ライドウは、軍部からの招聘され、南洋へと向かう。
ライドウと鳴海を結ぶのは、悪魔モコイが届ける手紙だけだった。
大正26年9月。
海のむこうで戦が始まった。
翌年12月、日本がパールハーバーを奇襲。アメリカへ宣戦布告。
大正28年9月。
戒厳令が敷かれた帝都は灯りも少なく、外を歩くものもいない。
静まり返った筑土町の石畳にゆらりと小さな影が現れた。
影は体を左右に揺らしながら、三階建てのビルディングの大きな影にとけ込んでいった。
ことこと。
ともすれば、聞き落としそうな音が入り口からした。厚いカーテンが引かれた探偵社の机の前で鳴海は書類から目をあげた。
やがて以前体験した南洋の密林の香りを漂わせて、異形のものが姿を表した。鳴海の膝くらいまでしかない小さな悪魔……ライドウが使いによこしたモコイがいた。
「やあ、こんばんは」
最初こそ、その姿にぎょっとした鳴海だったが、いつの間にか見慣れ、今では愛らしいとさえ思うようになった。
「なるみさん、サマナーからのおてがみです」
「ありがとう、モコイさん」
鳴海は腰を屈めて手紙を受けとる。モコイも慣れたもので鳴海の向かいの長椅子によじ登るとゆったりと体を伸ばした。
鳴海はその仕草にくすりと笑うと、ライドウからの手紙を読み始めた。
『鳴海さん、いかがお過ごしでしょうか。帝都にはそろそろ秋風がたち始める頃かと思います。
ぼくがいる町は連日真夏の暑さです。こちらに来て一ト月が経ち、ようやく体が馴れたような気がします。
任務は相変わらず、要人の警護です。と、言ってもその方々自体が危険なところへは行かないので、ぼくの仕事はありません。
戦地に来ているのに、妙に間延びした感じです。
もっとも、ここは最前線から遠いということでもあるのですが。
ところで、タエさんの赤ちゃんは生まれましたか?
お祝いも出来なくて申し訳ない旨を鳴海さんからお伝えください。
追伸
鳴海さんが心配していたことですが、ぼくには軍の上層部関係の念者がいるという噂があって誰も声をかけてきませんのでご安心を』
鳴海は追伸の内容に苦笑した。そしてため息をついた。どうやら元気にしているらしい…
25歳のライドウは、美しい青年に成長した。帝都大学を卒業し、大学の研究室での生活が軌道にのり始めたころ、軍から召喚された。
……断りようなどなかった。それは里からの指令でもあったからだ。
『ライドウ、元気そうで何よりだ。
こちらも変わりはない。タエちゃんの赤ん坊は今度も男の子だった。名前は平太くん。周りには太平洋の平と言っているが、本当は平和の平だと俺には打ち明けた。
はやくこの馬鹿げた戦争が終わってタエちゃんの子どもたちが穏やかに暮らせる世の中になればいいのにと思う。
こちらには、ろくな情報が入ってこない。新聞には景気のいい戦果しか載らないが、きっと隠していることが山ほどあるのだろう。
ライドウ、身の回りにも気をつけろ。敵は外ばかりとは限らないから』
鳴海は書いた手紙をモコイに託した。
「ライドウは大丈夫なんだろう?」
「サマナーやさしい。いつもモコイさんとあそんでくれる。なかまもみんなサマナーだいすき」
そうか、と鳴海はモコイの頭を撫でた。
来たときと同じようにモコイはことことと部屋を出ていった。
3か月前。
大正28年6月
鳴海探偵社にライドウ宛の手紙が二通届いた。
「ライドウ?」
手紙に目を落としたまま、ライドウは動かなくなった。
「どうした」
不審に思った鳴海はライドウの手から手紙を取る。その知らせに鳴海もまた目を疑った。
「どういうことだ!? お前を外地に派遣するだと? ライドウは帝都の守護者だろうが!!」
「……先日、海軍がミッドウエーで敗れたからでしょう。それにヨーロッパ戦線に、ソビエトが参戦して連合軍に合流しましたから」
それは鳴海も陸軍の定吉から聞いて知っていた。
ソビエト軍はドイツ軍を本来の国境線に押し戻し始めたのだ。
これにより今まで手薄だった太平洋戦線にアメリカが戦力をまわし日本優位は崩れてきていた。
「帝都はどうするんだ? 葛葉の連中は何を考えている」
「本家の嫡男が守護にあたると」
鳴海は机を蹴飛ばした。
危険な任務はライドウに押しつけ、帝都を守るという云わば花形の仕事は次期ライドウと確約されている嫡男に任すだと?
