第一章 女神様の手違い
「……あれ? ここ、どこだ?」
向田剛志、通称ムコーダは、ぽかんと口を開けて周囲を見回した。
さっきまで、ムコーダたち一行は街道沿いの野営地で、のんびり夕飯の支度をしていたはずだった。それがどうだ。足元に広がっているのは、見渡す限りの黄金色の稲穂。遠くには、緩やかな山々と、岩肌に抱かれたような集落。空気はどこか甘く、水と土の匂いがする。
「ふむ。我らの世界の気配ではないな」
隣で、巨大な狼の姿をした伝説の魔獣、フェンリルのフェルが鼻をひくつかせた。
「あるじー! きれいなところだねー! お米がいっぱいあるよー!」
ムコーダの足元では、スライムのスイが、ぷるんぷるんと弾みながら嬉しそうに触手を伸ばしている。
「おいおい、こりゃまた派手に飛ばされたもんだな。ムコーダ、お前また何かやらかしたんじゃねえのか?」
ムコーダの肩の上でパタパタと羽ばたくのは、ピクシードラゴンのドラちゃんだ。
「いやいや、俺は何もしてないって! ……心当たりがあるとすれば、あの方しか……」
そのとき、ムコーダの頭の中に、聞き覚えのある声が響いた。
『ご、ごめんなさい! ムコーダさん! 本当にごめんなさい!』
異世界の女神、ニンリル様の声だった。
『お供えの転送をしようとしたら、座標の入力を間違えてしまって……! 別の世界の、別の神域に飛ばしてしまいました……!』
「やっぱりニンリル様の手違いかあ……」
ムコーダはがくりと肩を落とした。
『今すぐ戻します! ……と言いたいところなのですが』
別の、重々しく穏やかな声が割り込んだ。
『ムコーダよ。創造神デミウルゴスだ。座標の調整に少々時間がかかる。ここは「稲」の神々が治める、我々とは少し理が異なる領域でな。無理に引き戻せば、お前たちの魂に負担がかかる。しばらくそこで待て。なに、そう長くはかからぬ』
「しばらくって、どのくらいですか?」
『……そうだな。昼飯の一回や二回、といったところか』
通信は、それきり途切れた。
「はあ……。まあ、待つしかないか。腹も減ったし、状況整理も兼ねて、まずはメシにするか」
「おお、飯か! それでよい!」
フェルの尻尾が、ぶんぶんと揺れた。
「ごはん! ごはん!」
「おう、さっさと頼むぜ、ムコーダ」
「はいはい、わかったよ。ネットスーパー、オープン」
ムコーダが固有スキルを発動させると、目の前に、おなじみの画面が浮かび上がった。
「えーっと、手早く食べられて、みんなが好きなやつ……あ、これにするか。辛ラーメンと、シャウエッセンと、カットキャベツミックス」
「ほう、あの赤いやつか。あれは舌がびりびりして良いな」
「スイもあれ好きー!」
「辛いのはいいが、シャウエッセンは多めにしろよ」
「はいはい。肉も野菜も入れて、ちゃんとバランスよく作りますよ」
第二章 辛ラーメンの香り
ムコーダは、野営用の調理道具を取り出し、手際よく準備を始めた。
大きな鍋で湯を沸かし、まずはシャウエッセンに切れ目を入れておく。ぷりぷりのソーセージが、湯の中でぷかりと踊る。そこへ辛ラーメンの麺とスープの素を投入すると、あたりに、鼻の奥をくすぐるような独特の香りがぶわっと広がった。
「くーっ、この匂い、たまらないな……」
カットキャベツミックスをどさっと加える。シャキシャキ感を残したいので、火を通しすぎないのがコツだ。
「よし、できた。……ん?」
そのときになって、ムコーダは気づいた。
気づけば、ぐるりと周りを取り囲まれていたのだ。
「な、なんじゃ、その香りは! 鼻がむずむずするぞ!」
先頭に立っていたのは、角を二本生やした、小柄な少女だった。稲穂のように鮮やかな髪をなびかせ、腰には武具、手には何やら立派な鍬を握っている。
「ええと……あなたたちは?」
