全ステータス十倍。臭いも十倍。

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第1話

 

「クソク・サーイ! お前をパーティーから追放する!」

 

 砂漠の大ピラミッド、ダイ・ベーンを目の前にして、片方の手で鼻をつまんだまま、勇者ユウ・シャーが俺を指さした。

 

「な、なんで……」

「それはお前の調香する香水が、臭すぎるからだ!」

「ぐざずぎるがらだ!」

 

 隣で戦士セン・シーも、鼻をつまんで繰り返した。二人とも、涙まで流している。

 

 俺の手には、ついさっき完成したばかりの小瓶がある。

 

 ピラミッド攻略のために、三日三晩かけて調合した最強のバフ香水。ひと吹きで、全ステータスが十倍になる。

 

 ためしにユウ・シャーへ吹きかけたら、素手で岩を砕き、砂漠の大蠍(おおさそり)の魔物を真っ二つにした。セン・シーは大斧を小枝みたいに振り回し、動くサボテンの魔物を千切りにしていた。

 

 それから二人そろって膝をつき、砂の上に吐いた。頭の上を回っていたハゲワシが、きりもみしながら落ちてきた。

 

 全ステータス十倍。臭さも、十倍である。

 

「効果は認める! 認めるけど!」

「ぐざい!」

「今までの香水は、まだ我慢できたんだよ! 鼻の奥がちょっと死ぬくらいで! 鼻栓もしたんだぞ! そしたら、目にしみた!」

「みみにも、ぎだ!」

「でも、材料はいいんだよ……」

 

 足元に開いた調香鞄を、二人に向けた。乳鉢、蒸留器、小瓶が二十本。乾かした薔薇、ラベンダー、白檀、朝摘みの月下香。どこへ行くにも、これだけは手放したことがない。

 

「この薔薇なんか、王都の花屋で一番高いやつだし」

「なんで薔薇から、あれができるんだよ!? その匂いしか作れないのか!?」

 

 俺のスキルは【調香】。

 効果は抜群だと、みんなに言われるのだが。

 

 何を混ぜても、どんな効果をつけても、出来上がる匂いは一つしかない。

 

 調香師らしく言えば、こうだ。

 トップノートは、真夏の牛舎。湿った藁と、蠅の羽音まで匂ってくる。

 ミドルノートは、雨上がりの豚小屋の裏。三日前の残飯と、ぬかるみ。

 ラストノートは、肥溜め。それも真夏の肥溜めを、三日三晩煮詰めたやつ。

 残り香は、だいたい一週間。

 

「うん、この香りしか作れないんだ……」

 

 ユウ・シャーとセン・シーが揃って俺を指さした。

 

「それだよ!!」

「ぞれだよ!!」

 

 声まで揃っている。

 

「お前、ピラミッドの中は閉め切りだぞ!? あの臭いがこもったら、ミイラの王より先に俺たちが死ぬ!」

「ぼうずでにじにがげでる!!」

 

 セン・シーの鼻声は、もう何を言っているのか分からない。

 

「なら、香水は使わないから。ついていくだけでも……」

「いや! お前の服にはもう染み付いてるだろ!」

「あど、あじでまどいなんだよ!」

 

 それは、言い返せなかった。

 

 俺は、後ろを振り返った。

 腰に結んだ縄の先で、砂に半分埋もれた棺桶が、日差しを照り返していた。

 

 この中で、妹のカオ・リが眠っている。

 

 十になったばかりの冬に、熱が下がらないまま逝った。調香の練習をしていると、カオ・リはいつも工房へ駆けこんできて、鼻をつまんで「お兄ちゃん、くさい」と笑って言った。言いながら、俺の腰に抱きついて離れなかった。

 

 ダイ・ベーンの奥に眠るミイラの王を倒せば、死んだ者を一人、生き返らせてもらえる。

 その噂だけを頼りに、俺は二人とパーティーを組んで、王都からここまで、この棺桶を引いてきた。

 

「……カオ・リを、生き返らせたいんだ」

「それは知ってる! 俺たちも同じ村出身だぞ!」

 

 ユウ・シャーが、鼻をつまんだまま怒鳴った。

 

「知ってるから、連れてきたんだろうが! 王は俺たちが倒す! 倒したら、お前を呼びに戻る! だから、臭いの届かないところまで離れててくれ!」

 