「鳴海さん、ぼくはこういう扱いに慣れています」
ライドウは無理に笑っているように鳴海には見えた。
「もう一通は陸軍からです。明後日、霞台に来るよう書かれています」
おそらくは任務の説明だろう。
「……すこし出かけてきます」
ライドウはいつものように鳴海の頬に軽く口づけると、黒猫のゴウトを呼んで足早に出ていった。
鳴海は怒りのやり場がなかった。音をたてて椅子に座ると机を叩いた。
ライドウの唇も、かすかにふるえていた……。
当たり前だ。
かつての軍隊時代を思いだすと、鳴海だとて体が震える。
あの地獄にライドウを送り込まなくてはならないのか。
俺はライドウを人殺しにしたくない…知らず知らずのうちに鳴海の頬を涙が伝った。
『鳴海さん、此方の密林には見たこともないような悪魔や精霊がいます。
いつもお使いをお願いしているモコイさんは、生まれた場所はもっと南にあると言います。島伝いにここまで来たのだと。
新しい仲魔を増やして備えています。もっとも使役しないに越したことはないのですが。
本土は何もかも配給制になり大変だと聞きました。鳴海さん、大丈夫ですか?
遠く離れて鳴海さんの力になれないのがもどかしいです』
『ライドウへ
こちらは大丈夫だ。心配するな。俺一人の暮らしだ。なんとでもなる。それに町内に残った貴重な男手として防空壕を掘ったり、建物疎開の力仕事に駆り出されるが、礼に食料を分けてもらったりしているから。
探偵業は開店休業。毎日勤労奉仕だ。
帝都は、このところ冷えてきたが、俺もついに髪を切った。丸刈りとまではいかないが、それに近い。髪がないと頭が寒いな。ライドウが見たらきっと笑うと思う。
国民服には、名札を縫いつけるようお達しがあった。
野暮ったくてガッカリだ。
体に気をつけて過ごせ』
最近は帝都の近い地域も空襲されるようになった。
空襲を知らせるサイレンが遠くに聞こえる。聞こえない日はない。
これ見よがしに、上空を米軍の戦闘機が飛ぶこともある。
新聞は相も変わらず「我が神軍は敵を撃ち破り……」だ。
「なるみさん、モコイさんは そろそろかえらないといけない」
「ああ……すまない。ライドウによろしく、な」
モコイはうなずくと北風の中を帰って行った。
出征までの短い間にライドウにはすべきことがあった。
第一は葛葉の里へ行き、三年前に亡くなった母親の墓参。
里へ鳴海はついては行けなかった。
余所者には足を踏み入れることを許さない地だからだ。
それから、数は少ないが親しいものたちへ挨拶。
「悪魔を強化するだけでいいのか? 貴様が望めば不死の体に変えてやるものを」
ヴィクトルの言葉にライドウは苦笑していた。
「戻って来たときに、まわりと足並みが揃わなくなりますから、それはちょっと」
「無理強いするな、ヴィクトル。おまえは実験がしてみたいだけじゃろうが」
金王屋の親爺がたしなめた。
「わしからは、とっときの薬だ。ツケにしておく。帰ってきたら払えよ」
二人とも口は悪いが、ライドウの無事を強く祈っていることが伝わってきた。
志乃田のヤタガラスへはゴウトが同行し、餞別をもらってきたらしい。
タエは泣いた。
「絶対に帰ってきてね」
泣きじゃくり、それしか言えなかった。
鳴海はそんな様子を、上の子を抱っこしながら見守った。
「そんなに泣いたらお腹の子に障りますよ。元気な赤ちゃんを産んでください」
慰めるライドウに、タエは帰りがけ千人針を手渡した。
入隊の準備もすすめた。
お仕着せの軍服はライドウの体型に合わず、誂えることになった。
もっとも一兵卒とは扱いが違う。特別任務だ。濃い緑で仕立てられたライドウの軍服と帽子は、上級士官並みの仕上がりだった。
明日は出発、という夜。
鳴海はライドウと向かい合った。
「里のものと約束をしてきました」
探偵社で二人きりの、ささやかな宴だ。ライドウは背筋を伸ばして鳴海に言った。
「この任務を無事遂行した暁には、ライドウの役目を終え、以後は十五代目の後見として帝都に住むことを」
ライドウはにこりと笑った。
「ちなみに十五代目が帝都に住まなくても、ぼくは鳴海さんと暮らします。ぼくの今までの働きが里から自由を勝ち取りました」
これはライドウの勝利宣言であり、ある意味ライドウと里との戦いが終わったことでもあった。
しかし、それはただ一つの……ライドウの命を賭けての勝利……。
鳴海はその重さを感じ、両の手で顔を覆った。
「鳴海さん、笑って」
ライドウは鳴海の手をとると、口づけた。
「今夜はぼくだけを見て。ぼくだけを感じて……愛してください」
その夜、二人は無心に抱きあった。
「鳴海さん……」
鳴海に抱かれながらライドウは何度も名前を呼んだ。
「覚えていて。ぼくの……声も体も……ぜんぶ」
ふだんのライドウからは想像できないほど情熱的だった。
