ムコーダ、アルトワール王国で晩餐会を開く
~フェンリルと凶乱令嬢と神の蜜酒~
第一幕 街道の災難
アルトワール王国の王都へと続く街道は、昼下がりのうららかな陽気に包まれていた。
「いい天気だなあ。王都に着いたら、まずは市場を覗いてみたいな。この国にしかない食材や調味料が、きっとあるはずだ」
巨大な狼――神獣フェンリルのフェルの背に揺られながら、ムコーダは暢気に呟いた。毛並みにしがみつく彼の腕の中ではスライムのスイがぷるぷると機嫌よく揺れ、頭上ではピクシードラゴンのドラちゃんがぱたぱたと羽ばたいている。
「お前は飯のことばかりだな」
「フェルだって肉のことしか話さないだろ」
「当然だ。肉は正義だからな」
「あるじー、スイもおにくすきー!」
「俺は酒に合う珍しいつまみがいいぜ。王都なら、いい酒もあるだろうしな」
いつも通りの、平和な旅路。そう、ここまでは。
森に差しかかったところで、フェルの足がぴたりと止まった。
「ムコーダ、囲まれているぞ」
「え?」
木陰から、ぞろぞろと柄の悪い男たちが姿を現す。その数、ざっと三十。揃って胸元に同じ刺青をのぞかせた、どう見ても堅気ではない連中だ。
「おうおう、いい旅してんじゃねえか兄ちゃん。でけえ狼にスライム、おまけに羽の生えたちっこいトカゲ……こりゃあ、高く売れそうだ」
「トカゲじゃねえ! ドラゴンだ!」
「ドラちゃん、今は怒るところそこじゃない」
先頭の大男が顎をしゃくる。
「荷物と、その珍しい魔物ども、全部置いていきな。そうすりゃ命だけは――」
「ほう」
フェルの声が、低く静かに響いた。
「我を前にして、その口を利くか」
ぶわり、と空気が震えた。男たちの顔から血の気が引く。ムコーダも一緒に青くなった。
「ま、待てフェル! 街道のど真ん中で殺生は勘弁してくれ! 後始末が絶対面倒なことになるから!」
「ならば半殺しだ」
「それもやめて!」
そのときだった。
第二幕 凶乱令嬢、乱入
「楽しそうなことをされていますね」
鈴を転がすような、涼やかな声だった。
男たちの背後、街道の少し先に立派な馬車が二台止まっている。その傍らから、ふわりとドレスの裾を揺らして、一人の少女が歩いてきた。まだ幼い。上品な身なりの、まるでお人形のような可憐な令嬢だ。
「わたしも、混ぜていただけますか?」
にっこりと微笑む少女に、男たちは一瞬きょとんとして、それから下卑た笑い声をあげた。
「なんだぁ、嬢ちゃん。迷子か?」
「危ねえから、あっち行って――」
言い終わる前に、その男は視界から消えた。
どごん、と何かが爆ぜる音。気がつけば男は十メートルも先の木の幹にめり込んでいる。少女の小さな拳が、いつの間にか振り抜かれていた。
「なっ……!」
「てめえ、やっちまえ!」
三十人のならず者が、剣やら短刀やら魔力の光を帯びた武器やらを抜いて一斉に殺到する。
結果から言えば、三十秒もかからなかった。
少女はひらりひらりとドレスを翻し、舞踏会のワルツでも踊るような足取りで男たちの間をすり抜ける。拳が唸るたび、足が跳ねるたび、大の男がボールのように宙を舞った。ときおり「あら、いい動きですね」「もう少し踏み込んでくださって結構ですよ」などと講評までつけている。
「……えーと」
ムコーダはぽかんと口を開けた。フェルの背から降りるのも忘れていた。
「ほう。なかなかやるではないか」
「いやいやいや、フェル、あれ子どもだぞ!?」
「見ればわかる。だが、あの身のこなしは……」
そこへ、背後から悲鳴じみた声が追いかけてきた。
「お嬢様ぁぁぁ! 走らないでくださいとあれほど! ああっ、スカートの裾に泥が! お怪我は! お怪我はございませんかっ!?」
侍女服の女性が凄まじい速度で駆けてくる。彼女は少女の周りをくるくると回って全身を点検し、泥をはたき、髪を整え、そしてようやく地に伏した男たちを一瞥して、氷のように言い放った。
「……ゴミが、お嬢様のお手を煩わせて」
(ひえ……)
ムコーダは心の底から思った。この人も絶対にヤバい。
続いて、二台目の馬車から、少年と若い侍女、さらに愛らしい少女が二人、わらわらと降りてくる。
「ニア、また一人で突っ込んで……!」
「ニール様、お下がりください。ここは私が」
