▼ 商店街
仕事を片付けてトレーナー室を出る頃には、午後の陽も随分と傾いていた。
六月も終わりに近づき、学園近くの商店街にも夏の気配が増えている。
軒先には半袖の服が並び、風鈴が涼しげな音を鳴らしていた。通りの掲示板には、来月開催される夏祭りのポスターまで貼られている。
「兄さん、早く!」
数歩先を歩いていたリーベが振り返り、手を振った。
「店は逃げないから走るなよ」
「イヤだよーん! 今日は兄さんがたくさん服を買ってくれる日だからね!」
そんなことは言っていないし、走ることとは何の関係もない。
隣を歩くハルも同じことを思ったのか、小さく笑っている。まあ、多少増えるくらいなら構わない。問題は、その多少がリーベ基準ということだ。
最初に入ったのは、トレセンの生徒もよく利用しているスポーツ用品店だった。
トレーニングウェアにシューズ、ケア用品。競技に必要なものは一通り揃っている。何度も利用している店なので、俺にとっても馴染み深い。
店長と近況を話しながら、ウェアを選ぶリーベとハルを待つ。
「兄さん、これ!」
店に入って五分もしないうちに、リーベが一着のウェアを掲げて戻ってきた。
白を基調に、紫のラインが入ったノースリーブ。
手に取ってみる。
生地は薄く、背中は通気性を重視した作りになっている。肩周りの縫製も腕振りを邪魔しにくそうだ。
「いいんじゃないか」
「早っ。もっとこう……似合うとかないの?」
「似合うんじゃないか?」
「今付け足したでしょ」
機能面では何の問題もないのに、何が不満なのか分からない。
ハルへ目を向けると、こちらはこちらで二着のウェアを抱え、ラックの前で固まっていた。
「ハルは?」
「どっちにしようかなって」
「好きな方でいいだろ」
「黒瀬トレーナーに聞いた私が馬鹿でした」
酷い言われようだ。突き出された二着の違いが分からなかっただけなのに。
「トレーニングウェアだぞ? 身体に合ってて、動きやすければ――」
「――相変わらずね」
いいだろ――そう続けようとすると、背後から聞き覚えのある声がした。
振り返る。
栗色の髪を揺らしながら、こちらへ歩いてくるウマ娘がいた。その隣には、桃色の髪をした小柄なウマ娘もいる。
「久しぶりね。燐」
「キング?」
キングヘイロー。
同じ学園にいる以上、姿を見かけたことは何度もある。ただ、こうして話すのは随分久しぶりだった。
「なぜ私に挨拶に来ないのかしら?」
「言うとしても逆だろ逆」
昔からこういう奴だった。
俺たちの親同士には付き合いがあり、その縁で子供の頃から何度か顔を合わせている。年齢も離れているし、幼馴染と呼ぶような間柄ではないが、今さら他人行儀に接する仲でもない。
「……あら?」
キングの視線が俺の横へ移った。
「リーベ?」
「キングちゃん!」
リーベの顔がぱっと明るくなる。
「久しぶり!」
「本当に久しぶりね。最後に会ったの、いつだったかしら」
「三年前くらい?」
「もっと前でしょう」
「そうだっけ?」
「あなた、昔からその辺は適当ね」
リーベは長い間、病院で過ごしていた。
だから家同士に付き合いがあっても、キングと顔を合わせた回数は俺ほど多くない。それでも何度か会ったことはあるし、互いに覚えている程度には縁があった。
キングが改めてリーベを見る。
「それにしても……随分元気そうじゃない」
「元気だよ!」
それを証明するように、リーベが両腕を広げた。
キングは呆れたような表情を浮かべながらも、ほんの少しだけ目元を緩める。
「そうみたいね」
「というか、キングちゃんもトレセンだったんだね」
「今更!? 忘れないでもらえるかしら!?」
流石のキングも声を上げた。その横で、桃色の髪のウマ娘が楽しそうに笑っている。
「キングちゃんのお友達?」
「昔からの知り合いよ。こちらはハルウララさん」
「ハルウララでーす! よろしくね!」
明るい声と一緒に笑顔を向けられ、ハルが少し遅れて頭を下げる。
「えっ! 私もハルノオトっていうの! おそろいだね」
「おそろいだぁ!」
ウララが嬉しそうにハルと握手する。
「じゃあハルちゃんが二人だね!」
騒ぐリーベたち。キングはそんな俺たちを一度見回すと、リーベの手元へ視線を落とした。
「それで、何をしていたの?」
「新しいトレーニングウェア選んでるの。これどう?」
「私に聞くの?」
「兄さんが全然参考にならないから」