「ぼくの体は鳴海さんに満たして貰うまで空っぽでした。鳴海さんに初めて抱かれたとき……初めて人に愛されていると感じることができたんです」
ひとしきり行為を終えたあと、ライドウは鳴海の腕のなかで語った。
「帰って来ます。そしてあなたのそばにいます……」
出立の日は、銀楼閣の前に軍の車が横付けされた。
7月の終わり。暑い最中というのにライドウは軍服のうえに、かつて鳴海が帝大の合格祝いに贈った外套を羽織り、汗ひとつかかずに車に乗った。供にゴウトを連れて。
その姿に初めて出会ったときのライドウが重なった。
「いってまいります」
鳴海はうなずくのがやっとだった。
走り去る車をいつまでもいつまでも見送る鳴海がいた。
『先日は前線に行きました。護衛の仕事がなかったのでトラックに乗せてもらい補給を手伝ったのです。
悪路の先に行き着いた前線はひどい状態でした。薬も食べ物も足りていません。治療をできるだけ手伝ってきましたが、焼け石に水……十数キロ先の敵陣には充分な武器・人員と物資があることが仲魔を使って知ることができましたが、その場の上官に伝えるべきかどうか悩みました。
ぼくはどうすれば……』
ライドウの手紙からは、戦場でのやりきれなさが記されてあった。
「モコイさん」
鳴海は白湯を飲むモコイに声をかけた。
「ライドウに変わりはないか?」
「サマナー、ときどきなにも しゃべらなくなる」
「……」
「そんなとき、モコイさんのまぐねたいとをあげる。サマナーちょっとわらう」
「ありがとう……モコイさん」
鳴海はモコイの手をとった。
「これ手紙と一緒に頼む。ライドウの薬だ」
『ライドウ、金王屋の親爺さんから薬の差し入れだ。お前のことだから、出征前に渡した薬は他人のために使って既に無いだろうからと。
お願いだ。自分のために一つだけ薬を残してくれ』
鳴海は返事をしたためながら、自分の身勝手さに手がふるえた。
前線に駆り出されている兵士と、ライドウと命の重さに違いはない。
兵士にも、本土に残してきた大切な家族がいるはず。
それを差し置き、ただライドウが生きて戻ることだけを祈っている。
「エゴイスト……地獄へ落ちろ」
落ちてもいい。再びライドウに会えるのならば。
開戦より一年。
大正28年12月。
新聞に大ききく踊る文字に鳴海は釘付けになった。
「新型兵器ニヨリ南方戦線ヲ死守 米軍ヲ蹴散ラス」
「どういうことだ!?」
鳴海は霞台になかば押しかけるようにして定吉と面会した。
「鳴海殿、落ち着いて」
狭いながら個室を与えられている定吉は、万年筆で机上の手控えをコツコツ叩いた。
「この作戦にライドウは……」
定吉は人差し指を唇に当てると万年筆を動かし、書いた文字を指差した。
『盗聴』
はっと鳴海は口を閉ざした。
『自然ニ話ス』
急なことに鳴海は対応できずに棒立ちした。
定吉はため息をつくと、扉を手で示した。
「散歩しましょうか」
二人は外套を手に屋上へ行った。冬を迎えた帝都の風は冷たく屋上に人影はなかった。
「どこで誰が聞き耳を立てているかも知れないから、用心してください」
定吉は歳上の鳴海に諭すように話した。
「新型兵器はあの宗像の超力兵士か」
「ええ。あれはいわば奥の手。軍部でも使いどころで意見が割れて」
「残っていたのか」
「捨てるわけありませんよ」
当然という表情で、定吉は煙草に火をつけた。
「今回の作戦は南方への補給の大動脈の死守。死なない兵士のおかげで米軍は百キロほど後退しました」
「しかしあれを動かすためには……」
定吉は長く煙を吐いた。
「南方にいるサマナー、陰陽師、法師総動員です。三百の兵士を二十人ばかりで動かしたと」
「……大丈夫なのか」
「なにが? ああ、こちらも何名か倒れたと聞きましたが。死亡の報告はない」
鳴海は頭を抱えこんだ。
どれほどの精力を使ったのか。死にはしない、でも無事なものばかりでもあるまい。
そしてライドウは人を傷つけることに加担させられたのだ。
「勝ち目はあるのか……」
鳴海はうつむいたまま、小さな声で定吉を問いただした。
定吉は答えず、ただ胸の前で両のひとさし指を斜めに交差させた。
「頭のいい連中は次の一手を長考中です」
「おまえもその一人か」
まさか、と定吉は肩をすくめた。
「年があけたら私も南洋に派遣されます。下っ端諜報員に相応しいのは、野垂れ死にってことでしょう?」
鳴海は帰りの満員電車に揺られていた。
日々の生活はすでにギリギリ。すべてが代用品・代用品で本物などない。
政府は本土決戦を呼びかけているが、武器もなく竹やりでどう立ち向かうのか。
小さな子どもの着物にさえ、名前と住所が書かれた札が縫いつけられている。
死体になったとき、身元がわかるようにと。
この真意を理解しているものはどれほどいるだろう?