「ちょっとニア! わたくしたちのロケ地移動中だって、わかってますの!?」
「まあまあ、レリア。盗賊退治の撮れ高も、意外といいかもしれませんよ。魔法映像で流せばきっと話題に」
「ヒルデ、それは流せませんわ! 絶対に苦情が来ますもの!」
賑やかな一行を前に、ムコーダは頭を抱えたくなった。
第三幕 見抜かれた魂
三十人の山を築き終えたところで、少女――ニアは、くるりとこちらを振り向いた。
その瞳が、フェルを捉える。きらり、と輝いた。
「あなた、とても強いですね。その毛並みの奥から滲む氣の密度、尋常ではありません。ぜひ一度、手合わせを」
「断る」
即答だった。
「我は今、腹が減っている。食後ならば考えてやらんでもないが、まずは飯だ」
「ごはん……食後なら、よろしいのですか?」
「フェル、約束するな! 頼むから勝手に約束するな!」
ムコーダが慌てるのをよそに、フェルはニアをじっと見据えていた。そして、ぽつりと言った。
「小娘。貴様、その身に収まった魂は、器と合っておらんな」
場の空気が、止まった。
「ああ、やっぱりな」
ドラちゃんがニアの周りをひらひらと飛び、腕組みをして頷く。
「見た目はちっこいのに、魂の色がまるっきり違うんだ。それも、一度死んで戻ってきた匂いがする。転生者ってやつだろ、嬢ちゃん」
「えっ」
声を上げたのは、一人ではなかった。
リノキスが固まり、ニールが目を見開き、リネットが無言でニールの前に立ち、ヒルデトーラは扇子を取り落とし、レリアレッドは「て、てんせい……?」と口をぱくぱくさせている。
ニアはしばらくフェルとドラちゃんを交互に眺め、それからふっと、肩の力を抜いて微笑んだ。
「ふふ。まさか、一目で看破されるとは思いませんでした。やはり本物の強者は違いますね」
「お、お嬢様!? 認めてしまってよろしいのですか!?」
「隠すほどのことでもありません。それに、こちらの方々には通用しないでしょう?」
(転生者……)
ムコーダは内心でひっそりと思った。自分も異世界から来た身ではあるが、あれは召喚に巻き込まれた口で、これとはまた別の話だ。この世界、いろいろな人がいるなあ、と。
「あの、お兄様も、リネットも、ヒルデもレリアも、驚かせてしまってごめんなさい。順番に説明しますから」
「ニア……」
ニールは目を瞬かせたあと、ふっと表情をやわらげた。
「正直驚いたけれど、君が君であることは変わらないよ。後でゆっくり、聞かせてくれるかい?」
「お兄様……!」
「……ニール様、尊い」
小さく呟いたリネットの声は、風に紛れて誰にも聞こえなかった。
第四幕 ネットスーパー、大型出店
「ところで」
ニールが、ムコーダたちに向き直った。
「妹が失礼をいたしました。僕はニール・リストンと申します。あなた方は、お怪我などされていませんか?」
「あ、いえ、俺たちは何も。むしろ助けてもらった形で……ムコーダといいます。こっちはフェルとスイ、ドラちゃんです」
「ムコーダ様。もしよろしければ、お礼に何かさせてください」
「いや、そんな……あ、そうだ。お礼にというか、お詫びというか、何か甘いものでも出しましょうか。皆さん、運動のあとでお腹が空いてるでしょう」
ムコーダは「ネットスーパー」のスキルを開いた。
「どれどれ、今日のラインナップは……えっ?」
画面に並ぶ文字に、ムコーダは目を丸くした。
「角上魚類、成城石井、カルディ、OK、クランド、シャトレーゼ……新規オープン!? 六店舗も一気に!?」
「おおおお! どうしたムコーダ!」
「新しい店が、一気に増えたんだ! これはすごいぞ!」
フェルの尻尾がぶんぶんと揺れ、スイが「あるじー! あたらしいの!?」と飛び跳ねる。ムコーダは興奮のまま、まずは目についたシャトレーゼのページを開いた。
「冷凍のアイスなら、すぐ食べられるな。このチョコバッキーってやつ、いってみよう」
人数分を購入し、袋から取り出して配る。
「どうぞ。冷たいので、気をつけて。外のチョコの部分が、パキッと割れるんです」
「冷たい……」
ニアは、棒の先のそれを不思議そうに見つめ、おそるおそる、一口かじった。
パキン。
「――――っ!?」
少女の目が、まんまるに見開かれた。
「ぱ、ぱりっとしたチョコの下から、とろけるような冷たい甘みが……! なんですか、これ……!」
