転生をしたらそこは流星街?ゴミ溜めから始まる物語 作:板前さん
「お前も来い、新入り」
翌朝、ザイカハルは、アッシュと見張りの男を一人、作業場の入り口に呼びつけた。
「ハンターどもの居場所が分かった。森の西の、川べりで野営してる。何を嗅ぎ回ってるのか、見てこい。近づきすぎるな。気づかれるな」
見張りの男は、肩に銃を提げていた。アッシュには、何も渡されなかった。流星街の出の、口の堅い新入り。それ以上の扱いではなかった。
半日かけて、森を西へ抜けた。
木々の切れ間から、川が見えた。浅く、流れの速い川。その川べりの岩場に、焚き火の跡と、いくつかの寝床があった。
人影が、三つ見えた。
一人は、背の高い男だった。白く長い髪を、背中に流している。帽子を目深にかぶり、岩の上に腰かけて、川の向こうの森をじっと眺めていた。その体を包むオーラは、静かで、深かった。
残りの二人は、子どもだった。
黒い髪の少年が、川の浅瀬で、素足で魚を追いかけていた。銀髪の少年が、岩の上に寝転がって、それを呆れたように眺めていた。
アッシュは、木の陰で、息を止めた。
ゴン。キルア。
グリードアイランドに行ったはずの二人が、なぜ、ここに。
「三人か」
隣で、見張りの男が、銃を構え直した。
「大人一人に、ガキ二人。……ガキまで連れて、何を調べに来やがった」
アッシュは、答えなかった。
頭の奥で、霧が、ざわめいていた。
釣り竿の少年。父親を探して、ハンターになる話。
そして、どこかの国で、蟻の化け物が生まれる話。
その二つが、今、同じ川べりにあった。
白い髪の男の、帽子の陰の目が、一瞬だけ、こちらの茂みをかすめた。
アッシュは、息を止めた。絶は、乱れていないはずだった。
それでも、見られた、と分かった。
しばらくして、白い髪の男が、岩から降りた。少年たちに何か短く言い残して、川の上手の森へ、一人で入っていく。見回りか、何かを探しに行くのか。
見張りの男が、舌打ちした。
「二手に分かれやがった。俺は、あの白髪のを追う。お前は、ガキ二人を見張ってろ」
男は、銃を担いで、上手の森へ消えていった。
アッシュは、その背中を見送りながら、思った。
違う。あれは、見回りでも、探し物でもない。撒きに行ったのだ。あの白い髪の男は、最初から、こちらに気づいている。銃の男にも。そして、自分にも。
一人になったアッシュは、わざと、纏を少しだけ緩めた。
岩の上で寝転がっていた銀髪の少年が、跳ね起きた。
一瞬で、こちらの茂みを見据えている。手が、腰の後ろに回っていた。
アッシュは、茂みから顔を出して、唇の前に指を立てた。
キルアの目が、見開かれた。
「……おっさん?」
声を殺して、キルアが言った。その声に、浅瀬のゴンが振り返った。アッシュの顔を見つけて、ぱっと顔を輝かせる。
「アッシュさ」
キルアが、ゴンの口を手で塞いだ。
「でけえ声出すな、バカ」
上手の森から、白い髪の男が戻ってきた。いつの間に、と思うほどの速さだった。帽子の陰から、静かな目が、アッシュを見ていた。
アッシュは、茂みの陰に身を屈めたまま、三人に近づいた。
「あんたを、銃を持った見張りが追っていったはずだ。この国の人間だ。俺の名前は、出すな」
「銃のほうは、上手で撒いてきた。お前のほうは、大丈夫そうだから、わざと残した」
白い髪の男は、短く言った。
「カイトだ。この国には、生物の調査で入ってる。……ゴンたちの知り合いか」
「アッシュだ。ブラックリストハンター。今は、移住者のふりをして、この国の奥に潜り込んでる」
アッシュは、手短に話した。森の奥の、葉の畑。崖の下の、機械の唸る工場。白い粉。言われたことだけをする働き手たち。
カイトは、黙って聞いていた。それから、静かに言った。
「この国の裏に何かあるのは、薄々分かっていた。だが、俺たちが追ってるのは、それとは別のものだ」
カイトは、懐から、一枚の写真を取り出した。
浜辺の写真だった。砂の上に、何かが転がっている。
腕だった。
人の腕ではなかった。甲殻に覆われ、節くれ立ち、人の背丈ほどもある。巨大な、虫の脚のような。
