ネタバレと大量の捏造を含むのでバンドストーリー20話読了後前提かつなんでも許せる人向けでお願いします。
愛されて育ったんだろうな。
一般家庭に置ける精一杯のちゃんとした電子ピアノ。年季の入ったメトロノーム。あちこちにある観葉植物はイミテーションじゃなくて生きた瑞々しさがあった。そーいやガーデニングが好きなんだっけ? いつか見せてくれって言って、そんな機会は結局来なかったけどさ。
部屋にちりばめられた好きなもの、どれもに持ち主の好きと、それに向き合わせてあげたい親心が滲んでいた。
そんな優しい部屋の真ん中に立ち尽くして──真っ白な、無機質な、何もかも抜け落ちたような顔してんのは、わたしの弟子だった。
「奏多さん。わたし、やっとわかりました」
おい。
おいおいおい、待てよ、
誰がそんなことしろっつったよ。
誰が、そんなこと頼んだよ。
「──わたしが、本当にすべきこと」
そんな顔すんなって、何度も言っただろ。
バカ弟子。
ここはダレわたしはドコ、なんちて。
……うん。子供の頃にみんなで行ったバーベキューで凪がまほろに肉食われて泣いてたことも、ふたりの腕引いて走ってたらすっ転んで、膝擦りむいたのはわたしだけだったのに誰よりまほろが大泣きしてたことも、初めてのピアノ発表会で演奏中にぶっ倒れて全部おじゃんになったのも、まるっと覚えてる。
わたしは確かに、
病弱儚い系美少女から悲劇の儚い系幽霊にクラスチェンジした以外、そのまんま、わたしだ。
幽霊。いや亡霊、つーか怨霊か?
ま、そらそうもなるよな。
だって、やりたいことなんか腕いっぱい広げて包もうとしても回んねーくらいある。既にやってきたことだってリザルトで言ったらD判定くらいのが山ほどある。時間が──命があればやりたかったことなんか、数えてるうちにまた死んじゃうくらいありありだ。
彗星ライジング出たかった。クリスマスライブもしたかったな。凪ママのカレーもうちょい食っとけばよかったとかもある。わたしは作詞と編曲担当で作曲はなつめに任せてたけど、全部わたしがやって演奏はお前ら頑張れ! って機会も作りたかった。逆に歌詞をまほろに作曲はなつめに、編曲もみんなにお任せして良きに計らえー、もやってみたかった。
あと、あれな。
いっつもしょぼくれた顔しながらおっかなびっくりピアノ弾いてやがった可愛い弟子に、最後までイイ顔で弾かせてやれなかったこと。そのくせわたしのバンド観たいって言う時ばっかキラキラした顔するもんだから、一回くらい観せてやりたかったのに……わたしの方が保たなかったこと。
大事なみんなと、弟子のこと。
後悔は正直たくさん──いや。
だけじゃ、ないんだけどさ。
まあとにかく、化けて出ない理由を探す方が難しかったんで、現状については特になんの不思議もない。
つーことで、とりあえず浮遊霊と洒落込んでる。浮いてないけど。歩いてるけど。
「ひっさびさに来たなー!」
蛍と出会ったあのストリートピアノ前の風景は、そのまんまそこにあった。
変わんねー。桜咲いてるし、死んでから半年くらいかな? そのくらいじゃ何も変わんないか。
オマエとのご対面も半年ぶりってことか。埃を被ったりしてないのは、流石に外だしな。わたしのピアノは今頃どうなってるのやら。凪んちのガレージに置きっぱかな?
蛍は、あー……今日はいない、のか?
