カンムリ雪原から帰ってきた。
長かったようで短かった家族旅行。
おばあちゃんにも会えたし、美味しいご飯も食べたし、珍しいポケモンもたくさん見られた。
実に充実した休暇だったと言えるだろう。
ただし、一つだけ予定と違うことがある。
それは、行きより帰りのほうが、ポケモンが二匹増えていることである。
色違いフェローチェ。
色違いシズクモ。
しかも、前者はウルトラボール、後者はマスターボール入り。
……我ながら意味がわからない。
六歳児が祖母の家に遊びに行った結果、ウルトラビーストを連れて帰ってくる。
どういう家族旅行だよ、旅行代理店もびっくりだろ。
「リン、荷物は全部持ったか?」
「もった!」
「ボールも?」
「ばっちり!」
「……本当に?」
「パパン、しんようして!」
パパンが苦笑する。
ちなみに、ママンは少し離れた場所で俺たちを眺めていた。
あの表情、知っているぞ。
ヨロイ島から帰ってきたときにも見たやつだ。
ただし今回は、別に隠し事をしているわけではない。
フェローチェを保護したことも。
シズクモを捕まえたことも。
マスターボールを使ったことも。
全部知っている。
なんならマスボについては、おばあちゃんの家で一度説教されている。
……そう、すでに取り調べは終了しているのである。
無罪放免とは言われてないけど。
♦
「ただいまー!」
久しぶりの我が家。
玄関の扉を開けると、見慣れた景色が広がっていた。
うむ。落ち着く。
やはり自宅はいいものだ。
「イエッサ!」
そこへ、ママンのイエッサンがやってきた。
我が家の頼れるお手伝い担当。
ちなみにオスである。
「イエッサン! ただいま!」
「イエッサ!」
俺の頭を優しく撫でてくれる。
……ああ。
実家の安心感。
最高か?
「ムーちゃんも、おかえり!」
「グソッ!」
ボールから出てきたムーちゃんも、嬉しそうに鳴いた。
その前脚には、小さなシズクモが乗っている。
「シズッ!」
……うむ。
完全にセット販売である。
ムーちゃんを出すと、シズクモがついてくる。
シズクモを呼ぶと、ムーちゃんが迎えにくる。
もはや二匹で一つの生き物なのでは?
「ふふっ。すっかり仲良しね」
ママンも、その様子を見て微笑んでいた。
「そうなんだよ!」
「ムーちゃん、いいお姉さんになったわね」
「グソッ!」
褒められたムーちゃんが、得意げに胸を張る。
その拍子に、前脚のシズクモがころんと転がりかけた。
「シズッ!?」
「グソォッ!?」
「ムーちゃん! おちついて!」
慌てて受け止めるムーちゃん。
……お姉さん。
ちょっと抜けている。
でも、そこがいい。
♦
さて。
問題は、もう一匹である。
「……フェローチェ」
俺は、ウルトラボールを見つめた。
カンムリ雪原で保護した、色違いのウルトラビースト。
体調はずいぶん回復したらしいが、警戒心は相変わらず。
おばあちゃんの家でも、最後まで俺たちと距離を取っていた。
そして今日からは、また新しい環境での生活が始まる。
……大丈夫かな。
「リン、準備できたぞ」
パパンが声をかけてきた。
フェローチェが落ち着けるように、家の一室を使わせてもらうことになっている。
静かで、人の出入りが少ない部屋だ。
調査員さんたちから教わったことを参考に、必要なものも用意した。
もちろん、ママンとパパンの許可を得ている。
「……よし」
俺は扉の前に立った。
「フェローチェ、でておいで!」
光が弾ける。
現れたのは、細長い四肢を持つ美しいポケモン。
色違いフェローチェ。
……何度見てもすごい。
立っているだけで絵になる。
存在そのものが芸術品。
だが。
「……フェロ」
フェローチェは、ゆっくりと周囲を見回した。
壁、天井、窓、家具。
そして、俺。
……目が合った。
「こんにちは!」
すっと視線を逸らされた。
まあ、知ってた。
もはや予定調和。
ここまでくると安心感すらある。
……いや、ないわ。
普通に悲しい。
「ここ、フェローチェのおへやだよ!」
「…………」
「ゆっくりやすんでね!」
返事はない。
その代わり、フェローチェは静かに部屋の中へ歩いていった。
そして。
ぴたり。
動きを止めた。
「……フェロ」
視線の先には、床の隅に落ちた小さな糸くず。
フェローチェは、明らかに嫌そうな顔をしていた。
……マジ?
あんな小さいゴミまで気になるの?
いや、知識としては知っていた。
フェローチェは、汚れを嫌う習性があるとされるポケモンだ。
でも実物を見ると、その徹底ぶりが違う。
潔癖レベル、想像の三倍くらい高いんですが。
「あっ! ごめんね!」
俺が糸くずを拾おうとすると。
シュッ!