「お嬢様!? お嬢様、あまりに冷たいものを一気に食べては、お腹が……! ああでも、お顔が幸せそうで尊い……!」
「ほほう、これは……! チョコレートをこうも薄く、均一に纏わせる技術とは。わたくしの放送局の新企画にできませんかしら」
「ヒルデ、真顔で言わないで! でも、おいしい……! なにこれ、おいしいですわ!」
「うまいぞ! ムコーダ! これはうまい!」
「あるじー! つめたくてあまくておいしいー!」
「うめえ! もう一本よこせ!」
ムコーダの周りが、一瞬で大騒ぎになった。
第五幕 半ば拉致の招待状
気がつけば、チョコバッキーの追加が三度行われていた。
「ムコーダ様」
ニアが、真剣な顔でムコーダの手をがしりと握った。
「あなたを、王都にお招きします。いえ、ご招待ではありません。連行です」
「連行!?」
「僕からも、お願いします」
ニールが、すまなそうに笑って続ける。
「ヒルデトーラ様のご実家、つまり王宮へ。この味を、ぜひ王様にも味わっていただきたいのです。妹の言い方は物騒ですが、僕も同じ気持ちで」
「あの、俺たちは王都に向かう途中だったので、行き先は同じですけど、王宮は……」
「問題ありませんわ。わたくしが、父に話を通しますもの」
ヒルデトーラが、にこりと優雅に微笑む。ただし目が笑っていない。
「世界征服の第一歩は、胃袋からですわ」
「ヒルデ様、今、世界征服って言いました!?」
「気のせいですわ」
「お嬢様方、お話は馬車の中で。リネット、こちらの方を」
「承知」
「承知って何を!? え、ちょっと、リネットさん!? なんで俺の両脇を……ちょっ、力、強っ!?」
ひょい、と。
ムコーダは侍女二人に両脇を抱えられ、荷物のようにリストン家の馬車へ運び込まれた。
「待て待て待て! これ拉致だろ!? 完全に拉致だろ!? フェル! ドラちゃん! スイ! 助けてくれえ!」
「ふむ。王宮ならば、よい肉と酒が出るのだろうな」
「お前、目的は飯だな!? 飯なんだな!?」
「他に何がある」
「王宮の酒は、きっとうまいぜ!」
「あるじー、おさんぽー!」
味方が一人もいない。
ムコーダは遠い目をして、馬車の窓から流れていく景色を眺めた。
(俺はただ、のんびり旅をしたいだけなのに……)
フェルは、おとなしく馬車の後ろを悠々と駆けていた。
第六幕 神の蜜酒
アルトワール王宮、謁見の間。
玉座に座るのは、第十四代国王ヒュレンツ・アルトワール。鋭い眼差しに、揺らがぬ威厳。為政者の覇気とは、こういうものかと思わせる人物だった。
「……ヒルデトーラ。これは、どういうことだ」
「お父様、こちらの料理人の方をお連れしましたの。ムコーダ様と、神獣フェンリルのフェル様ご一行ですわ」
「フェンリルだと」
王の眉が、ぴくりと動いた。が、それだけだった。さすがの胆力だ。
ムコーダは膝をつきながら、背中に滝のような汗を流していた。
(王様だ……本物の王様だ……冷たい目をしている……俺なんて瞬殺される……)
「面を上げよ。ムコーダとやら」
「は、はい!」
「娘たちが世話になったようだ。礼を言う。……それで、何ができる」
「あ、あの、手土産と言いますか、まずはお近づきの印に、こちらをお納めください」
ムコーダは、ネットスーパーのクランドのページから取り寄せた一本の瓶を、うやうやしく差し出した。
「神の蜜酒、というお酒です。なんでも、神話の飲み物『ネクタル』を再現したものだそうで。ええと、菩提樹の蜂蜜から作られていて、アルコールは軽め、すっきりした甘みが特徴だと」
「蜜酒……」
王の目が、わずかに細まる。
「ほう、ネクタル。古い伝承にある、神々の飲み物か」
「ええ。よく冷やして、そのままでもいいですし、炭酸で割っても。ちょうど今から晩餐会をなさるなら、食前酒にぴったりかと」
「俺にも味見させろ、ムコーダ」
「ドラちゃん、お前は後だ。陛下が先」
侍従がグラスを運び、ムコーダは恭しく黄金色の液体を注いだ。ふわりと立ちのぼるのは、花のような華やかな香りと、ほのかなハーブの気配。
ヒュレンツ王は、無言でグラスを傾けた。
長い、長い沈黙が落ちる。
「…………」
(ま、まずかったのか……? まさか、処刑……?)