電車に隙間なく乗る人びとは今朝の新聞記事を話題にしている。
大勝利、大勝利と。
誰も日本の勝利を露ほども疑ってはいない。
この生活は偽りだ。
民衆は目隠しをされ崖に向かって歩いている……。
鳴海はただ目を閉じた。
『先日、初めて作戦に参加しました。
米軍にも術師がいるらしいく、ときおり妨害されました。
長く感じました。いつ終わるか全くわからないまま。ただただ長く。
野営地に戻ったのがいつかも覚えていません。ゴウトは負傷し、鳥に移りました。
今は休暇を与えられています』
ライドウからの手紙はどこかよそよそしいものだった。
鳴海に心配をかけまいとして、中途半端な内容になってしまったのだろう。
鳴海はやるせない気持ちにかられた。
いま、ライドウは人を傷つけ命を奪ったことに自身も深く傷つき、深く悔やんでいるに違いない。
「モコイさん……ライドウはどうしている?」
「サマナーのまわりには、つよいなかまがたくさんいる。いまはねむっている。あんしんして。なかまはサマナーをまもるから」
うん、と鳴海はうなずいた。
「なるみさん、おてがみは?」
「ああ……何を書けばいいのか分からないんだ」
きっとライドウは精も根も尽き果てて眠っているのだろう。
そんなライドウにどんな励ましを書けるというのか。
「なるみさん、モコイさんをぎゅっとして」
鳴海は顔をあげた。
「モコイさん、かえったらサマナーをぎゅっとするから。なるみさんのぎゅっをとどけるから」
鳴海の目が潤んだ。ひざまずきモコイを強く抱きしめた。
今すぐ飛んでいってライドウを抱きしめられたらいいのに。
深い緑の香りを残して雪の降る街からモコイは南の島へゆらゆらと帰って行った。
大正29年1月
『昨日の会議に定吉殿が同席されて驚きました。こちらに来てまだ日が浅く、あちらこちらを見て回っているとのことでした。
本土も空襲されるようになったと聞きました。
いま帝都にはサマナーたちは最低限しか配置されていないはずです。
気をつけてください』
「なるみさん、もうひとつ」モコイが白い封筒を差し出した。
『鳴海殿
南洋の補給線は再び切られた。我が軍はまもなくここを捨てることになるだろう。
南の島々を放棄するということは、本土への爆撃の足がかりをアメリカ軍に明け渡すということだ。
本土への空襲もいっそう激しくなると予測される。そうなれば、軍人のみならず民間人も多く犠牲になってしまうだろう。
いま、この戦の幕引きは不在だ。内閣も軍部も停戦調停の書類に誰も署名できずにいる。
こうなれば、かのお方にその役目を願うところだが、いまもまだ動く気配はない。すでにソビエト軍が満州に進行しているのに。
いま帝都になにか起きれば総崩れだろう』
定吉からの情報は鳴海の背中を凍りつかせた。
捨てる?
撤退を意味するのか、文字通り「捨てる」のか?
定吉の手紙には続きがあった。
『ライドウ殿がいる野営地は、まだ物質があるとは聞いたがひどいものだ。
熱帯特有の病に倒れている者も多いし、皆が飢えている。密林を行けば敵味方双方の遺体が転がっている。夜になれば暗闇に鬼火が飛ぶ。
実質、兵力などなきにひとしい。悲惨な状況だ。年若いライドウ殿が正気を保っていられること自体が奇跡だ』
ああ、やはり。
戦場にいてあの地獄をみないはずはない。鳴海は手紙を握りしめた。
ライドウは鳴海に心配をかけまいとしている。
「モコイさん、ライドウは……」
「……モコイさんはてがみをはこぶだけ。やくそく、やぶれない」
「いま返事を書くから」
『ライドウへ
タエちゃんは旦那様の実家を頼って子供たちと信州へ疎開していった。俺は大丈夫だ。
辛いことや悔しいことも多いだろう。そんなときには手紙に書いてくれ。
無理はするな、何よりおまえの身が第一だから』
白い息を吐きながら、丑込め返り橋を鳴海が渡ったときには、すでに空には一番星が輝いていた。
鳴海は体についた臭いに疲れが倍増するような気がした。
泥や埃のなかに汗と血の臭いが混じっている。
「鳴海殿」
金王屋の前で店主が声をかけてきた。
「銀座が空襲されたと聞いたが、後片付けの手伝いに行かれたのか?」
「ええ……ここからも見えたくらいですから。酷かった……あの繁華街が見る影もなくなりました」
「そうか。敵は容赦なく攻撃する気なのじゃな」
帝都が爆撃されるようになったということは、定吉の情報どおり、南の島々から日本が退却し、米軍が占領したということだ。
ライドウからの知らせは来なくなって久しい。
「親爺さんたちは大丈夫ですか?」
「うちはヴィクトルが業魔殿から更に奥深く防空壕を悪魔に掘らせておったからの。ちょっとやそっとではびくともせんだろう。鳴海殿も危なくなったら来ればよい」
「そうなったらお願いします。でも隣組の消火活動があるので……」
「命を惜しめよ。鳴海殿は若いのだから」
ありがとうございます、と鳴海は店主に礼を述べると探偵社に帰って行った。
鳴海は探偵社の自室の寝台に倒れこむように身を投げた。
銀座から歩き通しだった。瓦礫を片付け道を作る作業。
怪我人の救護と搬送、そして遺体の回収……。
ライドウとよく行ったミルクホールも空襲で半壊していた。
便りのない今、ライドウとの思い出の場所がなくなっていくのは、何とも切なく苦しいものだ。
そして多くの非戦闘員の市民が犠牲になっていた。
親を亡くした子どもの泣き声、子を亡くした親の悲嘆にくれるむせび泣きがいつまでの耳の底にこびりついて離れない。
破壊しつくされた街を見ると、この先の最悪を思い描いてしまう。
鳴海は睡魔に負け、顔も拭かずに眠りに落ちた。
ここでライドウと睦みあった日々が確かにあったはずなのに。
あれは夢だったのか……?
