小4で一緒にお風呂は普通じゃないの!? 〜距離感バグりすぎな従姉弟の日常〜 作:間瀬凪
十二月中旬の金曜、木枯らしが吹く朝。
教室のストーブが心地よい音を立てる中、私は席で頬杖をつき、斜め前をじっと見つめていた。
(……なによ、あいつら。朝から妙にそわそわしちゃって)
視線の先にいるのは、言わずと知れたバカップル予備軍──永瀬悠真と藤崎陽菜だ。
秋の親戚宅お泊まり以来、二人の甘い距離感は完全に異次元へ突入している。学校では「仲のいいいとこ同士」を装うが、休み時間になれば陽菜は悠真の机へ椅子を寄せ、悠真も当たり前の顔で受け止めている。
……なのに、今朝の悠真はどこかおかしかった。
陽菜が嬉しそうに話しかけても目を泳がせ、やましさでも抱えているように視線を彷徨わせていた。
(怪しい……絶対に何か隠してるわね。また変なことでもやらかしたのかしら?)
先月、書店で二人の会話を聞いて『奥まで入って白いのが溢れた』と勘違いし、自室で悶絶した悪夢がよぎる。あの時は『ベッドの隙間に腕が挟まって、ボディクリームのチューブを潰しただけ』というオチだったが、今日の悠真は明らかに様子が違っていた。
***
事態が急変したのは放課後だった。
帰りの会が終わり、陽菜が出席簿を職員室へ返しに行ったわずかな隙。
クラスメイトが下校し、私が立ち上がろうとした──その瞬間。
サッ、と目の前に影が差した。
「……森田さん」
ビクッとして顔を上げると、コートを着た悠真が立っていた。
教室の入り口を警戒するように振り返ると、悠真はぐっと身を乗り出し、至近距離で声を潜めた。
「……今日の放課後、時間ある? 二人きりで話したいことがあるんだ。……陽菜には、絶対に内緒で」
「………………は?」
思考回路が、一瞬で焼き切れた。
ふ、二人きりで……? 陽菜には、絶対に内緒……!?
(ちょ、ちょっと待ちなさいよぉぉぉっ!?)
放課後の教室、夕暮れの斜光の中、真剣な瞳で見つめてくる男の子。
(ま、まさか……陽菜に内緒で私に告白!? 『本当は森田さんのことが……』みたいな略奪回!? いやあり得ないでしょ! でもなによその真剣な顔、耳まで真っ赤にして……っ!)
ドクンと胸が跳ね上がり、顔が一気にカッと熱くなる。
動揺する私に、悠真は切羽詰まった表情で両手を合わせて頭を下げてきた。
「お願い、森田さんにしか頼めないんだ! ……僕と、付き合ってほしいんだ」
「………………は、いっ!?」
つ、付き合って……!? いま、ハッキリ『付き合ってほしい』って言ったぁぁぁぁぁっっ!?
(だ、ダメよ紗理奈、落ち着きなさい! 陽菜がいるのよ!? でも悠真のこの真剣な瞳、真っ赤な耳……! え、どうすればいいの!? 親友の男の子からこんなド直球に告白されて……私、裏切るわけにはいかないのに、でも悠真、ちょっとカッコいいし……っ!)
心臓が早鐘のように激しく鳴り響き、頭が完全にショートしかけた──その瞬間。
「……陽菜へのプレゼント、駅前の雑貨屋さんに一緒に選びに行くのに付き合ってほしいんだ!」
「………………」
ピタリ、と私の脳内妄想が凍りついた。
「……は?」
「もうすぐクリスマスでしょ? 日頃のお礼に陽菜をびっくりさせたくて。でも僕じゃ女の子の好みが分からないから、買い物の付き添いをお願いしたいんだ。……サプライズにしたいから、陽菜には絶対に内緒で。親友の森田さんなら、好みを一番知ってると思って」
「………………」
しゅうぅぅ……と、沸騰しかけた頭から蒸気が抜けていく。
(な、なんだ……! そっちの『付き合って』かぁぁっ!!)