わたしの体調とバンドが優先で来られない日が多かったから、約束のない日にあいつがどのくらい来てたのかを知らねえんだわ。実は。
目立つの嫌がる子だったしな。わたしも大変デリケートだったけど、蛍もその次くらいには儚い系美少女のフンイキだった。アイツ、わたしがいねえと絶対に前出て来ねーの。
ま、わたしがいりゃおずおず出て来るし、慣れてきたら目が合うなり嬉しそーに近づいて来るようになったから、カワイイ奴だったけど。
見覚えのある子どもたちがときたまちらっと見ては通り過ぎる、寂しげなストリートピアノに近づく。
「どーれ……」
押し付けた指は一瞬の抵抗の後、すっと通り抜けちまった。
……だよなぁ。
現状に不思議はないっつったけど、不満はある。ピアノが弾けないんだ。つまんない。
どーしたもんかね。制服とか、お気に入りのにこぱんちゃんクッションとか、私物諸々はお焚き上げしてくれたお陰か手許にあんだけど……ピアノはそうもいかなかったみたいで、このザマ。
「あーあー! 弾きたかったなー!」
ピアノ椅子にどっかり、いやおギョーギよく座って独り言ちてみても、残念ながら霊能力者とかはいらっしゃらないらしい。誰の返事もなかった。
「……せめて、蛍が来て、弾いててくれりゃなあ」
無意識に空けて座ってた、左隣。内声だけ担当してたクセに、なんだかんだ図々しくわたしのメロディを食いに来てやがった、カワイイ弟子のいたところ。
ここ、マジ良いとこだったなー。学生だけじゃなくてちっちゃい子も多い地域みたいで、ノリの良いお客さんばっかで。
……寂しい。
それに、憎い。
半端に生かして、お情けみたいにちょっと遊ばせて、取り上げて。終わったと思えば今度は透明人間にしてお預けと来た。
神は、つくづく、クソヤローらしい。
「……おかーさん」
「お?」
見覚えのあるちっちゃい子が『おかーさん』の袖を弾きながらこっちを見ていた。しょんぼりした顔で見上げてるその子を『おかーさん』がそっと撫でている。
「蛍ちゃん、今日もいないね……」
「そうねぇ……すごい子だったもの、きっと忙しいのよ」
へー……ってことは蛍、ひとりでもちゃんと来てたんだ。
最期に出した宿題を、弟子はちゃんと頑張ってたらしい。
「……また、奏多ちゃんといっしょに、来てくれるかな」
『おかーさん』は、ただ、頭を撫でてやるだけだった。
「……ごめんなぁ」
蛍はわたしが知る限りじゃ結局SNS不適合な世間知らずのままだったから、他人にゃ近況の知りようもねーけど……わたしはなー。たぶん、訃報くらい出してるだろうし。調べてたら、大人はその辺、知っちゃってるか。
millsage、どうなったのかな。
なくなったのかな。それとも、まだやってんのかな。
「……あ」
あの子がまだこっちを見てた。視線、や、気のせいか。ガタガタ椅子の上で暴れても無反応、どころか悲しそうに、瞼を皺くちゃになるほど閉じてしまった。
『everscape』でも弾いたげようか……いやいや。
だから、弾けないんだってば。
『いいか? わたしの弟子になるんだ。教えはキビシーぞ?』
弟子入りを認めてやった翌日、あいつは学校終わってすぐ飛んできた。それより早くわたしが来てたことに疑問ひとつ抱かずふんすふんす気合を入れる蛍はそりゃーもう美少女だったけど、だからって甘くする気はねえ。
少しでいい。少しくらい、わたしの生きた痕を残したかったから──あとストリートピアノ弾いてたら感銘受けた子が弟子にしてくれって押しかけに来るとかスッゲー青春っぽくね?──スパルタにしてやろうって決めていた。
『師匠の言うことは絶対。復唱!』
『は、はいっ! 師匠の言うことはぜったい!』
『よーし。じゃあ早速レッスンワンな──オーディエンス煽れ! 今!』
『えっ』
青ざめて観客を見る蛍。ナマあったけー顔でわたし達を見守る皆様方はどー見たって心強い味方なんだけど、この世間知らずっぽい箱入りチワワにはまだ刺激が強いらしい。
『てっ』
『お、いけるか』
『て、てっててて、手を…………あっ、あげ……』
『そうだ、言え、言っちまえ!』
『……あ、あわわわ……』
くるっと背中を向けやがった。鍵盤を叩く──何『天国と地獄』弾きだしてんだテメー!