ライドウから便りはなく、帝都は連日の空襲。
街をゆけば、千人針を募る婦人の姿や、出征する兵士を見送る人垣ができている。
それでもなんとか桃の節句を過ぎ、いくらか春の日差しも感じられるようになってきた。
伝えられる戦況は、はかばかしくない。
すでに弾薬も尽きているのか、特攻隊が組織され命を捧げた隊員を英雄視するような報道が新聞に載り始めた。
鳴海は自分の中から生きる望みが目減りしているように感じていた。
配給の列に並んでいると、後ろに並ぶ二人の会話が聞こえてきた。
五十がらみの男が話した。
「…う…ちは、うえ二人の息子が南洋に行ってるらしいが、ここのところ便りがなくてな」
年かさの婦人が同情するような声で答える。
「そうですか……」
鳴海は定吉から伝えられた情報を教えるわけにもいかず、そこはかとない後ろめたさを感じた。
「……陛下もお悪いのか、最近何もお言葉がないですな」
声を潜めてはいるが、鳴海の耳には届いた。
確かにその噂は囁かれていた。公式の場にもお目見えがなく新聞報道も曖昧だからだ。
ーー沈みかけている船に乗ってる気分だな。
鳴海は配給でわずかの芋と、煙草をなんとか手にすると帰途についた。
嗜好品である煙草は闇市へ持っていけば、食料にも交換してもらえるが、鳴海はそのまま持ち帰った。
『鳴海さんの煙草の匂い、好きですよ。帰ってきてその匂いがするとほっとしますから』
いつかライドウがそんなことを言っていたからだ。
帰宅し、汁にちかい芋の粥を口にしてから鳴海は床についた。
ライドウ、おまえは今どこで何をしている……?
その日は夜半から西風が強く吹き付ける天候となった。
鳴海は空腹と日中の勤労奉仕で疲れはて、いつもどおり着衣のままで寝ていた。
一度、空襲警報が鳴ったように思い目を覚ましたが、それきり聞こえず目を閉じた。
しかし、再び警報が響き渡った。
『鳴海さん!!』
不意にライドウに名前を呼ばれたような気がして飛び起きた。
「ライドウ!?」
あわてて窓際に駆け寄ると、すでに周囲の屋根は燃え上がっていた。
低く唸るような音が鳴り続けている。
見上げると空には炎に照らされて飛ぶ何機もの機影が見えた。その腹からバラバラと爆弾が落とされる。
鳴海は耳を押さえて素早く身を伏せた。わずかの間をおいて地が響き爆風が窓ガラスを吹き飛ばした。
逃げなくては!!
