一、風の女神様の「ちょっとした手違い」
その朝の事の起こりは、いつものお供えだった。
野営地の片隅で、ムコーダこと向田剛志は小さな祭壇代わりの木箱の上にドラ焼きを並べ、手を合わせていた。
「ニンリル様、いつもありがとうございます。今朝は粒あんと、クリームチーズ入りと、栗入りを用意しました」
返事の代わりに、天から「きゃーっ!」という歓声が降ってくる。風の女神ニンリル様の声は、今日も嬉しさがまったく隠れていない。
『ありがとうムコーダさん! どれもすっごく美味しそう! お礼と言ってはなんですけど、次の街までの道のり、神様パワーでぴゅーっと近道してあげちゃいます!』
「え、いいんですか? 助かりますけど……」
背後で、毛艶の良い巨大な狼、フェンリルのフェルが鼻先でふんと息を吐いた。
「ふむ。楽ができるのは結構なことだ。我は朝飯さえ食えれば文句はない」
「おいフェル、ちゃんと聞いたか? あの女神、さっきからもぐもぐ聞こえてるぞ。ドラ焼き食いながら操作する気じゃねえだろうな」
ムコーダの肩の上で、小さな金色の竜、ピクシードラゴンのドラちゃんが呆れ声を出す。確かに天の声の向こうからは、幸せそうな咀嚼音がしていた。
「あるじー、ニンリル様、おいしそうに食べてるねー」
足元では、スライムのスイがぷるぷると体を揺らしている。
『ふふっ、見ててくださいね。ええと、目的地の座標を入力して……あっ』
「あっ、て何ですか、あって」
『あっ、あんこが……ちょっとだけ、入力欄に……あっ、あっ、えいっ、確定っ!』
「ちょっと待ってくださいニンリル様ああああ!」
視界が真っ白になった。ムコーダが叫び終わる前に、足元の感触がふわりと消え、風が体を包んで、次の瞬間には――。
ぱち、ぱち、と瞬きをして、気づけば一行は、だだっ広い草原のど真ん中に立っていた。
空は高く、雲は白い。遠くには森が見え、さらにその向こうに、天を突くような奇妙な塔のシルエットが霞んでいる。街道も、見慣れた山も、何一つない。
「……えーと。ここ、次の街じゃないですよね」
『ご、ごめんなさーい! 座標に、あんこが……じゃなくて、ええと、ええと……別の世界の座標になっちゃったみたいで……!』
ニンリル様の泣きそうな声が、頭の中に響く。
「別の世界!? 近道どころか、そもそも国が違うどころの話じゃないじゃないですか!」
「やれやれ。またあやつの粗相か」
フェルは草原にどさりと腰を下ろし、大きなあくびをした。驚きよりも諦めの色が濃いのは、これまでの付き合いの長さゆえだろう。
「おいおい、帰れるんだろうな? 俺様、あの街で買い物する予定だったんだぞ」
「帰れないとか言われたら、さすがに泣くぞ、俺……」
するとそこへ、別の、もっと落ち着いた、そして重みのある声が割り込んできた。
『ニンリルよ……』
『ひっ! で、デミウルゴス様!』
創造神デミウルゴス様である。ムコーダの背筋が思わずぴんと伸びた。
『向田剛志よ、すまぬな。事情は把握した。我らが座標を調整し、そなたたちを元の世界へ戻そう。ただし世界の境を渡る作業ゆえ、時間がかかる。少なくとも今日一日は、そこで待ってはくれまいか』
「は、はい! 待ちます! 待ちますので、どうぞお構いなく!」
『ニンリルには、後できっちりと沙汰を下す。まずは三日間、甘味の供物を禁ずる』
『そ、そんなぁぁぁぁ! デミウルゴス様、せめて二日で……!』
『……四日にするか?』
『三日で結構ですぅ……』
ニンリル様の悲鳴が遠ざかっていく。ムコーダは(あれは地味にキツいんだろうなあ……)と、ほんの少しだけ同情した。
「と、いうわけで」
気を取り直して、ぱんと手を叩く。
「少し早いけど、お昼にしよう。状況の整理もしたいし、腹が減っては何とやらだ」
「うむ! 我は大賛成だ!」
「あるじ、おひるごはんー!」
「まあ、飯に文句はねえな。で、何を作るんだ?」
一行の食欲だけは、世界が変わっても微塵も揺らがないのだった。
二、見知らぬ草原でお取り寄せ
ムコーダには、神々から授かった「ネットスーパー」というスキルがある。魔物の素材を売って得たお金で、元の世界の食材や日用品を取り寄せられるという、およそ異世界では考えられない代物だ。しかもそれはイオン系列のネットスーパーで、品揃えは広く、価格は良心的。このスキルのおかげで、ムコーダの旅の食卓はずっと豊かになってきた。
問題は、世界が違ってもそれが使えるかどうかだった。
「……ネットスーパー」
小さく唱えると、目の前に見慣れた半透明の画面が浮かび上がった。いつもの買い物画面、いつもの商品一覧。所持金の表示も変わっていない。
「よかった……! スキルは使えるぞ」
「ほう。では昼飯は問題なさそうだな」
フェルの尻尾が、ぱたぱたと地面を叩く。
「軽く食べられて、でも腹に溜まるものがいいな。何かあるかな……」
画面をスクロールしていくと、一つの商品に指が止まった。
日清食品 ポックンミョン 甘辛焼きそば 5食入。一袋、四百二十八円。
「おっ、これこれ。もっちりした麺に、甘辛いソースがクセになるやつだ」
もっちり麺と甘辛ソース。その一言だけで、ムコーダの口の中に唾が湧いてきた。茹でた麺にソースを絡めるだけの手軽な一品だが、アレンジの余地は広い。
「よし、これにしよう。フェルとスイがいるから、多めに……とりあえず十袋!」
「十袋でもいいが、我は足りぬかもしれんぞ」
「分かってるよ、追加もする。まずは十袋な。それとトッピング用に、卵と、とろけるスライスチーズと、青ネギと、刻み海苔と……」