「…………これは」
王は、静かにグラスを置いた。
「花の香りが鼻に抜けたあと、蜂蜜の甘みが、まるで雑味のない泉のように広がる。甘いが、くどくない。喉を通れば、後味は驚くほど澄んでいる。……こんな酒は、飲んだことがない」
「お、お口に合いましたでしょうか」
「合うどころではない。ヒルデトーラ」
「はい、お父様」
「今宵の晩餐会は、この者に任せる」
「!?」
第七幕 報酬と厨房
「陛下、あの、俺はただの冒険者でして、そんな大役は……」
「報酬ならば出す。望みを言え」
王の声は、有無を言わせぬ響きだった。ムコーダは小さく息を呑み、それから少し考えた。
「で、では、条件が三つあります。ひとつ、料理に使う食材は、俺が用意するもので問題ないこと。ふたつ、俺のスキルについて、詮索は無用にしていただくこと。みっつ、報酬として、王国内の珍しい食材や調味料を、自由に買い付けさせていただける許可を」
「ほう。金貨ではなく、食材の買い付けを望むか」
「はい。金貨もいただけるなら嬉しいんですが、それが一番なので」
王は、ほんの一瞬、笑ったように見えた。
「よかろう。ヒルデトーラ、手配しろ。厨房を空けさせろ」
かくして、ムコーダは王宮の大厨房へと案内された。
居並ぶ王宮料理人たちの視線は、冷ややかだった。
(うう、完全にアウェイだ。でも、やるしかない。フェルにも約束させられたしな……)
ムコーダは、ぐっと袖をまくった。
「よし。まずはネットスーパーで、使えそうな食材を片っ端から見てみるか」
画面に並ぶ、見慣れた食材の数々。そして、新しく加わったお店たち。
「角上魚類は海の幸、成城石井は輸入食品や洋風の食材、カルディは世界各国の調味料とキット、OKはスーパーの野菜、クランドはお酒……よし、いける。これなら、アルトワールの王様を満足させられる」
厨房の隅では、フェルがどっかと腰を据えて待機している。
「ムコーダ、早く作れ。我は腹が減った」
「わかってるよ! お前、チョコバッキー六本も食べたろ!」
「あんなものは、別腹だ」
第八幕 生ハムとランプフィッシュキャビア
最初の一品は、食前酒に合わせた前菜だった。
「蜜酒に合うのは、生ハムとかチーズとか、塩気のあるものだよな。カルディの生ハムと、それから……このランプフィッシュキャビア、黒くて綺麗だな」
ムコーダは、生ハムを皿に薄く広げ、そこにランプフィッシュキャビアを、ライムリーフのドレッシングで和えたものを、そっと載せた。
爽やかな柑橘の香りが、厨房に広がる。
「さあ、できました。お待たせしました、前菜です」
晩餐会の広間では、ヒュレンツ王を筆頭に、王妃、ヒルデトーラ、そしてリストン兄妹、レリアレッド、シルヴァー家の長女ラフィネ、リノキス、リネット、エスエラらが席に着いていた。
各々のグラスに、黄金色の蜜酒が注がれる。子どもたちのグラスには、蜂蜜と炭酸水を合わせたノンアルコールのものが。
「では、乾杯を」
王の短い言葉のあと、グラスが触れあう。そして前菜が運ばれてきた。
「…………っ」
最初に口をつけたのは、ニールだった。
「このドレッシング……爽やかな香りの奥に、ほんのりとした苦味と、深い酸味が……ああ、生ハムの塩気を包み込むようで……これは、素晴らしい」
ニールは、すっと立ち上がった。
「ムコーダ様! どうか、このドレッシングの作り方を、教えていただけませんか! 我が家の料理人に、再現をさせたいのです!」
「えっ」
ムコーダは、笑顔のまま固まった。
「えっと、その……俺、これ、買ってきたものでして……」
「買ってきた……? では、どこで」
「あの、ええと、遠い国の、お店で。作り方は、俺も、実はまったく知らなくて」
「…………」
ニールが、神妙な顔で席に戻った。
「リネット」
「はい、ニール様」
