派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~ 作:パラレル・ゲーマー
土曜日の午前十一時。
築四十年の1Kアパートの洗面台の前で、俺――三上悠介は、鏡に映る自分の寝癖をドライヤーで丁寧に直しながら、どこか落ち着いた気分で鼻歌を口ずさんでいた。
先週の金曜日の夜、翌日の初デートに着ていく服を選んでいた時は、クローゼットの服を全部引っ張り出してはベッドの上に積み上げ、何を着ていけばいいのかとパニックになりながら三十分以上も頭を抱えていたものだ。
だが、二度目となる今日は、不思議とそこまでの焦りはない。
ハンガーにかけておいた清潔な白のシャツに袖を通し、先週とは少し色味を変えたチャコールグレーのジャケットを羽織る。毎回のように新しい服を買い揃えるような見栄を張っても仕方がないし、小綺麗で清潔感さえあれば十分だろうという、いい意味での開き直りができていた。
「……よし、こんなもんだな。髪型も悪くないぞ」
鏡の中の三十四歳の男に軽く頷きかけ、俺はスマートフォンを手に取って待ち合わせの時刻を確認した。
約束は午後零時半。場所は先週と同じ、繁華街の駅の改札前だ。
もちろん、彼女が密輸や密入国に関わる違法な仕事を続けていることも、俺がそれを認められないことも忘れたわけではない。
それでも、先週の別れ際から今日に至るまで、俺は彼女と再会できるこの土曜日の昼下がりを、指折り数えるようにして心待ちにしていた。先週は何を話せばいいのかと緊張ばかりしていたが、今日は「どんな話をしようか」「本当にあのハンバーグを気に入ってくれるだろうか」と、純粋にワクワクしている自分がいる。
俺は財布とスマホをポケットに収め、少し早めにアパートのドアを開けて秋の明るい日差しの中へと踏み出した。
電車に揺られ、待ち合わせの駅の改札前に到着したのは、約束の十五分前――午後零時十五分だった。
改札横の柱の近くに立ち、腕時計を見て小さく苦笑する。
(……やっぱり俺、待ち合わせの十五分前に現地に着いてないと落ち着かないっていう営業マン時代の癖、プライベートのデートでも全然抜けないんだな)
休日の午後とあって、駅構内は買い物客や若いカップルで賑わっている。
そんな雑踏を眺めながら待つこと十分あまり。時計の針が零時二十五分を指したところで、人波の向こうから、ふわりと優しい香りを纏った美しい女性が歩いてくるのが見えた。
「……三上様?」
「あ、東雲さん! こんにちは!」
俺は先週のように固まることなく、自然と顔を綻ばせて手を挙げた。
目の前で立ち止まった東雲詩織さんは、今日も息を呑むほど綺麗だった。肩の下まで伸びた艶やかな黒髪が柔らかく揺れ、服装は落ち着いたミルクティー色のニットカーディガンに、秋らしいチェック柄のミモレ丈スカートという、上品でありながらも街歩きにしっくりと馴染む装いだ。
「ごきげんよう、三上様。本日もお会いできて、とっても嬉しいですわ」
「俺の方こそ、わざわざ来ていただいてありがとうございます。あのお店のハンバーグ、お腹を空かせて楽しみにしてきました?」
「ええ、もちろんです! 先週三上様があれほど美味しそうに召し上がっていらっしゃいましたから、今日という日をずっと心待ちにしておりましたのよ」
詩織さんは嬉しそうに胸元に手を添え、それから俺の顔をじっと見つめて、くすりと楽しそうに目を細めた。
「ふふ。三上様、なんだか今日は先週お会いした時よりも、ずっとリラックスしたお顔をなさっていますわね」
「……え? あ、やっぱり分かりますか?」
「はい。先週は改札の前で、まるで取引先の社長を待つ新入社員の方みたいに背筋をピンと伸ばしていらっしゃいましたもの。今日は最初から自然な笑顔を見せてくださって、わたくし、なんだかすごく嬉しいですわ」
「いやあ、先週は本当に緊張してたもので……今日はその、東雲さんとまたお話しできるのが純粋に楽しみだったからかもしれません」
俺が少し照れくさそうに頭を掻きながら正直に言うと、詩織さんの白い頬がほんのりと桜色に染まった。
「……まあ。そう言っていただけると、わたくしの方こそ緊張してしまいそうですわね」
俺たちは顔を見合わせて小さく笑い合い、先週と同じ路地裏の洋食屋へ向かって、自然と歩調を合わせて並んで歩き出した。
一週間前には道順を説明するだけで精一杯だった五分間の道のりも、今日は「すっかり秋らしい涼しい風になりましたね」「このあたりの街路樹も少しずつ色づいてきましたわね」と、穏やかな季節の雑談を交わしているうちに、あっという間に過ぎていった。
*
午後零時四十分。
赤いテント屋根の『洋食キッチン・ハヤシ』のドアベルをカランコロンと鳴らして店内へ入ると、今日もデミグラスソースと焦げたバターの食欲をそそる香りが俺たちを出迎えてくれた。
先週と同じ窓際の二人掛けのテーブル席に案内され、向かい合って腰を下ろす。
水とおしぼりを受け取るなり、詩織さんはメニュー表をほとんど見ることもなく、弾むような声で言った。
「わたくし、今日はもう注文するものを決めておりますの」
「はは、やっぱり約束通りハンバーグですか?」
「はい! 三上様がいちばんお好きだとおっしゃっていた『特製デミグラスハンバーグセット』を、今日はぜひわたくしもいただいてみたいですわ」
「おお、いいですね! じゃあ、俺も今日も同じハンバーグセットにします!」
俺たちは店員さんを呼び、特製デミグラスハンバーグセットを二つと、食後のホットコーヒーを注文した。
先週のようにメニュー選びで遠慮し合うこともなく、同じ料理を頼んで「楽しみですね」と笑い合う。ただそれだけのことが、なんだか長年連れ添った友人か恋人のようで、俺の胸を温かく満たしていく。
料理が焼き上がるまでの待ち時間、俺は昨日職場で起きた出来事について、差し支えない範囲で話題に挙げてみた。
「そういえば東雲さん、昨日は俺の職場に、派遣元の会社から営業担当の女性が定期面談に来られたんですよ」
「まあ、派遣会社の担当者様が? それはどのようなお話をなさったのですか?」
「働き始めてちょうど一ヶ月が経ったので、仕事内容が契約と違っていないかとか、職場で困っていることはないかっていう確認ですね。ここ最近、ちょっとイレギュラーな外出や安全研修なんかも重なってたので、担当者さんが少し心配して見に来てくれたみたいで」
「なるほど……。スタッフの方のお仕事ぶりをきちんと気にかけてくださる、とても誠実で素敵な担当者様ですわね」
詩織さんは感心したように頷き、興味深そうに俺の顔を見つめた。
「それで、三上様はその担当者様に、どのようにお答えになったのですか? やはり、時には別のお仕事に移りたいと思われることもあるのでしょうか」
「いえ。担当者さんからも『もし少しでも不安があれば、いつでも他の安全な職場を紹介しますよ』ってすごく親切に言ってもらえたんですけど……俺、やっぱり今の職場でこのまま営業事務の仕事を続けたいですって、はっきり答えました」