ぽちぽちと注文を確定させると、ほどなく画面の脇にお馴染みの段ボール箱が現れた。
取り出したポックンミョンの袋は、赤を基調にした元気なデザインだ。ドラちゃんが興味津々で袋に鼻を近づける。
「おお、何だこれ。甘ったるいような辛いような、不思議な匂いがするな」
「見てろよドラちゃん。ちゃんと作れば絶対ハマるから」
ムコーダは大鍋をどんと置き、携帯コンロに火をつけて湯を沸かす。袋の表示どおりに麺を茹で、茹で上がったらお湯を切り、ソースを回しかけて、ざっくりと混ぜる。
その瞬間、立ちのぼった香りが凄かった。
甘辛く、少し焦がしたような、どこか中毒性のある香り。唐辛子の鋭さの後ろから、とろりとした甘みがふわりと追いかけてくる。鍋の周りの空気が、一気に美味しくなったかのようだ。
「ぬ、ぬおお……これは……!」
フェルの鼻がひくひくと動く。
「すっごーい! あるじ、いいにおい!」
「おいムコーダ、早くしろ! 待てねえぞ!」
「分かった分かった、まだトッピングがあるんだよ」
皿に盛った麺の上に、半熟の目玉焼きをのせる。スライスチーズをとろりと溶かし、青ネギと刻み海苔を散らす。これだけで、ポックンミョンは「袋麺」から「ご馳走」に変身する。
「はい、まずはフェルの分から!」
特大の皿に山盛りの麺を差し出した、まさにそのときだった。
ぐううううううぅぅぅ~~~っ。
大きな、大きな、お腹の音が、草原に響いた。
フェルのものではない。スイでも、ドラちゃんでもない。ムコーダは自分の腹を押さえたが、それも違った。
「……今の、誰?」
「……え、えへへ。ごめーん、聞こえちゃった?」
草の向こうから、元気な声が飛んできた。
三、バッタリ、空白旅団
現れたのは、三人の少女だった。
先頭を歩いてくるのは、きびきびした足取りの少女。旅装束の裾に草の露をつけ、大きな目をきらきらさせている。その少し後ろには、周囲に気を配りながら慎重に歩く少女。そして、お腹を押さえて笑いながら、ひょこひょこと小走りでついてくる少女。
「ごめんなさい! すっごくいい匂いがして、お腹が勝手に鳴っちゃって!」
「セイナ、そういうのは謝る前にまず挨拶でしょう……」
「まあまあアヤメ! でも本当にいい匂いなんだよ。コハクだって、さっきから鼻ひくひくしてたじゃん!」
「し、してない! ……ちょっとだけしてた」
三人は賑やかに言い合いながらも、ムコーダたちから少し距離を取った位置でぴたりと立ち止まった。
そして、その視線が、鍋の横で皿に顔を突っ込んでいる巨大な狼に向けられた瞬間――空気が変わった。
「……ま、待って。あの獣、大きすぎない?」
アヤメと呼ばれた少女が、さっと表情を引き締める。声がわずかに震えていた。
「普通の星骸じゃない。塔の外に、こんな規格外のが出るなんて……コハク、セイナ、後ろに下がって」
「だ、大丈夫だ。あたしが前に出る……!」
「あ、あのー!」
ムコーダは慌てて両手をぶんぶんと振った。
「違うんです違うんです! この子……この人……は、俺の従魔というか、仲間というか、とにかく人を襲ったりしませんから! ほら、今だってご飯に夢中でしょう!?」
「む? 何だ? 我の食事の邪魔をするのか?」
フェルが顔を上げ、ゆったりと少女たちを見やった。
しゃ、しゃべった。
三人の動きが、ぴたりと止まる。
「しゃべったああああ!?」
「獣が! 獣がしゃべった!」
「落ち着いてセイナ、神器の通話機能とかじゃなくて……えっ、本当にしゃべってる……!?」
「我は星骸などという下等な代物とは違う。神獣フェンリルのフェルだ」
「ふぇ、ふぇんりる……?」
アヤメはわなわなと震えながら、コハクの袖を掴んだ。
「聞いたことないけど、絶対ヤバいやつよね、これ……!」
「でも、さっきから全然殺気がないぞ」
コハクは目をぱちくりさせて、フェルをじっと観察する。
「ごはん、食べてるだけだな」
「うむ。我は今、食事中だ。邪魔をするな」
「あるじー、このひとたち、おいしいにおいが好きなのかなー?」
スイがぽよんぽよんと跳ねながら、三人の足元へ近づいていく。
「うわっ、スライム!? って、小さい! かわいい!」
セイナがきらきらした目でしゃがみ込んだ。
「スイだよー! よろしくねー!」
「しゃべったああ! かわいいいい!」
「おいおい、俺様のことも忘れんなよ」
ドラちゃんが、ムコーダの肩の上でふんぞり返る。
「俺様はピクシードラゴンのドラちゃんだ。このメンツの中で一番かわいくて、一番頭が切れる!」
「ちっちゃい竜!? それもしゃべるの!?」
三人はすっかりキャパオーバーのまま、立ち尽くしてしまった。ムコーダはとりあえず深々と頭を下げる。
「えーと、俺はムコーダといいます。実はちょっと事情があって、気づいたらこの草原にいまして。決して怪しい者じゃないんです! ちょうどお昼ご飯を作っていたところで……」
その言葉の途中で、ぐううううっ、と再びセイナのお腹が鳴った。
「…………」
しばしの沈黙のあと、コハクが吹き出した。
「あはは! もういいや! アヤメ、悪い人たちじゃなさそうだ。何かあったら、あたしが全力でぶっ飛ばす!」
「そういう問題じゃ……ああもう、仕方ないわね。ごめんなさい、私たちは巡遊者です。私はアヤメ。こっちがコハクで、こっちがセイナ。三人で『空白旅団』というギルドをやっています」
「空白旅団、よろしくね! ムードメーカーのセイナでーす!」
「自分で言うのね……」
ムコーダは、鍋とセイナのお腹を交互に見て、にっこり笑った。
