ゴーイングメリー号は、朝日を背に受けながら穏やかな海を進んでいた。
船上では、いつも通りの騒がしい時間が流れている。
「なあラウ! 飯はまだかー!」
「お前、さっき食ったばっかりだろ!」
「さっきのは朝飯だ!」
「今も朝だろうが!」
ラウの突っ込みに、ルフィは悪びれもせず笑った。
甲板の隅では、ウソップが釣り糸を垂らしながら、二人のやり取りを眺めている。ゾロはマストの根元で昼寝を決め込み、ナミは航海図を広げて進路を確認していた。
そんな中、ラウだけは時折、海面へ視線を落としていた。
海の色、波の立ち方、潮の流れ。海鳥が集まる位置。そこから読み取れる魚影の濃さ。
未知の食材を探す狩人にとって、海はただ船を進めるための場所ではない。そこには、まだ見ぬ獲物が数え切れないほど潜んでいる。
「……ん?」
ラウの鼻が、ぴくりと動いた。
潮の匂いに混じって、微かな魚の匂いがある。
ただの魚ではない。脂の乗った大型魚に特有の、濃く、それでいて嫌な臭みのない香りだった。
ラウは船縁に歩み寄り、目を細めた。
「へえ……。この辺り、面白そうな魚がいるな」
「ちょっと待って」
ナミが即座に顔を上げた。
「その言い方、何か見つけたでしょ?」
「いや、まだ見つけちゃいねえよ。匂いを感じただけだ」
「それで海に飛び込むつもりなんでしょ!」
「おっ、よく分かってんな!」
「褒めてないわよ!」
ナミは額を押さえた。
「目的地はバラティエ。寄り道するにしても、航海に支障が出ない範囲にしてちょうだい。あなたの食材探しに付き合って、いつまでも到着できないんじゃ困るんだから」
「分かってるって。ちょっと獲って、すぐ戻るさ」
「その『ちょっと』が信用できないのよ……」
ラウは笑いながら船縁に手をかけた。
そのとき、ウソップが釣り糸を巻き上げながら声を上げた。
「おい、待てよ! 何かいるのか? だったら、この大海賊ウソップ様が華麗に釣り上げてやろうじゃないか!」
「釣り竿じゃ無理だと思うぜ」
「なにぃ!? 俺の釣りの腕を疑うのか!」
「いや、魚の大きさを考えたらな」
ラウは海面を指差した。
波間の下で、何か大きな影が動いた。
一瞬だけ、青白い背中が光を反射する。
「……でかっ!」
ウソップの顔が引きつった。
「な、なんだ今の!?」
「おそらく大型魚だな。背中の色が青くて、側面に斑点があった。あれが全部同じ魚なら、かなりの大物だ」
ラウは楽しそうに笑った。
「こいつは調べる価値があるぜ!」
そう言うと、ラウは手早く採集用の道具をまとめ、腰に必要な装備を固定した。
「よし、行ってくる!」
「ちょっと、ラウ!」
ナミの制止を背に受けながら、ラウは海へ飛び込んだ。
水面が大きく弾け、すぐにその姿が海中へ沈んでいく。
「……あいつ、絶対に寄り道を我慢できないタイプだわ」
ナミは深々とため息をついた。
「でも、獲物が大きければ飯が増えるぞ!」
ルフィは満面の笑みだった。
「それはそうだけど……!」
ナミが言い返すより先に、ゾロが片目を開けた。
「騒ぐな。あいつなら、無茶をしても簡単にはやられねえだろ」
「お前、ラウのことをよく知ってるみたいに言うなよ!」
「一度手合わせしたからな。あいつは、見た目ほど無鉄砲じゃねえ」
ゾロはそう言って、再び目を閉じた。
海中では、ラウが静かに潜降していた。
息を吐く量を抑え、身体の力を抜く。水の抵抗を減らしながら、岩礁の陰を利用して進んでいく。
やがて、前方に青い影が現れた。
全長は三メートル近い。流線型の身体は濃い藍色で、側面には銀青色の斑点が並んでいる。尾びれは大きく、ひと振りするだけで周囲の水が勢いよく押し流された。
その魚は岩礁の近くを回遊しながら、小魚の群れを追い込んでいた。
(……なるほどな)
ラウは岩陰から観察した。
魚が方向を変えるとき、尾びれが大きくしなる。急旋回の直前には、身体の傾きがわずかに変わる。獲物に突進するときは速度が増す一方、岩礁の狭い隙間へ入り込む際には動きが制限されていた。
ラウはすぐには飛び出さなかった。
海中では、陸上のように足場を使って踏み込めない。水の抵抗があり、呼吸にも限界がある。相手が大型魚なら、体当たり一つで大きな怪我を負う可能性もある。
それでも、観察を続けるうちに、ラウの目は鋭さを増していった。
(よし……狙うなら、あそこだ)
魚が岩礁の脇を通り抜けようとした瞬間、ラウは動いた。
水を蹴り、魚の側面へ回り込む。
魚が異変に気づき、尾びれを振り抜いた。強烈な水流がラウの身体を押し流す。
だが、ラウは真正面から力比べをしなかった。流れに逆らわず、身体の向きを変えて衝撃を逃がす。そのまま魚の動きに合わせて距離を詰めた。
一度目の接近では、魚が急旋回して逃げた。
二度目には、尾びれの動きに巻き込まれ、ラウの肩が岩にぶつかった。
(っ……! こいつ、思った以上に速えな)
痛みをこらえながら、ラウは魚を追った。
魚は岩礁の間を抜けようとする。その瞬間、身体の向きが変わり、胸びれの付け根が一瞬だけ露わになった。
ラウはそこへ狙いを定めた。
身体をひねり、水の抵抗を利用して接近する。
そして、指先に力を集中させた。
(ノッキング……!)