『おまっ、そこは「手ェ上げろ」だろ! それともあれか、言うまでもなく自分のピアノ聴けば上げるだろってか!? 図太いんだか気弱なんだかどっちだ!』
『かな゛たさん゛ごめんなさい゛〜……!』
『こっ、こいつ……いやうま! も〜! さぁお手を拝借だちくしょー!』
『あはははは! いいぞー奏多ー!』
『カナタちゃんがんばれー!』
『わたしの方が上手いっつーの!』
スパルタに、したかったんだけどさあ。
ワタシなんにもできませんみたいな顔するのに、指を置くまでは蛇に睨まれた蛙みたいに震えてるくせに、いざ弾き始めりゃひやっとするくらい上手くて──しかも、明らかに抑えてやがる。
気に食わなかった。
わたしには先がないのに、走りたくても足をもがれるのに、お前はなんで、って。
でも。
怯えた顔で、だけどわたしに縋るように安堵も覗かせて、甘えてくれる弟子が可愛くてさあ。結局、楽しく弾いてるばっかりになっちまった。
そんな日々が続いて。
情が湧いて。
もしもを、考えるようになった。
ピアノの前で不貞腐れてたら、思いのほかいっぱい噂が集まった。大体3パターン。『あのmillsageをよく弾いてる子最近来ないね』っつー、たぶん私が来なくなってからの蛍だけ知っている奴ら。『奏多ちゃんも蛍ちゃんも見ないね』って寂しがってくれる人達。どっちも知ってそうだけど近くで見てたわけじゃなさそうな、『バンドがって言ってたけど、でも最近のmillsageって……』って連中。こんな具合だ。
終わったって話は聞こえてこなかった。惜しむような声は全部、まだ続いていることに対して。なんなら最近? 昨日? ライブあったらしいし。
つまり。
「……気づかれなかったのか。アレ」
わたしの真っ暗な、真っ黒な、真っ正直な日記。バンド組む前からときどき書き殴ってた、どうしてもどうしても殺し切れなかった叫び。バンドを組むまでどこにも行く宛のなかった本音達の澱で、millsageを咲かせた泥。
思うところは、ある。
でも、それはそれとして。
「良かった〜〜〜〜気づかれなくて!」
ダッセーじゃん。あんなの。
あの日記だけ読まれちゃ、まるでわたしが神にただ負けたみてーだろ。
ふざけんなよ。
まほろと凪が隣にいてなつめとバチバチやり合って朋花を虜にして、青春ひと花咲かせてやって、しかも最期に弟子まで作った。
ああ、わたしはデリケートだとも。やり残したことだってあったとも。悲運の美少女だ。さぞかし可哀想に見えるこったろう──でも、デリケートで悲運で可哀想なだけ、なワケねーだろ。
日記の中身も本音だよ。だけど、ライフイズビューティフルもアイラビューも本気だ。
『everscape』。不朽の世界。それは、millsageの名と共に
わたしの勝ちだ。
……だから、気に食わねーのはひとつだけ。
「どんな体たらくしてんだアイツら!」
すっげぇ落ち目みたいな評判ばっか聞こえてきたぞ! ケンカでもしてんのか!?
地団駄踏みながらドタドタ──いや、ゴメン遊ばせ、大変お淑やかにだけど。
ガレージへ向かった。
お通夜みたいな顔してたら許さねーぞ。
いつかライブを観に来る蛍に、師匠の威厳ってヤツを示さなきゃなんだからな。
ピアノからちょっと離れたとこの自販機で天然水買って、ふたりでぐびっといったのは覚えてる。
『バンド……ですか?』
『おう! さいっきょーでサイコーのバンド、millsage!』
百回くらい話したから最初がいつだったかは忘れちゃったけど、まだそんな暑くはなかったと思う。桜はとっくに散って、でもそこまで青々とはしてない頃。あーでも、よく晴れてはいたかな。
『幼馴染で始めたバンドなんだけどさ、こいつらがまためんどくさくて面白い奴らなんだよ』
『め、面倒……?』
『そう、ちょーめんどくさい!』
一番面倒だったのはわたしに違いないんだけどな。でもさ、手のかかる子ほど可愛いってもんじゃん? きっとみんなもわたしを可愛いと思ってたに違いない。守りたくなる儚い系美少女だったかんな。
愛されてる確信があった、ってゆーのは幸せなもんだ。たぶん、わたしが自分で思ってるよりずっと。
なのでこの胸いっぱい溢れんばかりな幸せと愛を仲間たちに、ひいては聴く人みーんなにお裾分けしてやろうってバンドしてんだけど、毎日毎日わたしばっか幸せになってて参っちまうねこりゃ。
そのせいで、ちょっと、少しだけ、怖い。
『メンバーわたし以外四人いんだけど、その内ふたりが幼馴染なんだよ。子犬みてーなのと子猫みてーなの』