 二人とも、目が真っ赤だった。臭いのせいなのか、そうでないのか、俺には分からなかった。

 

「そこにオアシスがあるから、ちょっと待ってろ、な」

 

 ユウ・シャーは少し声を和らげ、水場を指した。

 

「……じゃあ、これだけ持っていってくれ」

 

 小瓶を差し出すと、ユウ・シャーの顔が引きつった。

 

「せめて、ピンチの時に使ってくれ」

 

 ユウ・シャーはしばらく小瓶を睨んでから、腰の剣を抜いた。剣の先に紐を引っかけて、腕を目いっぱい伸ばしたまま受け取る。厚手の革袋へ三重に包んで、背嚢のいちばん底へ押しこんだ。

 

「ああ、使わないで済むことを祈るよ」

「ありがどな!」

 

 セン・シーが、鼻をつまんだまま、もう片方の手で水袋と干し肉の包みを放ってよこした。

 

「ごれ、もっでげ!」

 

 二人は、振り返らずにピラミッドの入口へ入っていった。

 

 俺の懐には、同じ鍋で作ったもう一本が残っている。

 縄を肩にかけ直して、オアシスの方へ歩き出した。

 

「……追い出されちゃったよ、カオ・リ」

 

 棺桶が、砂の上をずるずると付いてきた。

 

 ◇ ◆ ◇

 

 オアシスは、思っていたよりずっと広かった。

 澄んだ泉のまわりにヤシの木が並び、木陰には赤や黄色の花が咲き乱れている。棺桶を木陰に寝かせて、俺もその隣に寝転んだ。

 

 泉の水は冷たくて、甘い。砂漠の真ん中だというのに、蠍の一匹も寄ってこなかった。ピラミッドの前では、あれだけ襲われたのに。

 オアシスの魔物は、おとなしいのかもしれない。

 

「のどかだなあ、カオ・リ」

 

 へんじはない。

 棺桶は、木陰でひんやりしていた。

 

 何の気なしに、自分の袖を嗅いでみた。

 ……染みついている。泉で洗ったくらいでは、落ちそうにない。

 

 寝返りを打つと、目の前に白い大きな花が咲いていた。顔を近づけると、蜜のような甘い香りがする。見上げたヤシの木には実が鈴なりで、泉のほとりには、揉むとすっとする葉が茂っていた。

 

「そうだ。ここなら、いろいろ作れるぞ!」

 

 跳ね起きて、調香鞄を開けた。

 ここには水も花も、いくらでもある。

 

 全ステータス十倍のまま、今度こそ、いい匂いにしてやる。

 

 白い花を籠いっぱいに摘み、ヤシの果肉を削り、泉のほとりの葉を擂りつぶして、銅の蒸留釜に詰めこむ。枯れたヤシの葉で火を焚くと、とぐろを巻いた管の先から雫が落ちはじめ、受けの硝子瓶の水の上に、薄い金色の油が浮いた。

 

 瑞々しく甘い、王都の薔薇にも負けない香りが、オアシスいっぱいに広がった。

 

 ここまでは、いつもいい匂いなのだ。

 調香師ギルドの試験の時もそうだった。蒸留が終わるまでは、審査員たちがうっとりと目を閉じていた。最後に【調香】を込めた途端、三人そろって椅子ごと後ろへ倒れた。合格はしたが、ギルドの名簿には、俺の名前の横にだけ「取扱注意」と書いてある。

 

 けれど、一度目の油は、まだ青くさい。匙で掬って釜へ戻し、もう一度蒸留する。今度は火を弱めて、じっくりと。二度目の油は、小指の先ほどしか取れなかった。

 

 日が傾く頃、ようやく溜まった最後の一滴を小瓶に落とし、栓をする前に【調香】を込めた。

 小瓶の中で、金色の油が、ぐるりと茶色く濁った。

 

 栓を抜いて、胸いっぱいに吸いこむ。

 

「うん、この香りだ!」

 

 やっぱり、くさかった。

 ヤシの木から鳥が一斉に飛び立ち、泉の魚がそろって底へ潜っていった。

 

 その時、足元の砂が震えた。

 砂丘の向こうから、砂煙を上げて何かが走ってくる。

 

「どいてどいてどいてーっ!」

 

 女の子だった。

 