「この国の海岸に、流れ着いたものだ。キメラ=アント。食った生き物の特徴を取り込んで、次の世代を産む蟻だ。普通は、人の手のひらほどの大きさしかない。だが、この腕の持ち主は、そうじゃない」
カイトは、写真を懐に戻した。
「女王が、どこかで巣を作ってる。人間を、餌にしてな」
アッシュは、何も言えなかった。
蟻の、化け物。
霧の向こうで、何かが、激しく揺れていた。物語の、後ろの方。蟻の化け物が生まれる話。その話の、始まりの場所。
ここだ。
この国が、その始まりだった。
そして、その物語の中で、何か、取り返しのつかないことが起きた。それだけは、覚えていた。誰に、何が起きたのか。どこで、いつ。それが、どうしても、思い出せなかった。
「……海辺の村で、人が消えてる」
ようやく、アッシュは言った。
「一晩で、村ごとだそうだ。でかい虫を見たって話もある」
カイトの目が、細くなった。
「……そうか」
「この国を、出たほうがいい」
言葉が、勝手に口をついて出た。
「あんたも、その子たちも。今すぐに」
カイトは、少しだけ、アッシュの顔を見つめた。何かを見透かすような目だった。
「そうもいかない。女王の居場所を突き止めて、報告するのが、俺の仕事だ」
静かな、揺るがない声だった。
アッシュは、それ以上、何も言えなかった。
何を言えばいいのか、分からなかった。何が起きるのかも、分からないのに。
上手の森から、銃声が響いた。
一発。二発。それから、悲鳴。
アッシュが振り返った時には、もう、悲鳴は途切れていた。茂みが大きく揺れて、何かが、見張りの男の体を引きずって、森の奥へ消えていった。
上手の森から、三つの影が、川べりへ降りてきた。
人の背丈ほどの、虫だった。だが、虫ではなかった。一つは、猪のような分厚い体に、甲殻の鎧をまとっていた。一つは、鳥の嘴と、鎌のような前脚を持っていた。一つは、蜥蜴のように地を這い、長い尾を引きずっていた。
どれも、二本の脚で立っていた。人間のように。
「兵隊だな」
カイトが、静かに言った。動かなかった。岩の上に立ったまま、腕を組んでいる。
「ゴン、キルア。お前たちでやれ。俺は見てる」
「うん!」
ゴンが、拳を握った。キルアが、舌打ちしながら、腰を落とした。
アッシュは、二人の前に出た。
「俺もやる」
カイトが、ちらりとアッシュを見た。止めはしなかった。
猪が、突っ込んできた。
速く、重い。だが、それだけだった。
アッシュは、受けなかった。突進の鼻先を、手のひらで払って、横へ流す。払うたびに、触れる。前脚に。肩の甲殻に。また、前脚に。
猪が、向きを変えて、もう一度突っ込んでくる。
アッシュは、その前脚に、込められるだけの念を込めて触れた。
「止まれ」
猪の両の前脚が、地面に縫いつけられた。突進の勢いのまま、巨体が前のめりに泳ぐ。
その鼻先に、ゴンが飛び込んでいた。
「最初は、グー」
ゴンの拳に、オーラが集まっていく。凄まじい量だった。
「ジャン、ケン、グー!」
拳が、猪の甲殻を砕いた。巨体が、川べりの岩まで吹き飛んで、動かなくなった。
その瞬間、アッシュは、頭上に気配を感じた。
鳥の嘴の兵隊が、鎌の前脚を振りかぶって、真上から降ってくる。アッシュは、体重を半歩だけずらした。躱して、触れる。それで終わる。
だが、それより先に、視界の端で、銀色の影が動いていた。
アッシュは、動かなかった。
キルアが、アッシュの背中を掠めて、跳んだ。
鎌が振り下ろされるより速く、キルアの手刀が、鳥の兵隊の首筋を薙いでいた。鳥の兵隊は、そのまま地面に墜ちて、もがいた。
キルアは、着地しながら、アッシュの方を見もせずに言った。
「今の、気づいてたろ」
「ああ。お前が来るのも、見えてた」
「……やな大人」
キルアが、舌打ちした。アッシュは、少しだけ笑った。
ヨークシンの廃ビル。隙を、敵の仲間に埋められて、追い詰められた夜。
今は、違った。振り返らなくても、背中を任せられる誰かが、隣にいた。
蜥蜴の兵隊が、尾を振り回して、川の浅瀬へ逃げようとした。
アッシュは、足元の岩を殴った。跳ね上がった破片を、蜥蜴の足元へ撃ち込む。蜥蜴が、足を取られて、浅瀬で転んだ。
ゴンとキルアが、同時に跳んだ。
川べりに、静けさが戻った。