『いぬ……ねこ……ど、どういう方達なんですか?』
『子犬の方はさあ、人懐っこくてほわーんとしてて、なんかあるとすぐびっくりあわあわして、でもあんま物怖じする感じでもなくて』
まほろと凪がいつもいた。優しいふたりが外で待ってるってわかってたから、静かで今にも終わりそうな病室を偽物だと信じ込めた。無色の褪せた場所が世界のすべてだなんて勘違いしないで済んだ。
『バンドやろうって言ったときも一番びっくりしてたのそいつなんだけど、でも青春っぽくね? って押したらころっと乗り気になっちまって。いやー心配だねわたしは』
『ふふっ……確かに、子犬みたいで可愛いですね』
『だろだろ? 食い意地も張ってんだ、カレー大好きなんだよ。おいしそーに食うんだまた』
まほろは、わたしが死んだ後に泣けるかな。
なんでも一生懸命で背負い込んじゃう子だから。バンドだってそうだ。どんどん上手くなってくのが才能だけのハズはない。頑張ってるんだってことくらい、わたしが巻き込んだからわかってる。
見舞いに来るたび無理に笑顔作ってたことくらい知ってる。いっつも話してくれた美味しいものの話、自分の趣味で探したみたいな顔して、ホントはわたしが楽しめるように──外に、生に希望を持てるように、新しいものをたくさん探してたのを知ってる。
頑張りすぎちゃわないかな。
『で、口の周り汚してたりして、もうひとりが拭いてやってんの』
『子猫さん……というか、親猫さんみたいですね?』
『アハハッ! そうかもな。ワガママとかぜーんぜん言わねえやつで。面倒見イイのは構わないんだけど、アレやりたいコレやりたいってそんな言わないから、わたしともうひとりでそいつの楽しめそうなこと探しまくったり』
凪は、どうかな。泣くだろうけどさ。それを隠しちゃわないかな。
蛍は親猫みたいって言ったけど、やっぱ子猫だよ。きゃんきゃん言ってるわたしらの後ろをついてきて、構ってあげてますって顔で甘えに来る子猫。重荷にならないようになるべく素っ気ない態度でいようとして、だけど近くから離れようとは絶対しなくって。穏やかな当たり前を当たり前にできるように──波風なく、不安や絶望の種を残さないようにしてくれて。
ちゃんと甘えられっかな。弱みを見せることや、弱みを自覚すること自体がしんどいみたいだし。いっぱい振り回してメーワク掛けても大丈夫だって教えてきたつもりだけど、忘れちゃわないかな。
『……素敵だなぁ』
蛍が、ふわふわした声で零した。
夢でも見てるみたいな色だった。
『奏多さんは……あったかくて、優しい人です』
『お? なんだなんだ、今更気づいたのかよ』
『わうっ、えへへ……いえ、ずっとわかってましたよ? でも、改めて』
ぴこんとはじいてやったおでこを妙に嬉しそうに押さえて、目を細めた。天然水のボトルを透けた西日が乱反射して、輝いて、眩しかった。
『幼馴染さん達もきっとそういう人達で、たぶん、残るおふたりも良い人達で。奏多さんの──』
──吐き気がするくらい。
『──奏多さんの世界は、なんて、綺麗なんだろう』
言いたかったよ。ホントは。
なあ、神。
なんで今なんだよ。
もうすぐおしまいだってわかった今に、今頃になって、今更に、なって、なあ、なんで。
なんで今更、蛍と引き合わせたんだ、って。
『──だろ? 一万回くらい聞かせてやるからありがたく味わうよーに』
『お腹いっぱいになっちゃいますよっ』
『なれなれ、太れ! 肉つけろ! ひ弱なガキンチョめ』
『ひ、ひよわ……ガキンチョ……』
もしもを、あの頃はよく考えてたっけ。
もしも物語なら、なんて。
スピンオフみたいだって思ってた。次回作の主人公に手ほどきする師匠ポジ。前作主人公。
じゃあ、蛍の物語が始まるとき。
『いまだに客の方向いて弾けない根性ナシなんかガキンチョで十分……や、アイツが言いそうだなこれ』
『あいつ?』
『後から入ったやつな。幼馴染もイイ奴らだけど、後から入ったふたりも面白くてサイコーなんだ! かたっぽ、お前のことガキンチョって言いそうなのはギターのヤツでさあ──』
もしも──ああ、そういえば。
お前、『楽壇の天使』だったな。
天使。
蛍が『楽壇の天使』ってことには、自己紹介されたときから気付いてた。
むかーしのこと。わたしはコンクールに出ようとして、リハ中に体調を崩した。原因は単純で、当時はまだ蛍よりひ弱で蛍よりガキンチョで蛍より繊細だったから、ピアノ演奏っていう全身運動、それも初めての大舞台で大興奮大緊張しながらってシチュエーションに身体が耐えられなかった。