 肩で切りそろえた黒髪に、蜂蜜みたいな金色の大きな目。王都の舞台にだって、こんなにかわいい子はいない。

 なのに、なぜか黒光りする鎧を着こんでいて、籠手と脚甲が夕日を跳ね返している。走るたびに、頭のてっぺんで細い触角が二本、ぴょこぴょこ揺れていた。

 

 その後ろで、砂が山のように盛り上がった。

 砂を割って、サンドワームが頭をもたげる。家一軒くらいなら丸呑みにできそうな口が、輪になって開いた。

 

「なんで、こっちに来るんだよ!」

「いい匂いがしたからーっ!」

「はあ!?」

 

 女の子は泉をひと跳びに越えて、俺の背中に回りこんだ。

 サンドワームが、泉の向こうで身をくねらせる。鼻がないのか、臭いにもひるまない。

 

「お兄さん、強い?」

「調香師だ!」

「弱いんだ!」

 

 言い返せなかった。

 

 サンドワームが、泉を越えて突っこんできた。

 輪になった口が、木陰の棺桶へまっすぐ向かう。

 

「カオ・リ!」

 

 縄に飛びついて、力いっぱい引いた。棺桶が砂の上を滑って、そのすぐ後ろで、大口ががちんと閉じた。

 サンドワームが、ゆっくりと頭をこっちへ向け直す。

 

 手の中には、できたての小瓶がある。

 

「お前は、強いのか?」

「うん、ちょっとね」

「なら、これを!」

 

 振り向いて、女の子の頭から香水を吹きかけた。

 

 女の子は目を閉じて、深く、深く息を吸った。

 

「はぁぁ……♡ なにこれ……すっごい、いい匂い……♡」

 

 うっとりした声と一緒に、黒い籠手が、ぎしりと鳴った。

 

 女の子は泉のほとりの大岩に手を掛けた。俺の背丈より大きい岩が、土ごと持ち上がる。それから、くるりと逆立ちして、後ろ脚で岩を蹴り転がしはじめた。

 転がるたびに、岩が砂をまとって膨らんでいく。泉を一周する頃には、岩はサンドワームの頭ほどの大玉になっていた。

 

「なんで、逆立ちなんだ!?」

「この方が、力が入るの!」

 

 大玉が、サンドワームの開いた口へまっすぐ突っこんだ。

 サンドワームは大玉をくわえたまま仰け反って、砂の中へ潜っていった。

 

 女の子が逆立ちをやめて、パンパンと手を払った。

 

「……お前、何者だ?」

「私? スカ・ベラよ! 太陽神ケプリツ様の遣い!」

 

 胸を張ったスカ・ベラの額で、扇の形の金の額当てが光った。その上で、触角が得意げにぴんと立っている。

 

「お兄さんは?」

「クソク・サーイ。調香師だ。で、こっちは棺桶のカオ・リ」

「よろしくね、カオ・リちゃん!」

 

 スカ・ベラは、棺桶にも深々と頭を下げた。

 

「カオ・リは俺の妹なんだ。ピラミッドの王を倒せば生き返らせてもらえるって聞いて、ここまで連れてきた」

「そっか」

 

 それ以上は、何も聞かれなかった。

 ふと足元を見て、慌ててしゃがみこむ。大玉の転がった跡で、花が何本も折れていた。

 

「ああっ、お花さん、ごめんなさい……踏んづけちゃった」

 

 萎れた茎に、スカ・ベラがそっと指を添えると、花はゆっくりと首をもたげた。

 

「魔法も使えるのか!?」

「ううん。ちょっと元気にしてあげるだけ」

 

 魔法を使える人間は、王都にも数えるほどしかいない。

 ……いや、そもそもこの子は、人なのか?

 

 スカ・ベラは、元気になった花を見下ろして、へにゃりと笑った。

 

「ケプリツ様の遣いはね、ほんとは、枯れかけたものをみんな元気にするのがお仕事なの。みんなは、神殿の花壇を一晩で満開にしちゃうのに、私はこれくらいしかできなくて。一番の落ちこぼれで……とうとう、追い出されちゃった」

「……俺もだ」

「え?」

「今朝、パーティーを追放された。香水が臭すぎるってさ。同じ村から一緒に出てきた、幼なじみの二人に」

 

 スカ・ベラは、棺桶と俺の顔を見比べた。

 