「よかったら、一緒に食べませんか? 作りすぎちゃったくらいなんです」
四、一口食べたら止まらない
「えっ、いいんですか!?」
真っ先に目を輝かせたのはセイナだった。が、すぐにアヤメが彼女の袖を引く。
「待ちなさい、セイナ。見ず知らずの方から、ただで食事をいただくわけには……。ええと、ムコーダさん、お代は?」
「いえいえ、お代なんて。これも何かの縁ですし、多めに作りすぎたのは本当なので」
「縁……」
アヤメは慎重にその言葉を噛みしめた。巡遊者という危険な仕事を続けていれば、「ただより高いものはない」という言葉の意味は骨身に染みている。だが、ムコーダの目には、裏表のない人の良さしか見当たらなかった。
「遠慮するな、人の子よ。ムコーダの飯は絶品だ。食える時に食っておくのが正しい生き方だぞ」
フェルが皿から顔を上げて、偉そうに言う。口の周りはソースでべっとりだ。
「ほら、フェルもこう言ってますし。使い捨ての紙皿とフォークもありますから」
ネットスーパーで取り寄せた紙皿を三人分並べ、麺を盛り、半熟の目玉焼きを乗せ、スライスチーズを溶かして、青ネギと刻み海苔を散らす。
「はい、どうぞ。熱いので気をつけて」
三人は顔を見合わせ、そっとフォークを手に取った。最初に口へ運んだのは、やはりセイナだった。
「……っ!」
目が、まん丸になる。
「からあまーい! あっ、からい! でもあまい! あっ、からい! あまい! 止まらない!」
「ちょっとセイナ、落ち着いて」
「無理だよこれ! アヤメも食べてみなって!」
促されて、アヤメも麺を持ち上げる。ずるりと一口、もぐもぐ。その表情が、ゆっくりと変わっていった。
「……もちもちしてる。麺が、噛むたびに押し返してくる。それに、ソースの甘さと辛さの順番が絶妙で……最初は甘いと思ったのに、後から唐辛子がじわっと追いかけてきて、辛さが引いたらもう一口欲しくなる。この絡みつくような濃さは、砂糖と辛味の比率がきっと……」
「アヤメ、解説しながらフォークが止まってないぞ」
「……え? あっ」
コハクの指摘どおり、アヤメの皿はすでに半分近くなくなっていた。
「コハクだって三口でほぼ空じゃない」
「うまいんだから仕方ないだろ! なんだこの麺、ぐにってして、跳ね返ってくる! しかもこの卵!」
コハクは半熟の黄身を麺に絡めて、がつがつと頬張っている。
「黄身を絡めると、ソースがまろやかになるんです。辛いのが苦手ならそうするといいですよ。チーズも一緒に」
「チーズ……あ、本当だ。とろっとして、辛さを包み込んでくれてる……ああ、だめ、手が止まらない……」
アヤメは最後には諦めたように肩を落とし、黙々と食べ始めた。
その横で、フェルはすでに三皿目。ドラちゃんは小さな体で、麺を器用に巻き取って口に運んでいる。
「うめえ! これうめえぞムコーダ! 甘くて辛くて、もちもちしてて……おかわりだ!」
「あるじー、あまからー! おいしいー!」
「はいはい、順番な」
ムコーダは鍋の前で忙しく手を動かしながら、内心でほくほくしていた。やっぱり、美味しそうに食べてもらえるのは何より嬉しい。
食べ終わるころには、セイナはすっかり満足げに草の上へ寝転がっていた。
「ふあー……こんな美味しいの、生まれて初めて食べたかも……」
「携帯食とは全然違うな。いつもは固いパンと干し肉だ」
コハクがフォークを置きながら、しみじみと呟く。
「ねえねえ、ところでムコーダさん」
寝転がったまま、セイナが顔だけこちらに向けた。
「さっきの、箱がぱって出てきたのはどういうこと?」
「ああ、あれは俺のスキルなんです。ネットスーパーっていって、別の世界の食材や道具を取り寄せられるんですよ」
「別の世界の……神器とは違うの?」
「神器?」
ムコーダが首を傾げると、アヤメが説明してくれた。
「星ノ塔から見つかる、古代の遺物のことです。形は様々ですけど、たとえば……ほら、これ」
アヤメが懐から取り出したのは、薄い板状の物体だった。
「……え、これ、スマホ!?」
「すまほ?」
「いや、俺の世界にある携帯電話っていう道具に、そっくりなんですけど……」
「ええっ、そっちの世界にもあるの!?」
セイナがぴょんと起き上がり、今度は自分の荷物から別の神器を取り出した。
「こっちはカメラだよ! 見て見て、さっきのポックンミョンも撮っちゃった!」
「うわっ、本当にカメラだ。こっちの世界だと、そういうのは塔のお宝なのか……」
ムコーダは目を丸くした。神器と呼ばれるそれらは、確かに自分の世界で見慣れた機械そのものだった。ただしこちらの世界では、星ノ塔という謎の建造物から掘り出される貴重な財宝なのだという。
「不思議なもんですね。別の世界なのに、道具だけは似てる」
「おいムコーダ、ちゃんと整理しろ。つまり誰かが昔、似たような技術を作ってたってことだろ」
ドラちゃんが妙に頭の切れる発言をする。が、すぐに「ところでおかわりはないのか?」と続けて台無しにした。
五、星ノ塔のこと、魔王さんのこと
そこから、お互いの身の上話が始まった。
ムコーダは、別の世界から来て、神様の手違いで迷い込んだことを話した。普通なら「何を言っているのか」と呆れられそうな話だが、空白旅団の三人は意外にも、あっさりと受け入れた。
「別の世界からか。まあ、そういうこともあるよな」
「あるの!?」
「うちにもいるからな。記憶のない魔王が」
コハクは、さらっととんでもないことを口にした。
「……魔王!?」
「そう。長い眠りから目覚めたら、自分が誰か全然分からなくなってた魔王さん。あたしたちが見つけて、それ以来ずっと一緒に旅してるんだ」