「……まあ。そうなのですね」
「はい。確かに時々びっくりするような出来事はありますけど、森田さんや黒瀬さんたちと一緒に働くのは居心地がいいですし、何より書類を整理したり数字を合わせたりする今の仕事自体が、俺は結構好きなんですよ。誰かに言われたからじゃなくて、自分の意思であそこに残りたいなって改めて思いました」
俺が昨日の相原さんとの面談を振り返ってそう語ると、詩織さんはしばらくの間、とても愛おしそうな、優しい眼差しで俺を見つめていた。
「……ふふ。三上様は本当に、ご自身が何を大切にされているのかを、いつもしっかりと分かっていらっしゃるのですね。わたくし、そういうブレない三上様のお話を聞くのが本当に好きですわ」
そんな会話をしているうちに、厨房の方からジュウジュウという威勢の良い音が近づいてきて、俺たちのテーブルに熱々の鉄板に乗った二つのハンバーグが運ばれてきた。
ふっくらと丸く盛り上がったハンバーグの上から、艶やかな焦げ茶色のデミグラスソースがたっぷりと回しかけられ、付け合わせのニンジンとポテトの横で香ばしい湯気を上げている。
「うわあ、今日もいい匂いですね! 熱いうちにどうぞ、東雲さん」
「はい、いただきますわ!」
詩織さんはナイフとフォークを美しい所作で操り、ハンバーグの真ん中にすっとナイフを入れた。
切り口から透明な肉汁がじゅわっと溢れ出し、ソースと混ざり合う。彼女はそれを一口サイズに切り分け、ソースをたっぷりと絡めて口へと運んだ。
モグモグと二度、三度と咀嚼した直後。
詩織さんの涼やかな瞳が、パッと星が瞬くように大きく見開かれた。
「……まあっ! 三上様、これ、とっても美味しいですわ!!」
「でしょう!? お口に合いましたか!?」
「はい! お肉が驚くほどふっくらしていて柔らかいですし、このデミグラスソースの深いコクとほんのりとした苦味が、お肉の旨味と本当に見事に合っていますわ! 三上様があれほど絶賛されていた理由が、一口で分かりました!」
まるで生まれて初めて美味しいものを食べた少女のように、頬を紅潮させて大絶賛してくれる詩織さん。
俺は自分が厨房で作ったわけでもなんでもないのに、「そうなんですよ、ここのマスターのソースは三日間煮込んで作っててですね!」と、まるで自分の手柄のように誇らしい気持ちになって胸を張ってしまった。
それから二人は、熱々のハンバーグと白いご飯を夢中になって食べ進めた。
俺は自分のハンバーグを味わいながらも、向かいの席で一口食べるごとに「んんっ、美味しいですわね……」と幸せそうに目を細めている彼女の姿を、ついつい何度も盗み見てしまっていた。
(……あれ? なんだろう、これ)
ふと、自分自身の心の変化に気づいて、俺はフォークを持つ手をわずかに止めた。
俺は今日、この大好きな特製ハンバーグを食べるのを楽しみにしてここへ来たはずだ。
けれど実際には、自分の口にハンバーグを運んでいる時よりも、目の前の彼女が「美味しい」と笑顔になってくれている姿を見ている時の方が、何倍も胸の奥が満たされて幸せな気持ちになっているのだ。
(……ああ、これって、誰かを本当に好きになり始めてる時の感覚なんじゃないか……?)
三十四歳のいい大人が、今更ながらそんな初々しい事実に気づいてしまい、俺は急に気恥ずかしくなって、誤魔化すように自分の皿のポテトを口へと放り込んだ。
*
午後一時十五分。
綺麗に平らげた鉄板が下げられ、テーブルの上に香り高い食後のホットコーヒーが運ばれてきた。
ミルクを少しだけ入れてスプーンで静かにかき混ぜながら、詩織さんがふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば三上様。先週こちらでお話しした際、お休みの日にはお部屋でゲームをなさることが多いとおっしゃっていましたわよね」
「え? ああ、はい。日曜日の昼間なんかは、だいたい座椅子に座ってコントローラーを握ってますね。先週の日曜日に東雲さんからメッセージをいただいた時も、ちょうどゲームをしてたところだったんですよ」
「まあ、そうでしたの! お邪魔をしてしまいましたわね」
「いえいえ、東雲さんからのメッセージの方が百倍嬉しかったですよ! ……って、あ、いや、今のはその……」
思わず本音がポロッと口から滑り出てしまい、俺が慌てて咳払いをして取り繕うと、詩織さんは「ふふっ、ありがとうございます」と嬉しそうに目を細めた。
「ところで三上様は、普段どのような種類のゲームを遊んでいらっしゃるのですか? わたくし、ゲームにはあまり詳しくないものですから、ぜひ教えていただきたいですわ」
「俺が好きなのは、主にファンタジーの世界を舞台にしたロールプレイングゲーム……特に、暗いダンジョンの中を探索して、モンスターを倒しながら強い武器や防具を集めていくタイプのゲームですね」
「まあ、剣や魔法が出てくる冒険のお話ですのね。楽しそうですわ」
「ええ、すごく面白いんですよ! 自分の操作するキャラクターを少しずつ育てていって、最初は苦戦していた強いボスモンスターを倒せるようになると、すごく達成感があるんです」
自分の得意分野であるゲームの話題を振られたことで、俺の口は自然と滑らかになっていった。
「特に俺がハマっちゃうのは、クリアした後のやり込み要素なんですけどね。同じダンジョンの一番奥にいるボスが、ほんの数パーセントっていうすごく低い確率でしか落とさない『伝説のレア装備』っていうのがありまして。それを手に入れるために、休日に何十回も同じダンジョンに潜り続けてボスを倒し続けるんですよ!」
「……まあ、何十回も、ですか? 同じ場所へ?」
「はい! ひたすら同じルートを走って、同じボスを何十回、時には百回近く倒すんです。それでやっと目当てのレアな剣が出たと思ったら、ランダムでつく追加能力の数値が微妙だったりして、『くそっ、もう一回だ!』ってまた最初から潜り直すんですよね!」
俺が身振り手振りを交えて、ハクスラ系ゲームの醍醐味である「周回作業」について熱く語っていると、詩織さんは目を丸くして聞き入り、やがて口元に手を添えて、くすくすと鈴のような声で笑い出した。
「……ふふっ、あはは。三上様って、本当に面白い方ですわね」
「……え? あれ、俺、なんかおかしなこと言いましたか?」
「いいえ、おかしなことではございませんの。ただ……普段のお仕事では、あんなに無駄を嫌って、エクセルの関数を使って作業を効率化したり正確さを追求されたりしている三上様が、ご趣味のゲームの中では、何十回も同じ場所を往復するような地道で気の遠くなるような作業を、そんなに目を輝かせて楽しんでいらっしゃるのが、なんだかとても意外で可愛らしいなと思いまして」
「…………あっ」
詩織さんにそう指摘されて、俺はハッと我に返り、思わず固まった。
言われてみれば、完全にその通りだ!