安堵と猛烈な恥ずかしさで真っ赤になりながら、私はツンと顎をしゃくった。
「な、なによ人騒がせな! 陽菜のことなら私以上に詳しい女子なんていないわよ! いいわ、付き合ってあげる!」
「本当!? ありがとう、助かるよ!」
ぱあっと顔を輝かせる悠真に、私は「モールのツリー前集合ね」と告げた。
けれど──私は気づいていなかった。
開いた扉の隙間から、戻ってきた陽菜が、そのひそひそ話を凍りついた瞳で見つめていたことに──。
***
「……ま、陽菜へのプレゼントなんだから、付き合うのが親友の義務よね」
悠真と別れた後、私は手洗い場の鏡の前に立っていた。
陽菜のため。そう、あくまで陽菜のための買い物だ。
なのに、私はポーチから櫛を取り出して前髪を整え、ストロベリーの香りのリップで唇にちゅるんと艶を乗せていた。マフラーも、雑誌で読んだ小顔に見えるふんわり巻きに結び直す。
(べ、別に悠真のためじゃないわよ! 男の子と歩くのに身だしなみを整えるのは大人のレディのマナーよ!)
必死に言い訳しつつも、鏡の中の私は完全に「放課後デートへ向かう女の子」の浮かれた顔をしていた。
駅前モールの広場に着くと、巨大なツリーの下で悠真が待っていた。
「あ、森田さん! 待たせちゃってごめんね。寒かったでしょ?」
「ううん、今来たとこよ」
「よかった。……あ、今日の森田さんのマフラー、すごく可愛いね。よく似合ってる」
「えっ……!? あ、ありがと……」
(ひゃっ……!? 会って早々、いきなり褒めてきたぁぁっ!?)
少女マンガの定番に密かにときめく私へ、悠真はポケットから何かを取り出して差し出してきた。
「これ使って。さっきコンビニで買ってきたんだ」
そう言って、悠真は私の冷えた両手を自分の温かい手でそっと包み込むようにして、ほんのり温かい使い捨てカイロを握らせてくれた。
「えっ……あ、ありがとう……」
(ひゃあああっ!? て、手が触れたんですけどぉぉっ!? なんでこんなキュンとする気配りをナチュラルに繰り出してくるわけ……!?)
驚く私をよそに、悠真は歩き出すなり、当たり前の顔でサッと車道側へ回り込んだ。
「森田さん、こっち歩いて。冷たい風も当たるし、車も通るから」
ごく自然な仕草で私を歩道の内側へ促し、冷たい北風を自分の体で遮るように並んでくれる。
(……な、なによそれ。誰に教わったのよ、そんな完璧な紳士ムーブ……!)
並んで歩く男の子の肩の近さ。少しだけ高い目線と、風に乗って届く清潔な石鹸の香り。
(あれ……? 私、男の子と二人きりで街を歩くのって……生まれて初めてじゃない……?)
寒さのせいだけではない熱が、じわりと耳をくすぐった。
その時、背後からスピードを出した自転車が、チリンチリンと乱暴にベルを鳴らして突っ込んできた。
「危ないっ」
悠真が咄嗟に私の手首を取り、ぐっと自分の胸元へと引き寄せた。
トン、と悠真の胸に身体がぶつかる。見た目よりずっとしっかりした男の子の胸板と、首筋からふわりと香る石鹸の匂いに、息が詰まった。
自転車が走り去る中、悠真は私の華奢な肩を優しく抱きとめたまま、心配そうに上から顔を覗き込んできた。
「大丈夫? 怖かったよね、急に引っ張ってごめん」
「あ……う、うん……平気、よ……」
(ぎゃあああっ!? な、なんなの今の少女マンガの胸キュン名場面みたいな神業エスコートはぁぁっ!?)
