「……ん」
薬品の臭いが鼻につく。
瞼を開けば清潔感のある白い天井。
ここは病院だろうか。
「目が覚めたんですね」
「初春」
「起き上がらないで寝ててください。いきなり倒れたんですから」
「……」
初春の言葉に従い、起こしかけた体をベッドに沈める。
「……佐天は」
「私もいるけど?」
ベッドを囲うカーテンをめくって、入院着の佐天が姿を現した。
「元気そうだな」
「そっちもね」
「どっちも駄目です! 佐天さんも目が覚めたばかりなんですから横になってください!」
「あ、ちょ、待って初春。そんなに押さないで。言わなきゃいけないことがあるから」
佐天は初春の押せ押せ攻撃をいなすと気まずそうな顔で、
「……ごめん。巻き込んじゃって」
「いいぞ」
「軽っ!? それでいいの!? 結構大変な目に遭ったって聞いたけど……」
「まあ、生きてるし」
学園都市の生活で最も命の危険を感じたが、生きてるならいい。
死んだら末代まで呪うかもしれないけれど。
「……ありがと。片墨」
「……」
初春さん。
なぜ俺の顔を凝視する。
「俺の顔になんかついてる?」
「いえ……その今はついてないんですけど、
「はい?」
すっと初春は携帯の画面を見せてくる。
そこに写っていたのは意識を失い、担架に乗せられた俺。
ただ、おかしな点が一つ。
「なんだこの黒いの」
瞼を閉じた俺の顔の右半分に黒い痣があった。
生き物の血管が浮き出たようにも、そういう柄の刺青にも見える。
「お医者さんの話によれば、右半身を覆うように広がっていたそうです。入院着に着替える直前に消えたそうですが……なんか不気味ですね」
「……」
思わず右掌を眺めた。
菱形の痣は変わらずそこにある。
件の黒い痣に関係しそうなものはこれだけだ。
「は……」
まあ痣がなんにせよ、今の状況を「隠れていた能力が目覚めた! やったぜ☆」などと楽観的に捉えることはできそうにない。
わからないことが多すぎる。
熱線を吸い込んだ右掌。
体に浮き出た謎の痣。
それが自分の能力に関係するというのなら、自分の担当である先生に聞くのが早いかもしれない。
というかあの先生、ちゃっかり名前をつけるくらいだから能力のことを知ってて黙ってたのではあるまいか?
「失礼するわよ」
ぶわっと脳内に疑念が溢れ出たところで病室の扉が開く。
入ってきたのはミサカさんとツインテールの少女だった。
「失礼、あなたが片墨さんですわね」
最初に口を開いたのはツインテールだった。
よくよく見れば腕に風紀委員の腕章をしている。
初春の同僚だろうか?
「そうだけど……なにか?」
「私、白井黒子と申します。初春のことを助けてくださったとお姉さまに聞きました。その件については感謝を」
そういうと白井さんは綺麗な角度で頭を下げた。
「はあ」
「──ですが、あなたは一般人。今回のように事件に首を突っ込むような真似は控えるようにしてくださいまし……お姉さまにも言ってるのですよ?」
白井さんにジト目を向けられたお姉さまことミサカさんは思いっきり目を逸らしてから、
「わ、わかってるって……」
と口にした。
うん、多分わかってないなこの人。
付き合いのない俺でもわかる。
「そ、そういえばあんた、あのバケモノの攻撃をどうやって防いだのよ? 遠目だったからよく見えなかったけど、あんたが右手をかざしてたのは────」
話題を変えるのが下手くそだな。
俺に話を振ってきたミサカさんは急に話すのを止めると怪訝な顔で俺を睨み始めた。
「……あんた、兄弟いない? ツンツン頭の高校生の」
知らんがな。
そもそも俺は
兄弟なんていてもわからん。
とはいえそんな話題を出すわけにもいかない。
「いない」
「本当に?」
「いないったらいない」
「そう……ま、いいわ。で、どうやって防いだの?」
どうやってと言われてもな。
「右手が吸い込んだ。掃除機みたいにな。吸引力抜群だったぞ」
「吸い込んだ……じゃあ、違うわね。うん」
何に納得したんだこの人。
「珍しい能力ですわね。レベルはいくつなんですの?」
「0、だったんだけどな」
これは幻想御手の力なのだろうか?