「わしはサクナヒメ! 豊穣神じゃ! この鬼ヶ島を……いや、今はそんな話はどうでもよい。お主、いったい何を作っておるのじゃ!? 赤くて、香りがやたらと攻撃的ではないか!」
「サクナ様、落ち着いてください。見知らぬ方々に、いきなり詰め寄るなど……」
穏やかに諭したのは、背の高い、物腰の柔らかな男性だった。
「田右衛門、じゃが、あの匂いは……あの匂いは、ただ事ではないぞ!」
「お、おらも気になる! なあ、ユイ!」
「うん、キンタ。なんだか、すごく美味しそうな匂い……」
子供たちまでもが、鍋に引き寄せられるように近づいてくる。さらに後ろには、物静かな微笑みを浮かべた女性、ココロワヒメの姿もあった。
「皆さま、あまり近づくと危ないですよ。鍋は熱いですから」
「あ、あの、よければ皆さんも食べますか? 多めに作ったので」
ムコーダがそう言うと、サクナヒメの目がぎらりと輝いた。
「なに!? よいのか!? 飯なら、わしは喜んで食うぞ! わしは稲作の神じゃ、食に関しては目がない!」
「サクナ様、まずはご挨拶を……」
田右衛門が頭を下げ、ムコーダも慌てて挨拶を返した。事情を説明すると、サクナヒメは腕を組んで、ふむふむと頷く。
「なるほどな。別の世界から迷い込んだ、というわけか。それは災難じゃったな。まあよい、待つ間、ここで寛ぐがよいぞ!」
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく。はい、どうぞ」
ムコーダは、人数分の器に、辛ラーメンをよそっていった。真っ赤なスープに、ぷっくりとしたシャウエッセンと、緑鮮やかなキャベツが浮かんでいる。
「いただきます!」
サクナヒメは、待ちきれないといった様子で、麺をずるずるっとすすり込んだ。
「…………!」
一秒。
二秒。
三秒。
「ぐ、ぐあああああああっ!? か、か、辛いぃぃぃぃっ!!」
サクナヒメは、口を押さえてその場にのたうち回った。
「み、水! 水をくれぇぇ! 舌が、舌が燃えるうううっ!!」
「サクナ様!? しっかりなさってください!」
「辛い! でも、うまい! 辛いのに、うまいぞおお!!」
「ひいいい……か、辛い、です……!」
ユイも涙目で、ぱたぱたと手で口をあおぐ。ココロワヒメまでもが、頬を紅潮させて、そっと袖で口元を押さえた。
「あらあら……これは、なかなか……」
「ははは、すみません。辛いのが苦手だったら、先に言っておくべきでした」
「いえ、おいしいのです、おいしいのですが……!」
一方、男性陣はというと。
「ううむ、これは……米が欲しくなる味ですな」
田右衛門は、額に汗を浮かべながらも、箸を止めずに食べ進めている。
「いや、米もいいが……こう、きりっと冷えた酒が欲しくなる辛さじゃ。誰か、酒は持っておらぬのか!」
「酒、ですか。それなら……」
ムコーダは苦笑しながらネットスーパーを操作した。
「じゃあ、ビールを出しますよ。キンキンに冷えてるやつ」
ぽんっ、と音を立てて、冷えた缶ビールが現れる。
「おお、これはなんと! 金属の器の中に酒が!?」
「プルタブ、って言うんです。ここを、こうやって開けて……」
ぷしゅっ、という小気味いい音が響いた。
「ぷはー! くーっ、冷たくて、しゅわしゅわしておる! 辛さがすうっと流れていくわい!」
「うむ、これは良いものですな」
田右衛門も、ビールを一口含んで、満足げに目を細める。
「ごくごく……うめえ!」
「あるじー、スイもこれ飲みたいー!」
「スイは水でいいの。ビールは大人のものだから」
「ええー」
「おい、我にもよこせ。辛いものには、こういう飲み物がよく合うのだ」
「フェル、お前はまた……はいはい、わかったよ。ちゃんとお皿に出すからな」
そんなこんなで、にぎやかな昼食は、和やかに進んでいった。
第三章 天界の宴からの依頼