「調べておいて」
「御意」
(ごめんなさい。たぶん調べても、一生わからない)
ムコーダは、そっと目を逸らした。
第九幕 加賀野菜の海鮮マーラータン
続く二品目は、見た目からして凶悪だった。
「次は、これだ。角上魚類の海鮮と、OKで買った加賀野菜で、マーラータンを作る。刀削麺も入れて、食べ応え十分にしよう」
ムコーダは魔道コンロに大鍋を載せ、花椒と唐辛子の香りを立たせた。エビ、ホタテ、イカ、白身魚。そこへ加賀れんこん、金時草、加賀太きゅうりの出汁をたっぷり含んだ旨味が溶けていく。
厨房中に、痺れるような香りが充満した。
「な、なんだこの匂いは……」 「目が、目が痛い……! だが、腹が鳴る……!」
王宮の料理人たちが、涙目で鼻をひくつかせる。
「できました。刀削麺入り海鮮マーラータンです。ちょっと辛いので、お子さま方は、気をつけて」
広間に運ばれた赤い湯気の立つ椀に、一同の視線が集まる。
ニアは、さっそく匙を取った。
「いただきます」
一口。
二口。
三口目で、少女の顔が真っ赤になった。
「か、からい……! ですが、これは……っ、いいえ、からい! お水を、お水をくださいリノキス!」
「お嬢様!? ああっ、涙目で震えていらっしゃる……! 尊い……! お水、お水ですね!」
「うう、辛すぎて、味がわかりません……」
「わ、わたくしも、舌がびりびりしますわ……」
ヒルデトーラとレリアレッドも、揃って水を飲み干している。子どもたちには少々どころではなく刺激が強かったらしい。
一方で、大人たちは静かに箸を、いや匙を進めていた。
「…………」
リノキスが、無言で二杯目をおかわりしている。その隣で、リネットも眉一つ動かさずに三杯目を空にしていた。
「リノキス殿」 「リネット、あなた、まさか」 「この痺れ、癖になりますね」 「……ええ。認めたくないけれど、止まりません」
二人の侍女は、ほんのり頬を染めて見つめ合った。
「ふむ。王宮の香辛料を、ここまで使い切った料理は見たことがない」
ヒュレンツ王も、静かに椀を傾けている。ラフィネは、麺をすすりながら素早く目を走らせていた。
(この刺激的な味、新しい商会の看板料理になるかもしれないわ……)
第十幕 のどぐろの炭火焼き
「次は魚だ。角上魚類から、これを」
ネットスーパーの画面に映るのは、脂の乗った赤い魚体だった。のどぐろ。口の中が黒いのが名の由来だが、塩焼きにすると、白身魚の王様とでも呼びたくなる味わいになる。
「炭火で皮目をじっくり焼いて、軽く塩を振るだけ。これが一番うまい」
ムコーダは、バーベキューコンロに炭を熾し、串を打ったのどぐろを丁寧に並べた。皮から脂がじゅわりと滲み、ぱちぱちと弾ける。香ばしさと脂の甘い匂いが、厨房に広がった。
「……ほう」
いつの間にか、フェルが背後に立っていた。
「おい、これは我の分もあるのだろうな」 「あるある、ちゃんとあるから。そこ、涎、涎」
焼き上がったのどぐろを大皿に載せ、広間へ運ぶ。
ヒュレンツ王は、箸、ではなくナイフとフォークを取り、ふっくらとした身を口に運んだ。
「…………」
長い沈黙が続いた。やがて、王は静かに目を閉じる。
「……この魚は、何という」 「のどぐろ、と申します。口の中が黒いので」 「聞いたことがない。我が国の海にも川にも、これほど脂が乗り、かつくどくない魚は存在しない」
王は、ゆっくりと二口目を味わった。
「未知の魚だ。この世に、こんなものがあったとは」
「へ、陛下がお褒めに……!」 「前代未聞だ……」
居並ぶ料理人たちが、ざわめいた。王が料理を手放しで称賛するのは、彼らの記憶にもほとんどないらしい。
「お兄様、わたし、おかわりを……」 「ニア、さっきお水を一リットル飲んだばかりだろう」 「それはそれ、これはこれです」
