ガチートな嫁が過保護すぎる死滅回遊   作:くろつ

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ガチートな嫁が過保護すぎる死滅回遊 その3

 

 

東京、新宿。

 

かつて無数の人々で賑わっていたその街は、今や見る影もなかった。

 

崩壊した高層ビル。ひび割れた道路。粉塵に霞む空。そして、街のあちこちに刻み込まれた、常識では説明のつかない破壊の痕跡。

 

その中心で――二つの異常が激突していた。

 

「ははっ! いいね、宿儺! やっぱり君との戦いは最高だ!」

 

白い髪に、目隠しを外した蒼い瞳。

 

現代最強の呪術師、五条悟。

 

対するは、額に刻まれた紋様と四本の腕を持つ、呪いの王。

 

両面宿儺。

 

「ほざけ。まだ余裕があるつもりか、小僧」

 

宿儺の口元が歪む。

 

その手には、呪力が凝縮されていた。

 

二人の間に漂う空気は、もはや人間同士の戦闘という範疇に収まっていない。

 

五条悟の無下限呪術。

 

触れることすら許さない、無限の隔たり。

 

そして宿儺の斬撃。

 

対象を切り裂き、時には世界そのものを断つ、呪いの王の刃。

 

その二つがぶつかり合うたび、新宿の街並みが悲鳴を上げた。

 

「さて、と」

 

五条が軽く首を鳴らす。

 

「そろそろ決めちゃおうか」

 

「それはこちらの台詞だ」

 

宿儺の呪力が膨れ上がる。

 

その瞬間、五条の周囲に凄まじい圧力が走った。

 

互いに一歩も譲らない。

 

誰もが息を呑む、最強同士の決戦。

 

――そのはずだった。

 

「……ん?」

 

五条が、ふと空を見上げた。

 

「何だろう。今、すっごく嫌な感じがしたんだけど」

 

「……?」

 

宿儺もまた、視線をわずかに動かす。

 

呪力の気配ではない。

 

殺気とも違う。

 

もっと根本的な何か。

 

自分たちが立っている世界の外側から、何者かに見下ろされているような感覚。

 

そして。

 

「ギルぅ……もう歩けないよぉ……」

 

「……千璃」

 

戦場から少し離れた道路に、場違いな声が響いた。

 

「お前、先ほども同じことを言っていたぞ」

 

「だってぇ……。もうずっと歩いてるんだよ? 足が疲れちゃった……」

 

「……ふむ」

 

黄金の髪を揺らす少女――戦刃ギルは、隣を歩く夫を見下ろした。

 

白い肌。華奢な体躯。長い睫毛。いかにも儚げな美貌。

 

成人男性であるにもかかわらず、どう見ても美少女にしか見えない青年、戦刃千璃。

 

その千璃が、潤んだ瞳でじっと自分を見上げている。

 

「……仕方のない奴だ」

 

ギルは小さくため息をつくと、何のためらいもなく千璃を抱き上げた。

 

「わっ!? ギ、ギル!?」

 

「騒ぐな。歩けぬというのなら、私が運ぶまでだ」

 

「で、でも、ボク重いよ?」

 

「…………」

 

ギルの足が止まった。

 

ゆっくりと千璃の顔を見つめる。

 

「千璃」

 

「は、はい?」

 

「今、何と言った?」

 

「え? だから、ボク重いんじゃないかなって……」

 

「…………」

 

黄金の瞳が、すっと細められた。

 

「お前は私に、愛する夫一人を抱き上げる程度の力もないと申すのか?」

 

「えっ!? ち、違うよ! そういう意味じゃなくて!」

 

「ならば問題あるまい」

 

「うぅ……」

 

あっさりと押し切られてしまった。

 

ギルは満足げに頷き、千璃を抱き直す。

 

「まったく。お前という奴は、己の価値を理解していなさすぎる」

 

「そんなことないと思うけどなぁ……」

 

「ある。大いにある」

 

断言だった。

 

千璃は苦笑しながら、彼女の肩にそっと頬を寄せた。

 

……やっぱり、ギルは優しい。

 

ちょっと過保護すぎるけれど。

 

「……ところで、ギル」

 

「何だ?」

 

「あっち、すごい音がするね」

 

千璃が指さした先。

 

そこには、崩壊したビル群の向こう側から立ち上る、巨大な粉塵が見えていた。

 