「……あの子を、生き返らせるために来たのに?」

「ああ。王は、あいつらが代わりに倒してくれるってさ」

「……くさい香水しか作れない調香師と、ちょっとしか元気にできない遣い、か」

「落ちこぼれ同士だな」

「言わないでよ! ……ねえ、クソク」

「ん」

「クソクの香水、すっごくいい香りだね!」

 

 息が、止まった。

 

 三年間、香水を作り続けてきた。いい香りだなんて、一度も言われたことがない。カオ・リにさえ、くさいとしか言われなかった。

 

「……もう一回、言ってくれ」

「いい香り!」

「もう一回」

「いい香り! ごちそうみたいで、おうちみたいで、お日さまみたいな匂い!」

 

 スカ・ベラは俺の袖に顔をうずめて、すうっと深呼吸した。

 

「この服、すっごく染みてる! ちょうだい!」

「やらん!」

 

 ごちそう。おうち。

 逆立ちして、後ろ脚で、岩を丸めて転がす。

 

「……なあ。お前、もしかして、フンコロガ」

「スカラベって呼んで!」

「……待て。フンコロガシの、ごちそうで、おうちって、つまり俺の香水は」

「いい香り!」

「最後まで言わせ……いや、言わせないでくれ!」

 

 袖から顔を上げたスカ・ベラが、今度は俺の胸元に鼻を寄せて、くんくんと嗅いだ。

 

「でも、そっちのは、あんまり香りがしないね」

 

 俺の懐を、指さしている。

 ユウ・シャーたちに渡したのと、同じ鍋で作った一本だ。

 

「そんなはずはない! 同じ配合だぞ!」

 

 懐から小瓶を出して、栓を抜いた。

 

 ……くさい。

 くさいが、さっきほどではない。目に染みない。

 

 三日三晩かけて作った最高傑作が、たった半日で。

 

「全ステータス十倍、臭さも十倍……劣化も十倍早いってことか!」

 

「あいつら、これを切り札にしてるんだ……あいつらが、まずい!」

 

 白い花とヤシの実を、調香鞄に詰められるだけ詰めこんで、立ち上がった。

 スカ・ベラが、俺の袖を引いた。

 

「……いいの? 追い出されたのに」

 

 袖を掴んだ細い指は、振りほどこうとしても、びくともしなかった。

 

「あいつらなら、俺がいなくたって踏ん張ってる!」

 

 ユウ・シャーは強い。セン・シーも。

 

「踏ん張って、踏ん張って、最後の最後に、俺の渡した一本を開けるんだ。効かないとも知らずに! だからこそ、見捨てられないんだ!」

 

 スカ・ベラの目が、まんまるになった。

 それから、にっと笑った。

 

「なら、私もいくよ!」

「いいのか?」

「いい香りの人は、いい人だもん。それに、カオ・リちゃんにも会ってみたいし」

 

 スカ・ベラは棺桶の縄をひょいと拾って、肩にかけた。

 

「この子は、私が転がしてあげる!」

「転がすな! 中身が入ってるんだ!」

 

 ◇ ◆ ◇

 

 ダイ・ベーンの入口に戻った時には、空に星が出ていた。

 石段の砂に、ユウ・シャーとセン・シーの足跡が、奥へ向かって二つ並んで続いている。戻ってきた足跡は、一つもなかった。

 

 ダイ・ベーンの中は、ひんやりと暗かった。

 松明を掲げて、石の通路を奥へ奥へと下りていく。後ろでは、スカ・ベラが棺桶を肩に担いで、鼻歌まじりについてきた。

 

 魔物は、一匹も出てこなかった。

 罠の落とし穴は蓋が開いたまま、石の扉は押し開けられたまま。曲がり角の向こうで、何かがばたばたと逃げていく足音がする。

 

 一度だけ、角を曲がった先で包帯巻きのミイラと鉢合わせた。ミイラはこっちを見るなり、干からびた鼻のあたりを両手で押さえて、そのまま後ろへひっくり返った。

 

「……疲れてたのかな。ユウ・シャーたちが、道を切り開いてくれたんだな」

「そうなの?」

「あいつら、強いからな」

 

 スカ・ベラは、くんくんと鼻を鳴らして、首をかしげた。

 それから、肩の上の棺桶を見上げた。

 