食後、一息ついたところで、サクナヒメが居住まいを正した。
「ムコーダ殿。いや、実はな、折り入って頼みがあるのじゃ」
「頼み、ですか?」
「うむ。実は近々、わしが所属しておる天界で、宴が催されるのじゃ。神々が一堂に会する、それはそれは大がかりな宴でな。そこで出す料理を、お主に作ってもらえぬかと思ってな」
「えっ、俺がですか? そんな大事な場で?」
「お主の料理は、見たことのない味ばかりじゃ。きっと神々も驚かれるに違いない。それに、わしの上司にあたる神々は、皆グルメでな。新しい味には目がないのじゃ」
「でも、俺は料理人でも何でもないですよ。ただのサラリーマンで……」
「謙遜するでない。あの辛い麺は、実に見事じゃった。……いや、確かにわしは悶絶したがな」
「そうでしょ、サクナ様。悶絶してましたもんね」
「ユイ、余計なことを言うでない!」
くすくすと笑い声が広がる。ムコーダは、頬をかきながら、少し考えた。
「うーん……デミウルゴス様が戻してくれるまでは、時間もあるみたいだし、お世話になったお礼もしたいですしね。わかりました。できる範囲で、やってみます」
「おお! 恩に着るぞ、ムコーダ殿!」
そのときだった。
ムコーダの目の前で、ネットスーパーの画面が、ぴかぴかと点滅を始めたのだ。
「ん? なんだ? 新しいお知らせが……」
画面に、次々と文字が浮かび上がる。
『新規テナントオープンのお知らせ』
『カルディコーヒーファーム、オープン!』
『成城石井、オープン!』
『クランド、オープン!』
『角上魚類、オープン!』
『OK、オープン!』
『シャトレーゼ、オープン!』
「…………えええええ!? ちょ、ちょっと待って、すごいことになってるぞ!」
「あるじー、どうしたのー?」
「ネットスーパーに、新しい店がいっぺんに六つも増えたんだよ! カルディに、成城石井に、クランドに、角上魚類に、OKに、シャトレーゼ! これは……これは、使える!」
ムコーダの目が、きらりと光った。
「おい、ムコーダ。なんだか悪い顔をしておるぞ」
フェルが、呆れたように言った。
「いやいや、悪い顔なんてしてないって。……ただ、これなら、とんでもないものが作れそうなんだ。サクナヒメ様、天界の宴の話、ぜひ引き受けさせてください」
「おお、まことか!」
「ええ。ただし、準備には少し時間をもらいます。それと、台所をお借りできますか?」
「無論じゃ! 田右衛門、案内してやれ!」
「かしこまりました。こちらです、ムコーダ殿」
こうして、異世界の飯と神々の宴が、思いがけず出会うことになったのである。
第四章 神々の前に並ぶネットスーパーの底力
宴の当日。
天界の大広間には、見たこともないほど多くの神々が集まっていた。きらびやかな装束をまとい、ずらりと並ぶ神々を前に、ムコーダは緊張で喉がからからになっていた。
「ひ、ひええ……なんか、すごいメンバーなんですけど……」
「ムコーダ殿、案ずるな。堂々としておればよい」
サクナヒメが、小声で励ましてくれる。
上座には、武人らしい風格を漂わせる男神と、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた女神が並んで座っていた。サクナヒメの両親、タケリビとカムヒツキである。
「ふむ。サクナが連れてきた客人というのは、そなたか」
「は、はい! 向田剛志と申します! 本日は、お招きいただき……いえ、お、お料理を、ご用意させていただきました!」
「うむ。楽しみにしておるぞ」
「は、はい!」
ムコーダは、ぎこちなく頭を下げると、台所へと駆け戻った。
「よし、やるぞ。ネットスーパー、オープン」
一品目 生ハムとランプフィッシュキャビアのライムリーフドレッシング和え
最初の皿は、カルディの食材から始める。