フェローチェが部屋の反対側へ移動した。
いや、速い。
速いんだけど。
俺、掃除しようとしただけだよ?
それすら許されないの?
……おれの清潔度、そんなに低い?
♦
「イエッサ!」
困っていると、イエッサンが掃除道具を持って現れた。
床を拭き、家具を整え、細かなゴミまで取り除いていく。
手際がいい。
さすが我が家の家事エース。
「……フェロ?」
フェローチェが、その様子をじっと見つめていた。
イエッサンが床を拭く。
フェローチェが見守る。
イエッサンが棚を整える。
フェローチェが少しだけ首を傾ける。
……おや?
これは。
興味を持っている?
「フェローチェ! イエッサン、すごいでしょ!」
「…………」
返事なし。
しかし、イエッサンの動きは追っている。
……なるほど。
わかってきたぞ。
フェローチェ。
君、清潔な環境が好きなんだな。
……うん。最初から知ってたけど。
ただ、知識として知っていることと、実際にその子が何を気にしているかは別だ。
……今度から、部屋をもっと綺麗にしよう。
「イエッサ!」
「ありがと、イエッサン!」
俺がお礼を言うと、イエッサンが優しく頷いた。
その奥では、フェローチェが壁際に立っている。
近づいてはこない。
でも、先ほどより少しだけ落ち着いたように見えた。
……よし。
初日の目標は、ひとまず達成かな。
♦
その日の夕方。
我が家では、ちょっとした行事が開催されることになった。
題して。
第一回・新しい仲間の命名式!
……いや。
単純に、まだ二匹のニックネームを決めていなかっただけなんですけどね。
「リン、名前は考えたの?」
ママンが尋ねてくる。
「もちろん!」
「まあ、もう決まってるの?」
「ふっふっふ!」
俺は胸を張った。
こういうものは、勢いで決めるべきではない。
その子の姿。
性格。
そして、一緒に過ごして感じたこと。
すべてを考慮したうえで、最高の名前をつける必要がある。
……ちなみに。
昨夜は名前を考えすぎて、ちょっと寝不足です。
六歳児、何してんだ。
「まずは、シズクモ!」
「シズ?」
ムーちゃんの前脚から、小さなシズクモが顔を出した。
水泡をぷるぷると揺らし、こちらを見つめている。
……かわいい。
この子は女の子。
そして、体色がとても綺麗な色違い個体だ。
だから。
「きみのなまえは……しずく!」
「……シズ?」
「しずくちゃん!」
シズクモは、しばらく俺を見つめた。
そして。
「シズッ!」
てちてちてちっ!
勢いよく近づいてきた。
小さな脚で、俺の手をつつく。
「……きにいった?」
「シズッ!」
……おお。
これは完全に気に入ってくれたな!
「よろしくね、しずく!」
「シズッ!」
「グソォッ!」
ムーちゃんも嬉しそうに鳴く。
そのまま、しずくを前脚に乗せて持ち上げた。
……うむ。
命名式、大成功。
「ふふっ。可愛い名前ね」
ママンも笑っている。
「いい名前だな、リン」
パパンも頷いた。
……へへっ。当然である。
前世ではニックネームをつけるだけで一時間悩んだ男だからな。
命名センスには、それなりに自信がある。
……問題は。
もう一匹のほうだ。
♦
「……フェローチェ」
部屋の隅にいるフェローチェへ声をかけた。
名前を呼ばれたことには気づいたらしい。
わずかに顔が動く。
……お。反応した。
それだけで嬉しくなる自分が、少々情けない。
「きみにも、なまえをかんがえたんだ」
「…………」
俺は、少しだけ距離を取ったまま続けた。
「フェリヤ、っていうの!」
フェリヤ。
フェローチェの名前から考えた、俺なりの呼び名だ。
綺麗で。
凛としていて。
少しだけ近寄りがたい。
でも、本当は怖い思いをしてきた子。
そんな彼女に、似合うと思った。
「……フェリヤ!」
呼んでみる。
無反応。
「……どうかな?」
窓の外を見ている。
しずくが即座に喜んでくれたのに対して、こちらは一切動じない。
この温度差。
北海道と沖縄どころの騒ぎではない。
「……リン」
パパンが、小さな声で言った。
「まだ、名前をつけられるのも慣れないんじゃないか?」
「……そっか」
確かに、本人が望んでいるかどうかも、まだわからない。
知らない人間に突然名前をつけられて、困っているのかもしれない。
……だったら。
「……フェリヤ」
俺は、もう一度だけ声をかけた。
「もし、いやだったら、いつかおしえてね」
フェローチェは振り返らなかった。
それでも、俺は続ける。
「それまでは、フェリヤってよばせてね」
返事はない。
ただ、長い触角が、ほんの少しだけ揺れた。
……風かな。
それとも、聞いてくれていたのかな。
