八歳になった俺には、最近ちょっとした悩みがある。
それは、我が色違いむし統一パーティーの育成についてだ。
ムーちゃんは順調。
しずくも、まだシズクモのままだが、少しずつ技を覚えている。
新入りのルージュに至っては、毎日元気いっぱい。
元気すぎて、昨日は俺の枕を花粉まみれにしてくれた。
……あいつ、絶対わざとだろ。
まあ、それはいい。
問題は最後の一匹。
フェローチェのフェリヤである。
「フェリヤ! きょう、ちょっとれんしゅうしてみない?」
「…………」
「ムーちゃんといっしょに、かるく!」
「…………」
すっ。
フェリヤは立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。
交渉終了。
早すぎない?
せめて検討くらいしてくれません?
カンムリ雪原で保護してから二年。
今では同じ部屋で過ごせるようになったし、俺が用意した食事も普通に食べてくれる。
名前を呼べば、たまに振り向く。
つまり、少しずつ距離は縮まっている。
……はずなのだが。
バトルの話をすると、決まってこの反応。
完全拒否。
素早さ種族値151を誇るウルトラビーストが、本気で話し合いから逃げている。
これはもう、対戦環境以前の問題である。
「……なぁ、ムーちゃん」
「グソ?」
「おれ、どうしたらいいとおもう?」
ムーちゃんは少し考えたあと、俺の頭を優しく撫でてくれた。
……ありがとう。
でも、慰めじゃなくて解決策が欲しいんだ。
♦
その日、俺はパパンと一緒に、ワイルドエリアの外れへ出かけた。
目的は、ポケモンたちとの軽い実戦練習。
ムーちゃんとルージュは、すっかりやる気満々だ。
しずくも、小さな脚を動かしてついてくる。
そして、珍しいことに。
「……フェリヤ?」
「…………」
フェリヤまで、外へ出てきた。
……え?マジ?
いつもなら留守番を選ぶのに?
「フェリヤも、いく?」
返事はない。
ただ、少し離れた場所に立ったまま、こちらを見ている。
「……リン」
パパンが小声で言った。
「ついてくるのと、練習に参加するのは別だからな?」
「わかってる!」
……もちろん。
無理に戦わせるつもりはない。
ママンとの約束だし、それ以前に本人が嫌がっている。
ただ、少しでもバトルに興味を持ってくれたら嬉しい。
そう思ってしまうのは、トレーナーとして仕方ないだろう。
♦
今日の練習相手は、野生のヤンチャムだった。
「ヤンチャ!」
「グソッ!」
ムーちゃんと向かい合い、元気よく拳を構える。
もちろん、相手が勝負を受けてくれたうえでの練習だ。
パパンも近くで見守ってくれている。
「ムーちゃん! あいてのうごきをよくみて!」
「グソッ!」
ヤンチャムが飛び込む。
ムーちゃんは身体を捻り、その拳を受け流した。
……うん。いい感じ。
相変わらずムーちゃんは怖がりだけど、慌てず相手の動きを見られるようになった。
ヨロイ島での修行は、ちゃんと身になっている。
「いいよ、ムーちゃん!」
「グソッ!」
その様子を、しずくとルージュが見守っている。
ルージュは楽しそうに飛び回り、しずくはムーちゃんを応援するように水泡を揺らしていた。
そして、フェリヤは。
「…………」
少し離れた岩の上に立っていた。
興味があるのか、それとも単に周囲を警戒しているだけなのか。
相変わらず、表情からは読み取れない。
……でも。
今日は最後まで見てくれている。
それが、少し嬉しかった。
♦
事故が起きたのは、練習を終えようとしたときだった。
「ヤンチャ!」
ヤンチャムが最後の一撃を繰り出す。
ムーちゃんはそれを受け止め、ゆっくりと押し返した。
……よし。
ここで終了だな。
「ムーちゃん! ありがと!」
「グソッ!」
俺が一歩前へ出た、その瞬間。
足元の石に、靴が引っかかった。
「……うわっ!?」
身体が傾く。
同時に、勢い余ったヤンチャムがこちらへ踏み出した。
……まずい。ぶつかる!
そう思ったときだった。
――ヒュッ!