(咄嗟に引き寄せて抱き込むとか、それ小学生男子ができる芸当じゃないでしょぉぉっ!?)
「ねえ、アドバイス料として温かいもの奢りなさいよね!」
高鳴る鼓動を誤魔化すように少し強い口調でおねだりすると、悠真は「うん、もちろん! 何がいいかな?」と嬉しそうに笑って、モール内のカフェスタンドでホットチョコレートを二つ買ってくれた。
イルミネーションが煌めく中庭のベンチに、肩が触れそうな距離で並んで座る。
白い湯気の向こうで、ふうふうと息を吹きかけながらカップを傾ける悠真の横顔。長いまつ毛と整った輪郭に、思わず見惚れてしまいそうになる。
「ん、美味しい! ……あ、悠真のやつマシュマロ乗ってるの? ずっるい、一口ちょうだい!」
「いいよ、はい」
悠真は躊躇いもせず、自分のカップを私の口元へと差し出してきた。
そのまま飲み口に唇をつけそうになって──私はピタッと固まった。
(ま、待って! これ、悠真がさっき口をつけた場所じゃない! か、間接キスになっちゃうわよぉぉっ!?)
けれど、断るのも意識しているみたいで悔しくて、私は覚悟を決めてカップの縁にそっと唇を重ね、甘いマシュマロを一口すくった。
とろけるような甘さと一緒に、悠真の唇の熱まで伝わってきた気がして、顔が一気にカッと熱くなる。
「ど、どう? 甘くて美味しいでしょ」
「う、うん……美味しいわよ……」
俯いて真っ赤になっていると、悠真がふと私の顔を覗き込み、くすっと柔らかく笑った。
「森田さん、口の上にクリームついてるよ。……ちょっと動かないでね」
「ふぇっ!?」
悠真はポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出すと、迷いなく手を伸ばし、私の顎先にそっと指を添えて、唇の端をトントンと優しく拭き取ってくれた。
ハンカチ越しに伝わる悠真の指先の温度と、吐息が触れそうなほどの近さに、唇がびりっと甘く痺れて息が止まる。
「はい、取れたよ。……あはは、森田さんって、こういうところ意外と抜けてて可愛いね」
「……っ、な、なによそれ……っ!」
(か、可愛いって……!! いつも私がツッコんでばかりなのに、そんな年上のお兄さんみたいに優しい目で『抜けてて可愛い』なんて言わないでよぉぉっ……!!)
心臓が破裂しそうな私を前に、悠真はカップを両手で包みながら、ふわりと穏やかに微笑んだ。
「陽菜ってさ、最近どんどん大人っぽくなっていくから……どんなものをあげたら喜んでくれるか、僕じゃ自信がなくて。でも、今日森田さんが一緒に来てくれて本当によかった」
「お、大げさね。陽菜の親友なんだから、このくらい当然よ。……それに私なんて、全然優しくないし、いつもあんたたちに口うるさく怒ってばっかりじゃない」
自嘲気味に唇を尖らせた私に、悠真はびっくりしたように目を見張り、それから一点の曇りもない澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめてきた。
「そんなことないよ。僕は、森田さんがすごく優しい人だって知ってるよ」
「……え?」
「クラスの誰かが困ってると一番に気づいて助けてあげるし、陽菜のことも、僕たちのことも、いつも本気で心配して守ってくれるでしょ? 気が強いふりをしてるけど、誰より思いやりがあって、一生懸命なところ……僕、すごく素敵だなっていつも思ってたんだ」
「…………っ!」
トクン……ッ!と、胸の奥で今まで聞いたこともないほど大きな音が鳴り響いた。
息をするのも忘れて、悠真の瞳に吸い込まれそうになる。
(……ずるい。そんなの、ずるいわよ……っ)
(私のそんなところまで、ちゃんと見ててくれたの……? 陽菜だけじゃなくて、私のことまで、そんな優しい目で見つめて『素敵だ』なんて言われたら……っ)
お世辞でも下心でもない、純度百パーセントの誠実な言葉が、胸の奥の柔らかい場所にじんわりと熱く染み込んでいく。
耳から首筋まで一気に沸騰し、うつむいたまま悠真の袖口をきゅっと掴んで、二の腕をツンと小突くのが精一杯だった。
「……ば、バカ。あんた、そういうこと軽々しく他の女子に言うんじゃないわよ……っ」
「え? 思ったことを言っただけなのに……」
きょとんと首を傾げる悠真を見て、私の胸に、恋のときめきと同時に電撃のような戦慄が走ったのだ。
(……ちょ、ちょっと待ちなさいよ……!?)