第十一幕 京野菜とパンチェッタのシーザーサラダ
箸休めに出されたのは、色鮮やかなサラダだった。
「OKで買った京野菜、水菜と壬生菜と京人参。それから、カルディのパンチェッタをカリカリに焼いて載せる。仕上げに、成城石井のシーザードレッシングをたっぷりかける」
王宮の料理長が、ムコーダの手元を食い入るように見つめている。
「瑞々しい葉野菜に、塩気の効いた肉のうまみ。そしてこの、チーズとにんにくと魚介の香りが絡み合う、濃厚でまろやかなドレッシング……!」
料理長は、一口味見をして、膝から崩れ落ちた。
「……これは、無理だ」 「えっ」 「このドレッシングの味は、我々の技術では到底再現できません。材料の配分、熟成のさせ方、乳化の安定度……どれをとっても、一朝一夕で追いつける代物ではない」
「いやあの、俺が作ったわけじゃなくて、お店で売ってるもので……」
「店で!? この味が、店で売られているのですか!? どれほどの職人がいる店なのだ……!」
「あ、ええと、そうですね、職人の……集団、というか」
(嘘は言っていない。嘘は)
ムコーダは、冷や汗を流して笑った。
第十二幕 ブラッディーホーンブルの炭火焼きブリスケット
「さあ、メインディッシュ第一弾だ」
ムコーダは、巨大な肉の塊を取り出した。ブラッディーホーンブルの胸肉、ブリスケット。
「これを、ほりにしのスパイスで、じっくり炭火焼きにする」
肉にスパイスをすり込み、炭火の上でゆっくりと火を通す。時間をかけて、脂が溶け出し、繊維がほろりと崩れるまで焼き上げる。
「いい匂いだ……」 「なんて香ばしさだ……」
厨房の料理人たちが、固唾を呑んで見守る。
切り分けられたブリスケットは、断面が薄い桃色に輝き、ほろほろと肉汁を滴らせていた。
広間では、真っ先にレリアレッドの歓声が上がった。
「なにこれ! やわらかい! お肉が口の中でほどけますわ!」 「おいしいわね、レリア」
ラフィネが、妹の口元を優雅にナプキンで拭う。
「ラフィネ姉様! これ、お家でも食べたいです! ラフィネ姉様のお屋敷の料理人に、再現してもらえませんか!?」 「……そうね。やってみましょう」
ラフィネは微笑んで頷いた。数週間後、シルヴァー家の厨房が、見るも無残な惨状になることを、彼女はまだ知らない。
(これは、手強いわね。火加減、熟成、そしてこのスパイスの絶妙な配分……)
ラフィネの笑顔が、わずかに引きつった。
第十三幕 オークジェネラルのトッカルビとサムギョプサル
「続いて、こいつだ」
ムコーダが取り出したのは、とてつもない肉だった。オークジェネラル。高ランクの魔物の肉で、一口食べれば天にも昇る味わいと言われている。
「肉を叩いて、甘辛いタレで味付けして、トッカルビに。それから、バラ肉はサムギョプサルにして、サンチュで包んで食べる。コチュジャンとにんにくも添えて」
七輪ならぬ炭火コンロに、分厚いバラ肉を並べる。脂がじゅうじゅうと音を立て、薫り高い煙が立ちのぼった。
王宮料理人たちは、その光景に、ただ絶句していた。
「…………」 「…………」 「…………」
「あの、皆さん?」
「……オークジェネラルとは、あの、軍隊を率いる、あの怪物の」 「肉質は硬く、普通は煮込みにしかならないと」 「それを、直火で、こんなに柔らかく……?」
誰かが、がくりと膝をついた。
「……我々の、これまでの修業は、何だったのか」
(ごめんなさい。ほんとにごめんなさい)
ムコーダは、心の中で全力で土下座した。
第十四幕 コカトリスのジーパイとよだれ鶏
「肉料理の三番手は、鶏だ。コカトリスの肉を使う」
ムコーダは、カルディの「ジーパイキット」を取り出した。台湾の屋台で人気の、巨大な揚げ鶏。薄く叩いた肉に、特製の衣と香辛料を絡め、熱した油に静かに沈める。
じゅわああああ、と豪快な音が上がった。