時折、青白い光が瞬く。

 

そして、その直後に地面を震わせるほどの轟音。

 

「……あれも、呪霊なのかな?」

 

「さてな」

 

ギルは興味なさげに視線を向けた。

 

「少なくとも、先ほどまでお前を襲っていた羽虫どもとは違うらしい」

 

「え? そうなの?」

 

「ああ。あれほどの力を持つ者が二人もいるとはな。少々興味深い」

 

彼女の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「……千璃。少しばかり見物していくか?」

 

「うん! ……でも、危なくない?」

 

「私がいる」

 

「そっか!」

 

即答だった。

 

千璃は安心しきった顔で笑う。

 

「じゃあ、見に行こうよ!」

 

「うむ」

 

ギルは軽く頷き、黄金の髪をなびかせながら歩き出した。

 

この時、二人はまだ知らなかった。

 

これから目にする戦いが、この世界における最強同士の決戦であることも。

 

そして、自分たちの介入が、その決戦の行方を根本から変えてしまうことも。

 

* * *

 

「――術式順転『蒼』!」

 

五条の手元に、空間を歪める青い光が生まれた。

 

周囲の瓦礫が引き寄せられ、道路の破片が空中へと浮かび上がる。

 

次の瞬間。

 

「ぐっ……!」

 

宿儺の巨体が、強烈な吸引力によって引き寄せられた。

 

しかし、宿儺はその力に逆らいながら、五条へと手を伸ばす。

 

「小細工を……!」

 

「小細工じゃないよ。僕の術式だ」

 

五条は笑った。

 

「それに、君だって余裕ないでしょ?」

 

「……減らず口を」

 

宿儺の口元が吊り上がる。

 

彼もまた、五条の術式を分析し、対応し続けていた。

 

無下限呪術を突破するための手段。

 

領域展開。

 

反転術式。

 

そして、伏黒恵の術式である十種影法術と、その式神、魔虚羅。

 

宿儺はそれらを駆使しながら、五条の無下限を攻略するための手がかりを探っていた。

 

特に魔虚羅の適応能力は、五条にとって無視できない脅威だった。

 

あらゆる事象に適応していく式神。

 

無下限という絶対的な防御でさえ、適応されれば突破される可能性がある。

 

だからこそ、五条は攻め続けていた。

 

相手に適応の時間を与えないために。

 

「さあ、次はどうする?」

 

五条が構え直す。

 

宿儺の瞳が細まった。

 

その時だった。

 

「……ん?」

 

五条が、もう一度だけ視線を逸らした。

 

遠くから、妙な気配が近づいてくる。

 

呪力とは違う。

 

だが、ただの人間でもない。

 

何より――その気配は、戦場に近づいているというのに、まるでこちらの戦いなど意に介していないようだった。

 

「……宿儺。君、誰か呼んだ?」

 

「戯言を。貴様の知り合いではないのか?」

 

「いやぁ、僕、こんなに目立つ知り合いはいないと思うんだけど」

 

「ならば、貴様の知らぬところで恨みでも買ったのだろう」

 

「ひどくない?」

 

軽口を叩き合いながらも、二人の意識は確実にそちらへ向いていた。

 

そして――

 

「……あ」

 

五条が目を見開いた。

 

「何、あれ」

 

粉塵の向こう側から、黄金の髪を持つ少女が現れた。

 

その腕には、華奢な青年が抱きかかえられている。

 

まるで散歩の途中で公園にでも立ち寄ったかのような、場違いな雰囲気。

 

少女は周囲の惨状を見渡し、少しだけ眉をひそめた。

 

「……ふむ。随分と荒れているな」

 

「ギル、あそこに人がいるよ?」

 

千璃が指さした先には、白髪の青年と、異様な姿をした男がいた。

 

「二人とも、すごく強そうだね」

 

「そうだな」

 

ギルはあっさりと肯定した。

 

そして、千璃を抱いたまま、二人の戦いを眺める。

 

「……だが、片方はともかく、もう片方は少々不愉快な気配を放っている」

 

「え? そうなの?」

 

「ああ。己の力を誇示することに慣れきった、傲慢な獣の気配だ」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

宿儺の眉が、ぴくりと動いた。

 

「……ほう?」

 

低い声が響く。

 

「小娘。今、誰のことを言った?」

 

ギルは宿儺を見た。

 

そして、心底不思議そうに首を傾げる。

 

「何だ。貴様、自覚がなかったのか?」

 

「……!」

 

五条が、思わず口元を押さえた。

 

「ぶっ……!」

 

いや、ちょっと待って。

 

この状況で、その態度?

