしました?」
「ここは......艦内の医務室なのか? ......だがこんな内装では......」
そう言いかけた直後、恐らくは刺激を与えていなかった体が覚醒したことで、逆流した胃酸が口から溢れた。先程まで眠っていた場所が現実であることを、喉を焼く感覚が全身に伝わった。ヤンはこれは現実だと認識させられる。
「喋らないでください! まだ身体は完全に回復したわけではないんです、安静にしてください! 」
医療従事者の服装をした女性がヤンの体を正しい姿勢へと直し、負担を減らそうとする。
「ドクター、まずは落ち着いてゆっくりと深呼吸してください」
こちらを覗き込む少女の言う通りに空気を吸って、吐いて、再び吸って、吐いてを繰り返す事で体に正常なリズムを刻ませる。
「少ないかもしれませんが、この水を飲んでください」
少女から水の入った水筒を受け取り、無理のない範囲内で体に水を満たす。落ち着いてきた頃、水筒を返しつつようやく疑問を口にすることができた。
「......私は、左脚を撃たれて出血多量で死んだはず」
それに対する反応は、当然ながら目の前の少女から真っ向から否定される。
「何を......言っているのですか? 左脚には傷はありません、それにこうしてあなたと手を合わせているのです! 死んだだなんて、そんなこと言わないで下さい! 」
死を迎えたはずの男は温もりを、命の鼓動を分け与える少女を見つめる。その少女もまた、奇妙な動物的な、恐らくはウサギのものと思われる耳をもつ少女の青い瞳には、強い意志を感じられた。だが、当然だが彼の記憶の中にはそんな少女はどこにもなかった。
「そもそも君たちは......一体、誰なんだい?」
「ドクター、もしかして記憶が.....」
その言葉を聞いた少女は戸惑いを隠さず、繋いだ手を離す。少女はヤンを察してか自己紹介に入る。
「私はアーミヤと言います、あなたを助けにきました」
「......私を?」
「そうです、Dr.ヤン。あなたは私たち【ロドス】の一員です」
帝国的でもフェザーン的でもない。同盟でも組織の名前としてはあまり見ないギリシア風の名前だった。疑問は尽きないがこの状況ではアーミヤと名乗る少女から情報を引き出す他ない。
「ロドス?......どういう組織なのかな? 教えてくれるかい、お嬢さん」
「わっわかりました、ロドスについてですね」
慣れない呼び方をされたのか、アーミヤは更に困惑しつつもロドスという組織について教えてくれた。
「私たちロドス・アイランド製薬は
「すまない、全く聞き覚えがない。そもそも
聞いたこともない病、企業、さらにはコスチューム・プレイとしかいえない姿をしたヤンを起こした人たち。起きてから大量の情報を処理しようにも頭はまだ本調子ではない。そんなヤンを憐れむような表情でアーミヤは見つめる。
「分かっています、今こんな話をしても信じてもらえないかもしれません。私たちのことも信じてもらえないことも。」
そう言いつつ、アーミヤは男と同じくらいの視線に目を合わせると男の右手を再びそっと両手で挟み、顔まで持ち上げる。
「しかし、私たちにとってあなたは大切な人です。何があろうともこれだけは変わることのない事実です。だから......」
手のひらを合わせて、祈りにも似た姿勢で少女は懇願する。
「少しだけ、時間をください。それに、もしかしたら思い出せることもあるかもしれません」
恐らくはその人と自分は違うという事実がヤンの脳裏に浮かびつつも、眼前の少女の思いの力に負ける。バツが悪い空間をなんとかしようと、状況を理解するためにも話題を変える。
「......ここは?」
「ここはチェルノボーグという都市で......」
「すみません、アーミヤさん。ってドクター! 目が覚めたのですね! 」
古めの扉が金切り声を上げ、裏口と思わしき場所から完全武装した男が入ってくる。頭、目、口の全てを隠しており、服は【ロドス•アイランド】のロゴが入った制服を着ている。体全体を防具で包み、肩には通信機、腰には護身用であろう刀を提げている。
「どうしましたか?