生ハムを薄く広げ、そこにランプフィッシュキャビアをたっぷりとのせる。黒く艶やかな粒が、きらきらと光を反射して宝石のようだ。そこへ、ライムリーフの爽やかな香りがするドレッシングを回しかけ、軽く和えれば完成だ。
「おおお……これは、見た目も美しいな!」
神々の間から、感嘆の声が上がった。
「生ハムの塩気と、キャビアのぷちぷちした食感、そしてこのライムの香り……なんと爽やかな!」
「酒が進む、酒が進むぞ!」
「ふふふ。これは、先付けにぴったりですね」
カムヒツキが、満足そうに微笑んだ。
二品目 加賀野菜の海鮮マーラータン・刀削麺入り
続いては、OKと角上魚類の合わせ技だ。
OKで取り寄せた加賀野菜を、じっくりと煮込む。丸いもの、細長いもの、色鮮やかなもの。それぞれの甘みを引き出すように、下ごしらえを丁寧に行う。そこへ、角上魚類から取り寄せた新鮮な魚介を投入する。えび、いか、ほたて、あさり。海の幸が、ふつふつと煮える鍋の中で踊っていた。
仕上げに、マーラー(麻辣)のスパイスをきかせ、刀削麺を加えれば完成だ。
「ほう、これは……辛くて、痺れるような味わいだな!」
「うむ、うまい! 海の幸の旨みが、しっかりとスープに溶け込んでおる!」
「この麺は、不思議な形をしておるのう。ひらひらしておる」
「刀削麺、って言うんです。削って作る麺なんですよ」
ムコーダは、緊張しながらも、少しずつ手応えを感じ始めていた。
「ひい……か、辛い……でも、やめられぬ……」
見れば、サクナヒメが、またしても涙目になりながら、麺をすすっていた。
「サクナ様、あれだけ悶絶していらしたのに……」
「う、うるさい! うまいから仕方ないのじゃ!」
田右衛門は、そんなサクナヒメを、温かい目で見守っていた。
三品目 のどぐろの炭火焼き
三皿目に取りかかるころには、ムコーダの手つきも、すっかり落ち着いていた。
角上魚類から取り寄せたのどぐろは、脂がたっぷりとのった立派なものだ。串を打ち、七輪に炭をおこして、じっくりと遠火で焼いていく。
じゅう、じゅわあ……。
皮目から滲み出した脂が炭に落ち、ぱちぱちと小さな音を立てて、香ばしい煙が立ちのぼる。その煙が大広間にふわりと広がった瞬間、神々の動きが、ぴたりと止まった。
「……なんじゃ、この匂いは」
「腹の底が、きゅうっと鳴ったぞ」
「おい、まだか。まだ焼けぬのか」
「落ち着いてください、もう少しです。焼き過ぎると、台無しになるので」
焼き目がついたら、仕上げに塩をひとつまみ。それだけで、のどぐろは極上の一皿になる。
「どうぞ。熱いうちに、皮ごと召し上がってください」
神々の箸が、いっせいに伸びた。
「…………っ!」
「ほろり、と身がほどけた……」
「皮目の香ばしさと、身の甘さ。脂がこんなにも上品に、口の中で溶けていくとは……」
「これは、酒じゃ。酒を持ってまいれ! 冷でも燗でも構わぬ!」
「ふふ、のどぐろはね、白身のトロと呼ばれているんですよ。炭火で焼くと、また格別で」
ムコーダが説明を添えると、神々はいちいち深く頷き、まるで学ぶように、一口ごとに目を細めた。
「ふむ。我は、その白身のトロとやらを所望する。おかわりはないのか」
足元から、低い声がした。振り向けば、いつの間にかフェルが、ちゃっかりと広間の端に陣取っている。
「お前は、後でちゃんと用意するから、おとなしくしてろって」
「あるじー、スイも食べたーい!」
「ほらほら、順番な、順番」
四品目 京野菜とパンチェッタのシーザーサラダ
続いては、口直しにもなる、彩り鮮やかな一皿だ。
OKから取り寄せた京野菜を、ひと口大にちぎって、冷たい水にさらす。壬生菜に、水菜、赤い九条ねぎ、そして色の濃い京人参。手の込んだ下ごしらえをしなくても、野菜そのものの香りと張りが違う。