(こいつ……無自覚の、天然タラシじゃないのよぉぉぉっ!?)
(完璧な気遣い、自然なエスコート、サラリと褒める笑顔……こんなの、普通の女子小学生なら一秒で落ちちゃうわよ!?)
(今まで騒ぎにならなかったのは、赤ちゃんの頃から陽菜がベッタリ張り付いて『悠真は私のもの!』って鉄壁のバリケードを築いてたからだわ……!!)
(陽菜……! あんた、学年の女子を悠真の猛毒から守る巨大な防波堤だったのね……!! でもその防波堤が決壊した今、親友の私がゼロ距離で直撃食らって撃沈寸前になってんのよぉぉっ!!)
***
モール内のファンシー雑貨店に移動しても、私の動悸は収まらなかった。
店内にはパステルカラーの可愛い冬小物が並んでいる。
「陽菜のサイズ、私と大体同じだから試着してあげるわよ!」
淡いラベンダー色の手袋をはめ、お揃いのマフラーを巻いて見せると、悠真は「わあ、やっぱり頼んでよかった! すごく似合ってる!」と満面の笑みを浮かべた。
鏡の中に並んで映る、お揃いの冬小物を身につけた二人。
(陽菜のためって分かってるのに……これじゃまるで、放課後デートのカップルそのものじゃない……!)
罪悪感と甘いときめきがせめぎ合う中、私は棚の高い位置にあるリボン付き手袋に目を留めた。
「あ、あれ可愛い! 取ってみるわ」
背伸びをして指先を伸ばした瞬間、足をもつれさせ──グラリとバランスが崩れた。
「きゃっ……!?」
「危ないっ!」
ドンッ、と強い衝撃とともに腰が引き寄せられた。
棚の陰の死角。倒れ込みそうになった私を、悠真が咄嗟に抱きとめていた。
至近距離で重なる視線。悠真の温かい吐息が頬をかすめ、抱き寄せられた腰に回る男の子の確かな腕の力と体温が、服越しにじんわりと伝わってくる。
瞳にあるのは、「怪我しなくてよかった」という純粋な安堵だけだ。
けれど──密着した下腹部で、私は確かに感じてしまった。
悠真の股間のあたりが、太ももとスカート越しに──**ふにゃっ**と、頼りなく柔らかく当たっている感触を。
(ひゃっ……!? こ、この……ふにゃって当たった柔らかいやつ……四年の時に陽菜が『可愛いよ? 見たいなら見せてあげようか?』って言ってた、悠真のあそこ……!?)
(本当にふにゃふにゃで……言ってた通り可愛いじゃないのよ……!! っていうか私、男の子の大事なところを直撃させて何にときめいてんのよぉぉっ!!)
悠真は何事もなかったかのように「大丈夫、森田さん?」と優しく支えてくれているのに、触れてしまった私の方だけが、男の子の無防備な柔らかさを知ってしまった恥ずかしさで、頭が沸騰しそうになっていた。
──その、刹那だった。
「………………あ」
通路の角から、凍りつくような声が響いた。
視線を向けた瞬間、私と悠真の血が一瞬で凍結した。
陳列棚の隙間に、ぽつんと立っていたのは──。
白いマフラーに顔を埋め、大粒の涙を目いっぱいに溜めた、藤崎陽菜その人だった。
その瞳からはハイライトが消え去り、底知れない冷気が渦巻いている。
「ひ、陽菜ぁぁぁっ!?」
飛び退くように離れる私と悠真。
けれど、唇をおめかしした私と、カイロを渡し、ホットチョコを分け合い、マフラーを見せ合い、そして棚の陰で抱き合っていた悠真。
誰がどう見ても、弁解不能な「完全無欠の浮気デート現場」だった!