今は、どちらでもいい。
「……よろしくね、フェリヤ!」
俺は小さく手を振った。
フェリヤは、相変わらず窓の外を見ている。
……うん。
命名式、片方だけ成功した感がすごい。
でも、悪くない。
少なくとも俺は、この名前を気に入っている。
いつか本人にも気に入ってもらえたら、それで十分だ。
♦
命名式のあと、家族で今後のことを話し合った。
特に重要なのは、フェリヤの扱いである。
カンムリ雪原の調査員さんたちとは、すでに連絡を取り合っている。
帰宅にあたっても、健康状態や周囲の安全を確認し、今後も経過観察を続けることになった。
ただし、それで問題がすべて解決したわけではない。
「リン。フェリヤには、まだ無理をさせちゃ駄目よ」
「うん」
「バトルも、本人が望むまではお休み」
「わかった!」
「それから、もし危ないことがあったら、必ずパパかママを呼ぶこと」
「はい!」
ママンが、真剣な表情で言う。
俺も、しっかり頷いた。
フェリヤは、まだこの世界に慣れていない。
何を怖がるのか。
どんな環境なら安心できるのか。
どんなものを食べるのか。
わからないことばかりだ。
それに、もし元の世界へ帰る方法が見つかったら、そのときはフェリヤ自身がどうしたいのかを考えなければならない。
……正直、ずっと一緒にいたい気持ちはある。
でもそれを決めるのは、俺だけじゃない。
「……ちゃんと、まもるよ」
俺がそう言うと、ママンは優しく笑った。
「ええ。お願いね」
……うん、頑張ろう。
まずは、フェリヤが安心して過ごせる場所を作るところからだ。
♦
翌朝。
ママンは、信じられないものを見た。
「……リン?」
「んー?」
「……何してるの?」
「おそうじ!」
そう、俺は現在、自分の部屋を掃除しているのである。
床に落ちたゴミを拾い。
机を拭き。
散らばった図鑑を本棚へ戻す。
実に健全。
まさに理想的な六歳児である。
「……あなたが?」
「うん!」
「……自分から?」
「そう!」
ママンが、俺の顔をまじまじと見つめた。
……あの、失礼では?
確かに普段は、そこまで積極的に掃除しないけど。
別にできないわけじゃないんだからね?
「……どうしたの? 何かあった?」
「フェリヤのため!」
「……フェリヤ?」
「きれいなおへやがすきみたいだから!」
……そう。
昨日、わかったこと。
フェリヤは、どうやら清潔な環境を好む。
だったら、俺の部屋も綺麗にしておいたほうがいいだろう。
いつか遊びに来てくれるかもしれないし。
そのときにゴミが落ちていたら、嫌われるかもしれない。
……いや、すでに好感度が低い可能性はあるけど。
これ以上下げるわけにはいかない。
俺の好感度管理、ここからが本番なのである。
「……なるほどねぇ」
ママンが、小さく頷いた。
そして。
「じゃあ、普段からやりなさい!」
正論パンチ、やめてね?ママン。
いや、わかる。わかるよ。
確かにその通り。
でもさ、今は息子の成長を褒める場面じゃない?
もうちょっとこう。
「偉いわね、リン!」
とか。
「お掃除できてすごい!」
とか。
そういう言葉を期待していたんですが?
「リン?」
「……はい」
「聞いてる?」
「……きいてます」
……完敗。
やはり我が家の最強トレーナーは、ママンなのかもしれない。
♦
その日の午後。
フェリヤの部屋には、柔らかな日差しが差し込んでいた。
しずくはムーちゃんの前脚でくつろぎ、ムーちゃんはそんな小さな妹分を優しく見守っている。
そしてフェリヤは、少し離れた窓際に立っていた。
相変わらず、距離は縮まっていない。
俺が近づけば離れるし、話しかけても返事はない。
でも、フェリヤは、ここにいる。
少なくとも今は、この家で休むことを選んでくれている。
……それだけで、十分なのかもしれない。
「……フェリヤ」
小さく呼ぶ。
反応はない。
それでも、俺は笑った。
「これから、よろしくね」
ムーちゃんが隣で鳴く。
「グソッ!」
しずくも、水泡を揺らす。
「シズッ!」
フェリヤだけは、窓の外を見つめたまま。
……まあ、これが今の俺たちなんだろう。
最初から仲良しになれる子もいれば、時間が必要な子もいる。
俺は、ようやくその違いを実感し始めていた。
……さて、いつかフェリヤが、名前を呼んだら振り向いてくれる日は来るのだろうか。
できれば、その日までに。
俺の部屋だけじゃなく、俺自身も清潔判定をもらえるようになりたいものです。
……いや、待て。
六歳児がポケモン相手に身だしなみを気にするって、どういう状況?
しかも相手はウルトラビースト。
……我が家の日常、順調におかしな方向へ進んでいる気がする。