一方で、カルディのパンチェッタは、薄く切ってカリカリになるまでフライパンで焼き上げる。ぱちぱちと跳ねる脂の音に、熱気と香ばしさが立ちのぼる。
ボウルに野菜をたっぷりと盛り付け、その上にカリカリのパンチェッタを散らす。最後に、成城石井のシーザーサラダドレッシングを、ぐるりと回しかけた。
「どうぞ。サラダです。さっぱりしますよ」
「ほう、野菜か」
神々のなかには、少し意外そうな顔をした者もいた。が、ひと口食べた瞬間、その表情は一変する。
「しゃきしゃき、しておる……!」
「濃厚な味付けなのに、野菜の苦みや甘みが、少しも負けておらぬ」
「この、かりかりした肉の塩気がたまらん。粉雪のような、チーズの香りもまた……」
「野菜がこれほどうまいと思ったのは、初めてじゃ」
サクナヒメまでもが、感心したようにうなっていた。
「ふむ……わしの育てた米に、この野菜を合わせたら、どうなるのじゃろうな」
「サクナ様、お仕事熱心ですね」
「何を言う、田右衛門。農は、食の根幹じゃ。食を知らずして、農は語れぬ」
「おお、立派なお言葉です」
「そ、そうじゃろう? わしは、立派な神じゃからな!」
そんなやりとりを背に、ムコーダは次の準備に取りかかった。
五品目 ほりにしのスパイスで焼き上げた松阪牛のサーロインステーキ
「さあ、メインの一つ目です」
ムコーダは、分厚く切り揃えられた、見事な松阪牛のサーロインを取り出した。ほんのりと桜色に染まった肉に、細やかな霜降りが、網の目のように走っている。
「おお……これはまた、美しい肉じゃな」
「見ているだけで、よだれが出てくるぞ」
熱したフライパンに、牛脂をひとかけ落とす。じゅわっ、と溶けた脂が、全体に広がっていく。そこへ、肉を静かに置いた。
じゅううううっ!
力強い音とともに、焼ける肉の香りが、広間を一気に満たした。
「焼き色がつくまで、触らない。これが大事なんだ……」
独り言のように呟いて、ムコーダは、じっと肉と向き合う。ひっくり返して、反対側も焼き上げ、最後にアルミホイルに包んで、しばらく休ませる。余熱で、じんわりと中まで火を通すのだ。
切り分けると、断面は、きれいなロゼ色をしていた。
「味付けは、これだけです」
ムコーダが、ほりにしのスパイスを、ぱらぱらと振りかける。ガーリックと岩塩、ハーブの混ざった、あの万能スパイスだ。
「どうぞ、召し上がってください」
神々の箸が、肉に伸びた。
「…………」
誰も、何も言わない。ただ、ゆっくりと、咀嚼している。
「…………とろける」
「肉の脂が、甘い……口の中で、消えてなくなりおった」
「この香ばしい粉が、また絶妙じゃ。肉の旨味を、余すことなく引き立てておる」
「うまい……うますぎる……」
タケリビが、静かに箸を置いた。そして、ムコーダを見つめて、ゆっくりと口を開く。
「向田剛志よ」
「は、はい!」
「見事な、一皿であった」
「あ、ありがとうございます……!」
ムコーダは、思わず深々と頭を下げた。胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「あるじー、スイにもちょうだーい!」
「我にも、そのステーキとやらをよこせ。三枚くらいでよいぞ」
「おいおい、俺にも忘れんなよ」
「お前ら、今は神様方の前なんだから、少しは静かにしてくれって!」
六品目 奥久慈しゃものよだれ鶏
休む間もなく、次の皿へ。
奥久慈しゃもを、じっくりと低温で茹で上げる。火を止めて、余熱で中までしっとりと仕上げるのがコツだ。茹で上がったら、氷水でぎゅっと締めて、水気を切り、食べやすい大きさに切り分ける。
皿に盛りつけたら、カルディのよだれ鶏のたれを、たっぷりと回しかけた。
真っ赤なラー油と、花椒の香り、ごま油に、にんにく。そこに、きざんだねぎを添えれば、見るからに食欲をそそる一皿の完成だ。