「……悠真」
ポロリと、陽菜の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「今日、用事があるから一緒に帰れないって言ってたのに……紗理奈と、デートしてたの……?」
「陽菜、違うんだ! これは──」
「紗理奈、お口ぷるぷるにして……二人でホットチョコ飲んで……マフラー見せ合って……抱き合って……っ!」
陽菜の声が震え、涙が溢れ出す。
「悠真の浮気者ぉぉぉぉぉっ!! 私より紗理奈がいいの!? 私をお嫁さんにしてくれるって約束したのにぃぃっ! 悠真の大馬鹿ぁぁぁっ!!」
店内の視線が一斉に突き刺さる。
(ヒエェッ! 小学生が昼ドラの不倫修羅場みたいなセリフ叫ばないでぇぇっ!!)
何より恐ろしいのは、途中から悠真の天然タラシに当てられ、デート気分で楽しんでいた後ろめたさがあることだ。
(ヤバい……! 言い訳できないぃぃっ!!)
真っ青になった悠真は、慌ててカゴから手袋を持ち上げ、陽菜の前へ差し出した。
「違うんだ陽菜! 誤解だよ! 浮気なんか絶対にしない!」
「う、嘘つきぃ……!」
「嘘じゃない! クリスマスに陽菜をびっくりさせたくて……! でも女の子の好きな色が分からないから、森田さんに付き合ってもらってただけなんだ!」
「そ、そうよ陽菜!」
私も必死で援護に飛び込んだ。
「私がこんな朴念仁と浮気するわけないでしょ! あんたのために付き合ってあげてたのよ!」
「……え?」
陽菜は涙で濡れた目を瞬かせ、差し出されたラベンダー色の手袋を見つめた。
「……私への、クリスマスプレゼント……?」
「うん。陽菜に喜んでほしくて……内緒にしててごめんね」
悠真が申し訳なさそうに眉を下げた瞬間──。
陽菜の頬が一気に真っ赤に染まり、次の瞬間には弾かれたように叫んでいた。
「悠真ぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 疑ってごめんねぇぇぇぇっっ!!」
ドガシィッ!と物凄い勢いで、陽菜が悠真の胸元へと飛び込んだ。
華奢な両腕で悠真の背中にぴったりとしがみつき、コートの襟元に顔を埋めて、自分の匂いを上書きするように首筋へ熱い頬をすりすりと擦り付ける。
「でも! 紗理奈と内緒で二人きりなんて絶対にダメぇ……っ! 悠真から、紗理奈の甘いストロベリーの匂いが移ってるじゃない……! やだ、私の匂いでいっぱいにして……悠真は、頭の先から全部、私だけのものなんだからぁぁ……っ!」
(う、嘘でしょ!? 抱きとめられた時のリップの匂いまで嗅ぎつけるなんて……陽菜の鼻、どうなってんのよ……っ!?)