 

宿儺相手に?

 

しかも、初対面で?

 

「……あははっ! 君、面白いね!」

 

五条は堪えきれずに笑い出した。

 

「宿儺にそんなこと言う人、初めて見たよ!」

 

「五条悟ォ……!」

 

宿儺の額に青筋が浮かぶ。

 

「黙れ。貴様から先に殺してやる」

 

「えー、僕、まだ何もしてないんだけど?」

 

「その口を閉じろ!」

 

怒声が新宿に響き渡った。

 

一方。

 

「……ギル」

 

千璃が、彼女の服の袖をちょんちょんと引っ張った。

 

「ん?」

 

「もしかして、喧嘩になっちゃった?」

 

「既になっているようだな」

 

「えぇ……」

 

千璃は困ったように眉を下げた。

 

「でも、あの人たち、すごく真剣に戦ってたみたいだし……邪魔しちゃ悪いんじゃないかな?」

 

「……千璃」

 

ギルが静かに夫を見つめる。

 

「お前は本当に、他人のことばかり気にするのだな」

 

「だってぇ……」

 

「安心しろ。私は見物に来ただけだ。こちらから手を出すつもりはない」

 

「ほんと?」

 

「ああ」

 

そう答えた直後。

 

宿儺が、苛立ちを隠そうともせずに口を開いた。

 

「……貴様ら。何者だ?」

 

その声に、ギルはようやく宿儺へと向き直った。

 

「何者、か」

 

彼女は少し考えた後、堂々と答えた。

 

「戦刃ギル。こちらは私の夫、戦刃千璃だ」

 

「よ、よろしくね?」

 

千璃がぺこりと頭を下げた。

 

そのあまりにも無防備な様子に、五条は目を瞬かせた。

 

(……え? 夫?)

 

目の前の少女と、抱きかかえられている青年。

 

どう見ても少女の方が年下に見える。

 

いや、そもそも少女の方は、見た目だけなら十代半ばほどにしか見えない。

 

一方の青年は、華奢ではあるものの、成人しているように見える。

 

……いや、待て。

 

そんなことより。

 

(あの人、宿儺の前で普通に自己紹介したんだけど……)

 

五条は、少しだけ真顔になった。

 

そして、六眼で少女を観察する。

 

呪力の流れを探る。

 

術式の有無を確認する。

 

身体の構造、呪力の総量、異常な反応の有無。

 

――だが。

 

(……何だ、これ?)

 

わからない。

 

いや、正確には、理解できる情報が少なすぎる。

 

少女からは、五条が知る呪術師とはまったく異なる、異質な力の気配が感じられた。

 

呪力のようでいて、呪力ではない。

 

術式のようでいて、術式とも違う。

 

それでいて、彼女が纏う存在感は、決して無視できるものではなかった。

 

(……少なくとも、普通の人間じゃない)

 

五条は笑みを保ったまま、警戒を強めた。

 

一方の宿儺は、もっと単純だった。

 

「……くだらん」

 

彼は吐き捨てるように言った。

 

「戦場にのこのこと現れ、名乗りを上げるとは。死にたいのなら、まとめて相手をしてやる」

 

千璃が、びくっと肩を震わせた。

 

「ひゃっ……!」

 

その反応を見た瞬間。

 

ギルの表情から、すべての温度が消えた。

 

「……今、何と言った?」

 

「聞こえなかったか?」

 

宿儺が笑う。

 

「その女を抱えて、さっさと失せろ。さもなくば、貴様らもまとめて斬り刻んでやる」

 

「……ギル」

 

千璃が、不安そうに彼女を見上げた。

 

「だ、大丈夫だよ。ボクは平気だから……」

 

「…………」

 

ギルは千璃を見つめた。

 

そして、そっと彼の頭を撫でる。

 

「そうか。お前は平気なのだな」

 

「う、うん……」

 

「ならば、問題はない」

 

ギルは千璃を安全な瓦礫の陰へと移動させ、黄金の光で周囲を覆った。

 

「ここで待っていろ。すぐに終わらせる」

 

「えっ? ギル?」

 

