秦の山奥で闘蛇やってます   作:欄外

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第六十二話 約束できること、できないこと

 

世の中には、言うのは簡単でも、実行するのは難しいことがある。

 

例えば。

 

「明日から早起きする」

 

「甘いものを控える」

 

「毎日運動する」

 

……。

 

(……耳が痛い)

 

いや、今の私は闘蛇なので。

 

甘いものは、そこまで食べない。

 

代わりに魚を食べる。

 

それも、できればたくさん。

 

……話が逸れた。

 

要するに。

 

何かをすると決めることと、それを実際にできることは、別なのだ。

 

そして今、白淵族はまさにその問題に直面していた。

 

◇◇◇

 

「……三十人?」

 

ハクが、少し大きな声を出した。

 

族長の前には、木板が並べられていた。

 

そこには、戦士たちの人数や、闘蛇の状態が記されている。

 

もちろん、私には読めない。

 

……。

 

(……いや)

 

正確には、この時代の文字がまだよく分からない。

 

人間だった頃の知識が、こういうとき役に立たないのは少し悲しい。

 

「三十人でも、多い」

 

ゴウが言った。

 

「集落の守りを考えろ」

 

「分かってますよ。でも、十人や二十人じゃ、できることが限られるでしょう」

 

「何をするつもりだ」

 

「それを考えてるんじゃないですか」

 

……。

 

(……また始まった)

 

最近、この二人はよく言い合っている。

 

仲が悪いわけではない。

 

むしろ、互いの腕は認めている。

 

ただ、考え方が違うのだ。

 

◇◇◇

 

白淵族では、楊端和との協力について、具体的な条件をまとめ始めていた。

 

まず、戦士を何人まで出せるのか。

 

次に、闘蛇を何頭まで連れていけるのか。

 

そして、どんな場合なら協力するのか。

 

……。

 

(……大変そう)

 

私は、集会場の外で伏せていた。

 

今日も会議である。

 

最近、会議が多い。

 

そろそろ、会議に参加した闘蛇には魚を支給する制度を作ってほしい。

 

◇◇◇

 

「そもそも、人数だけ決めても意味がない」

 

セイランが言った。

 

ハクとゴウが振り返る。

 

「山道を守るのか、荷を運ぶのか、戦うのか。それによって必要な人数は変わる」

 

「……確かに」

 

ハクが頷いた。

 

「闘蛇も同じだ」

 

セイランは続けた。

 

「狭い道では、何頭も並べない」

 

……。

 

(……そうなんですよ)

 

私たち、大きいので。

 

広い場所ならいい。

 

でも、細い山道で何頭も集まれば、むしろ邪魔になる。

 

以前、南の古道を調べたときにも、そういう場所があった。

 

人が十人ほど通るだけでも、順番を考えなければならない道。

 

そこへ闘蛇を何頭も連れていったら。

 

……。

 

(……渋滞)

 

大変なことになる。

 

◇◇◇

 

「ならば、役割ごとに考えるべきだな」

 

族長が言った。

 

「戦うための者。道を守る者。荷を運ぶ者。そして、集落に残る者」

 

ゴウが頷いた。

 

「それなら、無理な数にはならんでしょう」

 

「だが、まだ足りん」

 

族長は続けた。

 

「我らだけで決めてよい話ではない」

 

ハクが顔を上げた。

 

「黒角族ですか」

 

「ああ」

 

南の古道は、白淵族だけの土地ではない。

 

黒角族の領域も通っている。

 

その道を使って何かをするなら、彼らの考えも聞く必要がある。

 

(……そうだよね)

 

勝手に決めたら、怒られる。

 

私だって、自分の水場を知らない人に勝手に使われたら嫌だ。

 

……。

 

(……魚が減るし)

 

重要な問題である。

 

◇◇◇

 

数日後。

 

黒角族の族長、ガクが白淵族を訪れた。

 

同行していたのは、キョウと数人の戦士。

 

そして、以前にも使者として来たダンだった。

 

「久しいな、レイガ」

 

ガクが笑った。

 

「また難しい話を持ってきたそうだな」

 

族長も、わずかに笑った。

 

「難しいからこそ、お前に聞きたい」

 

「そうか」

 

ガクは、大きく頷いた。

 

「ならば、聞こう」

 

……。

 

(……おお)

 

この二人も、なかなか良い関係だ。

 

最初に会った頃は、もっと慎重だった気がする。

 