幻想御手を使った翌日に現れた痣。
無関係ではないと思うが、幻想御手が原因だと言い切れる根拠はない。
そういえば、同じく幻想御手を使ったはずの佐天はどうなんだろう。
「佐天、お前のレベルは上がったままか?」
「え? いや全然。もうすっかりレベル0だよ」
「本当か?」
「本当だよ。やっぱりズルはいけないってことなのかな……」
佐天には幻想御手の影響は残っていない。
なのに俺には残る?
そんなことがあるだろうか。
……駄目だな、さっぱりわからない。
幻想御手の開発者である木山に話を聞けばなにかわかるかもしれないが、今は警備員に拘束されている頃だろう。
面会ができるのはいつになることやら。
「そんなに気にしなくてもいいんじゃない? きっと幻想御手とは関係なく片墨の才能が目覚めたんだよ!」
「そうかな……でも、佐天も能力を使えたんだろ? 最初の感覚を掴むのが肝心って話だし。案外やり慣れた動きでもすれば発動するんじゃないか?」
学園都市製の能力は言ってしまえば、強い思い込みで発動するものだ。
なにもない所に火がつくとか、風を起こすとか、そういう可能性、
まあ、その下地には学園都市の能力開発が必須なのだが。
なので、一度能力を使えたという経験は大きいはずだ。
専門的なことはわからないが、個人的には能力を行使する感覚を知るか、知らないかでは大きく違う気がする。
だって、ライターや携帯式扇風機を使うとか現実的なことが頭に浮かぶうちは、なにもないところで火がつく可能性を心の底から思い込むことなんて俺にはできない。
「やり慣れた動きかぁ……うーいーはーるっ!!」
何を思ったのか、佐天はその場でバっと両手でものを掬い上げるようなジェスチャーをした。
「あ」
その時だった。
初春のスカートがふわりと───
「おっと」
目を逸らす。
よりによってそれかよ。
柵川中学名物、佐天のスカートめくり。
「いやったっ!! 私にもでき──」
「佐天さんっ!?」
ぽかぽかと殴られる佐天。
しかし、その顔にはかつてない達成感があった。
あれだけ憧れた能力に手が届いたのだ。
そりゃ、本人は大喜びだろう。
まあ、やってることはスカートめくりなんだけどね。
「……片墨くん。見ました?」
「見てない。見てないから握りこぶしで近づくのは止めろ」
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「じゃ、また明日ね。片墨」
「おう」
佐天たちとは病院の前で別れた。
お医者さんからは入院しないかと言われたが、早いところ家に帰りたかったので丁重にお断りした。
「はあ……カロリーの高い1日だった」
学園都市の夜道は明るい。
街灯と建物の明かりが道を照らしてくれるおかげだ。
おかげで一人の夜道も怖くない。
ゆっくりと寮に帰ることができる。
さて、今日の夕食は何にしよう。
昨日は食いそびれたから、ちょっとガッツリしたものが食べたい。
「肉か……うん、肉だな」
冷蔵庫にパックの牛肉が余っていたはずだ。
塩で焼いて、ご飯に乗せる……完璧だな。
あとはみそ汁と切り分けたトマトを並べればよし。
「……っ!」
突然、右掌が熱くなった。
「何だ……?」
意を決して右掌を見た。
その瞬間、菱形の痣が形を変える。
掌の中心にあった菱形が少し大きな黒い円に変わった。
その下には円を挟むような二本の曲線。
さらに人差し指から小指の付け根に小さな菱形が。
これはもう痣というより紋様だ。
見れば手の甲にも似た紋様が浮かんでいた。
思わず携帯を取り出し、カメラの自撮りモードを起動する。
「顔も……いや、右半身って話だったよな」
思った通り、紋様は顔にまで続いていた。
首から顎まで登った二本の線。
一本は頬で止まり、一本は右目を通過して額にまで伸びている。
服をめくればきっとその下にもあるのだろう。
しかし、なぜ今?