「心配するな。お前に傷一つつけさせん」

 

その声は優しかった。

 

けれど、振り返った彼女の顔には――絶対零度の怒りが浮かんでいた。

 

「……貴様」

 

ギルの背後に、黄金の波紋が広がる。

 

一つ。

 

十。

 

百。

 

空間を埋め尽くすほどの黄金の門が、次々と開いていく。

 

その奥に並ぶのは、神代の武具。

 

英雄たちの伝説を形にした、数えきれないほどの宝具。

 

「我が夫を脅したな?」

 

宿儺は笑った。

 

「それがどうした?」

 

「……そうか」

 

ギルもまた、微笑んだ。

 

「ならば、死ぬ覚悟はできているということだな」

 

* * *

 

「……へえ」

 

五条悟は、思わず感嘆の声を漏らした。

 

少女の背後に広がる黄金の門。

 

その光景は、呪術師である彼の常識から大きく逸脱していた。

 

あれほどの数の武器を、いったいどこに収納していたのか。

 

いや、そもそも――どうやって空間に出現させている?

 

術式による空間収納?

 

結界術?

 

それとも、未知の術式?

 

六眼をもってしても、簡単には答えが出ない。

 

「……宿儺」

 

五条が、珍しく真剣な声で呼びかけた。

 

「ちょっと待った方がいいかもよ」

 

「……何?」

 

「いや、だってさ。あれ、君が思ってるよりずっとヤバそうじゃない?」

 

「……」

 

宿儺はギルを見つめた。

 

彼の中に、警戒が生まれていた。

 

黄金の門そのものは、術式による攻撃に似ている。

 

だが、そこから感じられる力は、呪力とは異なる。

 

何より、あの少女の態度。

 

彼女は自分を恐れていない。

 

それどころか、こちらを敵と認識した瞬間から、すでに勝敗が決まっているかのような顔をしていた。

 

「……面白い」

 

宿儺の口元が歪む。

 

「ならば、その力を見せてみろ」

 

ギルは答えなかった。

 

ただ、指先をわずかに動かす。

 

次の瞬間。

 

無数の宝具が、一斉に射出された。

 

「――ッ!」

 

宿儺の反応は速かった。

 

彼は即座に身を翻し、飛来する武具の軌道を見極める。

 

しかし、その数が尋常ではない。

 

剣。

 

槍。

 

斧。

 

弓矢。

 

形状も性質も異なる無数の武具が、四方八方から宿儺へと襲いかかった。

 

ドドドドドドドドッ!!

 

新宿の空が黄金に染まる。

 

宿儺は呪力を練り上げ、迫り来る宝具を迎撃する。

 

「くだらん!」

 

斬撃が走る。

 

飛来する武具のいくつかが、空中で切断された。

 

だが――すべてではない。

 

一つを斬れば、次の一つが迫る。

 

二つを弾けば、三つが死角から飛来する。

 

攻撃の間隔が短すぎる。

 

しかも、それぞれの武具が異なる軌道と速度で飛んでくるため、対処が極めて困難だった。

 

「……チッ!」

 

宿儺が後方へ跳ぶ。

 

その足元に、巨大な槍が突き刺さった。

 

爆音。

 

衝撃波。

 

地面が大きく陥没する。

 

「……ははっ」

 

五条は、思わず笑みを浮かべた。

 

「すごいね、これ。あれだけの攻撃を、全部別々に制御してるの?」

 

だが、その笑みはすぐに消えた。

 

(……いや、違う)

 

五条の六眼が、黄金の門を捉える。

 

(あれだけの数を操ってるだけじゃない。そもそも、武器そのものが一つ一つ、異常な力を持ってる……?)

 

単なる武器ではない。

 

それぞれが、独立した脅威。

 

そして、そのすべてを一人の少女が自在に扱っている。

 

「……君、本当に何者?」

 

五条の呟きは、轟音にかき消された。

 

一方の宿儺は、飛来する宝具を捌きながら、ようやく気づいていた。

 

この攻撃は、単なる物量による圧殺ではない。

 

自分の動きを制限し、回避先を潰し、徐々に追い詰めるためのものだ。

 

しかも、あの少女は――ほとんど動いていない。

 

「……なるほど」

 

宿儺が笑った。

 

「武器を飛ばすだけの術式ではないらしいな」

 

