帝国での闘技大会、準決勝。
転生したヒュンケル・シトラスはベリル・ガーデナントと相対する。

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剣聖と魔剣戦士、相対する

サリューア・ザルク帝国の建国を祝う祭りはいよいよ佳境を迎えており、帝都の空は雲ひとつなくどこまでも高く澄み渡っていた。

その空の真下で巨大な口を開けた闘技場には帝国の民と各地から集った見物客が隙間なく詰めかけ、足を踏み鳴らす音と歓声が石造りの客席を地鳴りのように揺らしている。

陽に焼けた砂の上に立つ俺の頬を撫でていくのは乾いた風と数万もの視線であり、そのどちらもが今の俺には不思議と心地よかった。

 

十歩ほどの間合いを隔てた向こう側には一人の男が静かに佇んでいる。

飾り気のない装いに身を包んだその姿はどこにでもいる中年の剣士にしか見えず、腰に佩いた一振りの長剣だけが陽光を受けて鈍い輝きを放っていた。

だが俺はこの男が見た目通りの存在でないことを、この闘技場にいる誰よりもよく知っている。

 

「さあさあ大変長らくお待たせいたしました! 建国祭闘技大会もいよいよ大詰め、準決勝第一試合の幕開けだァッ!」

 

どこからそれほどの声量を絞り出しているのか不思議になるほどよく通る実況の声が響き渡ると、客席の熱はさらに一段と跳ね上がった。

貴賓席の方からも身を乗り出すような気配が伝わってきて、この一戦に向けられた期待の大きさが肌を刺すようにひしひしと感じられる。

 

「東の門より来たるは今大会最大の番狂わせ! その風貌に誰もが侮り、そして誰もが打ち負かされてきた! 【枯れた新参】ベリル・ガーデナントォッ!」

 

名を呼ばれた当の本人は少しばかり居心地が悪そうに頭を掻いており、その仕草には大観衆を前にした剣士の気負いなど微塵も見当たらなかった。

どうやら初戦からずっとあの呼び名で紹介され続けているらしいのだが、当人はいまだにそれを受け入れきれずにいる様子である。

 

「対するは西の門より! レベリス王国にその名を轟かせる流浪の剛剣、己が身を鎧う魔剣を携えし不死身の男! 【魔剣戦士】ヒュンケル・シトラスゥッ!」

 

割れんばかりの歓声が今度は俺の方へと押し寄せてきたが、二つ名を叫ばれたところで胸に特別な感慨が湧くわけでもない。

ただその呼び名がかつての生から地続きのものであることを思えば、皮肉な巡り合わせを感じずにはいられなかった。

二度目の生で再び大人の背丈を得たこの身体はかつての全盛期と比べても遜色のないところまで鍛え直してあるが、それでも目の前の男に必ず勝てると言い切れるだけの

驕りは持ち合わせていない。

 

「いやあ、すごい盛り上がりだねえ。おじさんにはちょっと場違いな気がしてきたよ」

「準決勝まで勝ち上がってきた男の言う台詞ではないな」

「まあ、せっかく腕試しのつもりで来たんだし、行けるところまでは行ってみたくてね。それにしても枯れたって呼ばれるのはさすがに堪えるなあ」

「的を射ているだろう。見た目だけはな」

「見た目だけはって……君は昔から俺に対して容赦がないよね」

「お前に遠慮をして勝てた試しがないからな」

 

己の腕を誇ろうともしないところは相変わらずだと呆れながらも、俺の口元は自然と緩んでいた。

こうしてこの男と軽口を叩き合うようになってから、もう随分と長い年月が過ぎている。

客席のどこかではベリルが連れてきた家族や教え子もこの一戦を見守っているはずだが、今の俺の目に映っているのは砂の上に立つこの男ただ一人だけだった。

 

俺の名はヒュンケルという。

かつては勇者アバンの一番弟子でありながら道を誤って魔王軍に身を置き、それでも弟弟子たちに救われて大魔王バーンとの最後の戦いまでを駆け抜けた一人の戦士だった。

あの戦いの後も長い旅路を歩み続けた俺はやがて老いて天寿を全うし、穏やかに目を閉じたはずだったのだ。

 