「よだれ鶏、です。見ているだけで、よだれが出るから、というのが名前の由来だそうで」
「ほう、それは、なんとも正直な名じゃな」
神々が笑いながら、箸を運ぶ。
「…………っ!」
「ぷりぷりじゃ! なんと、しなやかで、噛みごたえのある肉じゃ!」
「しゃもの旨味が、ぎゅっと詰まっておる。それに、このたれの痺れるような辛さ……クセになるのう」
「痺れる! 舌が、痺れておる! しかしうまい!」
「おい、サクナ。お前はやめておけ。さっきの麻辣で、もう涙目だったではないか」
「ち、父上! わしは、わしはまだやれますぞ!」
「サクナ様、無理は禁物ですよ」
「う、うるさいぞ、ユイ! わしは、食べる! 食べるのじゃ!」
サクナヒメは、涙目になりながらも、箸を止めなかった。
キンタが、そんなサクナを見て、感心したように言った。
「サクナ様、すげえ……。辛くても、ぜんぜん食べるのをやめねえ……」
「食の道に、妥協はないのじゃ!」
田右衛門は、そんなやりとりを聞きながら、ひとりしみじみと呟いていた。
「ああ、サクナ様がたくましくなられて……」
七品目 かごしま黒豚の魯肉飯
「そろそろ、お腹が落ち着いてきたころかなと思って。〆の前に、これを」
ムコーダが運んできたのは、深い飴色に染まった、煮込み料理だった。
かごしま黒豚の角切りを、醤油、紹興酒、八角、五香粉、そして砂糖と、ほんの少しの酢で、じっくりと煮込んだものだ。甘く香ばしい湯気が、ふわりと立ちのぼる。
それを、艶々の白飯の上にたっぷりとかける。仕上げに、半熟の煮卵を一つ、ちょこんと添えた。
「魯肉飯、といいます。台湾の、庶民の味なんですけどね」
「ほう、飯の上に、煮込みをかけたのか」
「ええ。かけ過ぎくらいが、ちょうどいいんです」
サクナヒメの目が、ぱあっと輝いた。
「飯じゃ! これぞ、飯じゃ!」
誰よりも早く、サクナヒメが、がつりとかきこんだ。
「…………っ!!」
ぽろり、と涙がこぼれる。
「サクナ様!? まさか、また辛かったのですか!?」
「ち、ちがう……! これは、辛くない……! うまいのじゃ……! ただ、ただ、うまくて……!」
「あ、ああ、そうでしたか……」
「黒豚の脂が、とろとろじゃ! 口の中で、とろけて、飯と混ざりおる! 甘辛い汁が、白飯にしみて、いくらでも食えてしまうぞ!」
「サクナ様……お米の神様として、ご満足いただけたのなら、何よりです」
ムコーダが、ほっとしたように笑う。
それを見たタケリビが、ふと、ぽつりと言った。
「サクナよ。お前が育てた米と、この料理は、よく合うであろうな」
「は、はい、父上! わしの米は、天下一じゃからな!」
「ならば、いつか、お前の米で、この料理を食してみたいものだ」
「も、もちろんです!」
サクナヒメは、胸を張って、力強く頷いた。
八品目 パリパリチョコレートショートケーキと、シェリー樽香るコーヒーリキュール
宴も、いよいよ終盤だ。
「最後は、甘いものです。お酒と一緒に、どうぞ」
ムコーダが運んできたのは、シャトレーゼの、パリパリチョコレートショートケーキだった。
真っ白なクリームと、赤い苺、そして、パリパリとした薄いチョコレートのコーティング。見た目にも、なんとも愛らしい。
その隣には、小さなグラスが並べられている。クランドから取り寄せた、シェリー樽香るコーヒーリキュールだ。深い琥珀色の液体が、とろりとグラスに満たされていく。
「ほほう、これは、可愛らしい菓子じゃな」
「ふふ、見ているだけで、心が躍るわ」
カムヒツキが、うっとりと目を細めて、ケーキにフォークを入れる。
パリッ。
小気味よい音が響いて、チョコレートが割れた。
「……あら」
「パリパリして、おる。そして、中はふわふわで、とろとろじゃ」