ギルは、冷ややかに見下ろした。

 

「ほう。まだ口が利けるか」

 

「当然だ。これしきで、この両面宿儺が倒れると思ったか?」

 

「……両面宿儺?」

 

ギルが、初めて聞く名を口にする。

 

「それが貴様の名か」

 

「そうだ」

 

「なるほど。覚えておこう」

 

ギルは頷いた。

 

「――貴様を殺した者の名としてな」

 

「言ってくれる!」

 

宿儺が地面を蹴った。

 

一瞬で距離を詰め、ギルへと迫る。

 

その手には、目に見えぬ斬撃が宿っていた。

 

通常の斬撃。

 

対象の強度や呪力に応じて切断する「解」。

 

そして、領域を展開せずとも放つことのできる、宿儺の恐るべき斬撃。

 

だが――

 

「遅い」

 

ギルの声が響いた。

 

黄金の門から、一本の剣が飛び出す。

 

宿儺は即座に身を捻った。

 

剣先が頬を掠める。

 

その瞬間、彼は理解した。

 

今の一撃は、自分の動きを完全に読んでいた。

 

「……ッ!」

 

宿儺が距離を取る。

 

ギルは、まるで退屈な舞踏でも眺めるように彼を見つめていた。

 

「なるほど。貴様、多少は動けるようだな」

 

「……小娘が」

 

宿儺の笑みが消えた。

 

「調子に乗るなよ」

 

呪力が膨れ上がる。

 

空気が震える。

 

その瞬間、五条が声を上げた。

 

「ちょっとちょっと! 待って待って!」

 

ギルと宿儺の視線が、同時に五条へ向いた。

 

「何だ、白いの」

 

「白いのって……いや、僕、五条悟っていうんだけど?」

 

「そうか。覚えておこう」

 

「いや、だからさ!」

 

五条は額に手を当てた。

 

「君たち、僕の戦いの途中なんだけど!?」

 

「……む?」

 

ギルが、きょとんとした。

 

「そうだったのか?」

 

「そうだよ!」

 

「……ふむ」

 

ギルは少しだけ考えた。

 

そして、実にあっさりと言った。

 

「ならば、すまなかったな。少々邪魔をした」

 

「えっ、謝ってくれるんだ!?」

 

五条が目を丸くする。

 

「意外と話が通じる……!」

 

「だが」

 

ギルは宿儺へと視線を戻した。

 

「この男は、我が夫を脅した」

 

「……うん?」

 

「ゆえに、私が始末する」

 

「いやいやいや! そこは僕がやるところなんだけど!?」

 

「何故だ?」

 

「何故って……!」

 

五条は言葉に詰まった。

 

確かに、宿儺は自分が倒すべき相手だ。

 

だが、目の前の少女の態度には、まるで譲歩の余地がない。

 

「……君、もしかして宿儺を倒すつもり?」

 

「そのつもりだが」

 

「僕の代わりに?」

 

「代わり?」

 

ギルは首を傾げた。

 

「何を言っている。私は貴様のために戦っているわけではないぞ」

 

「……あ、そう」

 

五条は乾いた笑みを浮かべた。

 

(……この子、マジだ)

 

そして、少し離れた場所。

 

黄金の結界に守られた千璃は、二人のやり取りを眺めながら、困ったように頬を掻いていた。

 

「……ギル、怒ってるなぁ」

 

自分のために怒ってくれることは嬉しい。

 

けれど、あまりにも本気すぎる。

 

「……あの人、ちゃんと謝ってくれたらいいんだけど」

 

千璃の呟きは、誰にも届かなかった。

 

* * *

 

「……もういい」

 

宿儺が低く呟いた。

 

その声には、先ほどまでの余裕がなかった。

 

黄金の武具による攻撃。

 

それは、ただの物量ではない。

 

一撃一撃が重く、しかも回避先を正確に潰してくる。

 

何より、あの少女の動きに無駄がない。

 

自分が攻撃を仕掛けようとすれば、即座に迎撃が飛んでくる。

 

距離を取れば、さらに大量の武具が降り注ぐ。

 

ならば――

 

「貴様がどれほどの力を持とうと、斬れば終わりだ」

 

宿儺の手が、ゆっくりと構えられた。

 

空気が変わった。

 

五条の表情が引き締まる。

 

「……宿儺?」

 

彼は知っている。

 

宿儺の斬撃が、単なる物理的な刃ではないことを。

 

そして、その中には――無下限呪術を突破するための、極めて危険な一撃が存在することを。

 

宿儺の視線が、ギルを捉えた。

 

「斬れろ」

 

目に見えぬ斬撃が放たれる。

 

だが。

 

「……ふむ」

 

ギルは、動かなかった。

 

斬撃が彼女へと迫る。

 

その瞬間。

 

ギィィィィンッ!!