鳴海は防空頭巾と雑嚢を掴み階段をかけ下りた。
通りは避難する人々で騒然としていた。
火事はすでに人の手で消火できる規模ではない。
鳴海は逃げ惑う人の波に揉まれながら金王屋を目指した。
「あっ」
しかし金王屋は焼夷弾をくらい炎をあげていた。
もう店内に入ることは叶わない。
炎の暑さをじりじりと頬に感じる。鳴海はどこへ逃げればいいのかわからずやみくもに人の流れに合わせて走った。
川にいけばいいかも知れない。川に向かおうとした、その時。
『川は駄目です! 反対方向へ。声を……』
「川は駄目だ! 向こうへ!」
鳴海は知らず知らずのうちに声をあげていた。
幾人かの塊が鳴海の声に反応した。
鳴海は皆の先頭を走った。
焼け崩れ落ちる民家を避け火の粉を振り払い、ライドウに教えられた方角へ皆を導いた。
その間にも焼夷弾は容赦なく投下され、炎はまるで生き物のようにうねり、人も町も飲み込んでいく。
衣服に火がつき転げ回るもの、機銃掃射の犠牲になるものもいた。炎の円陣から一人も逃さじとするように。
体が熱い。燃えていないのが不自然なくらいだ。
しかし鳴海は走った。
空にライドウの姿を探しなから。
いつしか鳴海が率いる避難者は何倍にも膨れ上がっていた。
『その先の神社へ!』
深い木立に囲まれた境内に走り込むと、それまでの炎の熱さが嘘のように消えた。風向きが変わり、追いかけてきた炎は急に失速した。
『ぼくが守ります』
炎が渦を巻き、天を焦がすかと思うような空中に両手を広げた人影が浮かんでいるように見えた。
鳴海につられるように近くの皆が空を見上げる。
「あれは……人?」
「まさか!」
小さく驚きの声があがった。
いや、ライドウだ!! 鳴海にはわかった。声が頭の中に響く。
『もうこれ以上誰も死なせはしない!』
ライドウの外套が花びらのように空一杯に広がっていく。それは薄い膜のように帝都の空を覆っていった。
降り注ぐ焼夷弾や爆弾がそれにぶつかると、膜の表面には火花が散った。
「もういい! ライドウ、もういいんだ!!」
爆発するさまは、まるで無数の花火のように見えた。ライドウは降り注ぐ火薬を一身に受け止め続けた。
やがてライドウの姿は紅蓮の炎の中に見えなくなっていった。
「ライドウ!!」
鳴海は喉が破けるかとおもうほど叫んだ。
長い夜が明けた。
鳴海の足は勝手にいつもの道をたどっていた。
道と言っても、そこは焼け野原だった。
わずかに残る建物の痕跡、まるで炭でこしらえた人形のような、数えきれないほどの折り重なった大小の遺体。
朝焼けに照らし出される町は、いまだくすぶり焦げ臭く、そしてあまりにも凄惨だった。
筑土町に入ると見晴らしがよくなった風景のなかに、銀楼閣が煤けながらも辛うじて原形を留めていた。
そして、そのすぐ近くに二つの人影があった。
「鳴海殿!!」
金王屋の親爺が声をあげた。
鳴海は親しい二人の無事を知った。
大空襲から二週間後…
鳴海はほころび始めた桜を眺めていた。
つい先ほど、近隣の住民たちとラジオ放送を聞いた。前日に必ず聞くようにと知らせが回っていたのだ。
「ライドウ、戦争が終わったよ」
鳴海は桜の花にささやいた。
ラジオ放送は新しく即位した天皇、昭和天皇の声でアメリカ連合軍に無条件降伏したことを国民に知らせた。
大正天皇は大空襲の三日後に崩御された。かねてより体調不良が噂されていたが七万人の死者という帝都の被害の大きさに心を痛め容態を悪化させたという。
若き昭和天皇の決断はまさに電光石火だった。即位したその日にポツダム宣言にサインするよう、命を下したという。
『鳴海さん、合格しました!』
帝大に合格したときのライドウの笑顔はそれまでみたことがないものだった。合格祝いに鳴海は背広一揃いと外套を贈った。
『ありがとうございます、鳴海さん。大切にします』
若者らしい屈託のない笑顔……桜の季節が来るたびに思い出す光景だ。
ーーライドウ、戦争はもう終わったんだ。
昭和元年五月。
アメリカは進駐軍をおき、日本を統治し始めた。
食料はいまだ不足していたが、大陸からの復員など明るい話題も聞かれるようになった。
煤けた銀楼閣を定吉が訪れたのは、五月中旬だった。
軍服ではなく国民服を着て包帯が巻かれた左腕は三角きんで釣り、右手には風呂敷包みを下げていた。
「左手? ああ、船から降りるときに。痩せましたね、鳴海殿」
鳴海は力なく笑った。
「ライドウの消息が知りたい。ヤタガラスに聞いたがはっきりとは教えてくれなかった。知りたいんだ。たとえ悪い話でも……」
定吉はうなずくと、風呂敷包みをほどいた。中には帽子があった。
「これは……ライドウの」
入隊するときに身につけていたものだ。
「それしか残っていなかったのです」
定吉はその経緯を話し始めた。
私たちは南洋から船で脱出しました。脱出というか、膠着状態の硫黄島へ向かうよう命令されました。
超力兵団はまだ三十体ほど残っており、その兵力を海側から硫黄島に投入するようにと。
聞いていませんか? 硫黄島のこと。
作戦は失敗、不死とはいえ、たかたが三十の兵士で敵う相手じゃなかった。硫黄島は生身の兵士共々玉砕しましたよ。
ライドウ殿は精力を使い果たし、本土へ向かう船の中でほぼ寝たきりでした。
あの大空襲の夜、洋上も風が強くて……甲板にいた水兵の話しでは、突然船縁まで駆けてきたと。
しばらくその場にいたけれど、次に見たときには姿が消えていたと。帽子だけを残して。
「消えた?」
はい、と定吉は答えた。
「海に落ちたものか……あの晩の海は時化ていましたから」
鳴海は目の前が暗くなった。ライドウが死んだ?