「おい」
キングが俺を一瞥した。
そして、何故か納得したようにため息を吐く。
「でしょうね」
「なんで即答なんだよ」
「昔から服に無頓着だったじゃない」
「着られたら十分だろ」
「ほら。やっぱり。どうしてあの環境でこんな人に育ったのかしら」
何が「ほら」なんだ。失敬な。
「貸してみなさい」
キングがリーベからウェアを受け取る。
生地を指先で確かめ、縫い目へ視線を走らせる。それから少し離れ、リーベ本人と見比べた。
「悪くないわね」
「ほんと?」
「白が多いから、あなたの髪も映えるわ。全部紫にするより、こっちの方が軽く見えるもの。肩周りも問題なさそうね」
「説得力が全然違う」
解せない。
「燐は機能しか見ていないのでしょう?」
「トレーニングウェアなんて機能重視が一番だろう」
「機能が大事なのは当然よ。でも、着る本人に似合っているかまで考えてこそ一流でしょう?」
キングが胸を張る。その横でウララが嬉しそうに頷いていた。
「キングちゃん、服選ぶのすっごく上手なんだよ! いつもウララの服選んでくれるの!」
「ウララさんは、もう少し自分で選べるようになりなさい」
「えへへ」
ウララは怒られているのに、まるで堪えていない。もっとも、キングも本気で怒っているわけではないが。
「じゃあキングちゃん、こっちは?」
味方を得たリーベが別のウェアを持ってくる。
「却下」
「早い!」
「腰の飾りが邪魔でしょう! というか、それはトレーニングウェアではないわ!!」
リーベが持ってきたのは、カーニバルで着るようなふざけた服。キングに甘えてふざけているのだろうか……本気だったら怖いところだ。
その後は、完全にキング主導になった。
リーベは首根っこを掴まれるように試着室へ連れていかれ、ハルも両手に持っていた二着を両方試すことになった。
……いつの間にキングが引率役になったんだ。
出てきたハルが選んだのは、生成りに近い白を基調としたシンプルなウェアだった。
「ハルちゃん似合う!」
リーベが真っ先に声を上げる。
「ほんと?」
「うん!」
キングは少しだけ考え、鏡越しにハルを見る。
「あなたは、こういうシンプルなデザインが好きなの?」
「好きというか……なんとなく、この方が落ち着くかなって」
「そう」
キングは一度頷いた。
「なら、それでいいんじゃない」
「もっと何か言われるかと思いました」
「本人が気に入っているものを無理に変える必要はないでしょう?」
そこで一度言葉を切る。
「ただ、目立たないために地味なものを選ぶのはやめなさい」
「……え?」
「似合うものを選ぶことと、自分を小さく見せることは別よ」
ハルが鏡の中の自分を見る。
少しだけ考えてから、小さく頷いた。
「……はい」
その返事に、キングも満足そうだった。
俺には、その言葉が何を意味するのかさっぱり分からなかった。
♦︎
ここまでは、まだ予定通りだった。問題は店を出てからだ。
「せっかくだし、こっちも見ようよ!」
リーベが隣の洋服店を指差した。案の定の提案に、俺は天を仰ぐ。
「今日はトレーニングウェアを買いに来たんだよな?」
「見るだけ!」
「…………その言葉、信用ないからな」
――五分後。
リーベは両腕いっぱいに服を抱えて試着室へ消えていた。
俺は何も言わなかった。言っても無駄だと悟ったからだ。
そして何故か、キングまで完全に乗り気だった。
「それは違うわ。こっちにしなさい」
「えー、こっち可愛いよ?」
「可愛いだけで選ばない!」
「じゃあこっち!」
「……それは悪くないわね」
リーベだけで終わるはずもない。
ハルは最初こそ「私は大丈夫です」と遠慮していたが、リーベとキングに両側から服を押しつけられ、気づけば試着室へ連れていかれていた。
ウララに至っては誰かに勧められる必要すらない。
「あっ、これかわいい!」
「ウララさん、それは――」
「こっちも!」
「待ちなさい!」
一軒で終わるはずだった買い物は、二軒、三軒と増えていった。
普段着を見て。
帽子を被って。
靴屋を覗いて。
ウララが雑貨屋で立ち止まれば全員で入り、リーベが小物を見つければまた寄り道する。
途中から俺は、買い物に来たというより荷物持ちとして参加している気分になっていた。
さらに納得がいかないことに――。
「燐、次はあなたよ」
「なんで?」
「その服、いつ買ったの?」