今では、互いに遠慮なく話せるようになっている。

 

私は、少し嬉しくなった。

 

◇◇◇

 

話し合いが始まると、ガクはすぐに核心を突いた。

 

「つまり、楊端和と戦の協力をするかもしれん、ということか」

 

「ああ」

 

族長が答えた。

 

「ただし、我らの判断でな」

 

ガクは腕を組んだ。

 

「……なるほど」

 

「黒角族にも、同じことを求めるつもりはない」

 

「分かっている」

 

ガクは頷いた。

 

「だが、南の古道が関わるなら、我らにも無関係ではない」

 

……。

 

(……そう)

 

そこなのだ。

 

白淵族だけが協力すると決めても、黒角族の土地を通れなければ、できないことがある。

 

◇◇◇

 

「俺は、悪い話ではないと思う」

 

キョウが言った。

 

ガクが振り返る。

 

「理由は?」

 

「山の王の軍と連携できれば、守りは強くなる」

 

「……それだけか」

 

「それに」

 

キョウは、少し笑った。

 

「白淵族と一緒に訓練したことで、分かったこともあります」

 

……。

 

(……おや)

 

私たちの話ですか。

 

キョウは続けた。

 

「闘蛇は強い。でも、万能じゃない」

 

……。

 

(……うん)

 

よく分かってる。

 

「狭い道では動きづらいし、急に向きを変えるのも得意じゃない。だから、周りの戦士がどう動くかが大事になる」

 

セイランが頷いた。

 

「ああ」

 

「逆に、闘蛇がいるからこそ、できることもある」

 

キョウは言った。

 

「人だけでは越えられない場所を進める。荷を運べる。負傷者を運び出すこともできる」

 

……。

 

(……おお)

 

ちゃんと見てくれている。

 

私は、少し誇らしくなった。

 

◇◇◇

 

「だが、山の王の軍と一緒に動くとなれば、話は別だ」

 

ガクが言った。

 

「白淵族の戦士だけでなく、黒角族の土地にも影響が出る」

 

族長が頷いた。

 

「そのとおりだ」

 

「軍が通れば、道が傷む。食料も必要になる。敵を引き寄せることもある」

 

……。

 

(……確かに)

 

大勢が通るというのは、それだけで大変なのだ。

 

南の古道は、広い街道ではない。

 

大軍が好き勝手に行き来できる道ではない。

 

「だから、通行の約束は変えん」

 

族長が言った。

 

「楊端和の軍であっても、勝手に通すことはない」

 

ガクは、満足そうに頷いた。

 

「それなら、まずはよい」

 

◇◇◇

 

「一つ、提案がある」

 

ダンが口を開いた。

 

皆が彼を見た。

 

「軍を出すかどうかを決める前に、知らせを届ける仕組みを整えてはどうでしょう」

 

族長が頷く。

 

「続けろ」

 

「山界で争いが起きても、知らせが遅れれば何もできません。南の古道の通行だけでなく、危険が迫ったときの連絡方法を決めておくべきです」

 

……。

 

(……おお)

 

それは大事。

 

私は、思わず首を上げた。

 

「例えば、黒角族の見張りが異変を見つけたら、白淵族へ知らせる。白淵族が受け取った知らせも、必要なら山の王へ伝える」

 

「……なるほど」

 

ガクが頷いた。

 

「それなら、今すぐ戦の約束をせずとも始められる」

 

「はい」

 

ダンは続けた。

 

「危険を知ることと、戦に加わることは別ですから」

 

……。

 

(……いいこと言う)

 

私は、密かに感心した。

 

知らなければ、何も選べない。

 

でも、知っているからといって、必ず戦わなければならないわけではない。

 

◇◇◇

 

「ならば、まずはそれを進めよう」

 

族長が言った。

 

「黒角族と白淵族の間で、知らせを届ける道を決める」

 

ガクが頷く。

 

「山の王にも、同じ仕組みを提案すればよい」

 

「そうだな」

 

「ただし、知らせを受けたからといって、必ず兵を出すわけではない」

 

「ああ」

 

……。

 

(……うん)

 

少しずつ、形になってきた。

 

いきなり大きな約束をするのではなく。

 

できることから、始めていく。

 

それなら、無理も少ない。

 

◇◇◇

 

話し合いが終わる頃。

 

トウエンが、静かに口を開いた。

 

「闘蛇についても、決めておきたいことがあります」

 

族長が頷く。

 

「何だ」

 

「戦に出す数だけでなく、戻ってきたあとのことです」

 

……。

 

(……おや)

 

戻ってきたあと?