それでも本番なんとか出たいって駄々捏ねて、絶対やるんだって張り切って、張り切りすぎて、会場着いたところでぶっ倒れて全部おじゃんになった。確か、神様を呪い始めた最初だったと思う。
いやー不貞腐れたね。病室で独りのときはもう音楽なんかやるもんかってぶつくさ言ってたもんだ。
それでも未練がましくスマホでコンクールの結果調べてたときに、歳下にえらくピアノの上手い奴がいるらしいことを知った。
わたしが進めない道の先で、『楽壇の天使』なんて呼ばれ出したことも。
いつの間にか落ちぶれたらしいことも。
『──あいつ、なんで蓋してんだろうな』
みんなの前でそう言ったのも百回くらいは超えてた気がする。ウソかも。流石に五十回は超えてない……いや、ちょっと自信ないな。
人工浜を歩きながら、水面で砕けて乱反射する西日を見て『ああ、そういえば』と思ったのが最初だった、っつーことだけは確かだ。
『例の、蛍さん……ですよね。蓋というのは?』
『いやー。ちゃんと……じゃないか。ソロアレンジだけど、「everscape」教えてみたんだよ』
『は? そこらの奴が弾けるわけないでしょあんなの』
『なつめちゃんはそれ言っちゃダメだよ……』
『それがさ、弾けちゃったんだよ。元々私が弾いてんの横で聴いてたし、なんならセッションのネタにしてたから、多少の慣れはそりゃあっただろうけど』
『……どのくらい簡単にしてたの?』
『してないしてない、わたしが好き放題弾いて遊んでるときのアレンジだし、むしろムズくなってるはず』
『まあ……♡ それはそれは、凄まじいですね』
『everscape』は渾身の一曲だ。怒涛の手数とそれが絡み合う緻密なコンビネーション、無機質な技術の羅列にならないように誂えたストーリー性ある展開、全部を綴じ結ぶわたしの叫び。大胆不敵なプログレッシブロック。
……を、全パートごちゃ混ぜで再構成した、バカみてーな難易度のピアノソロ版をたまーに弾いてたんだけど。
『再現性なんか考えてない手癖盛りまくりのやつを完コピされちまってさ、流石にビビった』
『はん、師匠の立場も危ういわね』
『ビクビクした顔で弾いてる内はまだ負けねー!』
『……歳上の勢い強い先輩が隣にいて怖い、とか』
『それだったら凹むぞ』
『二、三ヶ月くらいの付き合いでしょ? 聞いてる感じ気弱そうだし、あんまり不思議でもないと思うけどなー』
『わたしが怖えーってのを否定してくれよ! なつめじゃあるまいし』
『フッ……』
『褒められてないですよ〜』
あのときはそう言ってわちゃわちゃしてたけど、そっか。秋まで数えても、半年もない付き合いなのか。
わたしは退院こそしたけど経過確認の通院はしてて、ストリートピアノを弾くのは決まってその帰りだった。だから、期間に比べて実際に会った回数はそんなでもない。
案外、短くて細い付き合いだったんだ。
『ま、ゆっくり打ち解けたらいいよ。奏多といると楽しいもん、その子も慣れるよ』
『振り回しすぎて逃げられちゃうかも』
『あはは、確かに』
そうできたらよかったのにな。
もしも、わたしがもっと、元気だったら。
ここに蛍も連れてきて、みんなでもみくちゃにしてやってさ。わたしが歌って、鍵盤任せてみたりなんかして。もっと色んなこと出来たかもしれないのに。
もしも、もしも、もしも──そればっか考えてた。
もしも、蛍がわたしの代わりに現れたのなら。
或いは。
わたしこそが、蛍の。
幽霊だから勘弁してくれってコトで改札を通って、無賃乗車で凪んちのガレージまでやってきた。
途中で、懐かしい道をたくさん歩いた。入退院のたび車で送って貰った駅沿い。悪いのはお母さんじゃないのにいつも申し訳なさそうにしてたっけ。初めて行ったライブハウスと、その最寄りのコンビニ。ステージで飲むからってカッコつけて普段買わないような銘柄の水買ったっけ。小学校の通学路。あんま覚えてない。水瀬の通学路は、まほろや凪の家に向かう道、って感じだ。別にいっつもそうってわけじゃないけど、カレーを作ってる匂いがしてて。病院の、消毒液と薬品と洗剤の、清潔で無機質な空気よりずっと、生きてる匂いで。
勝手知ったる友達んちに足を踏み入れると、まほろと凪がいた。あのガレージ。わたしの人生全部あった場所で、ふたりが暗い顔していた。
「……凪ちゃん。巻き込んでごめんね」
「巻き込むも何もないよ。私だって、当事者だから」
「……そっか。そうだね」
巻き込む? 何の話だ?