「覚えてない」
「でしょうね」
俺まで服屋へ引きずり込まれた。
「別に困ってないぞ」
「一緒に歩く側が困るのよ」
「そこまで酷くないだろ」
「リーベ、これ持って」
「はーい」
「話を聞け」
シャツを押しつけられ、その次はパンツ。
試着室から出れば、四人揃ってこちらを眺めている。
「いいじゃん、兄さん!」
「黒瀬トレーナー、そっちの方が若く見えます」
「俺、まだ二十二なんだけど」
「お兄さん、カッコいい!」
「…………ウララだけだよ、優しいのは」
「丈はこっちの方が合うわね」
まるで着せ替え人形かのように扱われているうちに、空はすっかり暗く染まっていた。
「……なんでこうなった」
商店街のベンチへ腰を下ろす。
両腕には紙袋。
足元にも紙袋。
途中から何軒回ったのか数えるのをやめた。
最初はリーベのトレーニングウェアを買いに来ただけだったはずなのに、普段着だの靴だの小物だのと、随分な大荷物になっている。
「兄さん、ありがとう!」
当のリーベは満面の笑みだった。ハルは自分の袋を抱えながら、申し訳なさそうにこちらを見る。
「私の分まで、本当にいいんですか?」
「もう払った後なんだから気にするな」
「でも……」
流石にこの状況で、自分で払えとは言いにくかった。それだけだ。
「燐。言っておくけれど、私の分は後で返すわよ」
「別にいいって」
「よくないわ」
「今日ずっと服選んでもらったし、見立て料ってことで」
「私の一流のセンスが、その程度だと?」
「じゃあ無料で頼む」
「そういう話ではないでしょう!」
どっちなんだ。
「黒瀬トレーナー、お金……大丈夫なんですか?」
ハルがまだ心配そうにしている。
「問題ないよ」
趣味らしい趣味もない。
酒も付き合い程度だし、高い車や時計にも興味はない。何かを集めているわけでもなく、休日に金を使うこともほとんどなかった。
トレーナーとして働き始めてからの給料も、生活費を除けば大半がそのまま残っている。
使う機会がなかったと言った方が正しい。だから、これくらいなら困らない。
ただし。
「問題なのは、なぜ俺が全部持っているのかってとこだ」
両腕の紙袋を持ち上げる。少しぐらいは持ってくれてもいいだろう。手に紙袋の紐が食い込んで痛かった。
「一流の紳士なら当然でしょう」
キングが満足そうに笑う。当たり前のように断言する姿に、俺は文句を言えなかった。
その時、ウララの耳がぴんと立った。
「あっ! クレープ!」
嫌な予感がした。
「食べたい!」
「私も!」
リーベが即座に乗る。
「夕飯前だぞ」
「いっぱい歩いたからお腹空いた!」
「買い物しただけだろ」
「買い物だって疲れるもん!」
ハルまで店先のメニューへ視線を向けている。
「……ハル」
「ちょっとだけなら」
「裏切ったな」
「すみません」
全く悪びれていない。
「三対一!」
リーベが勝ち誇る。
「キングは?」
「私は別に――」
「キングちゃん、さっきからイチゴのやつ見てるよ?」
「ウララさん!」
四対一。
勝てるわけがない。
「……好きにしろ」
「やったー!」
リーベとウララの声が綺麗に重なった。
三人がクレープ屋へ向かっていく。
俺も紙袋を抱え直して立ち上がろうとした時、キングが隣で小さく息を吐いた。
「随分と……元気になったのね」
「……リーベか」
少し先では、ウララと並んでメニューを覗き込みながら、リーベが楽しそうに何か話している。
「昔会った時は、大体あの子はベッドの上だったものね」
「そうだな」
今では一日中商店街を歩き回り、服を試して、友達と騒いで、それでもまだクレープを食べる元気が残っている。
「今なんて、止めても走ろうとする」
「見れば分かるわ」
キングの口元が僅かに緩んだ。
「ご両親も、今のあの子を見たら喜ぶでしょうね」
「そうだな……」
そこで話は終わった。
「兄さーん! 何味にするー?」
向こうからリーベの声が飛んでくる。
「俺はいらない!」
「じゃあ勝手に決めるねー!」
「なんでそうなる!」
笑い声が返ってきた。
今日買いに来たのは、ただのトレーニングウェアだったはずだ。それが気づけば、とんでもない大荷物になっている。
まあ――悪くない。こういう無駄遣いなら、たまにはいいだろう。
紙袋を抱え直し、四人の後を追う。
夜風に揺れた風鈴が、商店街の軒先で涼しげな音を鳴らした。
夏は、もうすぐそこまで来ている。