仕事では「手作業で一回ずつ電卓を叩くなんて非効率だ、マクロと関数で自動化しよう!」と息巻いているくせに、休日のゲームの中では、自動化どころか手作業で何十時間も同じモンスターを狩り続けるという究極の非効率作業を、喜々としてやっているではないか。
「い、いや、違うんですよ東雲さん! 仕事での無駄な作業はただの苦痛ですけど、ゲームの中でのそういう無駄に見える試行錯誤の過程は、ロマンというか、楽しみそのものなんですよ!」
「ふふ、ロマン、ですか。素敵な言葉ですわね」
俺が顔を赤くして必死に弁明すると、詩織さんはますます楽しそうに微笑み、頬杖をつくようにして俺の顔をじっと見つめた。
「……でも三上様。わたくし、今のお話を聞いていて、とても幸せな気持ちになりましたわ」
「……え?」
「だって、今ゲームのお話をなさっている時の三上様、本当に少年みたいに目がキラキラと輝いていて、とっても楽しそうなお顔をなさっていたのですもの。普段の真面目で頼もしい三上様も素敵ですけれど、ご自分の好きなものについて夢中で語っていらっしゃる時の三上様は、また違った魅力がありますわね」
「……っ、あ、すみません、なんか俺ばっかりオタクみたいな話を熱くなって喋っちゃいまして……」
「謝らないでくださいませ。わたくしは、三上様がどんなものを好きで、どんな時に心が躍るのかを、もっとたくさん知りたいのですから」
真っ直ぐに差し出される彼女の好意に、俺はコーヒーカップを持ったまま、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
*
午後一時三十五分。
俺は少しだけ熱くなった頭を冷ますようにコーヒーを一口飲み、ふと「俺ばっかり自分の趣味の話を聞いてもらってちゃ駄目だよな」と気づいて、詩織さんへと問いかけた。
「……あの、東雲さん。俺のゲームの話をそんなに楽しく聞いてくれてありがとうございます。それで、その……東雲さんご自身は、最近何かプライベートで楽しかったこととか、息抜きにされてることってあるんですか?」
俺が尋ねると、詩織さんは少しだけ考えるように窓の外の景色へと視線を向け、それからゆっくりと俺の方へ向き直って、悪戯っぽく微笑んだ。
「わたくしが最近いちばん楽しかったこと、ですか? ……そうですわね。先週の土曜日と、そして今日、こうして三上様とご一緒に美味しいお食事をいただいているこのお時間、でしょうか」
「……うっ……!」
またしても不意打ちの直球ストレートを投げ込まれ、俺は危うくコーヒーでむせそうになった。
「ふふ、そんなに驚かなくてもよろしいではありませんか。嘘ではなく、本当のことですのよ? もちろん、普段の暮らしの中でも本を読んだり、美味しい紅茶を淹れたりといった楽しみはございます。ですけれど、わたくしの仕事はどうしても昼夜や休日を問わず連絡が入ることが多いものですから、こうして時計や電話を気にせず、心から落ち着ける方とゆっくり向き合ってお話しできる時間は、わたくしにとって何物にも代えがたい息抜きなのです」
彼女のその言葉には、俺も社会人として素直に共感できる部分があった。
「……ああ、その感覚はなんだかわかる気がします。俺も前の会社で営業をやってた頃は、休日の日曜日なのに取引先や上司から急にトラブルの電話がかかってくることがよくありましてね。せっかくの休みなのに、スマホが鳴るたびにビクッとして、結局一日中仕事のことが頭から離れなくなっちゃうんですよ」
「まあ……三上様もそのようなご経験をなさっていたのですね」
「はい。だからこそ、現実の仕事の電話なんて絶対にかかってこないゲームの中のファンタジー世界に潜り込んで、無心でコントローラーを動かしてる時間が、俺にとっては一番頭を空っぽにできる大事なリセットの時間だったのかもしれません」
俺が自分の過去の経験を重ねてそう語ると、詩織さんは「……なるほど」と深く頷き、とても優しい目をして俺を見た。
ただ表面的に俺の話を聞いて相槌を打つだけでなく、「なぜ俺がそんなにゲームという趣味を大切にしているのか」という背景の気持ちまで、彼女はちゃんと汲み取って理解しようとしてくれている。その丁寧な寄り添い方が、俺にはたまらなく嬉しかった。
すると詩織さんは、コーヒーカップをソーサーに置き、少しだけ身を乗り出すようにして言った。
「……あの、三上様。今のお話を伺っていたら、わたくしも三上様がそんなに大切になさっている『ゲーム』というものを、一度実際に遊んでみたくなってしまいましたわ」
「……えっ? 東雲さんが、ゲームをですか?」
「はい! 三上様がどのような世界を見て、どのようなところを楽しいと感じていらっしゃるのか、お話だけでなく、わたくし自身も少しだけ体験してみたいのですもの」
瞳を輝かせてそう言う彼女の姿を見て、俺の頭の中に、ふとひとつのアイデアが浮かび上がった。
*
午後一時五十分。
コーヒーを飲み終え、俺たちが席を立ってレジへと向かうと、今日は詩織さんがすっと前に出て伝票を手に取った。
「三上様。本日は先週お約束した通り、わたくしにご馳走させてくださいませね」
「あ……はい、そうでしたね。じゃあ、今日はありがたくお言葉に甘えさせていただきます。ご馳走さまです、東雲さん」
「ふふ、どういたしまして。こんなに美味しいハンバーグのお店を教えていただいたお礼ですわ」
先週の約束を覚えていて、こうしてスマートに会計を済ませてくれる彼女に素直に礼を言い、俺たちは『洋食キッチン・ハヤシ』のドアを開けて外の路地へと出た。
時計を見れば、時刻はまだ午後二時少し前だ。
先週の初デートの時は、このまま駅まで歩いていって、午後二時頃には改札の前で解散した。
「本日は本当にありがとうございました」と詩織さんが微笑み、このまま駅へ向かえば、今日もまた同じように穏やかにデートは終了するだろう。
だが、大通りへと出る角のところで、俺の足が自然と止まった。
(……あれ? まだ午後二時にもなってないのか。このまま駅まで歩いて『じゃあ、また』って別れちゃうのは……なんだか、すごくもったいない気がするぞ)
もう少しだけ、彼女と一緒にいたい。
もう少しだけ、隣で笑う彼女の顔を見ていたい。
誰に強制されたわけでもない、俺自身の胸の奥から湧き上がった、ごく自然で強い欲求だった。
俺がふと視線を上げて大通りの向こう側を見ると、駅前の商業ビルの二階と三階に、カラフルな看板を掲げた大型の『アミューズメント施設――ゲームセンター』が入っているのが目に入った。
俺も休日に買い物のついでに、何度かふらっと立ち寄ったことがある店だ。
