地下階層でのレベリングを終えたレイは、地上へ戻っていた。
そして、いつもの待ち合わせ場所へと向かう。
◇
第二十二層
アスナと定期的に会うようになってから、すっかり馴染みの場所になっていた。
レイは近くのベンチに腰を下ろし、空を見上げる。
アスナが来るまで、まだ少し時間がある。
普段なら、今日の戦闘を振り返ったり、今後のレベリングについて考えたりするところだ。
しかし、今日のレイの思考を占めていたのは、別の問題だった。
(……ダンディー)
思い浮かべるだけで、頭が痛くなる。
強い。
まず、強い。
反射する光線は厄介で、一瞬の油断が大きなダメージにつながる。
動きも速い。
空中を自在に飛び回り、こちらの攻撃を巧みにかわしてくる。
そして――
(……うるさい)
これが最も深刻な問題だった。
『ダンディー! ダンディー! 今日もダンディーだぜ~!』
あの声が、頭から離れない。
戦闘中はもちろん、戦闘が終わった後も延々と聞かされる。
しかも、倒しても復活する。
普通のモンスターなら、一度倒せばそれで終わりだ。
だが、あいつは違う。
倒しても、時間が経てば再び現れる。
そして、レイを見つけると大喜びで襲いかかってくるのだ。
(……何がそんなに嬉しいんだ)
レイは小さく息を吐いた。
さらに、厄介な別の問題も発生していた。
ダンディーが、少しずつ大きくなっているのだ。
最初はバスケットボールほどの大きさだった。
それが、以前よりも明らかに大きくなっている。
気のせいではない。
何度も戦っているレイだからこそ分かる変化だった。
(……成長しているのか?)
もしそうなら、笑えない話だ。
強くなるだけでも厄介なのに、身体まで大きくなっている。
しかも、あのふざけた言動は相変わらずだ。
「……くだらない」
レイは額に手を当てた。
だが、問題はそれだけではなかった。
ごく稀に、ダンディーを倒すと分裂する。
一体が二体になる。
そして、二体になったダンディーとの連戦が始まるのだ。
昨日の戦闘も、まさにそれだった。
一体を倒したと思ったら、妙な歓声とともに二体に増えた。
しかも、分裂した二体は、どちらも相変わらずのダンディーだった。
光線の数は増え、攻撃の軌道はさらに複雑になる。
戦闘時間も長引く。
当然、疲労も増す。
(……一体で十分だろ)
心の底からそう思う。
ただし、奇妙なことに、分裂したダンディーが必ずしも連携するわけではなかった。
むしろ、互いに張り合い、相手より自分のほうが美しいと主張することさえある。
その結果、ごく稀に、互いの光線がぶつかり合い、そのまま同士討ちを始めることがあった。
『ぬおおおっ! 我が肉体に何をする!』
『そちらこそ、我が美しき肉体を傷つけるとは!』
『我が攻撃は美しいぃぃぃぃぃー!』
『ならば、受けてみよ! ダンディー・レイ!』
そして、互いの光線が反射し合い――。
『『ゴバーーーッ!?』』
二体そろって大ダメージを受け、消滅する。
その光景を見たとき、レイは何とも言えない気分になった。
戦わずに済んだのだから、ありがたいといえばありがたい。
だが、自分はいったい何を見せられているのだろう。
(……本当に疲れる)
レイは背もたれに身体を預けた。
強敵との戦闘そのものなら、慣れている。
命懸けの攻略を続けてきたのだから、当然だ。
それなのに、ダンディーとの戦闘は妙に疲れる。
肉体的な疲労だけではない。
精神的にも、じわじわと削られていく。
おまけに、最近では口調までうつっている。
「……悪夢だぜ~」
口にした瞬間、レイはぴたりと動きを止めた。
「…………」
ゆっくりと目を閉じる。
(……またか)
自分では普通に考えているつもりなのに、気づけばダンディーの口調が混じっている。
昨日など、戦闘が終わったあと、無意識に「……またな」と口にしてしまった。
まるで、ダンディーとの別れを惜しんでいるかのように。
(……誰が惜しむか)
思い出すだけで、余計に疲れた。
もはや笑い事ではない。
(……対策を考えないとな)
そう思うものの、具体的な方法は思いつかない。
そもそも、どうすればモンスターの口調がうつらなくなるのか。
そんなことを真剣に考えた経験など、当然なかった。
レイは深く息を吐いた。
そして、ふと時計を確認する。
そろそろ、アスナが来る頃だった。
(……早く来ないかな)
そう思った自分に、レイは少しだけ目を瞬かせた。
以前なら、誰かを待ち遠しく思うことなど、ほとんどなかった。
他人と必要以上に関わるつもりもなかった。
だが、アスナと会うようになってからは違う。
彼女と話す時間は、不思議と心が落ち着く。
特別なことをするわけではない。
ただ街を歩き、食事をし、他愛のない話をする。
それだけなのに、気がつけば次に会う時間を楽しみにしている自分がいた。
(……まあ、悪くない)
レイは視線を街の入口へ向けた。
そのとき。
「レイ君!」
聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、そこにはアスナがいた。
栗色の髪を揺らしながら、小走りでこちらへやってくる。
その表情には、自然な笑顔が浮かんでいた。
「待たせちゃった?」
「いや。今来たところだ」
「よかった。今日はお仕事が少し早く終わったの」