「魔王さんはね、すっごくのんびりしてるんだよ! 今日は街の宿でお留守番。きっとポックンミョンも好きだと思う!」
「魔王といっても、見た目は全然怖くないんですよ。むしろ、放っておけないというか……」
アヤメは少し苦笑した。
「魔王とは、また大きく出たな」
フェルが鼻を鳴らす。しかしその声音には、嫌悪も警戒もなかった。
「だが我が見るに、この三人は悪い人間ではない。その魔王とやらも、おそらく同じだろう」
「フェルさん……!」
コハクが感激したように両手を握りしめる。
「ありがとう! ええと、フェルさん、モフモフしてもいい?」
「断る。我は神獣だ」
「ええー」
「スイならいいよー! ぷるぷるー!」
「かわいい!」
セイナはスイを抱きしめて、ご満悦だ。
それからアヤメが、この世界の仕組みを丁寧に教えてくれた。ノヴァ大陸の各地には、星ノ塔と呼ばれる謎の建物がそびえている。塔の内部には星骸という魔物が徘徊しており、巡遊者たちはそこへ挑み、神器を持ち帰って生計を立てる。命がけの仕事だが、そのぶん実入りも大きい。
「なるほど。冒険者ギルドの仕事みたいなものか」
「ムコーダさんの世界にもそういうのがあるんですか?」
「ええ。俺はあんまり関わってないんですけど、仲間にはいます」
そんな会話をしていた、そのときだった。
「……来るぞ」
フェルがふいに、遠くの森へ視線を向けた。
どおん、と地響き。木々の間から現れたのは、全身が岩のような物質に覆われた巨大な怪物だった。
「星骸……!」
アヤメの顔色が変わる。
「塔の外で、あんな大型が!? みんな、構えて!」
「任せろ!」
コハクが前に飛び出して構えをとり、セイナとアヤメも臨戦態勢に入る。
「あの、ここは俺たちの方で何とか……」
「むう、食後の運動にちょうどいい」
フェルは、のそりと立ち上がった。
次の瞬間、風が裂けた。
何が起きたのか、空白旅団の三人には見えなかった。ただ、巨大な星骸の動きがぴたりと止まり、次いで、岩のような体がさらさらと崩れ落ち、地面に小さな核だけがころんと転がった。
「…………」
三人は無言のまま、数秒間固まった。
「……ふ、ふぇんりる、こわ……」
「いや、でもすごい……」
「あの、この核、ものすごく状態がいいです。塔の外の個体で、これだけ大きな核が傷ひとつなく……これ、いくらになるんだろう……」
アヤメの目が、利益を計算する商人のそれに変わっている。
「あー、よかったら差し上げますよ。素材は俺たちにはあまり必要ないので」
「えっ、いいんですか!? ……いえ、でも、お昼のご馳走の恩もあるのに、さらにいただくなんて……!」
「いいんですいいんです。そのかわりと言ってはなんですけど」
ムコーダはぽんと手を叩いた。
「どうです、今夜はここで一緒に野営しませんか? 旅は道連れ、世は情けって言いますし。夜は肉を焼きますから!」
「肉!」
真っ先に反応したのはフェルだった。続いてセイナが両手を挙げる。
「行く行く行く! ぜったい行く! あっ、でも魔王さんも連れてきていい? 一人にしちゃうとかわいそうだから!」
「もちろんです。人数が多いほうが楽しいですから」
「アヤメ、どうする?」
「……はあ。仕方ないわね」
アヤメは肩をすくめて、小さく笑った。
「ご厚意に甘えさせていただきます。ただし、お手伝いは必ずさせてください」
こうして、空白旅団とムコーダ一行の、奇妙な共同野営が決まったのだった。
六、夕暮れの献立会議
日が傾き、草原は茜色に染まっていく。
コハクが神器で連絡を入れると、街の宿にいる魔王さんからは「すぐ行く」との返事があったらしい。
ムコーダは野営の準備を整えながら、ネットスーパーの画面とにらめっこしていた。
「昼が麺だったから、夜はがっつり肉だな」
「うむ! 肉だ! 肉を焼け!」
「焼く焼く。でも、せっかくお客さんもいるんだし、ちょっと豪華にしたいな」
画面を滑らせていたムコーダの指が、ある調味料の項目で止まった。
ほりにし。
「やっぱり、これは外せないよな」
アウトドアスパイスの決定版。肉に振れば肉が輝き、野菜に振れば野菜が化ける、万能の魔法の粉。ムコーダの旅の食事を支えてきた、最強の相棒である。
「メインは、シャリアピンステーキにしよう。肉は、タスマニアビーフ。いい赤身が手に入るんだ」
「しゃ、しゃり……?」
首を傾げるセイナに、ムコーダが説明する。
「玉ねぎのすりおろしに肉を漬け込んで、柔らかくするんだよ。昔、シャリアピンっていう歌手のために、歯が悪かったその人でも食べられるステーキとして考案された、って言われてる」
「玉ねぎで、お肉が柔らかくなるの?」
「そう。玉ねぎの力でね。で、焼いた肉の上に、炒めた玉ねぎをたっぷりのせる。ソースは漬けダレを煮詰めて、ほりにしで味を決める」
「聞いてるだけでお腹が……」
「それとビーフカレーも作ろう。切り落としの肉をじっくり煮込んで、ほりにしを隠し味にするとコクが出るんだ」
「ビーフカレー!」
ドラちゃんが目を輝かせた。
「辛いのは苦手だから、甘口にしてくれよ?」
「大人用は中辛、ドラちゃんとスイ用は甘口だな」
ネットスーパーで、肉と玉ねぎを大量に注文する。ステーキ用の厚切りのタスマニアビーフを山のように。玉ねぎは箱でどさり。米にカレールウ、バター、そしてほりにし。
「よし。それじゃあ、夕食の仕込みを始めようか!」
「はーい! お手伝いしまーす!」
元気に手を挙げるセイナの後ろで、アヤメがなぜか懐から小さなメモ帳を取り出していた。