 

トウエンは続けた。

 

「長い移動をすれば、闘蛇は疲れます。傷を負うこともある。すぐに次の仕事へ出せるとは限りません」

 

レンが頷いた。

 

「休ませる時間が必要です」

 

「……そうだな」

 

族長は答えた。

 

「それも条件に入れよう」

 

……。

 

(……ありがたい)

 

非常にありがたい。

 

私だって、働いたら休みたい。

 

できれば、魚も食べたい。

 

◇◇◇

 

その日の夕方。

 

キョウが、私のところへやってきた。

 

「スイ」

 

(……はい)

 

私は、川辺で身体を伸ばしていた。

 

キョウは、私を見上げて笑った。

 

「また一緒に訓練することになるかもしれんな」

 

……。

 

(……そうですね)

 

私は、軽く鼻を鳴らした。

 

「今度は、山の王の戦士たちとも一緒になるかもしれん」

 

……。

 

(……おお)

 

それは、少し楽しみ。

 

楊端和の戦士たちは、山での戦いに慣れている。

 

バジオウもいる。

 

きっと、学べることは多いだろう。

 

……。

 

(……ただし)

 

無理な訓練は、お断りです。

 

私は、ゆっくりと尾を動かした。

 

キョウは笑った。

 

「分かった、分かった」

 

……。

 

(……何が?)

 

この世界の人たち。

 

どうして、私の言葉が分かるみたいに返事をするのだろう。

 

◇◇◇

 

夜。

 

族長は、セイランとハクを呼んだ。

 

私は、少し離れた場所で待っていた。

 

「楊端和への返事をまとめる」

 

族長が言った。

 

セイランが頷く。

 

「どうする」

 

「まずは、知らせを届け合う仕組みを作る」

 

「ああ」

 

「そして、必要なときには協力を考える。ただし、兵を出すかどうかは、その都度判断する」

 

ハクが頷いた。

 

「闘蛇についても、ですね」

 

「もちろんだ」

 

族長は続けた。

 

「白淵族の独立は変えん。南の古道の約束も変えん」

 

……。

 

(……うん)

 

大事なことは、ちゃんと残っている。

 

◇◇◇

 

「……それで、山の王は納得するでしょうか」

 

ハクが尋ねた。

 

族長は、少しだけ笑った。

 

「分からん」

 

「えっ」

 

「だが、我らが守れぬ約束をするよりはよい」

 

……。

 

(……おお)

 

私は、静かに目を細めた。

 

確かに。

 

相手に喜んでもらうために、何でも引き受ける。

 

それは、簡単かもしれない。

 

でも。

 

できないことまで約束してしまえば、いつか困る。

 

自分たちも。

 

相手も。

 

「約束とは、守るためにするものだ」

 

族長が言った。

 

「その場を収めるためにするものではない」

 

……。

 

(……いい言葉)

 

私は、少し感心した。

 

◇◇◇

 

翌朝。

 

白淵族から、楊端和のもとへ使者が送られることになった。

 

今回は、族長は同行しない。

 

セイランとハクが、返答を届ける。

 

そして。

 

もちろん、私も。

 

……。

 

(……また出張)

 

最近、本当に多い。

 

私は、川辺で大きく身体を伸ばした。

 

レンが、私の鱗を確かめている。

 

「スイ、無理しないでね」

 

(……もちろん)

 

私は、ゆっくりと鼻先を寄せた。

 

無理はしません。

 

できることを、できるだけ。

 

それが、今回の約束なのだから。

 

◇◇◇

 

山道を進みながら、私は考えた。

 

守るために、何ができるのか。

 

その答えは、きっと一つではない。

 

戦うこともある。

 

知らせを届けることもある。

 

誰かを運ぶこともある。

 

そして、ときには。

 

戦わないと決めることもある。

 

……。

 

(……うん)

 

それなら、私にもできそうだ。

 

私は、少しだけ歩調を速めた。

 

背中には、セイラン。

 

向かう先は、山の王のもと。

 

今度は、白淵族からの返事を届けるために。

 

……。

 

(……ところで)

 

帰り道に、魚の多い川へ寄れませんかね。

 

外交も大事ですが。

 

食事も、同じくらい大事なのです。

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