次にヒュンケルとしての意識を取り戻したのは見知らぬ世界の商家に生まれ落ちてから十年目の冬のことで、高熱にうなされた幾晩かの後にまるで長い夢から覚めるようにしてかつての生のすべてを思い出した。

そして目覚めた俺の枕元には眠る前には確かになかったはずの三つの品が寄り添うように置かれていた。

ハドラーの覇者の剣をロン・ベルクとノヴァが鍛え直した覇竜の剣と鎧化(アムド)の力を宿した鞘、そして輝聖石を抱いたアバンのしるしである。

 

剣など握ったこともない人の好い両親は息子の枕元に突如として現れた物騒な品々を前にひどく狼狽えていたが、俺はそれらを頑として手放そうとはしなかった。

まだ幼い腕ではあの剣を満足に振るうことすら叶わず、俺はこの身が育つのを待ちながらただ黙々と鍛錬を重ねていった。

 

大魔王の影たるミストをこの身に取り込んだあの日から、俺の魂には人ならざるものの名残がこびりついていたのかもしれない。

世界の壁を越えて俺とこれらの品をこの地へ運んだのがその名残の仕業なのだとしても、もう誰にも分からない事、考えても仕方がない。

 

奇妙なことに今生の両親が俺に与えた名もまたヒュンケルであり、俺はシトラス家の長男ヒュンケル・シトラスとして二度目の生を歩むことになった。

そしてその家には俺と同じ銀の髪を持つ幾つか年下の妹がいた。

 

アリューシア・シトラス。

今やレベリオ騎士団の団長として【神速】の異名を取る王国屈指の剣士であり、俺にとってはいつまで経っても目の離せない妹である。

 

その妹がまだ少女と呼ばれる年頃に剣を学びたいと言い出し、兄の俺が付き添って門を叩いたのがレベリス王国の片田舎ビデン村にあるガーデナントの剣術道場だった。

そこで師範を務めていたのが目の前に立つこの男であり、俺が抱いた第一印象は穏やかで人の好さそうな田舎の剣士という以上のものではなかった。

正直に言えば妹を預けるに足る腕があるのかを疑ってさえいたのだが、その疑いは木剣を手に向き合った最初の一合で跡形もなく吹き飛ぶことになる。

 

幼い身体との整合性のずれに苦しんでいたとはいえ、俺の剣にはかつての経験が宿っていたにもかかわらず、少年の身体から繰り出したそれらの太刀筋はひとつ残らず見てから捌かれた。

大地を割るつもりで振り下ろした渾身の一撃さえ最小限の動きで受け流され、気付けば喉元に木剣の切っ先を添えられていた俺はしばらくの間ただ呆然とその男の顔を見上げることしかできなかったのだ。

 

「……兄さんの剣が届かないなんて」

 

道場の隅で見ていた妹が漏らした呟きは驚きに震えていたが、その瞳には恐れよりもむしろ憧れに近い光が宿っていた。

思えばあの瞬間から妹の目にはこの男の背中しか映らなくなったのだろうと考えると、兄としては今でも少々複雑な心境になる。

 

「いやあ、驚いた。君の剣はとても子供のものとは思えないね。いったいどれだけの修羅場をくぐればそんな太刀筋になるんだい」

「……お前こそ何者だ。ただの田舎の剣術師範がそれほどの目を持っているはずがない」

「何者って言われても、本当にただの田舎の剣術師範だよ。親父には結局一度も勝てなかったくらいのね」

 

謙遜と呼ぶにはあまりにも本気の色を帯びたその言葉に、俺は呆れるよりも先に背筋が冷えていくのを感じたものだ。

これほどの剣士が己の強さを欠片も自覚していないという事実こそが、何よりも空恐ろしく思えたからである。

 

「せっかくだし、君も妹さんと一緒にうちで習っていくかい」

「断る。俺が師と呼ぶ人はただ一人だけとずっと決めている」

「そっか、それは残念だなあ。それなら代わりと言っちゃなんだけど、時々でいいから俺の打ち合いの相手になってくれないかな」

「兄さん。先生がこうおっしゃっているのですから、きちんとお返事をしてください」

「……いいだろう。次は必ずその身に一太刀届かせてみせる」

「あはは、お手柔らかに頼むよ」

 