圧倒される私の目の前で、悠真の表情がふっと熱を帯びて和らいだ。
さっきまで私に向けていた『優しいクラスメイトの笑顔』なんかじゃない。ただ一人、特別な女の子にだけ見せる、深い愛情と独占欲が滲んだ男の子の瞳だった。
「……うん。ごめんね、陽菜。不安にさせちゃったね」
悠真は耳まで朱に染めながら、陽菜の小さな身体を壊れ物でも扱うように、けれど誰にも渡さないと言わんばかりにぎゅっと力強く抱きしめ返した。
大きな掌が陽菜の後頭部を優しく包み込み、さらさらの髪を梳くように撫でる。
「ひゃう……っ、悠真……っ、あったかい……大好きぃ……」
陽菜は涙で濡れた長いまつ毛を震わせ、熱に浮かされたような甘い吐息を漏らして、悠真の胸の中でとろんと蕩けきっている。
悠真が身を屈めて、陽菜の涙が滲んだ目元へ唇が触れそうなくらい顔を近づけ、耳元で「もう絶対に内緒にしないよ。陽菜が一番大事だから」と低く甘い声で囁くと、陽菜の身体がビクンと甘く跳ねて、さらに深く悠真の首筋へと爪先立ちで絡みついた。
ここはファンシー雑貨店の棚の陰だというのに、二人の周りだけ空気が濃密なピンク色に染まり、誰も立ち入れないほど甘くて艶めかしい『恋人たちの密室』へと変貌していた。
目の前で繰り広げられる、少女マンガのクライマックスさながらの濃密な抱擁。
完全に取り残された私は、口を半開きにして、火照る頬のまま立ち尽くすしかなかった。
(……は? 散々浮気相手みたいに巻き込んで泣き叫んだくせに、目の前でこれ見よがしにイチャつきやがって……! 私の精神的被害を返しなさいよぉぉっ!!)
……けれど、悠真の逞しい腕の中にすっぽり収まり、女の子の顔で幸せそうに蕩けている陽菜を見て、私の胸の奥がチクリと甘く疼いた。
(……なによ、陽菜ばっかり、あんな優しい悠真の特別な顔も、熱い抱擁も、いつも全部独り占めして……ちょっと、ずるいじゃないのよ……っ。……羨ましい……)
***
夕暮れが夜の闇へと溶け落ちた、帰り道。
冷たい夜風の中を一人で歩きながら、私の胸はさっきまでの『放課後デート(?)』の余韻で、苦しいくらいにいっぱいいっぱいだった。
ポケットの中のカイロに触れた瞬間、堰を切ったように記憶がフラッシュバックする。
(……会ってすぐ、マフラー可愛いねって微笑んでくれた、あの優しい瞳)
(当たり前に車道側を歩いて、自転車から咄嗟に抱き寄せて守ってくれた、思っていたよりずっと逞しい腕の力)
(唇の端に触れたハンカチ越しの指先と、『可愛い』って無邪気な声……)
(そして、棚の陰で抱きとめられた時の、石鹸のいい匂いと、男の子の体温……)
四年の時に陽菜が『可愛いよ?』って言っていた、あの無防備で柔らかい感触まで太もも越しに知ってしまって、思い出すだけで耳の奥までカッと熱くなる。
(陽菜が今まで必死に隠してた理由、嫌っていうほど分かったわよ……。でも、もう遅いじゃない。あんな優しいところ、ゼロ距離で全部見せられたら……っ)
歩くたびに、胸の奥がきゅーっと甘く締め付けられて、おへそのずっと下までじんわりと切ない熱が灯ってしまう。
悠真のあの特別な笑顔も、一番近い場所も、全部親友の陽菜のものだと分かっているのに──一度知ってしまった男の子のぬくもりと背徳感に、下着がじわりと熱く湿っていくのを止められなかった。
家に帰り着くなり階段を駆け上がり、内側から鍵をかけて自室のベッドへ倒れ込む。
まだ微かに悠真の石鹸の香りが残るマフラーに顔を埋めると、昼間の優しい声と逞しい腕の感触が鮮やかに蘇り、太ももの付け根がぞくっと甘く震えた。
「……っ、もう、なんなのよぉ……悠真のバカ……っ。あんなの、好きになっちゃうに決まってるじゃない……っ」
熱く潤んだ瞳を閉じ、高鳴る鼓動と下腹部の甘酸っぱい疼きに耐えきれなくなった私は、マフラーに熱い吐息を漏らしながら、めくり上がったスカートの奥、熱く湿った下着の上からそっと震える指先を這わせていくのだった──。