「そして、もう一品。同じコカトリスの胸肉を、しっとり茹でて、冷やして、カルディのよだれ鶏のたれをたっぷりかける」
赤い、とろりとしたタレが、白い鶏肉の上に垂れていく。ごま油、花椒、にんにく、唐辛子。鼻をくすぐる、中毒性のある香りだ。
「できたぞ。ジーパイと、よだれ鶏。どちらも、コカトリスだ」
広間では、真っ先にリノキスが皿を受け取った。
「いただきます」
サクリ。
ジーパイの衣が、軽やかな音を立てる。続けて、よだれ鶏を一切れ。
「…………」
リノキスが、固まった。
「リノキス?」 「…………お嬢様」 「はい?」 「私、今、この世のすべてを許せる気がします」
「リノキスが骨抜きになっています……!」
その隣では、リネットも同じように、うっとりと目を閉じていた。
「……この、ひりりとしたタレの奥の、ごまの甘み……ニール様にも、毎日食べていただきたい」 「それは名案です、リネット殿」 「リノキス殿、私たち、同志ですね」 「ええ。お嬢様のお食事を、今すぐ見直さなければ」
二人の侍女は、がっしりと握手を交わした。
「あの、お二人とも、目が怖いよ」
ニールの控えめな抗議は、完全に無視された。
第十五幕 あきたこまちの塩むすび
「最後の主食は、これだ」
ムコーダは、ネットスーパーで炊きたてのあきたこまちを購入した。艶やかに光る、白い粒の山。そこに、塩をひとつまみ振り、両手で優しく握る。
三角形に整った、ごくシンプルな塩むすび。
「米だ。俺の国の、主食だ」
「ほう、これが」
ヒュレンツ王が、白い三角形を興味深そうに眺めた。この国には、米という作物がそもそもない。初めて見るものばかりだ。
「手で、そのまま食べるのか」 「はい。熱いうちに、ぱくっと」
王は、むすびを手に取り、一口かじった。
ふわり、と湯気が立つ。
「…………」
長い沈黙のあと、王の肩が、ほんのわずか、震えた。
「……素朴だ。ただの塩と、この白い粒だけなのに。噛むほどに、甘みが広がる。これは……何だ。胸の奥が、じんわりと温まる」
「父上……泣いていらっしゃいます?」 「泣いてはおらん」 「目が潤んでいますわ」 「気のせいだ」
父と娘の、静かな応酬だった。
(王様まで、塩むすびで涙ぐむのか……米の力、すごい)
ムコーダは、ほっこりとした気持ちで頷いた。
「あるじー、スイもたべたいー!」 「お前は、おかわりが三回目だ」 「うめえな、これ。酒のあとに、ちょうどいいぜ」
フェルも、静かに塩むすびを頬張っていた。
「……悪くない」
それが、フェルにとっての最大級の賛辞だった。
第十六幕 シャトレーゼのパリパリチョコショート
「そして、デザートだ」
ムコーダが取り出したのは、シャトレーゼの「パリパリチョコショート」。ふわふわのスポンジに、生クリームと苺。上を覆うのは、パリパリのチョコレート。
「ナイフを入れると、ぱりっと音がする。それが楽しいんだ」
切り分けられたケーキが、大皿に並ぶ。パキ、パリ、と小気味よい音が、広間に響いた。
「…………!」
最初にフォークを入れたのは、ラフィネだった。
「……このチョコレートの薄さ。均一な厚み。生クリームの軽さ。そして苺の瑞々しさ……」
彼女は、ゆっくりと目を見開いた。
「ムコーダ様」 「は、はい」 「このケーキ、シルヴァー家のパティシエたちに、再現を依頼してもよろしいでしょうか」 「え、ええ、どうぞ。ただ、たぶん、かなり難しいと思います」 「構いません。私の商会の看板商品にいたしますわ」
ラフィネの目が、商人のそれに変わった。
(これを、完全に再現できれば……いえ、できなくても、近づけるだけで、王国のスイーツ文化が変わる)
だが。
数日後、彼女は実家の厨房で、青ざめたパティシエたちと向かい合うことになる。