 

甲高い音が、新宿に響き渡った。

 

宿儺の斬撃は、ギルの身体へ届くことなく、黄金の光に弾かれていた。

 

「……何?」

 

宿儺が目を見開く。

 

ギルの周囲には、いつの間にか黄金の防壁が展開されていた。

 

「……今のは、なかなか鋭い一撃だったな」

 

ギルは、感心したように頷いた。

 

「なるほど。空間そのものを断つ類いの攻撃か。確かに、通常の防御では厄介だろう」

 

五条が息を呑む。

 

(……今の、宿儺の斬撃を防いだ?)

 

それも、単なる防御ではない。

 

あの少女は、斬撃の性質を見極めたうえで、対応しているように見えた。

 

「……君、今の何?」

 

五条が尋ねる。

 

「何とは?」

 

「いや、どうやって防いだの?」

 

「防いだだけだが?」

 

「……そういう問題じゃないんだけどなぁ!」

 

五条は思わず叫んだ。

 

だが、ギルはもう五条を見ていなかった。

 

彼女の視線は、宿儺へと固定されている。

 

「……貴様」

 

ギルの声が、低く響く。

 

「我が夫を脅し、なおも私に刃を向けるか」

 

宿儺は笑った。

 

「当然だ。俺は、目の前の敵を殺す。それだけのことよ」

 

「……そうか」

 

ギルの表情が、完全に無へと変わった。

 

黄金の門が、次々と閉じていく。

 

無数の宝具が消えた。

 

その光景に、五条は目を瞬かせた。

 

「……え?」

 

攻撃をやめた?

 

いや、違う。

 

空気が変わった。

 

これまでの黄金の武具による攻撃とは、明らかに異なる何かが始まろうとしている。

 

ギルは、ゆっくりと右手を掲げた。

 

その手元に、黄金の光が集まる。

 

空間が軋む。

 

世界そのものが、何かに怯えているかのように震え始めた。

 

「……久方ぶりに、使うとするか」

 

ギルの声は、静かだった。

 

「乖離剣――エア」

 

その名が告げられた瞬間。

 

世界が、軋んだ。

 

黄金の光の中から現れたのは、剣と呼ぶにはあまりにも異質な武器。

 

刀身は三つの円筒状の構造が連なったような形状をしており、それぞれが独立して回転するかのような、不気味な存在感を放っていた。

 

刃という概念からさえ逸脱した、神代の武具。

 

世界の始まり、その創世の記憶に連なる力を秘めた、乖離剣エア。

 

ギルガメッシュの持つ宝具の中でも、特別な意味を持つ一振り。

 

五条は、思わず息を呑んだ。

 

(……何だよ、あれ)

 

六眼が、異常を告げていた。

 

呪力ではない。

 

術式でもない。

 

それなのに、目の前の武器から放たれる気配は、周囲の空間そのものに影響を与えている。

 

まるで、この世界の根幹に触れるような――そんな、理屈を超えた力。

 

「……面白い」

 

宿儺が笑った。

 

だが、その笑みには、明らかな警戒が混じっていた。

 

「その剣……ただの武器ではないな」

 

「当然だ」

 

ギルはエアを構えた。

 

「これは、貴様らが知る武器の概念に収まるものではない」

 

刀身が回転を始める。

 

低い唸りが響き、周囲の空気が激しく震えた。

 

「これは、世界を切り分けるための剣」

 

黄金の光が、周囲を包み込む。

 

「せいぜい足掻け、雑種⋯」

 

ギルの真紅の瞳が、宿儺を捉えた。

 

「一掃せよ、エア」

 

次の瞬間。

 

世界が、裂けた。

 

***

 

それは、爆発という言葉では表現できなかった。

 

空間そのものが捻じれ、三つの円筒が回転するたびに、周囲の景色が歪んでいく。

 

地面が割れる。

 

空気が引き裂かれる。

 