「レユニオンの奴らがここにも来ています。ここも危険になるかもしれません、急いで逃げましょう!」
「さあ、これを着て他の小隊の方たちと合流しましょう。 立てますか?」
状況が飲み込めないものの、ヤンの目の前に差し出されたのは他の人たちと同じルークを下地とした【ロドス•アイランド】のロゴをつけた黒い外套と、それとは真反対の白衣、そしてつば付きの化学防護。目覚めたばかりの体を何とか動かしつつ、それらを身に纏う。
「ガードさん、ドクターはまだ目覚めたばかりですので背負ってもらえますか?」
「了解です。 アーミヤさん、他の人たちも心配ですし、予定より早く第一合流地点に行きましょう」
こうして、ガードと呼ばれる男にヤンは担がれながらもロドス•アイランドと共に行動することになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「レユニオンの奴ら、もうこんなところまで......」
彼女たちが第一合流地点と呼ぶ場所に着くと、よく整えられたコンクリートの周りを傷だらけの白い外套、人間味のない白もしくは黒の面、Guardと呼ばれた男の持っている刀と同じものを持った者たちに占拠されていた。
数十人程度とさほど多くはなかったが、戦えそうに見えるのがガードしかいない以上見つかったら抜け出すのが難しくなるのは明らかだった。
「あそこはもう使えませんね...... 予備合流地点へ向かいましょう」
全員が移動に移ろうとしたその時、階段を登る不規則な足音が聞き取れた。それは徐々に大きくなり近づいているのをその場の全員が感じ取る。
「おい、そこのお前ら。何者だ?」
運悪くレユニオンと呼ばれる白い外套の巡回と鉢合わせてしまい、全員が身じろぐのを感じとった。
ヤンは起きたばかりの自分を呪いつつも、この状況を見守るしかなかった。
「武器を持っているな、今すぐ捨てろ」
「くっ......」
唯一の抵抗手段の刀だったが、命の危機を前にはとても頼りない。変に相手の要求に逆らい、逆上させないようにすることを察知してか、ガードは大人しく従った。
「ウルサス人ではないな、ここで何をしていた」
「ひっ......」
この近辺に住んでいる住民でないことが見破られたようだ。医療従事者の女性は襟をつかまれ、小さく嗚咽を漏らす。ガードも三人ほどの外套に押さえつけられる。その動作はどちらも荒くて拙い。相手を押さえつけることより怒りの感情が先走っているように見えた。
「言え! この周辺で何をしていた!」
外套が恫喝するように乱暴にガードを蹴り、それに合わせて残り二人も蹴り始めたことで、骨を叩く鈍い音が周りに響く。目に見えて危機的状況であったが、アーミヤは手を挙げながらも冷静に、事前に用意していたと言わんばかりに、すらすらとカバーストーリーと思わしきものを口にする。
「私達は外国からの観光客です。ここにはチェルノボーグの技術を見学しに来ました。あなたたちには何もしないと約束しますので、どうか通してもらえませんか?」
「怪しいなぁ? ならなぜ武器を持っていた? 見学だけなら不要だろ」
「それは......」
当然ながらその言を信じるはずもなく、相手の猜疑心を刺激するだけであった。少しの間を置き、アーミヤの顔を覗き込むと苦悶の表情を浮かべている。
彼女は意を決したように袖をめくり、その細い腕を目の前の白外套の男に見せた。そして、その面越しからでもわかるほどに驚きのリアクションがみられ、相手はアーミヤと同じ目線まで姿勢を直し、手を肩に置いた。
「......そうか、お前たちも感染者だったんだな」
「それは悪いことをした」
先程の態度とは一転、同情の声がかけられる。医療従事者の女性とGuardは開放されるも、ヤンは何も状況がわからず、置いて行かれる。眼前の光景について理解できない彼は、この後のやり取りに介入することができなかった。
「同胞はあまり傷つけたくない。ここも危なくなるだろうし、出口まで送ろう」
「ありがとうございます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「もう、大丈夫だ。ここで降ろしてほしい。君も少し体を労わった方がいい」
「わかりました、そうさせてもらいます」
全快とはいえないものの、支えてもらう必要が無くなったヤンは、ガードに休むようにいった。しかし動くのにはまだ足の筋肉が痙攣しており、すぐそこの廃屋で回復を待つことにした。その間に先程の光景のことをアーミヤに尋ねようとした。
「ええっとぉ.....今のは......その......」
話を切り出したものの、何から聞けばいいかわからない。それを察したアーミヤはこちらを向く。
「ドクター、これを見てください」
「それって......石?」
アーミヤは、先程レユニオンの圧力から逃れるときと同じように腕を見せた。しかし、それは普通とは到底いえないものだった。腕の一部からは黒い石が露出し、血管の上から押さえつけるように伸びていた。そんな惨たらしい状態に、ヤンは驚愕と、少しの恐怖を抱いた。
「これは
「じゃあ、それが人体に入ったら......」
「はい、それが