あの日の申し出から始まった縁は、妹が四年の修行の末に餞別の剣を賜って道場を巣立ち騎士団の門を叩いた後も途切れることはなかった。

冒険者として各地を巡る旅の合間にビデン村へ立ち寄っては木剣を交え、俺の身体が大人のそれへと育つにつれて打ち合いの行方は次第に読めないものへと変わっていった。

勝ち負けを数えることなどとうの昔にやめてしまったが、少なくとも互いに相手を完全に超えたと胸を張れた日は一度としてない。

 

その旅の途上で鎧化した姿のまま魔物の群れを斬り伏せる俺を見た誰かがいつしか魔剣戦士と呼び始め、気付けばかつてと同じ二つ名が今生でも俺の後を付いて回るようになっていた。

当のベリルはといえば出会った頃と何ひとつ変わらず俺をただヒュンケルと呼び、俺もまたこの男をベリルと呼び捨てにしたまま今日まで来ている。

 

だからこそ今日この場所で剣を交えられることが、俺には嬉しくてたまらなかった。

衆目の前で何の遠慮もなくただ一人の剣士としてこの男とぶつかり合える機会など、そうそう巡ってくるものではないのだから。

もっとも出立の前に妹からきつく釘を刺されていることを思えば、手放しで喜んでばかりもいられないのだが。

 

 

 

出立を翌日に控えたあの日の夕刻に旅支度を整えた俺は挨拶がてらバルトレーンの騎士団庁舎へ足を運び、執務室で書類の山と向き合っていた妹のもとを訪ねた。

西日の差し込む窓辺で銀の三つ編みを揺らしながらペンを走らせていた妹は、俺の顔を見るなり手を止めて兄を迎えるにしてはいささか硬い表情を浮かべてみせる。

その顔つきを目にした時点で、俺には何を言われるのかおおよその見当がついていた。

 

「兄さん、聞きましたよ。帝国の闘技大会に出場なさるそうですね」

「耳が早いな。お前に話した覚えはないが」

「先生が嬉しそうに教えてくださいました。『ヒュンケルも出るなら向こうで会えるかもしれないね』と」

「……あいつめ、余計なことを」

 

俺が小さく舌打ちを漏らすのをよそに、妹は机の上で指を組むと真っ直ぐにこちらを見据えた。

こういう時の妹が兄の俺に対してさえ一歩も引かないことを、俺は長い付き合いの中で嫌というほど思い知らされている。

 

「兄さん。分かっているとは思いますが、念のために申し上げておきます。もし大会で先生と当たったとしても、決して勝たないでくださいね」

「……わざと負けろと言っているのか」

「いいえ、そうではありません。兄さんがどれほど本気を出したところで先生が負けるはずはありませんから、これはあくまで万が一に備えて刺しておく釘です」

「実の兄に向かって随分な言い草だな」

「先生のお名前が異国の地にまで轟くかもしれない晴れ舞台なんです。そこへ兄さんに水を差されては困ります」

「お前は昔からベリルのことになると途端に目の色が変わるな」

 

片田舎に埋もれていたあの男を王都へ引っ張り出したのも、その実力に見合うだけの舞台を用意したいという妹の一念があればこそだったのだと俺は知っている。

【神速】の異名を取る騎士団長もあの道場で目を輝かせていた少女の頃と何ひとつ変わらないのだと思うと、どうにも微笑ましくてならなかった。

 

「……それと、もうひとつだけ。どうか怪我だけはなさらないでくださいね。兄さんも、先生も」

「約束はできんな。あの男を相手に無傷で済ませられるほど、俺は器用な戦い方を知らん」

「……もう。兄さんは本当に昔から変わりませんね」

 

呆れたように溜め息を吐いた妹の声には、それでも兄の身を案じる響きがしっかりと滲んでいた。

それから妹は少しだけ名残惜しそうに窓の外へ目をやり、遠い西の空を見透かすように目を細める。

 

「本当なら私もこの目で先生のご勇姿を見届けたいのですが、騎士団長が持ち場を離れるわけにはまいりません。ですから戻られたら、先生の試合の様子を詳しく聞かせてくださいね」

「俺の試合ではなく、ベリルの試合をか」

「当然です」

 