視界から、何かが消えた。
「……え?」
次の瞬間。
――ドンッ!!
「ヤンチャッ!?」
鈍い衝撃音。
ヤンチャムの身体が、地面を転がった。
……は?
何が起きた?
俺が顔を上げると、そこには。
「……フェロッ!!」
フェリヤが立っていた。
細長い脚を構え、ヤンチャムを睨みつけている。
……え、フェリヤ?
「……フェリヤ!?」
返事はない。
フェリヤはヤンチャムから目を離さなかった。
ヤンチャムは起き上がろうとしたが、すぐに動きを止めた。
明らかに怯えている。
もう戦うつもりはなさそうだった。
しかし。
「フェロッ!!」
フェリヤが、再び踏み込もうとした。
「まって!!」
俺は思わず叫んだ。
「フェリヤ! もうおわり!」
……聞こえているはずだ。
なのにフェリヤは止まらない。
近づこうとしたルージュにまで鋭い声を上げ、牽制した。
「アブリッ!?」
ルージュが慌てて後退する。
……おい。
嘘だろ……フェリヤ。
味方まで敵だと思ってるのか?
♦
「リン、下がれ!」
パパンの声が響いた。
次の瞬間、ゴーリキーが飛び出した。
「ゴーリキー!」
フェリヤとヤンチャムの間に入り、両腕を広げる。
だが、フェリヤはそれすら脅威と受け取ったらしい。
「フェロッ!」
身体を低く構えた。
……まずい。このままじゃ、本当に誰かが怪我をする。
「ムーちゃん!」
「グソッ!」
「ヤンチャムをまもって!」
ムーちゃんが大きな身体を動かし、怯えるヤンチャムの前へ回り込んだ。
ゴーリキーはフェリヤの進路を塞ぐ。
二匹とも攻撃はしない。
ただ、これ以上近づけないようにしている。
フェリヤが一歩動く。
ゴーリキーも動く。
ムーちゃんはヤンチャムを庇いながら、距離を取った。
心臓が、うるさい。
なんだよ、これ。
いつもの練習だったはずなのに。
誰も本気で戦っていなかったのに。
どうして、こんなことに。
「……フェリヤ」
俺は、できるだけ静かに声をかけた。
「……もう、だいじょうぶだよ」
フェリヤの触角が揺れる。
「だれも、こうげきしないから」
返事はない。
でも、今度は動かなかった。
パパンが、俺を後ろへ下がらせる。
ゴーリキーとムーちゃんも、少しずつ距離を広げた。
やがて。
「……フェロ」
フェリヤが、構えていた脚を下ろした。
騒動が収まったのは、それからしばらくしてのことだった。
♦
幸い、大きな怪我人は出なかった。
ヤンチャムには打撲があったものの、パパンが応急処置を行い、その後ポケモンセンターで診てもらった。
命に関わるような状態ではないと聞いて、ようやく息ができた気がした。
……でも。
だからって、何も問題がなかったわけじゃない。
「……フェリヤ」
俺は、少し離れた場所に立つ彼女を見た。
「……なんで、あんなことしたの?」
「…………」
「ヤンチャム、もうたたかってなかったよ?」
フェリヤは答えない。
……いや、答えられないのかもしれない。
だけど。
「……ちゃんと、とまってよ」
思わず、声が強くなった。
「おれ、やめてっていったじゃん!」
フェリヤの身体が、びくりと震えた。
その瞬間。
俺は、ようやく気づいた。
フェリヤの脚が、僅かに震えている。
長い触角は強張り、視線は周囲を忙しなく動いていた。
パパンが少し動くだけで、身体が跳ねる。
この子。まだ、怖がってる。
怒っているんじゃない。
少なくとも、それだけじゃない。
あのとき。
俺が転びそうになって、ヤンチャムが近づいた。
フェリヤには、それが危険に見えたのかもしれない。
だから、飛び出した。
でも、一度警戒し始めたら止まれなくなった。
知らない相手が近づくたびに、身を守ろうとした。
……俺は、何をしているんだ。
そんな相手に。
声を荒らげて。
さらに怖がらせてどうする。
「……ごめん」
フェリヤは、こちらを見なかった。
俺は、それ以上近づかなかった。
♦
帰り道。
パパンと俺は、ほとんど話さなかった。