「苺の酸味が、ほんのりとして、これがまた、よいのう」
「そして、この酒……」
神々が、リキュールを、一口含む。
「…………!」
「なんと、深い香り……。珈琲の苦味と、果実のような甘み、そして樽の香りが、ふくよかに広がる……」
「ケーキの甘さと、重なると……これは、極上じゃ……」
「ほう……やはり、甘いものと酒は、相性がよいのう」
「ええ、今日のところは、最高の締めくくりになったかなと」
ムコーダが、少し照れたように頭をかく。
大広間は、神々の満足げなため息に、包まれていた。
第五章 神々、追いかける
「見事だった、ムコーダ殿!」
「感服いたした!」
「あの、ねっとすーぱーとやらは、一体どういう術なのじゃ!?」
「ぜひ、わが領地にも、お越し願いたい!」
宴が終わったとたん、神々が、ムコーダの周りに、わっと詰めかけた。
「ひ、ひえええっ!? お、お待ちください、落ち着いて……!」
「ムコーダ殿、あのステーキを、もう一皿!」
「いや、わしはのどぐろじゃ! のどぐろを、もう一度!」
「わらわは、ケーキとやらを、あと三つほど所望する!」
「皆の者、控えよ! ムコーダ殿は、客人であるぞ!」
タケリビが一喝するが、すでに、神々の目は、食欲に燃えていた。
「ま、まずいぞ、これは……!」
ムコーダの背筋に、冷たいものが走る。
「フェル、スイ、ドラちゃん、逃げるぞ!」
「ふむ、こうなるとは思っておったわ」
「あるじー、みんな怖いー!」
「ったく、お前の料理は、いつもこうなるな!」
ムコーダが駆け出す。その背中を、神々が、猛烈な勢いで追いかけてきた。
「待てぇい、ムコーダ殿ぉぉぉ!」
「ねっとすーぱーを! ねっとすーぱーを分け与えよぉぉぉ!」
「ひいいいい! これは、ただの、神様の食欲じゃないか!」
廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、回廊をくぐり抜ける。
フェルは、巨大な体を器用に使って、神々の進路を塞いだ。
「ふん。主を追い回すとは、無礼千万。我が、相手になってやろう」
「フェル、やりすぎるなよ! 相手は神様なんだからな!」
「わかっておる。軽く、吠えてやるだけだ」
フェルが、大きく息を吸い込んだ。
ぐおおおおおんっ!
咆哮が響き渡り、神々が一瞬、たじろいだ。その隙に、ムコーダたちは、さらに逃げる。
「サクナ様、あれでは、ムコーダ殿が気の毒です!」
「うむ! わしらも、助太刀するぞ!」
田右衛門とサクナヒメが、神々の前に、立ちはだかる。
「皆様、お待ちください! ムコーダ殿は、お疲れなのです!」
「そうじゃ! それに、ねっとすーぱーは、ムコーダ殿だけの、大切な力なのじゃ! 勝手に奪ってはならぬ!」
「しかし、サクナよ……!」
「父上! 食の恩を、仇で返すおつもりですか!」
サクナヒメの、まっすぐな一喝が、広間に響き渡った。
タケリビが、はっと目を見開く。
「…………む」
「……確かに、そうであった。食の恩は、食で返すもの。一方的に奪うは、神の道に反するな」
「ち、父上……」
だが、そのとき。
「ねっとすーぱーのシャトレーゼを、もう一度!」
「いや、成城石井じゃ!」
「角上魚類が、先じゃ!」
別の神々が、また、わっと押し寄せてきた。
「ああああ、もう、収拾がつかない……!」
ムコーダが、頭を抱える。
終章 創造神の手引き
そのとき、ムコーダの頭の中に、聞き覚えのある、重々しい声が響いた。
『ムコーダよ。待たせたな』
「デミウルゴス様!?」
『座標の調整が、ようやく済んだ。今すぐ、お前たちを、元の世界へ戻す。準備はよいか』
「お、おそすぎますよおお! でも、ありがとうございます! お願いします!」
『うむ。では、目を閉じよ。ほんの一瞬だ』
「フェル! スイ! ドラちゃん! みんな、こっちに集まれ!」