一片の迷いもなく言い切った妹に、俺は今度こそ肩を竦めてみせるしかなかった。

勝つなと言いながら怪我をするなとも言うその矛盾こそが妹なりの不器用な気遣いなのだと分かっていたからこそ、俺はそれ以上何も言わずに執務室を後にしたのだ。

 

「両者、前へ!」

 

審判役を務める帝国の騎士が張りのある声を上げたことで、旅立つ前の執務室へと飛んでいた俺の意識は再び陽に焼けた砂の上へと引き戻された。

促されるままに数歩進み出て改めてベリルと向き合えば、妹の釘などどこかへ抜け落ちてしまいそうなほど胸の奥が熱く脈打っているのが分かる。

勝つなと言われて素直に頷けるほど、どうやら俺はまだ枯れてはいないらしい。

 

思えば前の生でもそうだったのだ。

父バルトスの真の仇であったハドラーと氷魔塔で一騎打ちを演じた時もラーハルトと互いの命を削り合った時も、強き者と向き合う瞬間の血の滾りだけは何ひとつ偽りようがなかった。

二度目の生を得て穏やかな日々を知った今でもその性分だけは変わらないのだから、これはもう魂に刻まれた業のようなものなのだろう。

 

「そういえば出発の前に会った時、アリューシアが『兄さんにはしっかり言っておきました』って妙に満足そうな顔をしてたんだけど……何の話だったんだい」

「……さあな。兄妹の間の話だ」

「ふうん、そっか。それはそうと、さっきから気になってたんだけどさ。今日はいつもの剣は使わないのかい」

 

ベリルの視線が注がれた俺の腰には、帝都の武具屋で買い求めた何の変哲もない鋼鉄の剣が一振り下がっているだけだった。

ここまでの試合で振るってきた覇竜の剣も鎧化の鞘も控室に置いてきたことに観客もようやく気付き始めたのか、客席の一角からは戸惑うようなざわめきが波のように広がりつつある。

 

「おおっとォ!? これはどうしたことだ、魔剣戦士の腰にあの魔剣が見当たらないぞォッ!?」

 

実況の素っ頓狂な叫びが拍車をかけ、ざわめきはあっという間に闘技場全体へと伝播していった。

それでも俺はそちらに一瞥をくれることもなく、ただ目の前の男だけを見据えて口を開く。

 

「ああ。今日は使わん」

「使わないって……ずっと使ってたじゃないか。もしかしてどこか具合でも悪くしたのかい」

「いや、剣にも鞘にも何ひとつ問題はない。今日の相手がお前だからこそ置いてきたのだ」

 

怪訝そうに眉を寄せるベリルに向けて、俺は腰の剣の柄に軽く手を添えながら言葉を継いだ。

これだけはどうしてもこの男に正面から伝えておかなければならないと、控室で剣を置いた時から決めていたからだ。

 

「あの剣も鎧となる鞘も俺だけの力ではない。あれを鍛えた者たちの技と想いの結晶であり、俺はそれを託されたに過ぎん。あれを纏えばお前の剣ですら届かぬ局面もあるだろうが、そんなものに頼って得た勝ちに何の意味がある」

「……ヒュンケル」

「俺は一人の戦士として、ただ純粋にお前に勝ちたい。だから今日はこの鋼鉄の剣一本で戦う」

 

口にしてみれば我ながら青臭い理屈だとも思うが、それは二度の生を通じてひたすら剣に生きてきた俺の偽らざる本心だった。

鎧の守りに甘えた踏み込みはどこかで必ず雑になり刃の格に頼った太刀筋はいつしか鈍っていくもので、そんな剣ではこの男の目を欺くことなど到底できはしない。

何より俺が超えたいと願ったのは剣の性能の差で打ち負かせる相手ではなく、愚直に積み上げた技だけで俺の前に立ち続けてきたこの男そのものなのだ。

 

「……でも、本当にいいのかい。あの鎧がないってことは、俺の剣が届いたらただじゃ済まないってことだよ」

「承知の上だ。互いの剣が届けば相応の痛手を負う。立ち合いとは本来そういうものだろう」

「……参ったなあ。そこまで言われちゃうと、おじさんも本気にならないわけにはいかないじゃないか」

 