なんてグロテスクで趣味の悪い病気だ、とヤンは心に呟いた。体から石が生えてくるなど、想像を絶する痛さであることは想像に難くない。アーミヤはこの特殊な病気について喋り続ける。
「
「随分と物騒な世の中だねぇ、どこへ行っても人間のやることは変わらないようだ」
時は移り、所も変わり、奇妙な耳が生えようとも人類の営みには何ら変わることはない。低劣な行為は常に存在するという事実に打ちひしがれ、やる気を失いつつもヤンは一つずつ気になる部分について尋ねようとした。
「なんとなく察してるけど、治療薬って......」
「できていません。感染者の最期を変えることは、現状できません」
「ひどすぎる仕打ちだなぁ.....」
この世界ではこの病気に感染すれば、最期まで尊厳は剥奪され、野道を彷徨い垂れ死ぬ、といったところだろう。もっと言えば、遺体すらもまともに残ることはないようだ。そして、
「それとさっき、活性化っていったかい? もしそうだとしたら、この石ころにはとんでもないエネルギーが内包されていることになるけど......」
「ええ、よくお気づきになられましたね。現在の文明は
「そんな馬鹿な、これほどの大きさの都市が動くだって? 何のために......」
「天災を避けるためにです」
「天災?」
アーミヤが指を上にある黒い雲を指し、ヤンはその先を見る。一見巨大な積乱雲――少なくとも彼が知る自然現象のうち、最も似た形状からそう判断した。それは奇妙なことに、青白く駆け巡る雷を纏いながらこの都市を破壊するかを見極めるように佇んでいる。
「
「うーん......」
ならばなぜこの都市は天災を避けないのか、そんな劇物がどうして野放しになっているのか、そもそもその頭から突き出た耳は本物なのか。目覚めてからあまりにも情報が多すぎる。
「......まあ、一旦それらは置いておこう」
本筋から外れつつも、自分も罹らないようにという思いから一つの疑問をまたぶつける。
「もう一ついいかい。
「仰る通りです。しかし、これらはエネルギーとして活用している都合上どうしても不慮の事故で罹患するなどのケースは後を絶たないのです」
「つまり、完全に離れて生活をすることはできない、ということか」
そして、先程のからこのウサギ娘は彼のことをドクターと呼んでいる。提督や閣下といった呼び名とはまた違った大層な、彼の身に余る役職である。今度はそれについて尋ねる。
「私がドクターと呼ばれてるのは、なんでかな?」
「かつてあなたは
少しづつ点と点が線で繋がっていく。なるほど、研究者であれば
「それと、戦術指揮官も兼任していました」
平和を愛するヤンには到底聞き逃せない単語が飛び出た。当然である。普通研究者であるならば、血生臭い戦場に赴くことなどありえない。しかも指揮官と来た。権力を嫌っていたというのに、再び権力を持つことになるとは運命の皮肉である。
「今なんて? 戦術指揮官? 製薬会社が何と戦うっていうんだい」
「落ち着いてください、あくまで自衛のためです」
「なんて都合のいい......」
習慣で頭を掻こうとするものの、フードと髪が擦れた音が耳元に届き、指は布越しの感触が頭に伝わる。その姿は、やりたくない課題をこなそうとする子供にも見えた。
「はぁ、どうして死んだと思ったのに戦いから逃れられないのか」
だが、いくら自らの運命を嘆いても事態は好転しない。結局観念して両膝に腕を乗せ、ため息を漏らしつつも決意する。
「仕方がない。不本意だが、君たちの命を預かろう。頼りない指揮官だが、なんとか無事にここから脱出しよう」
「ドクター......」
アーミヤの様子を見る。すると、どこか喜ばしいような、年相応な興奮を伴いながらこちらを続ける。
「それって、あなたの指揮下で戦えるってことですよね......?」
「ええ? でも君は......」
戦えないだろう、と伝えようとするもののアーミヤの勢いに負ける。
「よかった......! 実は、本作戦の指揮官と連絡が取れなくて、これからの行動指針や戦術指揮をどうするかを考えていたところなんです」
こちらの話は耳に入らず、一方的であった。しかも状況は最悪のようだ。恐らくは本来のプランは消滅し、自ら請け負わずとも起きたばかりのヤンに指揮を預けるつもりだったのかもしれない。先にこちらから請け負ったことからその必要は無くなったが。
「先程のようにずっと誤魔化しが効くとも限りませんし、何より戦闘経験豊富なドクターの指揮なら心強いです!」
「えっ......」
アーミヤから期待の眼差しが向けられる。陸戦の経験があるわけではないヤンは、彼女が言っていることに思考が停止する。この発言は恐らくは元の体の持ち主と混同してるのかもしれない。
「ドクター、こちらを。【PRTS】です」
アーミヤはそんなヤンを差し置いて、謎の板状のハイテクノロジーの塊を渡す。
「今後、あなたの指揮を補助してくれる存在です。使い方は、道すがら......」
ヤンは渋々受け取り、その表面を見つめる。すると【PRTS】という文字が大きく出され、その下に「
『
画面は移り、新たな文字が浮かび上がる。
『
ヤンはどうすればいいか少し戸惑ったが、すぐさまアーミヤが補足を入れてくれる。
「ドクター、これは指紋認証で登録を行えます。指をこの画面に触れてみてください」
いわれるがまま、親指を表面に動かす。
『