「いや、亡くなったとも言い切れない。一緒にいたはずのゴウト殿も消えたので。もっとも鳥の姿でしたから、どこへでも飛んで行けるのですが」
生死は不明。可能性は零ではない。しかし九でもあるまい。
「それでこんな時に申し訳ないのだが、仕事を手伝てくれないでしょうか。軍は解体されましたが、その後始末の……後始末を」
「表沙汰にできない案件か?」
「そうです。正直やって楽しいものばかりではないです。多少危険も伴いますから」
このように、と定吉は左手を上げてみせた。
「私が余計なことを知ってると思ったんでしょうね。南洋で死にぞこなってアテが外れた連中もいたようで」
定吉は苦笑した。
鳴海は仕事を引き受けることにした。
その晩、鳴海は定吉から聞いた話が頭から離れなかった。
ーー死んだとは言い切れないが……。
結局、分からずじまいだ。
帰り際に定吉は言った。
「あの晩、不思議な声に導かれて助かったとか、空に人の姿を見たとかいう報告が軍に残っていました。それにアメリカ側がいうには、計算上では被害はもっと大きくなるはずだったとも」
ライドウは確かに帝都の人々を救ったのだ。
「……彼は帝都の守護者のつとめを最後まで果たしたのですね」
鳴海はライドウの帽子を前に煙草に火をつけた。
いつかライドウが好きだと言った煙草の匂いが部屋に広がる。
と、帽子がかたりと動いた。
鳴海が驚き見つめる前で帽子は何度も動き、やがて帽子を持ち上げ、見慣れた緑色の小さな姿が表れた。
「モコイさん!?」
それは確かにモコイだった。
「そう、ぼくモコイさん。なるみさん こんばんは」
「ああ、よかった。モコイさんは無事だったか」
「サマナーのおもいが ぼうしにのこっていたから、モコイさんは これた」
「そうか……ライドウは?」
問われてモコイは虚ろな瞳を鳴海に向けた。
「モコイさんはサマナーと やくそくした。なるみさんにサマナーの つらいことや かなしいことをいわないと。でも、さいごだから なるみさんにつたえる」
「え?」
モコイは鳴海の前にすっくと立った。
「な る み さ ん 鳴 み さん 鳴海さん」
いつしか声はライドウのものに変わっていた。
「鳴海さんに会いたい 会いたい 会いたい……今すぐ抱きしめて口づけたい。もう敵を殺したくない。味方に死んでほしくない。でも、だれも助けられない 助けられない……」
モコイの口からはライドウの苦悩が溢れた。
「辛いです 悲しいです あなたと暮らした年つきが今のぼくをどれほど支えているか どれほど幸せに感じていたか ぼくは生きてまた鳴海さんに会いたいです」
鳴海の目には涙が浮かんだ。
「会いたい……」
モコイさんは膝を折った。よくみると緑色の身体中にまるで虫食いのように黒い斑点が生じていた。
「モコイさん!」
鳴海はモコイを抱き止めた。
「モコイさん、サマナーとの やくそくやぶったから……なるみさん モコイさんは なるみさんがだいすき。やさしくしてくれて ありがとう ぎゅっとしてくれて ありがとう……」
そう言う間にもモコイの体は黒く蝕まれていく。鳴海は腕が震えた。
「モコイさん……いつも手紙をありがとう。ライドウの心を伝えてくれて……」
鳴海は声をつまらせた。腕に力をいれてモコイを抱きしめた。
「なるみさん……サマナーはかえってくる よかえってくるよ……」
鳴海の腕の中でモコイは塵になって消えた。
鳴海は定吉の仕事を手伝って、日々を過ごした。
『後始末の後始末』とはよく言ったもので、些末なことから表沙汰にできないうえに処理に時間のかかるものまで、様々あった。
「……また愛人への挨拶まわりか」
鳴海は定吉から渡された名簿と、手渡す品々が詰まった袋を下げて焼け残った住宅街を歩いた。平服では失礼かと、定吉のつてで探してもらった背広を着て身なりを整えてある。
辺りを見回したとき、黒猫が視界に入った。
「ゴウト?」
門柱の上で昼寝していた猫は足の先だけが白かった。これでなかなか本当の黒猫はお目にかからない。もっともゴウトが今も猫という確証はない。定吉が見た時は鳥だったと言う。
けれど、黒猫に声をかける癖が鳴海にはついてしまった。
鳴海はため息した。
夏の暑さはとうに過ぎ、最近は朝晩寒く感じられるようになった。
ーー帝都にはそろそろ秋風がたち始める頃かと思います……。
ライドウからの手紙の一節が不意に思い出された。
「ま、拳銃の大量横流しの件を手伝わされるよりは安全か」
愛人の常として、主が亡くなっても表立っての弔問は許されない。