「うむ」
「はーい!」
「へいへい」
ムコーダは、みんなを抱えるように集めた。背後からは、神々の、すがるような声が迫ってくる。
「ム、ムコーダ殿ぉぉぉ!」
「行かないでくれぇぇぇ!」
「せめて、せめてあと一皿ぉぉぉ!」
「ごめんなさい、また、いつか! きっと!」
そのとき、サクナヒメが、ムコーダの前に、ぐっと一歩、進み出た。
「ムコーダ殿」
「サクナヒメ様……」
「今日は、まことに、うまい飯をありがとう。わしは、天界の宴で、あれだけ神々を満足させた料理を、初めて見たぞ」
「いえいえ、こちらこそ。サクナヒメ様たちが、場所を貸してくださったからです」
「ふふ。……また、会えるとよいな」
「ええ。きっと」
サクナヒメは、にっと笑って、小さく手を振った。
「次は、わしの育てた米で、ムコーダ殿に、極上の握り飯を、振る舞おうぞ!」
「それは、楽しみです! ぜひ!」
田右衛門、ユイ、キンタ、ココロワヒメも、そっと手を振ってくれている。
「ムコーダ殿、お元気で!」
「ぜったい、また来てね!」
「次は、おらが、うまい飯を食わせてやるぜ!」
「ふふ、どうぞ、お気をつけて」
その瞬間、世界が、ぐにゃりと歪んだ。まばゆい光が、視界のすべてを包み込む。
「…………あれ?」
気がつくと、ムコーダは、見慣れた野営地に、立っていた。
焚き火の跡。いつもの調理道具。夕暮れの空に、一番星がまたたいている。
「ここは……戻って、きたのか?」
「ふむ。我らの世界の、気配だな」
フェルが、安心したように鼻をひくつかせた。
「あるじー、おうちだー!」
「はあ、やっと帰ってこれたぜ……」
スイとドラちゃんも、ほっとしたように、ムコーダの肩や足元にくっついている。
ムコーダは、その場にへなへなと座り込んだ。
「はあああ……疲れた……。でも、なんか、いい経験だったな……」
『ムコーダさああん! ご無事でしたかああ!?』
ニンリル様の声が、慌てたように響く。
「ニンリル様……。ええ、おかげさまで、無事に戻ってこれました」
『ほ、本当に、ごめんなさい! 私のせいで、とんでもない目に……!』
「いえいえ。まあ、ちょっとびっくりしましたけど、悪いことばかりじゃなかったですよ」
ムコーダは、ふっと笑って、続けた。
「向こうの神様たちにも、ネットスーパーのご飯、すごく喜んでもらえましたし」
『そ、そうでしたか……! よかったです……!』
「その代わり、ニンリル様。今回のお詫びに、お供えは、ちょっと豪華にさせてもらいますよ」
『ほ、本当ですか!? では、では……あの、新しくオープンしたという、カルディの、あの……!』
「あはは、わかりましたよ。カルディの生ハムも、成城石井のドレッシングも、シャトレーゼのケーキも、ちゃんとお供えしますから」
『やったああああ!』
はしゃぐ女神の声を聞いて、ムコーダは、やれやれと肩をすくめた。
「よし。それじゃあ、気を取り直して、今日の晩飯にしようか」
「おお、飯か! 待っておったぞ!」
「あるじー、ごはん、ごはん!」
「おう、早く頼むぜ」
「はいはい。今日は、そうだな……」
ムコーダは、ネットスーパーの画面を、ぽんと開いた。
そこには、消えることなく、カルディや成城石井、クランドに角上魚類、OKとシャトレーゼの文字が、きらきらと輝いている。
「……やっぱり、使えるな、これ」
くすりと笑って、ムコーダは、慣れた手つきで、画面を操作し始めた。
夕暮れの野営地に、今日もまた、食欲をそそる香りが、立ちのぼっていく。
遠い、稲穂の揺れる世界の空の下では、きっと、サクナヒメが、今ごろ、あの辛ラーメンの味を思い出しながら、くしゃみをしているに違いない。
――そして、ムコーダ一行の異世界放浪メシは、これからも、まだまだ続くのである。
(了)