そう考えた時、ふと違和感に気づいた。
「──人が、いない?」
つい先ほどまではぶらつく学生や大人の姿を見かけたというのに今は人の影すらない。
時刻を確認するが、真夜中というには程遠い。
というか、真夜中でもまばらに人の姿を見かけるのが学園都市だ。
大概は不良や残業帰りの大人だが、それすら見かけないのはいくらなんでも───
「!?」
それは轟音と表現するしかなかった。
今日の騒ぎで耳が肥えた自分でもなぜか身震いする振動と衝撃が、鼓膜と体表を包む。
音は、右の路地の先を示している。
「が、あ……」
「────」
たったそれだけでこの足は、路地に一歩を踏み出していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「──は?」
人が飛ぶのを見た。
脳力で空を、という話ではない。
背の高い女が男を蹴り上げていた。
男は空高く、5メートルは飛んで地面に叩きつけられる。
女は何かを喚き散らしながら、握る日本刀の柄で男を滅多打ちにし始めた。
「──ッ!!」
踏みしみた足で地面を蹴ると体が弾丸のように飛んでいく。
あっという間に女の近くに辿り着いた。
「なっ!?」
女が驚愕している。
どうでもいい。
両手を突き出し、無防備な女の側面を突き飛ばす。
「ぐうっ!?」
女は車道を転がり、無人の乗用車に音を立てて激突した。
「……」
「だ、誰だ?」
地面にうつ伏せで倒れるツンツン頭の男が呟いた。
血まみれで、見るからに重症。
そんな男……いや、自分と同年代であろう少年は視線を俺に向けている。
「……何者ですか」
立ち上がった女が俺に尋ねた。
「通りすがりだ」
「人払いの中を通りすがった? そんなわけがない。あなたは───」
「学園都市の小市民。お前こそなんだ? ツンツン頭をこんなにしておいて」
「ツンツン頭って……」
事情は知らない。
もしかしたらこの少年が全面的に悪くて、この女が正しかったのかもしれない。
けれど。
「そんな嫌そうにするくらいなら、こんな真似は止めろ」
暴力を振るう女の苦悶に満ちた表情が、こんな事態は間違いだと俺に思わせた。
強引にでも止めるべきだと、そう思わせたんだ。
「……ただ者ではないようですね」
女は日本刀を脇に構える。
抜刀の構えだった。
チン、と小さな金属音が響く。
「!?」
瞬間、アスファルトを切り裂いて複数の何かが迫る。
──だが、見えた。
血濡れた細いワイヤーが、尋常ならざる速度で襲い掛かってくるのを確かに見た。
「───っ!!」
ほぼ同時に襲い掛かる7つのワイヤー。
その攻撃の合間を見切る。
要領は大縄跳びに入る時と同じ。
「よ、避けた!?」
ツンツン頭の驚愕の声を聞き流す。
聞いている暇などない。
相手は納刀した刀を抜き放っていた。
「もう一度問います。あなたは何者ですか?」
「学生を襲う通り魔に自分のパーソナルな情報を話すと思うか? 小学生だってそれくらいわかるぞ」
「答える気はない、と」
「答える必要性がない。状況を俯瞰してみろ。お前が俺の立場だったらどうする?」
「…………」
暴行の現行犯。
生憎と自分は風紀委員ではないが、目にした以上は止めに入る義務がある。
それが本意でないならなおさらのこと。
「……なるほど。確かに」
女は日本刀を鞘に納める。
どうやら熱に侵された頭は冷えたらしい。
「聞きたいことはありますが……あなたのお節介を受け取りましょう。しかし、これ以上関わらないほうがいい。あなたは本当に無関係なのですから」
女はそれだけ言うと視線をツンツン頭の少年へと向ける。
少年は立ち上がっていた。
ボロボロの体で、女が向ける視線を真っ向から受け止めている。
「その体で、まだ戦うつもりですか?
「……うる、せえよ」
「戦ってなんになるんです? もし私を倒せたとしても。背後には
「うるせえってんだっ!!」
今にも倒れそうな体を引きずって、少年が叫ぶ。
「そんなこと関係あるかよ……なあ? てめえはそんな所でなにやってんだ。それだけの力を、誰かを守るために磨いた力を引っ提げて、守りたいから傷つける? ふざけんじゃねえぞ!」
少年が女の胸倉をつかんだ。
「なにをやってんだてめえは。そんだけの力を持っておきながら……なんでそんなに無能なんだよ」
それが少年の限界だった。
少年は女の目の前で崩れ落ちる。
「……」
その少年の体を女が抱き留めた。
「どうするんだ?」
俺の問いに女は答える。
「……もう一つ、お節介を頼んでも?」
女の言葉に俺は首を縦に振った。