生前、あるいは戦地で女性たちに向けて残された手紙や形見を届ける仕事は、人探しを得意としていた鳴海には向いていた。
しかし探しあてたところで、すでに亡くなっていたり、消息不明の場合も多く、思い出の品が届けられることはまれだった。
運よく手渡すことができても、迷惑そうな顔をされることもあった。
「どうしても伝えたかったことが書かれているだろうに…」
鳴海はライドウの手紙を大切にとってあった。あの大空襲のときにも肌身離さずにいた。
ライドウは検閲を通さない手紙にさえ、本心は書いてこなかった。鳴海に心配をかけさせないためにそうしたのだろう。
帰りたい気持ちを必死に抑えていたのだと思うたびに鳴海の目頭は熱くなる。
『かえってくるよ……』
モコイの最後の言葉を、心の拠りどころに鳴海は仕事をすることに集中していた。
しかし終戦からすで早半年が過ぎても、未だに手がかりはない。
無駄だと思いつつ、葛葉の里へ出した手紙の返事はなしのつぶて。
「まだ半年だ」
鳴海は呟いた。自分には何年でも待つ覚悟がある。
目的の家は近い。鳴海は歩を早めた。次に会う婦人は手紙を受け取ってくれるだろうか……。
人気のない路地には虫の聲だけが響いている。秋の穏やかな陽を背中に感じなから鳴海は歩いた。
と、足元を何かが駆け抜け、鳴海を追い越して行った。
「!?」
視線の先、路地の奥に黒猫がいた。
「ゴウト」
振り返った黒猫は緑色の瞳で鳴海を見つめた。見つめて……にやりと笑った。
「やっぱり、ゴウトか。ライドウは」
鳴海は猫に詰め寄った。猫は逃げるわけでもなく、その場にたたずんでいる。
ひざまずいた鳴海の影の隣に、もうひとつの長い影が伸びた。
猫はついっと顎をあげて、鳴海の後ろに視線を投げた。
鳴海は自身の激しい鼓動を間近に聞いた。体が震えて思うように動かせない。
けれど、勇を鼓して鳴海は振り返った。
「ライドウ……」
そこには、別れた日と同じ服装のライドウがいた。ライドウは握っていた杖を放して、鳴海に向かって両手を広げた。
「鳴海さん」
鳴海はライドウに駆け寄ると、思い切り抱きしめた。
「ああ、ライドウ。生きて……生きていた」
「ただいま帰りました」
きつく抱くと、折れそうなほどに痩せている。きっと歩くのもやっとなのだろう。
それでも、帰ってきたライドウを鳴海は愛おしく思って泣いた。
「最後に残した薬で命が救われました」
手紙に書いた約束をライドウは守ってくれたのだ。
「鳴海さん、これからはずっとあなたのそばにいます」
もう離れません……。
ライドウは鳴海に口づけた。
銀楼閣の外は麗らかな春だ。通りの桜はもう散ったが新緑が目に眩しい季節になった。
鳴海の目の前に座る女子高生は、かつての事件の渦中にいた少女と同じ制服に身を包んでいる。
「最近、私の身の回りで気味が悪いできごとが多くて……昭和も十年が過ぎたのに幽霊なんて非科学的だとかクラスメートにも言われたんですが」
眉毛のところできっちり前髪を揃え、きれいに編まれた髪を見ると性格はかなり几帳面か。隣で丸くなっているゴウトの抜け毛を気にしてか、撫でもしない。
「誰もいないはずの部屋から笑い声が聞こえたり、二階から足音だけが降りてきたり……ガラス戸越しに火の玉が燃えているのが見えたり」
女子高生は白い顔をますます白くさせてうつむいた。
「コーヒー、飲めますか?」
「はい、大丈夫で……す」
問われて顔をあげた少女は、コーヒーをすすめたライドウに視線が釘付けになった。
ライドウは三十代半ばにして、未だに人が振り返るような美青年だ。瀕死の時に使った薬の副作用なのか、歳をとる速度が遅いらしい。
「冷めないうちにどうぞ」
ライドウが軽く微笑み、声をかけると、弾かれたようにカップに手を伸ばした。頬を真っ赤にさせて。
「そ、それで、こちらに相談してみたらどうかって教えてくれた友人がいたので……」
「そのご友人はどうしてうちをご存知だったのかな?」
「以前、お母様がお世話になったとか」
そして二人に、聞き覚えのある名前を口にした。
「ああ、彼女の紹介ですか。わかりました。お受けしましょう」
ライドウも一緒にうなずいた。
「ご安心ください。我が鳴海探偵社の助手は優秀ですから」
鳴海はライドウに目配せした。
ライドウはそれに応えて明るく微笑み、ゴウトはあきれたように盛大なあくびをした。
初めて出会った時には、美しいが表情のない人形のようだったライドウは、自ら掴みとった人生を穏やかな表情で歩む。
……鳴海と共に。