(……そういえばさっき、東雲さん、『三上様の好きなゲームを一度遊んでみたい』って言ってたよな……)
一瞬だけ、ためらいが頭をよぎる。
こんなお嬢様みたいに綺麗で上品な大人の女性を、騒がしい駅前のゲームセンターなんかに誘って、果たして喜んでくれるだろうか。「そんな子供っぽい場所、行きませんわ」と呆れられたりしないだろうか。
しかし、すぐに俺は頭を振った。さっき店の中で、俺のゲームの話をあれほど楽しそうに聞いてくれた彼女の笑顔を信じないでどうするのだ。
俺は少しだけ勇気を振り絞り、隣を歩く詩織さんへと声をかけた。
「……あ、あの、東雲さん」
「はい? なんでしょう、三上様」
「えっと、このあと、もしすぐにご予定が入ってなければ、なんですけど……」
俺は大通りの向こうに見えるカラフルな看板を指し示した。
「あそこのビルに、ゲームセンターがあるんですよ。俺が家でやってるゲームとはちょっと違いますけど、ああいう場所にも、二人で一緒に協力して遊べるゲームとかが色々置いてありまして……。さっき東雲さんが、ゲームを一度遊んでみたいっておっしゃってたので、もしよかったら、少しだけ寄っていきませんか?」
言い終えた瞬間、緊張で耳のあたりがカッと熱くなった。
今までずっと、電話をかけてくるのも、食事に誘ってくれるのも詩織さんの方からばかりで、俺はそれを受け身で承諾するだけだった。俺の方から「ここへ行きませんか」と彼女を誘ったのは、これが本当に初めてのことだったのだ。
俺がドキドキしながら彼女の反応を窺っていると、詩織さんは一瞬だけ、本当に驚いたように大きく目を見開いて瞬きをした。
そして次の瞬間、その顔に、今日一番の眩しいくらいに華やかな笑顔がパッと咲いた。
「……まあっ! 三上様の方から、わたくしをどこかへお誘いいただけるなんて!」
「い、いや、そんな大層な場所じゃなくて、ただの騒がしいゲームセンターなんですけど……! やっぱり、ああいう場所はあんまりお好きじゃないですか?」
「いいえ、とんでもございません! とっても嬉しいですわ! ぜひ、喜んでご一緒させてくださいませ!」
詩織さんはまるで宝物でも見つけたかのように声を弾ませ、俺のすぐ隣へと一歩距離を詰めてきた。
そんなに手放しで喜んでもらえるとは思っていなかった俺は、気恥ずかしさで頬を掻きながらも、「よかった、勇気を出して誘ってみて本当によかったな」と、胸の奥に小さな達成感がじんわりと広がるのを感じながら、彼女と一緒に横断歩道を渡ったのだった。
*
午後二時十分。
エスカレーターに乗ってビルの二階へと上がると、そこには明るい照明と賑やかな電子音、そして週末を楽しむ大勢の若者や家族連れの熱気に満ちたゲームセンターのフロアが広がっていた。
入り口付近には色とりどりのぬいぐるみが詰まったクレーンゲームの筐体がズラリと並び、奥の方には音楽ゲームやメダルゲーム、さらには大型モニターを備えたビデオゲームのコーナーが続いている。
「まあ……ずいぶんと広くて、賑やかな場所ですわね」
「ちょっと音が大きくてびっくりしましたか? 土曜日の午後なので、結構混んでますね」
「いいえ、こうして皆様が楽しそうに遊んでいらっしゃる空気、わたくしは嫌いではありませんわ」
詩織さんは好奇心に満ちた目でフロアを見渡している。
「東雲さんって、こういうゲームセンターには入ったことあります?」
「ええ、もちろん場所自体は存じておりますし、仕事の関係で商業施設の視察などをした際に通りかかったこともございますわ。ただ、こうしてプライベートで、誰かと一緒に遊ぶためにゆっくり中を回るのは、ほとんど初めての経験かもしれません」
「そっか、じゃあ実質初めてみたいなものですね」
彼女は決して、自動販売機や両替機の使い方を知らないような極端な世間知らずのお嬢様ではない。一人の有能な実業家として世の中の仕組みは熟知しているけれど、ただこれまで、休日にゲームセンターで無邪気に遊ぶような機会がなかっただけなのだ。
周囲の客から見れば、俺たちは休日のゲームセンターにデートに来た、ちょっと年齢差のある普通のカップルにしか見えないだろう。隣に立つのがあの東雲詩織さんだと思うと、俺は改めて不思議な高揚感を覚えた。
まずは手始めにと、俺たちは入り口近くに並んでいるクレーンゲームのコーナーをゆっくりと見て回った。
すると、とある筐体の前で、詩織さんがふと足を止めた。
「……あら。三上様、あちらを見てくださいまし。とても可愛らしいですわね」
彼女がガラスケースの向こうを指差した先には、首に赤いリボンを巻いた、手のひらサイズの白い子猫のマスコットぬいぐるみがいくつも並んでいた。
「本当だ、可愛い猫ですね。……よし、じゃあ東雲さん、せっかくですから、まずこのクレーンゲームからちょっとやってみましょうか!」
「まあ、よろしいのですか?」
「ええ。一プレイ百円ですし、ウォーミングアップにはちょうどいいですよ」
俺は両替機で千円札を百円玉に崩して戻ってくると、「まずは俺がお手本を見せますね!」と少しだけ格好をつけて、硬貨投入口に百円玉をチャリンと入れた。
「頑張ってくださいませ、三上様!」
詩織さんがすぐ横で応援してくれる。
俺はガラス越しに子猫のマスコットの位置を見定め、1番のボタンを押してアームを右へ移動させた。ぴたりと狙いの位置で指を離し、続いて2番のボタンで奥行きを合わせる。
よし、位置は完璧だ。そのままアームがスルスルと下降し、子猫の胴体をガシッと両側から挟み込んだ。
「おおっ、掴みましたよ!」
「まあ、すごいですわ!」
アームがぐっと子猫を持ち上げ、そのまま景品落とし口の上まで移動していけば大成功――のはずだったのだが。
わずか五センチほど浮き上がったところで、クレーンのアームの力がふにゃりと抜け、子猫のマスコットは「ぽてっ」と元の場所へ転がり落ちて、少しだけ斜めに傾いて止まった。
「………………あっ」
「……あらら」
無情にも空っぽのまま初期位置へ戻っていくアームを見つめ、俺は引きつった苦笑いを浮かべた。
「……す、すみません東雲さん。なんか今の、アームの握力が思ったよりだいぶ弱かったみたいで、全然駄目でした」
「ふふ、いいえ、惜しかったですわ! なかなかに一筋縄ではいかない仕組みになっているのですね」
俺は自分の右の手のひらを見つめて、心の中で猛烈なセルフツッコミを入れた。
(……いや、ちょっと待てよ俺! 至近距離から撃たれた拳銃の弾丸は素手で四発もキャッチできるTier3の身体能力を持ってるくせに、ゲームセンターの百円のぬいぐるみ一個すらキャッチできないのかよ!?)