三つの影が、動かなくなっていた。
「やった!」
ゴンが、拳を突き上げた。キルアが、肩で息をしながら、アッシュの方を振り返った。
「おっさんの、触ったとこ止めるやつ。やっぱそれか」
「……ああ」
「組むと、やりやすいな。おっさんが止めて、ゴンが殴る。俺が後ろを守る」
キルアは、それだけ言って、そっぽを向いた。
岩の上で、カイトが、腕を組んだまま言った。
「いい連携だ」
それから、静かに付け加えた。
「だが、今のは、兵隊の中でも、下っ端だ」
ゴンとキルアは、顔を見合わせた。それから、ゴンが、にっと笑った。
「大丈夫だよ。これくらいなら、やれる」
カイトは、何も答えなかった。
アッシュも、何も言えなかった。
これくらいなら、やれる。
その言葉が、なぜか、ひどく胸に引っかかった。
日が傾き始めていた。
「戻らなきゃならない」
アッシュは言った。
「見張りが一人、化け物にやられた。戻って、そう報告する。でないと、俺が怪しまれる」
カイトは、黙って頷いた。
ゴンが、少しだけ寂しそうな顔をした。
「アッシュさんも、気をつけてね」
「お前らこそ」
「アッシュさんの探してる友達、この国にいるの?」
アッシュは、少しだけ黙った。
「……ああ。たぶん、この森の、ずっと奥に」
「そっか」
ゴンは、にっと笑った。
「見つかるといいね」
キルアは、岩の上に座ったまま、川の方を見ていた。それから、振り返らずに言った。
「おっさん。また後でな」
「……ああ」
アッシュは、カイトの前に立った。
「その子たちを、頼む」
カイトは、帽子の陰から、アッシュを見た。それから、静かに頷いた。
「ああ」
アッシュは、背を向けて、森へ歩き出した。
木々の切れ間で、一度だけ、振り返った。
夕陽の中の、川べり。岩の上に立つ、白い髪の男。浅瀬で、また魚を追いかけ始めた黒髪の少年。それを呆れたように眺める、銀髪の少年。
三人が、並んでいた。
アッシュは、その景色を、しばらく見ていた。
それが、三人が揃っているのを見る、最後になった。
作業場に戻ったアッシュは、見張りの男が化け物にやられたことだけを、ザイカハルに報告した。ハンターたちのことは、川べりで野営していた、とだけ言った。
ザイカハルは、空っぽの目のまま、黙って聞いていた。
それから数日、川べりのハンターたちの話は、何も聞こえてこなかった。
どこにいるのか。まだこの国にいるのか。無事なのか。何一つ、分からなかった。森は広く、作業場は崖の下の暗がりにあった。外の様子を知る術は、見張りたちの噂しかなかった。
その噂も、日に日に、途切れがちになっていった。
見張りが、また減った。海側の村だけではない。森の西でも、北でも、見回りに出た者が戻ってこなくなった。ザイカハルの顔から、空っぽの余裕が、少しずつ消えていった。作業場の入り口に、銃を持った見張りが倍に増やされた。
この国を、出たほうがいい。
あの日、カイトにそう言った。それしか、言えなかった。
何が起きるのか、思い出せなかったから。
あの三人は、今、どこにいるのだろう。
アッシュは、葉の袋を担ぎながら、何度も、洞窟の入り口の方を振り返った。
五日目の夜だった。
眠りの合図が鳴って、働き手たちが、黙々と寝床に横になった頃。
アッシュは、目を閉じたまま、眠ってはいなかった。この作業場に来てから、一度も、深く眠ったことはなかった。
先に気づいたのは、音のなさだった。
崖の外の森で、夜通し鳴いているはずの虫の声が、止んでいた。
それから、気配。
洞窟の入り口の、さらに外。森の暗がりの中に、いくつもの気配があった。十。いや、二十を超える。人のものではなかった。足音が、獣とも人とも違う。それでいて、妙に統制が取れていた。それが、崖の下へ集まってきていた。
見張りたちは、まだ、誰も気づいていなかった。
アッシュは、音もなく寝床から起き上がった。纏を、静かに厚くする。
入り口に向かって、一歩を踏み出した時だった。
洞窟の入り口の方から、銃声が響いた。
一発ではなかった。何十発も。重なり合って、洞窟の壁に反響して、雷のように轟いた。
そして、悲鳴。
その時には、アッシュはもう、走り出していた。