七、仕込みと、アヤメのメモ帳
ムコーダの指示で、役割分担はあっという間に決まった。
セイナは、玉ねぎのすりおろし担当。コハクは、火の番と薪運び。アヤメは、土鍋でお米を炊く準備だ。
「うわああ、玉ねぎ目にしみる! 目に! 目にしみるううう!」
セイナはぼろぼろと涙を流しながら、それでも手を止めない。
「でも楽しい! 涙が止まらないのに楽しい!」
「ポジティブにも程があるだろ」
ドラちゃんが、呆れ半分、感心半分で呟いた。
ムコーダは分厚いタスマニアビーフを大皿に並べ、フォークで丁寧に穴を開けていく。そこへセイナのすりおろした玉ねぎをたっぷりと乗せ、ほりにしをぱらり、仕上げに少量の醤油をひとまわし。肉全体に玉ねぎがまとわりつくよう、手でやさしく揉み込んだ。
「これで三十分から一時間くらい置いておくと、肉がぐっと柔らかくなるんだ」
「玉ねぎをすりおろして、肉に乗せて、ほりにしを振って、醤油を少し……漬け込み時間は三十分から一時間……」
隣から、ぶつぶつと呟く声が聞こえてくる。ムコーダが横を見ると、アヤメが真剣な顔でメモ帳に鉛筆を走らせていた。
「あの、メモ、取ってます?」
「はい。何事も記録は大切ですから」
アヤメはきりっとした顔で答えた。その視線は、ムコーダの手元の、小さな瓶に注がれている。
「その、ほりにし、というのは……」
「ああ、万能スパイスですよ。肉でも野菜でも、とりあえずこれを振っておけば間違いない、っていう」
「間違いない……」
アヤメの目が、きらりと光った。
「ねえムコーダさん、ちょっと舐めてみてもいい?」
玉ねぎの涙で目を真っ赤にしたセイナが、ひょいと顔を出す。
「舐めるものじゃないんだけど……まあ、少しならどうぞ」
ムコーダが指先に少しだけ粉をのせて差し出すと、セイナがぺろりと舐めた。
「……っ!?」
セイナの目が、まん丸になる。
「しょっぱいのに、いろんな味が一斉に来た! なにこれ! なにこれ!」
「ちょっと私にも」
「あたしも!」
アヤメとコハクも指を伸ばし、順番に味見をして、揃って目を見開いた。
「これは……ただの塩じゃない……」
「何種類も混ざってるのか? ありえないくらいバランスがいいぞ」
「だよね! だよね! ねえ、これ何が入ってるの?」
「え、えーと、それは俺にも詳しくは……」
三人にぐいぐいと詰め寄られて、ムコーダはたじたじになった。が、そこでちょうど、フェルの低い声が割り込んだ。
「おい、肉はまだか。我の腹がもう限界だぞ」
「は、はいはい! もうすぐです!」
助かった、とムコーダは胸を撫で下ろした。
夕闇が濃くなるころ、草原の向こうから、ぽつりと人影が現れた。
「あっ、魔王さーん! こっちこっち!」
セイナが両手をぶんぶんと振る。
近づいてきたのは、どこかぼんやりとした、けれど穏やかな雰囲気をまとった人物だった。ムコーダに気づくと、少し首をかしげてから、ぺこりと丁寧に頭を下げる。
「あ、どうも。ムコーダです。今夜はよろしくお願いします」
つられてムコーダも頭を下げた。フェルは鋭い視線を魔王さんに向けたあと、ふっと力を抜いて、ふんと鼻を鳴らした。
「ほう。確かにただ者ではないが、悪い気配ではないな」
「でしょー? 魔王さん、お腹すいてるよね?」
セイナの問いかけに、魔王さんはこくりと小さくうなずいた。ちょうどそのとき、ぐう、とお腹が鳴る。
「あはは、ほら!」
空白旅団の三人が、いっせいに笑った。
八、シャリアピンステーキとビーフカレー
焚き火の上で、土鍋がことこと音を立て始めた。もう一方の大鍋では、薄切りの玉ねぎと牛の切り落としが、じっくりと煮込まれている。ルウを割り入れると、スパイシーで甘い、食欲を殺しに来る匂いが一気に広がった。
「ビーフカレーの隠し味は、ほりにしを一振りだけ。入れすぎると味が変わっちゃうから、本当に少しな」
「ほんの少し……」
アヤメは相変わらず、必死にメモを取っている。
一方、ステーキの方は、いよいよ大詰めだ。漬け込んでいた肉をバットから取り出し、玉ねぎを軽く拭い取って、熱したフライパンにのせる。
じゅわあああっ。
豪快な音とともに、バターの香りと肉の焼ける匂いが、辺り一面に立ちのぼった。
「うおおおおお! これだ! これを待っていた!」
フェルが、尻尾をぶんぶんと振り回す。巻き起こった風で、焚き火が揺れた。
「こら、落ち着け。火が消えるだろ」
表面を強火で焼き、ひっくり返し、ほりにしをぱらりと振る。別のフライパンで飴色になるまで炒めた玉ねぎを、焼き上がった肉の上にたっぷりとのせる。仕上げに、漬けダレを煮詰めてバターを溶かし込んだ、ほりにし入りのソースを回しかければ――。
「はい、タスマニアビーフのシャリアピンステーキ、完成です!」
ムコーダは、まずフェルの皿に、次いで空白旅団の三人、魔王さん、ドラちゃん、スイの皿へと、順にステーキを置いていった。
「いただきます!」
ナイフを入れたコハクが、思わず声を上げる。
「……え、柔らかい! ナイフがすーっと入った!」
一口食べたコハクの目が、ぱっと見開かれた。
「うまい! なんだこれ、肉汁がじゅわって出てきて、玉ねぎの甘みがそれを包んで……!」
「噛んでいないのに、お肉がほどけていく……」
アヤメは、フォークを持つ手を震わせていた。
「塔の外の獣の肉とは、まったく別物です。玉ねぎだけで、こんなに……いえ、それだけじゃない。この深い味の正体は、きっと……」
「ほりにしだよ! 絶対ほりにし!」
セイナが、もぐもぐしながら断言する。