「ねえ。カオ・リちゃんって、どんな子?」

「くさいって言いながら、抱きついてくるやつだよ」

「くさいのに?」

「くさいのに」

「変な子!」

「お前に言われたくねえよ、フンコロ」

「スカラベ!」

 

 階段を三つ下りたところで、通路の先が金色に光った。

 剣戟の音と、聞き慣れた悲鳴が、壁に跳ね返ってくる。

 

 王の間は、天井まで黄金だった。

 壁という壁に棺が並び、その蓋がひとつ残らず開いている。中から這い出した包帯巻きの死者たちが、のろのろと広間を埋めていた。

 正面の壁には、丸い太陽を転がす甲虫の絵が、天井まで大きく描かれている。

 

 その奥の玉座から、黄金の仮面をつけたミイラの王が、ゆっくりと立ち上がった。

 

「死せる者よ、立て。我が力で、ふたたび歩め。この錫杖の前では、死すら終わりではない」

 

 王が黄金の錫杖を掲げ、先の輪がしゃらんと鳴るたび、倒れたミイラがまた起き上がる。

 広間の真ん中で、ユウ・シャーが片膝をついていた。セン・シーの大斧は、柄の半ばで折れている。

 

「くそっ……クソクの香水、使ったのに……!」

「ぜんぜん、じゅうばいになっでない!」

 

 王の仮面が、俺の肩越しに、スカ・ベラの担いだ棺桶を向いた。

 

「ほう。そこにも、眠る者がおるな。……その鎧、ケプリツの遣いか。太陽の転がし屋風情が、我が墓に何用だ」

「転がし屋じゃない! スカラベ!」

「その棺桶の娘も、我が兵に加えてやろう」

「カオ・リを、ミイラなんかにさせるか!」

 

 ユウ・シャーが、はっと顔を上げた。

 鼻をひくつかせて、それから、くしゃくしゃに顔を歪めた。

 

「この臭いは……!」

「間に合ったか!」

 

 ユウ・シャーの目に、涙が浮かんだ。臭いのせいなのか、そうでないのか、今度は分かった。

 

「スカ・ベラ、頼む!」

「まかせて!」

 

 オアシスで作った小瓶を、スカ・ベラの頭から吹きかけた。

 

「やっぱり、いい匂い……♡」

 

 棺桶をそっと床に下ろしたスカ・ベラが、逆立ちして、手近なミイラを後ろ脚で蹴り転がした。転がったミイラが次のミイラを巻きこみ、包帯が絡まり合って、広間を一周する頃には、天井に届きそうな包帯の大玉になっていた。

 

「クソク、誰だその子!?」

「ぐざいのに、がわいい!」

 

 大玉が、玉座へまっすぐ転がっていく。王が錫杖を振るって受け止めた。黄金の床に、ひびが走る。

 スカ・ベラは逆立ちのまま押しこみ、王はじりじりと玉座まで押し戻されていった。

 

 あと少し、というところで、大玉が止まった。

 

「あ、あれ……?」

 

 籠手の艶が、すうっと消えていく。スカ・ベラの腕が震えて、膝が落ちた。

 バフが、切れた。

 

 王の錫杖が大玉を叩き割り、ほどけた包帯の中から、ミイラたちがまた起き上がる。弾き飛ばされたスカ・ベラが、俺の足元まで転がってきた。

 

「スカ・ベラ!」

「ご、ごめん……力が、抜けちゃった……」

 

 小瓶を振った。一滴も残っていない。

 

 調香鞄を開けた。白い花も、ヤシの実も、オアシスで詰めこんできた分がまだある。

 だが、二度の蒸留には、日が傾くまでかかった。ミイラの群れは、もう目の前だ。

 

「……時間が、足りねえ!」

 

 その時、俺の前に、二つの背中が立ちはだかった。

 

「時間は俺たちが稼ぐ! 調香するんだろう!」

「まがぜろ!」

 

 ユウ・シャーが、刃こぼれした剣を構え直した。セン・シーは、折れた斧の柄を両手で握っている。

 

「お前ら、もう……」

「三年、お前の臭いに耐えたんだ! ミイラの十匹や二十匹、なんでもねえ! かかってこい、くそったれー!」

「ぜんぶ、ぶっどばず!」

 

 セン・シーがミイラの群れに飛びこみ、ユウ・シャーは棺桶の前に立った。

 