ロフトに登る階段に座って、祈るみたいに指組んで俯くまほろは、わたしがよく知ってる顔だった。病室で眠ってるときにこっそり薄目を開けると、大体こんな顔してた。
……みたい、じゃない。
祈ってる顔だ。神なんかに。
「……私ね。汚いの」
「……まほろ」
「えへへ。凪ちゃんは、そんなことないって言いたいよね……でも、ゴメン。ちょっとだけ、許して」
「……どう思ってたとして、だよ。私も同じだけ……もっと、酷いことしてた」
「付き合い長いもん、私があんなんだったら凪ちゃんは庇うしかなくなっちゃうでしょ。昨日みたいなアレじゃなくて、これはほんとに私が悪いんだから!」
昨日? なんかあったのかよ、みんなに……いや。噂、集めたじゃん。ライブだ。昨日はmillsageのライブがあった、って聞いた。落ち目のバンドなんか忘れられるもんなのに、はっきり、何度も聞いた。
じゃあ、上手くやってるのか? それならこの空気はなんだよ。
「私ね、蛍ちゃんに感謝してる」
「……は?」
それは。
凪じゃなくて、わたしの声だった。
「私じゃ、結局奏多の穴は埋められなかった。特別にも、主人公にもなれなかった。奏多が遺してくれた贈花を、無意味に枯らしちゃうところだった。……凪ちゃんにだって、苦労かけちゃったね」
「私は大したことない……ううん、なんにも、してない。できなかった。……面倒掛けたとしたらなつめ先輩、と」
「蛍ちゃん。だね」
「……蛍が来たら、私から謝るよ。絶対」
「あはは、蛍ちゃんも同じこと思ってるだろうから、早いもの勝ちだね」
「……まほろは?」
「私はね。汚いから……ズルいから、さ? 意地の張り合いしてからじゃないと、ダメかも」
「……いいんじゃない。向き合えるなら、それでも」
「もー、凪ちゃん私に甘いよ。ダメになっちゃうよ」
ふたりが、わたしに目もくれず話している。
ガレージになつめがやってくる。朋花も隣に並んでいる。
手を引かれて──蛍が、やってきた。
「……ああ」
お気に入りらしい、真っ白でお姫様みたいな服。色素の薄い見た目に似合ってて、浮世離れしてて、ああこれは、確かに天使だなって思ってた。
あの頃から、幸薄そうな顔だった。それが、どうだよ。死にそうな顔しやがって。
話し合いが始まった。
millsageのこと。まほろが蛍と出会って、millsageの命を繋いだこと。
「……私、思ったんだ。いろいろあったし、自分の無力さも思い知った」
わたしは、わたしの独り善がりを、思い知る。
「……それでも、このバンドを終わらせたくないって。それだけは本当なんだって」
『millsageだけは』
『わたしの棺と 一緒に燃やして』
「……そっか。そんなことしてたら、させてたら、わたしは」
millsageはわたしの幸せだった。
でも、みんなにとってもそうだったのなら。
おしまいだからって取り上げたら、散々呪った神と何が違う?
『millsage わたしの幸せ』
わたしたちの幸せ。
わたしだけのじゃない、幸せ。
だって、わたしは。
みんなにだって、幸せでいてほしかったんだから。
「私はね。蛍ちゃんが来てくれて、止まってた時間が動き出して……やっぱりバンドって、音楽っていいなって、そう思えた」
まほろが微笑んで言う。
今にも泣きそうな蛍の目を見て、まっすぐに言う。
師匠だったわたしよりずっと、真っ向から。
「蛍ちゃんは、そうじゃない?」
「……わたし、も」
蛍はずっと、わたしみたいな音楽をしたいって言ってた。みんなを幸せにする音楽をしたいって。
会わせてやればよかった。
「わたしも……っ、音楽っていいなって……!」
怖がってないで、独占欲なんかダセーもん蹴り飛ばして、蛍に全部教えてやればよかった。
わたしだって、蛍に。
「バンド、すごく楽しかったです!」
こんな顔、させてやりたかったな。
それから。
話が進んでいく。
わたしを置いて、話が進んでいく。
わたしが居た場所に蛍を置いて、物語が進んでいく。
わたしがかつてやったことを、今度はまほろと蛍がなぞっていく。
セッションバトル。なつめといつもやってた意地の張り合い。友達同士のじゃれ合いみたいなことを、本気の本気で、意地の張り合い、ぶつかり合いで。
「『鳴らす』……っていうのか、この曲」
一瞬、知ってる曲かと思った。でも知らない音楽。『everscape』に少し似てる。なつめの手癖だ。とりあえずカッコいいフレーズ全部ぶち込んでやろうって作り。それを整理して、わたしのフレーズで乗っ取ったりもして、みんなに振り分けるのがわたしの仕事だった。