「お肉が、お肉以上になってる! お肉の中のお肉! ほりにしって魔法の粉なの!?」
「ただのスパイスです」
「ただの!?」
その横で、魔王さんは黙々と肉を口に運んでいた。ひとくち、ふたくち。目がだんだん輝きだし、三枚目のおかわりをよそってもらったところで、ようやく小さく「おいしい」と呟いた。それを聞いたセイナが、自分のことのように胸を張る。
「でしょー! ムコーダさんのごはんは世界一なんだよ!」
「いや、まだ世界一って決まったわけじゃ……」
「我が保証する」
フェルが、三枚目のステーキを平らげながら言う。
「だがムコーダ、おかわりだ。あと五枚は焼けるな?」
「焼きます焼きます!」
ムコーダは額の汗をぬぐいながら、フライパンに次の肉を滑り込ませた。
ビーフカレーも、負けてはいなかった。土鍋で炊きたての白いご飯の上に、とろりと煮込まれたカレーをたっぷりとかける。スイとドラちゃんには甘口、大人たちには中辛だ。
「あるじー、カレーあまーい! おいしー!」
「ふふん、甘口でも、味はしっかりしてるな。ビーフもとろとろだ」
「中辛もいけるぞ!」
コハクが、スプーンを口に運ぶなり、ぱっと表情を明るくした。
「辛いのに、まろやかだ! ご飯が、ご飯が消える!」
「あたしも! おかわり! あっ、でもステーキもおかわり! どっちも!」
セイナは両手に皿を持って、左右を見比べている。
アヤメは、スプーンを持ったまま、静かに呟いた。
「この深いコク……隠し味に入れたのは、さっきの粉……ですよね?」
「え、ええ。ほんの少しだけ」
「あの粉が、こんなにもカレーの味を引き締めて、奥行きを出して……」
アヤメは、じっとカレーを見つめ、そしておもむろにメモ帳をめくった。
「ほりにし、ほりにし、ほりにし……」
ぶつぶつと呟くその姿は、どう見ても商人の顔だった。
「……アヤメ、目がこわいよ」
「利益になるわ。これは、利益になるわ……」
そのやり取りを、フェルがちらりと横目で見て、面白そうに鼻を鳴らした。
「ふむ。面倒なことにならねばいいがな」
その予感は、すぐに現実となる。が、その前にまだ、締めくくりのデザートが残っていた。
九、締めはチョコバッキーと、スパイスチャイ
食器を片づけて、焚き火を囲んで一息ついた頃。ムコーダは再びネットスーパーの画面を開いた。
「あれ?」
画面の端に、見慣れないバナーが光っている。
新規オープン! シャトレーゼコーナー。
「おっ、シャトレーゼが入ったのか! さっきオープンしたんだな」
「しゃとれーぜ?」
「お菓子とアイスの専門店でね。安くて美味しいんだ」
「アイス!?」
ドラちゃんとスイが、同時に跳ね上がった。
「あるじー、アイス! アイス食べたいー!」
「分かってる分かってる。えーと、これだな。チョコバッキー・ザ・プレミアム、香るタヒチバニラ」
一本、百十三円。ムコーダは全員分に加えておかわり分も含めて、三十本をカゴに入れた。
「溶けないうちに食べてください。はい、どうぞ」
届いた冷たいアイスバーを、一人ずつに配っていく。
ひとくち齧ったコハクが、目をぱちくりさせた。
「冷たっ! 甘っ! でも、すっきりしてる!」
タヒチバニラの華やかな香りが、口の中にふわりと広がる。なめらかで、コクがあるのに後味は爽やか。そのアイスの中に、ほんのりビターなスイートチョコが不均一に織り込まれていて、食べるたびに食感が変わるのだ。
「パリッてしたり、とろってしたり、一口ごとに違う! 楽しい!」
セイナは大はしゃぎだ。
「バニラって、こんなに華やかな香りのものだったのね……。花みたい」
アヤメは目を閉じて、じっくりと味わっている。
「ちなみに、お値段は?」
「一本、百円ちょっとですよ」
「…………え?」
アヤメが固まった。
「この品質で……百円ちょっと……?」
「あるじー、つめたくてあまいー!」
「おいムコーダ、俺様の分もう一本だ!」
「ふむ。悪くない」
フェルは口では素っ気なく言いながら、三本目に手を伸ばしている。魔王さんも、小さく微笑みながら、ゆっくりとアイスを食べていた。
「アイスのあとは、あったかい飲み物でほっとしたいですよね」
ムコーダは別の商品を選んだ。クランドの、クラフトスパイスチャイ。ミルク割りにするためのシロップだ。
「これ、前から気になってたんです。紅茶の茶葉はルフナっていって、蜂蜜みたいな甘い香りが特徴で、そこにシナモンやブラックペッパー、カルダモン、クローブ、ジンジャー、ナツメグ、スターアニスなんかのスパイスを合わせて、きび砂糖で仕上げてあるんです。レモン果汁も入ってるらしくて」
ムコーダは小さな鍋で牛乳をことこと温め、シロップを溶かし入れた。ミルクで割るだけの、簡単な作り方だ。
立ちのぼる湯気に、シナモンと八角の香りが混ざる。蜂蜜のような甘い紅茶の香りが、その奥からやわらかく顔を出した。
「はい、熱いので気をつけて」
紙コップを受け取ったセイナが、ふうふうと息を吹きかけながら、ひとくち飲む。
「……あったかい。あまーい。あっ、後からぴりっとした! ぴりっ!」
「体の中がぽかぽかするな」
コハクが、ほうっと息をついた。
「複雑……。紅茶の香りの奥に、いくつもの香りが重なっていて、それなのに、一つひとつが喧嘩していない」
アヤメは、またメモ帳を開きかけて、思い直したようにそっと閉じた。今この瞬間は、ただ味わいたかったのかもしれない。
「甘くて、ちょっとピリッとして、クセになるな」
「ぽかぽかするー!」
ドラちゃんとスイも、満足げだ。魔王さんは両手でカップを包み込み、小さな声で「おいしい」と言った。