もっとも、ここで俺が超人的な動体視力を発揮したところで、機械のアームのバネが緩いのだからどうにもならないし、ましてや怪力で筐体を揺らして落とすなんていうルール違反をするわけにもいかない。
「……あの、三上様。もしよろしければ、わたくしも一度だけ試してみてもよろしいかしら?」
「え? あ、もちろんですよ! ぜひやってみてください!」
俺が百円玉を一枚渡すと、詩織さんは嬉しそうにそれを受け取り、俺がさっきやった手順を真似してチャリンと投入した。
少しだけ前屈みになってガラスケースの中を真剣に覗き込み、白い指先で慎重に1番のボタンを押す。
「ええと、このあたりかしら……そして、次は奥へ、ですわね」
ピタリ、とアームが止まり、ゆっくりと降りていく。
詩織さんの狙いは驚くほど正確で、アームの爪が、さっき俺が傾けた子猫の首のリボンのあたりに綺麗に引っかかった。
そのままグイッとマスコットが持ち上がり、俺の時よりもずっと高い位置まで釣り上げられる。
「おおっ! 東雲さん、上手い! それ、いけるんじゃないですか!?」
「まあ、本当ですか!? どうかそのまま落ちないで……」
二人で固唾を呑んで見守った、次の瞬間。
頂点まで上がりきったところでアームがカクンと揺れ、リボンの引っかかりが外れて、子猫は再びボトッとマットの上へと落下してしまった。
「……ああんっ、落ちてしまいましたわ……!」
「うわあ、今のは本当にあと一歩でしたね! でも俺より全然惜しかったですよ!」
詩織さんは悔しそうに眉を下げて唇を尖らせたが、すぐに俺と目が合うと、「ふふっ……本当に難しいですけれど、なんだかドキドキしてとっても楽しいですわね!」と、少女のように無邪気に声を立てて笑った。
結局、景品のマスコットは一個も取れずじまいだったが、ただ百円玉を入れて二人で「あーだこーだ」と言いながら一喜一憂して笑い合う時間が、俺にはどんな高級な遊びよりも楽しく感じられたのだった。
*
午後二時四十分。
クレーンゲームのコーナーを抜けてフロアの奥へと進んだ俺たちは、大型の液晶モニターが並んだビデオゲームのコーナーへと足を踏み入れた。
そこで俺の目に、二人並べるベンチシートがついた一台の大きな筐体が留まった。
画面に表示されているタイトルロゴは、『ツイン・ダンジョン・クエスト』。
剣や弓を持ったファンタジー世界の冒険者を操作し、二人のプレイヤーが同じ画面の中で協力しながらモンスターを倒して迷宮の奥へと進んでいく、協力型の3Dアクションゲームだった。
「あっ、東雲さん、これなんかどうでしょう? 二人で一緒にパーティーを組んで、ダンジョンを冒険する協力ゲームみたいですよ」
「まあ! 先ほど三上様がお話ししてくださった、まさにその『ダンジョンを探索するゲーム』ですわね!」
「はい。俺もこのゲームセンターの機種をやるのは初めてですけど、基本的なルールはいつも家でやってるゲームと同じだと思います。レバーで移動して、ボタンで攻撃するだけなので、よかったら二人で挑戦してみませんか?」
「ええ、ぜひ遊んでみたいですわ!」
俺たちは並んでベンチシートに腰を下ろし、それぞれの投入口に硬貨を入れた。
画面がキャラクター選択画面に切り替わる。選べるのは、剣と盾で戦う前衛向きの『戦士』、遠距離から矢を放つ『弓使い』、そして魔法を使う『魔導士』の三人だ。
「俺はいつも通り、前で敵と戦う『戦士』を選びますね。東雲さんはどれにしますか?」
「そうですわね……三上様が最前線で剣を振るってくださるのでしたら、わたくしは少し後ろの離れた場所から三上様をお助けできる、こちらの『弓使い』にするのがよろしいかしら」
「おお、弓使いですか! いいですね、前衛と後衛でバランスもバッチリです!」
ゲームに慣れていないはずなのに、瞬時に「お互いの役割分担とシナジー」を考えてキャラクターを選ぶあたり、さすが普段から大きな組織や事業を動かしている人だけのことはある、と俺は素直に感心した。
「じゃあ、最初は操作に慣れるつもりでゆっくり行きましょう。俺が前に出てモンスターの注意を引きつけますから、東雲さんは安全な後ろの方から矢を撃って援護してくださいね」
「はい、承知いたしましたわ。よろしくお願いいたしますね、三上様!」
軽快なファンファーレとともに『STAGE 1 START!』の文字が画面に躍り、俺と詩織さんの初めての共同作業――ダンジョン攻略が幕を開けた。
最初は、石造りの広い回廊に、動きの遅いスライムやゴブリンのような小型のモンスターが数匹ずつ現れるチュートリアルのようなエリアだった。
「よし、まずは俺が斬り込みます! この赤いボタンが攻撃ですよ、東雲さん!」
「え、ええと、レバーをこちらに倒して……このボタンですわね! えいっ!」
画面の中で、俺の操作する鎧姿の戦士が剣を振るってゴブリンを弾き飛ばし、そこへ詩織さんの操作する緑色のチュニックを着た弓使いが、少しぎこちない動きながらもピューンと矢を放って追撃を入れる。
矢が見事にゴブリンに命中し、モンスターが光の粒になって消滅すると、詩織さんは「まあ! 当たりましたわ、三上様!」とパッと顔を輝かせた。
「ナイスショットです、東雲さん! その調子ですよ!」
順調な滑り出しに、俺の気分も一気に盛り上がってきた。
――ところが、そこから少し進んだ中盤のエリアに入ったところで、長年一人でゲームばかりやってきた俺の『悪い癖』が顔を出してしまうことになる。
次々と現れるモンスターの群れを前にして、俺のゲーマーとしての血が騒ぎ始めたのだ。
「おっ、あっちの奥から強いオークが出てきたぞ! よし、ここでガードからの連続斬りを入れて……あ、向こうに宝箱がある!」
俺は画面の中の敵の動きとアイテムの配置にすっかり夢中になり、コントローラーのレバーをガチャガチャと素早く動かして、敵をなぎ倒しながらどんどん通路の奥へと突っ込んでいった。
一方で、まだレバーでの移動と方向転換に慣れていない詩織さんの弓使いは、通路の曲がり角に引っかかったりしながら、一生懸命俺の背中を追いかけようとしていた。
「あ、あの、三上様……? 少し、歩くのがお早いようなのですけれど……待っていただけますか……?」
ゲームの効果音に紛れて、隣からそんな控えめなSOSの声が上がったのに俺が気づいたのは、俺の戦士が一人で次の広間へと飛び込んだ直後のことだった。
「……え? あっ!!」
俺がハッとして画面の端――後方を見ると、詩織さんの弓使いが、一つ手前の細い通路にポツンと一人きりで取り残されていた。
しかも最悪なことに、俺が先へ進んだことで後方のトラップが作動したらしく、詩織さんのキャラクターの周囲に、地中から骸骨のモンスターが五匹も同時に湧き出して、彼女をぐるりと取り囲んでしまったのだ!