困ったように頭を掻きながらも、ベリルの目元からは人の好さそうな笑みがすっと引いていった。

代わりにその瞳の奥に灯ったのは、あの道場で初めて木剣を交えた日から幾度となく俺を射抜いてきた剣士の光である。

 

「それならいっそ、俺もこの剣を置いてきたほうがいいのかな」

「お前はその剣を使え。教え子たちがお前のために用意した剣なのだろう。それを置かせて勝ったところで、俺の望む勝利にはならん」

「……分かった。それじゃあ遠慮なく、こいつで全力のお相手をさせてもらうよ」

 

ベリルが静かに長剣を抜き放つと、名持ち(ネームド)の魔物ゼノ・グレイブルの鉤爪から打ち出された刀身が陽光を弾いて砂の上に細く鋭い光の筋を描いた。

俺もまた鋼鉄の剣を鞘から引き抜けば、服の下で胸元に掛けたアバンのしるしがじんわりと熱を帯びていくのが分かる。

覇竜の剣も鎧も置いてきた今日の俺がただひとつだけ手放さなかったその輝聖石は、かつてと同じように俺の闘志に応えて淡い光を宿し始めているのだろう。

 

「両者抜剣ッ! 魔剣を置いてきた魔剣戦士と枯れた新参、この大一番を制するのは果たしてどちらだァッ!」

 

実況の絶叫を合図にしたかのように審判が右手を高々と掲げると、あれほど騒がしかった客席が嘘のように静まり返っていった。

数万の観衆が息を呑む気配の中で俺とベリルは互いに剣を構え、ただ開始の合図だけを待っている。

 

「始め!」

 

振り下ろされた審判の腕が空を切った瞬間に闘技場からは一切の音が消え去り、俺の耳には自分の鼓動とベリルの静かな呼吸だけが届くようになった。

ベリルは切っ先をわずかに下げた自然体の構えのまま微動だにせず、凪いだ湖面のような目で俺の爪先から指先までをただ静かに眺めている。

相手の初動を見てから確実に捌き返す後の先こそが片田舎の剣聖と囁かれるこの男の真骨頂であり、睨み合いを続けたところで何ひとつ得るものがないことを俺は誰よりもよく知っていた。

 

ならばこちらから仕掛けるまでだ。

砂を蹴って一息に間合いを詰めた俺は、あの日の道場でそうしたように大地を割るつもりで渾身の一撃を振り下ろした。

 

甲高い金属音と共に腕へ返ってきたのは刃と刃が真正面からぶつかり合った手応えではなく、まるで濡れた岩肌の上を滑らされたような頼りない感触だった。

ベリルの長剣はわずかに角度を変えただけで俺の剛剣の勢いを丸ごと受け流しており、その切っ先は流れるような軌道を描いてがら空きになった俺の脇腹へと吸い込まれてくる。

 

「――ッ!」

 

かつての生で幾度となく死線を潜り抜けてきた経験がこの身体を考えるよりも先に動かし、俺は振り抜いた勢いのまま身を捻って返しの刃を鋼鉄の剣の腹で受け止めた。

散った火花と共に冷たい風が脇腹を掠めていき、裂けた服の端切れがはらりと砂の上に落ちる。

鎧を纏っていればこれほど危うい受け方をせずとも済んだのだろうが、今の俺にはこの一枚の鋼と己の身体しか頼るものがない。

 

息を継ぐ間もなく剣を引き戻した俺は、今度は重さを捨てて速さだけを乗せた斬撃を矢継ぎ早に繰り出していく。

袈裟懸けから逆袈裟へと刃を跳ね上げてそのまま喉元への突きへと繋げる連撃は、かつて師に叩き込まれた型を二度の生で磨き抜いてきた俺の剣そのものだ。

だがベリルの目はそのすべてを最初から知っていたかのように追いかけ、半歩身を引いては切っ先をわずかに傾けるという最小限の動きだけで一つ残らず捌き切ってみせた。

 

見えているのだ、この男には。

俺の剣がどこから来てどこへ向かうのかを刃が動き出したその瞬間に見て取り、そこへ最も無駄のない答えを置いてくるからこそ一太刀たりとも通らない。

あの道場で少年の身体の時味わった絶望にも似た感覚が懐かしくもあり、それを今の俺の剣で打ち破れるかもしれないという予感が全身の血を沸き立たせていた。

 