焚き火がぱちぱちと爆ぜる。星が瞬く。
ほんの数時間前まで、赤の他人だった者たちが、同じ火を囲んで同じ味を分かち合っている。ムコーダは、この旅の何が好きなのかを、あらためて思い出していた。
――が、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。
十、ほりにしとチャイの秘密、迫る三人
「……ムコーダさん」
アヤメが、ことりと紙コップを置いた。声が、さっきまでと違う。低く、真剣で、そして目が据わっている。
「は、はい?」
「ほりにしの原料と製法を、教えていただけませんか」
「え」
「もちろん対価はお支払いします。先ほどいただいた星骸の核でも、足りなければ、私たち三人の全財産でも」
「ぜ、全財産!?」
「待って待って! あたしも!」
セイナが、がばっと身を乗り出した。
「チャイのレシピも教えて! 塔の拠点の屋台で売ったら、絶対大ヒットするよ! 売り上げの二割……ううん、三割あげる!」
「ステーキの焼き方もだ!」
コハクまで、目を輝かせて詰め寄ってくる。
「師匠って呼んでいいか!?」
「いやいやいや、ちょっと待ってください!」
ムコーダは両手を前に突き出して、後ずさった。
「私の試算では、ほりにしを一振りするだけで、お肉の価値は三倍になります。これは革命よ」
アヤメは、さっきまでのしおらしさをどこかへ置いてきたような顔で、懐から一枚の紙を取り出した。契約書だ。
「ここにサインを。条件は、なんでもお好きに書いてください」
「契約書ならまかせて! 私、ちゃんと読めるから!」
「あなたが読めるのは、私が横で教えてあげたときだけでしょ」
「それは言わないでよお!」
言い合いを始めた二人をよそに、コハクがムコーダの袖を掴んで離さない。
「頼むよ、ムコーダ。一生のお願いだ!」
「えーと、えーと、その、ほりにしは、ちゃんとした会社が作ってるものなので、俺も原料までは詳しく知らなくて……」
「会社……?」
「ええと、どこから説明すれば……」
「じゃあ、チャイは!? チャイのレシピ!」
「チャイは、あのシロップをミルクで割るだけで……いや、元になってるのは、紅茶のルフナと、シナモン、ブラックペッパー、カルダモン、クローブ、ジンジャー、ナツメグ、スターアニス……あっ」
つい、ラベルの原材料をそのまま口走ってしまった。
「ルフナ!? ルフナとは何ですか!? どこで採れるの!?」
「カルダモン、クローブ……全部メモ! あっ、スターアニスって何だ?」
「八角のことで、星の形をした香辛料で……」
「星!? 星ノ塔と関係が!?」
「ありません!!」
もはや収拾がつかない。ムコーダの両腕はコハクとセイナにがっしりと掴まれ、背後からはアヤメが契約書と鉛筆を差し出してくる。スイはセイナの膝の上で、わけも分からず「ぷるぷる~」と楽しそうに揺れていた。
「おいムコーダ、囲まれたな」
フェルは、おかわりのアイスを齧りながら、愉快そうに目を細めている。
「見てないで助けてくれ!」
「ふむ。我の腹はいま満たされておるし、何より見ていて面白い」
「おいムコーダ、これはやべえぞ。ここで契約なんかしたら、一生こっちの世界でほりにしを作らされるハメになるぞ」
ドラちゃんまで、ムコーダの頭の上で震えている。
その騒ぎの中心から少し離れた場所では、魔王さんが、ひとり静かにチャイを飲み干し、そっと空のカップを差し出していた。おかわりの催促だった。ムコーダは、もうそちらにまで手が回らない。
「ネットスーパーは俺のスキルだから、人にあげられないんですー!」
「じゃあ、ムコーダさんが空白旅団に入ればいいんだよ! 副団長にしてあげる!」
「団員第一号だ!」
「契約書にサインを……」
「もう勘弁してくれえええ!」
ムコーダの悲鳴が、星空に響き渡った、そのとき。
足元に、淡い金色の光が円を描いて広がった。
『向田剛志よ』
重厚な、聞き覚えのある声。創造神デミウルゴス様だ。
『待たせたな。座標の調整は済んだ。さあ、戻るがよい』
「神様あああ! 今です今! 今すぐお願いします!」
『何やら騒がしいようだが……』
『デミウルゴス様、あれは世界を越えた魅了というやつですよ! ムコーダさんのお料理は、世界の壁だって越えるんです!』
ニンリル様の声も、天から降ってくる。が、すぐに、しょんぼりとした響きに変わった。
『うう、私のせいなのに、羨ましい……。チョコバッキー……タヒチバニラ……』
『ニンリルよ、おぬしの甘味断ちは、まだ始まったばかりぞ』
『ひいいい!』
光の円が、みるみるうちに強くなる。
「乗るぞ、ムコーダ」
フェルが、ひらりと円陣の中へ飛び込んだ。ドラちゃんがムコーダの襟を引っ張り、スイは慌ててムコーダのポケットの中に飛び込む。
「ま、待ってください! ほりにしは!? 製法は!?」
アヤメが必死に手を伸ばす。ムコーダはその手に、未開封のポックンミョンの袋を、ぽん、と乗せた。
「お土産です! あとこれ、アイスの残りと! ごちそうさまでした、ありがとうございました! ほりにしは、えーと……ごめんなさい! ご自分で探してくださーい!」
「そんなぁぁぁぁぁ!」
「ムコーダさーん! また会おうねーーー!」
「ごはん、ありがとなーーー!」
三人の叫びと、魔王さんが静かに手を振る姿が、光の向こうへと遠ざかっていく。ムコーダたちは、まばゆい光に包まれ、そして――。
十一、静けさと、ひとつの袋
光が消えた草原には、焚き火の残り火だけがちろちろと揺れていた。