アスナはほっとしたように微笑み、レイの隣に腰を下ろした。
「レイ君は、今日は何をしていたの?」
「レベリングだ」
「そっか。今日も頑張っていたんだね」
「ああ」
短い返事。
けれど、アスナは気にする様子もなく、楽しそうに話を続けた。
血盟騎士団での出来事。
最近、街で見かけた店のこと。
次に二人で行ってみたい飲食店のこと。
レイは相槌を打ちながら、静かに話を聞いていた。
時折、短い言葉を返す。
アスナも、それに合わせて自然に会話を続ける。
無理に話題を探す必要はなかった。
沈黙が訪れても、気まずくならない。
それが、レイには心地よかった。
「そういえば、レイ君」
「何だ?」
「最近、ちゃんと休めてる?」
不意に尋ねられ、レイはアスナへ視線を向けた。
「……どうしてだ?」
「少し疲れているように見えたから。無理をしていないかなって」
レイは一瞬だけ考えた。
疲れている。
確かに、疲れていた。
だが、原因はレベリングでも、攻略でもない。
頭の中に浮かんだ黄金色の珍獣を思い出し、レイは小さく息を吐いた。
「……少し厄介な相手がいてな」
「厄介な相手?」
「ああ」
アスナは心配そうに眉を寄せた。
「強いモンスターなの?」
「強い。速い。それに、うるさい」
「……うるさい?」
「ああ。倒しても復活する」
「えっ?」
アスナは目を丸くした。
「倒しても復活するの? そんなモンスターがいるんだ……」
「……しかも、どんどん大きくなっている」
「大きく?」
「ああ。たまに分裂もする」
「分裂!?」
アスナの声が少し大きくなった。
「ちょ、ちょっと待って。倒しても復活して、大きくなって、さらに分裂するの?」
「そうだ」
「何それ……」
アスナは困惑した表情を浮かべた。
当然だろう。
普通に考えれば、そんなモンスターがいるとは思わない。
しかも、レイの話しぶりからすると、冗談を言っているわけでもなさそうだった。
「……そんな相手と、ずっと戦っているの?」
「ああ。遭遇したらな」
「それは大変だね……」
アスナは心配そうにレイを見つめた。
レイは、それ以上の説明をする気はなかった。
これ以上のダンディーのことも、地下階層のことも、明かすつもりはない。
ただ、今の話だけでも十分に異常さは伝わったらしい。
アスナはしばらく考え込んでいたが、やがて心配そうに口を開いた。
「レイ君、あまり無理しないでね」
「ああ」
「強いのは分かっているけど、どんな相手でも油断は禁物だから」
「分かっている」
「約束だよ?」
レイは少しだけ彼女を見つめた。
それから、小さく頷く。
「ああ。約束する」
アスナの表情が、ぱっと明るくなった。
「うん!」
その笑顔を見て、レイはふと思った。
(……癒やされる)
心の底から、そう感じた。
先ほどまで頭の中を埋め尽くしていた黄金色の珍獣。
やかましい叫び声。
反射する光線。
倒したと思ったら二体に増える悪夢。
それらが、少しずつ遠ざかっていく。
アスナと話しているだけで、妙に気持ちが落ち着くのだ。
(……やっぱり、こいつは厄介だな)
レイは心の中で呟いた。
もちろん、今度の「こいつ」はダンディーのことではない。
隣で楽しそうに話している、アスナのことだった。
ただし、その厄介さはダンディーとは正反対だ。
ダンディーは、レイの精神を容赦なく削ってくる。
アスナは、その疲れを自然と和らげてくれる。
どちらも、レイにとって予想外の存在だった。
そして、できることなら――。
(……しばらく、このままでいい)
レイは隣にいるアスナへ、ほんのわずかに顔を向けた。
アスナは気づかず、楽しそうに話している。
レイは、その声に静かに耳を傾けていた。
◇
しばらくして、二人は別れる時間になった。
「今日は楽しかった。ありがとう、レイ君」
「ああ。俺も楽しかった」
その言葉に、アスナは嬉しそうに微笑んだ。
「また会おうね」
「ああ。またな、アスナ」
「うん。またね!」
アスナは手を振り、街の中へと歩いていった。
レイはその後ろ姿を少しだけ見送ってから、自分の帰る場所へと向かった。
◇
帰宅したレイは、装備の確認を済ませると、ベッドに腰を下ろした。
今日もレベリングは無事に終わった。
アスナとも会えた。
気分転換としては、十分だった。
ただ、一つ気になることがある。
(……明日はどうするか)
いつもなら、地下階層でレベリングを続けるところだ。
しかし、今日の戦闘を思い出すと、少しばかり気が重い。
強敵との戦闘は問題ない。
だが、あの珍獣と延々と付き合わされるのは、さすがに疲れる。
(……たまには地上でレベリングするか)
地上の攻略も半分以上進んでいる。
狩場も十分にあるし、物足りなくはあるが、経験値を稼ぐ場所にも困らない。
何より、あの珍獣に遭遇する心配がない。
少なくとも、今のところ地上でダンディーを見たことはなかった。
レイは静かに頷いた。
「……そうするか」
明日は地上でレベリング。
それで決まりだ。
これで少しは平穏な一日を過ごせるだろう。
そう考えたレイは、ゆっくりと横になった。
ただし、彼はまだ知らない。
自分の口から漏れる奇妙な口癖が、すでにかなり深刻な状態にあることを。
「……ダンディー、ダンディー……」
静かな部屋に、小さな呟きが響いた。
レイ本人は、すでに眠りかけていた。
平和が一番