ムーちゃんも、いつもより静かだった。
しずくはその前脚に乗り、ルージュも大人しくついてきている。
フェリヤは、少し離れたところを歩いていた。
……二年間。
もう二年間も、一緒に暮らしている。
俺は、その間ずっと考えていた。
どうすれば仲良くなれるのか。
どうすればバトルに参加してくれるのか。
どうすれば、俺の言うことを聞いてくれるのか。
……でも。
肝心なことを、考えていなかった。
フェリヤが、何を怖がっているのか。
俺がバトルを教えたかったのは、フェリヤが強いと知っていたからだ。
前世で何度も使った。
種族値も、技も、戦い方も知っている。
だから、一緒に戦えるはずだと思っていた。
……だけど。
フェリヤは、まだ一度も自分から戦いたいと言っていない。
俺たちの暮らす世界を、安心できる場所だと感じているのかさえわからない。
ムーちゃんとは違う。
あの子とは、小さなコソクムシだった頃から一緒に修行してきた。
怖い思いをしたときも、そばにいられた。
フェリヤには、その時間がなかった。
知らない世界に放り出され、逃げ回って、ようやく保護された。
……それなのに。
俺は、同じように接すればいいと思っていた。
「……フェリヤ」
呼ぶと、彼女が足を止めた。
俺は距離を保ったまま、口を開いた。
「……おれさ」
…………。
「……おまえのこと、ぜんぜんわかってなかったんだな」
フェリヤは、何も答えなかった。
ただ、その場に立っていた。
俺も、それ以上は言わなかった。
♦
その夜。
我が家では、久しぶりに真剣な家族会議が開かれた。
パパンが今日の出来事を説明する間、ママンは黙って聞いていた。
そして。
「……リン」
「……はい」
「今日は、怖かったでしょう?」
……え?
怒られると思っていた。
危険なことをしたと。
ちゃんと見ていなかったと。
でも、ママンが最初に聞いたのは、俺のことだった。
「……うん」
「そうよね」
ママンが、俺の頭を撫でる。
「でも、フェリヤも怖かったんでしょうね」
……うん。
きっと、そうだ。
「もうね、リンたちだけで何とかしようとするのは、難しいと思うの」
パパンも頷いた。
「今回、ゴーリキーとムーちゃんが止めてくれたからよかった。でも、次も同じように収まるとは限らない」
……その通りだ。
もしフェリヤの攻撃が、もっと強く当たっていたら。
もし近くに、ほかの人がいたら。
考えただけで、背筋が冷たくなる。
「……どうしたらいいの?」
俺が尋ねると、パパンは少し考えてから言った。
「……マスタードさんに相談しよう」
……師匠?
「リン。もう一度、ヨロイ島へ行きなさい」
ママンが静かに言った。
「あの方なら、きっと力になってくださるわ」
ヨロイ島。
マスター道場。
そして、マスタード師匠。
初めてムーちゃんを連れて行ったとき、俺はバトルの勝ち方ばかり考えていた。
でも、師匠は教えてくれた。
ポケモンには、それぞれの気持ちがあるのだと。
……そうか。
俺、また同じところで躓いていたんだな。
「……うん」
俺は頷いた。
「もういっかい、しゅぎょうする」
ママンが、優しく笑った。
「ええ」
俺は、廊下の向こうを見た。
フェリヤは、自分の部屋で休んでいる。
今夜も、きっと俺の呼びかけには答えないだろう。
……でも、それでいい。
今度の修行は、フェリヤを強くするためじゃない。
言うことを聞かせるためでもない。
俺が、フェリヤのことを理解するための修行だ。
……師匠。
どうやら俺は、まだまだ未熟だったみたいです。
世界一位だったとか。
対戦知識が豊富だとか。
そんなもの、今は何の自慢にもならない。
……だって。大切なポケモンが怖がっている理由すら、わからなかったんだから。
こうして、俺の二度目のヨロイ島修行が決まった。
前回は、ムーちゃんと一緒に強くなるため。
今度はフェリヤと、本当の意味で仲間になるために。