「まあっ!? な、なんだか急に怖い方々に囲まれてしまいましたわ!?」
「うわあああっ!? す、すみません東雲さん、今すぐ戻ります!!」
俺は大慌てでレバーを逆方向に倒し、戦士を走らせて助けに戻ろうとした。
だが、無情にも俺と詩織さんの間には鉄格子の扉がガシャンと降りてきてしまい、合流することができない。詩織さんは必死にボタンを押して矢を放ったものの、至近距離から骸骨たちに次々と斬りつけられ、あっという間に体力ゲージがゼロになってその場に倒れ込んでしまった。
一人でもプレイヤーが力尽きれば、連帯責任でミッションは失敗となる。
画面が暗転し、重々しい音楽とともに『GAME OVER』の赤い文字が無情に表示された。
「………………」
俺はレバーから手を離し、隣の詩織さんに向かって、座ったまま深々と頭を下げた。
「……す、すみません、東雲さん!! 完全に俺のミスです!! 二人で協力するゲームなのに、いつも家で一人で遊んでる時の癖が出て、東雲さんを置いて勝手に先へ突っ込んじゃいました……!」
俺が平謝りすると、詩織さんは責めるどころか、目を丸くして慌てて首を横に振った。
「いいえ、三上様が謝られることではございませんわ! わたくしがまだレバーの動かし方に不慣れで、三上様の足手まといになってしまったせいですもの」
「そんなことないです! 前衛の俺が、後衛の東雲さんの位置をちゃんと見て歩調を合わせなきゃいけなかったんです。せっかく楽しんでもらおうと思って誘ったのに、本当に申し訳ないです……」
火曜日に大庭さんから護身術を教わった時、「自分の速さに任せて周りを見ずに動くな」とあれほど注意されたばかりだというのに、ゲームの中で見事に同じ失敗をやらかしてしまった自分が情けない。
すると詩織さんは、落ち込む俺の顔を覗き込み、少しだけ負けん気の強そうな、それでいてとても楽しそうな光を瞳に宿して言った。
「……あの、三上様。もしよろしければなのですけれど……もう一度だけ、同じステージに挑戦してみませんか?」
「……え? もう一回、ですか? 嫌になりませんでした?」
「ええ、ちっとも! むしろ、今のまま途中で負けて終わってしまうのは、なんだかとても悔しいではありませんか。一回目で動かし方はだいぶ分かりましたから、次はわたくしも、もう少し上手に三上様についていけると思いますの」
あの常に優雅で余裕たっぷりの東雲詩織さんが、ゲームオーバーになったことを「悔しい」と言って、自分からリベンジを提案してきたのだ。
その思いがけない一面がなんだかすごく新鮮で嬉しくて、俺はパッと顔を上げて力強く頷いた。
「……分かりました! じゃあ、もう一回だけ、今度こそ二人で力を合わせてリベンジしましょう!」
「はいっ! 次は絶対に負けませんわよ!」
俺たちは再び百円玉を投入し、二度目の『STAGE 1』へと挑んだのだった。
*
午後三時頃。
二度目の挑戦では、俺は先ほどの反省を活かし、画面の奥の敵だけでなく、常に詩織さんの弓使いが自分のすぐ後ろにいるかどうかを確認しながら、ゆっくりと着実に歩を進めた。
「東雲さん、次は右の曲がり角を曲がりますね。向こうにゴブリンが三匹いますから、俺が盾で止めたら、さっきみたいに矢を撃ってください」
「はい、準備はできておりますわ! ……えいっ!」
今度は俺が突出して置いていくこともなく、二人の距離が常に一定に保たれているため、詩織さんも落ち着いて狙いを定めることができている。
それどころか、五分も経つ頃には、詩織さんは基本的なレバーとボタンの操作にすっかり慣れ、驚くべき上達を見せ始めた。
「……あら。三上様、この緑色のボタンを少し長く押してから離すと、一度に三本の矢が扇状に飛んでいくみたいですわ」
「えっ、本当だ! チャージショットっていう技ですね、俺も知りませんでした! よく気づきましたね!」
「ふふ、色々と試してみたら出ましたの。では、前の固まっている敵は三上様にお任せして、わたくしはこの技で、遠くから石を投げてくる敵を先に片付けますわね」
「おお、助かります! お願いします!」
俺が前の敵と斬り合っている間に、詩織さんが的確な位置取りからチャージ矢を放ち、厄介な遠距離攻撃のモンスターを次々と撃ち抜いていく。
細かい指先のテクニックはまだ初心者でも、画面全体の敵の配置を俯瞰して「今どこを叩けば一番効率よく味方を守れるか」を瞬時に見極める大局観と状況判断の速さは、ベテランゲーマーの俺が舌を巻くほど的確だった。
さっき全滅した中盤のエリアも、今回は俺が詩織さんのすぐ横を離れずにガードを固めたことで、湧き出た骸骨たちを難なく撃破して突破することができた。
さらに奥へと進むと、道が左右の二手に分かれている分岐点に出た。
俺が何気なく「じゃあ、近そうな左の通路から行きますか」とレバーを倒しかけた時、隣から詩織さんの落ち着いた声が飛んだ。
「あ、三上様、少しお待ちになって。画面の上の小さな地図を見ていただけますか?」
「え? 右上のミニマップですか?」
「はい。左側の通路は距離は短いようですけれど、赤い点がたくさん集まっていて、待ち伏せが多そうですわ。反対にこちらの右側の通路は、少し遠回りにはなりますけれど、道幅も広くて安全に奥まで抜けられそうですの」
「……あっ、本当だ!! 俺、目の前の道ばっかり見てて、右上のマップの敵影まで全然気づいてませんでした!」
「ふふ、わたくし、こうして地図を見て安全なルートを選ぶのは、普段のお仕事でも得意分野ですもの」
悪戯っぽく微笑む詩織さん。確かに、普段から世界中の輸送ルートを管理している彼女にとって、ダンジョンのマップを読んで安全かつ最適なルートを割り出すことなど造作もないことなのだろう。
俺たちは彼女の提案通りに右側の迂回路を選び、無駄なダメージを一切受けることなく、最奥のエリアの手前まで辿り着いた。
そこには、天井まで届くような巨大な石の扉が立ち塞がっていた。
俺が扉の左脇にあった光る床スイッチの上にキャラクターを乗せると、ゴゴゴと音がしたものの、扉のロックが半分外れただけで開かない。
「……あれ? スイッチを踏んでるのに開きませんね」
「三上様、扉の反対側――右の柱の陰にも、同じような光る床がございますわ!」
「あっ、なるほど! 一人じゃ届かない距離にあるから、二人で同時に左右のスイッチを踏まないと開かない仕掛けになってるんですね!」
「まあ、本当に二人で力を合わせないと先へ進めない仕組みなのですね! では、わたくしが右側へ参りますわ。合図をお願いいたします!」
詩織さんの弓使いがトコトコと右側のスイッチの前まで移動する。
俺は画面を見ながら声をかけた。
「いきますよ、せーのっ!」
「はいっ!」
二人のキャラクターが同時にスイッチの上に乗った瞬間、カシャン! と心地よい音が鳴り響き、重厚な石の扉がゆっくりと左右に開いていった。
一人用のゲームでは決して味わえない、「相手が隣にいてくれるからこそ扉が開く」という協力プレイならではのギミックに、俺と詩織さんは思わず顔を見合わせて「「やりましたね!」」と笑い合った。
そして、開いた扉の奥で待ち構えていたのは、ステージ1の最後に立ち塞がる巨大なミノタウロスのボスだった。
巨大な斧を振り回して突進してくるボスに対し、俺の戦士が盾を構えて正面から受け止め、その隙に詩織さんの弓使いが背後から弱点の頭部を正確に射抜いていく。
ボスの体力を残りあとわずかまで削り取った、そのクライマックスの瞬間だった。
俺が「よし、このまま一気に押し切れるぞ!」と連続攻撃に夢中になっていると、画面の右端の暗がりから、槍を持った増援のゴブリンが二匹、俺の戦士の死角を突くように走り込んできていた。だが、俺は目の前のボスばかり見ていて、その動きにまったく気づいていなかった。
「三上様、危ないですわ! 右側から別の敵が来ております!」
「……えっ!?」
詩織さんの鋭い警告の声と同時に、彼女が放った三本同時のチャージ矢が俺のすぐ横をかすめ飛び、俺に槍を突き立てようとしていたゴブリン二匹をまとめて吹き飛ばしてくれた!
「おおおっ、ナイスカバーです東雲さん!! 助かりました!!」
「今ですわ、三上様! 真ん中の大きな敵に、最後の一撃を!」
「はいっ! うおおおおおっ!!」
詩織さんに背中を守られながら、俺は戦士の必殺技ボタンを全力で叩き込んだ。
画面の中で大剣が一閃し、巨大なミノタウロスが断末魔の咆哮を上げて光の粒となって消滅する。
直後、ファンファーレが鳴り響き、画面いっぱいに金色の文字で『STAGE CLEAR!!』の演出が映し出された!