「な、なんという攻防だァッ! あまりの速さに何が起きているのか目で追うのがやっとだぞォッ!」

 

一拍遅れて爆発した歓声が客席から雨のように降り注ぐ中で、最後の突きを弾かれた俺の懐へ今度はベリルの方から踏み込んできた。

待ちの剣を信条とするこの男が自ら間合いを詰めてくるのは珍しく、虚を突かれた俺は下段から跳ね上がってきた一閃を力任せに剣で押さえ込むしかなかった。

 

鍔と鍔とが噛み合って火花を散らし、互いの顔が吐息のかかるほどの距離にまで迫る。

押し込もうとする俺の膂力と流そうとするベリルの技が刃の上で拮抗し、軋むような鋼の悲鳴が俺たちの間で小刻みに鳴り続けていた。

 

「お前の方から仕掛けてくるとは珍しいな、ベリル」

「たまにはね。待ってばかりいたら、今日の君には押し切られちゃいそうだからさ」

「ならば望み通り押し切ってやろう」

 

言うが早いか全身の力を一点に込めて押し出せば、ベリルの身体は砂の上を滑るように後ろへと下がっていく。

だがそれすらもこの男の計算の内だったのか、押し出された勢いを利して身を翻したベリルの剣先が俺の頬を浅く掠めていく。

追いすがって放った俺の一閃もまたベリルの左の袖口を鋭く裂いたが、そこで互いに大きく跳び退って再び間合いが開いた。

 

頬に走った小さな熱に指先を当てると、細く赤い線が一筋だけ指の腹へと移っていた。

ベリルもまた裂けた袖口をちらりと見下ろしてから、どこか嬉しそうに小さく息を吐いている。

 

「オッサン! 負けたら承知しねえからなッ!」

 

静まりかけた客席のどこからか響いてきたのは、ベリルが後見人を務めているという少女のものらしい威勢のいい声だった。

その声を聞いたベリルの口元がほんのわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。

 

「……ああ言われちゃったら、ますます負けられないなあ」

「いい声援だ。だが俺とて譲る気はない」

「うん、知ってる。それにしても最初の一撃、昔よりずっと重くなってるね。受け流したはずなのにまだ手が痺れてるよ」

「受け流された剣がそのまま脇腹へ返ってくるのは、あの頃と何ひとつ変わっていないようだがな」

「あはは、そこだけは誰にも譲れないからね。……でも今日の君は鎧がない分だけ踏み込みが深くて、正直ちょっと怖いくらいだよ」

「怖いと言いながら笑っているぞ、ベリル」

「え、本当かい。参ったなあ、顔に出ちゃってたか」

「フッ……案ずるな。それは俺も同じだ」

 

指摘されて慌てたように自分の口元へ手をやるベリルの仕草が妙に可笑しく、俺もまた込み上げてくる笑みを噛み殺すことができなかった。

互いの剣がようやく温まってきたばかりだというのに、胸の奥ではもう抑えがたいほどの熱が渦を巻いている。

服の下のアバンのしるしはいまや火を抱いたかのように熱く、輝聖石が宿した闘志の光が布越しにも透けて見えそうなほどだった。

 

脳裏をかすめたのは執務室で兄に釘を刺してきた妹の澄ました顔だったが、その面影も今は舞い上がる砂塵の向こうへと遠ざかっていく。

すまんなアリューシア、お前の兄はこの男を前にして勝ちを望まずにいられるほど行儀のいい戦士ではなかったらしい。

 

俺は鋼鉄の剣を握り直して深く腰を落とし、ベリルもまた静かに切っ先を持ち上げて俺の眉間へとぴたりと据えた。

審判も実況も数万の観衆さえも消え失せたかのような静寂の中で、二人の剣士の視線だけが真っ直ぐに絡み合う。

 

「いくぞ、ベリル!」

「ああ、こい! ヒュンケル!」

 

叫びが重なった刹那に俺たちは同時に砂を蹴り、互いの間合いへと迷うことなく踏み込んでいく。

陽光の降り注ぐ異国の闘技場で、剣聖と魔剣戦士の剣が再び激しく火花を散らした。




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