 俺は、壁の松明を一本引き抜いて、蒸留釜の下に突っこむ。水袋の水を張り、花と果肉と葉を、ありったけ詰めこんだ。

 

 釜の向こうで、セン・シーが折れた柄でミイラを殴り倒している。倒しても倒しても、錫杖が鳴るたびに起き上がってくる。

 ユウ・シャーは、棺桶の前から一歩も動かなかった。

 

「カオ・リに、指一本触れさせるか! 同じ村のちびっこだぞ!」

 

 湯気が上がり、管が鳴り、受けの瓶に、金色の油が浮きはじめる。

 

 ミイラの腕が、ユウ・シャーの足首を掴んだ。引き倒されたユウ・シャーの上に、包帯の山がのしかかっていく。

 

「ユウ・シャー!」

「いいから、作れ!」

 

 釜から立つのは、オアシスで嗅いだのと同じ、甘い香りだ。

 

 いつもなら、ここで油を掬って、もう一度蒸留する。青くささを抜いて、少しでもいい匂いに近づけるために。

 三年間、ずっとそうしてきた。

 

 床の上で、スカ・ベラが肩で息をしていた。

 

「……クソクの香水、やっぱり、いい香り……」

 

 もう、言ってもらった。

 

 いい匂いにするのは、やめだ。

 その分の手間も、時間も、全部、効き目に回す。

 

 一度目の油を、そのまま小瓶に落として、【調香】を込めた。

 金色がぐるりと濁って、茶色を通り越し、黒くなった。

 

「全ステータス……三十倍だ!」

 

 栓を抜いた途端、王の間の空気が変わった。

 壁の松明の炎が、ぼっと茶色く燃え上がった。黄金の壁が、端からみるみるくすんでいく。

 何体ものミイラから包帯がひとりでにほどけて、中身を置き去りに、通路の方へするすると逃げ出していった。

 

 取り残されたミイラたちが、一斉に鼻を押さえた。鼻なんか、とっくに干からびているはずなのに。

 

「な、なんだ、この臭いは……! 三千年、この墓で眠ってきたが、こんな……おえっ」

 

「みんな、吸え!」

 

 スカ・ベラに、ユウ・シャーに、セン・シーに、残らず吹きかけた。

 

「ぐっ……くっさああああっ!!」

「ぐざい!! ぐざいげど!!」

 

 ユウ・シャーにのしかかっていた包帯の山が、内側から弾け飛んだ。光る剣を構えて、ユウ・シャーが立ち上がる。

 隣では、セン・シーの折れた斧の柄が、ミイラの群れを一振りで薙ぎ払った。

 

「はぁぁぁ……♡ もっと、いい匂い……♡」

 

 スカ・ベラが、ふらりと立ち上がった。黒い籠手が、さっきとは比べものにならないほど、まばゆく光っている。

 くるりと逆立ちして、後ろ脚を玉座へ向けた。

 

「行くよ、クソク!」

「おう!」

 

「わ、我は……こんな臭いの中で、二度も死ぬのか……」

 

 スカ・ベラが、ミイラの王を蹴り転がした。王は包帯ごと丸まって、転がるたびに膨らんでいく。ユウ・シャーが剣で、セン・シーが斧の柄で、それを打ち返す。黄金の広間を三往復した大玉を、最後にスカ・ベラが後ろ脚で受けた。

 

「ボールを、ミイラの玉座にシュート!」

 

 大玉が、玉座へ叩きこまれた。

 

「超・エキサイティン!!!!」

 

 黄金の仮面が宙を舞って、からん、と床に落ちた。

 起き上がっていたミイラたちが、糸の切れたように崩れ落ちていく。

 

 広間に、静けさが戻った。

 残ったのは、三十倍の臭いだけだった。ユウ・シャーとセン・シーは、広間の隅で鼻を押さえて、うずくまっている。

 

 仮面の横に、黄金の錫杖が転がっていた。

 

 拾い上げた錫杖は、ずしりと重かった。死んだ者を、立たせる杖。

 棺桶の前に膝をついて、蓋を開けた。

 

 カオ・リは、あの冬のままだった。

 

 この杖で起きた者は、みんな包帯巻きのミイラになって歩いていた。カオ・リも、ああなるのかもしれない。

 それでもいい。もう一度、目を開けてくれるなら。

 

 胸の上で組んだ小さな手に、錫杖の先を当てて、輪を鳴らした。

 