「――やったあああああっ!! クリアしましたよ、東雲さん!!」
「まああああっ!! すごいですわ三上様、本当にクリアできましたわ!!」
俺が思わずガッツポーズをして叫ぶと、隣の詩織さんも両手を胸の前でパチパチと叩いて、飛び上がらんばかりに大喜びしてくれた。
「東雲さんが最後に右からの増援に気づいて撃ってくれなかったら、俺、またやられてるところでしたよ! 本当にありがとうございました!」
「いいえ、三上様がずっと前で怖い敵を引きつけて守ってくださったおかげですわ! 二人で力を合わせれば、あんなに大きな敵にも勝てるのですね!」
ゲームセンターの賑やかな音の中で、俺たちはまるで世界でも救ったかのように興奮しながら、お互いの健闘を称え合って笑い続けた。
家で一人で黙々とレア装備を集めるゲームも楽しいけれど、誰かと隣に並んで、失敗して謝って、もう一度挑戦して、こうしてクリアした瞬間に「やったね!」と目を合わせて笑い合えることが、こんなにも楽しくて幸せなことだったなんて、俺は今日まで知らなかった。
*
午後三時半。
大満足でゲーム筐体から離れた俺たちは、フロアの隅にある小さな休憩スペースのベンチに並んで腰を下ろし、自動販売機で買った冷たいお茶とジュースで乾杯した。
「……ふうう。なんだかすっかり熱くなっちゃって、少し汗かいちゃいましたよ。冷たいものが美味しいですね」
「ええ、本当ですわね。わたくしも、あんなに夢中になってボタンを押したのは生まれて初めてですわ」
詩織さんは冷たいリンゴジュースのペットボトルを両手で持ちながら、まだ少しだけ頬を上気させて、とても幸せそうに微笑んでいた。
「東雲さん、後半は本当に初めてとは思えないくらいお上手でしたよ。特にマップを見て安全な右の通路を見つけてくれた時なんて、俺、本気で感心しちゃいましたから」
「ふふ、お褒めいただき光栄ですわ。最初は思うように動かせなくてどうしようかと思いましたけれど、三上様が優しく教えてくださって、歩調を合わせて待ってくださったから、最後まで楽しく遊ぶことができました」
詩織さんはそこで少しだけ言葉を止め、ペットボトルを見つめたまま、ぽつりと穏やかな本音をこぼした。
「……三上様。今日はわたくしをここへ誘ってくださって、本当にありがとうございました」
「え? いや、そんな改まってお礼を言われるようなことじゃ……」
「いいえ。わたくし、こんなふうに時間の経つのも忘れて、何の利害関係も仕事の計算もなく、ただ目の前のことに夢中になって誰かと声を上げて笑ったのは……本当に、いつ以来か思い出せないくらい久しぶりだったのです」
俺は驚いて、隣に座る彼女の横顔を見つめた。
東雲会の令嬢として生まれ、若くして裏表の巨大な物流ネットワークを取り仕切る彼女だ。普段の彼女の周りには、常に莫大な金や権力、あるいは命に関わるような重い交渉や駆け引きが渦巻いているのだろう。
そんな彼女が、一プレイ百円のゲームセンターのベンチで、百数十円のジュースを飲みながら「こんなに楽しかったのは久しぶりだ」と微笑んでいる。
「ゲームに夢中になって、一度目は失敗して悔しい思いをして、二人で作戦を立て直してもう一度挑戦して……。三上様とご一緒していると、わたくしにとっては何もかもが新しくて、キラキラして見えるのですわ」
「……東雲さん。それは俺も同じですよ」
俺は気恥ずかしさを飲み込んで、真っ直ぐに自分の気持ちを言葉にした。
「俺も、普段はアパートの部屋で一人で画面に向かってゲームをしてるだけですから。こうして東雲さんと隣に並んで、ああでもないこうでもないって言いながら一緒に遊んだ方が、一人でやるより何十倍も楽しかったです」
「……まあ。本当ですか?」
「はい、本当です。今日、思い切って東雲さんを誘ってみて、大正解でした」
俺がにこりと笑うと、詩織さんは嬉しそうに目を細め、「わたくしもですわ」と小さく頷いた。
ふと横顔を見れば、普段の彼女が纏っている「どんな時も動じない完璧なお嬢様」という余裕のベールがすっかり剥がれ落ち、ただゲームのクリアを純粋に喜んでいる、年相応の可愛らしい一人の女性の素顔がそこにあった。
(……なんだよ。普段はあんなに落ち着いてて隙がない感じなのに、ゲームで勝っただけでこんなに無邪気に嬉しそうにするなんて……反則だろ、こんなの)
俺は高鳴る自分の胸の鼓動をごまかすように、残りの冷たいお茶を一気に飲み干したのだった。
*
午後四時頃。
一休みしてゲームセンターのビルから外へと出ると、昼間よりも少しだけ傾いた秋の太陽が、駅前の商店街を柔らかな茜色に染め始めていた。
ひんやりとした夕方の風が、ゲームの熱気で火照った肌に心地よい。
俺たちは駅の改札へ向かって、ゆっくりとした足取りで並んで歩いた。
「……三上様。今日は美味しいハンバーグをいただいただけでなく、普段の三上様がどんなふうに休日を楽しんでいらっしゃるのか、新しい一面をたくさん知ることができて、本当に充実した一日でしたわ」
「そうですね。俺の方こそ、東雲さんがゲームオーバーになって悔しがったり、もう一度挑戦したいと言ってくれたりと、今まで知らなかった一面を見られて、すごく楽しかったです」
「まあ、もう……さっきの悔しがったところは、どうか忘れてくださいませ」
詩織さんが少しだけ恥ずかしそうに口元を押さえて笑う。
俺もつられて笑いながら、心の中でしみじみと考えていた。
今日、こうして何時間も一緒に過ごしてみて分かったことがある。彼女が裏社会でどんな違法な仕事をしていようと、今俺の隣を歩いている彼女は、失敗すれば悔しがり、協力してうまくいけば子供のように目を輝かせて喜ぶ、驚くほど素直で魅力的な一人の女性なのだ。
もちろん、だからといって彼女の密輸や密入国の仕事を「いいことだ」と肯定できるようになったわけではない。そこはこれからも平行線のままだろう。
けれど、その問題の答えがまだ出ないからといって、彼女と一緒にいるこの楽しくて温かい時間まで手放したくはないと、今の俺ははっきりと感じていた。
やがて、夕方の人々が行き交う駅の改札前が見えてきた。
先週と同じ、お別れの場所だ。
詩織さんが足を止め、俺の方へと向き直って、少しだけ名残惜しそうに微笑んだ。
「三上様。本日は本当にありがとうございました。またこうして、お会いできたら嬉しいですわ」
先週の土曜日なら、ここで彼女の方から「またお誘いしてもよろしいでしょうか?」と切り出され、俺が顔を赤くしながら「予定が合えばぜひ」と受動的に頷いて終わるところだった。
また彼女からの連絡を待っていれば、きっと優しい彼女は三度目の誘いを送ってきてくれるだろう。
(……いや、違うだろ、三上悠介)
俺は改札の前で、自分の靴先を見つめ、それからグッと顔を上げた。
昨日の金曜日、俺は派遣会社の相原さんに対して、「他の職場に移ることもできるけれど、俺は自分の意思でこの職場に残りたいんです」と胸を張って言ったじゃないか。
仕事だけでなく、目の前の彼女との関係だって同じはずだ。「向こうが誘ってくれるからなんとなく会う」なんていう卑怯な逃げ道に隠れているのは、もうやめよう。俺自身が、彼女とまた会いたいと強く望んでいるのだから。
俺は一度大きく息を吸い込み、帰ろうとしていた詩織さんを呼び止めた。
「……あ、あの、東雲さん!」
「はい? なんでしょう、三上様」
小首を傾げる彼女の澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、俺は緊張で少し裏返りそうになる声を必死に落ち着かせて言った。