誰が弾くと思ってんだよって感じの無茶なピアノがもっと派手になって、それをなぞるように、時に歯向かうようにギターが走る。リズムの空隙を激しいスラップが埋める。その全てをドラムが裏から縫い上げる。
その仕事は、わたしの手癖で。
蛍は正に、それをしていた。
『鳴らす』。それは、たぶん、自惚れじゃなければ。
わたしの音楽を。
「……はあっ、はあ……! 次!」
ワンコーラス、一回し終わって。
まほろは、みんなは──わたしも。
笑っていて。
「蛍ちゃんの番だよ!」
ブレス──虹色。
一段ギア上げて、どころかぶっ壊しちまったんじゃねーかってくらいの勢いで鮮やかに奏でながら、蛍は歌い出した。
わたしほどのロックさは薄い。でも、透き通った光の束みたいな声はちっともひ弱じゃなくて。
弾けるやつだとは思ってたけどさ、歌えんならもっと早く言えっつーの。デュエットでやりたい曲とか、それなりにあったのによ。
『ああ でもやだな わたし以外が 真ん中なの』
『気持ち悪い』
うるせえよ。
あの日記に封じ込めた暗い気持ちを、奥歯で噛み潰す。
未練はあるよ。もっと歌いたかった。もっと弾きたかった。なんで死ななきゃいけなかった。何でわたしなんだよ。なんで蛍なんだよ。なんで、なんでなんでなんで──わたしが、繋ぎなんだよ。
わたしも、一緒にやりたかった。
文化祭に呼んでやればよかった。
蛍も交えたmillsageで、六人の物語を作ればよかった。
蛍もいれば、彗星ライジングだっていけたかもしれない。クリスマスライブとかやらせたら喜んだかもしれない。凪やまほろの家にだって連れてったり、まほろの大好きなカレー食わせてやったり、なつめとのセッションに巻き込んであわあわさせてやったり、朋花と褒めちぎって真っ赤にしてやったり。みんなをあのストリートピアノの前に呼んで、ふたりで『鳴らす』の連弾したり。
もっと、もっと、遊びたかったなあ。
「あははっ」
まほろと、笑い声がシンクロした。
「うん、やっぱり上手だ」
泣きそうな、楽しそうな、幸せそうな顔で歌うわたしの愛弟子を、まほろが見ている。
「ね、奏多」
「……ああ」
みんなを幸せにする音楽、やりゃできるじゃねーかよ。イイ顔しやがって。
白いアップライトピアノの、よく似合うこと。
あれから。
すげー良い気分で成仏できるかと思ったら、全然そんなことはなかった。みんながテンション上げて演奏し続けるのを見守って、あれ? と思った頃にはスッキリ解散。とりあえず行く宛もねーし日替わりでみんなに憑いていった。いよいよ悪霊みたいだなこりゃ。
んで、今日はついに愛弟子のお宅訪問だった。
「洒落た部屋してんなこいつ……」
愛されて育ったんだろうな。
一般家庭に置ける精一杯のちゃんとした電子ピアノ。年季の入ったメトロノーム。あちこちにある観葉植物はイミテーションじゃなくて生きた瑞々しさがあった。そーいやガーデニングが好きなんだっけ? いつか見せてくれって言って、そんな機会は結局来なかったけどさ。
部屋にちりばめられた好きなもの、どれもに持ち主の好きと、それに向き合わせてあげたい親心が滲んでいた。
部屋をじろじろ見られてることなんか知りもしない愛弟子はピアノの練習を終えてヘッドホンを外すと、小動物みたいにこじんまりした伸びをした。
「うーんっ……もうそろそろ寝なくっちゃ」
まだ夜九時だぞ? いい子ちゃんだなこいつめ。
ちょっと呆れた気分で眺めてると、机の端に見慣れたもんを見つけた。
「……?」
「……ん? おお!」
蛍も気づいたみたいで、それを手に取る──にこぱんちゃんのキーホルダー! ガチャガチャのやつ! こういうアニメのって意外と置いてるとこ少ねえんだよな。
しかし、蛍もにこぱんちゃんの沼に落ちてたか。まあ結構聞かせたしなー、オープニングもエンディングも。その内弾いて聞かせたりしてくれないもんかね。
勝手にはしゃぐわたしをよそに、蛍は怪訝そうにキーホルダーを持ち上げた。ためつすがめつ眺めて、やがて頭をすぽっと外す。
「あっ……!」
なんだ、気づいてなかったのか。
そうそう、USBになってんだそれ。あんま大した容量じゃないけど、ちょっとした楽譜のPDFとテキスト書く、くらい……いや。
待てよ。
まさか。
そんなわけない。
だって、わたしが死んで、蛍があのガレージに行くまでどれだけあった? 綺麗に片付いてたのにあのUSBだけが取り残されて、みんなもいたのによりによって蛍に行き着くなんて、そんな、どれだけの確率で……!