 しゃらん。

 

 何も、起きなかった。

 もう一度、鳴らした。何度も、何度も鳴らした。カオ・リの睫毛は、ぴくりとも動かなかった。

 

 足元で、崩れ落ちたミイラの包帯がほどけている。中にあったのは、ただの乾いた骨だった。

 この杖は、死んだ者を生き返らせていたんじゃない。死んだまま、動かしていただけだ。

 

「くそっ……!」

 

 錫杖が、手から落ちた。

 

「俺は、なんのために、ここまで……!」

 

 あの冬、熱で真っ赤になった顔で、カオ・リは最後まで俺の袖を握っていた。くさい、と言う元気も、もう残っていなかった。

 

 肩に、小さな手が置かれた。

 スカ・ベラが、俺の隣にしゃがんでいた。三十倍の香りをまとった籠手が、まだ、ほのかに光っている。

 

「クソク。ちょっとだけ、いい?」

「……スカ・ベラ?」

「香水、まだ効いてるよね。三十倍の、いい香り」

 

 スカ・ベラは、自分の籠手の匂いをすんと嗅いで、こくりとうなずいた。それから、カオ・リの頬に、そっと指を添えた。

 

「ちょっと元気にしてあげるだけ、なんだけど……」

 

 スカ・ベラの指先が、光った。

 その光が、正面の壁画へ吸いこまれていく。太陽を転がす甲虫の絵が、端から金色に燃え上がった。描かれた太陽が輝きを増して、王の間を真昼のように照らしていく。

 

 花を、ちょっと元気にする力。

 それも、三十倍だ。

 

 スカ・ベラの額当てで、扇の形が、太陽と同じ色に光った。触角の先に、小さな光の粒がともる。黒い鎧の継ぎ目という継ぎ目から、朝日のような金色があふれ出した。

 

「わ、私……こんなに……?」

 

 自分の手を見下ろしたスカ・ベラの目が、まんまるになった。それから、きゅっと唇を結んで、カオ・リの方へ向き直った。

 

「太陽神ケプリツ様の名において——起きて、カオ・リちゃん」

 

 光が、棺桶の中へ降りそそいだ。

 

 カオ・リの頬に、赤みが差した。

 組んだ指が、ほどけた。睫毛が震えて、ゆっくりと、目が開いた。

 

「……お兄ちゃん?」

 

 声が、出なかった。

 棺桶ごと、カオ・リを抱きしめた。

 

 カオ・リが、小さな手を俺の腰に回して、鼻をすんと鳴らした。

 

「お兄ちゃん……くさい」

「……ああ。くさいだろ」

「うん。くさい」

 

 笑いながら、泣いた。カオ・リも笑って、それでも、腰に回した手を離さなかった。

 

「よかった……! よかったね、クソク!」

 

 スカ・ベラが、俺とカオ・リをまとめて抱きしめた。三十倍のバフがまだ残っていて、背骨が鳴った。

 

 カオ・リが、俺の腕の中から、きょとんとスカ・ベラを見上げた。

 

「……お姉ちゃん、だれ?」

「スカ・ベラよ! ねえ、カオ・リちゃん。クソクの香り、いい香りだよね!」

「……くさいよ?」

「いい香り!」

「くさい!」

「いい香り!」

 

 右からカオ・リに、左からスカ・ベラに、腰をがっちり抱えこまれた。バフの残りで、また背骨が鳴った。

 

「おい、ユウ・シャー! セン・シー! カオ・リが——」

 

 振り向いた。

 

 ユウ・シャーとセン・シーは、王の間の床に、仲良く並んで白目をむいている。

 二人の鼻から、魂のようなものが細く立ちのぼっていた。

 

「お兄ちゃん。ユウ兄ちゃんたち、どうしたの?」

 

 しゃがんで、ユウ・シャーの頬をつついてみた。

 

 へんじがない。ただのしかばねのようだ。

 

 まあ、外の風に当てておけば、そのうち生き返るだろう。

 立ち上がって、スカ・ベラに向き直った。

 

「スカ・ベラ……ありがとう。お前がいなかったら、俺は……」

「いいの、私もあなたに出会えてよかった」

 

 スカ・ベラが、俺の胸元に顔をうずめて、深く息を吸った。

 

「うん、この香りがなければ、あなたを見つけられなかったから!」

 

 

(完)

 


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