一撃。
狙った部位へ正確に打ち込まれた衝撃によって、魚の動きが乱れた。
尾びれの動きが弱まり、身体の制御がうまくいかなくなる。魚は逃れようと身をよじったものの、先ほどまでの速度は失われていた。
完全に動かなくなったわけではない。大きな魚体はなおも水の中で揺れている。
(よし……効いてるな)
ラウは慎重に距離を保った。
ノッキングは、ただ相手を殴り倒すための技ではない。身体の働きを一時的に抑え、動きを封じるための精密な一撃だ。
そして、ラウがこの技を食材の狩りに使う理由は、もう一つあった。
獲物を仕留めるときの損傷を抑え、鮮度を保つためだ。
対象の身体の働きをノッキングによって極端に抑制できれば、通常よりも劣化が進みにくい状態を作り出せる。とりわけ、狙った部位へ正確に技を通せたとき、その効果は大きくなる。
ただし、どんな生物にも同じように効くわけではない。身体の構造が異なれば効果も変わるし、ノッキングの精度が不十分なら、鮮度を保つための効果も期待できない。
ラウは、魚が再び激しく暴れ始める前に、慎重に狩りを終えた。
食べると決めた獲物を、苦しませたまま放置するつもりはない。
そして、獲物を確保したあとも、彼はすぐに浮上しなかった。
魚の身体を調べ、異常な変色や傷、寄生生物の有無を確認する。未知の生物である以上、ノッキングが成功したことと、食材として安全であることは別問題だ。
確認できる範囲では、目立った異常は見当たらなかった。
(よし。残りは船の上で詳しく調べるか)
ラウは魚を固定し、息の続く範囲で水面へ向かった。
海面から顔を出すと、すぐにゴーイングメリー号から声が飛んできた。
「おーい! ラウー! 生きてるかー!?」
ルフィだった。
「生きてるに決まってんだろ!」
ラウは笑いながら答えた。
「それより、見ろ! でけえ獲物だぞ!」
水面に浮かび上がった魚を見て、船上の全員が目を丸くした。
「うおおおおおっ! でっけえーっ!!」
ルフィが歓声を上げる。
「なんだあの魚!? 普通の釣りじゃ絶対に無理だろ!」
ウソップは口をあんぐりと開けていた。
「……本当に捕まえてきたのね」
ナミは呆れたように言ったものの、魚の大きさを確認すると、すぐに現実的な計算を始めた。
「これなら、私たちで食べる分を確保しても、かなり残りそうね」
「おう! だからバラティエに持ち込もうと思ってな!」
ラウは魚を船へ引き上げながら説明した。
「ここまで大きい魚なら、いろんな部位を試せる。身だけじゃなく、脂の乗り方も調べたいし、骨から出汁が取れるかもしれねえ。俺だけで食うより、料理人に見てもらった方が面白いだろ?」
「つまり、バラティエに売るってことか?」
ゾロが尋ねる。
「そういうことだ。食う分は自分で確保して、残りは買い取ってもらう。いい食材なら店の役にも立つし、俺も次の旅の資金が手に入る。悪くねえだろ?」
「いいじゃねえか! 売った金で肉を買おうぜ!」
ルフィが即座に賛成した。
「お前は肉のことしか考えてねえな!」
ラウは笑いながら、魚の状態を確認した。
ノッキングを打ち込んだ部位は、目立った損傷がほとんどない。魚体の張りも保たれており、海から引き上げたばかりの獲物とは思えないほど状態がよかった。
「……やっぱり、いい状態だ」
ラウは満足げに頷いた。
「ノッキングがうまく決まれば、こうして鮮度を保ちやすくなる。獲物を傷つけすぎずに仕留められるのも、狩人にとっちゃ大事なことだからな」
「へえ……。そんな使い方もできるのね」
ナミが感心したように魚を眺めた。
ラウは魚体を傷めないように固定し、船内の日陰へ運び込んだ。温度変化を避け、衛生状態にも気を配る。ノッキングによって鮮度の劣化が抑えられていても、無限に保存できるわけではない。運搬中の扱いを間違えれば、せっかくの獲物も台無しになる。
その後、ラウは魚の一部を切り分けて、加熱して味を確かめた。
脂は濃厚だが、重たすぎない。身はしっかりとしており、噛むほどに甘みが出てくる。火を通しても身が縮みにくく、料理の幅も広そうだった。
「こいつは当たりだな!」
ラウは満面の笑みを浮かべた。
「よし、残りはバラティエに持ち込もう!」
ゴーイングメリー号は再び進路を整え、海上レストランを目指した。