「……その、もしよかったら、なんですけど……また今度、俺と一緒にどこかに遊びに行きませんか?」
「………………」
ピタリ、と。
詩織さんの動きが止まり、その長い睫毛に縁取られた瞳が、信じられないものを見たかのように大きく見開かれた。
俺は顔がカッと熱くなるのを感じながら、慌てて言葉を継いだ。
「い、いや、次は別に今日みたいな騒がしいゲームセンターじゃなくてもいいんですよ! またどこか美味しいものを食べに行くとか、景色のいい場所を散歩するとか、東雲さんの行きたい場所でもなんでもいいんですけど……その、今日、東雲さんと一緒に過ごしたのが、俺、本当にすごく楽しかったので! だから、次は俺の方から、また東雲さんをデートにお誘いしたいなって思いまして……!」
途中から自分が何を言っているのか分からなくなりながらも、俺は最後に『デート』という言葉をはっきりと口にして、頭を下げた。
改札のざわめきの中で、数秒間の静かな沈黙が落ちた。
いつもなら、どんな時でも余裕たっぷりに微笑んで俺をリードしてくれるはずの詩織さんが、この時ばかりは言葉を失ったように、口元をわずかに開けたまま俺の顔をじっと見つめている。
「……三上様。今のお言葉は……わたくしからではなく、三上様ご自身からのお誘い、ということでよろしいのですか?」
「……は、はい。俺が、また東雲さんに会いたいんです」
俺が真っ赤になりながら頷いた、次の瞬間だった。
詩織さんの表情がふわりと解け、まるで春の陽だまりの中で満開の花が一斉に咲き誇るような、これまで見た中でいちばん眩しくて幸せそうな笑顔がこぼれ落ちた。
「……まあっ! もちろんですわ、三上様!! ぜひ、喜んでご一緒させてくださいませ!!」
彼女は胸の前で両手をきゅっと握りしめ、本当に嬉しそうに何度も頷いた。
そのあまりにも無垢な喜びように、誘った俺の方がドキッとして目を奪われてしまう。
「……よかった。断られたらどうしようかと思って、心臓が口から出そうでした」
「ふふ、わたくしが三上様からのお誘いを断るはずがないではありませんか。……あの、三上様、ひとつだけ申し上げてもよろしいですか?」
「はい?」
「わたくし、さきほど洋食屋さんの前で三上様からゲームセンターへ誘っていただいた時も、本当に飛び上がるほど嬉しかったのです。……ですけれど、今、三上様の口から『また会いたい』と次のお約束を申し込んでいただけたことは、それ以上に、胸がいっぱいになるほど嬉しいですわ」
少しだけ潤んだような熱い瞳でそう告げられ、俺は照れくささが限界を突破して、思わず口元を片手で覆って俯いた。
「……そ、そう言ってもらえると、勇気を出して言ってみてよかったです。じゃあ、またお互いの休みの予定が合う時に、どこへ行くかメッセージで相談しましょう!」
「はい! わたくし、今からもう次の休日が待ち遠しくてたまりませんわ。……それでは三上様、本日はどうぞお気をつけてお帰りくださいませ。ごきげんよう」
「はい、東雲さんも気をつけて! 今日は本当にありがとうございました!」
詩織さんは最後に、周囲の通行人が思わず足を止めて見惚れるほど優雅で美しい一礼を残し、軽やかな足取りで改札の向こうへと去っていった。
俺はその後ろ姿が見えなくなるまで見送り、自分の胸の奥に広がる心地よい余韻に浸りながら、自然と穏やかな笑顔を浮かべていた。
*
午後四時二十分。
俺は自分の帰りの路線の改札を抜け、ホームへと続く階段をゆっくりと上っていた。
(……いやあ、今日は本当にいい休日だったなあ)
頭の中で、今日一日の出来事を一つずつ反芻する。
大好きな洋食屋のハンバーグを二人で食べて、彼女が「美味しい」と満面の笑みを浮かべてくれたこと。
俺の暑苦しいゲームの話に目を輝かせて耳を傾けてくれたこと。
クレーンゲームで二人揃って失敗して笑い合い、協力型のアクションゲームでは、一度目の失敗を乗り越えて、二人で力を合わせて見事にステージをクリアしたこと。
そして最後には、また次のデートで会う約束まで取り付けた。
「……うん。最高に楽しい土曜日だったな」
俺はホームのベンチの前で満足そうに頷いた。
――そして、そこから一拍遅れて、俺の冷静な脳みそが「今日自分がしでかした事の重大さ」に気がつき、ピタリと動きを止めた。
(…………あれ? ちょっと待てよ、俺)
俺はホームの真ん中で、自分の両手を見下ろした。
先週の初デートの時は、向こうから強引に誘われて、「犯罪は駄目だと説教しに行くんだ」と自分に言い訳をしながら食事に行き、相手のペースに巻き込まれる形で次の約束をさせられた。
だが、今日はどうだ?
昼飯を食べ終わったあと、「まだ帰るのがもったいない」と思って自分から彼女をゲームセンターへ誘ったのは、どこの誰だ?
そして別れ際、彼女からの言葉を待つどころか、顔を真っ赤にしながら「俺がまた東雲さんに会いたいんです、デートしてください!」と自分から三度目のデートを申し込んだのは、一体どこのどいつだ!?
(……お、俺だあああああっ!! 他の誰でもない、俺自身が自分からアクセル全開で密輸女王とのデートコースに突っ込んでいってるじゃないかあああああっ!!)
俺の顔面が、夕焼け空よりも赤く一気に沸騰した。
もう「向こうが勝手に好意を向けてきているだけだ」なんていう言い訳は、天地がひっくり返っても通用しない。自分から次のデートに誘ったということは、俺自身が、あの東雲詩織という女性に本気で惹かれてしまっているという動かぬ証拠ではないか!
俺は頭を抱えながら、先ほどゲームセンターでクリアした『ツイン・ダンジョン・クエスト』のことを思い出した。
ゲームの中のダンジョンなら、どれだけ複雑なマップだろうと、どれだけ強いボスがいようと、冷静にパターンを分析して対策を立てれば攻略法が見つかる。一回目で失敗しても、二回目には落ち着いてクリアすることができるのだ。
それなのに、現実の俺自身の『恋愛』に関してはどうだ。
相手が国家規模の違法ビジネスを動かす危険人物だと頭では分かっていながら、一緒にハンバーグを食べれば幸せになり、一緒にゲームをして笑われれば胸を撃ち抜かれ、気がつけば自分から次のデートの予約まで入れている始末。対策どころか、完全に無防備なまま相手の魅力のど真ん中にハマり込んでいる!
俺は夕方の駅のホームの端で、自分のあまりのチョロさと制御不能な恋心に悶絶し、心の中で(いや、半分くらい声に出して)絶叫した。
「ゲームのダンジョン攻略ならあんなに冷静に立ち回れるのに、なんで俺自身の恋愛ルートだけは、気づいた時には自分からノリノリで先に進んじゃってるんですかあああああああっ!?」
近くにいた女子高生のグループが「えっ、なに今のサラリーマン……」とギョッとした目でこちらを見るのに気づき、俺は大慌てで両手で自分の口元を塞いで咳払いをした。
(……い、いかん。昨日の事務室といい今日といい、最近ついつい心の声が表に漏れる癖がついてるぞ……!)
俺は耳まで真っ赤にしたままベンチの端へと小さくなって座り込み、ポケットの中のスマートフォンをそっと撫でた。
いくら頭を抱えて叫んだところで、次の休日が来るのを誰よりも楽しみに待っているのが自分自身であることは、もうどうしようもない事実なのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
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