「わぁ……! すごい、これ全部、奏多さんの昔のメモだ……!」
「…………は、はっ、ははははは」
それは、開かれた。
曲のラフ。どんなイメージにしたいかを書き殴った、楽譜ですらないメモ。恥ずかしいくらいのメッセージも、小っ恥ずかしい気取ったフレーズも、いくらでも見せてやっていい。仲間への感謝とか、世界は眩しくてきれいで最高だとか、そんなやつならいくらでも。
それだって本心なんだ。
つらかったよ。苦しかったよ。運命も神も呪ったよ。でも、でも、それだけが全てじゃ──
「あ」
見つかった。
「……『4/16』」
蛍は、見つけてしまった。
初めて発作を起こした時のわたしみたいに息を荒げて、ただでさえ白い顔を青白くして、それでも──お前に、そんな責務なんかないのに──使命みたいに、最後まで、読んでしまった。
わたしの最期の、歌にしなかった気持ちが──
「奏多さん」
いつの間にか、静かに、静かに読んでいた蛍が、呟いた。
「わたし、やっとわかりました」
真っ白な、無機質な、何もかも抜け落ちたような顔してんのは、わたしの弟子だった。
あんなに幸せそうに歌っていたのに、見る影もなくて。
目を細めて。口端を吊り上げて。
天使みたいな笑みだった。
「──わたしが、本当にすべきこと」
どうして、よりによって今、見つかるんだよ。いくらでもあっただろ。失くすことだってあり得ただろ。
なんで──わたしで終わりにしてくれないんだよ。
神様。
ライブが、始まろうとしていた。
あの文化祭で着込んだやつをブラッシュアップした衣装は、蛍にはあの私服以上によくよく似合っていた。
すっかり凄腕のピアノボーカルとして黄色い声援を浴びながら、蛍は嫌に綺麗な顔で微笑んで、ピアノの前に腰を下ろす。
そして──懺悔みたいに、胸に手を重ねた。
わたしの音楽でしょぼくれた顔する奴が嫌いだ。
まして、なあ、バカ弟子。
『観たいですっ! ぜったいぜったい観たいですっ……!』
キラキラした顔で言ってたろ。
そういう顔ができる奴だったろ。
『だって、バンドで歌って弾いてる奏多さん……ぜったいぜったいカッコいいですもんっ!』
お前から見たわたしはそんな顔してたか?
違うだろ。
知ってる顔だ。
ふざけんな。
わたしは、
「……赦せない」
生きてるのに、わたしの幸せ全部そこにあるのに、わたしの物語をそっくり丸ごと終わらせようとしてるくせに、真ん中のお前が何で死人みたいな顔してんだ。
覚えてる。年間の自殺者の数。生きられるのに死んでった奴らの数。わたしが何してでもほしい命を投げ捨てていく奴らの数。
どんな事情があるのかは知らない。わたしみたいに病気だったかもしれない。病気じゃないのに削り殺されたのかもしれない。大した理由はなかったかもしれない──それでも、赦せない。
幸せを諦める奴が赦せない。
だから。
わたしをそこに立たせてくれ。
わたしに、ライブをさせてくれ。
宿題もロクにやらねー師匠不孝のバカ弟子に、カッコいいわたしを見せてやりたいんだ。
バッドエンドに大人しく負ける師匠じゃねえんだって、お前にそんなことさせなくても幸せだったんだって、ぶん殴って教えてやりたいんだよ。
なあ。
頼むよ。
おねがいだから。
なんでもするから。
身体はもうないけど、この魂でも幸せな思い出でももう使えない才能でも、差し出せるならいくらでもくれてやるから。
誰でもいい。何でもいい。今ならド腐れ神ヤローにだって土下座する。
だから。
蛍を、
奇跡的に病気が治って可愛い弟子を大事な宝物のみんなに紹介して六人で文化祭ライブするmillsageの世界線はみなさんでどうかお願いします