「ラフィネ様……あの、チョコレートが、どうしても、あの薄さにならないのです」 「スポンジが、あの軽さになりません。何度焼いても、重くなるか、潰れるか……」 「クリームも、乳脂肪の配合が……いえ、そもそも、材料が違うのかもしれません」
ラフィネは、無言でケーキの試作品を見つめ、静かに呟いた。
「……シャトレーゼ、恐るべし」
それは、のちに王国のスイーツ界で語り継がれる名言となるのだった。
第十七幕 追走劇、そして逃走
晩餐会は、大成功のうちに幕を閉じた。
「ムコーダとやら」
ヒュレンツ王が、静かに席を立った。
「約束の報酬だ。金貨と、我が国全土における食材の自由な買い付けの許可。目録に、王印を押しておいた」
「あ、ありがとうございます! 助かります!」
王は、ほんのわずかに口角を上げた。
「そしてもう一つ。今後も、この王宮の厨房にとどまるつもりはないか」
「えっ」
「地位も、給金も、望むままに与えよう」
広間の空気が、ぴたりと止まった。
「お、お待ちください!」
まず声を上げたのは、リノキスだった。
「その役目は、ぜひ、私たちリストン家が! お嬢様の健康と成長のため、毎日あの料理を食べさせていただきたいのです!」 「リノキス、わたしは健康です」 「お嬢様は、食べるほど強くなられます!」
「ムコーダ様、私どもシルヴァー家も」
ラフィネが、優雅な、しかし全く譲らない笑みで割り込んだ。
「商会の専属料理顧問として、破格の条件でお迎えしたいと考えております。このブリスケットとチョコショートは、王国の食文化に革命をもたらしますわ」
「ラフィネ様まで……!」
「ニール様のお口に、毎日あの味を」
リネットまで、目を光らせて静かに前に出た。
「え、えっと、あの、皆さん? ちょっと、落ち着いて」
「落ち着いてなどおられません!」
三人の大人たちが、じりじりと距離を詰めてくる。
ムコーダは、ゆっくりと、一歩、後ずさった。
「……フェル」
「うむ」
「逃げよう」
「合点承知」
フェルは、一瞬で巨大な狼の姿に戻り、ムコーダの首根っこをくわえて背中に放り投げた。スイとドラちゃんが、慌てて飛び乗る。
「あるじー、おさんぽー?」 「おいムコーダ、追ってくるぞ!」
「お待ちなさい、ムコーダ様!」 「ムコーダ様、契約書を! 契約書を持ってきなさい、エスエラ!」 「かしこまりました!」 「お嬢様、わたしも走ります! お嬢様のお食事のために!」 「ムコーダ様、お待ちください、ニール様のために!」
広間の扉が吹き飛び、リノキスとリネット、ラフィネ、エスエラまでが、王宮の廊下を疾走していた。しかも全員、驚くほど速い。
「ひえええええ! なんであの人たち、あんなに速いんだ!?」 「戦闘能力の高い侍女だと言っただろうが」 「言ってない!」
王宮の回廊では、ヒルデトーラが、のんびりと手を振っていた。
「お見送りの映像は、魔法映像でしっかり撮っておきますわ。題して、『意外と会える神獣フェンリルと謎の料理人』」 「ヒルデ、それ、絶対に放送しないで!」 「あら、視聴率は取れますわよ」
王の間の窓辺では、ヒュレンツ王が、静かにグラスを傾けている。
「……騒がしいが、悪くない夜だ」
その隣で、ニアが、すっと窓の外を見上げた。
「フェル殿! 食後の手合わせ、お忘れではありませんよね!」
「まだ言うか、小娘!」
フェルの嘆息混じりの声が、夜空に響いた。
「ムコーダ、走るぞ! 我は、次の飯のために、生き延びなければならん!」
「だから、なんで、いつもこうなるんだよおおおおお!」
ムコーダの叫びは、アルトワール王国の夜空に、虚しく溶けていった。
そしてその夜、王都の人々は、白い巨大な狼が、大勢の侍女と淑女に追い回されながら、王宮の屋根を駆け抜けていく姿を目撃したという。
――ムコーダたちの旅は、まだまだ続く。
(完)