瓦礫が粉々に砕け散り、巨大な建物の残骸が、まるで紙切れのように吹き飛ばされた。

 

そして――黄金の暴風が、宿儺へと襲いかかった。

 

「……ッ!!」

 

宿儺は即座に反応した。

 

呪力を最大限まで高め、迫り来る力に対抗する。

 

だが、エアが放つ力は、単純な斬撃ではない。

 

空間を断つ斬撃とも違う。

 

世界の構造そのものを揺さぶり、対象をその奔流に巻き込む、圧倒的な破壊の嵐。

 

宿儺は腕を交差させ、衝撃を受け止めようとした。

 

「ぐっ……おおおおおおッ!!」

 

轟音。

 

衝撃。

 

黄金の光。

 

宿儺の身体が、地面を削りながら後方へと吹き飛ばされる。

 

道路が陥没し、巨大な瓦礫が宙を舞った。

 

そのまま宿儺は、崩壊した建物の残骸へと叩きつけられた。

 

――沈黙。

 

数秒間、新宿には何の音も響かなかった。

 

やがて、粉塵の向こうから、ゆっくりと影が動いた。

 

「……くくっ」

 

宿儺だった。

 

身体のあちこちに傷を負いながらも、彼は立ち上がっていた。

 

その口元から、血が滴る。

 

だが、彼は笑っていた。

 

「……ははっ。なるほど。これほどの力か」

 

ギルは、エアを下ろした。

 

「ほう。まだ立つか」

 

「当然だ……!」

 

宿儺の瞳が、ぎらりと輝く。

 

「この程度で、俺が倒れると思うなよ!」

 

その言葉に、ギルは小さく息を吐いた。

 

「……しぶといな」

 

五条は、呆然と二人を見つめていた。

 

(……ちょっと待って)

 

彼は、自分の頬をつねった。

 

痛い。

 

夢ではない。

 

(今の、何?)

 

宿儺が吹き飛ばされた。

 

あの両面宿儺が。

 

しかも、相手は呪術師ですらない可能性が高い少女。

 

「……はは」

 

五条は乾いた笑いを漏らした。

 

「いやぁ……参ったな。僕、今日すごいものを見てる気がする」

 

だが、次の瞬間。

 

ギルが、ふと千璃の方を振り返った。

 

「千璃。無事か?」

 

「う、うん! 大丈夫だよ!」

 

黄金の結界の中から、千璃が大きく手を振る。

 

「すごかったよ、ギル! でも……ちょっとだけ、街が壊れちゃったね?」

 

「…………」

 

ギルの動きが止まった。

 

五条も、宿儺も、思わず彼女を見た。

 

「……ふむ」

 

ギルは、ゆっくりと周囲を見渡した。

 

崩壊した道路。

 

吹き飛んだビルの残骸。

 

粉々になったガラス。

 

そして、エアの一撃によって生じた、巨大な破壊の痕跡。

 

「……確かに」

 

ギルは真面目な顔で頷いた。

 

「少々、加減を誤ったか」

 

「少々!?」

 

五条が叫んだ。

 

「いやいやいや! 少々ってレベルじゃないでしょ!? 今の一撃で新宿がどれだけ吹っ飛んだと思ってるの!?」

 

「……何だ、白いの。騒がしいぞ」

 

「白いのじゃなくて五条悟!」

 

「そうだったな」

 

「絶対覚えてないでしょ、君!?」

 

千璃は、そんな二人のやり取りを見て、くすくすと笑った。

 

「ふふっ。ギル、五条さんと仲良くなれそうだね」

 

「……そうか?」

 

「うん!」

 

「……ならば、そういうことにしておこう」

 

ギルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

その表情は、先ほどまで宿儺に向けていた冷酷なものとはまるで違う。

 

五条は、その変化を見逃さなかった。

 

(……ああ、なるほど)

 

彼は、ようやく理解した。

 

この少女は、誰に対してもあのような態度を取るわけではない。

 

あの青年――千璃に対してだけ、明らかに態度が違う。

 

まるで、彼だけが世界の中心であるかのように。

 

(……あの子が、この人の大事な人ってわけか)

 

五条の表情が、少しだけ真剣になる。

 

そして、その視線の先。

 

瓦礫の中から、宿儺がゆっくりと立ち上がった。

 

「……いいだろう」

 

宿儺の声が響く。

 