「……いなくなっちゃった」
セイナがぽつりと呟いた。
「夢、じゃないよね? だって、ほら、お腹いっぱいだもん」
「そうだな。夢じゃない」
コハクは、足元に落ちていた空の紙コップをそっと拾い上げた。
「また、会えるかな」
アヤメは、手の中の袋をじっと見つめていた。ポックンミョン。赤くて元気なデザインの、見慣れない文字が踊る、不思議な袋だ。
その袋を持つ手が、小さく震える。
「……解析するわ」
「え?」
「このソースの再現は可能か。麺は、どうやって作るのか。あのスパイスの正体は何なのか。全部、全部、解き明かしてみせる……!」
メモ帳には、ほりにし、ルフナ、カルダモン、クローブ、スターアニス、という言葉が、びっしりと書き連ねられている。
「アヤメ、目がまた怖い」
「うわあ、燃えてる」
笑い合う二人の傍らで、魔王さんは静かに夜空を見上げ、空になった紙コップを、大事そうに握りしめていた。
エピローグ いつもの朝、いつもの食卓
気がつけば、ムコーダは見慣れた野営地に立っていた。朝の光が、森の梢の隙間から差し込んでいる。
「……戻ってきた」
「ふむ。やっと帰ってこれたか」
フェルがぶるぶると体を振って、大きなあくびをした。
『おかえりなさーい! ごめんなさい、本当にごめんなさい!』
ニンリル様の涙声が降ってくる。ムコーダは苦笑いして、天を見上げた。
「いえいえ、無事に帰れたので。ただ、次からはお菓子を食べながらの操作は、やめてくださいね」
『はい……肝に銘じます……』
「それと、三日経ったら、とびっきりのお供えをしますから」
『えっ!? 本当ですか!? 約束ですよ! 絶対ですよ!』
声が、ぱあっと明るくなった。ムコーダは、小さく笑った。
「おいムコーダ」
フェルが、じっとこちらを見つめている。
「我はまだ、あの肉の味が忘れられん。シャリアピンステーキ、いますぐ焼け」
「さっき食べたでしょうが!」
「あれは向こうの世界の分だ。こっちの世界の分は、まだ食っておらん」
「そんな屁理屈……」
「あるじー、チャイものみたいー!」
「俺様なんか、チョコバッキー、二本しか食えてねえんだぞ! もう一回シャトレーゼ見てくれ!」
フェルの尻尾、スイの揺れる体、ドラちゃんの小さな拳。三者三様の催促に、ムコーダは大きく息を吐いた。
「……分かりました。分かりましたよ」
ネットスーパー、と小さく唱えると、見慣れた半透明の画面が浮かび上がる。タスマニアビーフ、玉ねぎ、ほりにし、そして、画面の端にはまだ、シャトレーゼコーナーの小さなバナーが残っていた。
「……こっちにも、残ってるのか」
ムコーダは、ふっと口もとをゆるめた。
あの子たちは、今ごろどうしているだろう。ポックンミョンの袋を前に、アヤメは徹夜で解析をしているかもしれない。セイナは笑っていて、コハクは元気に走り回っていて、魔王さんは、のんびりとお茶を飲んでいるのかもしれない。
そんなことを思いながら、ムコーダは今日も、ネットスーパーの画面を指でなぞる。
「さて、と。それじゃあ、ご飯にしようか!」
異世界の草原にも、別の異世界の草原にも、同じように美味しい匂いが立ちのぼる。ムコーダ御一行の、食いしん坊な旅は、まだまだ続いていくのだった。
(了)
おまけ 空白旅団、解析中
翌日。星ノ塔の拠点にある、空白旅団が借りた小さな部屋。
テーブルの上には、赤い袋と、びっしり書き込まれたメモ帳が置かれていた。
「では、会議を始めます」
アヤメが、いつもより五割増しの真剣な顔で宣言する。
「議題は三つ。一、ポックンミョンのソースの再現。二、ほりにしの正体の解明。三、スパイスチャイの量産体制」
「三つ目、ちょっと気が早くない?」
「利益は早い者勝ちよ、セイナ」
「あたしは、とりあえずもう一回食べたい……」
コハクが机に突っ伏した。袋の中には、五食入りのうち、最後の一食分だけが残っている。
「だって、昨日と今日で四食も食べたんだぞ。あと一回しか残ってないんだぞ」
「だからこそ、最後の一食は慎重に扱わなければならないの。いい? これは貴重な研究資料なのよ」
「研究資料という名の、ごはんだよね」
「……否定はしないわ」
そんな三人のやり取りを、魔王さんがにこにこしながら眺めている。やがて、そっと袋を覗き込み、大事なものを守るように、小さく首を振った。「大事にとっておこう」と言いたげな仕草だ。
「ねえアヤメ、この袋の裏に書いてあるの、ムコーダさんの世界の字なら、作り方も書いてあるんじゃない?」
セイナの指摘に、アヤメははっとして袋を裏返した。
「……読めない。でも、絵がある。鍋、お湯、麺、ソース。この順番で、ということ?」
「つまり?」
「つまり、これは古代の遺物でも、神器でもなく、ごく普通の食べ物だということになるわね」
「ごく普通の食べ物!? あんなに美味しいのに!?」
「ムコーダの世界、恐ろしいな……」
三人は顔を見合わせ、そして、揃ってため息をついた。
「結論。ムコーダさんの世界は、星ノ塔よりも、ずっと奥が深い」
「ねえねえ、また会いに行こうよ! 次に塔で神器が見つかったら、世界をつなぐやつかもしれないよ!」
「それだ!」
コハクが、がばっと顔を上げた。
「……無謀だけど、利益の匂いがするわね」
アヤメが、眼鏡を直すような仕草で、にやりと笑った。
こうして空白旅団は、新しい目標を胸に、今日も星ノ塔へと向かう。目指すは、世界の壁の向こうにあるという、甘辛い焼きそばと、星の形をしたスパイスの香り。そして、また一緒に囲みたい、あの夜の焚き火の温もりだった。
(おわり)