「貴様が何者であろうと、関係ない。俺の前に立つ者は、すべて斬り伏せる」

 

ギルは、静かにエアを構え直した。

 

「……そうか」

 

彼女の瞳に、再び冷たい光が宿る。

 

「ならば、もう一度教えてやろう」

 

黄金の門が、空間を埋め尽くす。

 

「王に逆らうということが、いかなる意味を持つのかをな」

 

その瞬間。

 

「――待った」

 

五条悟が、二人の間に割って入った。

 

「はい、ストップ! ちょっと待とうか!」

 

ギルが、露骨に眉をひそめる。

 

「……何だ、五条悟」

 

「おっ、名前覚えてくれてたんだ。嬉しいなぁ」

 

「次に邪魔をすれば、貴様も撃つ」

 

「怖っ! いや、怖いって!」

 

五条は両手を上げた。

 

「でもさ、君。宿儺を倒すつもりなんでしょ?」

 

「そのつもりだ」

 

「なら、ちょっと話をしようよ。君の力、僕も知っておきたいし」

 

「……何故だ?」

 

「何故って……」

 

五条は、ちらりと宿儺を見る。

 

そして、真剣な声で言った。

 

「こいつは、ただ強いだけの敵じゃない。油断すれば、君だって危ないかもしれないからね」

 

ギルは、数秒ほど五条を見つめた。

 

やがて。

 

「……ふむ」

 

小さく頷いた。

 

「貴様、思ったよりは話がわかるようだな」

 

「それ、褒めてる?」

 

「さあな」

 

「絶対褒めてないでしょ!」

 

千璃が、楽しそうに笑った。

 

「ふふっ……」

 

その笑い声を聞いた瞬間、ギルの表情が一瞬だけ柔らかくなる。

 

そして、彼女は静かに宣言した。

 

「よかろう。少しだけ話を聞いてやる」

 

黄金の門が、ゆっくりと閉じていく。

 

「だが、勘違いするな。私は貴様らの事情など知らぬし、興味もない」

 

ギルは、宿儺を見据えた。

 

「ただし――」

 

その瞳に、王者の威厳が宿る。

 

「我が夫に害をなす者は、何人たりとも許さぬ」

 

その言葉に、五条は小さく息を吐いた。

 

宿儺は笑った。

 

そして、千璃は。

 

「……ギル、かっこいいなぁ」

 

と、心の底から嬉しそうに呟いた。

 

――こうして。

 

五条悟と両面宿儺の決戦は、予想もしなかった第三者の介入によって、新たな局面を迎えることとなった。

 

呪術の理を超えた、黄金の王。

 

その隣に立つ、彼女が何よりも愛する夫。

 

そして、呪いの王と、現代最強の呪術師。

 

三つの異なる力が交錯する新宿で、戦いの行方は、誰にも予測できなくなっていた。

 

* * *

 

「……ところで、ギル」

 

千璃が、彼女の服の袖を引いた。

 

「ん?」

 

「さっきの剣、すごかったね。あれって、いつもの宝物庫の武器とは違うの?」

 

「ああ。あれは乖離剣エア。私の所有する宝具の中でも、特別な一振りだ」

 

「へぇ……」

 

千璃は目を輝かせた。

 

「じゃあ、あれって、すごく大事な剣なんだね!」

 

「当然だ。あれは天地の始まりに連なる力を秘めた剣。そう易々と振るうものではない」

 

「そっかぁ……」

 

千璃は、ふと周囲を見渡した。

 

「……でも、ギル」

 

「何だ?」

 

「やっぱり、ちょっと街が壊れすぎちゃったね……?」

 

「…………」

 

ギルは、今度こそ黙り込んだ。

 

数秒後。

 

「……善処しよう」

 

「えへへ。うん、お願いね?」

 

千璃がにっこりと笑う。

 

ギルは、その笑顔を見つめ、わずかに目を細めた。

 

「……ああ」

 

そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。

 

「お前が望むのならば、世界さえ作り直してみせよう」

 

――その言葉が、冗談ではないことを。

 

この場にいる誰一人として、まだ理解していなかった。

 

黄金の王は、呪術の世界を知らない。

 

そして、呪術の世界もまた、黄金の王を知らない。

 

だからこそ。

 

この出会いは、これから起こるすべての運命を、大きく変えていくことになるのだった。

 

 

 

 

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